【Girls-und-Panzer】 砲声のカデンツァ 作:三式伊吹
マイバッハHL230P30の振動が、私を揺らし続けている。エンジンの機嫌は良さそうだった。
耳に入ってくるのは、静かな雑音。ヘッドフォン越しに入ってくる、ベンチレータとエンジンの音だけ…
薄暗い車内も慣れた物で、別段苦にはならない。額を流れる汗を、ハンカチで拭う。
鎖に繋いだ懐中時計を一瞥して、もうそろそろだと私は思った。
不意に…遠くからくぐもった音が聞こえた気がする。間の抜けた花火みたいな音。
《隊長。試合開始の合図です》無線機から通信が入った。私は一人頷く。
「事前の取り決め通り、Aチームは右翼を。Bチームは左翼を進んでください。Cチームは中央を前進。
重戦車を中心に陣形はパンツァーカイルを維持しつつ索敵を行ってください。全車、パンツァーフォー」
エンジンが唸りを上げて、クラッチが繋がれギアが咬み合う。鋼鉄の猛獣が動き出した。
小さく、溜息を零す。始まった。私の評価を決める…小さな小さな裁判が。
ペリスコープから見える外の風景を横目で眺めながら、何事も無ければ良いのに…と思った。
……この日、私は体の一部を失った……
何度も思い出す、記憶の欠片。繰り返し見てしまう。悪夢と言うキネマ。
身体の痛みは…消えてくれない。回り続ける車輪の様に、次がまた訪れる。
溜息を零して、私はベッドから抜け出した。
【Girls-und-Panzer】
砲声のカデンツァ
第一話:アイドリング…クラッチミート
肌寒い空気に身を包んで、顔を洗う。水は冷たい。
前日の内に仕込んでおいたサンドイッチを冷蔵庫から取り出す。しっかり落ち着いていた。
電気ケトルからお湯を注いで紅茶を作り、お茶が出るまでの間に着替えを終える。
ラジオのスイッチを入れて天気予報に耳を傾ける。今日は快晴らしい。風は少し強い。
ラジオのニュースと音楽に耳を傾けて静かに食事を終える。
「ごちそうさま」ぽつりと呟くのは、気持ちの篭ってない言葉。
身嗜みを整えて、鞄を背負うと私はドアを開ける。
…必要な家具以外、殆ど何も無い部屋を振り返って、ぼんやりと見つめる。
床の上にぽつんとある、菱形戦車のクッションに向けて一言。
「行ってきます…」
心にも無い言葉を呟いた。
潮風が頬を撫でていく。此処は学園艦。海を走る街。今日もカモメがキュウキュウと鳴いていた。
ぼんやりと通学路を歩いていく。商店街の横を歩くと、食べ物の良い香りがした。
一人、二人と、道を歩いていく生徒が増えていく。
今日は…入学式。播磨女学園の入学式。
新しいスタートであるけれども、少女の心は晴れずに居る。
心中を渦巻く不安で、ただ押しつぶされそうなのだ。
赤レンガで組まれたゴシック調を思わせる、雅な校舎が見えてきた。
これから三年間を、あの校舎で過ごすのか…と少女はぼんやりと思った。
…そうして、入学式の挨拶を終え、其々のクラスへと別れていく。
がやがやと姦しい教室。女の子の他愛も無いお喋り。
しかし、少女は静かだった。物憂げな表情でぼんやりとしていたからか。挨拶ぐらいなもので、声を掛けられる事は殆ど無い。やがて教師が現れて、各種の伝達事項や書類の配布を行った後、自己紹介と相成った。
ぼんやりとしていた少女の番が回ってくるのもそう遠からざる物だった。
後ろの席の少女に促され、少女は立ち上がり、小さく息を吸って、吐いた。
「この春から播磨にやってきました。神無月しおりと申します。宜しくお願いします」
可もなく不可もなく…他愛も無い挨拶が出来たと、少女…神無月しおりは安心した。
碌な挨拶も出来ないと、その後は悲惨である事を彼女は知っていたから。
「それじゃぁ、これにて本日のお題目は終り。クラブの勧誘とかあるから、自由に行動して頂戴」
教師の言葉に、教室は再び賑やかな空気になった。しおりは元気だなぁ…と周りの少女を見て思う。
「神無月しおりさんだっけ?宜しくー」
「えっ…?」
近くの少女から不意に声を掛けられ、神無月しおりは少し驚いた。
「ぼんやりしてるわね。低血圧とか?」
「あ、そう言う訳じゃ…ちょっと、賑やかな空気に慣れてなくて…宜しく」
名前も知らない少女が差し出す手を握り返そうと、手を差し出した所で、目の前の少女は小さく眉を潜めた。
「…えっと、私、何か?」
神無月しおりは小首を傾げた。何か変な事を言ってしまっただろうかと。しかし…
「あ、うぅん…なんでもないの。その、しおりさん…何だか手がぎこちないから…」
その言葉を聞いて、神無月しおりはハッとした。
「……ごめんなさい。以前…ちょっと怪我をしてしまったから」
「あ、うぅん!いいのいいの。なんかごめんね!」
そう言うと、名も無い少女は腫れ物を扱う様に彼女から離れていった。
…静かに自分の手を見つめるしおり。ぼんやりと、小さな溜息を零した。
やはり、自分は普通の少女に成れないのか…と。
「どしたのー?物憂げな顔してー。益々美人になっちゃうよ?」
「ふぁっ?」
素っ頓狂な言葉に驚くしおり。あたふたと周りを見渡すと目の前に此方を見つめる少女が居た。
「ふふっ…慌てる顔も可愛いなー。神無月しおりさん、だっけ?名前も綺麗だねー」
「…えっと、あの…」
息付く暇もなく、目の前の髪を三つ編みに結った少女は話し続けた。
「私、大島明海 って言うの。宜しく!神無月さん、美人だよねー。クールビューティーって言うの?」
「えと、その…」
「あ!もしかして私ばっかり喋って困ってる!?ごめんごめん。何だか神無月さんみたいな子って放って置けなくてさぁ。教室に入った時から気になってたんだぁ。何だかうちのクラスに物憂げな美女が居るぞーって」
「…はぁ…美女…?」
明海と名乗る少女の言葉にしおりは困惑する。しおりには縁遠い言葉であったからだ。
可愛いや、美しいと言う物は遠い世界の物だとばかり、ずっと感じていたのである。
「ともあれ、宜しくー。仲良くしよ?」
「…その、どうも…」
おずおずと、おぼつかない利き腕を差し出すと、明美は力強く握手をした。
「緊張してる?震えちゃって可愛いねー」
「そ、そう言う…訳じゃ」
ガンガンと押してくる明美の人柄にしおりはたじたじであった。しかし、彼女の笑顔は何故か、くすぐったい。しおりの背筋をぞわりとさせた。それは感じた事のない感覚であったけれど、不思議と悪い感じはしなかった。心地良いとさえ、しおりは思った。
「ねぇねぇ、神無月さんの事、名前で呼んでいーい? しおりって」
「ぇ…?」
「だから、名前で呼ぶの。私の事も、明海って呼んでいいから、ね? そうだなー…しおりんってどう? 可愛くない?」
「…なんだか、くすぐったい」
照れ臭そうにしおりは笑った。女の子とは、こんなにも眩しい生き物なのかとも思った。
苗字で呼ばれる事は何時もあったが、下の名前で呼ばれる事など、今までついぞ無かった。
「なんだかしおりん、遠い世界の人みたいだよー?大丈夫?」
「その…うん。私は…遠い世界の人みたいだから…ちょっとよく判らなくて、困ってるの」
しおりは明美の言葉を聞いて、つい思った事を口にしてしまったが…
「ぶふっ…!何それぇ!しおりん本当に何処かのお姫様でもしてたんじゃないのー!?名前も何だか雅だしー」
「あはは…お姫様…かぁ」
「んふふー…その言葉から察するに当らずとも遠からずーって感じ?しおりんの秘密、いつか暴いちゃおうーっと。
ところでさぁ?今日暇?よかったら一緒に部活とか見ていかない?」
「え、っと…その…私でいいのなら…」
唐突の申し出に驚きながらも、しおりは快諾する。すると明海はよっしゃぁ!と声を上げて立ち上がった。
「美人のお友達もゲットした所で、レッツゴーだよ!行こ?しおりん。青春は短いんだよぉ!」
「え、ぁっちょ、ちょっと待って…!」
鞄を掴んで、明海はしおりの手を引き教室を後にした。
そのパワフルな行動力にしおりはただ、圧倒されるだけである。
「大島さんって…パワフルだね」
「そう?昔からよく元気いいねーって言われるけど…て言うかしおりん。名前で呼んでよー?」
「あ…その、ごめん…なさい。人のことを名前で呼んだ事、無かったから…」
「違う違うー!責めてる訳じゃないから。元気出して!ね?」
ぱしぱしと背中を優しく叩いて明美はしおりを鼓舞してみせた。それにしおりも小さく頷く。
「それじゃ…あの。明海さん…」
「うん!」
「部活…見ようか?」
「うんうん!見に行こう見に行こう!どんな部活あるのかなぁ?」
その時、不意に校舎の窓硝子を揺らす振動と大きな音が響いた。すわ何事?とばかりに窓の向こうを見る明海と、聞き覚えのある音にしおりは身体がびくついた。独特の、ドロドロと言うくぐもった音。それはどうして、慣れた耳には聞き間違える事が出来ない音。
「わわっ…!?何の音!?」
「…V-2ディーゼルエンジンの音…T34…?」
「しおりん、知ってるの…?って、戦車が走ってる!あれ、戦車道の戦車かなぁ?」
それは遠く、運動グラウンドの上を走るT-34初期型の姿があった。態々車体の後ろに大きな旗を立てて、仰々しく「来たれ戦車道」と書かれていた。宛ら昔の軍事パレードの様でもある。土埃を上げて走る姿を見てか、グラウンドの傍ではしゃぐ女生徒達の姿も見て取れた。
「…この学校にも、戦車道あるんだ…」
「にしても凄い迫力だねー。しおりん、戦車のこと知ってるの?」
明海の何気ない言葉に、少し言葉を濁らせるのであった。
「…昔、少しね…」
「いいじゃん。戦車が好きでもー。私の友達にも戦車が好きな子一杯居たよー?」
「…戦車がすき、か…」
ぽつりと呟く姿に、明海はしおりからあまり良くない空気を感じ取った。
「まぁまぁ、行こうよ!ほらほら!面白い部活でも探そう?」
「あっ…うん」
促されるままに、しおりは明海と共に校舎を歩いた。時の流れは速い。
激流を流れる川の水の様である。こと、それがしおりが望んでいた普通の生活。
そして普通の女生徒らしい過ごし方であるのならば尚更の事であった。
学校帰りに寄り道をする事も初体験であれば、友人を自宅に招くと言う行為も初体験。
初めて尽くしの一日の中、不思議な充実感でしおりの心中は満ちていた。とても穏かで、そして楽しい…と。
明海と携帯電話の番号を交換し合い、彼女は緩やかにその一日を終えた。
……終えた筈であった……
耳を撫でる轟音。身体を揺さぶる車体の振動。金属と金属のぶつかり合う、甲高く耳障りな悲鳴。ペリスコープ越しに見える外の世界。囲まれる自分。此方を向く死神の黒点。そして鮮烈な光と轟音。滅多打ちにされる無茶苦茶な振動。そして次の瞬間…耐え切れずに絶叫する金属の音が響く。
熱が襲い掛かる。痛みが溢れ出す。激痛が、湧き出る油田の様に身体の中から噴出してくる。見える視界の中、血塗れになる自分。無くなった身体。繋がっているべきソレが力なく転がっていて…
しおりは声も無く悲鳴を上げた。右腕と右腋腹を押さえ、苦悶の声を漏らす。
幻肢痛が彼女を苛む。痛みの余り、彼女は求めた。救いを…
助けて、助けて…と弱々しく声を漏らす。涙で歪んだ世界の中、目に映った物は枕元に置いた携帯電話。夕暮れの中。 別れ時に言われた言葉を痛みで覚束無い頭が思い出す。
「しおりんはこっちに来て間もないから、困った事があったら私に言ってね。力になるよ!」
出来たばかりの友人の、優しい言葉。しかし、願っても良い物なのか?こんな自分が助けを求めても、許されるのか?余りの激痛に嘔吐してしまいそうになりながら彼女は僅かに悩み、しかし…震える指でコールした。
時は深夜の一時を過ぎている。こんな時間に電話を掛けるのは迷惑の極みである。そもそも、相手が電話に気が付くかも判らない。いや、気付かなくても良いとさえ、しおりは思った。他者に縋ると言う行為が心を楽にしたから。
幾つかの呼び出し音の後、女神は確かにそこに居た。眠たげな声が、聞こえてくる。
≪ふぁーい…誰ですかぁ…?≫
「…ぁ…けみ、さ…ん…」
痛みを押し殺して喉から声を絞り出す。思った様に喋れない。
≪…え?その声しおりん?しおりんなの?≫
「…いた…い…よ…たすけ…て……」
僅かに二言。たった二言を呟いて、しおりは携帯電話を手から落した。スピーカーからは、明海の声が響く。
≪しおりん…!?しおりん!?大丈夫なの!?しおりん!返事して!≫
友の声も意識の遠く。しおりはジクジクと痛む身体にほぼ意識を手放してしまいそうになっていた……
……それは、余りに突然の出来事。すやすやと安眠を貪っていた大島明海には正に寝耳に水の出来事。ベッドの直ぐ傍の机に置いていた携帯電話から着信音が響いた。夜更かしが好きな友人からの悪戯メールかと一瞬ばかりは考えたが、それは違う。電話の着信を知らせる音だったから。眠い目を擦って彼女は着信を受ける。
「ふぁーい…誰ですかぁ…?」
携帯電話の画面に映っている名前も見ずに彼女は答えた。人の睡眠を邪魔して一体誰なんだかと。しかし、スピーカーから聞こえてきたそれは彼女の予想を遙かに外れた声だった。
≪…ぁ…けみ、さ…ん…≫
苦しそうな息の中、震える声で聞こえたのは、今日出来たばかりの友達の声。物憂げな表情が酷く様になっていた、紅い瞳に黒い髪がとても似合う、美人の女の子。
そんな少女の声が、酷く苦しげな声が聞こえてきて、大島明海の眠気は一気に吹き飛んだ。
「…え?その声しおりん?しおりんなの?」
尋常ではない事を直ぐに理解し、聞き返す。一体何事があったのか。何故そんなに苦しげなのか。
そして次の瞬間、背筋が凍りつく様な言葉を彼女は耳にした。
≪…いた…い…よ…たすけ…て……≫
事切れるように、掠れた声で呟かれた声。救いを求める言葉。身体から血の気が引いてゆく。演技ではない。とてもではないが、演技で出せる声ではない。彼女の声は本当に、助けを求めていて…
「しおりん…!?しおりん!?大丈夫なの!?しおりん!返事して!」
夜中であり、自らの家はアパートの一室である事を知っていながら、大島明海は声を上げた。返事は無く、僅かに息苦しげな呼吸音が聞こえるだけ。明海はベッドから飛び出した。ダッフルコートをパジャマの上から着込み、スニーカーを履いてアパートを出る。お気に入りのロードバイクに跨って、彼女はペダルを思い切り踏み込んだ。前輪が僅かに浮き上がる。
全力疾走なら、友人の家まで5分と掛からない。かつてスポーツで鍛えた両足が唸りを上げる。
季節と潮風が相成って酷く寒かったが、寒さに根を上げる程明美の身体は柔ではなく、ただ、友達が心配だった。
彼女の住むこじんまりとしたアパートに辿り着くと、直ぐに管理者の部屋へと向かい、呼び鈴を鳴らした。
「すいません!すいません!起きてください!お願いです!」
ややあって、扉が開けられ、30代程の女性が眠たそうな顔を見せる。
「一体なんなの?こんな夜中に…」
「友達が、ここのアパートに住んでる友達が酷く苦しそうな声を出してて!電話してくれて!」
まだ通話の繋がっている携帯電話を見せて、彼女は僅かに聞こえる苦しそうな声を聞かせた。それを聞いた管理者は血相を変えて、合鍵を取り出すと明海と共にしおりの住む部屋へと走る。駆け上がる階段で足をもつれさせそうになりながら、ただ明海は心配で仕方が無かった。
「しおりん!大丈夫なの?今開けるよ!」
もたつく手で管理者が鍵を開けて、二人は中へと入っていった。そこには…
ベッドの上で震えて、苦しげに蹲る一人のちっぽけな少女の姿があった。
「しおりん!」
「神無月さん、大丈夫!?今すぐ病院を呼ぶわ!」
意識の大半を遠退かせていたしおりが、僅かに目を開ける。
痛みの余り、殆ど働かない頭が、目の前の友人を視界の中に認識した。
「…ぁ…け…み…さん…」
「大丈夫だから!確りして!何があったのしおりん!」
「…うれ……し…ぃ…」
余りにも的外れな言葉を呟いて、大粒の涙を流しながら、神無月しおりは意識を手放す。
しかし、その表情は幾らか落ち着いた表情のソレであった。
「しおりん!?確りして!救急車が来るから!しおりん!」
哀れな少女が助けを求めた、その同時刻…事件はもう一つ…起きていた。
電子音が携帯電話から発せられて、持ち主に着信を知らせる。
毛布の中から音を奏でる携帯電話を探り取ろうと、手がシーツの上を蠢いて、掴んだ。
緩慢な動作でボタンを押して着信を繋ぐ。持ち主は眠たそうに返事をした。
「はぁぃ…夜更けに何方さんでー…?……はぁ!?緊急事態やって!!それで、規模は!?」
少女は素早く飛び起き、部屋に掛けてあった時計を見た。時刻は、1時30分に少し至らない程か。
「うん…うん……あい判った。悪いけど、他の幹部にも緊急招集をかけて。ごめんね。直ぐに出向くから」
短い通話の後、彼女は携帯電話の通話を切ると、一人愚痴を零した。
「なんだって言うんよ!こんな時に!」
それから、やや暫く後のこと…学園艦艦橋構造物の中、幹部会議室に人々が集っていた。集められたのは運営役員の人々、船舶科の管理長と生徒、船舶科機関部の長、工業科の重鎮の生徒達。その他何名か。
沈痛な面持ちの面子が待つ部屋に、髪を結った少女が会議室の扉を開けて現れた。
「会長!」
「すまない遅くなった。状況は?」
「船舶科機関部の皆さんのお陰で大事には至りませんでしたが、最悪の事態です。メインリアクターのクアンタム・ハーモナイザーとフォトニック・レゾナンスチェンバーが不調を起こしています。本来此れらの部品は早々簡単に壊れない様に頑丈に出来ているのですが、何処かで無理が祟ったのか、パーツの異常消耗が見受けられて…つい先程、工業科の生徒の手も借りて応急処置は出来ましたが…」
「成る程…正直言って機械の事はさっぱり判らないけれども。それで、端的に言って何が起きる?何が問題だ?」
会長、と呼ばれた少女は手書きで纏められた情報ノートやメモ書きを流し見ながら真っ直ぐ切り込んだ。
「…会長…我が学園艦の危機です。申し上げましょう。このまま放っておいたら、学園艦のリアクターは作動を停止。一年以内に学園艦は只の海に浮かぶ鋼鉄のたらいと化します。即急に、修理するか…もしくは…」
「だったら修理すればいい!船舶科管理長!君はこの1年間、嵐や異常気象を前にしても素晴らしい航海指揮を取ってきた!何故言葉を濁らせる」
「お言葉ですが!」
船舶科管理長の少女は拳を握り締め、言葉を濁らせた。
「……メインリアクターのクアンタム・ハーモナイザーとフォトニック・レゾナンスチェンバーの修理には莫大な費用が掛かります。修理に要する期間だけで言えば、一月もあれば出来ますが…人で言えば心臓の移植手術に程近い行為です。ご理解頂けましたか?」
重々しい言葉に、会議室の面々は言葉を詰らせ、会長と呼ばれた少女は顔を押さえ苦悩した。
「…それで、その修理に必要な費用ってどれくらい掛かる物なのよ。管理長ちゃん…」
「…余りに莫大。としか…」
溜息が零れる。なんて酷い知らせであろうか。しかし…
「ともあれ、今はまだ、リアクターは動かせるんよね?」
「は…はい!だましだましの運転になりますが、サブリアクターもありますし」
「工業科と船舶科の機関部は協同してメンテと監視を行う。今は時間が必要だから…やれる事だけの事はやってみよう。それと生徒達に無用の混乱を避ける為にこの事に関しては緘口令を敷く。不安は生活を揺るがす大きな要素だから。あと、文科省には知られないように。出来るだけ隠密に動いて。学園艦運行委員会へは助力を仰ごう」
指示を出し終えた後、少女はぽつりと零した。莫大な資金か…と。果たしてそれがどれ程の物なのか。想像も付かない。一体幾らの金額を用意すれば良いのか。試算の目処も彼女の頭の中では立ちやしない。心中にて大きく溜息を零す。
不意に、少女の携帯電話に着信が掛かった。少女は他の面々に一言詫びて電話に出る。
「ああ、田宮。どうしたのこんな時間に」
≪会長…!会長!悪い知らせです…!≫
「もう既に悪い知らせなら受けてるんよー。それで?」
≪あの子が…あの子が!心臓麻痺で…!≫
少女は嗚咽を漏らしながら、呟く。
≪……つい、先程…亡くなりました……≫
その言葉に、少女は持っていた携帯電話を落してしまった。
…翌日。播磨学園艦病院の一室で、神無月しおりは目を覚ました。
何処となく見覚えのある天井。白くて、何も無い、天井の壁。
彼女は既視感に苛まされた。前にも見た気がする天井だ、と…
「あ、しおりん起きた…!心配したんだよ」
「……明海…さん……」
「大丈夫?具合、悪い所無い?痛いって電話で言ってたけど…お医者様がCTスキャンとかレントゲンとか撮ってみて身体の中は一応問題ないみたいって言ってたけれど…何があったの?話せる?無理に話さなくて良いけれど」
そうだ、起きたからお医者様呼ばないと…!と彼女はナースセンターへと歩いていった。
暫くして、問診を受ける。血圧を測ったり、心音を聞かれたり。
問題ないと言う事で、医者は去っていった。
「いやぁー良かった。取り敢えずは何も無いみたいで…吃驚したよ?電話のしおりん凄い苦しそうだったもん」
「…その、ごめんなさい…迷惑、だったよね…」
「うぅん!いいのいいの!それに、頼ってくれたんだって思えて、ちょっと嬉しかったし。しおりん、もしもアドレス教えなかったらあの後も一人で苦しんでたのかなーって病院に運んだ後に思って…初めて見た時もなんだか一人で抱え込んじゃいそうな子に思えたから」
友人の言葉を聞きながら、しおりはそっと腕をさすった。
その様子を明海は見逃さなかった。さする手使いが、重々しかったから。
「…右腕、どうかしたの?しおりん。そう言えば昨日の夜も何だか右腕を押さえてたけど…」
心配そうに呟く友の言葉に、しおりは何度か深呼吸を繰り返した後、そっと切り出した。
「…明海、さん…聞いて貰ってもいいかな」
「うんうん!聞いてあげる!何があったの?しおりん」
友人の瞳は真っ直ぐで。それは同時に恐ろしくもあったが、しおりはゆっくりと言葉を紡いだ。
ベッドの横に腰掛ける明海はそっと背中をさすってくれる。手の温もりが暖かかった。
「……私、昔…戦車道をやってた」
「戦車道!とても信じられない。けども…戦車に乗ったしおりんかぁ…なんだか凛々しそう」
「…小学校の頃からずっと…それで…中学三年の夏の終わりに…事故に遭った…」
しおりはゆっくりとパジャマのボタンを外していく。覚束無い手で。それでも、外し終えた。
ゆっくりと右腕の袖を抜いて、彼女は友人に己の右腕を晒して見せる。
「これがその時の傷…戦車の部品が壊れて、私の腕は…吹き飛ばされたの。二の腕から先を…だから、この腕は生体義手。感覚も、熱いも冷たいも判るけど…偽物の腕。その時の怪我の痛みを思い出して、あんな事になってしまうの。幻肢痛が、私を苛むの…」
目に見えて判る、腕の繋ぎ目。切られて、繋がれた断面から先の腕は、明らかに肌の色が白かった。その腕を見て、明海は口元を押さえる。嫌悪感や気分が悪くなったからではない。余りに悲惨であるからだ。
「…その事故があってから、腕を無くしてから…私は、戦車道を辞めて家を出たの。家に居るのが、辛かったから…」
静かに右腕に袖を通して、しおりは小さく溜息をついた。酷く疲れた。些細な説明ではあったのに。
「…迷惑、だったね…ごめんなさい…でも…明海さんに助けてって言えた時、とても嬉しかった…
誰かに頼るなんて今まで出来なかったから」
「…っ…迷惑だなんて!」
明海は咄嗟にしおりを抱きしめた。この少女は、なんていじらしいのだろうと。
「私、さっきも言ったけど、しおりんが頼ってくれて嬉しかったんだから…!
これからも、無理しないで、いいんだよ…?」
「…ぁ…ん…あり、がとう…」
「話し辛い事なのに、話してくれてありがとうね!私、しおりんが苦しかったら
何時でも何処でも駆けつけてあげるから!」
「…いいの?」
「友達が苦しんでるのに一人でお菓子食べたり笑ってたりなんて、してられないよ!」
ふんすとばかりに鼻息を力強く出して、少女は決意を露にする。それは滑稽でもあったが、酷く心強かった。
他者に頼ると言う事が、こんなにも心地よく暖かいとは思いもしなかった。
もっと、心苦しいものだとばかりとしおりは思っていた。
神無月しおりはその日の内に退院した。医者から、利くかどうか判らない痛み止めを貰って。
躓いてしまった学園生活を、彼女は友人に支えられながら再開する事にした。
春の麗らかな陽射しと、まだまだ寒い潮風が吹き付ける日々が流れた。しおりはどの部活に入るかを悩んでいた。色々と見て回ったし、気さくな先輩に話をして貰いもした。だが、其れでも彼女の心は決まらない。物足りなさと心の所在の無さを感じていた。有り体に言えば、どの部活も場違いに彼女には感じられていた。その事に対してしおりは独り儚んだ。普通の生活は出来ないのか、と…
校舎の屋上で物思いに耽っていると、今日も遠くのグラウンドで走っているT-34初期型の姿が見えた。
本音を言えば、然程興味はない。然し、暇であったから見てしまう。
「…動き、悪い…駆動系の調子が悪そう」
T-34の走りを見て、しおりはポツリと呟いた。加速も、減速も、どうにもごたついていた。ギアの入りが悪そうだと彼女は見抜いた。
学園に、鐘が鳴り響いた。下校を促す鐘の音だ。
気がつけば辺りもトップリと夕暮れが更けていた。肌寒くさえある。
「下校の時間かぁ」
不意に何処かからかそんな声が聞こえた。
この屋上には自分以外に誰も居ない筈…とばかりに、しおりは辺りを見渡した。
「どうしたの、キョロキョロしてるお嬢さん」
声の主は、視線の上…屋上に通じる階段の屋根の上、貯水タンクのある小さなスペースに、女の子が立っていた。
「ぁ…こんにちわ」
「どーも、こんにちわ。まだまだ寒いねぇ…」
梯子を伝って降りてくる少女はラフな雰囲気を纏っていた。背が高く、髪は短く、明るいグレー。
少しヤンチャな気配がしたが、人が悪そうだとは思えなかった。
そんな少女は目の前にしおりが居るのも厭わずに懐をまさぐると、紙巻き煙草とジッポライターを取り出して
火を点けようとした。…が、彼女の掌に納まっているジッポライターの機嫌は悪い様で、火花は散れども
一向に火が点かない。少女は舌打ちして機嫌の悪いジッポライターを懐に仕舞いこみ、
啣えた紙巻き煙草をどうした物かと睨んだ。そして…
「詰まらない事を聞くけど、ライターとか持ってたりしないよね?」
と少女ははにかみながらしおりに声を掛けた。彼女にとっては殆んど冗談のつもりだったのであろう。
しかし、彼女の予想に反してしおりは目の前の少女を驚かせて見せた。ベルトに吊るしていたポーチを開けると、古風なトレンチライターを取りだしキャップを下し開けると手慣れた手付きでしおりは少女の目の前に火を点して見せた。 少女は予想もしなかったしおりの意外なアクションに一瞬ばかり呆気に取られたが、
ヒュウ♪…と口を吹くと有り難く火を貰った。
しおりと少女の間に、バニラの甘い香りが漂った。
嘗て嗅いだ事のある煙草の煙は煙たい物だったか、これはそんなに酷くは無かった。
「火を有り難う、お嬢さん。見掛けに寄らないね。ライターの趣味も渋いし」
「…そうかしら?」
「うん。飾らない所も素敵だ。気に入ったよ君の事。また会おう」
少女はそう言うと煙草を吹かし、喫煙に満足すると校舎の中へと消えていった。
不思議な人だとしおりは思ったが、見掛けに寄らないと言われたからには、自分も相手から不思議な目で見られたのかもしれないとそう思った。
トレンチライターを仕舞ったポーチを撫でて、不意に彼女は思い出す。
その中に入れてあった、愛しい小さなモノを…
双葉葵は大いに悩んでいた。突然の人員の喪失にどうしたものかと頭を悩ませる。彼女の求めている人材は稀有な能力を有している事を条件としている。残念な事に事前に行った調査の中では今年の新入生の生徒の中にはその条件を満たしている人材が一人も存在しなかったのだ。果たして彼女は今決断に迫られていた。抱えている問題を悩み続け、ずるずると先送りには出来ないのである。
かと言って、既に己の配下に居る人材で賄う事も気が引けた。役職の重圧に耐えられるか?と言う疑問が耐えなかった。或いは、他の類似した能力を持ち合わせた生徒を見つけ出し、その人物に役職を与えるか。先日の葬式の中、棺桶の中で静かに眠り続ける友人の顔は悲しくなる位安らかであった事が彼女の脳裏を掠め続けた。
と、曲り角を曲がろうとして不意に出てきた人影と双葉葵はぶつかってしまった。あたっ、と小さく声を零して葵はたたらを踏む。相手もバランスを崩したらしい。
「あーごめんごめん、考え事しとったから不注意しちゃってねー」
「いえ、大丈夫ですから…って、葵センパイ?」
ぶつかった相手…大島明海は驚いた。嘗て同じ中等部の学園艦に在籍していた先輩が目の前にいたのだから。
「あー!明海ちゃんじゃーん。元気してたー?」
「はい!元気一杯ですよー。水泳はちょっと止めちゃいましたけどねー」
「そっかー。明海ちゃん元気良かったから大会でいい成績取れると思ってたんだけどねぇ」
「井の中の蛙、大海を知らずーって奴ですよー。まぁ大会に出たのが楽しかったから良かったんですけど。そう言えば葵センパイ、今は生徒会長やってるんでしたっけー。凄いですね?学校の王様ですよ王様!」
「いやぁーそうは言うねんけども、王様ってーのも大変なもんでねー」
他愛も無い昔話を交わして、双葉葵は久方ぶりの心の平穏を味わっていた。
嗚呼、彼女なら件の役職には適さないものの、きっと大いに支えてくれるサポーターとなるだろうと頭の隅で考えていた。大島明海はスポーツマンである。水泳を好み、嘗ては陸の地域大会に出た事もあった。
残念ながら入賞ならずではあったが…
「所で、葵センパイ何か悩んでたみたいですけどもどうしたんです?私で良かったら話乗っちゃいますよ!ドーンって!」
彼女、大島明海はそう言うとエヘンとばかりに胸を張った。
その明るい性格が昔から先輩、後輩を問わずに人気だった。
「やーもー困ってるんよねー。今まで戦車道やっとった大事な人が戦車道出来なくなっちゃってさー…もうどうしたらええもんだろーって悩んで悩んで。昔戦車道やっとった人今年は新入生におらへんしー」
やれやれ、参ったものだねと言葉を続けながら双葉葵は肩を竦めるリアクションをしてみせた。
しかし目の前の大島明海は彼女の言葉にキョトンとする。『新入生の中に戦車道をしていた人が居ない』だと…?
「葵センパイ、そんなに戦車道してた人を探してるって事は、物凄く困ってます?」
「困ってる困ってる。オットー大先生、今すぐ女子高生になってウチの所に来てくださいー!って願いたいくらいよー」
「はぁ…うーん…その、何かの間違いじゃないんですか?一人も居ないーって。
ウチの学校、制服とか可愛くて色々人気だから毎年少なくない入学生居るし。戦車道してたって言う子も居たし…」
「居たの!?」
双葉葵は可愛い後輩の漏らした言葉に文字通り食いついた。彼女の両腕を掴んで必死になって顔を見つめる。
「ひゃひっ!?え、ぁ…そのー、昔やってたーって言ってる子で…でも、本人が今は戦車道は止めちゃったーって…」
「それで、誰!?教えてーな!お願い!」
鬼気迫る物を感じさせる、藁にも縋るような真剣な言葉で双葉葵は切願した。中学時代、自分を可愛がってくれた先輩のその姿に大島明海は大いに悩んだが…彼女は折れた。
「その…神無月しおりって言う子で…」
「しおりちゃんやね!ありがとぉ!」
「あ、ちょっ!?葵センパイ!しおりん、今何処に居るかなんて判りませんよぉー!?」
駆け出した葵に向かって明海は声を掛けるが、その言葉は耳に届いてや居なかった。彼女は一年生の校舎へと駆け出していた。可愛い後輩のクラスは把握していたからもしもまだ校内に残っている可能性があるとすればその周囲に居るかもしれない、と。走りながらに彼女は携帯電話を懐より取り出し、短縮アドレスを押した。
「長谷川!悪いけどとある生徒の事を調べてくれない?大至急!それと身なりとかも」
《会長、どうしたんです急に?勿論調べますけども》
「うちが今探してる人材なのかも知れないんだよ!名前はカンナヅキシオリ!学年は1年生!」
《人材…って事は戦車道の!?直ぐに調べます》
「サンキュー!愛してるよ長谷川ー!」
頭頂部で結った二つの髪を靡かせながら曲り角を駆け抜け、部活動具を運んでいた生徒達の横をすり抜けていき、双葉は走った。嗚呼、窓の外から見える校舎は黄昏時の赤色に染まっている。一日でも一分でも早く、彼女と話がしたい。 タイムイズマネー。正に時は金なりであった。彼女にとっては一分一秒さえも惜しい状況である。
《会長、聞こえますか?情報が出ました。神無月しおり、普通科の一年生で16歳。今年外部からの入学。人相は黒い髪を伸ばして、ルビーの様に赤い瞳。まるでお姫様か良い所のお嬢様みたいな美少女ですね。小、中学校時代は甲斐女学園と言う所で9年間を過ごしていた模様ですが…彼女の経歴には戦車のセの字もありませんよ?》
「んな馬鹿な!?ウチ聞いたよ、戦車してたーって」
《はぁ…とりあえず、もう少し調べてみますけども、どうします?》
「おっねがーい!宜しくね!あと出来たら校内放送かけて!居たら生徒会室まで来て下さいって!」
《了解しました。ご健闘を》
「おおきに!」
電話の通話を切ると同時に、一年生の校舎に辿り着き、教室を次々に見て回る。まだ残っている生徒達はそれなりに居たが、果たして黒髪の美少女の姿は無い。一つずつ虱潰しに探しているウチに下校の知らせの鐘の音が鳴り、校内放送も流された。果たしてこれは当てが外れてしまったか、と校舎の教室を見て回り終え、どうしたものかと双葉葵は途方にくれた。
こうなったならば、生徒会室で件の美少女が来てくれる事を祈るか、可愛い後輩に所在を聞いてみるかと悩んでいた所に…
不意に、旋律が聞こえてきた。緩く、少し調子の外れた音が、微かに耳に届いてきた。吹奏楽部の部室は今、彼女が居る校舎の中には無い。また、かと言って個人でバンドを組み、セッションをしている生徒の姿が無い事は、虱潰しに教室を見てきた彼女が一番知っている。
だとすれば、誰かが演奏しているのだ。
パンツァーリートを。戦車兵の歌を。
流行の音楽は幾らでもある。それなのに、酔狂にもハーモニカで演奏している誰かが居る。双葉葵は再び駆け出した。メロディの元へと。階段に近付いて、僅かに音が強まった。耳を傾ければ、頭上から聞こえてくる。もしや、屋上かと思い彼女は階段を登った。一歩一歩、それは確かに近付いていく。微かに聞き取れた程度の音は、確かに聞き取れる程になる。
期待と、違っていた時の落胆が胸の中で綯い交ぜになりながら彼女は屋上へと続く階段を登った。もう音ははっきりと聞こえてくる。何度も繰り返される、パンツァーリートのメロディ。覚束無い旋律は、何時しか足取りも強く、軽快に曲を刻んでゆく。
屋上に通じる薄いドアを開けると、少女が黄昏の中に立っていた。
黒瑪瑙の様に艶やかなロングの髪を、春先の寒い風に弄ばれながら、ハーモニカを独り吹いている。最後の旋律を吹き終えた所で、少女は静かに振り返った。ルビーの様に赤い瞳の、美少女だった。
罰が悪そうに、ドアの向こうから現れた此方をそっと見つめていた。
「あの…ご迷惑でしたか?」
静かな声がおずおずと語りかけてくる。清楚な声だと、葵は思った。
成る程、確かにこれは良い所のお嬢様か何かだ、と。
「いやいや全然!可愛いパンツァーリートが聞こえてくるなぁーって思って足を運んだだけなんよー」
「…そうですか」
「所で美人のお嬢ちゃん、お名前はー?」
「…神無月、と申します」
「若しかして、神無月しおりちゃんだったりするー?人を探してるんよねー」
勤めて、双葉葵は笑顔で接した。少しでも彼女に恐怖感を持たれない様に、出来るだけフレンドリーに行こうと。
「…えぇ、神無月しおりです…他に、同じ名前の人が居なければ…」
「そっかー!いやー良かったぁー。実を言うと折り入って相談があるんだよねーしおりちゃんに」
「私に…相談…?」
彼女は手にしていた銀色のハーモニカをポーチに仕舞いこみながら、小首を傾げた。
果たして入学したての自分に何の用であろう、と。
「…お願いします!戦車道してるって他の子から聞いたんよ!ウチの学校の、戦車道に入ってください!この通り!」
葵は、形振り構わずに地面に膝を付くと、土下座をした。突然の出来事に、しおりは呆然とする。
「えーとなんだっけ。そう、昔やってて、今は戦車道やってないって聞いたんよね。
何で辞めてしもうたかなんて知らないけども今、ウチの学校は戦車道出来る人が欲しいんよ!この通り!ちょっとだけ話を聞いてくれるだけでも良いから!」
「あ、あの…えっと…か…顔を上げてください…困ります…私なんかに…土下座、なんて…」
屋上に擦り付けていた額を上げて目の前の少女を見てみれば、本当に困っていた。いじらしさが可愛いとさえ思うほど。これはこのまま土下座で押し通すよりも、彼女に歩み寄る方がいいと考えた葵は、そっと立ち上がった。
「それでまぁ、イキナリばばーっと話しちゃったけれども、しおりちゃん、戦車道の経験ってある?」
「……えぇ、昔…少し」
言葉の切れは悪く、表情も芳しくない物であったが、しおりは肯定して見せた。脈はあると葵は踏む。
「そうかぁー。あんね、今うちの学校どうしても戦車道やるんだけども、人員が抜けちゃったの。若しもしおりちゃんが良かったらうちの学校で戦車道して欲しいんだよねー。強制はしないけどもー…本当!お願い!しおりちゃんの要望とかには出来る限り応えるから!」
「……また、戦車道……」
ぽつりと呟く少女の言葉は、酷く重々しかった。これは拙いか?と葵が内心焦った時、しおりが呟いた。
「……要望って…個人的な事でも…ですか?」
「…?。うんうん!ええよええよー個人的な事でだって!お姉さんに任しときー!」
「じゃぁ…」
少女は思案し、そして自嘲する様な、悲しい笑顔で答えた。
―――私に、居場所をくれますか…?―――
「…?居場所、居場所ね!いいよいいよー!作ってあげる!もっと凄い望みだって聞いてあげるよー!試験の結果ちょろまかすとか!」
「…恨まないで…下さいね…私なんかが、戦車道に参加するの…」
「恨むなんて!感謝しきれないよ!誰かがしおりちゃんの事悪く言ったって、うちが絶対庇ってあげるから!」
「…庇って…ですか」
「うん!あ、携帯電話持ってる?連絡先交換しよ?これから色々やらなきゃいけない事あるからねー。あ、でも出来るだけしおりちゃんの負担にならない様にするから。居残りとかしたら晩御飯だって奢ってあげちゃう」
「…はぁ」
まくし立てられるがままに、連絡先を交換し合い、しおりは何処か釈然とせず、葵はウキウキと喜んだ。
「やーごめんねぇ迷惑色々かけちゃってさー。あ、何だったら家まで送ってあげるよ!」
「…いえ、大丈夫です」
「本当?そうそう、戦車道の事だけども、多分明後日くらいから行動すると思うから、追って連絡するね!」
「わかりました…えっと…」
しおりはそこで言葉が詰る。それを察してか、葵は名乗った。
「ああ!うちの名前は双葉葵!なんか色々前後逆になってしまってごめんねぇー、自己紹介を先にしないといけないのに」
「いえ、大丈夫ですから…その、双葉さん」
「そんな他人行儀でなくっていいってー。葵でいいよー。それじゃぁしおりちゃん、まったねぇー」
機嫌良く、葵は夜の帳に包まれようとする屋上から立ち去ろうとした。
「あ、そーそ!パンツァーリート。可愛かったよ。ハーモニカって言うのも乙なもんだねぇ」
思っても居なかった事を不意に褒められ、しおりはただキョトンとした。そして静かに、感謝の会釈をする。屋上と階段を繋ぐドアへと姿を消してから、双葉葵は大いに溜息を付いた。
「はぁー…びびったぁー。やーもーこれで断られでもしたらほんまどーしよーって感じ!でもセーフ!セーフはセーフ!」
よっしゃ、とばかりに握り拳を握って、少女は己の奮闘を褒め称えた。その時、不意に携帯電話にコールが入った。
「はいはいー。双葉だけどもー」
《会長。長谷川です。少しですが情報が出ましたよ》
「お!本当に?コッチも無事に件の美少女と出会って、ゲットしてきたよー!いやー怖かったぁー」
《…と言う事は…新しい隊長がこれで決まったんですね!》
「おうさぁ!で、そっちの按配は?」
階段をゆっくりと降りて行き、一路生徒会室へと足を運びながら葵は長谷川へと問うた。
《ええ、ザッと戦車道連盟や戦車道サイトのログを漁ってみた所、ヒットしましたよ、彼女の情報》
「経歴はどんな按配?有望そう?」
《それがですね。キャリアだけなら凄いみたいです。小学生から戦車道をしているっぽくて…》
「小学生から!?…んー…でも、しているっぽいって何さ、ぽいって」
《詳しい情報が出ないんですよ。ただ、色んな競技とか大会とかには出てたみたいですね。
非公式のにも名前がちょっとだけ。あと、ヒットしたと言えばなんですが…》
「もったいぶらない!もったいぶるのは日本人の悪いクセ!」
《すみません。その…偶然かどうか解らないんですけれども、会長は神無月流ってご存知ですか?》
「ぜーんぜん。有名所の西住や島田なら流石に知ってるけどー」
《家元程の影響力は無いらしいんですけども、戦車道の宗家の一つらしいんですよ。臭いませんか?昔から戦車道をやっておきながら、書類の経歴には一切戦車道を臭わせないなんて》
「確かに…なんか臭いなぁ…しおりちゃんには悪いけど、そっちの方洗ってみて貰っていい?」
《解りました。それでは》
通話を終えた頃、窓の外はもう藍色に染まっていた。あの少女は帰路についただろうか?と葵は思う。
「…ミステリアスなお嬢様だねぇ…しおりちゃんは…BANG!」
誰にでもなく、双葉葵は口角を僅かに釣り上げながら呟き、窓硝子に映る自分へと、指鉄砲を撃った。
その日の夜、神無月しおりは大島明海から「変な人に戦車道の事聞かれなかった?」と言うメールを受け取り「明日話します」と彼女は友人に返信した。しかし、内心神無月しおりはまだ迷っていた。また、戦車道をする事を。逃げ出した戦車道をしてもいいのかと。自分は役に立つのだろうかと。何よりも…あの惨劇が繰り返されないかと、酷く不安で致し方が無かった。鮮明に脳裏に蘇る、一面の血の海。血糊で汚れた自分と、クルー達。凄惨な現実に顔面蒼白のクルーの顔。
神無月しおりは、処方された睡眠薬を飲んで、眠りについた…。
翌日。薄曇の空が浮かんでいた。酷く肌寒く、神無月しおりは着古したトレンチコートを着こんで学校へと登校した。 教室に辿り着けば、大島明海が彼女を待っていた。にこやかに待ってましたとばかりにしおりを出迎える。
「あのねしおりん。私しおりんに謝らなきゃいけない事があるの。ゴメン!戦車道してる人を探してるって言う話を聞いたものだから、何があったのかなって思ってその人と話したらしおりんの事話しちゃった!しおりん戦車道が嫌かもしれないのに!」
彼女は手を合わせ、そして大きく頭を下げた。
友人の突然の謝罪に戸惑うものの、しおりは顔を上げて、と優しく言った。
「そんな…明海さんが悪いわけじゃ…多分、戦車道が…向こうから、私に近付いてきたと思うから…」
「でもっ!しおりんしんどい目にあったんだよ!?その…あんな事があったのに…それでもし、またしおりんが戦車道をやる事になったらって思うと、もう私昨日心配で心配で、中々寝付けなかったんだぁ…こうなったのは自分の責任だけど」
「…ありがとう…私をそんなに思ってくれて」
明海の心底心配するその言葉の気迫に、しおりは感謝を述べた。誰かからこんなに謝られたり、心配されたりと言う事は初体験だったが。
「それで、どうなの…?戦車道…しちゃうの…?」
「…うん…する事に、なって…でも、まだ悩んでる…私がまた、もう一度…戦車道なんかして…いいのか、って…」
「辛かったらしなくても良いんだよ?」
「…でも…頼って貰った、から…」
しおりはそっと右腕の傷跡の辺りに手をかけた。役立たずの烙印を押された自分が、もう一度戦車道をしてもいいのか。こんな自分が、本当に役に立つのか。頼られる程の力を有しているのか。不安で仕方が無かった。
「……うーん……よし、決めた!私決めたから!」
不意に、大島明海は小さく決意の言葉を口にした。彼女の突然の行動にしおりは訳がわからずにキョトンとする。
「私も戦車道やるから!一緒に戦車道をやって、しおりんの事支えてあげる!戦車の事なんて全然判らないけども、判らないなら1から勉強すればいい事だもんね!人間誰しも泳ぎ方を知らないけど、覚えるから泳げるのとおんなじ!」
「…!そんな…無理しなくていいのに…それに、戦車って結構しんどいし…怪我だってするかも…」
「うぅん。どんなにしおりんが駄目って言っても私はしおりんの横に立つよ。不安で潰されそうなしおりんを独りになんて出来ない。それに、前にも言ったけど、大事な友達が苦しんでるのに暢気にお菓子とか食べてられないよ!それに、えーっと…昔の偉い人も言ってたよ!苦しみは共に分かち合うことでその苦しみをちょっと良い思い出に変える事が出来るんだーとかどうとかって!」
「明海さん…ありがと…」
友人の揺ぎ無い決心に、じんわりとしおりの目は潤んだ。皮肉にも、歯車は順調に回りだしたのである。かの人の予想に反して。
そして、他愛も無い一日を過ごし、日が暮れて…曇り空の向こうで月が昇っては下り…翌朝となった。
昨日とは打って変わって、晴れやかな、しかし何処か寒々とした空模様だった。
前日の夜、しおりの携帯電話には召集が掛かった。見知らぬメールアドレスからのメールであったが、文面には生徒会より、とあった。そして今彼女は集合地へと足を運んでいた。肌寒い風を通さぬよう、着古したトレンチコートを着こんで。他にも集まった生徒達が、各々の防寒着を着込み、ああだこうだと会話に花を咲かせている。大島明海も勿論そこに居た。
「おや…素敵なライターの人じゃないかい?」
言葉と一緒に、甘いバニラの香りが漂ってきた。聞き覚えのある声に、しおりは言葉のした方へと振り向いた。
「あ…屋上の」
ぽつりと呟く。見覚えのある、背の高い、グレーの髪を短く切った少女だった。
「しおりん、その人知り合い?」
「うん。この前ちょっと」
堂々と未成年でありながら、煙草を吸って此方に近付く素行不良の少女に大島明海は少々危機感を抱いた。
無理もないだろう。
「やぁ。また会ったね。意外だったな。君が戦車道をするなんて。見掛けに寄らない尽くしだ」
「その…神無月しおりと言います」
「北村カレラ。宜しく。それと…」
彼女は吸い終えた煙草を携帯灰皿に捨ててから近付いて…
「また、君からライターの火を貰ってもいいかい?お嬢さん。中々どうして、美味しかったんだ」
「え、あ…その…私で良ければ」
「んんー。美人から美味しい火を貰えるのは嬉しいね」
「ちょっとちょっと!何しおりんを口説いてるの!?」
「いや失礼。ちょっと親睦を深めようとしただけでね。別に彼女に悪い事を教えようなんてこれっぽっちも思ってないよ」
「ならいいけど…」
「そう言う育ちの良さが香ってくるお嬢さん、貴女の名前は?」
「…大島明海!しおりんの保護者です!」
ふんす、と鼻息を鳴らしながら明海は堂々とそう答え、当のしおりはキョトンとし、カレラはあっはっはと笑った。
「保護者か!いや、失礼!中々ジャブの効いたジョークだったから、つい」
「しおりんに煙草とか教えたら、容赦しないよ!?」
「しないしない。私は自分が悪い事をしているって自覚しているからね。っと…お嬢さん方、時間みたいだ」
カレラがそう言うと、校舎側から数人の生徒が歩いてきた。先頭には、髪を二つに結った少女。しおりには見覚えがあった。
「やぁやぁ皆の衆、無事に集まってくれてありがとうねぇー。おおきにおおきにー」
双葉葵はにこやかに挨拶の言葉を投げかけ、クルクルと鍵束を指で回し、弄んだ。
「改めてぇ、生徒会長の双葉葵ってゆーんだ。ヨロシクー」
「会長、時間が勿体無いですので…」
ボブカットの少女がおずおずと横から切り出し、双葉に声を掛けた。
「んー田宮の言う事も尤もだね。えーこれより戦車道を始めたいと思いまーす。事前に連絡した人は聞いてるけども
授業の単位の事は安心していいからねー。たっぷり上げちゃうし成績はトップにねじ込んどくからー」
「あのー、どうして戦車道をするんです?全国高校戦車道大会の参加はもう締め切ってますし」
長い三つ編みの少女が不思議そうに声をかけた。
無理も無いだろう、としおりも思った。果たして、何が目的なのか…?
「まー簡単に言うと学園の名前を売りたいって事なんだよねー。それとウチって生徒自らが外貨を稼ぐのを良しとするし。去年はあんまり戦車道出来なくって稼げなくってねー。まぁ色々と積もる話はあるんだけどもー」
「あのー、使う戦車は何ですか?」
ウェーブの掛かった少女が問う。双葉葵は「いい質問やねー」と返事を返した。
「では、これより諸君に使ってもらう栄えある戦車を紹介するよー!長谷川、扉開けちゃって」
「了解です」
葵は弄んでいた鍵束を長谷川と呼んだサイドテールの少女に投げて渡した。
倉庫の扉を硬く閉じていた錠前が外され、大きな両開きの扉が開かれると、中には…ガラクタと、戦車があった。
「うっわ…何このガラクタ…」
あまりのガラクタの山に、大島明海は声を漏らしてしまう。しおりは淡々と戦車を見つめていた。
「やー、戦車道やるのは良いんだけども、壊しちゃうと直すの大変でねぇー。使わないけども捨てるのも勿体無いし
直すにはお金が掛かるしでここの倉庫に突っ込んでるってわけー。あ、戦車は安心してええよー。きっちり直してるから。それで田宮。戦車の名前なんて言ったっけ…資料読んだけど忘れちゃった」
「はい。えっと…」
「パンツァーカンプフワーゲン三/四号中戦車、巡航戦車クロムウェル、T-34初期型、ソミュアS35、それと…駆逐戦車T69E3…?」
見かねたしおりが、倉庫に並んだ五台の戦車の名前を述べていく。長らく離れていた戦車であったが、
しおりはすらすらと名前を挙げる事が出来た。
果たしてそれを喜ぶべきか、嘆くべきかは、今の彼女には判らなかったが…
「おおっ、凄いねしおりちゃん。田宮、たしかそんな名前だったよね?」
「はいっ」
「まぁそんな訳で、三/四号と、クロムウェルと、T-34にソミュアと、T69を使ってもらうよー。
勿論、改良していくし、新しい戦車も買ったりするから色々と期待してくれていいからねー」
生徒達は湧き上がったが、一人の少女がおずおずと手を上げた。
「あんの、会長?」
「ん。葵ちゃんでいいよー。えーと、久留間ちゃんだっけ」
「はい。久留間どす。そんの、うちの学校には戦車道の隊長はんが居てはったと聞いてたんどすけども」
「あー…彼女かぁ…彼女はちょっち一身上の都合って奴で戦車道出来なくなっちゃってねぇ…でも安心してええよ!」
言うや否や、双葉葵はニコニコと笑いながら神無月しおりに近付き、彼女の腕を取って、掲げた。
「ここに居る神無月しおりちゃんが、隊長をやってくれまーす!」
「…………ふぇ?」
あまりの出来事に、神無月しおりは思考回路が停止してしまった。
私が、隊長を?役立たずの私が、彼女らを率いると?
「…あ…あう、あば、あのっ…!」
「ごめんねしおりちゃん。ものごっつ悪いって思うんだけど、頼れる相手が君しか居ないのよー。勘弁してー。その代わり生徒会とうちがばーっちりバックアップとフォローしてあげるから!無茶振り聞くから!ね?」
拝み倒す勢いで、逃げ場を塞いでくる双葉葵に神無月しおりはやれやれと溜息をついた。そして…
「……双葉さん」
「葵でええよー。で?どしたの?」
「対戦相手の戦車は、もう決まっているんですか?」
淡々と、しおりは問い掛けた。その声色は、おどおどとした気配が抜けていた。その変化に、双葉葵は何故か背筋がゾクリと震え上がったが、負けじと平常心を装った。
「もっちろん!相手はえーっと、モスカウ文化高校のT-34とKV-1、全部で5両!」
副会長の田宮からのそっとした耳打ちを受けながら、彼女はそう宣言した。
「T-34…主砲は76ミリですか?85ミリですか?」
「確か小さい…うん。小さかった。小さいよ。小さい奴のT-34。うちと同じ」
「なら、勝ち目はあります」
しおりの言葉に生徒達の言葉が湧いた。目の前の少女は勝機があると、そう言ったのだ。はっきりと。
「皆さん、聞いてください」
しおりは少女達に聞こえる様に振り向き、そして話しかけた。
「私達は戦闘経験の薄い初心者です。よって、今すぐ練習を開始したいと思います。先ずは皆さん乗車訓練を。双葉さん。グラウンドの使用許可や、戦車が走行可能な地域は?それと、各種のビギナーズガイドも」
「勿論あけてあるよー。地図とガイドブックは戦車の中に置いてあるし」
「では皆さん、戦車に搭乗して下さい。先ずは1時間を目安に走り続けて。戦車に慣れる事が大事です。車内の物は必要がない限りは安易に触らないように。狭い為、身体をぶつけたりするので注意して。行動開始!」
「それじゃぁ、割り振りを読み上げますので聞いてくださいー」
田宮と呼ばれたボブカットの少女が、生徒達に戦車の割り振りを発表していく。
その傍らで、しおりはふぅ…と溜息をついた。そっと右腕の傷跡をさする。
「しおりーん…大丈夫?」
「ぁ…明海さん…」
「まるで人が変わったみたいにハキハキ喋るから、ちょっとびっくりしちゃったよー」
「…そう、かな…」
「いやぁ、しおりくん中々かっこよかったじゃん。指揮官って感じでさぁ!」
北村カレラが感心した様にそう呟いた。指揮官、と言う言葉にしおりは「そんな柄じゃない」と小さく答える。
「おーい、しおりちゃんー?」
双葉葵がしおりに声を掛けた。何事だろうと小首を傾げる。
「早速だけど、ちょっと相談に乗ってもらっていーい?」
神無月しおりは、小さく唾を飲んだ。
「ぶっちゃけるとさー。ウチがやる戦車道は正規の戦車道じゃないんだよねー」
倉庫の表側に置かれたテーブルと、組まれた椅子に腰掛けながら双葉葵は告白した。彼女、双葉葵の対面に座るしおりは三/四号中戦車に乗り込んでいった大島明海と北村カレラに「お話が終るまでグランドを戦車で走っていて。終ったら携帯電話で連絡するから」と告げて送り出した。
「非正規の戦車道…ですか」
「うん。かなり前にルール変わったっしょー?公式戦車道の。自走砲やオープントップの戦車でも、開口部を鉄板で閉じて特殊カーボンでコーティングしたら戦車道の試合に出す事を許可するーって。まぁぶっちゃけ、態々装甲の弱っちい自走砲を使うなんて事は正規の戦車道じゃぁあんまり使われないけども非正規の戦車道だと今バンバン使ってるんよねー。知ってる?」
「えぇ…ナスホルンやマルダーを使ってるのを何度も見た事があります。何よりも…私達のT69E3戦車です。
あれはほぼ密閉式の砲塔を持ってますけど、ちょっとだけ開口部があるのに…って不思議に思って」
「なら話は早いやー!ウチはね。ショーとしての戦車道をこれからやってくんだ。で、これからバンバン戦っていくの」
不意に耳に嫌な金属音を撒き散らして、T-34初期型が停止した。
恐らく、ギアの咬み合わせが悪くてエンストしたのだろう。
「大衆は常に娯楽に餓えててねぇ。ショーとして色合いの強い戦車道の人気が高くてねー。勝つとスポンサーとか付いてくれるし他にもたっぷりと賞金が手に入ったりするんだー!まぁ、惨めに負けちゃうとあんまり賞金貰えないけど」
「それで…双葉さんの目的は?」
しおりは真っ直ぐに問い掛けた。大会の制覇が目的でないのは目に見えている。
ならば、目の前の少女は何を欲しているのか、と。
「さっきも言ったよねー。名前を売りたいって。どーしても名前を売らなきゃいけない必要があるんだわさー」
困ったもんだね。と付け足しながら、双葉葵はやれやれと肩を竦めながら答えて見せた。彼女の言動に、嘘は見受けられなかった。だが、真実は半分しか見えない…と神無月しおりは思った。
「…まぁ、何時か真実は教えてあげるよ。今はゴメンね」
ハッとした。目の前の少女はまるで此方の心中を見抜いている様に思えたから。
「それはさておき、しおり隊長ー?うちらの戦車隊。どうやって育てよっか?うちってば素人でさー。去年なんてちょっとした理由があって、殆ど戦車道出来なかったし、してた人は卒業しちゃうしで1からのスタートなんだよねぇ」
「……そうですね」
暫し考え込んでから、神無月しおりは思い浮かんだ事を話していった。
「先ず、戦車の走る、撃つ、受ける、に慣れて貰います。兎に角一日中走って、沢山撃って、撃たれる訓練をします。戦車道は武道です。相手の攻撃は必ず此方に当ります。着弾の衝撃に慣れないと、気が参ってしまってすぐ脱落するでしょう。それと、彼女達に戦車道の試合の動画を沢山見させて上げて下さい。戦車の動くイメージをいち早く覚える為に。他には自宅に帰ってから…砲手やドライバー、車長の子達に戦車道連盟が配布している戦車道シミュレータでイメージトレーニングをするよう指示して下さい。私達には圧倒的に場数が足りませんので」
「いいよいいよー。って言うか、戦車道連盟そんなシミュレータ出してたの?」
「古い物ですが…ゲームが出回りだした時期に作られたって聞きました。私も何時間もシミュレートしました。ただ、シミュレートと実戦は違うと言って、シミュレータを嫌う学校などもあったみたいですが…」
「なーる程…」
「それともう一つ…戦車の改良を、お願いします」
「ほほぉ?」
神無月しおりは、出された紙コップのお茶を一口飲んで喉を潤してから、話を続けた。
「非正規の戦車道なら、基本ルールは戦車道と同じですけれども、サスペンションやエンジンと言った箇所の改造はほぼ無制限な程許されています。私も非正規の戦車道は何度か戦った事がありますので…鑑みて、改良をしなくては現状の我がチームでは戦うのは困難かもしれません」
「理由は、聞かせて貰えるよね?」
「T-34初期型。あれは随分と使い込まれている印象に見受けますが、ギアボックスが明らかに不調を来しています。ギアの噛み合わせやクラッチの調子が悪いと思いますので…出来るのであれば作り直す勢いでお願いします。若しくは、T-34後期型の改良型のギアボックスを用意して乗せかえるか。他の戦車のギアボックスも見てあげて下さい。ハンドルレバーなんかも、ドライバーの子の手や体格に合わせた物に作り直して貰えると有り難いです。エンジンも、馬力のアップとパーツの耐久性を上げる改造をして貰えますか?今後の戦いに必要になりますので。取りあえず思いつく限りの所ではこんな所でしょうか…」
説明を言い終えて、しおりはふぅ…と溜息を零す。疲れた。こんなに沢山話すのは初めてかもしれない。
「オーケーオーケー。んじゃま…長谷川ー?」
「はい」
横に立っていた、サイドテールの少女に双葉葵は声をかけた。彼女は直ぐに電話を取り出すと、何処かに話しかける。
「総員傾注!生徒会長からの指示が出た。T-34初期型のギアボックスは丸ごと改良する。シルクの様に動くようにしろ。他の戦車のギアボックスも同じく改良しろとのお達しが出た。部品と在庫をかき集めて来い。倉庫に保管してある予備エンジンを引っ張り出して馬力のパワーアップとパーツ強度の強化を行え。制限は無しだ。思う存分いじくり回して来いとの許可が出た。判ったかこの機械オタクの工業科の生徒ども!よーく喰ってしっかり働け!」
《Yeah!!》
電話越しに、離れた場所の熱気が篭った声が神無月しおりの耳にも聞こえた。
「…とまぁ、出来る事は学校全体でバックアップすっからー」
「感謝します…」
「んーじゃまー、隊長殿の指示通り、戦車に乗りますかねー」
「私も…体を慣らさないと…」
震える右手を見つめながら、しおりは一人呟く。
「んー。右手がどったの?なんか震えてるけど」
「…ぁ…いえ…なんでも、ありませんから」
「そっかー。おーい田宮ー、長谷川に青島ー。戦車乗るぞー」
しおりもまた、三/四号に乗っている大島明海へと、電話を掛ける事にした。
一日掛りの、初めての訓練が終った。訓練内容は多岐に渡った。
最初こそ走行訓練であったが、早速次には射撃訓練に移るよう、神無月しおりは指示を下した。また、グラウンドのみならず、学園艦の艦内緑化公園地域へと走り出す事もした。地形によって運転の難度が違う事をしおりはドライバーに教えたかったが為である。そして案の定、戦車がスタックした場合は何故こうなったのかを全員に講義した。履帯が千切れた戦車は彼女の指導の下、時間を掛けて修理する事にもなった。戦車道では履帯の修理の可否が時として戦況を左右する為、整備の人に任せ切りになってはいけないと助言した。
昼食を取り、休憩を終えると再び戦車に搭乗し、訓練を続けた。空が夕暮れの赤に包まれる頃には、全員がヘトヘトだったであろう。双葉葵の「今日はお疲れさん。明日も宜しくねぇ?んじゃま解散」と言う言葉と共に、少女達は散っていった。そして彼女らは今、学内に敷設された浴場へと足を運んでいた。
「もー汗だくだよー。戦車って結構汗かくんだねぇ」
「夏場はもっとしんどくなるのか。ハッカオイルでも用意するかい?」
「あ、それいいかも!すーすーして気持ちいいし、速乾性の肌着も用意しよっか。ところで、えーっと…」
大島明海は共に歩く、新顔の二人の顔を見て名前を必死に思い出そうとした。彼女は装填手の役目を与えられて居た為、車内ではドライバーと無線手の少女との会話が無かった。
「あたし、霧島蓉子。ドライバーよ。宜しく」
「自分は中嶋奏って言いますー。機械の事なら相談乗りますよぉ」
「そうそう。蓉子ちゃんと奏っちだった。ごめんね?中々名前覚えれてなくて」
「仕方ないんじゃないの。装填手はドライバーと離れているし」
「ともあれ、親睦を深めにお風呂行くんでしょ?どんなお風呂かなぁ」
「立派な風呂だよ。一度入ったことがある」
北村カレラがぽそりと呟き、大島明海は驚いた。
「カレラさん、入った事あるの!?なんで?」
「私、こう見えて特待生だからね。射撃部に勧誘されたんだよ」
「あー…だから砲手…だから最初っから妙に上手い…」
他愛も無いやりとりを交わして、四人は浴場に着いた。同じく、戦車道をしていた少女らの何人かも、浴場に入っているようであった。
「にしてもしおりん遅いなぁ。先行っててとは言われたけど」
「彼女は隊長役を任されたみたいだからね。生徒会も何かと気をかけてる」
「凄い的確だよねぇ。訓練の時の指示。ありゃ相当戦車道にドップリ浸かってたと見受けるよ」
うんうんと独り頷きながら、中嶋奏は妙に納得していた。
「私も戦車道の番組結構見てたけど、実際にやってないと言えない事色々言ってたからねぇ」
「そう言う物なの?奏っち」
「履帯の修理が云々ーって話、テレビじゃ全然映んない場面だけども、雑誌か何かでそんな話が書いてあったし」
「そう言う物なんだねぇ…ってうわ、蓉子ちゃん何その素っ気ないスポーツブラ!?可愛げないよ?」
「あたしにはこれくらいで良い…おっぱいも小さいし」
「駄目だよー女の子なんだよー?可愛いを楽しまないと勿体無いよー」
「大島さんはおっぱいが大きいからそんな事が言えるんだ」
「ひっど!?おっぱいには大きい小さいの貴賎なんて無いんだよ!?等しくおっぱいなんだよ!?」
「そこ、力説する所かね?明海くん」
「とか言いながらカレラさん可愛い下着つけてるじゃんー。モデル体系とかズルくない?」
「私は人生を楽しむ口だからね。っと…?」
脱衣所で和気藹々と騒いでいると、入ってくる人影が一つあった。神無月しおりである。周りの生徒はヘトヘトだと言うのに、彼女は然程疲れては居ないように見えた。昔取った杵柄と言う物なのであろうか。当の本人は「久しぶりで少し疲れちゃった」と漏らしては居たが、彼女と他の少女を比べると、雲泥の差ではあった。
「皆…お待たせかな」
「大丈夫だよしおりん。早く一緒にお風呂入ろう?」
「……ん。うん」
促されて、神無月しおりは服を脱いでいく。…が、脱いだその姿は問題があった。
「ちょ、ちょちょちょ…!?しおりんどうしたのそれ!?」
「…うわぁ…」
「ナニソレ…」
「…痛そうだな」
彼女の白い身体には無数の痣や傷跡が残っていた。目立つ物も、然程目立たない物も。足に至っては、黒いソックスで隠されていたからいい物の、火傷の跡らしきものさえも残っていた。
「しおりん、暴力受けてきたとか、虐待されてたとかじゃないよね!?って言うか、どうしたのそれ!?」
「…えっと…全部、戦車道で出来た傷…私、色々してたから…生傷が絶えなくって…
火傷の跡は…ドライバーをやっていた時にギアボックスが壊れて、加熱したギアオイルが掛かっちゃって」
「それにしたって…酷すぎやしないかい?治療は?再生医療があった筈じゃないか」
カレラの言葉にしおりは頷く物の、しかしその表情はパッとしなかった。
「…傷は、消えると忘れちゃうから…傷があった方が、戦車道は危ないって、覚えていられるから…」
「何か…抱えてるみたいね」
ぽつりと呟く霧島蓉子の言葉に不意にハッとなった大島明海は我に返って、慌てた。
「取りあえず今はそれ所じゃないよ!しおりんのこの身体、今他の子に見られたら変な誤解を招くし!
奏っち!中の子がこっち見て無いか浴室覗いて!蓉子ちゃんとカレラさんは私と一緒にしおりんの壁になるよ!」
「はは…なるのは良いけども…お風呂には入る気あるんだ」
「当然!汗流さないと汗疹になるんだよ?えっと…数人で入れるジャグジーあるね!そっち行こうそっち!」
脱衣所に掲げられている浴場の見取り図を見て、明海は即決した。しおりは迷惑をかけてしまったかな…と一人不安になる。幸いな事に、浴場の中に居た少女達はこちらには気にも留めず、お風呂を楽しんでいた。
5人の少女達はそそくさと、丸いジャグジー風呂へと向かっていった。人目に付かずに湯船に入る事が出来てやれやれとばかりに、溜息を零す。お湯は丁度いい温度だった。
「にしてもしおりん…その、怪我の跡は治した方が良いんじゃない?他の子絶対ビビるよ?」
「…だけど…」
「だけどじゃなーい!って言うか、美少女のしおりんが台無しだよ!?服を脱いだら、怪我塗れって…夏場に泳ぐ事も出来ないじゃん!」
「私、あまり泳がないから…」
「これには明海くんの方が一理あるね。しおりくん、君の怪我の跡は正直、生活を困らせるレベルだと思うよ?」
「…うぅ」
「だがまぁ…戦車道が始まってしまった以上、病院で治療を受けている暇はない、か…」
「私、怪我の跡によく効く傷消しクリーム知ってますよ!
時間は掛かるけど、塗ってるだけで消えて大分判り辛くなるとか」
中嶋奏の言葉に大島明海はそれだ!と指差してからしおりへと向き返り宣言する。
「しおりん!別に消さなくても良いけど、傷跡が目立たなくなるまで傷消しクリーム塗る事!絶対だよ?」
「…面倒くさいな」
「だーめ!女の子が女の子捨てるなんて勿体無いんだから!私、しおりんとサマーバケーションしたいんだよ?
夏になったらヒラヒラのスカート履いたり、可愛い水着着たり、水遊びしに行ったりとか!」
「…ひらひら…水遊び…」
次々に飛び込んでくる、実感の無い、自分の体験した事の無い世界の話をされてしおりは呆然とした。
「それなのに、そんな傷跡残ってたんじゃ、お洒落の買い物だって出来ないじゃん!皆もそう思うよね?」
「まぁ、なんだね。健全で文化的かつ、青春を謳歌すると言うのであれば、明美くんの主張は正しい」
「あたしは興味は無いが…不和になるのは聊か宜しくないと思うよ」
「私も消した方が良いと思いますよ?人の口に戸は立てられない、って言いますし」
「それじゃ決定!あ、嫌がって塗らないと困るから、私が塗ってあげるからね!」
「…や…やだ…」
「だーめー!可愛いしおりんが痣塗れなんて、不憫で可哀想で耐え切れないー!」
斯くして少女達の一日は暮れてゆくのであった…
繰り返される、基礎訓練。神無月しおりは卓上演習も行った。彼女は言う。実際の戦車戦に明確な答えは存在しないと。戦況は常に変化し続ける。その中で其々が最良の働きをする事が、勝利へと繋がるのだと。また、乗員の意見を大事にする様にとしおりは言葉を添えた。ひらめきは何事にも変えがたいアイテムだと。故に彼女はそれぞれの車長のみならず、砲手や無線手にも卓上演習での答えを聞いた。どんな考え方でも良い。考えを生み出す事が大事なのだと。思考停止は敗北を意味すると彼女は冷酷にも言った。
そして、模擬戦闘も行った。1対1の戦いと、2対2の戦い。最後に、無差別のデスマッチ。少女達は度重なる砲撃と被弾に疲弊したが、一日一日を乗り越えてゆく度に、少しずつ強くなった。その間にも、工業科の生徒の面々によって整備、改良、改造の行われたギアボックスとサスペンション、エンジンが用意された。あれ程普通の運転にも苦労していたT-34初期型が、滑る様に走る様になった。見違える程の走行性能だ。まだ大規模な改造が施されていない物の、エンジンは吸排気バルブをビッグサイズのチタン製バルブに交換。リン青銅製のバルブガイドは新しく打ち込みなおされ、吸排気ポートは滑らかにポリッシュされた。駆動系のパーツは綿密な擦り合わせと重量合わせが行われ、回転の吹け上がりは見事な物になった。
今回の改造は、エンジン馬力のパワーアップと言う観点で言えば微々たる物ではあったものの各車両のドライバーと、そして神無月しおりに何よりも歓迎された。戦車が少しでも滑らかに動けると言う事は装甲が厚くなるか、主砲の貫通力が50mmは高くなったものだと、彼女はそう漏らしていた。
「やー流石に大規模な馬力のアップは間に合わなかったかぁ…」
各車両が、乗せ変えたギアボックスとエンジンの調子を確かめるべく、グラウンドを走り回っている最中残念そうに双葉葵はそう漏らしたが、工業科の生徒は大丈夫ですと胸を張った。
「今、エンジンをベンチテストにかけて改良に問題が無いか調べてる所ですから、
次からはパワーアップかけれますよ」
「それ本当?」
「イチから部品を作る必要も幾らかありましたけれど、そこは人海戦術でどうにか」
「嬉しいねぇー。それとさ…今後多分戦車が増えたり変わったりもするんだけど、大丈夫?」
「お任せ下さい!工業科の皆と、学園艦の機械工場のおじさん達が面白いからって喜んで協力してくれるんで」
「頼もしいねー。青島?無線機」
「此処です。会長」
青島、と言われた目元が髪で隠れた少女はそっと無線機を手渡した。
「総員、集合ー!大事なお話があるよー」
全員が双葉葵の前に集合した時、彼女は意を決した様に話し始める。
「明日の週末、戦車道競技を行う。改めて言うけれど、相手はモスカウ文化高校のT-34とKV-1。胸を貸してもらうつもりで、とは良く言うけれど、そんな事は関係ない。皆、大暴れしておいで!今日はこれにて解散!休息もまた戦士には必要な行いである!存分に休んで、万全の状態で明日に挑んで頂戴。あ、其々の戦車の車長はちょっと居残ってねー?悪いんだけど大事な話があるから」
双葉葵の言葉を受けて、しおりを合わせて四人の少女が生徒会室に通された。
「それで改めて我らが隊長殿?どーやって戦おうか」
葵は温和な笑みを浮かべながら、しおりへと声をかけた。他の三人の少女も、彼女に注目する。
「敵はT-34とKV-1によって構成された部隊です。恐らくは、装甲の頑丈なKV-1がフラッグ車。T-34はその機動力を持って此方を翻弄してくるのでは無いかと思います。対してこちらは三/四号、クロムウェル、T69E3の三台が主な主力となります。残念ながらソミュアS35とT-34初期型は火力の点から見て不利を強いられる事でしょう。ソミュアとT-34は砲身や履帯などの弱点を狙う攻撃を心がけてください。高速徹甲弾を使えば、ソミュアとT-34でも、相手のT-34の後部装甲を貫く事は可能かもしれませんが、その場合は基本的にほぼ100m以内の極至近距離での戦闘になります。それからえっと…すみません、双葉さん。明日戦闘を行う会場のマップってありますか?」
「田宮ー。地図用意してる?」
テーブルに戦闘可能な範囲を示した地図が広げられ、神無月しおりはそれをじっと見つめた。
「此処です。長い上り坂の上にある、開けた台地。ここの丘の上で私達は左右からアンブッシュを仕掛けます。敵よりも早く此処の陣地を取る事が出来れば、私達の勝機は見えてくる筈です」
「アンブッシュって…何どすえ?」
「待ち伏せ作戦を意味する言葉です。えっと…」
「ソミュアの車長の、久留間舞子言います。どうぞ宜しゅう、神無月はん」
「はい。久留間さんが疑問に思ったとおり、判らない言葉は聞いてください。戦車戦は専門用語が多く難解です。恥かしがらずに聞いて頂ければ、答えていきたいと思いますので」
「なんだったら、用語集として言葉を纏めて置けばいいんじゃないかしらぁ?」
長い三つ編みの少女、五十鈴佳奈がそう呟いた。彼女の提案にしおりも成る程、と頷く。
「明日の戦いには間に合いませんけれど、次の戦いまでには準備しておくといいかもしれません」
「んじゃまーそれはコッチで作っておこうかな。最終チェックだけしおりちゃんに見てもらっていーい?」
「判りました。双葉さん」
「じゃー、待ち伏せ作戦って事で、明日は戦おうかぁー。皆、宜しくねんー」
斯くして、車長会議は終了し少女達はそれぞれの帰路に付いた。しおりは校門まで歩いてくると、そこに見慣れた顔があることに気が付いた。三/四号のクルー達だった。
「やっほーしおりん。待ってたよー」
「明海さん…皆も…」
「折角だから皆でご飯を食べに行こうって話になってね。しおりくんを待ってたんだよ」
「ご飯…」
ふと、時間が13時を過ぎていた事に気が付く。お昼をまだ食べて居なかったので確かにお腹が空いていた。
「じゃー食べにいこ!何食べにいこっか。ファミレス?」
「中華なんかも良いんじゃないか」
「あたしは何処でも…」
「スパゲッティ食べに行きません?新しいテナントが入ったらしいですよ」
「しおりん、どうするー?」
友人の提案に、暫し悩み抜いて神無月しおりは口を開いた。
「…パスタ。あんまり食べた事ないから」
「じゃぁ、スパゲッティ屋に決定ー!奏っち、道案内頼める?」
「了ー解!こっちですよー」
昼間から出歩き、昼食を取りに行くと言うのはしおりには初めての経験だった。本来ならば今はまだ授業の時間であるが、不思議な事にちらほらと同年代の少女の姿を街中でも見た。
「うちの学校は学科によったら昼間に空き時間が生まれる事があるからね。それでじゃないかな」
しおりの疑問に北村カレラはそう答えて見せた。調理科や被服科の少女なんかは、買出しに出る事がままあるらしい。
「にしてもついに戦車道の競技かー…なんだかあっと言う間な一週間だったねー」
「そうだね。まさか一週間で競技に出る事になるなんて思いもしなかった」
「生徒会の考える事は割りと唐突だからな…」
「でもでも、楽しみじゃないですか?初めての事にワクワクしちゃいます」
「しおりんはどう思う?今度の戦車道」
「…さぁ…よく、判らない…」
ぼんやりと、遠くに浮かんでいた雲を眺めて、しおりは呟いた。
「…ただ…頼られたから…頑張る…私なんかを…頼って貰えたから…」
それは少女の小さな決意の言葉であった。過去から逃げてきた少女の、小さな決意であった。
翌日。天気は快晴。風が吹いていた。寒さはある物の、陽射しが暖かい。
戦車道観戦地では多くの出店が開かれ、宛らちょっとした祭りの如しであった。ご当地からの出店もあれば、我らが学園艦からも多くの出店があると、しおりは聞いた。度々何度も目にしてきた光景ではあったが、実際にそれに手を伸ばした事はなく、どんな物かも良く知らない。だが、競技の準備時間が選手の休憩時間として宛がわれる事となり、しおりは初めて出店と言う物に触れた。
鉄板で丁寧に焼かれたたこ焼きがこんなにも美味しい物なのかと、少女は一人感心する。大島明海と北村カレラがしおりに付き添い、共に出店を回ってくれたお陰で分けあって食べる事も出来た。その間、霧島蓉子はと言うと、「あたしは初めての競技で緊張しているから、戦車のエンジンを見てくる」と言い、中嶋奏はそんな彼女に付き合う事にした。気分が落ち着くならば、それもいいのだろう。戦車の整備は学園の工業科がバックアップに就いてくれているので問題ないと、双葉葵は言っていたが。
やがて時間が来た。各校の隊長が顔合わせをする時間である。神無月しおりは呼び出された。隊長として、こうした舞台に立つ事が本当に久しい。半年以上も前の事なのだから。そう…最後に戦った、あの日が…
「モスカウ文化高校のアレクサンドラ・楠よ。サーシャで良いわ。ハーフなの」
背の高く、青い瞳にシルバーブロンドの少女が此方に微笑みながら握手を求めてきた。
しおりはそれに静かに応じる。
「…播磨女学園の、神無月しおりです…今日は、宜しく…」
「宜しく。…ん?神無月…聞いた事あるわね。貴女、以前にも戦車道の経験は?」
「…えぇ、少し」
「確か…カイ、とか言う学校でやってなかったかしら。中学生の頃に」
「…えぇ」
「寡黙ね。そこもまた美しいけど。存分にやりあいましょう」
言うや否や、彼女、サーシャはそっと神無月しおりの手にキスをした。
「ではまた、戦場で…Пока!(またね)」
キスをされた手をそっと撫でながら、しおりはサーシャの背中を見送った。
「おーおー。やる気充分だねー」
そのやり取りを見つめていた双葉葵はしおりに声をかける。
「モスカウ文化高校ってのは、気に入った相手をしとめる合図として手にキスをするんだってさー。
狙われちゃったねい?」
「…はぁ。そうなのですか…」
「ま、ともあれ行くよー?しおりちゃん」
「…はい。時間です。戦いの」
しおりは待機場で駐機されている三/四号を見上げた。そして、そっとその装甲に触れる。
「…お願い…宜しく…私に、力を…」
念じる様に、一言一言、彼女は小さく呟いた。
三/四号に乗り込むと、私物のゴーグルを首にかけ、ヘッドフォンを装着し、咽喉マイクを取り付ける。
「こちら、フラッグ車の神無月しおりです。全車、準備は良いですか?」
《こちらT34の五十鈴、問題ないですー。狭いけど》
《クロムウェル車長、柿原、問題なしよ》
《ソミュアの久留間どすー。問題ありまへん》
《T69の双葉だけど、イケルよー》
それぞれの戦車からの返事を受けて、神無月しおりは頷いた。
「全車、これより所定のポイントにまで移動します。三/四号が先頭に立ちますので、付いて来て下さい。
霧島さん、戦車発進。巡航速度でスタート地点にまで移動をお願いします」
「あいよ」
クラッチが繋がれ、エンジンが吹かされる。マイバッハの振動が、背筋を撫でていく。キュラキュラと音を立てて、戦車が走り始めた。今はまだ、準備の様なもの。でもそれも何れ終る。ドライブにも等しいスタート地点までの移動の最中、神無月しおりはずっと地面の状況を見ていた。やや不正地ではある物の、地盤は堅くしっかりとしている。速度が出せそうだな…と独白した。
やがて、事前に石灰によって白線が引かれていたポイントに到達すると、全車は改めて待機する。…この待ち時間が嫌いだと、しおりは何時も思った。まるで断頭台に上げられる前の時間のようで…と。鎖に繋がれた懐中時計を一瞥する。時間は、あと少し…あと少しで、また断罪が始まるのだ、と…
そして…運命の時間が訪れた。競技開始を知らせる信号弾が打ち上げられ、炸裂する。
「全車、競技開始の時間です。予定通り、取り決めた上り坂の開けた箇所に陣取ります。ここから目的のポイントまでやや遠いので、速力は高めで行きましょう。パンツァーフォー!」
彼女の号令によって、戦車が唸りを上げた。
改めて、調子は上々。機嫌よく、エンジンもギアボックスも動いている。
「今日の作戦って、丘の上で左右から敵を挟むんだよねぇ。しおりん」
「ん…えぇ、左右からアンブッシュで。相打ちに成らない様に、ちょっと互いの位置をずらすけども。
挟撃の基本だから」
「じゃぁさぁ、サンドイッチ作戦だね!」
「サンドイッチ作戦…」
《ええねーサンドイッチ作戦。判りやすいじゃん》
《美味しい具を挟んで食べちゃおうって事ですかぁ》
《如何でもいいけど、サンドイッチの中身って結構落ちちゃうよねー》
無線で交わされる少女達の会話に、小さな悪寒がしおりの背中を走った。もしもサンドイッチの中央を突破された場合はどうやって切り抜けようか。T-34は足が速いから、それが怖いなと。しかし、悩んでいてもしょうがない。現状に対処し続ける他、無いのだ。戦車道はプログラミングで定められたシミュレータとは違う。絶対の答えなんて、存在しない。土煙を上げて走り続ける戦車達。中央に三/四号中戦車を据えた、単横陣で進軍していた。目的の地点まで、残り2キロを切った時だった…遠くから、土煙が見えた。しおりはハッとする。
「まさか、もう丘を登ってきた!?」
予想より速すぎる。全速力で相手のT-34は突っ込んできたと言う事か。しかしそうなると、敵のフラッグ車たるKV-1は置いてけぼりを食らってしまう事になる。それは拙い事ではないのか?考えている余裕もなく、相手のT-34は発砲してきた。F-34 76.2 mm砲が立て続けに吼える。
《神無月さん、撃ってきましたよ!?》
「落ち着いて!この距離で全速で走っていたら当りません!当っても撃破判定にはならないので安心して!」
「しおりん、危ないから中に入ろうよ!」
装填手としてすぐ近くに居た大島明海が心配そうに彼女に声を掛けるが、しおりは首を振った。
「ギリギリまで、外の状況を把握しないと」
「でも!もしもしおりんに当っちゃったらどうするの!?怪我所じゃ済まないんだよ!?」
「…じゃぁ、少しだけ…でも、視界は戦車にとっての第二の命だから」
そう言うと彼女は頭をキューポラからギリギリだけ出して、状況を見続けた。そうこうしている間にT-34との彼我の距離は1キロを切っている。スピードがかなり速い。
単横陣で突っ込んでくるT-34であったが、徐々に両翼に広がっていった。拙い、としおりは思った。
「全車、警戒して下さい!敵チームは包囲、かく乱を目的として突っ込んでくる可能性があります!
発砲を許可します!牽制射撃を撃って下さい。当らなくても構いません、脅せば良いんです!」
「どうするんだ、神無月。このままだとあの中に突っ込む事になるけど」
砲弾の弾筋を見極めて右へ左へと高速を維持したまま走り続けていた霧島蓉子が問い掛けてきた。
《サンドイッチ作戦失敗だねーこりゃ》
無線機から聞こえてくる双葉葵の言葉に内心小さな焦りを持ちながら、しおりが答えようとした瞬間。T-34とは明らかにシルエットの違う影が見えた。KV-1だ。気が付かない内に入り込まれた。でもどうやって?KV-1の移動力はその重量ゆえに愚鈍である。だが、T-34と対して僅かな遅れしかない。
まさか。
神無月しおりは思った。T-34・4両を用いて全速力でKV-1を牽引したのではないか?そして、やけに目立つT-34の土煙は、牽引したロープを外さずに引きずっているのではないか、と
「ねぇ隊長!あのカーベー拙いよ!」
ペリスコープからじっと遠くを見つめていた中嶋奏が声を上げた。
「あれ、ただのKV-1じゃない!うちらと同じ、75mm戦車砲を積んだ、ドイツが鹵獲したKV-1の756(r)だ!ロシア系の学校の癖にドイツが鹵獲した奴使うなんて卑怯じゃんー!」
言うや否や、KV-1の75mm Kw.K.40 L/48戦車砲が吼えた。鋭い弾筋がこちらへと送り込まれる。この侭では拙い。左右と正面から逆包囲網を敷かれてしまう。しからば、取るべき方法は一つ。
「全車!最大スピードで敵の包囲網を突破します!左右のT-34は無視して、目の前のKV-1に砲撃を集中!同時に発炎筒を展開!煙幕に隠れて逃げます!三/四号中戦車が前に立ちますので付いてきて!」
指示が下され、スモークディスチャージャから煙幕が放たれる。濃厚な白煙に紛れながら播磨女学園の戦車隊は砲撃の中を突っ切ってゆき、KV-1と交差。そして下り坂を下っていった。
「やるじゃない。可愛いお嬢さん…良い目をしていただけはあるわね…ナイナ!
貴女のT-34で追撃を行って頂戴。私のKV-1は放って置いていいから。接触に気をつけて」
《了解です。コマンダ》
白煙の中、少しでも自車の存在が判るよう、ライトを点灯したKV-1は静かに佇んだ。その左右を、接触を警戒して速度を落したT-34がV2ディーゼルエンジンの音を響かせて走っていく。咄嗟の判断ながら、見事なものだ。5台の戦車が一斉に発炎筒を炊けば視界は見事に奪われる。突破と同時に時間稼ぎもあの黒髪の少女はこなした訳だ。全く、美味しい限りではないか。快速で鳴らすT-34を更に改良し、荒地でもスピードが出せる様にした物でかく乱、各個撃破する予定であったが
「美味しいじゃないの。無名校の隊長には勿体無いぐらいね…アハハハハ!」
少女は愉悦の余り、大きく笑った。次は、何を見せてくれると言うのか。
《ソミュアの久留間どすー。T-34が追ってきよりましたわぁ!》
神無月しおりは後ろを見た。煙幕の切れ間から、T-34の姿が見える。
こちらの煙幕が終るのも、時間の問題であった。どうする?どうすればこの状況下で勝利へと彼女らを導くことが出来る?僅かな逡巡の後、しおりは決意した。
「クロムウェルの柿原さん、聞こえますか!」
《柿原よ。どうしたの隊長》
「柿原さんは単機、この煙幕に乗じて私達の編隊から離れて身を潜めて下さい!後続の敵のT-34をやり過ごしたら敵のKV-1へと向かうように行動。恐らく、敵も追いかけてきますが、全力で逃げ切って下さい。クロムウェルの俊足ならそれが出来ます!T-34は無理に撃破しなくても構いません、KV-1へと向かうように相手に思わせるのが大事です!危険ではありますが、承諾して貰えますか?」
《はーい、柿原了解!これより離れるわよ!》
言うや否や、煙幕に乗じて彼女は林の中へと一台早くもぐりこみ、深い藪の中へとクロムウェルを突っ込ませた。しおりも霧島に指示をだし、林のほうへと戦車を向かわせる。木々が少しでもT-34の邪魔になればと思ったからだ。果たしてこの作戦に上手い事敵が騙されてくれるか。しおりはキューポラから顔を僅かに出して後ろを警戒し続けた。
そして…煙幕を突き破ったT-34は確かにこちらへと向かっていた。まるで獲物を追いかける猟犬の様に。
「各車聞いてください。恐らく敵はクロムウェルが離脱した事に気が付いて約半数が転進する筈です。クロムウェルの火力はKV-1を撃破出来るから。その隙に乗じて反撃に打って出ます!落ち着いて射撃して下さい。相手は木々を避けようとして動きが必ず鈍ります!」
全力で逃げ続けていた最中、不意に相手の動きが悪くなった。掛かった…としおりは確信する。
「全車、回頭!反撃に出ます!」
≪ナイナ副隊長!クロムウェルが居ません!≫
一番先頭を走っていたT-34から悲鳴めいた報告が飛び込んできた。拙い。クロムウェルの快速ならばKV-1の後ろに回りこんで撃破されるかもしれない。大人しい見た目に寄らず、敵の隊長はとんだ策士か、賭博師らしい。
「ジーナとエカテリーナはクロムウェルの追撃に向かいなさい。全力で追うのよ」
《Да!(了解!)》
「さて…こちらは…」
ペリスコープから相手を探ると、左右に展開しながら此方へと砲を向けてきた。やりあう気らしい
「上等ね。気合もあるなんて…貴女、捨てたもんじゃないじゃないの!砲手、撃て!」
F-34 76.2 mm砲が次々と砲弾を送り込んでくる。破壊力はやや低い物の、その装填速度は侮れない。こちらも応戦する。 形勢で言えば、やや有利に思えるかも知れないが、T-34の速力は大きな武器だ。侮れない。
《きゃぁ!?》
不意に大きな音が響く。旋回中に林木にぶつかって足を止めたソミュアS35がT-34に撃たれた。見れば白旗も上がってしまっている。撃破されてしまったのだ。
「久留間さん、大丈夫ですか!?」
《久留間どすー。ちょっと身体ぶつけてしもたけど、大丈夫どすえ。皆さん、頑張ってくださいまし》
しおりは内心ホッとした。しかし次にはキッと目の前を睨み付けた。敵は浮き足立つはず。
「全車、T-34の足を狙って下さい!足さえ潰してしまえば、T-34は怖くありません!北村さん、やれますか?」
「任された。6シュトリヒだから、500mか」
「じゃんじゃん撃っちゃってよ!装填なら頑張るから!」
北村カレラは瞬く間に彼我の距離を計算して見せると、仰角を修正し、撃った。三/四号の75mm砲が吼える。初弾は外れた。次弾装填。大島明海は叩いた大口を証明して見せる様、重い砲弾をすぐにリロード。次弾、ファイア。緩い放物線を描いて、T-34に吸い込まれる。火花を散らして砲弾が履帯に吸い込まれ、パーツを撒き散らした。左足を奪われ、惨めにも右の横腹を晒したT-34をカレラは的確に射抜く。三発目。胴体にクリンヒット。T-34撃破。
《いやったぁ!T-34を倒した!》
無線機に少女達の歓声が飛び込んでくる。何故だろう。しおりは高揚感を感じていた。
「次!残ったT-34を倒します!皆落ち着いて!」
そして残されたT-34は堪った物ではないだろう。3対1の中で孤立してしまったのだから。動揺はその動きにも直ぐに現れ、不意に旋回した瞬間を狙い、播磨側のT-34初期型がドライブスプロケットを撃ち抜いた。直後にアクセルを強く踏み込んでしまったのだろう。無様にもぐるぐるとその場で回ってしまった所を生徒会の操るT69E3のM1・76.2mm戦車砲が撃ち抜いた。T-34、二両目を撃破。
「全車、クロムウェルの援護に向かいます。柿原さん!此方はT-34を撃破しました、状況を教えて下さい!」
《柿原よ。T-34と交戦中。って言うか囮を継続中。鬼ごっこの真っ最中よ》
通信の最中、無線機越しにクロムウェルの75mm砲の音が聞こえて来た。遅れて、空気越しにも。
「霞ちゃん、どーよ?この子の主砲の具合は」
「悪くないネ。ビシッと飛んでく。ちょっとT-34が速すぎるけどッ」
「仕方ない。どっちも50km近くでぶっ飛ばしてるから。隊長が助けに来る。バリバリ逃げるよ!霰!もっと飛ばして!」
「ほいさっさ!」
霰と呼ばれたドライバーは強くアクセルを踏み込み、此方へと飛んでくる砲弾をひらりひらりと交わしていく。このクロムウェルは良い。神無月しおりは決して装甲は分厚くないので気をつけて下さいと言っていたが背中で咆哮するV型12気筒ガソリンエンジンのロールスロイス・ミーティアの力強さと俊足と言ったら堪らない。工業科の面々によって改良が施されて、元より調子の悪くなかったエンジンが更に良くなったのだから。
不意にT-34の動きが悪くなる。動揺したな、とキューポラ越しに柿崎セリカは見抜いた。
「霞ッ!動きの弱ったT-34を狙って!距離多分600!」
「言われなくても!」
「漣!高速徹甲弾装填!」
「あーい」
40口径75mmQF砲が吼え、T34の横腹を掠め、弾いた。
撃破には至らなかったが、衝撃で何かを壊したらしく足を止めた。
「回り込んで!止まった奴は無視!動いてる奴に牽制射撃!」
「ヨウソロ」
大きな旋回半径を取り、決してスピードを落さずに走り続けながらクロムウェルとT-34は撃ちあい続けた。行進間射撃は互いに有効打を送り込む事が出来ず、泥沼の砲撃戦となったが、それでいい。柿原セリカはこの場を持たせる事が役割なのだ。例え負けようとも、勝利の足音はすぐ其処に近付いている。
《柿原さん、遅くなりました!》
無線機に声が飛び込んでくると同時に、一発の砲弾がT-34へと飛んでいくのが見えた。旋回中の僅かな隙を突いた見事な狙撃であった。T-34の後面装甲を食い破り、エンジンを破壊。爆発させた。
「いよっしゃぁ!」
クロムウェルの車内で勝利の叫びが上がった。自らの役目を全うした瞬間を確信したのだ。喜びが溢れて仕方がない。と、次の瞬間、クロムウェルに大きな衝撃が襲ってきた。余りの振動で車内をしっちゃかめっちゃかに引っ掻き回された様な錯覚に陥る。柿原セリカは頭を強かにキューポラにぶつけ、痛みに呻いた。不意に赤いランプが車内に点灯する。
それは撃破された事を知らせる判定ランプの光だった。ズキズキとした痛みに苛まされる。
「いったぁぁ…此方クロムウェル。撃破されました…うぐ…後宜しく…」
《大丈夫ですか!?あとは任せて、休んでいて下さい!》
「セリカちゃん!血が出てる!」
「マジで?すっごい痛いんだけど…」
「大丈夫!すぐ止血してあげるから!」
「ありがとー…霞」
取り出された救急箱から止血用のパッチを頭の傷口に当てられながら、柿原セリカはしかし充実感に満ちていた。戦車道。楽しかったなと。こうして撃破されて怪我もしてしまったけれども、他では味わえないスリルが心地よかった。
「残るは、KV-1 756(r)だけ…」
キューポラから僅かに頭を出しながら、神無月しおりは丘をずりずりと降りてくるKV-1を睨み付けた。クロムウェルを撃破したのはKV-1だった。丘の下でぐるぐると行進間射撃を続けていたその隙に下りてきたらしい。
「全車、気をつけて下さい。あのKV-1の主砲は三/四号と同じ物です。直撃を貰ったらお終いです!」
《で、最後のデカブツはどうやって食べちゃうさー?しおりちゃん》
双葉葵の言葉にしおりは僅かに考え込み、そして即決した。
「五十鈴さん!全力で先行して、KV-1を翻弄しながら接近して下さい!砲弾には気をつけて!
三/四号は右から、T69は左に回りこんでください。KV-1を左右から挟み撃ちにします」
《怖いけど、判りましたぁ》
《はいはーい。やっちゃおう!》
「あと、少し…!」
しおりは小さく、しかし力強く呟いた。
「隊長!T-34が突っ込んできます!」
「落ち着いて!あのT-34は初期型だからこちらを撃破するのは困難よ!」
皮肉な物だと思う。T-34の快速を生かして襲撃した我々が、最後には相手のT-34によって逆襲を受けている。
「リローダー!弾種は榴弾!T-34のちょっと手前を狙って!」
だが、最後まで足掻いてみせる。戦いは諦めた所で負けが決まるのだ。
「五十鈴さん、怖いよぉ!」
「落ち着いて!大丈夫だから!さっきの敵の動きを見てたでしょ?T-34はすばしっこいのよ!」
五十鈴佳奈は必死にクルーを鼓舞したが、内心は自分も非常に怖くて怖くて仕方が無かった。キューポラから丘を下り続けているKV-1をじっとにらみつけると、砲身の黒点がこちらを向いた。
「危ない!大淀さん、避けて!」
ドライバーへと命令を下した瞬間、KV-1が発砲した。目の前が爆発の煙で見えなくなり、ペリスコープに大量の砂や小石が降り注ぐ。次の瞬間、T-34の履帯が異音を発した。
「きゃぁっ!何なの!?」
答えは先程の榴弾にあった。飛び散った破片がドライブスプロケットに入り込み、ロックしてしまったのだ。斯くしてこちらは上り坂、瞬く間にT-34初期型は失速しながら、横腹を晒してしまう。
「拙い…!」
しおりが呟いた次の瞬間、KV-1は無慈悲にもT-34初期型へと砲弾を撃ち込んだ。白旗が上がる。
《あとはうちらだけだねー》
「もしもの場合は、双葉さん、撃破をお願いします」
《そう悲しい事言わないでよ隊長ー。来るよー》
ウカウカはしてられない。しおりはキューポラの中へと頭を引っ込めた。
KV-1はこちらへと砲身を向けてくる。フラッグ車を狙うのは当然か。
「霧島さん、合図と同時に左へ大きく旋回。KV-1の前を通ります!」
「上り坂で下手に旋回すると失速するけど?」
「構いません。KV-1の砲塔は旋回速度が遅いですから。北村さん!砲塔をあらかじめ右へ向けておいて下さい!」
「成る程、そう言う事」
KV-1が此方へと向けた砲身の黒点がこちらを睨み付けて来た。ついにきた。
「左旋回!」
叫び、霧島が左へと操縦レバーを操作した瞬間、KV-1は発砲。寸前の所で回避する。上り坂で旋回した三/四号は失速しながらも、KV-1の車体前面方向へと大きく移動。対するKV-1も、その遅い砲塔旋回速度を賄うべく車体を回しながら追従しようとした。
途端、KV-1に砲撃が迫る。T69E3の放った76mm砲が履帯を直撃。急に右側の履帯が破壊され、駆動力を失い、履帯がロックしたも同然となり、KV-1は大きく右へと回頭してしまう。それは三/四号に付けられていた狙いを大きくずらし、皮肉にも射線上に居たT69E3へと合致。発砲。クリンヒットを貰ったT69E3、撃破。白旗判定を上げる事に成る。
「北村さん!」
しおりが叫び、カレラは撃った。側面装甲を高速徹甲弾が直撃し、KV-1に黒煙が上がる。
僅かな間の後、KV-1から白旗が上がった。
《播磨女学園の、勝利!》
戦車道の進行委員会からの無線が入り、勝利を知らせる。彼女達は勝ったのだ。
「いやったぁぁ!!」
無線機から、そして目の前の少女達が、歓声の声を上げる。神無月しおりはホッとした様に脱力し、椅子に座り込んだ。そんな彼女を大島明海は遠慮なく抱きしめた。突然の抱擁に驚き、彼女は呆然とする。
「やったよしおりん!私達、初めての競技で勝っちゃったよ!」
「ぁ…うん…勝ったね…」
「しおりん凄かったよ!ずっと冷静で的確な判断で!キリッとしてて物凄く美人で!でも、戦車から頭を出してたのは私良くないと思うなぁー。見てて危ないったらないんだもん」
「…んう。ごめんなさい」
「しかし、見事な物だったね。指示もおどおどしていなくて、頼もしさがあった」
北村カレラも、しおりの采配を評価した。予想外の評価の高さに、しおりはむず痒さを感じる。嗚呼、こんなに褒めて貰ったのは生まれて初めてだ。戦車道をしていて、褒められただなんて。充実感が、満ちていった。心地よさで、身体が重くなる。何故だか疲れも、どっと出てきた。
「ヘーイ!隊長さんー!」
不意に、戦車の外から呼ぶ声が聞こえた。何事だろうとしおりは立ち上がり、キューポラの外へと身体を出す。其処にはモスカウ文化高校の隊長。サーシャが満足げな表情で立っていた。こちらに来る様にジェスチャを見せる。しおりはいそいそと戦車を抜け出し、地面に降りると彼女の前に立った。果たして何用なのだろうか、と。
「見事な戦いだったわ。シオリチカ。無名の学校だからって甘く見てた私が悪かったわ」
「いえ…そちらも凄かったです。T-34の機動力で重たいKV-1を展開させるなんて。
こちらはずっと押されてましたから」
「ありがとう。こっちも色々と為に成ったわ。楽しい時間をどうもね。また戦車道、やりましょう?待ってるから」
そう言うや否や、彼女はそっとしおりの頬へとキスをした。突然のキスにしおりはきょとんとしたものの…
「あー!!向こうの隊長さんがしおりんにキスしたー!駄目!駄目ったら駄目!
しおりんをたぶらかすなんて許しませんー!」
「うふふ。随分と慕われてるのね?シオリチカ。じゃぁね?До свидания(ダズビダーニャ・また会いましょう)」
背中を向けて、自らを待つチームメイトの所へと去っていくサーシャの姿を見送りながら
しおりはぼんやりとしていた。
「いやぁー!ハラハラしたねー。勝てて何よりだよ!」
「ぁ…双葉さん…」
「しおりちゃんお疲れー!いやーサンドイッチ作戦が失敗した時はどうなるかと思ったよー」
「私も、T-34のかく乱にはどうしたものかと心配になりましたが…」
「それでも勝った!掴んだ勝利は大きい!ありがとうねぇしおりちゃん。本当に助かったよ」
そして双葉葵はそっとしおりをハグした。暖かいハグだった。じんわりと、心に温もりが伝わってくるようで。
「よーし!それじゃぁ撤収しよっか!帰ったら祝賀会やっちゃおー!ほら、しおりちゃんも!おー!」
「…ぉ…ぉー…?」
手を掲げ、共に戦った仲間達に祝賀会を知らせる双葉葵に促されて、しおりもまた手を掲げた。
少女達の第一歩が、踏み出された瞬間である。
長く険しい道のりの、些細な…しかし、確実な一歩であった。
その先に何があるかも判らない旅路の一歩を、彼女らは踏み出したのだ。
春風が吹く。桜の花びらを乗せて。少女達の勝利を彩るように。
登場戦車一覧
・播磨所学園側
・T-34初期型
正しくはT-34・1941年型改である。1941年型の砲塔を改造し、43年型と同様にキューポラを追加した物。戦車道をするに辺り、車長が外の様子が伺えない事は不利かつ不便と判断されて改造される。この改造により、砲塔はピロシキ型ながらキューポラ付きと言うかなりチグハグな見かけとなってしまっている。尚、戦車道連盟からはソ連自らが1942年からのナット型砲塔にキューポラを追加した事を鑑みて許可が下りている。但し、戦車のオリジナリティを望む一部の戦車ファンからの評判は悪い。
・クロムウェル
A27Mの所謂マークIVである。主砲は75mm砲。
・ソミュアS35
ARL 2C砲塔に47mm SA 37砲を搭載した改良モデルである。
三/四号中戦車。
パンター似の避弾経始に優れる車体に四号中戦車の砲塔を乗せた物。
主砲は75mm KwK40 48口径である。
・モスカウ文化高校側
・T-34 1943年型
ナット砲塔にキューポラを追加した物。モスカウ文化高校はより快速を活かせる改良を施している。
・Pz.Kpfw.KW-1 756(r) mit 75mm KwK L/43
またの名を、鹵獲型KV-1 75mm砲搭載タイプ
1942年型のKV-1をドイツ軍が鹵獲、魔改造した物。
T-34に高速で牽引してもらう為に、兎に角弱点のギアボックス周りと足回りを強化した。
登場架空戦車コラム
駆逐戦車・T69E3
スペック
全長6.05m
全幅3.01m
全高2.70m
重量29t846kg
武装M1・76.2mm戦車砲
装甲厚
ターレット
前面(防盾)114mm/30°
側面64mm/0°
後面50mm/70°
車体
前面89mm/67°
側面64mm/31°
後面50mm/30°
T69E3は激戦のヨーロッパ戦線にて強力な攻撃力と防御力を誇るドイツ戦車機甲師団に対するべく開発されたアメリカ陸軍の駆逐戦車シリーズの1つである。此れまでのアメリカ陸軍の戦闘経験により先ず強力な主砲を搭載する事を念頭に置き設計された。後々の発展性を考慮し、M3・90mm戦車砲の搭載を見込んで同時期に開発途中のM26パーシングシリーズと同様のターレットリングのサイズを採用。限定旋回式のターレットを用意しM4シャーマンシリーズの中で一定の功績を挙げたM1・76.2mm戦車砲を搭載する事に決定。砲弾の保管にはM4シャーマンでも採用された不凍液のグリセリン溶液を用いた湿式弾薬庫によって防御力を高めた。
足回りは当初はM3中戦車に連なるVVSSの使用を予定していたが重量を増加したM4シャーマンがHVSSを使用し、また良好な性能を見せた事により当車にもHVSSが採用される事になる。車体後部の誘導転輪周りの設計はM8自走砲の開発陣の参入により、M8自走砲に類似したデザインとなる。車体構造はM4シャーマンに類似している物の、全体的に装甲厚は1インチ程の増強を図っている。主に流線型の鋳造車体を電気溶接で接続、構成しており強度の確保と生産性の両立を図った物と思われる。また、車内空間をより大きく取るべく、後方から見ると砲塔に被さる様なボンネットを有している。
搭載エンジンは当時主流のフォード製V型8気筒ガソリンエンジンを主にしていたが、車体パーツの多くをM4シャーマンと共有している為M4シャーマンの例に漏れず、ゼネラルモータースGM6046複列12気筒エンジンやクライスラー A57・直列6気筒×5のマルチバンクエンジン、コンチネンタルR-975星型9気筒ガソリンエンジン等の搭載も可能である。走行性能や登坂性能はほぼM4シャーマンと同等と言っても良い他、操縦性も良好である。
完成した車両は少数が量産されるとヨーロッパ戦線に送られ、少なくない活躍を挙げたが既に英国陸軍のM4シャーマン・ファイアフライやM4シャーマン・ジャンボと言った車両の存在や限定旋回式砲塔による使い辛さ(それでも固定砲塔の物よりは扱いやすかったが…)を難点に挙げられまた、M4シャーマンの改良型を態々別の車両で新規に生産する意味があるのかと言うアメリカ陸軍内部の意向により当車両は研究開発と生産の終了を宣言され、歴史の闇へと消える事になるが、流線型でズングリとした愛くるしい見た目はアメリカ陸軍兵士の間で愛好された他、皮肉にもM4シャーマンの部品を多数流用した事により整備性の高さや冗長性を有した事でアメリカ陸軍上層部の予想を裏切り、戦場でしつこく生き残り続ける事となった。
(※当文章は非実在の車両T69E3を実在の戦車の様に扱った筆者の空想である)