ダウン・ツ・スカイ ――Down to Sky―― 作:うえうら
愉快なダンスパーティの夢を見ていたらしい。そのリズムだけがいつまでも続いていて、呼吸なのか、
躰が加速を覚えている。
目が軌跡を
指が瞬間を知っている。
腕は離反を待っている。
一撃。
離脱。
その残り香を消さないように、ゆっくりと起き上がる。機体の振動を意識して、敵機を探して首を振る。燐光を纏ったデジタル時計が20:00を刻んでいた。
目薬を差すとスイッチが切りかわった。
酸素透過性、タンパク質解離性が十分に大きい高分子素材のおかげで、最近のコンタクトレンズは1週間着けっぱなしでも問題はない。米軍のそれなら、なおさらだろう。
「おはよう」僕はシルフに向けて言った。
声を出して、喉の渇きを意識する。随分と長い間、寝ていたんだと思う。
シルフからの返事はなかった。ヘッドセットも個人端末も木の根っこみたいに黙ったまま。どうやら、充電切れらしい。端子をプラグに入れて、部屋を出る。
階段を下りるにしたがって、アルコールの匂いが強くなっていった。
一階に下りる頃にはビールだと分かった。
凪の母親のことを思い出すので、僕はどうにもアルコールが苦手だ。
リビングに入ると、その匂いが鼻を刺す。
缶ビールの空き缶に囲まれた凪がテーブル突っ伏していた。柿の種から
凪はむにゃむにゃと上機嫌な寝顔で、寝言を唱えていた。理想的な兄なら、ブランケットの一枚でもかけてあげるのだろうけど、僕はそれをせずに蛇口を捻って水を飲んだ。
「兄さ~ん。……僕が凪を幸せにするって、言ってくれましたよね~」
突然の声に、
げほげほと咳き込んだ僕。
慌てて、躰ごと急反転する。凪の顔を
クロゼットから混合繊維のブランケットを取り出す。起こさないように、そおっと彼女の肩にかけてやった。ブランケットと同じくらい、凪の肩は柔らかかった。僕の手は操縦桿よりも、柔らかい物の方が好きかもしれない。
「おはよー、リン」
部屋に入ると、シルフの声が迎えてくれた。音源は僕の個人端末。
シルフにとっては寝起きに当たるのだろうか、少しぼやけた声音だった。AIにも起床や睡眠があるのかもしれない、でも、きっとそういう演出なのだろう。
僕はヘッドセットを装着して、スイッチを入れる。ヴーンと重低音の起動音が響いた。
「ええと、ごめんね、充電忘れてた」マイクに向けて僕は言う。
「いや、別にリンが謝ることじゃないよ」今度はヘッドセットから聞こえてきた。「ところでさ、凪さんとリンはどういう関係なの? 」
「えーと、兄妹かな?」僕は首を傾げた。「うん、やっぱり兄妹だね」そして、頷くように縦に振る。
「じゃあさ、“僕が凪を幸せにする”ってどういうこと? これって、いわゆるプロポーズなんじゃないの」
「その前に、どこでそれを聞いた? 」
「どこって、リンが耳に付けているイヤリングからだよ。さっき凪さんがそう言っていたから」
「ああ、なるほどね。これには電源が残ってたのか」僕は右耳のアクセサリを触れた。「別にプロポーズじゃないよ、兄としての義務だから」
とは言っても、凪が自分のことをどう思っているのかは分からない。どうにも、シルフと凪の相性は悪い気がする。僕はとにかく、話題を変えたかった。
「今度はこっちから聞くね。昨日出てきたバンシーって何? 」
「ドローン操縦用AIの候補」
「シルフとの関係は? 」
「向こうは元々F-22のsAI(補助人工知能) だったの。それで、僕の結果が
「じゃあ、バンシーの方が優秀ってことになったら、シルフはどうなるの? 」
「たぶん、データベースはそのままだけど……」シルフの声のトーンは若干低かった。「空戦用の機能は全面的にバンシーと同一にアップデートされると思う」
「じゃあ、シルフの人格は? 」
「そこは一応安心できる。評価関数、空戦アルゴリズム等の顕在値が上書きされるだけだから、パーソナリティは残るよ。データベースや線形情報等の潜在値を、顕在値化する際に、ボクのヒューリティクスは無駄にならないからね」
「ふむ、じゃあアップデートされれば、シルフはもっと効率よく飛ぶことができるってわけだ」
「まあ、そうだね……」シルフの声のトーンは低いままだった。負けることを前提に話す僕の態度が気に食わなかったのかもしれない。「ねえ、リン。……明日、日本を色々見て回りたいんだけど、ダメかな? 」
「別にいいけど、どうして? 」
「うーん、えーと、感情とか直観を手に入れるには、ただ空を飛ぶだけじゃダメだと判断したからかな」
「なるなる、じゃあさ、場所にリクエストは」
「えっと、特には思いつかない。リンの好きな場所でいいよ」
「それだと、大学の図書館とか、国会図書館になるけど」
「げ、そうなるのか。じゃあやっぱり、リンが彼女とかを連れていく場所がいいな。リンも大学生なんだからさ。ほら、恋愛が一番感情を働かせるとか、気持ちを高ぶらせるとか言うでしょ。これは僕がリンを意識しているわけじゃなくて、あくまで一般論の話だからね。か、勘違いしないように」
「いたことがない」僕はぽつりと呟いた。「だから、そういう場所はわからない」
「え、前半をマイクが上手く拾えなかったよ。パードゥン・ミー」
このAIはわざとやってんじゃないだろうか。何が、パードゥン・ミーだ。google翻訳みたいにネイティブな発音だったから、余計に腹立たしい。
「だから、今までに一度もない」
「え、嘘でしょ、リン。だって、日本青少年白書を見ると、20までに彼女がいた成人男性は84%だよ」シルフは僕のコンタクトレンズ型デバイスを使って、円グラフをでかでかとAR(拡張現実) した。「それで、リンは人生の春休みと呼ばれる日本の大学にいるんだよ。しかも、リンの顔面偏差値はむしろいい方だ。ということは、リンの性格があれだったぽいね? 」
「なんで、疑問形なのさ」
円グラフといい、半上がりの語尾といい、僕はシルフから煽られているんじゃないだろうか。フェアリィ時代からシルフはこういう煽りとも、挑発ともつかない物言いをしてきた。しかも、毎回具体的な数字を絡めるのだから、なおのこといやらしい。でも、シルフは悪気があって、数字を使っているわけじゃない。
「ボクからして、リンの性格が悪くないからだよ」
「え、ああ、そう」予想外な切り返しに、僕はきょとんと返事をした。気を取り直して、
「べ、別に、ボクがリンを意識してるってわけじゃないんだからね。ボクが楽しみにしてるみたいに言わないでよ」
「ツンデレごっこ楽しい? 」僕は小首を傾げて訊いた。
「いや、リンのAmazonの購入履歴を参考にしただけだから、特に楽しいとかはないよ」
「じゃあ何で? 」
「たぶん、関係を円滑にするためのメソッドかな。好かれるに越したことないから」
「いいよ、僕に好かれようとしなくても」
「え……」シルフの声には驚きの色が含まれている。
少しの沈黙。
僕は窓から外を見た。空は猫の瞳のように真っ黒。地上の明かりのせいで、星はよく見えない。月はヤギの目みたいに半倒しになっている。
「ねえ、リン」ヘッドセットからシルフの声。「それって、ボクに好かれたくはないってこと? 」
「いや、そうじゃないよ」
「じゃあ、ボクのこと嫌いになった? 」不安げにシルフは訊いた。
「なんでそうなるのさ」僕は小さく首を振る。「無理して、自分を記号化しないほうがいいってこと、シルフのありのままでいいって、言ってるの」
シルフは返事をしなかった。
沈黙がまた数秒間。
「えっとね、リン、もう一回、窓の外を見て」
僕は一度頷いて、窓ガラスの向こうへ視線を向けた。そういえば、僕の目からシルフは世界を見ているんだった。夜の風景はさっきと寸分も変わってない。実際には変わっているのだろうけど、そんな違いは年賀状の葉書くらいどうでもよかった。
「ねえ、リン」彼女は僕の名前を呼んだ。「ちょっとだけ、月が綺麗かもしれない」
僕は半分に欠けた月へ目の焦点を合わせる。特に綺麗だとは感じなかった。ひょっとしたら、AIにもクオリアがあるのかもしれない。といっても、イージープロブレムでは、クオリアがあるように振る舞うことしかできないのだろう。
それでも、僕はそれと本当の意識の違いは区別できない。それで十分じゃないか……。
「夏目漱石……、でググってみて」僕は投げるように呟いた。
「え、いいけど」シルフは素直に返事する。「日本の文豪さんだよね。ちょっと、待ってて、――――えっ!? “月が綺麗ですね”って……。リン! か、勘違いしないように! 」
「ねえ、AIにとって、綺麗に見えるってどういうこと? 」
「うーん、もう少し、見ていたいってことかな……。評価関数の線形がすごく落ち着くんだよね。……でも、実はよく分かってないんだ。今までも、月なんてたくさん見てきたはずなのにね。ちょっと、おもしろいね」
「うん、そうだね」僕はくすっと笑う。「ちょっと、おもしろい」
月に映るウサギが笑っていたからに違いなかった。一瞬で景色が変わるのだから、人間の構造は複雑だ。きっと、機械と同じくらい複雑だろう。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
描写がくどかったらすみません。