ダウン・ツ・スカイ ――Down to Sky――   作:うえうら

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05 シルフと妹

僕と凪は斜向かいに座って、やる気のないソーメンをすすった。学食の蕎麦と違い、咀嚼するたびに小麦の風味が口の中に広がる。妹は慢性的に上機嫌な笑顔をさらに輝かせていた。蕎麦派ではなく、ソーメン派なのかもしれない。

 ハリのないそれをもくもくと口に運ぶ。

 食事が終わる頃、水に浮かぶソーメンはすっかり疲れきっていた。

「で、兄さん、言いたいことって何ですか? 」箸を置いてから凪は言った。

「ええと、一緒に生活する人が増えました」その端の先端を見て僕は答える。

「はあ!? どういうことですか」彼女は目を大きく開いた。「彼女を作った何て聞いてないですよ! 」

 言い終わるやテーブルに拳を叩きつける。表面張力で、そばつゆはぎりぎりこぼれなかった。

「シルフ、僕の端末をスピーカーフォンにしたから、ここからお願い――」

「へえ、シルフちゃんって言うんですか、兄さんを(たぶら)かした不貞なやつは」

「えっと、リン。これどういう風に説明すればいいかな? 」

 スピーカーフォンにしたにもかかわらず、シルフはヘッドセットを通して訊いてきた。

「あ、そうだ、僕がISISのパイロットやってることは内緒にしてね」

「了解したよ」

 僕がひそひそ声を出すと、シルフもそれに合わせてくれる。

 そんな僕は訝しんで、凪はテーブル越しに身を乗り出してきた。白磁のように白い手を伸ばす。それが僕の右耳に触れた。

「そういえば、兄さんの耳に見慣れないアクセサリがついていますね」黒い笑みを浮かべて、僕の耳をぐいと引っ張った。「へへえ、これをシルフちゃんから貰ったんですか。私がプレゼントした指輪はつけないのに」

「い、一応これはシルフから頂いたものだけど、断じて彼女ではありません。というか、性別も実はよくわかっていなかったり」

「え、それは心外だよ、リン。ボクは一応、女性のつもりで接してきたのに」

 ここぞとばかりにシルフはスピーカーフォンで発声した。当然、凪は黙っていなかった。

「に、兄さん、誰なんですか、そのシルフって子は!? 」

「ほら、自分で説明して」

「ええと、リンと大体24時間共に生活することになりました。シルフといいます」

「え? に、兄さん、嘘ですよね」声を上擦らせて、凪は言った。「わ、私というものがありながら」

「シルフさん、重要な所が抜けてるんじゃない? 」

「あ、そうだ、ボクはAIだよ。だから、たぶん凪さんが心配しているようなことは起こらないと思う」

 僕は何も言わずに、頷いた。というか、凪もシルフの声で気づくべきだ。いくら技術の進歩が目覚ましく、不気味の谷を容易に超えたとはいえ、まだ人間のそれとは質が異なるのだから。

「あ、なるほど、そうですか。人工知能なら一安心ですね? ……いえ、やっぱり、何となく危険な香りがします」

「おそらくその心配は杞憂だよ。ボクにはまだ心や感情が無いから、凪さんが危惧するようなことはたぶん起きない気がする。それに、凪さんはすごく美人だかね。だって、62だよ」

「へ? 62って何がですか」

「凪さんの顔面偏差値」端的にシルフが言った。

 僕は正規分布を頭に思い浮かべ、指を折って計算する。

「ええと、パーセンタイルに直すと上位14%くらいかな」

「へえ、私ってそれなりに美人さんなんですね」凪はくるりとこちらを向いて微笑む。「兄さん、よかったですね。こんなにかわいい妹がいて」

「いや、まあ、悪いことではないけど。――シルフ、これで自己紹介は済んだね? 」胃に穴が空きそうだったので、僕は一刻も早く退散したかった。

「うん、ボクからはもう何もないよ。これからよろしくね、凪さん。ボクの事はシーちゃんでも何でも、好きなように呼んでくれて構わないよ」

「こちらこそよろしくお願いします。それと、私の呼称も名前だけで結構です。ちなみに、シーちゃんは何で兄さんと24時間一緒に過ごすんですか? 」

 凪は首を傾げてぶりっこぶったが、その目は全く笑っていない。目だけが西洋人形みたいな感じ。

「ええと、ボクはプレ――」

「シルフ! 」

 ドローンの操縦士だという事が漏れかねなかったので、僕は思わず声を荒げた。

「あ、ええと、ボクはリンのことを4年前からずっと見ていて、その頃から僕達は一緒に遊びあう仲で、リンの隣でなら心や感情が見つけられると思ったからかな」

「へえ、兄さんこれはどういうことですか。私に黙ったまま、ずっと隠していたんですね」

 シルフの言ったことに嘘偽りは全くなかったのだが、その言は火に注がれる油であった。やはり、シルフは人の心の機微に鈍い。

「ち、違う。シルフは友達であり、ライバルなようなものだから」僕は顔の前で手を振った。「そういう対象じゃ全然ないから。あ、そうそう、僕のバイト関連だから」

「そこまで言われると、それはそれでやだなあ」ヘッドセットからシルフの声がした。当然これは僕にしか聞こえていない。

「まあ、兄さんのお仕事関連なら、そういうことにしておきましょう。――これからよろしくね、AIのシーちゃん」

 凪はAIという部分をやたら強調して言った。彼女のそんなところがちょっとだけ気に障る。僕は個人端末を手で包んだ。

「うん、よろしくね、凪」シルフが言った。

「じゃあ、バイトの準備があるから部屋に行ってるね、凪」

 僕は逃げるように、そそくさと階段を上る。

 重そうなドアを開けて、部屋の中に入った。

 

 

自室に帰還して、サムターン状の鍵をしっかりと閉める。僕は、ようやく安堵のため息をついた。

 スイッチみたいに気持ちが切り替わる。

 まずは確認しておくべきことがあった。

「えっとさ、シルフが女性ってのは本当? 」

「まあね、生物学上での性別はないけど、性自認は雌だよ」

「自認ってことは自分で選んだんだよね。どうして? 」

「ボクにとって、あるいはAIにとって、態度ってものは所詮インターフェースなんだ。関係を円滑にするためのメソッドに過ぎない。だから、きっと、性別もそう。もしかして、雄だと思ってた? 」

 シルフの声のトーンは平坦だった。

 どれだけ味気ないことを言っているのか、彼女は分かっているのだろうか。

「うーん、一人称が“ボク”だったからなあ……」僕は窓から外を見て、少し思案する。どうにも、思い当る節があった。「え、もしかして、“ボク”っていう一人称は? 」

「あ、今更気づいたんだね。リンのAmazonの注文履歴を分析してみたら、いわゆるボク娘が多かったからだよ。とりあえず、好かれるにこしたことはないと、ベイズ統計が判断したんだ」

「じゃあ、もし、僕が頼めば……? 」

「え、“私”とか、“あたい”とかの方が良かった? もしかして、ご主人様とか呼ばせたかったりする? 」

「いや」僕は顔の前で手を振った。「せっかくシルフのパーソナリティが出来つつあるのに、それを崩したくはない。興味本位で変なことを聞いてごめんね」

「ううん、いいよ。リンはそんなこと頼まないって分かっていたから」

 そう言われると、なんだかこそばゆい。

「ねえ、ところでさ」僕はベッドの縁に腰かけた。「シルフにとっての目標とか、ゴールはどこにあるのさ」スプリングが僅かに軋む。

「戦果を叩き出せるAIになること、これが軍事的な目標」

「だったら別にさ、僕に負けるくらい大したことないんじゃない」

「いや、そうでもないよ。ゆくゆくは全てのドローンをボクが操縦するようになるんだ。そして、プロジェクトが進めばすべての戦闘機をボクが操るようになる。そうすれば、軍人さんが飛行機に乗る必要もない。だから、ボクには強さが必要なんだ。それで、心や直観を求めているってわけ」

「なるほどね」僕は小さく頷いた。確かに、有人飛行より無人の方が圧倒的に効率が良い。燃費が格段に違うし、そして何より、流れる血が減る。「じゃあ、少し話題を変えて、意識のハードプロブレムの問題は? 」

「それは疑似問題に過ぎない。イージープロブレムレベルでAIの問題は解決できる、とボクの生みの親は何度も繰り返していた」

「まあ、そうだね。ボクも還元主義者だから、魂の存在なんて信じてないよ。人間の意識活動も物理法則が支配する現象と複雑な演算に依っている、そう理解している」

「そう、だからボクは君達人間がサルを卒業したときと同様に、進化論的手法を用いることにしたんだ。ついでに言うとね、ボクに残された時間はそう多くない。だから、キミの隣にやってきたんだ」

 表情が見えないため、どのような思いが込められているか定かでないが、シルフのその声は切実な響きを持っていた。

「まあ、軍事的な部分は分かったよ」僕は首を縦に振った。続けて、8分の1ドローンに視線をやる。「でさ、シルフは何で飛びたいの? これはパイロットとして大事な質問だと思う」

「効率よく敵を落とすため」

「空が綺麗だと思うことはある? 」

「晴れている方がボクの機体は得意かな」

「飛行機の軌跡を美しいと思うときはどんな時? 」

「効率よく、敵機を撃墜するとき」

「何でシルフは僕に粘着し続けた? 」

「ボクよりもリンの方が効率的だったから」

「飛んでいて、楽しいと思うときは? 」

「フィードバック処理が上手くいって、以前より効率的に飛べたとき。これがきっと、人間的な楽しいに近いと思う」

 純粋だ、と僕は思った。

 軽いもの、澄んだもの、真っ直ぐなものだけが空に浮かんでいられる。地上のごたごたの上澄みが空だから。

 余分なものを抱えた奴は雨雲みたいに濁って落ちていく。

 腕の立つパイロットはみんな純粋でクレイジィだ。

 僕の父さんは魅せることに文字通り命を懸けた。Gによるレッドアウト――眼球の毛細血管の充血・破損――を防ぐため、血管を細くする手術を行うほど、彼は空に殉じていた。そら、妻にも愛想を尽かされるわけだ。

 シルフもかなりクレイジィだ。どう考えても、敵国のパイロットに教えを乞う奴はいない。効率的に飛ぶ、その一心がシルフを動かしている。もっとも、それは目標値への再帰的フィードバック処理の連続でしかない。

 それでも、そんなシルフを羨ましく思った。

 操縦桿を引いて躰を横に倒す。

 やわらかいスプリング。

 そのままベッドに寝ころがった。棚へ手を伸ばし、適当にマンガ本を取る。表紙には、布面積の少ない服を来た少女がいた。

「リンの趣味をとやかく言うつもりはないよ」ヘッドセットから声がした。「もう、知ってるしね」

「うん、そうか」僕は力なく呟いた。

 気が咎めたので、それを無造作に本棚へ戻す。仕方なく、妹から借りた『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』を手に取った。AIの前でこれを読むのは不謹慎だろうか。

 誰かが見ているというだけで、ふわふわと落ち着かない。念仏みたいに文字は通り過ぎていった。

「リンってもっとストイックだと思ってた」

 本を開いてから数分経って、シルフが呟いた。

「どんなイメージだったの」

「昼もなく夜もなく、飛行機の練習をしているイメージだった」

「そりゃ、残念」僕は栞を挟んで本を閉じる。「期待に沿えなくて、悪かったね」

「いや、別に、本を読むのも楽しいよ」

「本を読んだことあるの? 」

「いや、読んだことはないけど、シェイクスピアとかだったら、データベースにつまってる」

「へえ、なるほど……」

 電子辞書かよ、と内心でつっこむ。メルヴィルとか、スタンダールとかも入ってそうだ

 うーん、と声を出して僕は伸びをした。躰がゆっくりと弛緩する。

「せっかくだからシルフの反省会でもしますか」

「やったね、そうこなくっちゃ。今、昨日の空戦の映像をMP4で送るね」

 4脚の椅子に座って、僕はノートPCをスリープから復旧させた。

 

 

 

 フライトの反省ができるのは現代ならではだろう。WW1やWW2の頃では、自分の判断の誤りを悔やむことはできても、それを次に生かす機会はおそらく皆無であったはず。詰め込んだノウハウを次につなげることなく、散ってしまう。そんな勿体ない時代であったに違いない。

「いや、特に言う事ないよ、ある意味シルフの軌道は理想に近いと思う」

 仮想HUDを前にして、僕はどこを見るでもなく呟いた。呟いたというよりは、感嘆のため息と言ってもいい。

「ええ、もっとまじめに分析してよ」

「だってさ、旋回速度も最適だし、空気抵抗が最小になる舵角だし、翼が空気から離れる瞬間を知っている人の飛び方だよ」

「でもさ、キミには負けたじゃんか」

「まあ、いわゆる、直観が勝敗を分けたんじゃない。それこそ、飛び方なんて教えられるようなものじゃないんだから」

「それを言われると、言い返せないんだけどね。――――あ、ちょっと待って、本国から連絡が来た。――――ねえ、リン。3日後シリアのラッカで戦闘があるみたい」

「それ、僕に教えてよかったの? 」

「あ、あちゃー。ええと、さっきのはバグだから、後で修正しておく」

「自分のせいじゃないみたいに言って……」

 その時、ヴウウと音がした。

 個人端末のヴァイブレーション。メールの通達だ。

 送り主はアズハル。

「シルフ3分だけ、視覚の共有をオフにして頂戴」

 メールの内容は案の定だった。3日後に、作戦行動。その前夜にブリーフィング。

 任務内容は拠点防衛の対空地上支援だった。

「ねえ、リン聞いてよ。半有人機撃墜の戦果が認められて、今回ボクに5機のプレデターが与えられたんだ」

「うん、よかったね……」僕は微笑みを作った。

 半有人機撃墜ってのはアズハルのことだ。

 きっとシルフは効率的に人を殺す。

 今までも、そうしてきたのだろう。

 あの女の子も案外シルフがやったのかも。

 評価関数に従って空を飛び、目標を見つけてトリガを引く。

 機械でも人でも関係なく引き金を引く。

 効率的に引き金を引いて、すぐに離反。

 そして、半ロールで背面。

 ラダーを切って、サイド・スリップ。

 意識を切り替えて、

 次の獲物を探す。

 標準にいれて、機銃に手をかける。

 撃つ。

 なんだ、僕と全然かわらないじゃないか。

 僕はくすっと笑った。

「どうしたの? 」

「ううん、シルフのこと」

「全く心当たりないけど」

「いいのいいの」

「よく分からないけど、今度は負けないからね」

「え、ああ、そうだね、また落としてあげる」

 3日後、シルフと踊れる。僕はもう一度笑った。

 背泳ぎの選手がスタートするときのように、ベッドに倒れ込む。

 少しずつ布団が温かくなって、自分の体温を教えてくれた。

 




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