ダウン・ツ・スカイ ――Down to Sky――   作:うえうら

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週刊オリジナルランキングの6位に入ってるじゃないですか。ありがとうございます。


空では、彼らの感覚は機体と同化するために極限にまで研ぎ澄まされる。
書き手としては最大限の感覚描写を行うことが要求される。
地上での体感速度とまったく異なるからだ。
戦闘中の動作だけを、ビートを撃つように短く並べた文章は、まるで祈禱のように。


06 再戦・空戦

 風が強い。

 空には雲一つない。

 視線を上げるだけで、眩しさに目眩がしそうだった。

 回転翼がピッチを刻む。淡々としたリズム。

 主翼が風を切る。

 水蒸気が線となる。目で追って、視界の端に僚機が映る。

 すっかり馴染みの仲間となった2人だ。

 右側にはアーデルの双発のトラクタ。

 見慣れない単発のプッシャが、左側少し後方にあった。

『アズハル、その機体は?』

『これか? 』そう答えて、彼は機体を左右に振る。『これは開発部がメリケンの捕虜を脅して作らせたらしい。足の小指を切り飛ばしてやったら、素直に従ったそうだ』

『プレデターの残骸を組み合わせて作ったものらしいぞ』

 ヘッドセットから聞こえるアーデルの声は平坦だった。紛争状態の前に国際法も何も関係ない。物理が至上の法となっていた。シンプルで、こっちの方が好みかもしれない。

 エルロンを倒して、半ロール。

 赤土が上になった。機銃に耕されていた。

 太陽の位置はほぼ真上、シリアのラッカは正午に近い。

 燃えるような日の光が、コンクリ造りの建物をギラつかせている。白く塗られた石作りの家屋は爆弾の投下で半壊状態。

 空に比べ、地上は荒れ放題だ。

 逆回りで、半ロール。

 エルロンの効きは軽やか。

 雲一つない空。

 透明な青。

 乾いた大気。

 純粋な空。

 見上げた青に落ちてしまいそうだ。

 回転翼に合わせて、口笛を吹く。サビの一部だけを、何度も、何度も。

 これから大規模な戦闘があるだろうに、僕の心は落ち着いていた。

『索敵機がP4地点でLocust を捉えた』アズハルが早口で告げる。『手筈通りオレがやる』

 言うや否や、彼はバンクに入れて、右へ旋回。

 大出力のエンジンを吹かせ、みるみる黒い点となった。

『一人で大丈夫か? 』軽い調子でアーデルが訊いた。

『アッサブル ミフターフルファラジ』アズハルはアラビア諺で返答した。

 忍耐は幸福の鍵という意味の諺だ。

 Locust(イナゴ) は米軍のドローン戦術の一つだ。創世記にもあるように、紀元前から蝗害に悩まされたこの地に対して、その名を冠する兵器を使うことはあてつけ以外の何ものでもない。

 Locustシステムの最大の特徴はその膨大な物量にある。自走式ロケット砲台から40に近い小型ドローンが発射され、それらが空中で散開し、携えた機銃の火を噴かせ、兵士と言わず地上に生きるもの全てを襲う。

 民間人への攻撃を嫌うアズハルがこの役目を断るはずがなかった。

 仮想HUD上に、中央管制からのログがずらずらと滝のように流れていく。

 それらは重要度ごとに色分けされており、赤が最重要、青が些末な出来事を意味していた。

『A2地点で対空支援要請』赤文字の内容を僕は読み上げた。『じゃあ、ブリーフィング通り僕がやってくる』

 拡張タブをタッチして、ログから詳細を覗く。塹壕で作られた拠点に連合軍のヘリが向かっているらしい。輸送用か攻撃用かは定かでない。

『じゃあオレは空対空だ』アーデルは双発機の翼を立てた。『早いとこ、こっちを援護してくれよ、エース』

『だから非常勤だってば』

『それでも、お前はシルフを落としたエースだ。そういえば、またシルフは出るのか? 』

『さあ、どうだろう』僕は肩を竦めてみせる。『僕には分からない。でも、きっと出るんじゃないかな』

 半分嘘をついた。今回の侵攻にシルフは5機来るのだが、僕は打ち明けなかった。僕とシルフはお互いの情報を互いの陣営に漏らさないと約束していたからだ。

『まあ、そうだろうな』彼は軽く機体を振った。『ここ2週間出ているようだし。もしも現れたら、前回の借りを返してやる』

『ヘリくらい早く片付けて援護してやるって』

『取っといてやるから、早く来いよ』

 双発機がバンクを入れて左へと滑る。

 エルロンを倒して、僕は右へ旋回。

 後部カメラに映る彼の機体は流れ星みたいに消えていった。

 仮想HUDのレーダをチェック。

 ポイントまで距離1500。

 エンジンはフル・スロットル。

 空の青が流れて、地面の赤茶色が溶けていく。

 距離700。前方の4つの点が段々と形を成していく。

 ツインロータ式の攻撃ヘリだった。ミリオタじゃないから、名前は知らない。

 向こうの機銃は上を向かないだろう。あるいは、それに苦労するはず。

 ピッチを引いて、高度をかせぐ。

 エンジンが息をついた。

 そして、唸る。

 背面に入れて、ダイブ。

 半ロール。

 ラダーでスライド。

 ヘリはいやいやするみたいに身を捩った。

 レクティルを合わせる。

 トリムで微修正。

 串型多発機の身軽さに比べたら、ヘリコプターなんて鉛のつまった風船だ。

 機銃の安全装置を解除。

 射程。

 1秒撃った。

 頑丈そうだったから、いつもより多め。

 メインロータがぶっ飛んだ。

 それを視界の端で捉える。

 ピッチ・アップ。

 フラップで急旋回。

 機体が僅かに軋む。

 もう少し、フラップ。

 ラダーを突っ張る。

 滑るようにエアブレーキ。

 射程。

 僕の右手が撃つ。

 吸い込まれる弾道。

 コックピットが弾けた。

 ガラスが飛び散る。

 景色に流されて、混ざって消える。

 舵をきってダウン。

 滑らかに降りていく。

 半ロール。

 上方確認。

 ヘリの腹が見えた。残りは2機。

 不快な振動。

 テールロータに煽られる。少しよろけた。

 エレベータを倒す。

 中途半端な角度で急降下。

 僅かに錐もみ。高度200。

 後部ロータの出力を上方修正。

 瞬間、前方の三発も噴かす。

 スロットル・アップ。

 ヘリの横っ腹が前方に。

 息を止める。

 撃つ。

 銃撃の反動。

 即座にトルク・コントロール。

 トップ・ラダーで、スナップ・ロール。

 風で飛ばされた葉っぱみたいに、機体が舞った。

 ラダーを半分切る。

 機首をコントロール。

 射線上にテールロータ。

 R1を軽く押す。

 1Fのラグで機銃が瞬く。

 エルロンを倒して、半ロール。

 背面で、確認。

 螺旋を描いて、ヘリは地上へ。

 敵影なし。

 オレンジの炸裂。

 爆発音は引き伸ばされた。たぶん、ドップラー効果。

 ティロリロリンと電子音。

 Skypeの入室音だ。

 別窓をAR(拡張現実) して、入室許可をタップ。僚機との通話をオフ。

『シュクラン リン! 』Q2拠点からの通信だった。

 まだ幼さの残る、男子高校生を想起させる声音。聞いたことがある声。たぶん、アハド君だ。

『アイイ ヒドマ』僕はありがとうに対して、どういたしましてと答えた。

『و اليكم السلام أشوفك بعدين』

 おそらく、父さんは上手くやっているか、というニュアンスの質問。

 僕は横目でレーダを見やる。Locustは10機ほどその数を減らしていた。

『キミとキミの家族を守るために、勇敢に戦っている』アズハルの息子へ向けて、僕は英語で返した。

『よかった……』彼は安堵のため息を漏らす。『自分だけ落とされた、仲間が手に入れた大切なものを台無しにしてしまった、とひどく悔やんでいたから、心配していたんだ。――――えっと、これは、父さんには内緒だからな』

 マイクの感度は良好だ。ぽりぽりと頬をかく音も伝わってくる。

『わかった、言わないよ。それと、アズハルもキミのことを心配していた』

『えっ、父さんも――――』

 銃声。

 それがかき消した。

 肉の弾ける音。飛散したそれらが地に落ちる音。

 銃声。

 残響。

 Skypeの音量制限がなければ鼓膜が破れていただろう。

 地面を穿つ激烈な音。火花が飛ぶような石の砕ける音。

 間断のない機銃掃射。

 紛れもなく、プレデターの破壊音だった。

 アハド君の声はもう聞えない。

 慌てて、レーダへ目を向ける。

 敵影を表すマーカはない。

 もともと、型落ちしたものを修理して使っていたんだ。WW2の遺物の性能なんて、たかが知れている。

 エルロンを倒して、ラダーを引く。

 急旋回。

 フル・スロットルでQ2拠点へ。

「リン、再戦だね」

 個人端末から合成音声。

 前方の黒点へと、カメラをズーム。

 間違いなく、そのシルエットはプレデターだった。

 ただし、黒に染められていた。ステルス機かもしれない。

 キャノピの後部には、黒地を切り取る、白い球体と一対の羽。

 妖精のように、機体は滑らかな線を描く。

 ズームを解除。

 相対距離500。

 電圧、バッテリ量、モーター温度、電波強度、計器を確認。

「また落としてやるよ、シルフ」個人端末へ向けて僕は声を出した。

 アハド君のこと、アズハルのことは一瞬で頭から消し飛んだ。

 薄情だろうか。薄情かもしれない。

 空がそうさせるのだろう。

 人間のことも、自分の人生のことも、社会のことも、空では考えなくなる。考えられなくなる。そいうのが空の作用で、空に魅せられた人は余分なものを切り捨てていく。

 重いものを持っていては浮かんでいられない。

 空を駆けるものは純粋だ。

 心もきっとそう。

 僕は増漕を捨てた。

 機体が僅かに浮かぶ。

 照準を絞る。敵は単機、シルフィードのみ。奴の方が高度は幾分か上だ。力学的エネルギィの関係上、あちらの方が幾らか有利だろう。

 フラップをじわじわと下げ、スロットルを絞り、相手に気づかせないように減速する。

 僕の前方を上から通り過ぎた。撃つにはやや遠い。

 エルロンで斜めに倒して、エレベータを僅かに引く。

 上がったところで、相手は逆インメルマン・ターンに入った。こちらへ突っ込んでくる気だ。範囲を見極めて、僕は一旦機首を持ち上げる。上へ行くと見せかけるためだ。

 ダイブに入った敵機が、微妙に機首を持ち上げる。

 僕はスロットルを切った。

 エレベータを引く。

 エルロンを左右に。スポイラの代わり。

 ブレーキをかけて失速する。

 相手が気づいて、下を向く。

 下へ逃げると考えたのは普通だ。これもマニュアル通り。

 スロットルを押し上げる。

 機体が止まる、という手前で、エンジンが噴き上がる。

 機載カメラで位置を確認。周囲にシルフ以外に敵はない。

 舵をニュートラル。

 左から突っ込んでくる。

 行け。

 僕のジャハードは、上昇に転じる。

 舵を振りたいけど、抵抗になるから我慢。

 こちらの動きを、シルフはフェイントだと思うだろう。

 奴がフェアリィ時代に使い古した手だ。

 上がる。さらに上がる。

 相手は引き上げられない。速度が殺せない。

 撃たなかった。下を行き過ぎた。

 エンジン・スロー。

 エルロンを切って、目視でチェック。

 相手のラダーの動きが見えた。

 ストール・ターン。

 シルフはスライドするようにターンしている。エルロンでロールを打ち消して、流れるように回る。

 それでも、機首をこちらへ向けきれない。

 こちらの機種が下を向いたところでスロットルをハーフ。機首を真下へ。

 相手もこちらを向いた。流石は単発のプッシャ。

 さあ、来い。

 ロール。同時にフラップをフロー。

 スロットル・ハイ。

 ラダーで右舵。ロール。

 正面から撃ち合うか、逡巡。

 高度差を活かして、後ろへ着く方針に。

 高度が100下がった。

 エレベータを引く。

 滑らかに水平に滑り出る。

 エンジンを絞る。

 ラダーで機首を左へ。

 右の翼が上がりたがるのを、エルロンで抑える。

 一度息を吸う。酸素が頭にたどり着きますように。

 左へ一度フェイント。

 勝負だ。

 右へ出る。

 シルフは翼を立てる。

 その一瞬の死角に、ラダーを戻す。

 エルロンでさらに左。

 こちらも横を向く。

 エレベータ。

 来る。

 撃てない。

 すれ違った。

 エレベータ・アップ。

 機首が上がった。

 プレデターの尾翼が視界の右端。

 背面へ入れる。

 フラップ・ニュートラル。

 エンジン・フル・スロットル。

 可変ピッチを同調。

 相手がエレベータを引いた。速度が落ちて、追いつく。

 後ろについた。

 プレデターは降下。

 そして、ロール。

 咄嗟に、ピッチ・アップ。

 典型的な回避機動。

 最適なマニュアルをこなしてくる。

 フル・フラップ。

 ラダーとエルロンを逆に切る。

 スライドしながら、敵の方へ機首を向ける。

 相手のラダーが見える。

 ひたひたと動いた。

 たぶん、スナップ・ロールだ。

 ほら、回った。

 後方斜め上から、無理なく、トレース。

 背面に入れる。

 ダイブ。

 右。

 スポイラでブレーキ。

 射程。

 撃つ。

 可変ピッチを調整。

 プロペラ後流で機首を左へ。

 撃つ。

 離脱。

 右へロールしながら、降下。

 後方に一瞬、煙が見えた。

 ロールを止めて、背面飛行。

 斜め下に、火を噴いた敵機。

「アズハル」僕は呼びかける。「こちら、リン。シルフを落とした」ヘッドセットに向けて報告。

 おかしい、反応が無い。

 おっと、skypeは切っていたんだ。

 再入室しようと指を伸ばす。

 その時、

「くっそー、またリンリンにやられた。これで、通算47勝、998敗、39分けだよ」

 個人端末からシルフの声がしたので、僕は指を止めた。

「リンリンって声に出されると、ダメージが大きいから禁止で」

「うん、分かったよ。でも、そういう感覚はよく分からないんだよね。ボクにとっては倫之助もリンもリンリンも個体名の呼称として価値は等しいから。でもね、リンリンが一番長い間使っていたから、親しみがあるかも」

「まあ、そういうものか」大きな声を出すのが面倒なので、僕は個人端末を手元に置き直した。「ちなみに、その39分けだけど、時間切れがなかったら、全部ボクが勝ったから」

「うっ、勝率が5%も無いから、言い返せない……」

「へえ、996敗か。そういうのも全部覚えてるんだ」煽りプレイでプレデターの残骸へ機体を寄せる。「シルフって今日、5機あるんだよね。じゃあ、今日で通算1000敗を超えるね」

「えっ」げんなりとした声だった。「いや、そうはならないね。ボクは戦いの中でも成長するから。吠えずらをかいてもしらないからね」

 聞いたことのある台詞だった。

 シルフは絶対僕がAmazonで買ったものを読んでいる。

 僕はそう確信した。

「いいよ、けちょんけちょんにしてあげる」

 シルフは何も返してこなかった。

 僕は意識を仮想HUDに巻き戻す。

 ログを見る。そこにはアーデルの救援要請が橙色で記されていた。タップをして拡張する。やはり、シルフがらみだった。

 アズハルにどう言い訳しようか考えながら、Skypeをオン。

 




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