ダウン・ツ・スカイ ――Down to Sky―― 作:うえうら
勢いで読める作風のつもりです。
エレベータ:水平尾翼についている。機体の上下方向つまり、ピッチ方向を支配する。
エルロン:主翼の後縁についている。主にロールの方向を支配する。
フラップ:エルロンの内側についている。これを下げると空気抵抗が増大する。
ラダー:垂直尾翼についている。機体の左右方向つまり、ヨウの方向を支配する。ユルギス・カイリス先生曰く、ラダーが命。
背景①:ドローンの遠隔操作による対地攻撃で精神を病んだ軍人は少なくない。多くの仕事に人工知能が参入した少し未来。戦場では、人工知能が人を殺すようになった。
ディスプレイが映す仮想HUDに意識を埋めると、紛争地帯であった。
バラバラとロータの回転音が耳を叩く。
回転翼は角速度を上昇させ、風切音は高音程に近づく。可変ピッチの後流を受けて、ドローンは荒れた地を見下ろしながら飛行する。
半ロールで背面飛行。上が赤茶色に、下が透き通った青空に。
1週間前よりも、地上の惨状は悪化していた。コンクリ造りの建造物は銃痕や炸裂で抉れており、それを支える赤土は歪に変形している。おそらく、普通車は通れない。下はそんな状態。
それに比べ、空は自由だ。
道はないし、レールもない。信号機も標識もない。自分の好きに軌跡を描くことができるだろう。空にだけ自然が残っている。
しがらみのない澄んだ青。
見上げた自由な空にどこまでも落ちていきたい。
視界の端にレーダが映る。
感傷に浸っている場合ではなかった。トリムを水平に修正。
接敵前の最終確認。各種計器をチェック。
回転数はパラレル。電波帯は正常。エルロン、ラダーも淀みない。
ただ、バッテリの残量は
無人であれ、有人であれ、戦闘機が軽いにこしたことはない。これから踊るのだから。
操縦桿――PS4のコントローラの右スティック――を倒す。僅かにラダーで修正。
そのまま右へ一回転。
青空。荒れ野。青空。仮想HUDに映る視界が素早く切り替わった。
今度は左に倒す。もう一度景色が溶ける。ロールの感度は抜群。
『楽しそうだな、リン』
ヘッドセットを通して、アーデルの英語が聞えた。専用回線を通してのSkype(正確にはそれをエミュレートしたもの) からだ。僕がアラビア語を使えないから、彼らはいつも気を利かせてくれる。
『まあね、先日そちらからお給料も頂いたし』そう返事をして、僕は翼を左右に振った。彼も半ロールで答える。アズハルの僚機もガル翼を立てた。
シリアのラッカとS県の距離でも、それほどラグは無い。
時差は5時間強。こっちが11:00時で、向こうが6:00時ちょっと前。
『おい、見えてきたぞ』渋い声でアズハルが言った。ダンディな声なのに、かたことの英語だから少しおかしかった。
僕達に、AWACSなんて頼もしい見方はいない。機載カメラが1km程先に、黒い点の集合を捉えた。その数、多めに見積もって、30。
次第に距離が近づいて、仮想HUDが補正を加える。5機編隊が6つ。やっぱり、ぴったり30。
出来高報酬だ。腕が鳴る。人間様の操縦技術を見せてあげよう。この人口無脳どもめ。
『ラー タビウ サマカン ワフワ フィル バハリ』アズハルのアラビア語が、僕の頭を通り抜けた。
右から左に読む言葉は聞き取りにくい。
『えーと、意味は海にいる魚を売るな、だっけ』
日本語に近づければ、取らぬ狸の皮算用ってやつだ。残念なことに、僕の口は思ったことを勝手に呟く癖があるらしい。
『そうだ、リン。気を引き締めろ。先日、アシフの息子があれにやられた。かわいそうに、彼は脚を失った』
『クッソ、メリケンどもは腐ってやがる。狙うのは軍人だけって決まりだろ! 』
アズハルが言うと、アーデルが吠えた。連合国軍のドローンが、罪もない女子供に何をしてきたか僕だって知っている。
腰にくっついた義足を新しい躰だと受け入れようとする少女。伴侶の代わりに松葉杖を生涯の支えとすることになった少年。
ドローンが一つの集落をハチの巣にしたあと、悲惨な光景だけが残る。
非生産的だと思う。
だから少なくとも僕は生産的であらねばならない。
『OK。全て荒野のもくずにしよう』
コントローラを上下逆転させ、全ての指で機体を操る。
この技術のおかげで、無課金のままレート1位を維持し続けることができた。
ラダーを引いて、ナイフエッジ。主翼が風を切って、その軌跡を目で追う。
アズハルのガル翼機も機体を垂直に。
アーデルの双発機も翼を立てた。
『最初だけA3で突っ込む』アズハルの鬼気迫った声。『あとは、B5だ』
ジハード!!! 叫びがヘッドセット越しに響いた。
指示通りに、二手に分かれる。これがA3。
そして、接敵したら自由戦闘。つまり勝手にやれってこと。これがB5。
増漕をパージ。機体が僅かに浮いた。
一度深呼吸。戦闘前のルーチンかもしれない。
濁った部屋の空気が肺にまで侵入してきた。
仮想HUDをチェック。相対距離500。3秒後にヘッドトゥヘッド。
機銃の安全装置を解除。親指は今日も好戦的。
エレベータがぐんぐんと効いてくる。速度を上げて、高度をじわじわと上昇。
近づいてきた。こちらには、目算15機。
躰が緊張で震える。
舵をきって、バンクに入れる。
滑らかに降りていく。
空気の摩擦をびりびりと感じる。
15機は単発のプッシャ。のっぺりとした形状は見間違いようもなく、プレデターの後継機、RQ-1V。滑らかなボディは灰色で、胴体に機銃を付けている。主翼に機銃をつけないのは前身機を反省してだろう。
その機銃が火を噴いた。
まだまだ、全然早い。
エルロンを切って反転。一度フェイントをかける。
相手が右へ切った。
その瞬間に素早く逆へロールして、エレベータを引く。
即座に急旋回に入り、相手に接近。
射程。
撃つ。
着弾は音で確認。
僕の目は次の得物を追っていた。
ロール。
後部カメラに機影を確認。後ろから来る。
ダウン。
すぐに左へ回り込む。フラップを下げる。
もの凄いブレーキ。
本当に失速しない。
ずっと高いところで煙が見えた。
後ろを見る。
影はない。
スロットルを押し上げ、上昇。
翼を振って、周囲を確かめた。
左から来る。
スロットル・ダウン。
すぐにアップ。トルクで右へ倒れ込む。
他の機体は?
5機ほどが素通りしていく。
残りは僕を追い回している。
後ろのやつが撃ってきた。マニュアル通りの行動。
下の一機の軌跡を見る。
再び上昇。そのまま軽くバンクに入れる。
アップを引いて、だんだん半径を小さくしていった。
ラダーを左右に振って、エア・ブレーキ。
後ろへ回り込んだ。
上を見る。機影はない。
前の一機は左右に蛇行。
こちらは優雅にカーブを描いて追いかける。
反転して下を見た。昇ってくる5機。
前の機体にようやく追いつく。
アップを引いて、上昇しようとしている。ループに入るつもりだ。
その前に撃った。相手の尾翼が吹っ飛んだ。
すぐに離脱。左へ倒れてターン。
下から来る。右へスライドして躱す。
撃つ。
金属音。炸裂音。
ラダーを突っ張る。
そのまま、スナップロール。
2機、僕の前に躍り出た。
撃つ。舵角を微調整、撃つ。
煙の尾を引いて、すぐ横を通り過ぎて行った。翼が当たりそうだった。
旋回に入れて後方を確認。
機影は遠い。射程外。緩い弧を描いて、機首をそちらへ向ける。
撃ってきた。
だから、早いって。
『そっちはどう? 』僕は訊いた。
『こっちは順調だ』アズハルが答える『だが、5機取り逃した』
『こっちも、すまない』僕は頬にまで伝わった汗をぬぐう。『ここを片付けてから、追いかけよう』
『マン アジラ ナディマ』アズハルのアラビア諺。
たしか意味は、急ぐ者は後悔する。急がばまわれって奴とおおよそ同義。
『了解、お互い最適の戦闘を』
そう返事をして、Skypeから意識を切り離す。
レーダを確認。アズハルとアーデルは既に5機落としていた。向こうはあと5機。そのうち、一機が少し離れた空域にいる。管制機でもないのに、少し不穏だ。
こちらは残り6機。2機ずつに再編してから、僕に突っ込んでくる。
高度はこちらが上。
後方下に4機。こちらへ来る。残りの2機は隙をうかがっているのだろうか。
反転して戻し、反応がにぶい振りをすることにする。
どうしようか。
考える。どちらへ舵を切るか。
中途半端な距離の2機が厄介。
もう一度、後ろを見た。
やっぱり、4機。全部、敵だ。
まばらな雲と平行な高度。
左手が、スロットルを少し押した。逃げたいらしい。
4機のうち、2機が高度を揃えてきた。
ぎりぎりまで我慢しよう。
アーデルとアズハルもダンスを踊っている。
反転して真下を見た。
荒野の上に2つの機影。
いくつかの残骸があるはずだが、僕の目はそこまでよくない。カメラをズームさせるつもりもない。
2機が太陽を背にして、突っ込んでくる。
相変わらず、マニュアル通り。
しかたがない。
スロットルをハイ。
エレベータ・アップ。
機体は背面のまま急降下に入る。
トリムを調整。機体を制御。
ついてくる。
2機か。
あとの2機は左へ回った。
追いつけるか。
距離はまだ300以上ある。
エレベータを効かせる。
限界スピードに近づいた。
機体が振動する。自然に逆らった分だけ、機体は軋み、翼は捻じれようとする。
僕は息を止め、仮想HUDに意識を沈める。
操縦桿を押した。
逆ループに入る。
遊園地のループとはまるっきり反対。青と茶が勢いよく混ざる。
機体が真上を向いたところで、エルロンを倒す。
フラップを半分下げる。
周囲を確認。後方の2機がまだ離れない。
もう2機は右へ。距離を置いた2機は上から来るのか。
タイミングを計っているんだろう。
仲間を撃たないように離れているつもりかも。
スロットル・ダウン。
サイドスリップして、機首を横に向けた。
速度が落ちる。
みるみる後方から、近づいてきた。
スロットル・ハイ。
スナップをかけたように、翼が左へ振られる。
撃ってきた。
ほら、スピードが速すぎたんだ。こちらを向けない。
上からも来た。完全にずれている。
右へかわして、やり過ごす。
離れた2機を頭の隅に置きながら、僕はターンをする。
上からの2機がターンでもたついていた。
そちらへ行くと見せかけて、反対へ機体を倒す。
僕を追い越して行った、2機を追う。
出力を上げて、ラダーで舵を切る。
入った。撃つ。
一機が落ちた。
もう一機は寸前に離反していた。後方確認。
2機つけられているが、まだ距離はある。
離反した一機を追う。
『調子はどうだ、リン? 』アーデルの声がヘッドセットから聞こえた。
『今、忙しい』
『こっちは、あと3機だが、おっとと』
『そっちは、もう終わりそうだね』
『いや』少し難しい声がした。『“シルフ”が来ている。A班を壊滅させた機体だ』
『……シルフ? 』プレデターを眼前に捉えてから、僕は訊き返した。
『ああ、ここ一週間、リンは出動していなかったから、聞いてないのか』
『単位が危うかったからね』
前の機体が翼を立てた。そのまま左へターン。
ラダーを突っ張って追尾。
トリガを引く。
橙の爆発が線を引いて後方に流れた。
あと4機。
『それで、そのシルフってのは? 』
『元ネタはお前の国の『戦闘妖精・雪風』って奴らしい。メリケンはSF好きが多いからな』
『へえ、確か神林先生の作品だったかな。てことは、凄腕のAIってこと』
『まあ、そんなとこ。今、アズハルとダンスしている』
『後で、空中戦のデータを頂戴』
『わかった、そっちも急げよリン』
了解と答えて、周囲を見回す。
右上方から2機突っ込んでくる。
早くしとめる必要がありそうだ。回らずに急ぐことを決定。
さあ、来い。見せてやろう、ストール・ターンを。
上から近づいてくる。もう射程に入るか。
アップ。
上昇すると見せかけて、スロットルダウン。
景色が流れる。遠くの2機はまだ高みの見物。
右上から2機がバンクを入れてこちらへ来る。
機体が風を切って、空気が離れる。
失速する。
フル・スロットル。
ラダーを引っ張る。
機首が横へ倒れて、くるりと下を向いた。
上からの奴が撃ったみたいだけど、弾道は高い。
かいくぐって、一気に落ちていく。
もう舵が戻った。
凄い! これが多発トラクタ式の軽さと馬力。
フラップを戻す。
バンクに入れて、急旋回。
来た。
ほら、驚いている。相手は撃てなかった。マニュアルにも、データベースにもこんな動きはないはず。
僕は瞬くくらい短く撃つ。
トリムで微修正。再度、撃つ、コンマ0,5秒。
吸い込まれる弾道。
エルロンを反対に切って離脱。
炸裂する音が聞えた。
残すは2機。
そいつらに機首を向ける。
『ちくしょう! やられた! 』アズハルの声が大きく響いた。
ヘッドセットを頭から外したくなるくらいの激昂。
『すまん、間に合わなかった。オレが仇を討つ』声に混ざって、ギリリと歯噛みする音も聞こえた。
アーデルは、丁度2機を片付け終わったところだった。
レーダを見る限りはそうだ。
『あと、2機やっつけてから加勢する。できれば、それまで落ちないで』
『言われるまでもない。アズハルの機体はアリームが片足を代償に鹵獲したものだ。シルフって奴を落としてやる』
アーデルも激昂した。
僕もいい気分とは言い難い。
エレベータを引き、機首を上げる。
速度を全開。向かうは上方の2機。
読んでいただきありがとうございました。
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