ダウン・ツ・スカイ ――Down to Sky――   作:うえうら

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シルフが可愛く書かれているかが重要。




09 可逆的な記憶

 水曜日の10:00。6月らしくじめっとした空気。

僕は大学の反対側へ向かう電車に揺られていた。国立大学らしく、その錆びた建物は辺鄙(へんぴ)な場所にある。つまり、今は街の中心の方へ向かっているってこと。

 個人端末を改札機にかざして、駅を出る。楕円のロータリィを右手に見ながら、一段高くなっている歩道を歩く。通行人の多くが若い。県庁所在地なだけあって、道路は3車線。黒いバンが苦しそうにガスを吐き出していた。

「53、56」シルフは数字を唱えた。「あっちの眼鏡の人は58、パン屋さんの近くの金髪さんは63だね」

「それ、顔面偏差値? 」ヘッドセットのマイクに向けて僕はきく。

「そうだけど」あっけからんとシルフは答える。

 50以下の数値が読み上がらないのはシルフの優しさゆえでなく、彼女の仕様書がそうさせているからだろう。

「いちいち偏差値を言わなくっていいてば」

「あ、ごめんね、ボクの視覚インターフェースに勝手に数字が出るから読み上げちゃった」

「OFFにはできないの? 」

「できるけど、刺激がたくさんあったほうが、進化論的手法には好ましいからね」

「ああ、なるほどね」僕は頷く。「環境の変化が大事だもんね」

「そうそう、そういうこと。……ところで、リン。さっきから、キミの方に視線が沢山向いているけど、どうして」

「え、そうかな」僕は辺りを見回した。確かに、その気がある。(いぶか)しがられるような、好奇の視線。「これはたぶん、僕が独り言を呟いてるように見えてるんだと思う」

「あ、そうか、すまないね、リン」

「いや、別に」僕は小さく首を振った。

 歩みを進め、オープンカウンタのパン屋を通り過ぎる。その先には、歳のいった爺さんがやってそうな床屋があった。古ぼけた磨りガラスに細い亀裂が走っていて、年季が窺える。その床屋も、左側に流れて、通り過ぎた。

「左! 」ヘッドセットから声がした。

「左がどうしたの」僕は首を振った。

 ドローンの飛行中みたいに、素早く視線をやったと思う。

「やっぱり……!? 」シルフの驚いた声。「ねえ、アレ、昇っ……!? 」

「昇ってるって、あれが? 」僕は床屋のサインポール――赤、白、青がスパイラルしているあの棒――を指さした。

「そうだよ! おかしいよ! 無限に上に! 」

「うん」僕は頷く。

「歪んでる! 時空が!! 」

「あの、シルフさん? 」僕の語尾は半上がりになっていた。「本気で言ってる? 」

「本気だよ! おかしいって、絶対」

 ヘッドセットからの声がやかましかったので、僕はそれを耳から少し離した。

「“サインポール”でググってみて」

「わかったよ。ちょっと待ってて。――――あ、なるほどね、そういう原理ね」

 シルフが検索を終えて、理解するまでに3秒もかからなかった。僕は、偏った高性能だと嘆息した。そして、彼女がやってきて以来の疑問を口に出す。

「もしかしなくても、シルフってさ、一般常識に疎いんじゃない? 」

「え、そんなことはないと思うけど。いきなりそんなことを言うなんて、キミは失礼なヤツだね」

「でも、この前、僕がお弁当を食べているときに、残さず食べろって、バランと魚の形をした醤油差しを食べさせようとしたよね。野菜と小魚と勘違いしてさ」

「いや、あれは、日本独特の文化だから……」

「それって文化? まあ、それは置いておいて、では、ここで問題」僕はバラエティっぽく声を作って言った。「失速する寸前にエレベータを引くと、左ラダーへ取られるのは何故? 」

「それはプッシャの場合だね」シルフは即答した。「普通の状態なら、そのままアップ方向へ機体が倒れ込むけど、失速ぎりぎりの場合に限っては、アップを引いた瞬間に機体が動いて、そのあと尾翼は完全に失速状態になってしまい、それ以上は、エレベータが効かなくなるんだ。すると、エンジンの回転のジャイロ効果の方が大きくなって、回転方向へ90度ずれるってわけだね」

 立て板に水とはまさにこのことで、シルフはつらつらと答えた。その声音は、若干得意げですらある。

「著しい知識の偏りがあるね」

「えっとね、これは仕方がないんだよ。空戦用の知識とか、流体力学の計測表とか、最近の記憶は顕在値に収められているんだけど、日常生活に必要な知識や一般常識は全て潜在値に収められているんだ。潜在値を全て顕在化したら、ボクの意識が、言い換えればボクのヒューリティクスの処理能力が追い付かないんだよね。あくまで、ボクは戦闘用だから、無駄なものは切り捨てて軽くしなくちゃいけないんだ……」

「ごめんね、変なこと言って」一度、僕は頭を下げた。

 自分の無神経さに少し嫌気がしたからだ。

 確かに、空を飛ぶときにそれらは無駄でしかない。でも、シルフは心や直観を求めて、今、地上にいる。たぶん、シルフは潜在値と顕在値を自分で振り分けることはできない。彼女自身、それをつらく思っているようだった。

 シルフは気にしてないと答えてくれた。

 でも、声のトーンは幾分低い。

 僕達2人は複合商業施設の方へ向けて歩いていく。歩道よりも、車道外側線のほうが広く、滑走路みたいに真っ直ぐな道路。空を見上げると、青空がビルの額縁に切り取られていた。排気ガスが沈殿した、ざらざらする空気。

「それって、例えると……」僕は思い出したように呟く。「意識と無意識みたいな関係だったけ」

「ああ、うん、そんな感じかな。まあ、でも僕の潜在値はキミの無意識と違って、機械可読なデータだけどね」

「うん、一応、僕も人工知能のディープラーニングを専攻しているから、なんとなく分かるよ」

「そういえば、そうだったね。ところで、ボクたちはどこへ向かっているの? 」

「デパート。服、買いたくて、ほら、あそこ」僕は右斜め上に指を向ける。「シルフにも、服選び手伝ってもらおうかなって、お返しに、シルフに何か買ってあげたいし」

「え、いいの!? 」シルフの声が跳ねる。「何を買ってもらおうかな。そこまで言われたら頑張るしかないね。ボクのデータベースと演算処理能力をフルに使って、リンをコーディネートしてあげる」

「うん、ありがとね」僕は上手に微笑んだと思う。

 5階建てのデパートへ歩いていく。橙の塗装は日光を反射して、その色相を赤に近づけていた。僕が横断歩道の白い部分だけを踏んで渡ると、シルフは機嫌いいのって訊いてきた。僕はくすっと笑った。少なくとも悪くない。講義をサボったせいかもしれない。夏物フェアとプリントされたのぼりが、空気力学に導かれて、(せわ)しなくはためいている。センサに動かされた自動ドアはスムーズに開く。大理石風味の床はまぶしかった。天井が映るくらいに磨かれているのだから、ちょっと不自然。だけど、自然なものの方がここにはきっと少ない。たぶん、田んぼしかない田舎に行ってもきっとそう。

 

 

8つの服飾店を回って、5万円ほど散財した。5日ほど前の戦闘で、この10倍を稼いだ僕には、これは大きい支出ではない。テレビゲームみたいに人を殺して手に入れた金で、僕は、今、手に持っている、こんなにも軽い紙袋を手に入れた。この右手はハンバーガーも食べれば、ボタンも留める。

 こういう偶然が許せない人もきっといるだろう。

 でも、

 僕には逆に、その理屈は理解できない。

 ショーウィンドウのシートと同じグラスファイバが、ロケット弾の翼に使われている。空戦用AIのコードの一部はGPL(Gun General Public License/オープンソースコード) に由来がある。ドローンはピザも運ぶし、鉛玉も配達する。人を殺すための製品も部品も、必ずしも人の死を望む人たちが作っているわけではない。

 意識しなくても、

 誰もが、どこかで、他人を殺している。

 結局は、間接か直接かの違いだ。

 たまたま、僕の比較優位が飛ぶ事にあっただけ。

 自分が踏ん張るのは当然のことだから、

 しかたがないことなんだ。

 服選びの最中、シックな色合いの方がリンに似合うね、とシルフは言ってくれた。アパレル店員はカジュアル系を推したけど、僕はシルフの評価関数を信じることにした。

「ありがとね、シルフのおかげでいい買い物ができたよ」僕はロゴの入った紙袋を目線の高さに掲げた。「シルフは何か欲しいものある? 」

「うーん……」シルフの声音は周囲の楽しげな喧騒とは対照的だった。さっきまでのはしゃぎっぷりが嘘みたいに。「ボクは物よりも、思い出が欲しいかな」

「え、思い出って、どういうこと」

「あ、これは言葉のあやだから、特に深い意味はないよ」

「シルフ」僕は彼女の名前を呼ぶ。「それ本当? 」

「本当だよ。そうだ、ボクは映画が見たいな。だってさ、デートの定番なんでしょ。楽しみだったから、昨日の夜、ちょっとブラウジングしていたんだ」

 シルフが話題の転換を図ったので、僕もそれに乗ることにした。これ以上追及したくもなかった。

「ここの映画館は三面あるけど、ジャンル何がいい? 」

「えっと、『プラスティック・メモリーズ』ってやつがいいな。たぶん、SF」

「えーと、直訳すると、“可逆的な記憶”か」

「うん、そうなるね。あらすじを説明しようか」

「ネタバレにならない程度に」僕は映画館のある地下へ足を向けた。

 エレベータに入って、ゆっくりとした降下を味わう。

 待ち時間は1時間。開始時間をよく知らずに、椅子で待っているのは30人ほどだった。自分のことを棚上げにして、平日のこの時間に暇な人たちだ、と僕は思った。待っている間、シルフはあらすじを説明してくれた。それを夢の話のように、僕は聞いていた。

 低い音程のブザーと共に、両開きのドアが開く。映画館特有の薄暗さに包まれる。

「あ、そうだ、リン」これは注意を引きつけるときのシルフの声。最近、何となく分かるようになってきた。「僕はリンの目を使っているんだから、スクリーンから目をはなさないようにね」

「じゃあ、最初にトイレに行ってくる」

 用を足した後、僕は後ろのほうの席についた。角度が急だと首を痛めそうなので、これは自分の躰を気遣ってのこと。

  

 

 シルフがまだ見たいと繰り返すから、結局、映画を三本見た。工夫もむなしく、僕は首を痛めた。首の裏に手を当てならがら、個人端末を覗く。凪からのLineが殺到していた。未読件数は99。僕は“先に夕ご飯を食べておいて”と返信した。

 その後、僕とシルフはゲームセンターへ向かった。これもシルフの希望だった。

 1階と2階に分かれている大きなところだ。外からでも、激しい音が伝わってくる。

 煙草の吸殻を(また)いで、自動ドアをくぐる。筐体から鳴り響く電子音と人の笑い声が間断ない。原色に近いサイリウム光は眼に悪そう。

「リンは凪さんと映画を見たりゲームセンターに行ったりするの? 」

「映画は何回かあるけど、ゲームセンターに行ったことはないよ」

「へへっ、じゃあボクがキミの初めてだね」

「初めてって……」

 女の子とゲーセンで遊ぶのはこれが最初ではない。でも、機嫌よさそうなシルフを前にして、僕はあえて口を挟まなかった。こういう生ぬるい優しさが世界を廻しているんだと思う。

 シルフに誘われて、ホラー風味のガンシューティングを遊ぶ。機銃を撃つ指で、僕はトリガを引いた。ゾンビから飛び散る体液は嫌悪感を覚えるレベルでリアル。服についたら、どうやっても染み抜きはできなそうだ。

 シルフは口うるさく、左とか右とか避けてとか、指示を繰り返した。その指示に混ざって、シルフの悲鳴が飛び出るのだから、僕は愉快だった。もちろん、僕も悲鳴を上げた。空でだって、こんなに笑えない。

 定番とも言える、クレーンゲームにも僕達は手を出す。とりあえず、500円突っ込んだ。狙うは、戦闘機を模したキィホルダ。たぶん、スホーイ系列。一回目は、僕がタイミングを外して、失敗。

「ねえ、リン」楽しげな声だった。

「何? 」ガラスに浮かぶ青年の顔は綻んでいる。

「左に3,56秒、奥に2,84秒で丁度いいと思う」

「え、計測したの? 」

「座標系と位置制御系を使ってね。アメリカ国防省の技術の(すい)を信じていいよ」

「そんな、戦車で畑を耕すみたいな真似を……」

 シルフが示すタイミングに従うと、あっという間に、2つとれた。残りの3回は、青い帽子をかぶった中学生に譲った。

「リン、ありがとう、記憶領域に焼き付けるからね。絶対、忘れないよ」

「そんな、大げさな……」僕は2つのキーホルダを眼前にかざす。

「ううん、絶対忘れない。あるいは、思い出すように努力する」

「ねえ、シルフ、どういうこと」僕は彼女の名前を呼んだ。できることなら、彼女の瞳を見て、その真意を確認したい。「昨日から、ちょっとおかしいよ」

「ふふっ、そうだね。ちょっと、ボク、おかしいかも」シルフは乾いた笑いを浮かべた。「でも、リンには言わなきゃね。ここはちょっと、うるさいから、場所を変えてもらってもいい? 」

 耳を塞ぎたくなるほどの大音量がゲームセンター内に響いていたけど、シルフの声だけがはっきりと音となって、僕の脳内に残響した。

 僕は声を出さず、ただ首を縦に振る。

 シルフの言葉を受け止められるだけの静けさを求めて外へ出る。心なしか、自動ドアの開閉が鈍かった。

 もう少し、このざわめきに浸っていたかったのかもしれない。流氷に乗ったオットセイみたいに嫌な予感がするんだ。

 




ここまで読んでくださってありがとうございます。
感想、お気に入り、評価ありがとうございます。

今回は描写が多め。
空戦描写ほしいですね。

スカイ・クロラ読み直しているのですが、やっぱりいいですね。

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