コッペリアの電脳   作:エタ=ナル

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第三十四話「世界で彼だけが言える台詞」

 ただ、蜂のようにありなさいと、彼らは、そう願われて生み出された。

 

 故に。

 

 なによりも、蜂であることを優先した。

 

 

 

 赤いドレスを纏った少女が、寂しい大通りを一人歩いていた。余人の息遣いは聞こえない。車両の通行も全くない。空間がぽっかりと空いている。アスファルトは冷たく、空は暗く、風は涼しい。検問の跡も今は虚しく、警官やマフィアの死体だけが、誰にも顧みられずに捨てられている。

 

 女がいた。厚い桃色の服を着て、軽く癖のついた海色の髪を、背中に届くほどにのばしている。彼女から薫る気配には、沈殿した決意が見て取れた。纏うオーラは粉雪のように、蛍の群れのように、数多の念弾を生み出しながら漂っている。

 

 少女は楽しくなって微笑んだ。己の金髪に手をやって、娼婦のように手櫛ですいた。深海底のような夜の街で、女たちは対峙した。

 

「あら! 私を蜘蛛と知っているの?」

 

 水をさすつもりはなかったが、キャロルはあえて先に訪ねた。女は、かすかに怒った表情で、声に力を込めて睨んできた。

 

「当然よ」

 

 キャロルはクスリと微笑んだ。

 

「まあ、まあ、まあ! 可愛い人ね。復讐かしら!」

「八つ当たりよ。それと、ほんの少しのお節介」

「そう。それもいいわね!」

 

 くるりくるりとキャロルは回った。赤いドレスのスカートが広がり、小さな靴がステップを刻む。純粋に楽しさから湧き出た演技だったが、相手には違って見えたらしい。何故か、冷めた哀れみの視線で見下してきた。

 

「あなた、弱ってるわね。オーラは少ない、体も貧弱。今のあなたを狩れなければ、旅団の誰をも狩れはしない。子供に対して悪いけれど、私は勝機を逃がすつもりはないわ」

 

 それは完全な事実であった。キャロルのオーラは残り少なく、影響が表層に出始めるほどに減っていた。ある程度修練を積んだ能力者なら、あるいは感知に長けた人物なら、もれなく察することができるほどに。

 

 少女はステップを止めて立ち止まり、顎に指を当てて考えてみる。

 

 そもそも、キャロルは生身の細胞が少ないのだ。体の大部分が紛い物。それは、生命力の生成量に直結する。が、それらは所詮、ただの前提でしかないのである。目の前の女は正気だろうか。念能力者同士の戦いにおいては、データなど、たったそれだけの価値しかないのだ。恐らくは初心者なのだろうと、キャロルは内心で勝手に決め付けた。

 

「丁度いいわね。誰かに八つ当たりしたかったのは、私も同じだったから」

 

 身体能力はほぼ同等。オーラの量では相手が上。それでも、キャロルは負ける気がしなかった。赤いスカートの端をつまみ、それらしい仕草でお辞儀をする。

 

「キャロルと申しますわ。さ、踊りましょう」

 

 大きな青い瞳を瞬かせて、少女は、アルカイクな微笑みを浮かべた。相手の女はポンズと名乗った。彼女のオーラから念弾が涌く。一つ一つは小さかったが、無数の光珠は銀河のようで、キャロルに感嘆をもたらした。

 

 どこからか、蜂のような羽音が聞こえた。

 

 

 

 遺跡の如き寂寥が漂う、神殿の如き廃墟であった。摩天楼の面影はどこにもない。セメタリービルのあったこの場所には、大小さまざまな瓦礫が山と高く積み重なり、奇怪なシルエットを夜の灯りに照らされていた。いたるところから煙がくすぶり、土砂はまだ熱の残滓を留めながら、もぞもぞと構造材の隙間へずれ落ちるように動いている。

 

 やや離れた場所に、一人の女がうずくまって、己を抱いて震えていた。右腕を固く抱え込んで、背中から生える赤い翼で、体をひしと抱きしめている。彼女の皮膚は青ざめていたが、体温はひどく高いらしかった。全身から玉のような汗がとめどなく吹きだしているが、瞬く間に蒸発して立ち昇り、冷えた夜風に湯気と漂う。

 

 その周囲に、幾人もの男が集まっていた。皆が皆、たたずまいだけで達人と分かる。彼らは女を遠巻きに囲み、闇の中、六対の冷厳な目で見下ろしていた。

 

 女の周りに味方はいない。誰一人として、いなかった。

 

 そのとき、瓦礫の山の頂上付近、極々浅い土砂の中から、一人の男が抜け出してきた。彼はふらつく足どりで歩いてくる。上半身は剥き出しのままで、翡翠の首飾りだけをぶら下げていた。

 

「やぁ、生きてたね♠」

 

 囲んでいた男の一人が言った。

 

「ひどいな、僕ごとか」

「ごめんごめん♦ でも、キミならあれぐらい余裕だったろう?」

 

 音速を目視してから防ぐのが当然といった、異界の常識を振りかざし、おどけた様子で彼は言った。わかっているのだ。この男は全ての事情を見通した上で、自分の楽しみのために振舞っている。

 

「……いつもなら、ね。でも、今回ばかりはきつかった。こう見えて、あともう少ししたら死ぬかもしれない」

 

 瓦礫より這い出た男は言った。全身におぞましいオーラを纏わせながら、彼は男たちの囲いを通り過ぎ、女のそばまで歩いていった。誰も一言も発しなかった。

 

 熱のない瞳で男は見下ろし、虚ろな瞳で女は見上げた。

 

「屋上で絶だった理由はそれか、エリス」

「生きていたのね、アルベルト」

 

 再び、沈黙の時が訪れた。

 

 女、エリスの体はオーラが包み、纏の状態となっていた。だが、その密度が、決定的に常人の基準を冒涜している。纏として現実的な規模の範囲にするには、こうならざるを得なかったのだろう。余人に害なす染められたオーラは、今、尋常な硬をはるかにしのぐ、壮絶なオーラの塊だった。足を乗せているだけのアスファルトでさえ、ほんの少しの身じろぎだけで、巨大なクレーターに変わりかねない。

 

 オーラを体内に溜めすぎていた。渇望がありすぎ、戦意を削げず、生命力が活性化しすぎているのだろう。もはや一刻も早くどこかで開放しなければ、致命的な事態の危険もある。

 

「アルベルト、あなたは蜘蛛なの?」

 

 熱に浮かされ、体から湯気を昇らせながら、エリスは朦朧とした声でそう聞いた。まるで、眠る前の幼子が問い掛けるように。

 

「ああ、蜘蛛だ。エリス」

 

 アルベルトは応えた。彼女は安心したようにまぶたを閉じた。それっきり、全く動かなくなった。

 

「で、どうするのさ、コレ」

 

 シャルナークがアルベルトへ向けて言った。他の団員も大なり小なり、例え口には出さずとも、表情で同じことを聞いている。唯一、ヒソカだけは楽しそうに観察していた。だが、アルベルトは黙ったままだった。

 

 そのとき、彼らの後ろの瓦礫の山から、強い爆発音が轟いた。地面が不気味に振動する。地中で爆弾でも起爆したのか、くぐもって響く鳴動だった。やがて、土砂に開いた大穴の中から、銀髪の大男が一人、飛び出してきた。旅団の全員が即座に悟った。相当、強い。場を緊張感が支配する。

 

 直後、光の龍が地面を穿ち、地中から空へと立ち昇った。今度現れたのはクロロだった。ついでウボォーギンとノブナガも、新しい穴より跳躍してくる。そして、クロロの合図に従って、ウボォーギンが何かを大男に向けて放り投げた。それは小柄な老人だった。彼はそれを受け止めて、夜の闇へと消えていった。ついぞ無言のままだった。

 

「待たせた。全員揃っているか?」

 

 団員を振り向いてクロロが言った。が、シャルナークがすぐに首を振る。彼はキャロルが帰ったことを報告した。

 

「それで、服が二つも壊れたって」

「またかあいつか……。もう少し強い肉体を手に入れればいいだろうに。ま、あの女については止む終えん。他はいるな」

 

 統率者が現れた効果だろう。旅団の面々が纏う空気が、明らかに先ほどのものから変化した。個々がそれぞれの方向に我を通す気配は急に失せ、落ち着きながらも、クロロに完全に従属している。

 

「で、アルベルト、それはなんだ?」

 

 黒い瞳を暗く深く澄ませながら、クロロはエリスを顎で示した。釣られて再び、全団員の視線が彼女に向けて集中する。アルベルトは何拍か開けてから、平然と取り澄ました声で返答した。

 

「名はエリス。血のつながりはないが、かつては僕の妹だったこともある女だ。どうしてこの場所にいるのかまでは、今の段階では把握してない」

「……ふむ」

 

 考え込むクロロと見守るアルベルト。一種、緊迫した空気が流れていた。誰かがクク♥、と声を洩らした。

 

「どうするつもりだ? お前の意見を言ってみろ」

「どうしようかな。僕としては、誰にも迷惑のかからない場所で、速やかに自滅してくれるのが最良だけど」

「オイ! どういうつもりだ、テメェ!」

 

 割り込んだのはノブナガだった。彼はアルベルトを強く睨み、声を荒げて怒鳴りつけた。

 

「今すぐ殺せよ! 当然だろうが!」

「いいのかい?」

 

 アルベルトはあっけらかんと問い返した。

 

「あぁ?」

「多分暴走するよ、手を出すと。それでもいいって言うのなら、試してみるのもありだろうけど」

 

 アルベルトの示した可能性に、ノブナガが気圧されたように苦虫を噛んだ。エリスは、今も凄まじいオーラを纏っている。そして、異常な熱源と化していた。この不調の原因は、能力の無茶な発動の直後、無理やり押さえ込んでいるためだろう。少なくとも、短時間で落ち着きそうな様子ではなかった。

 

「団長」

 

 アルベルトが呼んだ。クロロはエリスをもう一度見て、それから己の中に入って考え込んだ。

 

「ふむ、チャンスではあるな……」

 

 呟きに応じて、全団員が身構えた。もしも攻撃を指示されたら、間髪いれずに従えるように。蜘蛛にとって、それは常識以前に必然だった。

 

 だが、そのとき、やや離れた場所にあった植え込みの茂みの内側から、三つの人影が飛び出してきた。

 

「ゴン、キルア! 急いで! 助けるんでしょう!」

 

 先頭を走る人物が、右の拳を振りかぶる。その手にはオーラが強く集まっていた。硬。不安定でオーラの量も少なかったが、紛うことなく硬であった。

 

 アルベルトからエリスを守るかの如く、褐色の肌の少年が、割り込むように滑り込んだ。硬の右手が路面を叩く。舗装が砕け、下の砂利が噴き上がった。視界が遮られたのを見逃さず、ゴンとキルアの二人がそれぞれ、エリスの両脇に回り込む。歳若いながらも研ぎ澄まされた、鋭く速い体捌きは、見ていた旅団を感心させた。ウボォーギンが遠目に笑い、フィンクスが一つ口笛を吹く。そして、噴出した砂利のカーテンをかいくぐって、件の褐色の少年が、アルベルトへ硬で殴りかかった。

 

 だが、視界が晴れて落ち着いたとき、三人は地面に組み伏せられていたのである。ゴンはヒソカが取り押さえ、キルアの上にはフィンクスがいた。残る一人の少年は、アルベルトが投げ落とした上で押さえ込んだ。

 

「危ない危ない♣ ダメじゃないか。今の彼女に不用意に触っちゃ♦」

 

 面白そうにヒソカが言った。エリスは微動さえもしておらず、少年たちを見てもなかった。が、オーラが微かにざわついている。近づけば本人が大怪我をするだけではなく、暴走のスイッチが入る危険もあった。

 

「離しなさい! 離せっ! 離せっ! 離してっ……!」

 

 褐色で銀髪の少年が、アルベルトに上から押さえられて、殺意を込めて歯軋りした。肩までの髪が悔しげに乱れる。小さな体にオーラがたぎり、憎しみに沸いて燃え盛った。それを見て、アルベルトは彼の後頭部を軽く押さえた。衝撃が一拍遅れて少年を襲い、意識を刈り取って昏倒させた。

 

「アルベルト!」

 

 一連の動作を見てゴンが叫んだ。

 

「お前は、なんでそんな!」

「知り合いか?」

 

 吼える少年は眼中になく、フィンクスがアルベルトに視線をやった。アルベルトは深い溜め息を一つついて、彼の疑問を肯定した。

 

「一人は憶えがないけれど、あとの二人は、ハンター試験の時の同期だね。全く、なんでこの街に来てからこんな、次から次へと……」

 

 本気で弱ったように首を振って、彼は褐色の少年の上からどいた。そして、ゴンとキルアを交互に見てから、アルベルトは他の団員達へと話を振った。

 

「あと、この三人の処遇については提案がある」

「殺すか?」

「いや、殺すにしてもそれは後だ。こいつらもハンゾーと面識がある。だから可能性は低いけど、マチやシズクの居場所について、手がかりを持ってないとも言い切れない。なら、殺すより連れ帰って拷問したほうが都合がいいだろ?」

 

 例え知らないと言い張っても、相手を信用できなければ意味がない。故に、蜘蛛にとって尋問と拷問はイコールだった。対象を見逃すなど論外である。情報の取捨選択は難しくなるが、手がかりを見逃すよりはずっといい。仮に旅団に、他者の記憶を探るような手段があったら、話は違ったのかもしれないが。

 

「なんだよそれ! どうしちゃったのさ! ねえ!」

「おい、ゴン!」

 

 友人を抑えようとキルアが叫ぶが、この場合、迂闊だったのは彼のほうだ。フィンクスが至極うざったそうに拳を握り、上から頭を殴りつけた。あえて気絶しない程度に手加減しており、キルアはうめき声をかすかに洩らして沈黙した。ゴンが激昂してやめろと叫んだ。

 

「……懲りねぇな。ま、一人ぐらいは殺ってもいいか」

 

 言って、彼はもう一度拳を上げた。

 

「フィンクス、やめろ」

 

 横からアルベルトが制止した。

 

「あ? こいつら生意気すぎんだろ」

「気晴らしなら拷問が終わってからにすればいい。ガキじゃないんだ。今はそれぐらい我慢しろ」

「ほぅ……」

 

 二人の間に、よく研いだ刃のような緊張が走った。空間を切断しそうな殺気の中、お互いに無言で佇んでいる。

 

「おい! やめろって! 掟はどうした!」

 

 シャルナークが大声で掣肘した。彼ら二人はしぶしぶと、臨戦態勢にあった意識をほどいて軽く息を吐いた。もめたらコインで。それが、幻影旅団の団員を縛る、絶対の掟の一つである。

 

「仕方ねぇか。いくぜ」

 

 クロロが口を挟まないことを横目で眺めて確かめてから、フィンクスは自分のコインを取り出した。次いで親指で宙に投げる。団員達が注視するが、アルベルトは面倒そうに目をつぶって、何をするでもなく自然体のままじっと立っている。

 

「表だろう」

 

 つまらなそうに肩をすくめてアルベルトは言った。まだ、目はつぶったままだった。

 

「死に瀕しているせいか、今の僕は意識さえ向ければ大抵の気配は察知できる。少し離れた場所にあるコイン表面の文様ぐらい、円を使わずとも肌でわかるさ。なんなら、ウボォーがいる辺りからもう一度当てて見せようか」

 

 気味が悪いほどの皮膚感覚に、その場の空気が一気に白けた。ある者は呆れ、他の者は興味深そうに観察し、あるいは喉奥から忍び笑いを洩らしている。だが、例え反則に近くても、勝ちは勝ちに変わりなかった。ヒソカはゴンを開放し、フィンクスはキルアの上から降りて離れた。無論、一時的な自由にすぎないのだが。

 

 そして、自分を睨むゴンに対して、アルベルトは気絶した少年を無造作に投げた。それから、彼はクロロに振り向いた。

 

「そういう訳だから、もうすぐ死ぬよ」

「仕方ないな。今までご苦労だった」

 

 お前は役に立つ奴だった、と、クロロは仲間をねぎらった。

 

「それで」

「ああ、ガキ共はともかく、その女は逃がしてかまわない。今回で性質は完全に把握した。次があれば殺せばいいさ」

 

 とりわけ気負うところもなく、クロロはそのように判断を下した。蜘蛛の団員はそれぞれ頷き、彼の決定を受け入れた。一度決まれば迷いはなかった。

 

「じゃあこいつらはどうしようか。気絶させて縛っとく? 見張りつけるのも馬鹿らしいし」

 

 シャルナークが言った。腰に片手を当てながら、非道な行為を涼やかに話す。それが蜘蛛の普通であり、いつもの彼らの流儀であった。そのことに怒りを燃やす二人の子供を、アルベルトは無表情で見下ろしていた。

 

「いや、面倒だろ。四肢の腱でも斬っとけばいいさ」

「それもそっか、じゃ、ノブナガお願いね」

「おい、オレかよ」

 

 呼ばれて、ノブナガは瓦礫の山を降りてきた。

 

「それぐらいテメェでやれよな、ったく」

 

 気のない愚痴をいいながら、ノブナガは歩きだして柄を握る。着流しを夜風に軽く揺らして、三人の少年たちへと向かっていった。ゴンとキルアは歯軋りしたが、彼らはあまりに無力だった。

 

「アルベルト!」

 

 ゴンが叫んだ。

 

「なんだい?」

 

 アルベルトが庇うような気配はなかった。むしろ、彼らが抵抗したならば、真っ先に殺せる位置にいた。純粋に念能力者として見た場合、今の彼は恐ろしく弱い。とりわけ潜在オーラの残量では、ゴンとキルアにも大きく劣った。が、それだけで戦場での優劣が決まると盲信することができるほど、暗愚な人物はこの場にはいない。

 

「なんだって、なんだってこんな奴らと一緒にいるんだ! エリスだって、なんでこんなに苦しんでるんだ! 説明しろ!」

「断る。君には関係ないことだ」

「ふざけるな!」

 

 が、それでも、戦力で上だと知りながら、ゴンは全く怯まなかった。褐色の少年を抱えたまま、怒りに任せて練をする。鮮烈なオーラが噴き出した。若い息吹の青い風。量だけならプロの端とも互角だろうが、それ以上に際立っていたのは至純さである。

 

「エリスの気持ちも考えたらどうだ!」

「知らないよ、そんなの」

 

 アルベルトは反射的に言い返した。そして、かすかに息を吸ってから、冷たい声で付け足した。

 

「僕は自分の意志でここにいる。それだけだ」

「なんだと!」

「おい、ガキども」

 

 今度はフランクリンが口を出した。重く低い彼の声は、瓦礫の舞台によく響く。加えて、右手が厳かに向けられた。切り落とされた五つの指は、静かで無慈悲な銃口である。

 

「おとなしくしてりゃ、まだ殺さねぇ」

「うるさい!」

 

 ゴンは大声で怒鳴りつけた。空気がビリビリと振動し、市街地全体が打ち震えた。オーラは轟々と燃え盛り、瞳は闘志に輝いている。キルアも冷や汗をかきながら、じっと機会を窺っていた。これほど致命的な状況でも、戦意を捨ててはいなかった。

 

 アルベルトは未だに動いてなかった。本来なら、既に殺していてもおかしくない。そうでないと不自然だった。が、少年は未だに生きていた。

 

「いいか! エリスはそんなこと望んでない!」

「お前に何がわかる」

「わかるさ! お前だって本当は、本当は分かっているんだろう!」

 

 悲鳴に近い絶叫に、アルベルトは半歩後ろへよろめいた。が、少年たちができたのもそこまでだった。

 

「やれ」

 

 クロロの一言が全てを変えた。怒涛の念弾が掃射され、エリスの体のみを避けるように、環状の豪雨となって降り注ぐ。数え切れないトランプが鋭い弧を描いて精密に飛び、軌道上の全てを切り裂きつつ全方位から彼らを襲う。止めにノブナガが居合を踏み込み、首をねじ切ろうとフィンクスの姿がぶれて消えた。

 

 

 

「もう終わりかしら? がっかりね」

 

 嘆きながらキャロルは近寄る。ポンズは脇腹を押さえながら、満身創痍の体を引きずり、辛うじて立っているようなありさまだった。キャロルに致命的な傷はなく、まだ、毒の爪さえ使ってない。拳と流だけでこれだった。

 

「まだ、っよ!」

「残念。こっちよ」

 

 ポンズの横からキャロルは言った。攻防力の移動ができていない。凝にかかるタイムラグが遅すぎた。隠で滑り込むように接近すれば、ポンズは全く対応できない。頬を殴り飛ばしながらキャロルは思った。弱すぎる。

 

「あら、痛いわね」

 

 と、念弾の群れにまた刺された。この攻撃は妙に痛い。穿たれる瞬間、念弾は水滴状に変形し、蜂のように尻尾で刺してくる。それはひどく痛かった。鋭さに特化し、神経を狙っているのだろうか。痛覚に偏ったダメージは、微妙に珍しく面白い。

 

 だが、面白くはあるがそれだけだった。

 

 激痛、害意、儚い抵抗。どれも、キャロルにとっては甘露にすぎない。陰惨な拷問でさえも楽しむ彼女だ。この程度の神経の不協和音、好みこそすれ妨害にはならない。念弾が群がる腕を持ち上げて、少女は目を細めて鑑賞した。皮膚に刺さりながら破裂していく、小さな球体の営みを。

 

「逃げないのね」

 

 立ち上がるポンズにキャロルは笑った。それは親愛の微笑であった。相手は臆病に震えながらも、隙を見て逃げ出そうという徴候すらなかった。逃がすつもりもなかったが、自ら挑んでくる態度は不快ではない。

 

「逃げるわけ、ないでしょうがっ……! ここで私が負けたなら、あいつはどうやって自信を取り戻せばいいってのよ! 才能がなくてもやればできるって、証明してやらなきゃならないのに!」

 

 唇を噛み締めながら拳を握って、ポンズは一直線に駆け寄ってくる。それとは別に、念弾の群れも彼女と無関係のリズムで波状攻撃を仕掛けてくる。しかしどちらも、キャロルにとっては脅威ですらない。念弾は楽しみがらも放置して、ポンズを凝で蹴飛ばした。練や堅すらもったいなかった。それでも、彼女は再び立ち上がる。

 

「まだよ……。まだなんだから……」

 

 ずっとずっと悔しかったと、ポンズは灼熱する瞳で呟いた。そのときキャロルは理解した。女の秘める負の感情の正体は、よくある才能の格差であると。キャロルも、若かりし頃は悩んだものだ。生まれの違いを何度も憎み、天の理不尽に涙をこらえた。なるほど、彼女の苦悩、腐るほど溢れる陳腐さだったが、溜まった淀みはなかなかの量だ。

 

 キャロルは唇を舌で舐めた。その意志に、ほんの少しだが憧れを感じた。今、ストックの空きは二つもある。いつもなら無視する程度の器だったが、今はこの邂逅に感謝していた。少なくとも、その場しのぎの服にはなろう。

 

 指先に紫の毒爪を伸ばす。今度は、こちらから仕掛けることにした。

 

「ほんの少しだけ本気を出すわよ。なるべく持たせてくださいな」

 

 言って、キャロルは闇にドレスを翻した。路面ぎりぎりを駆け抜ける。オーラを脚に集めた疾走は、ポンズの反射神経では対処できない。ぶつかった念弾が破裂していく。金髪の少女は笑いながら、相手の背中へと踊り出た。ポンズが慌てて後ろを振り向く。瞬間、少し本気で移動した。練によるオーラの瞬間増量。身体強化の水準が上がる。彼女の体を回り込み、いとも容易く背後をとった。両手の毒爪を剥き出しにして、甲高い笑い声を上げながら抱きついた。纏に触れた際、念弾が次々と爆ぜていったが、そんなもの、全身が激痛に喜ぶだけだ。

 

「これなーんだ! 正解はとっても強い毒の爪よ!」

 

 右手でポンズの乳房の谷間あたり、心臓の上を撫でながら、キャロルは背中ではしゃいで見せた。左手は上に伸ばして喉元を撫でる。どちらも致命傷を想像させるに充分な、人体の最大級の急所であった。

 

 が、ポンズの反応は予想外だった。キャロルの爪を意に介さず、ポケットに右手を突っ込んで、小さめの茶瓶を取り出した。それを彼女は後ろに放り、同時に、左手を楽団を指揮するように、リズミカルに動かした。あっけにとられるキャロルをよそに、念弾が小瓶を叩き割った。一握の液体が彼女にかかった。

 

「油断したわね! 私の勝ちよ!」

 

 キャロルの拘束が緩んだのを機に、ポンズは腕の中から抜け出した。そして叫んで振り返る。少女の体表はとろけていた。傷は浅いが広かった。見れば、ポンズの厚手の服までも、何箇所か小さな穴が空いている。傷口がぐずぐずにただれていき、血液が徐々に滲んできた。

 

「これだけは使いたくなかったけど! さあ! 今すぐ降参するなら治療してあげ……、あ、ひぃぃ……!」

 

 だが、勝利を確信したはずのポンズだったが、すぐに、驚愕と恐怖に震え出した。震えた足で一歩、また一歩とあとずさる。それも無意識の行動だろう。彼女の意識は尽く、キャロルの姿に注がれていた。金髪の美しかった幼い少女は、何割か焼け爛れた顔をうっとりと撫でては、血肉に汚れた指をしゃぶって、恍惚と頬を赤く染めた。そして、一転してポンズに視線をやって、最上の笑顔を振り撒いた。

 

「あはっ! やるじゃない! 見直したわ!」

 

 演技抜きで彼女は笑った。心の底からの賞賛だった。

 

「可愛い顔してえげつないのね! こんな幼い女の子に、躊躇なく強酸をぶっかけるなんて!」

 

 量は少ない。使い方もぬるい。それでも、キャロルは心底楽しかった。一歩踏み出すという暗黒の勇気が、たまらなく嬉しく思えたのだ。ポンズという女が気に入った。もう、完全に手に入れてしまうつもりだった。

 

 お礼にすみやかに決めてあげようと、がくがくと震える目の前の少女に、彼女は優しく近づいていった。堅を用い、流れるように足を運べば、体捌きはそれまでの遊びとは隔絶していた。結末は、実にあっけないものだった。

 

「……あら? あら、あら?」

 

 しかし、そこから先が予想外だった。術者が完全に気絶したというのに、念弾の群れが消失しない。動きに微塵のかげりもなく、相も変わらず、ポンズから流れ出るオーラから、巣から出る昆虫のように涌き出てくる。

 

 自動操縦。いや、その分類ですら生ぬるい。キャロルの背中がゾクリと震えた。無数に輝く念の珠が、一つ一つ、蜂の姿に形状を変えていったのだ。放出と操作に加え精密な変化。恐らくは、能力の一人歩きによる自立進化。かつて一例だけ見たことがあった。ここにきてキャロルはようやく、彼女の能力の真価を知った。

 

 酸による傷を修復し、心を切り替えながらキャロルは思った。この女、なかなか、リリカルな洋服になりそうだ。

 

 

 

 念弾が何かに遮られる。トランプは寸前で止められた。ノブナガの斬撃が受け止められ、フィンクスの体が弾かれる。

 

「ちっ!」

 

 ノブナガが舌打ちして後ろに跳ぶ。幸い刀にダメージはない。しかし、それは幸運の賜物でしかなかったのだ。あと一寸深く踏み込んでいたら、あるいは、紙一重に彼の技量が足りなかったら、愛刀は確実に折れていた。地面を削りながらフィンクスも着地し、苦々しい表情で彼女を睨んだ。とっさに堅でガードしたもの、それでもダメージが通ったのだろう。体に走る痛みに対して、彼は怒りをあらわに立ち上がった。

 

 それは巨大な翼だった。赤い翼が覆い隠して、少年たちを守っていた。

 

「エリス、あんた……」

 

 キルアが呆然としながらも、どこかほっとしたように呟いた。彼女は強引に纏を飲み干し、絶の状態に戻っていた。だが、背中だけに、強いオーラが集っている。選択的な絶の制御。それは、今の彼女の現状では、到底出来るはずもないような技能であった。

 

「ゴンくん、キルアくん、もう大丈夫。遅れてごめんね、声は聞こえてたんだけど」

 

 優しく慈しんで彼女は言い、それから、ゴンの腕に眠る少年を見て、久しぶりねと微笑んだ。

 

「……あなたも、お久しぶり。幻影旅団の団長さん」

 

 そして彼女はクロロを見た。三人をそばに抱き寄せて、親鳥のように寄り添いながら、下から上へと睨み上げる。赤く輝く翼の周囲に、首をもたげる毒蛇のように、オーラが異常識の密度で凝集する。彼は、そんな彼女を鼻で笑った。

 

「あのダサいコートはどうしたの? パクノダさんも、暴走族みたいって褒めてたのに」

 

 クロロはエリスの挑発を、眉をしかめるだけで軽く流した。心底、それだけの価値しかないと思っているのだろう。そばにいるウボォーギンの存在を見て、その後でコルトピを見、他の団員達を見渡した。当然、アルベルトも中に含まれている。全員が臨戦態勢をとっていた。

 

「団長、やるか」

「そうだな。勝てそうだが、アルベルト、どう見る」

「先に命を刈れるなら。誰か、一撃で頭を吹き飛ばす自信はあるかい?」

 

 ウボォーギンにフィンクス、そしてボノレノフが反応した。が、彼らが名乗りを上げる前に、クロロのほうが口を開いた。

 

「いや、やめておこう。今は競売品のほうが優先だ」

 

 言って、クロロは興味が尽きた様子で踵を返した。合図でコルトピを呼び寄せて、今後について指示を出す。団員達も従って、彼を追って消えていった。去り際、何人かが殺気を混ぜて一瞥するが、命令に反することは慮外であった。残念♦、とヒソカが喉で笑った。

 

「アルベルト! オレ達納得してないから!」

 

 ゴンが叫び、キルアもまた、アルベルトの背中をじっと見つめた。エリスは少年を抱き寄せる腕に力を込め、まぶたを閉じ、感謝をこめて頬を寄せた。しかしアルベルトは振り返らず、言葉も返さずに離れていった。双眸は無感情に冷えていた。

 

「さあ、オークションを始めるぞ! 手はずどおりだ。奴らにお宝を持ってこさせろ!」

 

 クロロの号令が空気を変えた。コルトピの周りに団員が集まり、何かを担いで運んでいく。が、その際、クロロはアルベルトの様子をしばらく眺め、辛いなら仮宿に戻れと優しげに言った。アルベルトは少し黙って考えて、ヒソカをちらりと見やってから、せっかくの言葉に甘えると決めた。

 

 

 

次回 第三十五話「左手にぬくもり」


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