高スペック八幡の青春ラブコメ   作:双葉雷華

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やっちまった。つい書いてしまった。
違うよ?他の、僕と許嫁と学園生活や鈍感な会長と恋する乙女な役員達と召喚獣が行き詰まったとかじゃないよ。マサユキウソハツカナイ。というわけで導入部です。


どこか比企谷八幡は変わっている

『高校生活を振り返って』

2年F組 比企谷八幡

 

 青春とは嘘であり、悪である。

青春を謳歌せし者達は常に建前による上辺だけの優しさによって自己と周囲を欺き、仮面をかぶっている。

その上で彼らはすべてを肯定的に捉える。

たとえそれが、どんな些細な失敗であろうと彼らはそれすらも青春の1ページとしか見ない。

例をあげよう。

集団による言葉の暴力、世の中のすべての学校にあるありふれた光景。誰かを面白半分で追い詰める張本人と周囲(加害者)。そんな彼らに言葉による精神的苦痛を受ける(被害者)

その光景を見る度に思う。

何故そこまで追い詰める?何故あたかも自分が正しいかのように振る舞う?そして何故周囲はそれを肯定する?

それはやはり……カースト制度という暗黙のルールがあるからだろう。

そもそも、カースト制度とはインドにある社会の固有身分制度のことだ。語源はインドを訪れたポルトガル人の言語「casta」(カスト)と言う『血統』という言葉から来ている。この身分制度と型が似ていることから学校での小集団はスクールカーストと呼ばれる。これが昨今のイジメの根本でもあると同時に学校一つ一つの生徒数減少や自殺、引きこもりなどの問題への発展要因にもなりうるのだ。けれど彼らはこのことを「若気の至り」と呼び、都合の良い様に捏造する。

他に挙げるとすれば以下のことだ。

学校にはテストという物がある。これはその人物を推し量る定規の役割をする。そんなテストで悪い点を取れば「学校は勉強をするためだけの場所じゃない」とのたまう。俺から言わせれば、そういう点数を取ってしまうのは常日頃から遊んだりばかりしているからだ。予習・復習を重ね、対策を取っておけばどうにでもなることだ。

そして点数を見せ合い、勝てば喜び、負ければ自己なら否定し、他人なら肯定する。その差は一体なんだというのだろうか?

相手の点数が悪く失敗だというのならあまり変わらない点数を取ったその人物も失敗ということになるのではないか?

要するに彼らにとって青春という二文字の前では常識も何かも捻じ曲げても構わないものなのだ。

それはもちろん友達作りにも反映される。スクールカーストがあるのだから当然である。なら友達作りに失敗したボッチも青春のど真ん中にいないと矛盾が生じてしまう。だが、彼らはそれを許容しない。何故なら全ては彼らの御都合主義でしかない。けれど、そんなボッチといえど1人でも逞しく生きていける。結論を言おう。

 

『リア充共だけではない、ボッチにだって青春を送れるはずだ。』




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