コッペリアの電脳   作:エタ=ナル

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第六話「ヒソカ再び」

 第四次試験会場へ向かう船上で、管制空間に入って調節を施した。長丁場に設定されていた第三次試験の余裕のおかげで、僕はじっくり休息を取る事ができていた。だからこそ、休んで回復した体を総点検し、設定を調節する機会が欲しかったのだ。また、塔内部で記録したギタラクルのデータも、分析して導入可能にしたかった。それらを一通り完了させた所で、僕はもう一つの確認作業に取りかかった。

 

 頭の隅で三十時間以上かけてコツコツ計算した結果を具現化系総合制御に受け渡し、仮想展開モードで出力させる。管制空間内の人格フィギュアの眼前に出現したのは、どこにでもあるようなレースのショーツだった。色は、ドレスに合わせて黒を選択している。無論、エリスのための品である。

 

 たとえマリオネットプログラムといえど、具現化系は扱いにくい。オーラの消費率が比較的悪いというのもあるが、主な理由は別だった。運用に要求される演算量が、他の系統と比較にならないほど多いのである。故に、単体で能力として確立されているファントム・ブラック以外の具現化系は、極一部の例外を除いて使用頻度が格段に低かった。戦闘時の応用は尚更である。つまり、今は珍しい機会という事になる。

 

 この程度の体積の小物であれば、ナノ単位の微細構造が重要でない限り、処理機能の占有率にもよるが十数時間から数十時間程度かければ、有限要素法により近似値を数値計算可能だった。僕の手から離れれば劣化するので強度は市販品より劣ってしまうが、データさえあれば再生成も容易い。容量を食う情報なので試験が終わったら破棄するつもりであるけれど、それまではエリスの下着類ならオーラが尽きるまで具現化する事が可能だった。なお、僕の下着は丈夫な綿製である。適当に水洗いすれば十分だった。

 

 一仕事を終えて管制空間から離脱した所で、僕はこちらにやってくる人影に気が付いた。レオリオだった。緊迫した空気が漂うこの船内には似つかわしくなく、よっ、と気さくに挨拶された。後ろにはゴンにキルア、クラピカも肩を並べて追従してる。

 

「やあ。エリスなら船内を廻らせてるけど?」

「さっき会ったぜ。いや、それよりアルベルト、お前に話があるんだが」

「僕に?」

 

 次々と四人が頷いた。

 

「まずは一発殴らせろ」

 

 彼ら全員に殴られた。1/6「軽度警戒」にしてあった自動防衛管制が迎撃処置を提案したが、僕はそれを却下した。衝突する拳をのんびりと見つめる。肉体のダメージは皆無だが、なぜ危害を加えられたのか、彼らに説明を要求した。

 

「ヒソカから聞いたよ。奴を呼び寄せたのは貴方らしいな」

「こちとらひどい目にあったんだぜ? どうしてくれるんだ、あぁん?」

「そうだよ。次やったらエリスに言いつけるからね!」

 

 ため息をつきつつクラピカ。そしてレオリオは柄が悪い。ゴンの脅迫方法は的確すぎる。

 

「ああ、その件か。それはすまない。反省はしないが謝罪はするよ。だからエリスに告げ口するのはやめてくれ。頼む」

「つーか下に部屋があったの知ってたのかよ」

「ただの推測さ。確信はなかったから黙っていた。君達を惑わせるつもりはなかったからね」

 

 キルアの鋭い指摘を嘘でかわす。じっと観察されるが問題はない。表情や声色から嘘がばれる危険は、僕に限っては全くなかった。しかし勘の鋭い少年だ。時々いるが、この子も虚言を皮膚感覚で判別できる人種かもしれない。

 

「それに、戦力にはなっただろう」

「うん。すごく強かった。アルベルトもあれぐらい強いんでしょ?」

 

 目を輝かせてゴンがいう。そうか。彼はこういう子か。無邪気に、真っすぐに、善悪の区別すらなく強さに憧れ追い求めている。こういう子供が才能を持っていると、あっという間に成長する。……ただ、少し危うい。

 

「僕はあれより一段落ちるよ。現に一回負けている。だけど、何度も負けてやるつもりはないかな」

 

 まあ、つもりだけで勝てたら苦労はないけど。

 

「そういえば、ヒソカをご指名の挑戦者はいなかったかな? 顔に傷のある曲刀使いなんだけど」

「うんん。見なかったけど何で?」

「いや、僕達が進んだルートでそういう人に会ってね。そうか、諦めたのか」

 

 それは今年だけだろうか。振り切る事ができたのだろうか。他人の価値観に口をはさむほど傲慢ではないつもりだけど、それはきっと幸せだ。叶わない復讐に身を滅ぼすより。これからの人生、生きてさえいればいいこともある。ハンターライセンスすら持っているんだ。やり直す方法はいくらでもある。

 

 そこまで考えてふと思った。もしもエリスを失ったとき、僕は諦める事ができるのだろうか。

 

 ……やはり、僕は傲慢だったらしい。諦める事などできないだろう。エリスの記憶を消去したら、僕は僕でなくなってしまう。エリスが失われるぐらいなら、彼女の代わりに死にたかった。それが叶わぬというのなら、せめて一緒に散りたかった。願わくば、彼女の人生が幸せな終わりを迎えますようにと、僕は信じてもいない神にそっと祈った。

 

「見つけた。こっちにいたぞ」

「ほんとだ。探したわよ」

 

 ポックルとポンズまでやってきた。随分と大所帯になったようだ。しかし、エリスがいないのに違和感があった。今までは、僕ではなくエリスの周りに人が集まってきていたと思ったが。

 

「ポックル、エリスは?」

「彼女なら向こうでトンパと何か話し込んでたぜ」

「げ、あのおっさんまだ残ってたのかよ」

「むしろお前が知らなかった事の方が驚きだ。他の受験者のチェックは基本中の基本だよ、レオリオ」

 

 クラピカの言葉はもっともだ。僕の場合、確認した全員の諸情報をデータベースにしてまとめているし、そこまでいかなくても、ヒソカのような例外を除いて、全員が同じような努力をしているだろうと考えていた。

 

「それよりアルベルト。あなたね、エリスに何を吹き込んでるの?」

「ん、ああ。四次試験の試験の性質を分析した結果を少し。あとは死者が確実に出るだろうことと、誰と永久の別れになってもいいように、残ってる友人知人の顔を見ておいでとも勧めておいた」

「あなたね……」

 

 ポンズが苦々しい顔で見つめてくる。レオリオやポックルも少し嫌そうに顔をしかめた。対して、ゴンやクラピカは顔色を変えない。キルアなど、何を当然の事と呆れてすらいる。

 

「ちょっとは言い方ってものを考えなさいよ」

「いや、彼の言はもっともだ」

 

 ポンズとの間にクラピカが割り込み、皆の視線が彼に向いた。

 

「第四次試験は今年初の受験者同士が直接的に争うものだ。いくら言葉を飾っても、そのルールも危険性も変わらないだろう。ならば、我々も覚悟を決めた方がいい」

「うん、そうだね。その方がきっとすっきりやれるよ」

「だよなー。っていうかさ、危険があるのは当然だろ? 一次試験の頃から死んだ奴いるじゃん」

 

 クラピカの意見に、皆が口々に同意する。

 

「誰が落ちても恨みっこ無しってやつだな」

「違いない。アンタいい事いうじゃん。オレ、ポックル。よろしくな」

「レオリオだ。こう見えても医者志望でな、怪我したらいつでも言ってくれ」

 

 受験者同士の対決を目前にして、何故か、新たな友情を育む奇特な人間もいるようだった。

 

「……そうね。腹をくくるわ。みてなさい。私だって立派な幻獣ハンターになるんだから」

 

 そして、数瞬の後にポンズも目を閉じて正面で拳を握った。納得したのか、単にこの場の空気に呑まれたのか、答えは僕には分からない。

 

「幻獣ハンター志望なのか?」

「うん、そうだけど。おかしい?」

 

 意外といえば意外だった。僕の専門でこそないが、あれはかなり泥臭い仕事だ。幻獣という名称からイメージされるファンタジックさとは程遠い。生い茂る藪の中で幾夜も息を潜め、動物の糞を舐めて情報を集め、ボウフラの池に潜れる人間、そういう連中にしか勤まらない、正真正銘の狩猟業。根っからの動物好きであるのは前提以前だ。常識的には、若い女性に似合う職業とはいいがたかった。

 

 しかし、僕はあの塔でポンズの技量を間近に見ている。念能力を使わず蜂を自在に操る様子は見事だった。自然と心通わせずにできる技ではない。そんな彼女だ。幻獣ハンターの仕事など、僕以上に熟知してるのだろう。ささやかだが、その夢を応援したくなった。

 

「幻獣ハンターなら、師匠の知り合いに何人かいる。よかったらしばらくアマチュアとしてでも弟子入りしてみたらどうかな。紹介状なら用意できると思うよ」

「なんでっ! 落ちる前提で話を進めてるのっ!」

 

 ポンズの拳が飛んできた。雰囲気がほぐれ、明るい笑い声がその場に満ちる。僕は彼らに囲まれて、今日はよく殴られる日だと、そう思った。

 

「アルベルト? あら、みんな集まってどうしたの?」

 

 エリスが戻ってきたようだ。彼女は僕を囲む皆を見渡して、何を思ったのだろうか、満面の笑みで飛びついてきた。僕が体を受け止めると、エリスは胸板に顔を押し付けて喜んでいた。まるで母親みてーだなと、レオリオが呟いたのが耳に入った。

 

 

 

 僕の獲物はすぐに見つかった。受験番号76番。エリスがトンパに尋ねた所によると、チェリーという名の武闘家らしい。毎年のように試験終盤まで残るベテラン受験者だそうだった。なるほど。その実績、決して伊達ではないのだろう。

 

「いかにも。オレが76番、チェリーだ。……お前には、見つからなければいいと思っていたが、待ってもいた」

「待ってましたか」

「実はな」

 

 言って、彼が取り出したのは、僕の番号を示すカードだった。偶然にもお互いに目標だったのだ。

 

「ひとつ、頼みがある」

「なんでしょうか」

「君は強い。今のオレでは勝ち目はないだろう。だが、君が勝っても、オレを殺さないでくれないか。……オレには、強い目的がある」

 

 臥薪嘗胆。彼ほどの武闘家がどれほどの苦汁を飲み干して今の言葉を吐き出したのか、僕には生涯分かるまい。無言のままに頷いた。それで良かった。それ以外の全てが余計だった。プレートをエリスに手渡した。僕が負けたら彼に渡すように頼んでから。エリスは、真剣な表情で頷いた。そして、チェリーもエリスにプレートを渡した。それが当然だというように。

 

 自動防衛管制を0/6「無警戒」に、戦闘用体術タスクをフルマニュアルモードに、体外噴出オーラを0に設定した。心身が流水の心地になる。

 

「……すごいな」

 

 チェリーが感嘆の声を洩す。絶。この状態で全力を尽くす。念を知り、高みにいる者の驕りだろうが、これが僕にできる精一杯の誠意の表現だった。ここで負けてもいいと思った。自分の納得できる道を選べ。それが師匠の口癖だった。もし仮に、ここで負けてエリスまで不合格になったなら、僕は永遠に悔やむだろう。それでも。

 

「いざ」

「ああ」

 

 お互いに構える。それっきり無言。エリスも何も言わなかった。森にたゆたう静寂の中、木の葉が風に鳴っていた。

 

 先に動いたのは僕だった。流れる時間が断絶し、鳩尾に突き刺さる渾身の掌底。気がつけば景色が変わっていた。踏み込んだと自覚したのは後からだった。息を吐き、倒れてくる体を受け止める。呻き声一つ漏す事なく、チェリーの意識は闇へ消えた。

 

 

 

「いいかい。こうやって偽装した人物を樹上に隠蔽するのは一般の人間及び地上性の動物に対して有効性が高い。また、森林状態さえ良好なら飛行性の脅威に対しても高い隠密性を誇る。しかし赤外線による観測では位置が露見しやすいし、その上、自然の生態系においても考慮しなければならない天敵がいる。なんだか分かるかな? エリス」

「そうね……。樹上生活型の肉食獣とかかしら」

「その通り。猫科の猛獣の一部やヒヒなど大型の真猿類、そしてなにより肉食性の樹上型魔獣が挙げられるね。この島の環境ではこれらを無視して構わないけど、決して万能ではないのは憶えておいてほしい」

 

 水場から近い位置の大樹に気絶したチェリーを隠蔽するついでに、エリスにちょっとした技術講義を施しておいた。役立つかどうかは分からないが、知ってて損はないだろう。ツタを編んで作ったロープで彼の体をくくりつけて、葉のついた枝をそこかしこに付与して偽装を施す。地中と違って水はけがよく、野犬やイノシシなど嗅覚に優れた動物にも強いのが利点だった。伐採した木を刳り貫いて作った即席の容器に水や果実を入れたものを、側にいくつか吊るしておく。ここまですれば、チェリーが目覚め、自力で動けるまで回復する程度の時間は稼げるはずだ。

 

 さて。これであとはエリスの目標を捕らえ、プレートを入手するだけだった。くじにより指定された番号は386番。体の動かし方から猟師とみられる大柄な黒人。他の受験者達の会話から、推定名称ゲレタ。僕のデータベースにあった情報は、エリスがトンパから入手したものとほぼ完全に一致していた。

 

 凄腕の猟師ゲレタ。第四次試験会場であるゼビル島は、彼にとって最良のフィールドだろう。恐らく、大まかな居場所を特定するだけで難しいはずだ。僕が主体となれば補足する方法はいくつか考え付くが、できればエリスに狩らせたかった。しかしいいアイディアが思い付かない。

 

「……アルベルト、ごめんなさい。わたしちょっと疲れてるみたい」

 

 そのとき、エリスが疲労を訴えた。無理もない。試験中はずっと緊張の連続だった。見れば、顔も少し赤かった。早めに休ませた方がいいと思った。ひとまずエリスを抱きかかえ、僕はゲレタの捜索を試みた。

 

 

 

 それから数時間ほどゲレタを探したが、手がかりすらも見つからなかった。いや、もっと正確に言おう。僕はスタート地点に戻ってゲレタの痕跡を把握する事から始めたのだ。地を舐める様に足跡を追い、一歩一歩慎重に道筋を解析した。しかし結果は、微か数歩で途方に暮れた。

 

 嫌というほど痛感した。こと、森林を舞台にしたハントの技術は、向こうが完全に上をいく。推測だが、彼は自然に溶け込むのが恐ろしく上手い。念能力者でもないのに完全な絶をたしなんで、生活痕の消去も完璧に近い。この広い森が舞台では、少なくとも偶然近くに寄らない限り、実力で発見する事は無理だろう。人間の痕跡は飽きるほど見つけはしたのだが、そこから算出される身長と体重のデータは明らかに別人のものだった。いかに僕が都市部でのハントを主体とするアマチュアハンターとはいえども、かなり悔しい気持ちだった。

 

 そうこうしているうちに日が暮れた。こうなれば、今日はもうゲレタを見つけるのは無理だろう。エリスもこれ以上連れ廻したくない。

 

 乾いた地面のある場所を探して、そこを今宵の寝床に決めた。動くのを禁じていたからだろう、エリスの体調は大分回復したようだった。僕はそれを確認した後、今後の方針を話し合った。ゲレタはエリスの目標なのだ。できる限り本人に考えさせるのが、筋であり彼女の望みでもあった。彼女はしばらく思案した後、一つの作戦を提案した。それは、ゲレタ捜索と平行して他の受験者のプレート三枚分の収集を目指すという概要だった。確かに妥当な方針だろう。しかし、そのためには一つだけ確認する必要があった。

 

「もしエリスの友人を見つけたらどうする。例えばポンズを発見したとするよね。期限まではまだ日数があって、見逃しても他の受験者が見つかるかもしれない。だけど見つからないかもしれない。そういう状況で、この人は狩る、この人は狩らないという基準をあらかじめ明確に決めておかない限り、その作戦には賛同できないな。どうする? 僕がさっき言った条件で、ポンズを狩るのか見逃すのか」

 

 焚き火がエリスの顔を照らし、揺らしていた。この火はいわば罠だった。戦闘能力に限りさえすれば、ヒソカとギタラクル以外の受験者に勝てる自信があったからだった。自動防衛管制は3/6「厳重警戒」を維持している。無論、徒党を組まれても誤差にしかならない。

 

「……決まってるわ。狩りましょう。例外はヒソカとギタラクルだけ。それ以外の全員が対象よ」

 

 その覚悟があるのなら、反対する理由はなにもなかった。僕はエリスを腕の中に招き寄せ、少しでも長く眠るように言い含めた。

 

「ねえ、アルベルト」

「なんだい?」

「もし、この試験に受かったら……」

「ああ」

 

 とろんと、半分眠った声でエリスがいった。

 

「……二人で、世界中を巡りましょう。世界中を巡って、素敵な景色を沢山見て、いろんな人とお話しするの。そして、お爺さんとお婆さんになったら、山奥の小さな家に住んで、暖炉の前で、思い出話に花を咲かせましょう」

 

 それっきり寝息をたてはじめたエリスを、僕はできるだけ優しく抱き締めた。無性に寂しい気持ちだった。その願いが叶わないからではない。エリスは、そんな夢しか抱けないのだ。

 

 幼い頃、彼女は無邪気な笑顔で語っていた。海が見える丘に小さな白い家を建てて、子供が二人と大きな犬。家族で幸せに暮らしましょう。何度もその設定でままごとに興じた。師匠の家から離れる事ができなかったあの当時、絵本で知った海に憧れを抱いた少女がいた。

 

 定住。結界の要石が砕けたあの日、エリスにはそれができなくなった。少なくとも、人のいる場所では不可能だった。この広い世界に生まれながら、エリスはどこまでいってもよそ者だった。

 

 

 

 翌日からの探索は、あまりはかどったものにはならなかった。原因はエリスの存在だ。彼女は気配を殺すのが極めて苦手だ。息を潜めても殺せない存在感は、ハントに長けたものには大いに分かりやすい目印になる。そして、エリスの近くには僕がいるという情報は、試験期間中に広まりすぎていたのだった。かといって、こんな試験でエリスを一人にできるはずもない。エリスは積極的な囮作戦も提案したが、ヒソカの存在を考えると頷けなかった。

 

 それでも、僕達は二枚のプレートを入手する幸運に恵まれた。

 

 一人はソミーという名の猿使いだった。エリスの姿を見て絶好の獲物を見付けたとばかりに近寄ってきたが、彼女がわずかに纏を緩めた瞬間、顔面蒼白になって狼狽した。エリスの素人拳法が顎にクリーンヒットするぐらいには隙だらけだった。相棒の猿も主人以上に怯えていたので、樹上で見守る僕の出番は全くなかった。

 

 もう一人、アモリという受験者は常に三兄弟で行動していたと記録に残っているのだが、たまたま各自分散して自分の獲物を狩りに出掛ける所だったようだ。こちらはエリスのオーラに取り乱すも、戦意喪失することなく逆に向かってきた。窮鼠猫を噛むの諺通り、追い詰められて逆上したのだろう。しかし、念が使えない者に纏で守られたエリスを倒しきるのは難しい。恐慌状態になった彼には、逃げるという手段も思い付かなかったのだろうか。しばらく続いた戦いを制したのは、防御力とスタミナで大幅に勝るエリスだった。

 

 そのように数日かけてあと一点まで迫った所で、僕達はそれに出くわした。森の中にそれはあった。無惨に打ち捨てられて転がっていた。

 

 首のない、ゲレタの遺体。

 

 ここで彼は殺された。失われた頭部。体に突き刺さった何枚かのトランプ。誰の仕業か考えるまでもなかった。プレートはどこにも見えなかった。恐らくヒソカが持ち去ったのだろう。

 

 必要なプレートがあと一点分になった時点でゲレタの重要性は大きく下がっていたのだが、それでも獲物をとられた無念はあった。しかしそれ以上に悲しかった。友を亡くした喪失感に近かった。会話どころか側に寄った事すらなかったけれど、それでも彼は僕とエリスにとって、紛う事なき強敵だった。敬意の持てる高貴な敵であったのだ。

 

 エリスと二人で遺体を丁寧に埋葬して、僕達はその場を立ち去った。

 

 あと一点。得点のペースは遅かったが、最悪の場合は僕の分を渡すつもりだった。これが終われば、あとは最終試験だけだったから。

 

 

 

 エリスの様子が急変したのは六日目の夜更けの事だった。全身に油汗を浮かべながら、真っ赤な顔で僕の差し出した手を握りしめる。体表のオーラが異常に濃い。この症状に心当たりはあった。嫌というほどありすぎた。そして、だからこそありえないと断じたかった。本来なら、纏のまま一ヶ月程度は余裕で持つはずだから。

 

 マリオネットプログラムが推測される原因を報告してきた。実戦環境に置かれる事による高揚感。仲間とともに積極的に試験に取り組む事による責任感。未知の状況を楽しむ好奇心。そんな、他の人間なら明らかに良好な状態へ導かれるはずの諸要因が、彼女の生命力を活性化させていた。オーラの生成量を増やしていた。それは、エリスにとっては致命的だった。

 

 予想はしていた。しかし、予想より遥かに増加幅が大きかった。

 

 川で汲んだ水を飲ませ、震える体を抱き締めた。一刻も早くオーラを解放させる必要がある。僕はエリスを背に乗せて、洞窟を探して島を駆けた。深い地の底にエリスを配置し入り口を塞げば、オーラの大部分が地中に吸われて人体や生態系への影響は最小限ですむはずだった。

 

 なのに、どうしてこの道化は邪魔するのだろう。

 

「いやあ♥ いい夜だね♣」

 

 現れたヒソカは上機嫌だった。胸元には四枚のプレートが並んでいる。予想通り386番は入手していたが、なぜか44番が見当たらない。まあ、それもどうでもいい。今の僕は気が立っていた。それでも、エリスが合格に近付くためには、こんな機会でも活用しなくてはならなかった。

 

「ヒソカ、386番を置いていけ。代わりに二枚くれてやる」

「いいよ、これかい♠」

 

 あっさりと交渉が成立する。お互いにプレートを投げ合って、間違いがない事を確認した、

 

「それで、何か用か? 見ての通りこっちは火急なんだ」

「クックック。怖い怖い♥ あいにく君には用がないよ。今日の目的はエリスさ♦ 彼女、ボクのターゲットなんだよね♣」

「お前の主目的はプレートか?」

「まさか♦」

 

 お馴染みの、喉奥での笑いが癇に触る。確かに今夜は、今夜こそは、エリスと戦う絶好の機会だろう。こいつの嗅覚が恨めしかった。タイミングがあまりに最悪すぎる。

 

「なら、僕を倒してからにしろ。言いたい事はそれだけだ」

「いいよ♠ 前菜に君も味わってあげる♣」

 

 エリスをそっと地面に寝かせる。涙に濡れる頬を撫で、汗に張り付く前髪をよけて僕は笑った。

 

「少しだけ、我慢してくれないか。ごめんな」

 

 濡れた瞳で僕を見つめてから、エリスは小さく頷いた。

 

「さて、またせたな」

「もういいのかい?」

「ああ、後はお前を倒してからだ」

「そんな目で見るなよ♠ 勃っちゃうじゃないか♥」

 

 戯れ言は無視して指先に硬を施し、超高密度念弾を出現させる。体外に顕在可能なオーラの大部分から全てを集中させたこの念弾は、およそ全ての念的な防御を貫ける上、追加で処理能力をさけば体内炸裂やファイア・アンド・フォーゲットなど諸々の性能を付与できる。しかし、致命的すぎる弱点があった。

 

 かなりの処理能力を必要とするため、生成する際に一瞬の硬直時間がある。その一瞬は、戦闘中には限り無く長い。オーバークロック中でさえ当たり前に避けるヒソカだ。通常状態ではまずあたるまい。

 

 逆に、今のようにあらかじめ生成した場合、体外に顕在可能なオーラを費やしてしまっているため、念弾の代償に身体強化の効率および限界値が著しく下がる。ヒソカが身体強化なしでとっておきの念弾を当てられる程度の能力者なら、僕ははじめから苦労してない。

 

 このため打撃力としての使用は実質的に足留め役がいる場合に限られており、一対一の戦いでは相手に回避を強要する手段として使う事がほとんどだった。だが、今回はこれでヒソカを始末する。

 

「どうしたんだい? そいつはもう見せてもらったよ?」

「ああ。だけどこの先はまだだろう?」

 

 言って、僕はファントム・ブラックで全身を漆黒に塗装した。闇色の保護色。人体に毒にも薬にもならないからこそできる使い方だ。更に念弾を再び体内に吸収し、全身を完全に絶にする。

 

 自動防衛管制。4/6「連続最大警戒」

 

 戦闘用体術タスク「モード・アサシン」

 

 ギタラクルの行動記録を分析したデータから開発したモードだった。処理能力を多く食うのが難点だが、スムーズで堅実、かつトリッキーにして威力抜群と、冗談みたいな性能を誇る。そしてなにより、隠密性が異常に高い。足音をたてずに疾走し、空気を揺らさずに拳を振るえた。

 

「へえ♠」

 

 とるべきものは無型の構え、自然体。肉体を透明に。心を冷水に。自身の全てをヒソカを殺す機械に集約させ、僕は鼓動の中に埋没した。

 

「なら♦ ボクも見せてあげる♣」

 

 ヒソカの体を覆う堅が、その様相を少し変えた。粘着質のオーラ。それが幾筋も巻き付いていく。ヒソカの腕に、足に、胴体に。まるで外付けの筋肉だった。知っている、と僕は直感的にそう思った。マリオネットプログラムが回答をはじき出す。

 

「あのときの、ボディーブローの正体か」

「正解♥」

 

 予測できなかった衝撃。ありえなかったはずの打撃。それを為したのが目の前のあれだ。収縮した瞬間、恐ろしいほどの瞬発力をヒソカに与える新たな応用技。あれほどポジション取りに専念して反撃を封じたはずの僕を、自分の胴体を強引に捻る事で打撃可能な位置へ持っていった脅威の性能。連発はできないだろう。精密な制御も無理だろう。しかし、パワーだけで全てを補える悪魔の発想。

 

 あまりの事に戦慄した。推測だったが間違いはない。僕は確信し、断言する。参考にしたのは僕の能力だろう。前々から何かを掴みかけていたかもしれない。しかし、確実に言える。ファントムブラックをぶちまけた瞬間、僕が何かを仕掛ける事が決定的になったその刹那、あいつはあれを編み出したのだ。

 

 きっとかなわない。そう思った。

 

 それでも、エリスを渡すわけにはいかなかった。

 

 僕の全てを捨ててでも、彼女が笑っていられますように、と。

 

 音は、なにも聞こえなかった。

 

 ただ、星空だけが瞬く世界で、僕とヒソカは衝突した。

 

 念弾はヒソカの肩をわずかに掠め、拳は僕の心臓を打ち抜いた。

 

「残念♣ いい線いってたけど、ボクに通用させるには経験不足だよ♠ 出直してきな♦」

 

 崩れ落ち、地面に吸い込まれて倒れるとき、そんな言葉をかけられた、気がした。

 

 

 

 意識を失っていたのは何時間か、何分か、何秒か。マリオネットプログラムに問い合わせても応答がない。心臓の拍動が著しく不安定で、オートで立ち上がった自己修復プログラムが、復旧にオーラと処理能力を最優先で割り当てられていた。それでも回復できるか分からなかった。マスター権限でその活動を妨害すれば、数秒かからず不可逆領域を超えるだろう。

 

「……アルベルト?」

 

 エリスの声がする。熱にうなされ蕩けたままの、エリスの声が。返事をしたかった。生きてる事を伝えたかった。心配ないと強がりたかった。

 

「彼ならもういないよ♦」

「ヒソカ。アルベルトを、殺したの?」

「どうだろうね♠ 心臓は止まったみたいだけど♦」

「……そう」

 

 エリスの声は素っ気ないほど冷たい。底冷えのする声色だった。

 

「いつか、こんな日が来ると思ってたわ。いつか、必ず来てしまうと。……本当に、馬鹿なんだから」

 

 頭は動かず、ぼんやりとぼけた視覚だけで、エリスのシルエットを探していた。せめて姿だけでも見たかった。

 

「クックック♣ それで、キミはどうするんだい?♦」

「もし、それが本当なら。……もう……」

 

 僕は必死に手を伸ばそうとした。数秒先の死などどうでも良かった。ただ、それだけはいけないと、その意思だけを伝えたかった。お願いだ、どうか。自己修復プログラムが処理能力を占有しすぎていて、介入すらろくにできなかった。エリスのオーラが解き放たれ、蒼白い光が闇を満たした。全ては無意味で、無駄だった。

 

 青の光翼。あれは単体ではひどく無能だ。しかしエリスの能力の中核でもある。他の二対の翼が出現する前に止めないと、エリスは全てを失うだろう。人の強い意志を実現させる念という力。エリスのそれには、彼女が望まぬ強力な指向性が内在している。それこそが全ての元凶だった。

 

 だいぶ視界が戻ってきた。

 

 エリスは青い翼だけでヒソカと単身戦っていた。僕の所へ駆け付けようとするエリスと、妨害する形で争うヒソカ。オーラは圧倒的にエリスが勝り、技量は圧倒的にヒソカが勝る。その結果は、ヒソカが完全に不利だった。歓喜に震えるヒソカが見えた。

 

 やがて、まとわりつくヒソカを強かに打ち払い、エリスが僕の所まで飛んできた。未だ指先さえ動かせない。抱きかかえられた僕はエリスと目を合わせ、ただただ強く抱き締められた。

 

「よかった……」

 

 二人の身体を翼が包む。そこはエリスの匂いがした。暖かくて、優しくて、頼もしかった。翼を構成する羽の一枚一枚が、比類なき密度のオーラの塊だ。この中は本当に二人きり。ヒソカに手を出せる道理がなかった。これだけ生命力を消費すれば、エリスの体調も戻っただろう。危険きわまりない方法だが、結果としては最良だったのかもしれない。ようやく機能し始めた口でそう伝えると、泣きじゃくるエリスに叱られた。

 

「仕方ないな。今夜は二人でお幸せに♥ これじゃあ、ちょっと手を出せないしね♠」

 

 この場を去るヒソカの、そんなセリフが耳に残った。

 

 

 

 第四次試験に合格した受験者は十名だった。そのうちの八名が新人で、これはとても多い数字らしい。合格した僕達は飛行船で最終試験会場へ向かいつつ、三日間の休養をとった。体力の回復、傷の処置、衣類の調達や他の受験者との交流など各自思い思いの時間を過ごしているうちに、休みはあっという間に過ぎ去った。

 

 最終試験はたった一勝で合格できる負け上がり方式のトーナメントだという。武器の使用は可、反則無し。ただし相手を死傷させた場合のみその場で即座に負けとなる。組み合わせは道中行われたネテロ会長との面接を参考に、これまでの試験の成績等と合わせて決められたそうだ。この試験方法を聞いた時、最良の結果を確信した。

 

 それを油断と呼ぶことに、そのときの僕は気付かなかった。

 

 

 

不合格┬┬┬┬┬アルベルト

   ││││└ヒソカ

   │││└ゴン

   ││└ギタラクル

   │└エリス

   └┬┬┬クラピカ

    ││└ハンゾー

    │└トンパ

    └┬キルア

     └レオリオ

 

 

 

##################################################

 

【色なき光の三原色(セラフィムウィング) 特質系・具現化系】

使用者、エリス・エレナ・レジーナ。

 赤の光翼 ■■■■■■■■■■ 具現化した光に■■■■■■■■。

 緑の光翼 ■■■■■■■■■■ ■■■■■■■■■■■■■■■。

 青の光翼 ■■■■■■■■■■ 具現化した翼に生命力を溜め■■■■■■■■■■■■。

長い■■をかけて鍛えられた、■■■■■■■■■ための能力の失敗作。

 

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次回 第七話「不合格の重さ」


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