ダウン・ツ・スカイ ――Down to Sky―― 作:うえうら
かれこれ2時間ほど飛んだ頃。
アーデルの双発機と協力して、僕達はシルフを3回落とした。これで、シルフのプレデターは残り一機。対して、こちらは残り2機。息子の死を告げられたアズハルは精神を病んで、今はSkypeを切っている。それでも彼は、Locustシステムの40機を落としていた。多少は責任感があるらしい。本当にあるなら、息子の死は気にしないだろう。彼の想いは空へ上がるには重すぎたんだ。
レーダを確認。
Locustの群れへ機首を向ける。蝗の名を冠するこいつらが40やそこらで、打ち止めになるはずがなかった。
エンジンが静かに唸っている。
メータを確認。
右下の雲の名から、一機上がってくる。
黒塗りのプレデターだ。でも、シルフではない。
ロールで周囲を確認。
見通しは悪くない。
相手は高度を上げて、バンクに入れた。
スロットルを押し上げる。
ラダーで機体を少し斜めに。
すぐに戻す。
じわじわとスロットルを絞る。
あちらは旋回に入った。
僕はバンクを強める。
翼がほとんど垂直になった。
エレベータ・アップ。
景色が流れる。
さらに、アップ。
内側へ入った。
相手がデッド・ポイントを過ぎた。
僕のジャハードが後ろにつく。
射程に入る。
まだ撃たない。
相手は左右に逃げようとする。
ロールが遅い。
距離をさらに詰める。
さようなら。
撃つ。
離脱。
反転して、下を向く。
目視に敵はなし。
レーダをチェック。
SkypeをON。
『ねえ、アーデル』僕は呼びかけた。『これ、あとどのくらい続くの? 』
『いんや、分からん。敵さん次第だ』
『バッテリより先に、手中力が切れそう』
『リンはまだ“クスリ”に手ぇつけてないのか』
『まだだね、でも、手元にはある』
『お前も早く使えよ。エリクサーはピンチになる前にだ』
『OK、わかってる。本当に集中力が切れたら使うから、安心し――――』
「兄さん、リン兄さん!! 」
扉の向こうから妹の声がした。
コンコンとノックの音もする。
『アーデル、すまない、一旦切る』返事を聞かずに、僕はSkypeをオフライン。
「兄さん! 夕ご飯ですよー」凪の声は若干キーが高くなっていた。
「あー、ごめん。今日はいいや」ディスプレイから視線を離さずに、僕は言う。
「え、ああそうですか。ていうか、兄さん? 朝からずっとお仕事ですか」
「そう、大体そんな感じ」
「兄さん、今年こそは卒業できるって言いましたよね」
「大丈夫、大丈夫。4回休んじゃったけど、もう休まないから」
「本当ですよ? 兄さんの分はラップしておくんで、後で食べてください。昨日がカレーだったんで、今日はハヤシにしました」
「ありがとうね、凪」
「いえいえ、何て言えばいいんでしょうか。何となく、いいですよね。リン兄さんが稼いで、私が家事をするっていうのは。……その、あれみたいじゃないですか――――」
「あっ! リンみっけ! 」個人端末からの合成音声が凪の声を遮った。
レーダを見ると、こちらに近づくマーカがあった。
かなりの速度。
間違いなく、シルフの最後の一機。
「凪、ごめん。ご飯ありがとう、忙しいから、ごめんね」
会話を遮るために、謝罪の言葉を並べる。
僕が身に着けた数少ない処施術の一つだ。
扉越しに、彼女は何かを言ったのだろうけれど、僕の頭は言葉として認識しなかった。
距離900。接敵までおよそ、10秒。
Skypeをオン。
『アーデルさっきは急にごめん。こっちの援護これそう? 』
『いや、ちょっと厳しいな。イナゴ共がこの空域にウヨウヨしてやがる。兵舎も近い。ここで止めないと
『OK。シルフは僕が相手する』
『任せたぞ、エース。Locustの追加はもうなさそうだから、もう少しでひと段落つけそうだ。“クスリ”早く使えよ、気分がトブからな! 』
『任された。じゃあ、せっかくだから、頂くよ』
軽口を交わしあう間に、相対距離は300まで迫っていた。
アーデルが言っていた“クスリ”を胸ポケットから取り出す。
フリスクみたいに、一錠、手のひらに乗せる。
それを口に含んで噛み砕く。
飲み込まず、舌ですり潰すように、唾液と絡める。鼻の奥まで抜けて、脳の深部に沁み渡っていく感覚。
最高に気分がハイな感じ。
空を飛ぶ奴はみんなクレイジィだ。
「リン! 今、何を口にいれたの? 」個人端末からシルフの声がした。
僕は慌てて、マイクのスイッチを切る。
「誰にも言わない? 」ピッチを上げて、高度を稼ぎながら僕は訊いた。
「たぶん」
「たぶんじゃだめ」
「じゃあ、絶対」
「これは、LSDのジェネリック」
「え!? それは、疲労がポンと抜ける薬品の仲間だよね? 」
「うん、そうともいう。たぶん、シルフに勝ち目はないから覚悟した方がいいよ。いわゆる共感覚ってやつ」
「いやだね、ヤク中に負けるつもりはないよ」
シルフがそう言い終わった直後、
互いにバレル・ロールですれ違っていた。
風の色が見える。結晶みたいに透き通った翠。
上斜め後方に敵機。
大気の密度が音色を奏でる。
シルフはまだ、背面だ。
翼が空気をとらえる甘い味。やわらかな感触。
「シュッ」と空気が主翼から剥離する音。
痺れるような刺激。目の覚める蒼い色。
そのタイミングで、ラダーを突っ張る。
風の流れを手に取るみたいだ。
右へのロールを止め、後ろを見る。左からだ。
エレベータ・ダウン。
フラップを上げる。
スロットルを押し上げた。
エレベータ・ニュートラル。
左へエルロン。
ハーフ・フラップにラダーを加えて、ターンした。
右へ反転。
撃ってきた。
歪な色だ。
音色も不協和音。
これじゃ当たりっこない。
操縦桿を引いて、ループに入れる。
空気を切る。グラデーションのように色が滑らかに変化する。
上を向いたところで、ロール。
プレデターが見えた。
旋回しながら上がってくるつもりだ。
地面の近くには数匹のLocustが汚い音を立てていた。
後で始末してやろう。
エンジンを絞って、舵を左右に打ってブレーキング。
フル・フラップ。
ダウン。
大気の鮮やかな色が機体を包む。
万華鏡のような多彩な光を風が奏でた。
操縦桿をさらに倒す。突っ張って、ラダーを切った。
ストール。
可変ピッチ修正。
瞬間、エンジンが唸る。
機体は左へ傾く。
スロットル・ハイ。
機首が下へ落ちる。ぶるっと震えて、翼がついていく。
加速。
落ちろ、もっと速く。
舵が完全に戻る。
下を向いている。
シルフが真下に見えた。
黒塗りの機体に浮かぶ、白い球体と一対の羽。
一度ロールして、周囲を確認。
全然余裕。
シルフはやっと気づいて右へロール。
さあ、上がってこい!
じわじわと水平に戻し、背面に入れる。
フラップを下げる。
エレベータを引いた。
スナップで機体が翻る。
失速しない。
相手が前方で慌てて反転する。
遅い。
射程に入った。
撃つ。
機首で一瞬の閃光。
左へ抜けていく。煙が上がる。
左へ急旋回して離脱。
一瞬、フラップ、すぐに戻す。
半ロールで背面。
プレデターは中程から千切れていた。
黒い尾を引いて、赤土に落ちていく。
「ヒャッホウ!! 」最高にハイってやつだ。
自分の叫び声すら快感になる。
LSDジェネリックが与えてくれるのは共感覚だ。「リンゴ」という文字から、色が見え、音を聞き、感触を得て、味を知る。鋭敏な感覚が熱いシャワーみたいに僕に突き刺さる。
「げ……、これで、1002敗目なんだけど」
「スカイブルーだね」感じたままに僕は声を発した。
「え、どういうことリン? 」
「いや、シルフの声の色がスカイブルーだってこと」
「へえ、共感覚ってそういうことか」
「そうだね、本当に機体に乗ってるみたい」
「いいな、羨ましいな。きっと、楽しんだろうね」しみじみと、やわらかい感触の声だった。
「まあね、万華鏡みたいに刺激が沢山ある」僕は額から伝う汗を右手で拭った「でも、いいことばかりじゃない。副作用がまだよくわかっていないんだ。警察にみつかったら、所持しているだけで、たぶんOUT」
「依存性とか、禁断症状は? 」
「うーんと」僕は首を捻った。「僕達って空へ上がることにかなりの欲求があるでしょ。それに比べれば全然少ないと思うよ」
「ふむ、なるほどね。まあ、ダンスしている時が一番だっていうのは否定しない。でも、躰を大事にね、リン」
「大丈夫、疲れたときにしか使わないから」僕の返事は真っ白な空の色。
シルフと踊ってから、2時間。
僕はLocust退治に追われていた。既に日も落ち切っている。日本の空と違って、本当に真っ黒。帳が降りるとはこういう情景なのだろう。
機体を半ロール。
景色に変化はない。上も下も区別なく黒。
星々は嘘のように鮮明だ。きっと、光害がないからに違いない。子供の頃に科学館で見たプラネタリウムとそっくりで、ちょっぴりおかしかった。
夜空を満喫したので、サーマルを入れ直す。
機載カメラで熱観測を行い、ノートPCのアプリが仮想HUDに補正をかける。それを頼りに、僕は機体を操っていた。
肉体的な疲労はほとんどないけれど、精神はかなり疲れている。脳だって肉体なんだから、乳酸がたまるかもしれない。こういうシチュエーションだとAIのが便利だ。
ドローンのジャハードは既に省エネモードで飛行中。Locustくらいなら省エネで大丈夫だと、上から無茶なお達しを貰ったからだ。
メータに気をかけながらコントローラを触る。機体のご機嫌をとるために、操縦しているようなものだった。僕は一体のLocustにつき、一発の弾で確実に仕留めていく。
『ねえ、アーデル』からからの声で僕は呼びかけた。『これ、いつ終わるの? 』
『どうにも、イナゴがいなくなるより、バッテリ切れか弾切れの方が早そうだな』彼のしなだれた声に、疲労の色が見えた『ところで、リン。“クスリ”持ってねえか』
『いや、あるけど』僕はケースを振って、シャカシャカと音を立てる。『物理的な距離で無理でしょ』
『そうなんだよな、距離がな。いいや、需品部に多めに出してもらえように頼んでおく。リン、お前はどうする? 』
『僕は用法用量を守ることにするよ』
『了解、いつも通りだな。――――って、おい! 速い奴が来てるぞ!! 』
『そっちの観測情報を』
『わかった』
すぐにデータリンクされ、レーダが楕円に拡張される。
そして、マーカが映った。
プレデターを超える速度。
だが、音速ではない。おそらく、回転翼機だろう。
僕がいる空域よりも、アーデルの方が3000ほど近い。
『ほんとだ、敵だよね? アーデル』
『そうだろうな、まず俺がやるから、援護に来てくれ』
『OK。でもさ』僕は首を傾げて見せた。『省エネ中にどうやって踊るのさ? 』
『そういや、そうだな。偵察くらいに留めておく』
『了解、僕もそっちに行ってみる』
最高速度の4分1で、僕はアーデルの下へ向かった。
『おい、これ、見た目はプレデターっぽいぞ』
『なるほど、そうか』
『げっ、撃ってきやがった』
『逃げた方がよさそうだね』
『いや、オレのアラディンはここでお陀仏だ。お前のジャハードだけでも、帰投させておけ――――おい、こいつもシルフか!? キャノピの後部にマーキングがあるぞ』
『え!? ていうかさ、どうやって確認したの? 』
『アラディンの暗視装置はサーマルじゃなくて、光学増幅式だから機銃の瞬きで十分なんだ』
『ああ、そういえば。すまない、一度切る』僕はそう告げて、Skypeの窓を閉じた。「ねえ、シルフ、5機だって言ったよね」
「いや、僕は知らない。もしかしたら、あいつかも。お願い、迷惑じゃなかったら、確かめてもらえないかな。そのマーキングの形を」
「いいよ、省エネ巡航だって、僕は負けるつもりないしね」
言い終わった直後、レーダからアーデル機がロストした。
彼の双発機を撃墜した機体が向かってくる。回転翼機の理論限界に到達するほどの速度だ。
僕は力学的エネルギィを増やすため、高度を上げる。奴もそれを察してか高度を上げてきた。このままいけば水平平面でぶつかるだろう。それでいい、ヘッドトゥヘッドなら、速度は足し算される。
30秒もしないで、熱観測補正がかかった視界に、敵機が映った。橙に映し出されたシルエットは曖昧だが、確かに、プレデターだと認識できる。
マーキングを確認するため、熱観測補正を解除。マクロを開いて、1秒ごとに熱観測がつくよう、設定変更。
チカチカと暗視装置がついたり消えたり。
相手はこちらの速度をどう思うだろうか。
真正面と見せかけて、半ラダーに入れておく。
みるみる近づく。
シルエットが大きくなる。
あと、
4秒で、お互いの射程に入る。
3,2,1、撃った。
ピッチ・アップ。
エルロンを倒して、半ロール。
背面で接近。すれちがいざまに機銃を連射。その光で、敵機を照らすよう試みる。
でも、てんでダメだ。
後ろに張り付くくらいしないと、分からないだろう。
奴は、機首をこちらに向けて、上がってきた。
少なくとも、シルフの機動ではない。そう、直観した。
シルフのそれよりも、直線的で、鋭角的で、鋭い。そんな印象。
奴は上がりながら、ロールしている。
こちらの速度は上がらない。
省エネを強制解除。
バッテリ残量はレッドゾーン。4%しか残っていない。
やむなく、省エネモードに再設定。
機首を倒す。
トルクで右へ。
ぐずぐずするな。
後ろにつかれそうだ。
迷っている暇はない。
上昇は控えよう。
エレベータを引き、そのまま下へ。
この一瞬が危険。
撃ったか?
いや、大丈夫。
降下で速度を稼ぐ。
相手は右斜め後ろ、上方。
真下を向き、エレベータをさらに引く。
どのように、回避機動するか。
ラダーを引き切る。
操縦桿を素早く引く。
右主翼が失速。
コントローラブルな錐もみ。
即座に操縦桿をニュートラル。
ラダーを逆。
機体は風に舞うように、横転。
視界の右端に敵機が見えた。
スロットルを絞る。
半ロール。
キャノピとキャノピが向かい合わせに。
相手の機首が上がった。おそらく、ループに入る。
その直前、機銃を連射。
光が瞬く。
白いボンネットに、青いマーキング。
正六角形に鋭角の2対の羽?
「バンシーだ!! 」シルフが声を上げた。
僕の躰が少し震えた。
バンシー? また妖精シリーズか。
半ロールで追いかけるように、ループに入る。
いけるか。
ラダーを切る。
速力が足りない。
機体が軋む。
失速。
エレベータを引き、機首を下げる。
ループを済ませた相手は、後方だ。
ちょっと距離がある。
ナイフエッジで有効面積を減らす。
落ちながら、右へ旋回。
相手はまだ後ろ。
視界の端を線が抜ける。
一つ、
また一つ。
金属音が響いた。
食らった。
左翼端か。
視界にノイズ。
錐もみ。
落下。
舵が効かない。
落下。
真っ暗闇に落ちていく。
衝突。
音も、映像も残らなかった。
――くっそ!!
拳は固く握られていた。
Skypeをオン。
『すまない、やられた』
『いや、仕方ない。省エネ飛行だったしな』
『ああ、ジャハードが……』
『そんなに、落ち込むな。ジャハードなら予備はあるんだから』宥めるように優しい声音。アーデルにしては珍しい。『あと、アズハルから伝言がある。反省会はまた後日、日取りはメールで伝える、だそうだ。では、お疲れさん。日本ではもう夜明けに近いんじゃないか』
『あー、うん』僕はデジタル時計を盗み見る。『もう、5:00だ。今日も大学休む』
『そうしろ、そうしろ、そしてこっちに就職しちまえ』
『まあ、選択肢としてはありだね。そうだ、20ほどLocust残ってるけど、それは大丈夫そう? 』
『地上からも攻撃できる。アラブの戦士をあまりなめるなよ』
『OK。それを聞いて安心した。では、お疲れ様。ティスバフ アラへール』
『なんだそりゃ。ウ インタ ミン アフロ』
こちらがお休みと言うと、アーデルも笑いながら定型文で返してくれた。
今日は、丸一日起きていた気がする。
抜け殻が風に流されるみたいに、ベッドへ倒れ込んだ。
躰全体が錆びついてしまったみたいに重かった。
自分の熱が冷えた布団を少しずつ温める。自分は生きているのだと、無駄に実感した。
「シルフ、お休み」
「そうだね、お休み、リン」
「あ、そうだ」僕は端末へ向けてひとさし指を伸ばした。「今回のダンスをしっかり復習しておくように。これはまあ、僕もなんだけど」
「うん、それはもちろん。いよいよ、カウントダウンが告げられたみたいだから…………」
スカイブルーの声を灰色の雲が覆ていた。
スカイ・クロラシリーズの中で一番好きなキャラは瑞季ちゃんです。
真相を知った後に読む、瑞樹とユーヒチ君の会話が凄くいいですね。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
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酷評でも批判でも、何でも欲しいです。
全てが研鑽になります。
どうか、ご指導、ご鞭撻のほどを、よろしくお願いします。