【Girls-und-Panzer】 砲声のカデンツァ 作:三式伊吹
PS.巻末コラムを掲載し忘れておりました。良ければご覧下さい
二度目の非正規戦車道の試合を制した播磨女学園の戦車道チームの存在は、各校の戦車道チームへとその噂を広げていった。戦車道の歴史の中で、嘗ては無名にも程近い存在だった播磨女学園と言う弱小チームが、今やその存在感をメキメキと増している。況してや、外野を驚かせたのは戦ったチームが急速に彼女らへと接近を図っていると言う事であった。それ程の人材が播磨女学園に居たと言うのか。どの様な人物が、チームを率いているのか。
興味は絶えず、謎が新たな噂を産む。新たな隊長はまるで鬼の様な奴だと。いいや違う。余りにも切れ過ぎるが故に強豪チームから弾き出された『切れ者』だと。そうではない。戦車道の歴史に名を連ねる有名家元の隠し子だと。然し…どの噂も噂の域を出ないまま、噂は一人歩きを続けた。ちっぽけな少女の存在を知らぬまま、見知らぬ戦車道チームのリーダーの話として。
真実を知るのは、彼女と砲火を交えた僅かな少女のみ…
【Girls-und-Panzer】
砲声のカデンツァ
第三話:ウォッチ…アンドサーチ
初夏の風が、巨大な都市艦の甲板街を撫でて行く。ここは海上都市艦『コンティネンテ』 様々な企業が社を構える、海の上の大都会。学園艦数隻分もの甲板面積を誇る巨大さは伊達では無く、住人も通常の数倍と言われて居る。その海の上の不夜城では今、戦車道で取り扱われる競技用パーツの新商品展覧会が大々的に開かれていた。有名無名、大企業から下町の小さな企業まで、様々な会社が戦車に纏わるパーツを出展している他、過去の商品の安売りセール等も開かれて大変盛況していた。そして、各校学園艦からも何人もの少女達が来客していた。彼方此方でその姿が見れる程。
その中に目を引く少女のグループが居た。目にも美しいシルバーブロンドに碧い瞳の少女と、鮮やかな赤毛の鬢を三つ編みに結った上品な雰囲気を纏わせる少女。そして、彼女らに付き従う乙女達は見目麗しかった。
「今年のパンツァーフェスタも随分と大賑わいね」
シルバーブロンドの少女、アレクサンドラ・楠ことサーシャはパンフレットを片手に楽しげに呟いた。
「各地で戦車道をする学校の間口がどんどん広がっているものね。それに航空道や軍艦道が武芸として人気が高まりつつあるから、将来の顧客を逃がすまいと力を入れている訳なのよ。別に、取り合う様な物でもないと思うけれど」
赤髪の少女、ローズマリー・レンフィールドは優雅にそう言った。
「それにしても残念ね…あの子達が此処に来ないなんて。フェスタは楽しいのに」
残念げに呟いたサーシャは喉の渇きを潤す為にペットボトルから水を一口飲んだ。会場の巨大ホールは人混みも多く、空調が整っているとは言え、少しばかり汗ばむので喉が渇くのも無理は無い。
「何でも独占契約をしているパーツ会社が居るのですって」
他愛も無い事だとばかりにローズマリーはそう呟いた。僅かに滲む汗をそっとハンケチで拭きながら。
「そんな事、よく知っているわね? 何時知ったの?」
「彼方の生徒会長さんとお茶会をした時に」
「テヘラン会談の物真似かしら? 除け者なんてずるいわ」
小さく頬を膨らませて不満げなサーシャにローズマリーはごめんなさいねと小さく謝った。
「別にそんなつもりはないのよ。それに今、こうして話しているでしょう? だから機嫌を損ねないで?」
貴方と私の仲じゃないの、と付け足しながら彼女はそう言った。
「本気で怒ってる訳じゃないわ。こんな楽しい時に怒るなんてミルクの無いミルクティー位気がきかないでしょう?」
「えぇ。本当に…」
少女達は出展された商品を眺めていく。歪み難い、より壊れにくい鋼鉄で作られた新規製造のシャーシや装甲。より精度の高い砲身。頑丈に再設計されたギアボックスやエンジン等。正に様々であった。
「あら。新開発の高硬質ガラスで出来たペリスコープ用ガラス。ヒビの入りにくさが旧製品に比べ1.5倍なのね。中々良さそうな商品ねコレ…ナイナ。この商品の事メモしておいて貰えるかしら?」
「了解です。サーシャ」
ナイナと呼ばれた亜麻色の髪の少女は商品を出している会社の社名や商品をサラサラとメモした。その傍らでは…
「まぁ! 17ポンド砲の新規製造品? より命中精度が高まって弾道がブレ難いだなんて…ねぇカトリーナ。素敵だと思わない? 私達もこの17ポンド砲を買おうかしら」
「検討に値するよい商品だと思いますよ。マリー様」
ふんわりとした金髪を揺らしながら、カトリーナと呼ばれた少女が微笑む。真新しい戦車のパーツに少女達はきゃっきゃと楽しげに声を上げた。良い物を使って、楽しい事を夢見る。これにはしゃがない少女が果たして居るだろうか。
そんな折、彼女らに近付く小さな人影があった。黄色い髪のツインテールを揺らして、堂々と歩きながら。
「ローズマリー! サーシャ!」
少女はよく通る声で少女達に声を掛ける。呼び掛けられた二人はすぐに気が付き振り返った。何故なら声の持ち主は自分達がよく知っている声なのだから。
「御機嫌よう。貴女達もフェスタに来ていらしたのね?」
勝気な雰囲気を纏った少女は、スカートの裾を僅かに持ち上げて二人へと挨拶した。
「御機嫌よう。エリザベド。貴女も来ていたのね」
サーシャがツインテールの少女…エリザベドとそう呼んだ娘に挨拶を返した。ふふん、と少女は得意げな表情を浮かべて、そして頷く。
「勿論でしてよ。このフェスタは何時来ても楽しいし、他校の生徒の皆様がどんな物を好むのかで、彼女らが扱う戦車にどんなパーツが組み込まれるか。その傾向も把握出来る。一石二鳥でありましょう?」
「あらあら…姫騎士様は目敏いわね」
くすくすとローズマリーはそんな彼女の言葉に微笑んだ。何時でも一つ先を見通そうとする彼女の姿に。
「まぁ、今回はそれだけではないのですけれども」
エリザベドは、勿体ぶって言葉を区切ってみせた。はて何事だろうと二人の少女が首を傾げた時、彼女は口を開く。
「お二方、ひとつカフェーにでも向かいませんこと? 此処では他の人の邪魔になってしまいますわ」
少女の提案に、サーシャとローズマリーは乗る事にした。
会場の外へと少女達は向かい、道路沿いに店を構えるオープンカフェへと彼女らは腰を落ち着ける。付き添いの少女達に暫しの間、歓談をするようローズマリーは言うと、誘ってきた少女へと向きかえる。
「さて、場所を改めて何をお話したいのかしら? エリザベド」
少女は、運ばれてきたカフェ・クレームをそっと一口飲んで、それの美味しさを賞賛してから切り出した。
「噂に聞きましてよ。お二方は、面白い少女を見つけたのだとか」
「耳聡いのね。何時知ったの」
ミルクティーをゆっくりとかき混ぜながらサーシャは問うた。あの子の事を話しているのだと直ぐに察しが付いた。
願わくば、あの少女には不毛な戦車道チームのイザコザには巻き込ませたくないと思いながら…
「つい先日。お二方が…失礼ながら、負けたと言うお話を耳にして。件の試合のフィルムを見せて貰いましたわ…貴女達が負けるなんて、最近中々耳にしないお話だもの。興味が出るのも無理はないのではなくて? 何より…件の相手とは仲良くしているらしいじゃありませんの。しばしば、学園艦へと遊びに出向いているとか…」
「エリザベド。貴女の悪い癖ね。そうやって話が回り道してしまうのは」
アールグレイを静かに飲みながらローズマリーは少女に言葉を振る。早く本題に入りなさいと暗に言ったのだ。
「では失礼して直球に…お二方だけで色々と楽しんでいるなんてずるいわ。仲間外れは寂しいから、あたくしにもひとつ咬ませて下さいませんこと? 噂の少女と…ね」
不意に地鳴りが響き、少女達を揺さぶる。すぐ近くの道路をドイツの主力戦車達がゆっくりと走っていった。恐らくは、今回のパンツァーフェスタの宣伝車両なのだろう。見るからに真新しかった。
「あの子を、苛めないでよ」
サーシャは短く、しかしはっきりとエリザベドに言った。
「あら…苛めるだなんてはしたない事、する訳ありませんわよ?」
「あの子は弱い子なのよ。儚くて、線が細くて…友達だと言っても、少しでも苛めたら承知しないわよ」
「騎士道に誓って。そんな事はしないわ。真っ直ぐぶつかりに行く事はしますけれども」
エリザベドは胸に手を当てながらそう宣言する。やれやれ…とサーシャは小さく嘆息した。
「それで、詳細を教えて下さらない?」
彼女の言葉にローズマリーがそっと口を開いた。
「あの子の名前は、神無月しおり…黒瑪瑙の様に美しい黒髪に、神秘的なルビーの様に赤い瞳を持った、華麗な少女にして…播磨の学園艦に勝利を齎さんとする、小さな魔女よ」
「ふぅん…小さな魔女…神無月しおり…はて。神無月…もしや噂に聞く、戦車道流派の神無月かしら?」
「ご明察よ。でも…彼女は違うわ」
サーシャが静かに言葉を挟んだ。
「違うと言うのはどう言う事でして?」
「あの子は、神無月流が嫌いなのよ。美学も無く、ただ勝利をもぎ取っていこうとする…そんな流派を」
「ふぅん…面白そうな子ですこと…」
エリザベドはカフェ・クレームを一口飲んでから、言葉を発した。
「是非とも、お手合わせ願いたいですわ」
少女は不敵に笑った。我、好敵手を得たりと言わんばかりに。初夏の潮風が、街路樹の枝葉を撫でて行く。波の様に揺れる青い枝葉の音が、耳を擽っていく。はたはたと風に揺れる少女の髪は、何処か美しかった。
播磨女学園戦車道チームはゆるりとした一日を過ごしていた。戦車の大規模整備の為に訓練は出来ず、少女達は戦略研究と称して使用されていない視聴覚室を貸し切り、日がな一日ゆっくりと色んな戦車道の試合映像を眺めていた。中には個人所有の古い試合の映像もあり、今の試合には無い、しかし独特な勝負の熱さを少女達に知らしめさせた。そのまま、昼下がりには解散となり、戦車道で授業を免除されている彼女らは銘銘に緩やかな午後の過ごし方を決めた。神無月しおり率いる、三/四号中戦車のクルー達もそうであった。
「これからどうしよっかー? 大分時間余っちゃったけど」
装填手の大島明海が少女達に問い掛ける。朝から茶菓子をつまみながら試合映像を見ていたせいか、瞼が何処となく重たい。少女達はゆっくり出来る時間を欲した。
「喫茶店、って言う気分ではないね…学校でお菓子も摘んでいた事だし」
北村カレラが「はふ…」と欠伸をこぼしながら答えた。すぐ横を歩いていた霧島蓉子もやや眠たげな表情であった。
「あのー。良かったら私の家でゆっくりしていきます? ちょっと散らかってますけども」
おずおずとばかりに中嶋奏がそう提案して見せた。
「奏っちの家かー。そう言えばお邪魔した事無かったよねぇ。私達が行っても迷惑じゃない?」
「はい。人に見られて恥かしい物とか置いてませんから!」
「じゃぁお邪魔しちゃおうー! しおりんは大丈夫?」
「…大丈夫。特に予定も無いし…」
少女達は暫し歩き続けて、学校からそう離れていないアパートへと到着した。駐車場つきのアパートで何台かの古くて、しかし可愛らしい車が静かに並んでいた。恐らくはこのアパートの住人の持ち物なのであろう。
「あ! あの車知ってる! イタリアのフィアットって言ったよね? 可愛いー!」
大島明海は愛嬌のある、小さくてコロコロと丸っこいボディラインの車を指差して言った。
「えへへ…実はあのフィアット500、私の愛車なんです。親戚の小父さんから譲って貰っちゃって…」
「へぇ。そうなんだぁ…奏っち、もう自分の車持ってるなんて凄いねぇ…維持するの大変じゃないの?」
大島明海が中嶋奏の事を褒めると彼女は照れ臭そうに頭を掻いた。
「えへへ…ですんで、学校終った後にコンビニでアルバイトしてます。実家の仕送りのお世話にもなってますけど」
「自活出来る事は良い事じゃないか。私なんて、家の世話になりっぱなしだからね」
北村カレラの褒める言葉を聞きながら少女達は階段を登った。アパートの二階へと立ち入り、中嶋奏の部屋の扉を潜ると、部屋には趣味のアイテムが所狭しと飾られていて、とても賑やかであった。
中嶋奏の人柄と趣味が窺い知れる。同時に少しばかり、油のツンとした臭いが彼女らの鼻を擽った。テーブルの片隅には車の部品が置いてあった。
「うわぁー! 飛行機に船に車、列車に戦車、バイク…色んな玩具が置いてある…」
「これはまた…趣味の部屋だねぇ」
「とても賑やかなだな…」
少女達の口から次々に部屋の感想が飛び出てきて、部屋の主は擽ったそうに微笑んだ。
「奏っち、前から機械が好きみたいな気がしてたけど、本当に好きなんだねぇ」
大島明海が感心する様に呟いた。中嶋奏は冷えたお茶を友人らに配っていく。
「恥ずかしながら、母の趣味を色濃く受けてしまって…私の母、機械が大好きだったんですよ。車とかバイクとか船とか…飛行機なんかも全部。女の子らしくはないかもしれませんけども
好きで好きでたまらなくって。本当は工業科の方を受験したかったんですけれどもちょっと学力が追いつかなくって…でも! 自分で車の面倒見たりしているんですよ。今は予備のキャブレターの調子を見てるんです。ガイドブック片手に」
えへんと胸を張る中嶋奏の表情は、とても輝いて見えた。本当に自分の趣味が、今の生活が楽しくて楽しくて仕方が無いのであろう。ふと、大島明海は気になった事を聞いて見る事にした。
「じゃぁ、戦車道の話を受けた時ってとても嬉しかったんじゃないの?」
「勿論! 去年の播磨女学園の戦車道はあんまり活動して無かったーって聞いてたので、今年は出来るのかなぁ…って心配になってたんですけれども、皆と沢山戦車道出来て本当に嬉しいです!」
「戦車道に名乗りを上げた理由も、やっぱり戦車に乗りたいから?」
「はい。だって、早々乗れる物じゃないですもの」
「微笑ましい理由だねぇ」
北村カレラはくすくすと笑いながら、出されたお茶を飲んだ。汗ばみだす初夏の季節に冷たさが心地良い。
「そう言えば、元々射撃部の特待生だった北村さんはどうして戦車道に?」
中嶋奏ははて? とばかりに疑問をぶつけて見せた。確かに、態々特待生の彼女が何故戦車道を始めたのだろうか。
「ああ…つまらない理由だよ。普通の銃より大きな大砲をぶっ放してみたかった。それだけさ」
北村カレラは大した事は無いとばかりに呟き、髪を掻いた。
「私は刺激に飢えててね。ただの的を狙い撃つよりも戦車でも撃ってる方が楽しいかなって思ったのさ」
「なんてワイルドかつ素朴な…」
「天才ドライバーの霧島女史はどうなんだい?」
部屋の片隅に置かれていたクッションを抱きしめながらぼんやりとしていた霧島蓉子に北村カレラは声をかけた。
「…勉強しなくても成績貰えるって言うエサに釣られた。あと、その他の特典諸々」
「あっはっはっはっは! 単純明快だ! 明海くんはどうなのかな?」
「私? しおりんの事を支えてあげたいって思ったからだよ! だってしおりん、とてもじゃないけど一人で放っといて戦車道させられるような状況じゃ無かったし…」
大島明海は懐かしむ様に呟いた。そう、彼女が神無月しおりを支える事を決意したのも、もう一ヶ月も前になる。短いようで早い一ヶ月であった。その間に二度も戦車道の試合をして、そして…勝利を掴んだ。
「支えたい、か…中々に聞けない理由だよね…さて。しおり君はどうなんだい? 明海くんや生徒会長の言葉からだとあまり戦車道には良い感情を抱いては居ないみたいだったけれど…?」
北村カレラの言葉に、神無月しおりは小さく頷いた。
「…会長さんの…双葉さんの言葉が、とても…真剣だったから…私を頼ってくれたから…でも、今でもなんで、戦車道をするって決めたのか、自分でも判らない…あの人の言葉に流されただけかもしれない…だけど…」
一口、よく冷やされたお茶を飲んでから彼女は続けた。
「…今、皆との戦車道は…楽しい、って…そう、思える」
神無月しおりは、珍しくも小さく微笑みながらそう呟いた。
そんな友人のあどけない表情を見て大島明海は独り思った。
神無月しおりと言う少女が小さな歩幅ではあるものの、変化しつつあると。凄惨な人らしかぬ人生を送ってきた彼女の中で、この学園での生活とこの学園での戦車道が、彼女に微笑みをもたらしつつあると。何時か、この少女にも満面の笑みを浮かべられる日が来るかもしれないと思うと、少女の目頭は少しばかり熱くなった。
他愛も無い会話を交わして少女達は静かな時間を過ごす。穏かな時間の流れは思った以上に早いらしく、海の上の町はあっという間に夕暮れに染まっていた。団地からは夕餉の美味しそうな香りが漂ってくる。
「それじゃぁ、私達はこっちだから」
中嶋奏に見送られ、通り道を歩いていた大島明海と神無月しおりはとある曲り角で北村カレラと霧島蓉子に別れを告げた。その言葉にはて? と北村カレラは首を傾げ、疑問をぶつけた。
「明海くん、君の帰り道はあっちじゃなかったかい?」
指で方向を指し示しながら彼女がそう言うと、明海はうん、と頷いてから言った。
「この前まではね。実は生徒会長の葵センパイに頼み込んで、しおりんと一緒のアパートに引っ越させて貰ったんだー。そうした方が色々としおりんのサポートもしやすいと思ったからね」
「ははん。成る程…今までの家では通い妻では確かに大変だったろうね」
「もー! 茶化さないでよぉ!」
「いやいや失礼。ともあれお二人さん。また明日」
「またな…」
北村カレラと霧島蓉子の別れの言葉に少女達は手を振り合った。夕日の中を、少女達はそれぞれの帰路へと歩いていく。陽が落ちて、気温が下がりだすと潮風も何処か、肌寒い。
「ねぇしおりん。戦車道が楽しいって思うのは、本当?」
大島明海は何となく隣を歩いていた小さな少女に問い掛けてみた。不意の言葉に神無月しおりはきょとんとしたものの、大島明海を見つめながらに小さく頷く。
「…うん。前は…ただ、戦うだけで…勝つ事ばっかり求めてて…楽しいなんて…少しも思わなかった…」
「そっかぁ…」
「でも…今は、違う…皆、喜んでくれて…何だか嬉しい…だから、楽しいって…そう思う」
「成る程…ねぇ、しおりん? しおりんは…改めて戦車道をやり始めて後悔とかしてない? 辛いなぁ…とか」
新たな問い掛けに神無月しおりは考え込んだ。そしてゆっくりと言葉を吐き出す。
「……怖かった。どうなるんだろう、って…また、辛い事が始まるんじゃないかって…ずっと、胸が苦しかった。いきなり隊長を任されて…皆に教える事になって…間違っていないかなとか…大丈夫かな、って思ったり。でも…皆との戦車道で…最初の試合の時…T-34を撃破した時の皆の声を聞いて、心が凄く暖かくなった。モスカウ文化高校との試合に勝って…皆が凄くはしゃいだりして…私を褒めてくれて…喜んでくれて、嬉しかった…試合の間はずっと…ハラハラしてたけど…今思うと、楽しかったって思う…」
ぽつりぽつりと心中を話しながら、神無月しおりは思った。ここでの生活は…何もかもが眩しいと。願わくば、何時までもこうして居たいと。楽しいと言う気持ちを…もっと味わってみたいと。
「それじゃぁ、これからも一杯楽しい試合をしようね。しおりん」
「…ん…うん」
頷く友人の姿に、大島明海はよし! と気持ちを込めた言葉を発した。
「その為には先ずは日々の生活が確りしなきゃだよ! しおりんは今日の晩御飯何食べたい?」
「…肉豆腐」
「じゃぁ一緒にお買い物行こっか。あ。それと後でお風呂一緒に入ろー?」
「…明海さん、身体触ってきてくすぐったいからやだ…」
「えー。しおりんの意地悪」
他愛も無い日常が、緩やかに流れていく。暫しの休息。少女達の淡い一日。それさえもが、青春の一つ一つを彩る極彩色の思い出。何時か色褪せようとも、忘れられない日々の一つになる。
嘗て日本一の都会の一つであった東京は、今はゆったりとした佇まいを見せるようになった。遠い昔の日本の高度経済を支えた高層ビル群は耐用年数の到来によってその姿を消し、変わりに帝都と呼び慕われた頃を思わせる様な、小洒落た煉瓦造りのビルが増えた。街を行く人々や車達も、セカセカと行き急いだ物ではなく、ゆっくりと一歩一歩を踏みしめている。
静かな、だが趣のある雰囲気を出していた。そんな東京のとある一角。赤煉瓦が目にも眩しい、洋風建築のビルにトリットン・ウィルソン・パンツァー社の東京本社はあった。静かで落ち着いたビルの外見に反して、屋内の一部は熱気に溢れていた。いや、篭っていたと言うのが正しいかも知れない。
かの人のデスクの上には集められた資料が見やすい様に広げられ、赤や青、緑に黄色と言った様々なペンで目を引く様に幾つもの線が引かれ、激闘を臭わせる空っぽに飲み干された珈琲飲料の缶詰が片隅に追いやられていた。
「嗚呼、どうしたものかしら! パーツは見つかれども、良い戦車が全く出てこない! 出てきても余りに高価か、ポンコツか両極端が酷いじゃないの! メーカー側も必死に競技用の新車を出してくれているけれども、
財力に物を言わせた所とか懇意にしている学校に優先的に流れていく物だから、結局全然出玉が無いじゃない!」
早乙女光は嘆き悲しんだ。播磨女学園の少女達に大見得を切ってみたものの、現在の戦車道に新たに参入した様々な学園からの新しい需要と、戦力を与えまいとする嘗ての強豪や財力に余裕のある学園からの手によって、中古戦車の市場は大騒ぎであった。このままでは少女達に顔向けが出来ないと独り嘆き哀しみながら、この状況をどうにか打開せねばと彼女は策を巡らせた。
溜息を零しながら缶詰飲料のプルタブを捻り、ブレイクタイムを取る。今は煮立った頭を冷やさなければ。
「光ちゃーん。グツグツ煮えてるねぇ。大丈夫?」
不意に同僚のOL、鹿島ケイが後ろから声を掛けて来た。何でも嘗ては全日本学生戦車ラリーの大会に出場し、知る人ぞ知る活躍を果たした女性であるらしいが、深くは語らない人物であった。しかし人柄はよく、会社の上の方にその地位を置く人物とも仲が良いのだと言う噂を聞いた事がある。早乙女光の友人でもあった。
「ああ、ケイちゃん…もう駄目! アフリカ戦線に持ち込んだカヴェナンターぐらい茹だってる」
「それポンコツ寸前のオーバーヒートって言わない? 駄目だよー力み過ぎたら。それ、件の学園の子達に探してる戦車? 最近どれも人気だよねー。パンターにT-34-85、シャーマンファイアフライ。聞けば四号戦車やノーマルのシャーマンの値段も高騰してるとか。やんなるねー」
「そうなのよ。中古市場の値段が嫌な事になっちゃってて…どうしたら良いかしら」
「でも、この前のB1Bisの手腕は中々の物だったじゃない。課長も凄いねーって褒めてくれてたじゃん」
「だけど、あんな風に都合のいい中身空っぽの戦車って早々無いのよねぇ…空っぽの四号戦車だと、ブルムベア突撃戦車に魔改造されちゃったり、T-34だとSu-85とかSu-100の種車にされちゃったり…シャーマンなんて引く手数多!」
「伝説の第63回の戦車道全国高校生大会以降、ぐぐーっと人気が増えて、勢いが弱まってた戦車道と関係の企業が一気に元気になったもんねぇ…今や第二の戦車道の絶頂期とか呼ばれてるし」
「嬉しいやら大変やら…はぁー…」
ぐったりと肩を落としながらデスクに凭れ掛かる友人に鹿島ケイは優しく背中を叩いた。
「まーまー、考え込みすぎるのもあれだよー? 光ちゃんの頑張りは皆知ってるし、ちょっと生き抜きしたらどうー? 甘いもの食べたりお酒飲んだり好きな戦車見に行ったりー雑誌読んだりー。あ、雑誌といえばこの前出た『戦車と私』読んだ? 面白い記事があったんだよー個人所有のフィアット3000を直してラリーに参加するんだってさー」
「ヴィンテージ戦車のラリー競技に出るのかしら? それ。スケルトン戦車とか出てきて結構面白いわよね」
「そーそー。ヴィッカースの6トン戦車とかT-18軽戦車とかも出てくるんだよねー。それでまぁ特集組まれてたフィアット3000の修理方法が面白くってさぁ。雨ざらしで後ろがサビサビの車体と、榴弾で前がボロボロの車体のニコイチなんだよね。いやー、個人所有であれだけの大胆な改造は中々見れない…」
「…ケイちゃん。今なんて?」
「え? あー、大胆な改造云々かな。豪儀だよねー。バリバリーって切って貼って繋ぐんだもん」
「そのちょっと前!」
「んー? サビサビの車体と、ボロボロの車体のニコイチ?」
友人の言葉を聞いて光は目を大きく開いた。握っていた珈琲飲料の缶を握り締め、僅かに凹む。
「それよ! ニコイチよ!」
言うや否や、早乙女光は書類の納まったファイルを取り出し、目当ての情報を探し当てる。次いで電話を取り、何やら連絡を取った。
「急にテンション上げちゃってどうしたの?光ちゃん」
「ニコイチよ! ボロッボロで使えない戦車も、ニコイチサンコイチにしちゃえば使い物になるじゃない!
捨て値同然のリサイクル直行の戦車から、使える部位を見つけて、バーナーで切断してもう一回溶接して繋げるのよ! うちの会社、戦車の切った貼ったの修理はお手の物でしょう? ああ、何で今まで気付かなかったのかしら!」
「おーおー。考える事が豪胆ねぇ…修理部門に一言添えとこうか? 大きな修理の仕事が光ちゃんから来るよーって」
「お願い出来る? ああ、ヘルキャットの手も借りたい!」
「あっはっは。頑張ってねー」
斯くして早乙女光は希望を見出し、遠い海の上の少女達に鋼鉄の戦友を届けんと奮闘した。前回の聖・バーラム学院との戦いも心を奮い立たせてくれる見事なものだった。彼女らの力になりたい。そう。もっと輝いて欲しいから。彼女達に勝利と栄光を掴んであげさせたいから。その為にも、新たな戦車をいち早く届けたかった。
早乙女光と、そしてトリットン・ウィルソン・パンツァー社の奮闘により新たな戦車が播磨女学園に届けられ、そして組み立てられた。快晴であったその日、生徒会長の双葉葵は戦車道履修者の少女達を倉庫の前に呼び寄せた。
「えー戦車道乙女の諸君! 在り難い事に早乙女さんが新しい戦車を引っ張ってきてくれたよー! 今回の戦力増強は前回の比じゃぁ無い! 今までは僅かに6両、
二個小隊程度の戦力しかなかったウチらだったけども、なんと合計で3両も増えた! 今や播磨女学園の戦車隊は9両! 小さな中隊規模にまで成長する事が出来たのである! これも全て、戦車道の試合で大いに健闘してくれた皆の尽力あってこそだ! さぁ! 新車のお披露目と行こう! 拍手ー!」
少女達の歓声、そして拍手と共に倉庫の扉が開かれ、新たな戦車が姿を見せた。避弾経始に優れる傾斜装甲を身に纏ったドイツの中戦車。75mmの長砲身の対戦車砲がとても勇ましい。砲塔の防盾下部に兆弾防止の為の垂直装甲がついているのが何処と無くチャーミングな車両だった。
「うわぁー! パンターだ! かっこいー!」
「しかもこれ、足回りはパンター2じゃない? 転輪の配置が普通のパンターとはちょっと違うよ」
少女達の感嘆の声が響き渡る。そんな中、神無月しおりはぽつりと呟いた。
「…よく、こんなのが手に入ったな…」
そんな彼女の呟きに早乙女光は大きく胸を張った。
「頑張りましたよ。解体業者とか、中古業者に声を掛けて、オンボロな戦車の使える部分を切り貼りして、どうにか安くこしらえたんですから! あ、勿論強度とかは安心して下さい!ね 我が社の威信をかけてしっかり事前チェックしてますので。足回りは整備性を重視してパンター2の物を安く流用してみたんです。どうでしょう?」
「それだけじゃないっしょー? 早乙女さん。ほーら、出して出してー!」
パンター改に続いて現れたのは、2両のT69E3であった。
「T69が増えたー!」
「倉庫の中で壊れて眠ってた2両を早乙女さんのお陰で復旧出来たんだよー。足りない部品を頑張ってかき集めて。まぁ主砲は元々積んでた76.2ミリ対戦車砲じゃなくて、M4シャーマン初期型の75ミリ砲なんだけども…無いよりいいよね! バランスの良い戦車だし! 主砲は追々見つけて交換しちゃえばいいんだよ! なんとかなるさ!」
双葉葵は自らを納得させる様に少女達に説明した。神無月しおりも口には出さなかったがシャーマン相当の戦力が増強された事を歓迎した。しかし何故こんな物珍しい駆逐戦車がこの学園には3両もあったのか…小さな謎であった。
「続いて性能アップの時間だよ! カモーン!」
最後に現れたのは、三/四号中戦車とソミュアS35の二両だった。一見する限りでは、何処が変わったのかが判らなかったが、早乙女光は少女達に説明した。
「これ以上の武装の強化の難しかった三/四号とソミュアですが、主砲の砲身長を15口径ほど長い物に交換してみました。炸薬量の限界もありますので貫通力は大きく向上しませんけれども、これで砲弾が今までよりも真っ直ぐ飛んで命中精度が上がりますよ!
勿論、今回の改造は非正規戦車道でのルール違反に抵触しませんのでご安心ください。砲身延長はドイツの戦車開発で事例のあった物なので。改造に合わせて照準器のレティクルも調整しておきました」
「ありがたい改造です…早乙女さん」
「どういたしまして!」
会話を交わす神無月しおりと早乙女光の傍らで、ソミュアS35のクルーの久留間舞子とその仲間達は泣いて喜んでいた。どうやら少しでもチームの力となれるのが嬉しいのであろう。そんなソミュアの砲塔には、勇ましげに一つのキルマークが描いてあった。
前回、聖・バーラム学院との試合で撃破した重戦車TOG・MK1の物である。彼女達にとってはとても誉れ高い思い出であろう。当の試合では最終的に撃破されたものの、彼女らの喜びようは半端では無かった。
「それじゃぁ最後に新しいお仲間の紹介だよーん。個性的なクルーが追加されまーす」
双葉葵の言葉に少女達は小さくざわめいた。今度の仲間達はどんな少女なのだろうと。シャールB1terの車長である東郷百合も個性的な少女であったが、悪い少女では無かった。
性格や見た目は軽薄であったが、訓練や試合では大変真面目であったから。初戦の試合後も彼女は熱心に練習に打ち込んでおり、既に仲間達と打ち解けていた。
「先ずはパンターの方からね。こっちおいでー」
呼び掛ける声が倉庫の外へと投げかけられ、人影が扉から現れる。先頭を歩く少女の肌は白く、地中海の様に鮮やかな青い瞳に、高身長で綺麗な金髪をゆったりと伸ばした、明らかに異国の血の流れる少女であった。頭にはバッチを外した質素な将校帽を被っていたが、酷く似合っていた。
「バウムガルト・桜だ。フロイライン諸君、宜しく頼む。気軽にフラウや桜とでも呼んでおくれ」
「戦車道やってたお母さんがドイツ人で、こっちで結婚したんだってさー。彼女は前から勧誘しててねぇ、今回漸く首を縦に振ってくれたんだよー」
「戦車ゲーム程度の実績しかない私が参加するのは力不足だと遠慮していたんだがね。会長殿の説得に折れてしまったのと、隊長殿の活躍に興味が湧いたものだからね。こんな私でも上手く使ってくれるんじゃないか、と」
そう言うと桜は辺りを見渡し、目的の人物を見出すと「見つけた」と呟いた。スラリとした長い足で滑らかに歩み寄ると、彼女は神無月しおりの前で恭しく跪いた。宛ら騎士の様に。
「貴女が、コマンダンテの神無月しおりだね。私の事を剣として、盾として、存分に使って欲しい。バウムガルト家は代々そうやって生きてきた。宜しく頼む…我が主、我が魔女よ」
仰々しくもそう述べると、バウムガルト・桜は神無月しおりの手に小さなキスを落とした。その様子をぼんやりと見つめながら神無月しおりは僅かに考え込み、「宜しくお願いします」と小さく呟いた。
「まるで御伽噺の中の騎士みたいな子だねぇ」
クスクスと苦笑しながら北村カレラが周りの少女を代表するかの様に呟いた。バウムガルト・桜のその見目麗しい容姿も、そして立ち振る舞いさえも、確かに騎士を思わせる物であった。
「実際そうだったのだ。遠い昔、私の一族は騎士として名を馳せていた。そして今も、誇り高い騎士の心を忘れまいとしているだけだよ。可笑しいかね?」
「いいや、ナイト様には是非とも期待しよう。パンターに騎士…お似合いじゃないか。シュバルツリッターと呼ばれた戦車兵が居たらしい、と聞いた事があるからね」
「かの人か。私の憧れの人でもある。あの人の様に粘り強く、そして勇ましく戦える物ならば、そうしたい」
「仲良く成れそうでよかったね? 桜ちゃーん。んじゃま、新しいT69E3のクルーも呼んじゃおう。入っておいでー」
手を叩きながら、双葉葵は再び扉の向こうへと投げかけられ、少女達が現れた。手を繋いで先頭を歩くのは、双子の少女。長いサイドテールを左右互い違いに結んだ少女であった。
「四葉アカリと言います」
「妹のヒカリと言います。姉妹共々、宜しくお願いします」
「ウチの親戚筋の子だよー。仲良くして頂戴ねー。良い子だからさぁ」
「双葉姐さんにどうにか手伝ってと拝み倒されました」
「ちょっと強引な親戚の姐ですが、今後ともどうぞ宜しく」
「ひどっ!? ウチはそんなに強引じゃないし! 凄くお願いするだけだし!」
親戚同士の歯に衣着せぬやり取りに少女達はクスクスと笑った。神無月しおりもまた、賑やかな人だと独り思う。倉庫に笑い声が溢れた時、双葉葵は場の空気を改めさせた。
「さて、顔合わせは程々にして次のお話行くよー? 次の試合が決まったよ皆ー。再来週の週末にメロヴィング女子大学付属高校との戦いがある。確り練習に励んで欲しい。相手は中々のツワモノだと聞いたよ」
双葉葵の率直な言葉に少女達はざわめいた。ツワモノと呼ばれる様な相手からの挑戦が飛んでくるとは。神無月しおりも小さく眉を潜めた。どの様に戦えば良いか、彼女は直ぐに考えていた。
「どんな学校なんです? そのメロヴィングって言う舌を咬みそうな学校は」
少女の一人が双葉葵に質問をぶつけ、彼女は頷き返して、資料を田宮恵理子から受け取ると話した。
「フランス系の学校らしい。騎士道を重んじるとかどうとかと聞いているね。フランス系の学校といえばマジノ女学園や、BC自由学園なんかが有名だけども…この二つの学校とメロヴィングは明らかに違うらしいよ。戦力を確りと揃えている上に、縦横無尽にフィールドを駆け回る事を良しとしている機動戦重視の学校だ。その昔のナポレオンがやったって言う集団突撃さながらの電撃戦モドキを敢行してくる事もあるらしい。
戦力はわかっているだけでもB1ter! そしてソミュアS35の対戦車自走砲型。これは90mm砲を積んでるみたいで、威力はティーガー1の88mm砲とほぼトントン。おっかないねぇ…残りは残念ながらよく分らない。フランス系戦車ってデータ中々出ないんよねー」
ごめんね、と双葉葵は少女達に謝った。彼女としては出来るだけ情報をかき集めたのであろうと、神無月しおりは分析する。主力はほぼB1terと考えて良い。ソミュア対戦車自走砲は恐らく火消しの役割だろう。
他の戦車に側面を守ってもらいながら、その火力を行使して敵戦車を撃破するのが目的か。他にどんな車両が紛れ込んでいるか分らないのが不安要素であるし、戦うのが大変かもしれない。しかし…戦えない事は無い。決して。
「良い表情だ。我が主。既に仲間と共に勝利する方法を考えている」
バウムガルト・桜の言葉を受けて神無月しおりは小さくハッとした。そうだ。自分は勝つ事を考えている。皆と一緒に。喜びと栄光を掴む為に。そんな風に物事を考えているだなんて、自分では思ってもいなかったが。
「…皆とする戦車道は…楽しいから」
「楽しいか。それは良い事だ。我々の行っている事は『道』だ。それは勝利だけが全てではない。勝利だけに目が眩んだ人間は悲惨だ。堕ち行く先は地獄しかない。しかし…喜びや楽しみ、その他の何かを見出す者は決してそうは成らない。誇っても良い。貴女は良い道を歩んでいるよ。紛れも無く」
「…そう、かな」
「そうとも…それで、我が主よ! どうするかね? 皆、今か今かと貴女の号令を待っている!」
芝居がかった、しかし、何故か嫌味に思えないバウムガルト・桜の言葉を聞いて神無月しおりは辺りを見渡す。其処には士気に溢れた、少女達の顔があった。皆が待っていた。如何すべきかと。神無月しおりの言葉を待っていた。
「…皆さん。聞いてください」
静かに深呼吸を繰り返し、しおりは言葉を発した。
「次の相手との戦いも、きっと大変な物になるでしょう。相手は恐らく、B1terを主力とした重戦車部隊による電撃戦を仕掛けてくる筈です。私達のペースを掻き乱して、ソミュア対戦車自走砲による高火力で決着をつける。その様な戦法を取ってくるのではないかと、私は予測します。
ソミュア対戦車自走砲は装甲こそ強固な物ではありませんが、火力は高く私達を簡単に撃破、ないしは行動不能に陥らせるかもしれません。しかし、勝機はあります。B1terも、ソミュア対戦車自走砲も、高火力の戦車砲は車体に取り付けられており、自由が利きません。
乱戦に持ち込めば、旋回砲塔に高火力の戦車砲を搭載している私達に分があります。また、相手が電撃戦を仕掛けてくると言うのであれば、相応の対応も取れます。
パンツァーカイルは確かに強い戦闘陣形ですが、側面から切り崩してしまえばどうと言う事はありません。落ち着いて対処する事が勝利に繋がるでしょう。此れより本日の訓練に入ります。既に修練が熟している私達6両は待ち伏せ射撃の訓練を。新しく入ったバウムガルトさん、四葉さん達の3両は基本訓練を行って下さい。戦車にある程度慣熟しましたら、私達の訓練に合流して貰います。総員乗車! これより行動を開始して下さい!」
神無月しおりの号令と共に少女達は「はい」と力強く答え、そして各々の戦車へと向かっていった。
「お見事だったよ。力強い言葉だった。出来るだけ早く、貴女の力になって見せよう」
バウムガルト・桜はそう言うと神無月しおりの肩を優しく叩き、敬礼するとパンターの元へと歩いていった。神無月しおりは小さくホッと溜息を付いた。どうやら彼女を失望させる事は無かったらしい。
「神無月さん。本当に見事だったわ。訓練頑張ってね」
一部始終を静かに見届けていた早乙女光が声をかけてきた。神無月しおりは小さく会釈する。
「早乙女さーん。例のアレの件、どうなってますー? 上手く行きそう?」
何時の間にか、缶珈琲を腕に抱きながら双葉葵は声をかけてきた。「どうぞ」と声をかけて彼女はひんやりと冷えている缶を早乙女光に手渡した。はて、例のアレとはなんであろうか? と神無月しおりは小さく首を傾げる。
「件の重戦車の事ね。時間は掛かるかも知れないけれど。なんとか使い物になる様に仕立てるつもりよ! 安心してくれて構わないわ。既に会社の方でも色々と動いているから」
「そっかー。そりゃありがたいねー。しおりちゃん。聞いての通り、ウチも重戦車を持つ事になるんだよー」
「…そうなんですか…でも、上手く使えるかな…」
重戦車は戦力として確かに魅力的である。装甲も厚く、同時に火力も高い。しかし、扱いに慣れないと自滅する事が多いのも歴史が示した通りである。それは戦車道にも同じ事が言えた。
「大丈夫大丈夫! なんとかなるって。とりあえず今は目先の訓練に励もうじゃないの」
「…そうですね。行きましょうか」
「頑張って下さいね。何時も応援していますから」
早乙女光の言葉に神無月しおりと双葉葵は頷き、そして戦車へと乗り込んでいった。緑化公園区域へと向かい、訓練を始める。待ち伏せ射撃の訓練は兎角シンプルである。どれだけ相手に見つからないように戦車を草陰や物陰に隠蔽し、そして移動する目標を確実に射撃するか。
神無月しおりは丁寧にレクチャーし、戦車の隠蔽の仕方などを少女達に教え、射撃訓練に移った。一両ずつ交代しながらの訓練である。ペイント弾を用いた待ち伏せ射撃を受けた車両は塗料で見事に汚れ、何処に被弾したのかをありありと見せてくれた。
しかし、同時に分りやすくもあった。どんな箇所を狙われるのか。同時にどんな箇所を狙えば良いのか。神無月しおりは撃破出来なくとも履帯や駆動輪、誘導輪を狙うのが効果的だと説明し、少女達に射撃させた。
暫くして、幾らかの慣熟訓練を終えたパンターと2両のT69E3を迎え入れて、複数の車両が突撃してくる状況を想定しての訓練となった。日が暮れる頃には、どの車両もペイント弾の塗料塗れになったが、最後に彼女らは戦車を丁寧に洗車した。鋼鉄の仲間を労う様に。斯くして少女達の一日は過ぎてゆく。疲労の対価に、確かな技量を受け取って。
…あくる日の夜。神無月しおりは中々寝付けなかった。普段は特にそんな事は無い。ぼんやりとしていれば、知らず知らずの内に眠りの海に沈んでいた。しかし、その日の彼女は眠れずに居た。
「…ふぅ」
溜息を一つつき、テーブルに置いていた水筒からコップへとお茶を注ぎ、一口飲んだ。時刻は12時を幾らか回った程。神無月しおりは暫し考え込み、パジャマを脱ぐと普段着のジャケットとパンツに着替えた。
玄関に何時も吊るしている鍵を取り、彼女は静かにアパートを出る。夜の世界は静かな様で、不思議な物音に包まれている。空気も冷えているからか、遠く海の何処かからの音も風に乗って聞こえて来た。出来るだけ物音を立てないように、静かに階段を下りていく。自分の足音が恐ろしく大きく聞こえたが、昼間程の大きな物音が無いからであろう。
アパートのすぐ傍にある駐輪場へと歩き、神無月しおりはシートが被せられた物体に近付いた。布の擦れる音を聞きながらゆっくりと剥ぎ取る。其処には銀色のメッキが施された、洒落たオートバイがあった。勇ましいV型2気筒のエンジンの、ヨーロッパ生れのバイク。屋根のある駐輪場から愛車のオートバイを引っ張り出し、ヘルメットを被り、愛用のゴーグルをセットすると神無月しおりはキックスタータを力強く蹴った。
エンジンは軽快に始動し、静かな夜にV型2気筒のドコドコと言う独特のエンジン音を響かせた。ギアをニュートラルから一速へと入れてクラッチミート。オートバイは軽やかに夜の学園艦を走り出した。神無月しおりはオートバイに乗るのを気に入っていた。風に吹かれながら何処かへと走っていると、嫌な事や苦手な事を思い浮かべずに済むから。そして、ゴーグル越しに流れていく世界を見るのが、面白かった。知らない景色を見るのは楽しかった。
大きな回り道をしながら、神無月しおりは学園艦の艦尾に向かった。直ぐ近くには飛行場があったが、真夜中の離着陸は行われておらず、とても静かである。艦尾の海を眺める公園は、数組のカップルが夜の海を眺めている。離れている所では、アコースティックギターを爪弾いている人が居た。
近くの駐車場に愛車のオートバイを止めた時、一風変わった車が神無月しおりの目に留まった。流線型のコロコロとしたデザインのセダン。タトラT603であった。
「わぁ…タトラだ…懐かしい」
神無月しおりはそう呟きながらタトラT603に近付いていった。中学生の頃まで身を寄せていた学校、甲斐女学園でも何度か見かけた事がある。その少し独特の、しかし愛嬌のある丸いフォルムが神無月しおりは気に入っていた。
「あたしのヨーツンヘイムに、何か用か」
不意に神無月しおりの背中に言葉が浴びせ掛けられ、彼女は驚いた。そして振り返る。其処には、何時もアンニュイ気な掴み所のない表情を浮かべている霧島蓉子が缶飲料を片手に立っていた。
「…なんだ。神無月か」
「ぁ…霧島、さん…」
「どうしたんだ。こんな夜中に…こんな場所で。眠らなくていいのか」
「ちょっと…眠れなかったから…ドライブに」
「そうか」
「霧島さんは…どうして此処に…?」
「ん…?ああ、学園艦の船舶科への、夜食の宅配の帰りでな…ここの自販機にしか置いてない紅茶を飲みに来たんだ」
そう言うと彼女は手に持っていた缶飲料を見せてくれた。神無月しおりはそれをしげしげと眺めた。
「…こうしてここで会ったのも何かの縁だ。飲み物を奢ろう」
「ぁ…ご馳走に、なります…」
海を眺める公園のベンチに腰掛けて二人はゆっくりと其々の飲み物を飲んだ。神無月しおりは悩んだ末にオレンジジュースを買ったが、「意外と可愛い所があるのだな」と霧島に言われた。
「神無月を見ていると、色々と不安に思う所がある」
唐突に霧島蓉子が話を切り出したので、神無月しおりは静かに耳を傾けた。
「…何故、あんなにオドオドとしているのか。何故、そんなにも浮世離れしているのか。何故…戦車道をしている時だけは、まるで人が変わったかの様に超人然としているのか…疑問が尽きない」
「…それは…」
「言わなくても多少は推測出来る。その様にずっと生活をしてきたからなんだろう…戦車道ありきの生活が身体に染み付いているんだな」
そう呟き、霧島蓉子は一口、お気に入りの紅茶を飲み、ほぅ…と溜息を潮風に溶かした。
「戦車道の腕に関しては買っている。だが、それだけでは…私が神無月を信頼するには少し足りない。神無月…お前は、戦車が好きか?」
「…え?」
神無月しおりは、思っても居なかった質問を霧島蓉子に問われた。
「好きな物を、他人に悪く言われる権利は無い。好きなら好きと言えば良いと…戦車会社の早乙女さんに話していただろう。あの言葉がずっと引っ掛かっていた。
あんな言葉を言い切るのだから、神無月は戦車が好きなのだろうと…だが同時にずっと疑問に思っていた。どうして時々戦車道で苦々しい表情をしているのか。表情を暗くしているのか…と」
「……」
神無月しおりは隣の少女の言葉を聞きながら、小さくオレンジジュースを飲んだ。甘味が消えたような気がした。
「神無月…お前は戦車が嫌いか?」
「違うっ…!」
霧島蓉子の率直な言葉に、神無月しおりは珍しく、言葉を荒げた。その普段の姿との変わりぶりに霧島蓉子は軽く驚いたが、しかし楽しそうに僅かに口角を釣り上げた。
「戦車が…嫌いなんて…無い…私は、ただ…」
「ただ、なんだ…?」
「……戦車道が…嫌なだけ…辛かった戦車道、が……」
「辛かった、戦車道…」
「…私は…何時も…戦車道、してたから…物覚えが付いた頃から…他の皆が…遊んでる横で…ずっと、ずっと…戦車道してて…戦車道をしないと、叱られて…
負けた時は、もっと叱られて…だから、辛かった…お母様も、上のお姉ちゃんも…戦車道は、勝つのが当然って考えだったから…辛くて、しょうがなかった…でも、戦車だけは…違うから」
「…ほう? 戦車だけは、違う?」
神無月しおりの言葉に、霧島蓉子は鸚鵡返しの様に聞き返した。
「…戦車は、何時だって私の味方だったから…何も、文句は言わなくて…うぅん。違う…酷い扱い方をしたら、当然戦車も扱う人を嫌がるけど…そうじゃなくって…
頑張って、戦った時…戦車は何時でも、私に応えてくれるから…それに…負けたって、私を責めたりしない…ボロボロになっても、まるで私に頑張ったって…何時も言ってくれるみたいな気がして…そんな戦車の気持ちに応えたいって思えて…戦車は、私の理解者な気がして…だから、好きなの…」
神無月しおりは、手に持った缶を見つめながらぽつぽつと、たどたどしく心の中で思っていた事を話した。上手く伝えられたか、自信の無かった彼女は「ごめんなさい、上手く話せなくて」と霧島蓉子に謝った。
少女の間に、静かな時間が流れた。潮風の音。学園艦が海を走る細波の音。そして、遠くで爪弾かれるアコースティックギターの音が、少女達を優しく包んだ。時折、遠くから自動車か何かの音が聞こえた。
「…神無月の言いたい事は判った」
ぽつりと霧島蓉子が呟き。飲み干した缶をゴミ箱へと投げ入れた。空き缶は放物線を描いて見事にゴミ箱に収まる。
「本心が聞けて良かった。勝利だけの戦車道は嫌いでも、戦車を愛している事はよく判った。漸く安心して、運転に専念出来る。戦車が嫌いな奴の指示で、あたしは戦いたくなかった」
「…霧島さん…」
「神無月…答えて無かった事がある。先日、何故戦車道を履修したのか、と言う話があったろう」
「…うん」
「あたしは、車が好きだ。車に乗っていると、何処までも走って行けそうな気がする。世界の果てまでも。ある意味在り難い事に小さい頃から、あたしはずっとハンドルを握ってきた。今も変わらず、ハンドルを握って走り続けている。双葉会長に誘われた時、あたしはただ面白そうだと思った。
戦車と言う車は、あたしにどんな感動を、どんな世界を見せてくれるのかと思った。思う存分振り回してやるのが、大好きだから。車の性能の限界の、更に一歩先まで搾り出して、車と一体化して走るのがあたしは好きだ。
そうやって走る時、幸せな感情で心が一杯になる。そうやって戦車で走った時、きっと普通の車とは違う何かが見えるんじゃないかって思った。だから、誘いに乗った」
霧島蓉子は両手を翼のように大きく広げ、数歩歩き、神無月しおりへと振り返った。
「だからあたしは、全力を出したい。戦車は一人で乗る物じゃない。皆で乗る乗り物だ。だから戦車が嫌いな奴とはやりたくなかった。皆で全力で、戦車を振り回したいんだ。世界の向こう側を見たいから」
「…うん」
「…話が聞けて良かった。改めて宜しく。神無月…いや、しおり」
霧島蓉子がそっと手を差し出してきた。神無月しおりは、それに応える。力強い握手を、霧島蓉子はした。
「お前が戦車を好きで居る限り、何処までも走ってやる。何処へでも連れて行ってやる。例え地獄の果てまでも」
「…ありがとう、霧島さん…」
海を眺める公園に備え付けられた時計が、時間を告げる柔らかな鐘の音を鳴らした。少女達ははたと、話し込んでしまった事に気が付く。霧島蓉子は腕時計を見やり時間を確認した。
「…話し込んでしまった。そろそろお開きにしよう。また明日、しおり」
「うん…霧島さん…また明日」
二人は駐車場へと歩いていき、それぞれの愛車に近付く。神無月しおりは勇気を振り絞って声を出した。
「あの…!」
「うん…?」
少女の言葉に霧島蓉子は気が付き、目線を絡ませた。
「…また、お話したい、な…」
おずおずと気持ちを打ち明けた神無月しおりに、霧島蓉子はクスリと笑った。
「夜更かしは身体に悪いぞ。それでも良いなら、幾らでも付き合おう」
「…! …ありがとう」
少女のあどけない微笑みに、霧島蓉子は思う。人並みに笑う事が出来るんだな。と
「おやすみ、しおり」
「おやすみなさい…霧島さん」
タトラT603とオートバイはエンジンを始動させ、それぞれの帰るべき場所へと帰っていった。それぞれのオーナーの、掛け替えの無い思い出を静かに載せて。心を通わせると言う、貴重な体験を載せて。
時が流れ行くのは瞬く間の物であり、メロヴィング女子大学付属高校との非正規戦車道の試合の日がやってきた。今回の試合会場は森林山岳地帯であり、戦車の輸送にもやや時間が掛かった為、播磨女学園の戦車道チームは
夜も開け切らぬ内からD50型蒸気機関車に牽かれた輸送列車に揺られて会場入りを果たした。三度目の鉄道輸送ともなれば、石炭の臭いも慣れた物で、輸送列車の客車の中で朝を迎えた少女達は車窓から見える世界を眺めながら朝食を食べた。
この様な食事も、良い意味での慣れを感じつつある。ちょっとした遠足の様でもあった。楽しげな少女達の語らいが、神無月しおりには心地良い。
他愛の無い会話も無く、ただ試合の遂行と勝敗のみを語っていた嘗ての学園での戦車道は、ただただ空気が重苦しかった。しかし、今は違う。皆と一緒に仮眠用のベッドに横になり、朝日と共に目覚め、仲間達と笑いながら食事を楽しむ。
些細な…たったのそれだけであるが、神無月しおりには換え難い愛おしさが其処にあった。
会場の最寄り駅に少女らを載せた臨時の輸送列車が止まり、戦車を輸送用貨車から下す。鉄道職員の協力も勿論あるが、少女達は自発的に行動した。
任せきりになど、誰が出来ようか。この何トンもの重量のある、生きた鋼鉄の塊は紛れも無く、少女達の仲間なのだから。試合の運行委員会の指示に従い、待機地点へと車両を走らせ、一端の一息を付く。
試合直前の最後の整備点検と、燃料弾薬の搭載を行い、白旗判定装置のチェックを受けて漸く準備を終えた。
その頃にはもう朝日も高く登りだしており、じんわりと汗ばむ陽気が少女達を照らしていた。天気は晴れやか。今日も良い戦車道日和である。
相変わらず、会場の周囲には出店が立ち並び見学客で賑わっていた。遠くの場所や学園艦から足を運ぶ人々は飛行機をチャーターし、会場近くの空港に降りると、送迎バスを使ってここまで辿り着くのだと言う。
お陰で、空港の駐機場には各地から飛んできた様々な飛行機で面白い展覧会みたいな事になるのだと中嶋奏は話していた。
一部のヘリや飛行船は会場のすぐ近くにまで飛ぶ事が出来るらしく、そちらもまた面白いらしい。
待機時間の間に、今回も顔を見せてくれたモスカウ文化高校のサーシャと、聖・バーラム学院のローズマリーの二人に神無月しおりは顔が緩く綻んだ。
彼女らの「友人なのだから、こうやって観戦に来るのは当然の事よ」と言う言葉にしおりは心が温かくなるのを感じた。些細な事。しかしそれがとても愛おしい。
「今日の試合も、楽しんでらっしゃい。今日の対戦相手は正統派の戦いを仕掛けてくるわよ」
サーシャの簡単な助言に、神無月しおりはそっと頷いた。
スピーカーから放送が流れ、各校の隊長の顔合わせに神無月しおりは呼び出された。従うがままに顔合わせの舞台に神無月しおりは歩き、そして対戦相手の長と顔を合わせた。
彼女の直ぐ傍には、本人は勤まらないと何時も謙遜していたが、名目上の副隊長として双葉葵が寄り添っていた。
軍服を元にデザインしたのであろう、目にも鮮やかな明るめの青いパンツァージャケットを身に纏い、黄色い髪をツインテールに纏めた、グレーの瞳を持つ小柄な少女が胸を張って現れた。
傍らには副隊長であろう、ブロンドの髪をボブカットにして、ブラウンの瞳を持つ背がスラリとした少女が立っていた。
「御機嫌ようですわ。播磨女学園の皆様。あたくしはメロヴィング女子大学付属高校の戦車道チームの長。エリザベド・ガリマールと申しましてよ。こちらはあたくしの腹心のクロエ・アンペール。どうぞ宜しく?」
スカートの裾を小さく持ち上げながら挨拶するエリザベド・ガリマールの立ち振る舞いは酷く堂に入っていた。
「…播磨女学園、戦車道チームの隊長、神無月しおりです。宜しく」
「副隊長をやらせて貰ってる、双葉葵だよー。宜しく」
神無月しおりの一礼と、名乗りを聞き、エリザベド・ガリマールは楽しそうに目を細めた。
「貴女が、噂に聞く播磨の魔女なのですね…噂通りの、綺麗な人…」
「悪いけど、あげないよー? うちの大事な隊長さんだもの」
冗談めかして双葉葵が言うと、エリザベドはケラケラと笑った。
「貰いたいだなんて。そんな失礼な事は思いませんわ! 貴女は、仲間であるより好敵手として存在する方があたくしにとって面白そうな人物ですもの。本日の試合。全力でぶつからせて頂きますわ。我々の騎士道。とくとご覧あれ」
言い終えたエリザベドは手を差し伸べ、神無月しおりと握手を交わす。二人はそこでそれぞれの陣へと向かうべく別れようとしたが…
「ああ、そうでしたわ!」
何かを思い出したのか、エリザベドはせかせかと神無月しおりの元に戻ると、白いシルクのハンケチを彼女に突き出した。神無月しおりはなんであろうかと理解が及ばず、キョトンと小首を傾げる。
「形だけとは言え、これは決闘よ。貴女とあたくしの。勿論、受けて下さいますわね?」
鼻息も荒く、しかし堂々とした表情のエリザベドに気圧されながらも神無月しおりは彼女のハンケチを受け取った。
「宜しくてよ! では、御機嫌よう。そのムショワールは記念にあげますわ。Au revoir!(またね!)」
立ち去ってゆくエリザベドの小柄な背中を見送って、神無月しおりはぼんやりとした。
「やぁー。元気な人だねぇ? なんて言うか…自信満々?」
「えぇ…ちょっと、変わった人…でも…」
神無月しおりはぼんやりと受け取ったハンケチを見つめた。可愛らしいレースの刺繍が施されており、とても品のいいアイテムであった。見るからに、値段も相応に高そうであるが…
「…悪い人では、無さそう」
薄っすらとハンケチに掛けられた香水の香りは、優しさに満ちていた。
「淑女諸君。準備は出来ていらして?」
エリザベドは自らが率いる軍勢の前へと立ち、少女達に確認の言葉を投げかけた。
「Tout va bien. 全て問題ありません! 我らが団長様」
「結構。今度の戦いも、其々が持つ力を存分に発揮する事を願いますわ。総員搭乗! 戦闘配置!」
「Oui, general!(了解しました!)」
ゾロゾロと受け持ちの車両へと乗り込んでゆく少女達を前にし、エリザベトは微笑んでいたが、そんな彼女の直ぐ傍らに立っていた少女、副隊長のクロエ・アンペールは小さく耳打ちした。
「エリザベド。笑顔が少し引き攣っていますが…」
「ああ、分りまして? 貴女も見たでしょう?あの娘の瞳を…」
隊長の言葉にクロエもゆっくりと頷き返した。
「ええ。凄い瞳の色をしていました。まるで魔女の鍋の底のよう…」
「戦車道の世界選手でさえも、あんな瞳をしている人はそうは居ないわ。幾つもの死線を潜り抜けてきた化け物にしか出来ない瞳…
魔女と言う渾名も、彼女の評価としては強ち偽言では無さそうね…?」
「そして貴女は、そんな彼女と戦う事に喜びを感じている」
「えぇ。これを悦ばずに何を悦べと言うの?」
エリザベドは打ち震えていた。あれ程の『何か』を抱え込んだ戦車道乙女はそうは居ない。彼女には見えていた。世間一般でオーラと呼ばれるソレを。神無月しおりからは滲み出る何かがハッキリと見えた。それを知りたい。それを暴きたくて仕方が無い。そんな彼女を打ち倒したい。エリザベドの心はその思い一色で染まり切っていた。
「少し、嫉妬してしまいます。貴女の心をそんなにも惹き付ける彼女が」
「貴女のそう言う正直な所。あたくしは大好きでしてよ? じゃぁ。行きましょう? 私のクロエ」
「イエス。マイロード」
12両の戦車がエンジンを目覚めさせ、唸り声を上げる。地響きを轟かせながら、所定のポイントへと走り出した。幾つもの轍を地面に残して。道中にて、部下の一人の少女がエリザベドに問い掛けた。
《エリザベド様。この度の戦い、どの様に戦いましょう?》
エリザベドは僅かな間小さく悩み、そして即決した。
「相手に時間を与えては成りません。恐らく相手は何らかの手を打って、此方に損害を与えて来る筈。試合が開始次第、全軍パンツァーカイルにて突撃。魔女を蹂躙するわよ」
《了解しました!》
やがて、示し合わされた待機地点にまで車両が到着すると暫しの静寂があった。エリザベドは今か今かと開始を知らせる花火が打ち上げられやしないかと空を見上げ続けていた。やがて、待ち草臥れてきたと彼女が思う頃、空高くに花火が打ち上げられ、パン…とくぐもった音が響き渡った。
「全車、前へ! パンツァーカイル!」
《Oui, general!》
少女の号令の下、隊長車と副隊長車を鏃の中心とし、その左右にメロヴィングのB1terが広がり、鏃の中央に二両の90mm砲を搭載したソミュアCA対戦車自走砲が連なった。
正面装甲こそ、約55mmの物を持っているが、側面は僅かに35mm程度しかないソミュアCA対戦車自走砲を守る為の苦肉の策でもあった。幾ら強力な主砲を持ち合わせていても、一撃でもクリーンヒットを貰えば一溜まりも無い。それを防ぐ為のパンツァーカイルでもあった。
「あ…見えてきおった! こちら久留間どす。敵さんの戦車、ゾロゾロと並んで進行しとります。パンツァーカイルの陣を敷いてますわぁ」
《了解です。戦車の情報が手に入ったら、直ぐにコチラの方へと引いて下さい》
偵察に出されていたソミュアの車長、久留間舞子は携帯電話を片手に連絡を飛ばした。
「舞ちゃん。先頭を走ってるの、全然見たことない戦車だね」
ソミュアの無線手をしている少女、有井姫子がデジタルカメラを構えながら応えた。パシャリ、パシャリとシャッターを切る音が響く。撮影した写真は直ぐにフラッグ車の無線手、中嶋奏に送られる。何分、今回の敵情を把握出来ずに居た結果編み出された彼女らの方法であった。
「砲塔がズングリしとって、うちらの三/四号にちょっち似てますなぁ?」
「そうかなぁ? それより、早く逃げるよ!」
「分ってますよぉ」
少女らは傍らに隠しておいたソミュアS35に乗り込む。その寸前に、予め背負わせておいた木々の束を地面に投げ下ろした。ロープに繋がれたそれがソミュアS35によって引きずられると、もくもくと砂埃を上げた。
「これで上手いこと食い付いてくれたら、困る事ありまへんけど」
久留間舞子は少し自信無くつぶやくのであった。
「神無月さん! 久留間さん達から情報来ましたよ! メロヴィングのチーム。ある意味凄い戦車使ってます!」
タブレット端末に転送されてきた、デジタルカメラの映像を中嶋奏はキューポラから外を伺っていた神無月しおりに見せた。そこに映っていた車両の姿に、彼女も小さく息を飲む。
「BDR/G1に、ルノーG1…!」
「それも、BDR/G1は90mm砲を搭載。ルノーG1は105mm榴弾砲ですよ。改良型砲塔を搭載していて、どっちも強いです!どうしましょう?ルノーG1は砲塔装甲は全周60mmと分厚いし、BDR/G1に至っては砲塔の装甲が正面80mm、後面で漸く60mmの強固な物です」
「…車体狙いで行きましょう。砲塔のクリンヒットを狙うよりも、面積、体積の大きい車体を攻撃した方が撃破出来る可能性が高くなるはずです。
フランス系戦車は履帯構造がちょっと独特だから、実際の装甲よりも色々な物が装甲の変わりになって分厚くなったりするけれども…それでも、当らないより当る弾の方が良い事に変わりありません」
「はいっ!」
「中嶋さん。各車両に敵隊長車並びに副隊長車の装甲厚と性能、車体狙いの攻撃を行う事を知らせて下さい」
「了解しました!こちらフラッグ車通信手、各車両聞いてください……」
神無月しおりは小さく嘆息した。90mm砲に、105mm榴弾砲かと。どちらも高い威力を持っている。仮に直撃を貰わずに撃破されなくとも、砲塔旋回装置や履帯等の損傷は免れないだろうと。今回もきっとギリギリの戦いとなる。しかし…始まってしまった物は仕方が無い。全力で挑むだけだ。
《ソミュアの久留間どす。砂埃がこっちを追いかけてきますわぁ!》
斥候兼、囮役のソミュアから連絡が入る。神無月しおりは意識を切り替えた。
「久留間さん、お疲れ様です。粗朶の束を捨てて、相手から視認出きる位の距離で此方へと逃げて下さい」
《了解しましたどすえ》
「これよりサンドイッチ作戦ツヴァイ改め、カスクート作戦を開始します! 全車両、落ち着いて行動してください。キルゾーンに敵車両が入り次第、攻撃を開始! 車体側面や履帯を狙った攻撃をお願いします!」
《心得ました!》
《了解ー》
《仰せのままに!》
《久留間どす。そろそろそちらに合流しよりますー!》
《団長様。敵チームのソミュアを発見! かなりの快速です》
「斥候かしら…追撃しますわよ! …ふふ。嬉しいですわね。フランス戦車をあんなに使い込んで貰えて」
時折ソミュアからの砲撃が届く。見た目以上に、その砲弾は低伸した弾道を見せた。貫通力は他校のソミュアと代わり映えしないが、鋭く、真っ直ぐに此方に飛んでくると言うのは心理的に中々の脅威である。
ソミュアは全速力で丘へと上がる坂を上っていく。恐らくは、そう言う狙いなのであろう。
「全車両、警戒なさい。そろそろ敵の攻撃が来ますわよ」
《この先に待ち受けていると思いますか? エリザベド》
「恐らくはね。踏み潰しますわよ。クロエ」
副官からの呼びかけにエリザベドは車内で不適に笑った。どんな相手だろうと、威風堂々と踏み潰し突破してみせるのが彼女の美学であったから。
BDR/G1とルノーG1を先頭に、そして両翼に展開したB1terと鏃の中央に位置したソミュア対戦車自走砲が丘を登る。開けた平地は事も無げに静かで、静寂を保っていた。
「…? 妙ですわね。仕掛けてくると思っていましたのだけども…全車、警戒を厳にして下さいまし!」
平地を進んでゆく、メロヴィング女子大付属高校のチーム。襲撃も、何も無く丘を進んでゆく彼女らは警戒心がどんどん薄れていった…。例え引き締めようにも、敵の存在感の軽薄さが心を鈍らせる。
「襲撃地はここではないと言うのかしら…?」
ハンカチで額に流れる汗を拭った瞬間。茂みの奥から僅かに煌くものがあった。
「……!? 拙いですわ! 全車両前進全速! 即急にこのフィールドを離脱しますわよ!」
エリザベドが叫んだ次の瞬間。左右の森の茂みから次々に砲撃が飛び込んできた。
「見事な陽動ね。エリザベドは寸前になるまで気が付かなかったみたい」
観客席でテーブルを広げ、お茶会を楽しんでいたのはモスカウ文化高校のサーシャと、聖・バーラムのローズマリーであった。傍らには、彼女らに付き従う少女達も、ゆったりとお茶を飲みながら観戦を楽しんでいる。
「釣り野伏せ、と言ったかしら? あの戦い方に似ているわね。ソミュアを囮に敵を引きつけ、キルゾーンのギリギリまで寄せた所を左右に伏していた部隊で攻撃する。皮肉にも踏み潰すクセを上手い事取られてしまった訳だわ。エリザベドは」
クッキーを摘みながらクスクスと笑うサーシャに、ローズマリーは静かに頷いてみせる。
「本当に貴女は楽しそうね。しおりさんが活躍するのが」
「勿論。だってシオリチカに…彼女に最初に魅せられたのは私自身なのだから」
「ちょっと嫉妬してしまうわ。あら…エリザベドが早速動いたわね。あの子の立ち直りの速さは一流だから」
「クッソ…! B1terって思った以上に敵に回ると堅いな…!」
砲手の北村カレラが苦言を零す。強化され、傾斜を持った70mmの側面装甲が嫌らしい程に砲弾を弾いていく。履帯を狙おうにも、菱形戦車の様な形状のソレを装甲化しているB1ter相手では、中々クリンヒットが見込めない。
次々に砲弾を撃ち込んでいく播磨女学園のチームであったが、いざ攻撃開始と号令を下す瞬間、相手が増速した事により狙いを外された。徹底的な偽装工作でこちらのアンブッシュは殆ど気付かれなかったが
どうやら僅かに藪から姿を見せていたペリスコープか何かが光に反射したのであろう。戦車道に絶対は無い事を神無月しおりは改めて痛感した。
「よし…貰った!」
北村カレラが吼え、三/四号の75mm対戦車砲が咆哮する。撃ち出された砲弾は緩い放物線を描きながら、ソミュアCA対戦車自走砲の側面へと食らいついた。白旗が上がる。
「ソミュア対戦車自走砲を撃破しました!」
《いよっしゃぁ!》
《先ずは一両!》
《幸先良いねー》
「皆さん聞いて下さい。敵は建て直しを計ってきます。直ぐに陣地を移動。機動戦闘に入って下さい」
《ヤボール!》
《はいよー》
《もうちょっと撃っていたいのに!》
最後の一撃とばかりに放たれる砲弾の一発、75mm砲を積んだT69E3の砲弾がもう一両のソミュア対戦車自走砲の履帯へと直撃した。
《隊長さんー。自走砲の撃破はならずも、履帯の破壊に成功しましたよ》
「ありがとう御座います。すぐに離脱を! 敵が追ってきます」
四葉アカリからの報告を聞き入れながら、神無月しおりは冷静に行動を促した。
「よくも遣ってくれましたわね…! 淑女諸君! シャールの具合は!?」
《こちら一号車以下、被弾すれどもB1terは問題なし!》
《ソミュア自走砲一号が撃破! 二号は履帯を遣られましたがまだ遣れます!》
《こちらクロエ。ルノーG1は問題ありません》
「了解! クロエ達は左翼のパンターを追いかけて下さいまし! 事前情報だと播磨女学園にパンターが配備されたなんて聞いてなくってよ!?」
《今回が初陣の新戦力なのでしょう。エリザベドもお気をつけて》
「健闘を祈りますわ! 右翼チーム。あたくしに付いていらっしゃい」
素早く車両を展開し、メロヴィング女子大付属高校のチームは車両を二分すると、再び小さなパンツァーカイルを瞬く間に組み終え、藪や茂みに潜伏する播磨女学園のチームへと突撃していった。砲が次々に吼え、彼女らを隠蔽していた藪や茂みが吹き飛ばさていく。
「先ずは見事なアンブッシュだったと褒めて差し上げますわ。しかし! この程度で負けるあたくし達ではありませんわよ!Vive la france!」
《Vive la france!》
追撃を敢行するメロヴィング女子大付属高校のチームであったが、エリザベドの勝気な顔は徐々に曇っていった。
「…!? フラッグが沢山…!? まさか、そこまでして偽装を!?」
追いかける車両の、それら全てにフラッグ車を示す青い旗がはためいていた。これではどの車両が本当のフラッグ車なのか
皆目見当もつかない。全てを撃破する必要が出てきた。
《エリザベド、聞こえますか?こちら、フラッグ車が多数。偽装をしています》
「クロエ。そっちにはパンターが居ましたわね? 最大戦力のパンターを積極的に狙いなさい! パンターか三/四号が恐らくはフラッグ車の筈でしてよ! 全く、小ざかしいったらありませんわ! 嫌いではありませんけれども!」
「まぁ…全車両をフラッグ車に偽装。よく考え付いたものね…」
「これでほぼ事実上の、相手にとっては殲滅戦。こちらにとってはフラッグ戦と言う戦況を構築した訳ね」
流石、考える事が鋭いわとローズマリーは感心する。
「それでも、フラッグ車の可能性を絞り込めば、当りは自ずと出てくるわ。
私が自分の立場でやるのであれば、最も錬度の高い車両か、最も戦力としてバランスが取れている車両を推すわね」
「私もよ。此処で意外性を出すのは悪手よ。もしも偶然、フラッグ車が相手チームに討たれてしまった場合はそれで試合が終了してしまうもの。それにフラッグ車を守ろうとする行動が、自ずと塗り固めた嘘を暴いてしまうわ」
「ともすれば、導き出される答えは…三/四号かパンターがフラッグ車よね」
「そうなるわね…サーシャ?貴女はどう思うかしら?」
「私なら、しおりの乗っている三/四号がフラッグだと目星をつけるわよ。マリー」
少女達の茶会は続く。この試合が続く限り。果たしてどの様な終りが待っているのか…
「よぉし…食らい付いてきたな…!」
山岳地の細い一本道で、先頭を走るパンターの車上にてバウムガルドは一人呟いた。その後方にはクロムウェル、二両の75mm砲搭載のT69E3、そしてソミュアだ。
「事前の打ち合わせ通り、行動するぞ!アリカ。後続の車両に連絡を!」
「了解だよ桜!全車、打ち合わせ通り、煙幕展開して下さい!」
《煙幕了解ですー》
最後尾を走っていったソミュアとT69E3が煙幕を展開し、彼女らを追うメロヴィング女子大付属高校のルノーG1、そしてB1terの視界を塞いでいく。
「小癪ね…榴弾を装填!撃って煙幕を晴らしなさい」
ルノーG1の105mm榴弾砲が装填され、これを発砲。炸薬を大量に詰め込んだ砲弾がソミュアに直撃し、これを撃破なるも、続けて煙幕を展開し続けるT69E3によって阻まれ、視界の見通しが悪い。
「続けて撃つわ。次弾を装填!」
…そうして、追走劇を繰り広げている最中、道を逸れた場所にある茂みに、煙幕に乗じてパンターは身を隠していた。
「…よし!敵は行ったな!追撃を開始する!」
あえて先頭に立ち、敵車両からの意識を少しでも反らしながら、隠密に後方に回り込む。そうすれば後は随時敵を背後から撃破していけば良い。
「行くぞ諸君、パンツァーフォー! ……どうした。何故動かない?」
バウムガルド・桜は眉を潜めて車内の友人に問い掛けるが、芳しくない言葉が返ってきた。
「ごめん桜! エンジンスターターの調子が悪くて…この! くそっ…あ、掛かった!」
息を潜めていたマイバッハのV型12気筒エンジンが再び咆哮し、茂みの中から車体を現す。この僅かな時間の遅れが仲間の命取りに成らなければ良いが、とバウムガルド・桜は小さく不安になった。
「急げ! 身を挺して私達の存在を隠した戦友の為にも! 走れパンター!」
「ああ、くっそ! 次々撃ち込んで来る! アタックが鋭い!」
煙幕を展開しながら逃げ続けていたクロムウェルと二両のT69E3は徐々に押されていた。山岳地であるが故、上下左右に振られる山道では狙いが定まらず、後ろを追いかけ続けるルノーG1に有効打が中々入らずに居た。
それに対して、彼方側の105mm榴弾砲は至近距離に砲弾が飛び込むだけでもダメージを与えられる。形成はやや不利であった。そしてまた一発、T69E3に至近弾が命中した。
《あわわわわぁ!?》
履帯が吹き飛ばされ、悲鳴と共にスピンし落伍するT69E3、すかさず横腹を見せた車両に向けて、ルノーG1とB1terが砲撃を叩き込みこれを撃破。残るは二両。そして実質、後方に向かって砲撃出来るのはクロムウェル一両のみとなった。
「ナムサン、ここまでか…!」
クロムウェルの車中にて柿原セリカが苦虫を噛み潰した様な表情を浮かべた途端、自らの視線の先。つまりはメロヴィング女子大付属高校の後方から爆発音が轟いた。
《すまない、遅くなった!》
「待ったぞ、黒騎士!」
「そんな…挟み撃ち!? 何時の間にパンターが…!」
ルノーG1の後ろを追従していたB1terが次々にパンターの75mm KwK 42対戦車砲によって食い破られてゆく。既に三両が食われ、今にも最後の一両も食われようとしていた。
「挟み撃ちとは…!しかし!」
ルノーG1がその機動力を持ってして小さく旋回、B1terとすれ違いパンターへと砲撃を送り込むも、旋回のブレにて照準が定まらずに命中ならず。咄嗟に減速し姿勢を整えたパンターは落ち着いて発砲。ルノーG1を征した。
「よっしゃぁ!」
しかし喜ぶ暇も無く、B1terがT69E3へ向けて砲撃。これを撃破する。状況を理解したクロムウェルが先頭の位置から回頭し、T69E3を避けてB1terを撃破。5対2と言う撃破レートを叩き出し。辛くも勝利と言った按配になってしまった。
「やはりT69E3で逃げながらの戦法は辛かったか…」
と、一人バウムガルト・桜が愚痴を零したその瞬間、側面より砲撃が飛来。クロムウェルの装甲に着弾した。
「何が起きた!?」
バウムガルドは咄嗟に頭を下げてキューポラへと収まる。無線が飛び込んできた。
《クロムウェルのセリカだ! 麓の方から砲撃があったぞ!》
叫ばれ、麓の方へと視線をやらば、先ほど履帯を切った筈のソミュア対戦車自走砲が此方に砲身を向けていた。
「砲塔、左旋回急げ! ソミュアの自走砲に狙われている!」
間も無く、ソミュア対戦車自走砲が発砲。パンターの左履帯に着弾。足元を崩される。
パンターも応戦するも初弾を外してしまう。装填手が必死になって次弾を装填する。リロードの速度が勝負の分かれ目となったこの戦いにおいて、勝者は…どちらでも無かった。
最初に発砲し、直ぐ様再装填を行ったソミュア対戦車自走砲であったが、90mmもの直径を持ち重く、長く、大きな砲弾を込めるのには時間が掛かる。何より自走砲は狙いの修正を入れるのが構造上困難であった。大して75mm砲を搭載するパンターは装填速度に置いて、狭い車内ではあったが僅かにソミュア対戦車自走砲に勝り、遅れを相殺した。
射撃はほぼ同時。ソミュアはその本来ならば開放されている戦闘室を覆っていた装甲に着弾し白旗を上げた。対するパンターは砲塔リング根元に被弾。撃破判定となり白旗。通称、黒騎士小隊と播磨女学園側は呼称していた分隊は、メロヴィング女子大学付属高校との分隊との相打ちと成った。勝敗の分かれ目は、パンターのエンジンが再始動に手間取り、愚図っていた事に影響を及ぼしたであろう。
時を僅かに遡り…
「さぁ、覚悟なさい! 播磨の魔女とやら! 勝負ですわ!」
森林地帯の平地を駆け抜ける三/四号以下、魔女小隊はBDR/G1とB1terの追撃を受けていた。
次々に主砲が立て続けに吼え、播磨女学園のチームを追い込んでゆく。このまま逃げ続ければ、敗北は間違いないであろう。
《しおりちゃーん。逃げ続けても勝ち目薄いよ?》
76mm長砲身砲を持ったT69E3の車長、双葉葵からの無線に神無月しおりは一人頷いた。
「分っています。合図と同時に左右に展開。敵を包み込みます! 一つずつ、確実に減らしていきましょう!」
回避行動を取りながら逃げ続ける神無月しおりの視界の向こうに、大きな岩が見えた。あそこを基点としようと決意する。
「全車、左右に大きく展開! 遊撃に入って下さい!」
大岩をすり抜けざまに、播磨女学園の戦車4両は左右に分かれた。右翼へはT69E3とT-34改、左翼へは三/四号とB1terが展開し、メロヴィング女子大学付属高校の戦車を包囲しようとする。
「全車、撃て!」
神無月しおりの号令と共に砲撃。側面を取られたB1ter二両が食い破られ落伍するも、BDR/G1の砲撃で播磨女学園側のB1terも撃破される。この流れに乗じ、メロヴィング女子大学付属高校は左翼に展開する、戦力を失った三/四号へと戦力を集中させようとする。
「そうは行かないよっと!」
T69E3とT-34改の砲撃がBDR/G1とB1Terの動きを阻害する。これに対し、三/四号へと向かうのを止めて急旋回したBDR/G1は再装填を終え、T69E3へと発砲。クリンヒットを与え、撃破した。その間にも三/四号並びにT-34改は砲弾を再装填。
足を止めて残ったB1terへと砲撃を行い、これを撃破。しかしBDR/G1は尚諦める事無く、T-34改へと吶喊。体当たりを敢行し砲身を折る事に成功。
その間に再装填を終え、90mm砲を至近距離にて発砲。T-34改を撃破。
三/四号はT-34改の影に隠れているBDR/G1に手出しが出来ずに旋回。回り込もうとするもBDR/G1もいち早くこれを察知。直ぐ様T-34改の傍らから離脱すると、見通しの悪い森林地域を突っ切って逃走した。
それに三/四号も追従する。そして無線が飛び込んできた。
《こちらバウムガルト! 敵戦車を撃破なるも黒騎士小隊は全滅! 申し訳ないコマンダンテ》
「こちら神無月です。皆さん怪我は!?」
《Gut .(大丈夫)問題は無い。申し訳ないが頑張ってくれ》
そして、森林の立ち並ぶ区域から開けた場所へと三/四号が躍り出た時、神無月しおりの目の前に飛び込んできたのは、こちらを待ち受けていたBDR/G1と、ハッチから身を乗り出しているエリザベドの姿であった。
無線機を片手に、何か話しているのが分る。恐らくは、相手側も撃破された旨を伝えてきたのであろう。すると彼女は意を決したかの様に表情を改め、腰に挿していたサーベルを抜く。
「遠からんものは音に聞け! 近くば寄って目にも見よ! 我こそはメロヴィング女子大学付属高校、戦車道チームは女騎士のエリザベド・ガリマールでございますわ! 今一度! いざ、尋常に勝負!」
エリザベドの名乗りに僅かにキョトンとしたが、神無月しおりは改めて一度深呼吸をすると彼女に応えた。
「この勝負、お受けします!……霧島さん。私の指示で動いて貰って良いですか?」
「ああ…幾らでも注文してくれ。何処までも走ってやる。約束したからな」
「三/四号を振り回します。恐らくはゼロ距離格闘戦になると思います。皆さん…覚悟をお願いします」
「さぁ…! 行きますわよ! Char, a terme!(戦車前へ)」
「はい! パンツァーフォー!」
三/四号が、そしてBDR/G1が、地面を蹴り上げて鋭く加速した。砂や砂利を大きく撒き上げて。最初の一撃。互いに接近した所で砲撃を行うも命中ならず。そして交差。三/四号は右旋回。BDR/G1は左旋回を行う。再びすれ違い、履帯が擦れあう程の至近距離を戦車が駆け抜けていく。
「左ハーフターン、クイック!」
神無月しおりの言葉を受けて三/四号はすれ違い様に鋭く180度旋回。レンジファインダーにBDR/G1を収め、発砲するもBDR/G1はこれを左旋回で回避。BDR/G1はターンをしながら砲塔を左に旋回させ、三/四号を狙うが、砲弾はキュッと鋭く加速した三/四号のエンジングリルを掠めていくだけで有効打にならず。
互いに大きく旋回しながら、三度目の交差。ハッチから頭を出すエリザベドと神無月しおりの視線が深く絡まる。BDR/G1は交差後、鋭く180度旋回。三/四号を執拗に狙う。
「霧島さん、ブレーキ!」
BDR/G1を見つめて、呼吸を呼んでいた神無月しおりの咄嗟の指示。砲弾が三/四号の車体前面装甲を霞め抜けていく。再加速する四号ハーフは右に緩く旋回しながら、砲塔を右に向けてこれに応戦。しかしBDR/G1の砲塔装甲正面を掠めるも有効打に成らず弾く。四度、互いに正対しあった時に数十メートルの距離よりBDR/G1の発砲。神無月しおり、これを「左へ避けて」の指示を出し回避。
「右ハーフターン、クイック! 回り込んで!」
「左旋回180度! 急いで!」
結果的に、左のフェイントからの鋭く大きな旋回を繰り出した三/四号と、履帯が切断するのも厭わないBDR/G1のクイックターンが相成り、互いに向かい合う。
激しい旋回の横Gに揉まれながらも大島明海は己の本分を全うし、鋭くも正確に75mm戦車砲砲弾を装填し終え、北村カレラはほんの一時も瞬きする事無く、勝機は何処かとばかりにジッとレンジファインダーを睨み続け、砲塔操縦ハンドルを強く握り締めていた。
「撃て!」
「Tirer!(撃てぇ!)」
号令が下され、互いに砲撃。爆炎が三/四号とBDR/G1の間に立ちこめ、音が山々に木霊する…煙が晴れ渡った時BDR/G1からは白旗が上がっていた。かの車両の正面装甲にはくっきりと着弾した痕跡が残っていた。対して三/四号の砲塔防盾にも、被弾の痕跡が強く残っているが、紙一重にて砲弾を弾いた。薄氷の攻防が今、終った。
《播磨女学園の、勝利!》
三度目の勝利を知らせる無線が流れ込んでくる。大島明海は大いに喜んだ。
「やったよしおりん! 今度も勝ったよ! …しおりん? しおりん!? 大丈夫?」
振り向き、車長席に座っている友人に彼女が振り向いた時、少女は腕を押さえながら身を縮めて蹲っていた。苦しそうな呼気が耳に届く。
「ぅ…ぁ…っ…!」
「しおりん、大丈夫!? 腕が痛むの!?」
「…っ…は、ぁ…大丈、夫…水…取って…」
神無月しおりに乞われるがままに、大島明海は急いで水筒を取り出すとコップに水を注ぎ、彼女に手渡した
。傍らの北村カレラは脂汗を流して震える友人の背中をそっと摩ってやった。少女は震える手でコップを受け取ると、錠剤の入ったケースから痛み止めを取り出すと、それをどうにか飲み込んだ。
「嫌な事、思い出しちゃった…? しおりん、本当に大丈夫…?」
ぜいぜいと、肩を上下させる荒い呼吸を繰り返す友人がただただ不安で、だらんと投げ出されじっとりと汗に塗れた手を優しく握りながら問い掛けた。数分が経過する頃、神無月しおりの呼吸は漸く安定した。
「…ごめん…防盾に、砲弾が当ったのが…怖くて…思い出して…」
キューポラのスリットから、その一部始終を眺めていた神無月しおりにとってそれは、過去の苦々しい思い出をフラッシュバックさせるに容易い出来事であった。
目の前の情景。そして襲い掛かる衝撃。幻肢痛を引き起こすトリガーには充分過ぎた。そして現に今、義手の繋がれた腕には痛みが走っている。
「しおり。大会運営の救護室にまで走らなくて大丈夫か。三/四号は動けるぞ」
「…んっ…ぁ…はぁ…大丈夫、霧島さん…痛み、だいぶ引いてきたから…」
青ざめた表情の神無月しおりを乗せて、戦車は試合会場を撤収した。戦車から降りて尚、青い顔をしている神無月しおりを見て友人らは口々に大丈夫か。怪我でもしたのか、と安否を問う声を掛けてくれた。
「しおりんは大丈夫だから。ちょっと昔の傷が疼いただけだから」
大島明海は神無月しおりの変わりに少女らに説明して回った。その間に、双葉葵はそっと神無月しおりに近付き、声を掛けた。
「しおりちゃん、本当に大丈夫?後の事は任せてくれて良いから。なんなら横になってて良いかんね」
「…ありがとうございます…双葉さん…」
「悔しくも、清清しいまでに負けてしまいましたわ!」
その時、神無月しおりの耳を聞きなれない声が擽った。エリザベド・ガリマールその人であった。
「…あら、随分と青い顔をしていらっしゃるけども、大丈夫なの? 神無月しおりさん」
「…えぇ。少し…昔の傷が疼いてしまって」
「まぁ! それは大変。戦車道は生傷の絶えない武芸ですものね…どうかご自愛なさって? 今日の試合。真に楽しかったわ。久々にあんなに戦車を振り回せたんだもの。身勝手な振る舞いかもしれませんけれども、試合を通じて私達は友達になれたと思いますわ。良ければ、またあたくし達と遊んで頂戴。よろしくて?」
差し出された握手に、神無月しおりは震える右手でどうにか応じた。
「えぇ…エリザベド、さん…」
「気軽にエリーと、そう呼んで頂戴な。やっぱり貴女は、噂に聞いた通り神無月でありながら、神無月流では無いのですね。
実際に戦って分ったわ。貴女は貴女と言う戦車道を、もう持っている。見事な戦いぶりでしたわ」
「…どう致しまして」
「それではまたお会いしましょう。Au revoir!(ごきげんよう!)」
立ち去っていこうとするエリザベドであったが、その横を通り抜け、神無月しおりに近付こうとするメロヴィング女子大学付属高校の生徒が一人居た。
「…団長様…神無月、と言いましたか…?」
「うん? えぇ。彼女は神無月の家の者らしいわよ」
「…あいつが…」
呟くや否や、少女は肩で風を切りながら神無月しおりに近付いていった。
「お前、神無月の家の者か!」
「…ぁ…? …はい。そうですが…」
次の瞬間、手が振り上げられ、指先が神無月しおりの頬を叩いていった。
「痛っ…!」
「ちょ…!? 何やってんのあんた!?」
「五月蝿い! 外野は黙ってろ! 何が播磨の魔女だ、お前なんか、悪魔だ!」
余りにも酷い罵りの言葉を受けて、少女達は一瞬絶句した。
「お前の、お前の家の流派の所為で! 私の元居た学校は、私のチームはぁあ!!」
止める暇さえもなく、メロヴィング女子大学付属高校の少女は神無月しおりに殴りかかろうとした。
次の瞬間。
パンッ! パンッ! パンッ!
耳をつんざく、何かが爆ぜる様な軽快な音が鋭く響き、メロヴィング女子大学付属高校の少女は倒れこんだ。
目の前の状況が飲み込めず混乱する神無月しおりのすぐ横で、音を奏でた本人が立っていた。
「悪いけど、うちのしおりちゃんに怪我をさせる訳には行かないんよ…安心しなよ。護身用の麻痺弾だから」
音を奏でたのは、双葉葵であった。恐ろしい程に酷く褪めきった冷たい瞳で、護身用の拳銃…4インチの銃身を持った、チアッパ・ライノ・リボルバーを抜いていた。軽快な音はリボルバーの銃声だったのだ。
「…ぁっ…ごめんなさいまし!まさか、あたくしの部下がこんな身勝手な振る舞いをするなんて!メロヴィング女子大学付属高校、戦車道チームの恥ですわ! 真に、真にごめんなさいまし! しおりさん、頬は大丈夫? 腫れてなくて?」
慌てた表情でエリザベド・ガリマールは必死になって頭を下げ、頬を軽く叩かれた神無月しおりを心底心配していた。
「取りあえず、解散しよう。このままじゃ衆目を集めすぎる…」
双葉葵の言葉を受けて、エリザベド・ガリマールは頷く。暴走した少女は他の生徒に抱き抱えられ、引きずられていった。突然の波乱に両校の生徒達の間には言い現せられぬ蟠りが漂ったが、それでも粛々と撤収が進められた。
試合当日の夜。ぼんやりと戦車道の事後処理を行っていた双葉葵の元に一本の電話がやってきた。
「はいはい、こちら播磨女学園生徒会の双葉葵だけどー?」
《ああ、双葉葵さんですわね? エリザベド・ガリマールですの。お時間、今はよろしくて?》
「ああ、エリザベドかぁ。何の用なのよ」
《試合の後、イザコザがありましたでしょう? その事についてのご報告を少々…》
「……謹んで聞きましょうか。それで?」
双葉葵はテーブルの傍らに置いてあった麦茶のグラスを傾けた。
《えぇ。改めて…今回は本当に、申し訳ありませんわ。今度、播磨女学園の皆様には改めて、この度の非礼を詫びさせて頂きたいと思いますの。
それに今後一切、この様な事が無いように気をつけますわ。件の彼女には悪いと思いますが、暫く身を引いて貰う事に決めましたの。
怒りや恨みを孕んだ侭の戦車道なんて、ゾッとしませんもの…それで、その生徒なのですけれども…話を伺ったら、何でも神無月流に恨みがあるとか…》
「恨み…? 嫌な話だねぇ。何があったのよ。聞き出せたの?」
双葉葵は眉を潜めた。会話の裏でまた一つ、神無月流についての不明瞭だったパズルのピースが嵌る様な気がした。
《彼女、中学生の頃に嘗て神無月の流派の戦車道をしているチームと戦ったんですって…
それで何でも、滅法手酷く倒された…いえ、潰されたと言った方が正しいそうで…お陰で彼女のチームは戦車の修理に大変時間が掛かり、暫くの間は戦車道の活動が出来ず終い。参加したかった大会にも出られなかったとか》
「…うへぇ…そりゃまた嫌な話…」
《双葉葵さんは、神無月流のそう言う、良くない話しはご存知?》
「ぁー…まぁ多少はね。しおりちゃんを戦車道で使う以上、どうしてもその流派は気になるから…
エリザベドは何か他にも神無月について知ってるん? その口ぶりだと…」
《……噂話程度にしか、あたくしは知りませんけれども、それでも良いのであればお話ししても構わなくてよ?》
小さな間の後に、エリザベトはおずおずと切り出した。
「構わない。聞けるものなら何でも聞きたいから」
《では……双葉葵さん、貴女様は戦車道のそもそものルーツを、御存知かしら?》
唐突な問い掛けに双葉葵はキョトンとしたが、持っていたペンで額を小突きながら自分の記憶をひっくり返した。
「あー、馬上薙刀術がどうのこうのとは聞いたねぇ。あと、女性騎兵隊に戦車が与えられたからとか」
《えぇ、真にその通り…その上で、神無月流の礎となったのは…実際に戦車と共に戦場に赴いたと言う…とある女性の戦車兵から始まった、と言う噂がありましてよ》
「そんな馬鹿な!? 世界大戦に出兵した日本の女性の兵士? 有り得ないよ、ソ連じゃないんだから」
エリザベド・ガリマールから語られる話に双葉葵は仰天した。とてもではないが、ありえない。
女性が戦車に乗った事はあっても、実際に砲弾の飛び交う戦場に出たと言う話は国内で聞いた試しが無いのだから。
《えぇ…普通なら『有り得ない』んですのよ。ですが真しやかに囁かれ続けてる噂なんですのよ。これが他の戦車道流派の違いの一つ…そしてもう一つは…》
「…もう一つは…?」
双葉葵は正直、その先の話を聞きたくないとさえ思っていた。
だが、神無月しおりと言う少女とこれからも付き合う以上、毒を食らわば皿まで食らわねばなるまい。意を決して、問い掛けた。
《…命のやり取りをしてきた者の教えを、脈々と受け継いでいるとか。
飽くまで武芸の筈の戦車道に、殺人術の技術を汲んで応用していると…そう噂に聞きましたの。
鬼火を纏った神無月の戦車には気を付けろ。睨む瞳は魔眼の瞳、食らい付かれれば無事では済まない…なんて言われたとかどうとか…》
「…出来の悪いお伽噺の様だなぁ」
双葉葵は大きな溜息をつきながら天井を仰いだ。
本当に碌でも無い話だと心底思う。殺人術? なんだそれは。
鬼火を纏った戦車? ありえない。しかし…魔眼の瞳、と言う言葉には何故か納得出来る節があった。神無月しおりの、時折見せる酷く物悲しい瞳。眼力を秘めたあの赤い眼が脳裏を過ぎっていく。
《そう…これはお伽噺。果たして何時生まれたのかも解らない、戦車道の歴史の闇から這い寄ってきた…薄暗くて性質の悪いお伽噺なんですわ》
「…今時三流のゴシップ雑誌だってそんな話は書かないんじゃないのー?」
《えぇ…でも、双葉葵さん。心して聞いて頂戴?この御伽噺は、紛れも無く…
古くから戦車道乙女の間で言い伝えられてきた薄暗い闇の御伽噺。これを聞いたのはあたくしのOGにあたる、お母様からなのよ…そしてそのお母様は、お母様のOGから…気を付けて下さいましね?今回の様な事…また無いとは、言い切れないでしょうから》
「……ご忠告、痛み入るよ。胃袋が痛くなってきたよ」
《まぁ、それは大変! 胃痛によく効く丸薬を送って差し上げましょうか?》
「いや、気持ちだけでいいよ。今夜はありがとう。おやすみエリザベド」
《えぇ…おやすみなさいませ。Bonne nuit. 》
電話の通話を切り、双葉葵は大きく椅子に凭れ掛かった。酷い話だ。
どれだけ古くから言い伝えられてきた御伽噺なのであろうか。
薄ら暗いにも程がある。…殺人術? まさか。戦車道はあくまで武芸だ。人を殺す行為ではない。
…だが、思い寄る事がある。神無月しおりの半生。彼女はずっと、物心付いた頃から戦車道漬けである。
個人的な理由でそれとなく大島明海に、神無月しおりがどんな人生を歩んだのか聞いた所では、何でも娯楽を楽しむ事も無く、毎日を戦車道で過ごしていたと言うではないか。
それはまるで、小説や御伽噺の世界の中の、徹底して殺人術を教え込む剣客とその弟子、まるでその物である。なんと性質の悪い冗談であろうか。
しかし…幾ら他の考えを巡らせ様にも覚束無い。この事は頭の片隅に覚えておく程度に留めておくのが一番の妥当であろうと、
麦茶の入ったグラスを傾け、夜の海を眺めながら双葉葵は思った。
「しおりん…大丈夫? 身体、まだ震えてるよ」
戦車道を終え、学園艦のアパートへと帰ってきた大島明海は、未だに腕を押さえている友人の姿を気遣った。
時間が経つと言うのに、鈍い幻肢痛が止まらないで居る。
理由は分らない。確かに、戦車道の最後の鍔迫り合いは怖かった。
だがそれも時間が経てば自然と消えるものだと神無月しおりは思っていた。
しかし現に、痛みは消えずに居る。
「…明海さん…しんどい…」
「無理しなくて良いからね? 大丈夫? 明日、もしも痛いままだったら病院に行って体を見て貰おうか?」
「…うん…」
何故、腕の痛みが消えないのか。何故、こうもジクジクと身体の芯から痛むのか。そして、言葉に苛まされる。
『お前なんか、悪魔だ!』
見知らぬ少女からの罵りの言葉が、心に刺さる。
…やはり自分は、戦車道をしなければ良かったのではないかと。
…それでも。それでもと思う。
震える右手で小さく空を掴む。
…アレクサンドラ・楠も、ローズマリー・レンフィールドも、そして…
エリザベド・ガリマールも、楽しかったと言ってくれた。友人になれたと、言ってくれた。
その言葉だけが、神無月しおりを支えていた。
彼女が漸く眠りに付いたのは、海に浮かぶ月が大きく傾いた頃であった……。
登場戦車一覧
・播磨所学園側 新車種。
・パンターG型・改
リサイクル処分される所だったパンターをかき集めて継ぎ接ぎし製造した物。砲塔防盾はアゴ付きの物を採用し、足回りはパンター2の簡易千鳥配置の転輪を採用している。若干キメラめいた戦車。
・T69E3・75mm砲搭載型
欠品、または壊れていた部品を取替え戦線に復帰したT69E3である。本来の主砲である76mm対戦車砲の入手が間に合わなかった為、M4シャーマン初期型の75mm砲を搭載しているので若干砲身が短く、見た目の迫力に欠ける。しかし皮肉にもM4シャーマンで使用されていたジャイロスタビライザーを搭載出来た為、走行中の射撃能力は悪くない。
・メロヴィング女子大学付属高校
・BDR/G1・90mm対戦車砲搭載型
正しくは『BDR/G1 B』戦車。シャールG1戦車計画としてフランスで開発研究されていた物の1つ。Baudet-Donon-Rousell社による開発プロジェクトの為、名前に頭文字の『B』が付いている。史実ではドイツの侵略によって完成しなかった。メロヴィング女子大付属高校の車両は改良型の大型砲塔を備え、そこに90mm対戦車砲を装備している。主砲や装甲等の性能がドイツの四号戦車に近しいが、BDR/G1 Bの方がややズングリとしている。
・ルノーG1
シャールG1戦車計画としてフランスで研究開発されていた物の1つ。ルノー社によって手がけられた為、ルノーG1と言う名称を持つ。試作車両が1両作られたものの、ドイツの侵攻作戦によってフランスが敗戦した為に日の目を見る事は無かった。メロヴィング女子大付属高校の車両は改良型の大型砲塔を備え、強力な105mm榴弾砲を搭載している。大型の砲塔に更に重量の嵩張る榴弾砲を搭載している為、砲塔旋回速度がやや遅いのが玉に瑕である。
・S35 CAソミュア対戦車自走砲
ソミュアの車体をベースに、開放型の戦闘室を設け、強力な対戦車砲を搭載した駆逐戦車の一種。防盾周りがコミカルな見た目をしている他、原型のソミュアS35にくらべかなりズングリとした印象を持つ。1945年にAMX社が計画を立てた物の、史実上では実際には製造されなかった車両である。強力な主砲を持つ物の、装甲性能が貧弱な為、アンブッシュを有効活用しなければ使用が難しい車両であろう。メロヴィング女子大付属高校の車両は90mm対戦車砲を搭載している。
・B1ter
ルノーB1Bisの更なる改良型。メロヴィング女子大付属高校ではエンジンをより高出力なV型12気筒エンジンに交換したり、ギアボックスを強化している。お陰で装甲強化によって重量が増している割に機動性が高い。他は至って普通のB1terである。
オマケ
・砲身長の延長改造について。
VK30.02(後のパンターである)用として1941年に発注されていた60口径砲、後の7.5 cm KwK 42対戦車砲が、貫通力を強化する為に砲身長を10口径程延長し完成させたと言う史実を元に認可されている。当世界では気軽な威力強化としてそれなりに採用されている改造例である。また軽戦車や中戦車でも、弾道の低伸化や、命中精度の向上等を目論んで施される事が多い。播磨女学園では後者の理由として採用。