コッペリアの電脳   作:エタ=ナル

35 / 48
第二十九話「伏して牙を研ぐ狼たち」

 九月三日の金曜日、昼時の病院の白い廊下を、一人の青年が厳しい表情で歩いていた。顔だちは美形というには面長で、やや歳より老けて見えるきらいがあるものの、優れて端正な骨格を肉の内側に忍ばせていた。髪は墨のように黒く真っ直ぐで、力強い太さのある質の毛を、短めに切って立てていた。暗褐色の瞳は小さかったが、澄んだ輝きを湛えていた。ともすれば可愛らしい印象を与えかねないその特徴は、鼻先に乗せられたサングラスの、洒落てはいるが強面なイメージと調和して、男らしさのバランスを保つことに成功していた。

 

 彼は上背が高かった。恵まれた長身に溌剌とした筋肉を適度につけ、黒い背広を着こなすさまは、優れた知性やキザったらしい気取りといった方向性が微塵もなく、見る者にざくりと快活で率直な、若々しい印象のみを与えている。黒地に白いラインが走ったネクタイは、華美ではないが生地が良かった。ポケットに突っ込まれたままの掌は大きくしっかりした造りをしていて、諸々の力強さを秘めている。

 

 レオリオ=パラディナイト、十九歳。苛立ちを紛らわせるような早歩きで進む靴音が、リノリウムのタイルにリズムを刻む。彼は、医学を志す受験生であり、今年のハンター試験の合格者でもあった。

 

「よう、どうだった?」

 

 黒い忍装束を堂々と着るジャポンの忍者、ハンゾーがロビーで待っていた。長身の男たちが見つめ合い、緊迫した空気を醸成している。外来の患者で埋め尽くされたこの空間で、二人の纏う雰囲気だけが異質だった。

 

「大丈夫だ。二人とも、障害が残るほどの重傷じゃない」

 

 レオリオは自身と担当医師の見地の両方から、大きな問題がなかった事を真っ先に告げる。午前中一杯をかけて行った検査の結果、ポックルとポンズの負った傷は、ひとまず安心できる程度であると判断された。

 

「ま、しばらく入院して安静にする必要はあるだろうがな」

「そうか、そいつはよかった」

 

 言葉と裏腹にハンゾーの表情は固く苦い。レオリオも、また同様に固かった。彼らはそれ以上の会話を一切続けず、並んで外へと歩き出した。ゴンの待っている宿へと向かって、人通りの多い賑やかな通りを、ずんずんと大股で進んでいった。

 

 レオリオは怒りを胸に灯している。アルベルトは友人だと思っていた。ゴン達ほどの絆はなくても、決して細くない縁で結ばれた、立派な仲間だと考えていた。今でもそれは変わりない。だが、だからこそ相手の行動に不信感が募った。なぜマフィアに手配されなければならないのか。ポックルとポンズに遭遇して、なぜ痛めつけなければならなかったのか。

 

 辻を曲がりながら思考を続ける。ちょうど飛び出した自転車が、隣のハンゾーに当たりそうになったが、ひょいと避けられて去っていった。乗っていた十歳ごろの少年が、大声で礼の言葉を残していった。だが、そんな微笑ましい出来事も、レオリオはろくに見もしなかった。

 

 ポックルとポンズが与えられた傷。あれを見ればレオリオには分かった。伝え聞くアルベルトの攻撃と、ダメージの様相が異なっていると。医学的知識があれば誰にでも分かる。傷は表層に留まっており、重くても打撲どまりが精々だった。皮下に青あざを作る程度のもので、概観では痛々しく見えたとしても、骨にも内臓にも筋繊維にも、ろくな損傷が及んでいない。最初に体の自由を奪ったであろう、恐ろしく深い衝撃の形跡とは正反対ながら、共に、異常に器用な攻撃だった。放たれた手数の多さから、偶然の産物だとも考えられない。

 

 なぜ、あんな事をしたのだろうか。あれこれ思索を巡らせても、判断材料が少なすぎた。この場にクラピカがいれば鋭敏に核心を突くのかも知れないが、彼の頭の回転では現状これが精一杯だ。なにか意図があるのは理解できても、旅団に対して二心があるのか、あるいはそう思わせたくて謀っているのか、その判断がつかなかった。

 

 もしなにか事情があったというのなら、レオリオは明かしてもらいたかった。たとえその場では話せなくても、この時代、いくらでも伝達する方法はあるではないか。前もってホームコードに吹き込んでもいいし、後からでも機を見て電話することぐらいはできるはずだ。正当な理由を伴って釈明の一つもしたならば、直接の被害を受けたあの二人ですら、恐らく納得するであろう。しかし、未だに連絡は一切なく、こちらからの通信も繋がらない。その事実に対する忸怩たる思いが、彼の感情を苛んでいる。

 

「どう思う?」

 

 運び手と護衛を兼ねて病院まで付き添ってもらったハンゾーに向かって、レオリオは歩きながら尋ねてみた。

 

「さてな……。だが、オレもあいつからは話を聞きてぇ」

 

 普段は明るい彼の顔も、今日は鋭く影がある。不満が溜まっているのだろう。祭の空気に浮かされていた頃とは比べ物にならず、ゴンの父親探しに協力している時に見せた、張り切った笑顔ともまた別だった。

 

「ま、アルベルトに会えないとどうしょうもねぇがな」

 

 小石を蹴ってハンゾーが言う。それは歩道を転がって不規則に弾み、側溝に落ちて消えていった。車道を自動車が流れていく。彼ら以外は平穏な、昨日と同じ風景だった。

 

 もしも、本人以外でアルベルトの事情を把握してる人物がいたら誰だろうか。真っ先にエリスが思い浮かび、旅団の関連ということでクラピカも浮かぶ。しかし、この二人も連絡がつかないままだった。どいつもこいつも、とレオリオは灰汁の強い友人たちを恨めしく思った。

 

 果たして、こちらを巻き込まないようにしてるのか。あるいは、一緒に食べて飲んで騒げても、対等な仲間とまでは思えないのか。友人と呼んでも仲間ではないのか。だとしたら、首根っこをひっ捕まえても協力して、その後で存分に説教してやる。そんな考えに耽りながら、彼は宿への道を進んでいった。

 

 だがしかし、ふと、レオリオは新しい可能性に思い至った。彼らに無用な気遣いを強いているのは、自分達の実力の無さだろうか、と。ハンゾーとキルアの二人でさえも、あの最終試験で垣間見た、アルベルトの異常な戦闘能力に匹敵できるとは思えなかった。レオリオ自身は言わずもがなだ。念という新たに知った力を後回しにして、受験にかまけた自分の判断は間違いだったというのだろうか。もし、それが彼らの真意だとしたら、オレは。

 

 レオリオはどこか深い場所を見つめながら、無言で道を歩いている。

 

「とんだ同期会になっちまったな」

 

 ハンゾーが呟いた一言に、本心からの同意を返した。

 

 

 

 飢えた鼠のような沢山の眼が、そろって彼を凝視していた。

 

 初秋の街並みを撫でる風は、青空に昇った太陽は、廃墟の奥までは届かなかった。何本もの蝋燭が照らす壁は、自動車の排ガスと埃とが長い年月をかけて染み込んでいて、ねっとりした黒で汚れている。無造作に積み上げられた瓦礫の影に、鼠が潜む気配があった。苦悶の声が灯火を揺らす。すえた臭いが濃密に漂い、部屋の隅に集められた人々をも、恐ろしさで揺らさないではいられなかった。別の隅には、要件の済んだ人々が、山と積まれて沈黙していた。

 

 時折、中央に添えられた古く頑丈なテーブルから、血と肉片がこぼれ落ちる。台の上に乗せられた人間が、苦痛に耐えきれずに声を洩す。血液が床に降り積もった埃と混ざり、無気味なほど静かな水面となって広がっている。橙色の控えめな灯りのせいで、それは、タールのような漆黒に見えた。

 

 部屋の隅で人々が見つめる。彼らは皆、手足を折られ、あるいは腱を切られ、もしくは先端そのものを引きちぎられ、大雑把に運動能力を壊されていた。その上から鋼鉄のワイヤーで乱暴に縛られ、人ではなく、物品としての扱いを受けているに等しかった。

 

 それでも、彼らは未だに生きているのだ。見ず知らずの他人と肩を寄せあい、容赦なく刻む一分一秒の時間に滑稽なほど必死にすがりながら、眼を見開いて彼の一挙一動をじっと見つめている。自分の番が来るまでの間、残された僅かな人生を、全身全霊で数えていた。遠くない未来に確実な不幸が来ると知りながら、不思議な事に、自害を選ぶ者はいなかった。

 

 手術に挑む医者のような敬虔さで、一人の男が作業している。体内から摘出されたばかりの電極をつまみ、こびりついた体組織を拭っていく。寝かされているのは女だろうか。三十路を超えたばかりと推測される彼女の体は、己の血液だけを纏っていた。まだ、大きな傷は目立たない。

 

 やがて男は、女の眼前に何かをそっと差し出した。滑らかな球状のシルエットを、オレンジ色にこぼれる蝋燭の光が、柔らかく闇に浮かび上がらせる。暖かく、新鮮な桃色に見えたその物体は、筋肉に包まれたままの眼球だった。一人前の被害者から取り出されたばかりで、まだ暖かく湿っていた。彼女は、絹を裂いたような悲鳴を上げた。裸の体を激しくよじり、拘束から抜け出そうと必死にもがく。そこへ男は何かを告げた。優しく短く穏やかに、端的な言葉で要求した。

 

「殺して」

 

 女は、とても静かに拒絶した。

 

「ようアルベルト、どうだ」

 

 後ろから声がかけられた。振り返るとノブナガとウボォーギンが連れ立っていた。二人とも、肩には何人もの釣果を担いでいる。アルベルトは彼ら二人の帰還よりも、その気配を感じ取れなかった己に危惧を抱いた。

 

「細かい情報は逐一団長に報告してるけど、大きな進展は何一つ無いね」

 

 応えながら、アルベルトは拷問台に横たわったままの頭を潰した。そして、持ち帰った獲物をワイヤーで縛っている最中の彼らに向かって、努めて平常に似た声で苦情を言った。

 

「だいたい、君たちは張り切りすぎなんだ。こうも対象が多かったら、ろくに情報源も絞り込めない。いいかい? そもそも拷問っていうのはね、一人に何日もかけてじっくりやるのが基本なんだよ。……あ、ウボォー。そいつとって」

「こいつか?」

 

 順番待ちの中から指定された小太りの男を、ウボォーギンが片手で持ち上げた。それはアルベルトに受け渡され、台の上に四肢を固く拘束さる。今度の哀れな被害者は、その間、一言たりとも喋れなかった。恐怖と絶望が大きすぎて、何一つ、言葉にすることができなかったのだろう。

 

「おいアルベルト、なんだよそりゃ」

 

 ノブナガが不機嫌そうに顔をしかめて、ウボォーギンの巨躯の脇から、滑り込むように割り込んだ。

 

「なにも全員に構うこたぁねえだろ。要らねえ奴は放っときゃいいだけじゃねぇか」

 

 低い声で詰め寄って来る。至極もっともな彼の意見に、隣のウボォーギンも頷いた。アルベルトは顔をしかめたが、それは精神的な理由ではなく、純粋な痛みのためだった。大きめの声が鼓膜に響き、頭蓋の中身を揺さぶったのだ。

 

「まあね。でも、その選別だけで一苦労なんだよ。こう見えて口の堅い人間ばっかりで」

「雑魚じゃねぇか、こんな連中」

「それでもだよ」

 

 溜め息を吐いてアルベルトは言った。もしもこれがマフィアなら、簡単に吐いてくれると思うだけどね、と。事実、捜索は部外者に任せきりで、彼ら自身は妙に静かなままだった。シャルナークの考えを受け売りするなら、次の作戦に向けての準備だろう。

 

「それに、あの二人の行方を知ってそうな人物が、こうも皆無だと嫌にもなる」

 

 拷問台に拘束され、がちがちと歯を鳴らす男を見下ろしながら、アルベルトはうんざりしたように首を振った。背後には用済みの遺体が積み上げられ、小さくない山を形成している。その全て、老若男女に関係なく、生きながら切開された傷があった。

 

「だがなぁ、外を歩けば襲撃だらけだ。仕方ねぇだろ」

 

 腰に手を置いてウボォーギンが言う。それはアルベルトにも分かっていたし、現に、昨日実際に体験していた。

 

「まあ、あの賞金が懸けられたならそうだろうね。団長の前でも説明したとおり、三十億ジェニーというのは、たとえ本格的なチームを組んだとしても、一人狩るだけで採算が合うような金額だから」

 

 その道で一流の人材に、短期ミッションで命をかけてもいいと思わせる相場が一人およそ三億ジェニー。標準的な情報網の構築に要する主要な人員の要求が、一単位辺り六名から七名。職業として犯罪者を狩るブラックリストハンターの常識に沿えば、幻影旅団という獲物に対して、一人二十億ではリスクがきつい。二十五億でも妥当な範囲だ。だが、三十億という金額であれば、十分以上に魅力を感じる。

 

「オークションで世界中から人材は集まってるし、大金にそられてチームを組んだり、手足として雇われてみる人間は多いはずだ。情報を売るだけのつもりの連中も入れると、その気になった人数はちょっと予測がきかないな」

 

 業界の基準で美味しいライン。それを見越しての賞金は、プロアマ問わず、専門のハンターを主力と見込んでの設定だろう。アルベルトはそのように分析していた。それだけでも、マフィアがどれほど本気か分かる。

 

「さて、あなたもそろそろ落ち着いたかな。大丈夫。洗いざらい話せば痛いことはしないよ。僕たちを、信じ込ませることができればだけど」

 

 血と脂に濡れた拷問台に向き直り、アルベルトは今度の相手に語りかけた。四十歳ごろの中年で、灰色の髪に二割ほど白髪が混じっている。膨らんだ腹をスーツに押し込み、洗いざらしのシャツに地味なネクタイを締めていた。纏は使えるようだったが、オーラの量はかなり少ない。手足の拘束を解くほどの力もなく、彼はひたすら震えていた。明らかに、戦闘以外に従事するタイプだ。害意が濃密に混じったオーラに包まれるアルベルトと、背後に立ち並ぶ二人の男を、交互に見上げては怯えていた。

 

「殺せ。俺たちの事情に通じているなら、どうかこのまま殺してくれ」

 

 それでも、回答は簡単には得られないのだ。

 

「まあ、こうなるんだ」

「なるほどな」

 

 ウボォーギンが頷いた。腕を組み、納得した顔で様子を見ている。このような小者にまで念入りな拷問が必要であれば、情報の集まるペースも芳しくない、と。

 

「ま、こんなヤクザ家業でも飯種だし、プロだけでなくアマチュアハンターにも専門家としてのプライドがある。それに、あの幻影旅団に捕らえられて、なぜか無傷で生還したという噂が流れただけであったとしても、今後の爪弾きは確実だろうね。ましてや、その後で雇い主が襲われでもしたら」

「関係ねぇよ」

 

 苛立ちを噛み締めてノブナガが言った。アルベルトを右手で押しのけて、拷問台のすぐ傍に立つ。そしてその勢いに全てをまかせて、無造作に伸ばした左手で睾丸を潰した。暗い廃墟の深淵に、痛みに耐える絶叫が響いた。

 

「オレはこいつみてぇに優しくはねぇぞ。吐け」

「……殺せっ」

 

 口の端から泡をこぼし、脂汗を流して失禁しながら、男はなおも強情をはった。続けざまに数発の打撃音が部屋に響く。腹を、手足を、死なない程度に殴られて、何箇所も骨が折れて砕けた。が、それでも、男は頬を釣り上げて笑った形の表情を作り、無駄だ、と声にならない声で言った。

 

「なんだと!?」

 

 ノブナガは頭に血を上らせて、腰の刀に手をかけて怒鳴り声を上げた。

 

「おい待て、殺すには早いぜ!」

 

 とっさに後ろから肩を掴み、ウボォーギンがノブナガを制した。旅団の判断として、それは正しい。マチとシズクの手がかりを握ってるかもしれないと考えれば、簡単に楽にしてやることなどできないのだ。

 

「落ち着けよ。こいつが当たりだったらどうするんだ」

「……わりぃ」

 

 彼らも、これまでにブラックリストハンターや情報屋とは何度も相対しては蹴散らしてきている。情報を絞り上げた経験もいくらでもあった。しかし、今回は事情が違っていた。仲間の安否という気がかりがある現状でありながら、自白に到る手段が足りない。データを効率良く扱える人間が足りない。その反面、襲ってくる人数は異様に多い。その多くが、超一流とはいかないまでも優秀ではあった。

 

「ノブナガの方法も間違いじゃないんだ。ただ、今はもう少し効率を上げたい時だから」

 

 なにも、戦闘力だけが実力ではない。裏社会を自らの手腕だけで生き抜く人種にとって、同業者から寄せられる嘲笑は、この世のなによりも辛いのだ。それを恥とする傾向は、技量がある人材ほど格段に増える。そして、マチとシズクの行方を知る可能性の高い人物とは、当然、そのようなこだわりの強い人種だろう。かちゃかちゃと器具の音を立てながら、アルベルトはそんな補足を追加した。

 

「なあ、自白剤みてぇな代物はねえのか?」

「あれは使えないこともないけれど、決して魔法の薬じゃない。投与すれば朦朧として、夢と現実の境界すらも定かでなくなる。よく言って最後の手段だね」

 

 ウボォーギンの疑問に応えながら、アルベルトは淡々と衣服を剥ぎ取っていく。中年男の纏う矮小なオーラが、不安を反映してか細く揺れた。しかし、この場に助けようと動く人物はいない。彼は血に濡れた股間を簡単に処置して、一応の準備を整えた。

 

「……そもそも、本当に賞金狙いだったのかも疑問があるよ。まだ二人の手配は撤回されてないんだし、なにより、あの状況で人数の多い方を狙うのは定石から外れる。……不自然すぎるほどでは、ないんだけどね」

 

 そこへ、赤いドレスの少女がひょっこりと訪れた。

 

「あら、お帰りなさいウボォー。ノブナガも」

「おう、そっちはどうだ」

「全然だめね。楽しいばかりで進展はなし。アルベルト、新しいのいくつか貰っていくね?」

「頼む。でも、楽しくても遊びじゃないんだよ」

「もちろんよ、マチにはお世話になったもの」

 

 表面上だけは拗ねながら、キャロルは玩具を選ぶように囚われの人々を見定めていく。アルベルトはそれに興味も示さずに、台の上の男に何本の電極を突き刺していった。オーラの消耗で悪寒が酷く、リアクションをとるのが辛かったのだ。

 

「なるべくなら可愛い女の子がいいんだけどな。あ、この男の子もらいっ」

「どうぞ」

 

 カイゼル髭を蓄えた紳士の外観に着替えた彼女は、何人もの目ぼしい人物を担いで持っていった。容姿だけが基準ではなく、実力もありそうなところを優先的に選択している。どうやら、言葉は嘘ではないようだった。それを見ていたノブナガが、肩をすくめて呟いた。

 

「あいつはずいぶん楽しそうだな」

「彼女の拷問は娯楽的で、僕のそれはシステマチックだ。過程と結果が似てるだけで、その本質は全く別のものさ」

 

 アルベルトはヒソカに聞いて知っている。もといた旅団のメンバーに、同じように拷問を趣味とする団員が一人いたことを。その男が、今年の春、どこでどのように果てたかも。

 

「ところでノブナガ、シャルは?」

「ん? フランクリンとペア組んで出かけたぜ。例の現場を見に行ったそうだが、その後までは知らねえよ」

「現場って、ああ、河原の地面がえぐれてたっていう。僕はまだ見てないけど、どんな様子だったか分かるかい?」

「そうだな……。あそこで誰かが戦ったのは確実だが、それ以上はなんとも言えねぇな」

 

 頭をかきながらノブナガが言った。何かがあった事だけはわかるが、マチとシズクが関わっているかも、現状では断言することができないと。そこに、ウボォーギンが口を挟んだ。

 

「少なくとも戦闘が成立したんだ。あの二人を相手に戦うとなると、敵にもそれなりの使い手がいるのは間違いねぇ」

「なるほどね。あ、暇ならそこら辺に転がってる連中の髪の毛剃ってくれないか。あとで頭蓋骨切開していじくるから」

 

 そんな頼みごとをアルベルトがしたが、二人は顔を見合わせた後、別の用事を理由に断った。

 

「いや、外をもう一回りしてくるぜ。数よりも、なるべく知ってそうな人間を選んで連れてくればいいんだな」

 

 ウボォーギンが確認をとる。アルベルトは片手間に機器を操作して、強弱のある通電を繰り返しながら頷いた。男の体が連続で仰け反り、断続的なうめきを洩らした。

 

「そうお願いできるかな。情報を引き出すことはできてるんだ。釣り方を工夫して数さえ絞ってくれたなら、こちらとしてはだいぶ助かる」

 

 中年男を観察し、相手に与える苦痛の量を調節しながら彼は答えた。どうせなら他の団員にも伝えてくれと頼んだところ、二つ返事で了解された。

 

 今朝早くクロロが発した命令は、ペアを組んで連れてこいという一点のみに絞られている。そのような場合、手段も生死も、各員の裁量に全てまかされていると解釈される。が、あの二人であれば問答無用で殺しそうだな、と、アルベルトは歩いていく大小の背中を眺めながら考えた。

 

 そのとき、特にこれといった予兆も無く、彼の右手から何かが剥がれた。皮だ。それは紛れもなく人間の、アルベルト自身の皮膚だった。手の平の皮がごっそりと剥けて、肉が完全に見えている。怪我を負うような原因はどこにも見当たらない。だからこそ、彼は即座に理解した。当たり前の動作に耐え切れず、自然にはがれて落ちたのだと。傷口は枯れた白骨のように乾いていて、血液の一滴すらも滲まなかった。

 

「どうした」

 

 振り向いたノブナガが怪訝に尋ねた。が、アルベルトは拷問をそのまま続けながら、なんでもないよ、と返答した。その時、何食わぬ顔で応えながら、アルベルトは密かに呼吸を整えていた。疲労の溜まった体の芯が、歯車で押し挟まれたような軋みをあげる。痛い。反応が悪く、感覚が妙に遅れていた。昨夜から薬を二本も追加で打っていたが、全身から噴出する彼のオーラは、とうとう量が減りはじめた。脳全体を潰すように、激しい頭痛が拍動している。少々休んだ程度では、気休めにしかならなかった。しかし、この場で息を切らしては不自然すぎる。

 

 相手は彼の答えに頷いて、部屋の出口から去っていった。

 

 事実、なんでもないような傷なのだ。塗り薬とガーゼ、包帯で適切な処置を施して、上から手袋でもはめて隠す必要がありそうだが、体の動きに支障は無い。肉体が連日の酷使に耐え切れず、劣化し始めている事の証左でしかなかった。人生の終わりが近づいている。このままのペースが続けば恐らく明日、遅くても明後日の今ごろには、彼は朽ち果てて死ぬだろう。

 

「殺してくれ」

 

 ふと、かすれた声で懇願された。拷問台の上で寝そべる男は、未だにろくな情報を吐いていない。しかし、この拷問は最初から無意味だった。当然である。消えた二人の行方を知るのは、他ならぬアルベルト自身なのだ。知っていることを知られてはいけないという理由だけで、彼は、無関係の人間を虐げていた。外界から隔絶された暗い部屋で、何一つ生み出さない虐殺をしていた。

 

 一旦電流を止めてから、中年男の顔をじっと見つめる。いつ他の団員が訪れるかもしれない以上、軽挙妄動はできなかった。が、メスを取り出したアルベルトは、刃をおもむろに首筋に当てて、うっかりと手を滑らせて殺してしまった。不注意だったと首を振る。果たして何人目の不注意だったか。暗い部屋の片隅では、順番待ちの人間たちが、彼の行動をじっと見ている。

 

 メスを置いてアルベルトは思った。これは、罪と罰のどちらだろうか、と。

 

 

 

 レオリオとハンゾーが宿へ帰り、部屋の戸を開けると仲間がいた。ゴンとキルア、そしてビリーと名乗る褐色の少女が、それぞれ思い思いの場所で寛いでいる。ゴンはベッドの上であぐらをかき、キルアは窓枠に腰掛けて外の風景を眺めていた。そしてビリーは、部屋の隅の硬い椅子に、深窓の令嬢のように背筋を伸ばして座っていた。だが、格好こそ各々楽にしていたが、雰囲気は針のように鋭かった。会話もない。およそ子供らしさとは程遠い、大人びすぎた時間の過ごし方。それは点と呼ばれる訓練だった。心を静めて平らにし、水平線まで風一つない、真凪のような集中をしている。レオリオとハンゾーは顔を見合わせて呆れていたが、ビリーがいち早く彼らに気付いた。

 

「あら、お帰りなさい」

 

 彼女の声がきっかけになって、残りの二人も瞼を開いた。部屋の空気が切り替えられて、仙界の如き清涼感がどこかへ消える。しかし、十分な集中の成果だろう、三人ともオーラの流れが整っている。特にゴンとキルアのそれは素晴らしく、穏やかだが雄大な迫力があった。彼らの才能を間近で見て、レオリオは思わず唾を飲んだ。

 

「お、おう。今帰ったぜ」

「あいつら大事無いってよ」

 

 ハンゾーが明るい声で結果を告げた。彼も慌てて頷いて、視線で感謝の意をこっそりと送った。ゴン達を子供と侮るつもりはなかったが、それでも、なるべくなら辛い表情はさせたくない。

 

「で、お前らこれからどうするんだ?」

 

 本気で落札を目指すなら、サザンピースの入場券を兼ねたカタログを今のうちに購入しておいたほうがいいだろうと、彼は二人に説明する。幸い、現段階でもその程度の金額ならば届きそうだ。肝心のゲームの購入資金は、未だ、皮算用することも厳しかったが。

 

「オレ、アルベルトと合って話がしたいよ」

「おいゴン! それじゃあ趣旨が変わってるだろ!」

「だけど、キルア」

 

 ゴンに言葉を続けさせず、キルアは一瞬先んじて詰め寄った。手馴れてやがる。レオリオは銀髪の少年を眺めながら、ストッパー役として彼の積んできた苦労を思って軽く笑った。床に腰を下ろしながら、ハンゾーもまた愉快気に頬を吊り上げていた。

 

「あいつが今いるのは十中八九旅団だぜ。今の俺たちが腕力でどうこうできる相手じゃねーっつうの! ソッコー返り打ちにあってあの世行きだ!」

「でも、昨日はハンゾーが戦って帰ってきたじゃないか!」

「逃げるのと倒すのは全くちげーよ!」

 

 わいわい騒ぐ二人についてはそれとして、レオリオは、行儀よく椅子に座ったままの少女にも声をかけて話題を振った。彼女はずっと、少年達を興味深そうに眺めて黙っていたのだ。

 

「お前はどうだ、ビリー」

「え、私なんかに聞いていいの?」

 

 びっくり、と驚いた表情で見上げる彼女に、彼は逆にたじろいだ。おいおい、と内心で呆れ果てる。少女の過去にまた一つ関心が湧きはしたが、そこは年長者としてぐっとこらえた。いつの間にか、ゴンとキルアまで言い争いを止めて、彼女の方を見つめていた。

 

「おいテメー、変な遠慮はいらねぇぜ」

「そう、そうね。……私は初めから決まってるわ」

 

 赤褐色の瞳をそっと伏せて、大切な思い出を抱きしめるようにビリーは言った。

 

「私は、あの手配写真の人たちを捕らえたい。いえ、できることなら殺したい」

 

 はっきり口にされた直接的な単語に、皆がそれぞれの反応をした。彼女もあえて承知の上で、正直に思いを明かしたのだろう。一通り周りを見回してから、やや低い声で言葉を続けた。

 

「だけど、私独りじゃ無理だから、それができる人たちをどこかで探すわ。ご心配なく。あなたたちにそのつもりが無いのなら、迷惑をかける前にさっさとおいとまさせていただくから」

「ああもう! どいつもこいつも!」

 

 突然キルアが立ち上がり、大きな声で叫び声を上げた。そして、ゴンとビリーの二人を交互に睨んでから、勢いよく人差し指を突き刺した。

 

「いいか! こっちの身の安全が第一だからな!」

 

 期せずして先ほどの自分と同じ意見を抱いた彼に、レオリオは優しい気持ちで微笑んだ。旅団の強さは聞き及んでいたが、自然とやる気が湧き出てくる。

 

「まっ、オレも奴らを捜索するのは賛成だ。個人的に礼がしたい相手もいるしな」

 

 ハンゾーも腕を組みながら頷いた。決まりだな、と口々に言う。しかし、ビリーが銀色の髪を揺らしながら、素朴な疑問で水をさした。

 

「でも、具体的にはどうするの? あの人たち、人間の常識が通じないわよ」

 

 知っているのとゴンが問えば、一度遭遇した経験があるという。彼女が目撃したという彼らの力について概説されるが、それは確かに人を超え、天変地異の域に近かった。全員の表情が固くなる。

 

「……とりあえず、それについては後で考えよう。ハンゾーがやってみせたように、奴らの弱点や油断をつくことは決して不可能じゃないはずだ。それよか、まずは見つけないとどうしょうもないぜ」

 

 キルアの提案は問題の先送りにも等しかったが、今のところはそれしかなかった。しかし、旅団の居場所を探すにしても、要となるポックルとポンズは頼れない。レオリオはしばらく思考を巡らせてから、一つ、気になっていたことを口に出した。

 

「クラピカは、クラピカとエリスはどうなんだ? エリスはポックルが見たそうだがよ、旅団がいるならクラピカもどっかで関わってんじゃねーか?」

 

 せめてきっかけになるような情報が欲しかったが、それ以上に彼が何をしているかこそが心配だった。蜘蛛が絡んだ際のクラピカは、とたんに猪突猛進かつ不安定になる。理性は残ったままだから、逆に始末に負えないのだ。

 

「つーか、あいつそもそもこの街にいんの?」

 

 キルアがハンゾーに視線で尋ね、オレは見てないと首を振られた。レオリオも確信があるのではない。ただ、そんな予感がしただけだった。

 

「ねえ、だったら一回電話してみようよ」

 

 携帯電話を取り出して、それを指差しながらゴンが言った。そのとき、まるで計ったようなタイミングで、彼の携帯にメールが届いた。突然鳴り始めるメロディーに、ゴンは慌ててボタンを押す。

 

「え、これってヒソカから?」

「おいゴン、ちょっとそれ見せてみろ」

 

 キルアが横から手を伸ばして、携帯電話を引ったくった。そして、しばらくじっと眺めて考えてから、何かの考えに沈み込んだ。その間、携帯は次々と隣へ回して回覧される。ある者は胡散臭そうに顔をしかめ、ある者は不思議そうに首をかしげた。自分の手元に回って来た時、レオリオはそれを確認した。未登録のアドレスからの一通は、至極シンプルな内容だった。

 

 署名と久しぶり♥という挨拶に、旅団が人間狩りをしているという短い警告。そして、画像として添付された地図と添えられたコメント。現状、レオリオには内容の信憑性までは分からないが、ただ一つ、このメールが事実なら確実に言えた。

 

 今夜、セメタリービルは再び戦場になる。

 

 

 

次回 第三十話「彼と彼女の未来の分岐」


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。