司波達也の日常 作:ネコ
沖縄に残された達也は、葉山と共に港へと向かっていた。
その達也の手には、普段持っていないケースが握られている。
「葉山さんは、ここに残ってもらって構いませんよ」
「深夜様から補佐するように申し付けられておりますので、達也様についてまいります」
「……俺ってあまり信用ないのでしょうかね?」
「お一人では何かと不便なことも多々あろうかと思いますので、その辺りの御配慮かと」
「まあいいんですが……」
葉山に対しての達也の言葉遣いは、自分の事を知る数少ない人物として、フランクなものへと変わっていた。
ここで、丁寧な対応も出来ないことはないが、他に人がいないこともあり、わざわざ取り繕う必要がないため、達也は気にせずに話す。
葉山の方も、達也の言葉遣いが砕けたものになったからと言って対応が変わることもなく、いつも通りに対応する。
達也たちが着いた港には、幾つもの船が停泊していた。
葉山は1隻の船の前で車を止めると、車を降りて達也に説明する。
「こちらが、今回用意した船です。船体に穴が開いても基本的に水に沈むことはなく、ライフル程度であれば防ぐことも可能です」
「操作については?」
「自動操縦がついていますので、こちらのリモコンにより操作は可能となります」
「十分です」
達也は船に乗り込むと、船内の要らないものを移動させ、動くようなものを取り除く。そして、受け取ったリモコンで船の操作性を確認し、デバイスを取り出した。
達也の手元のデバイスには、本来この海域付近にはあり得ないはずの大型の潜水艦が鎮座していることを示している。
その潜水艦までの距離は、約三十キロメートルはあり、普通のCADでは届きもしないし、まずもって視認することすら出来ない。
デバイスには、その潜水艦の細かな仕様が記載されており、その内容は、攻撃を仕掛けるための武装を大量に積載していることを示していた。
達也はデータから、リモコンに座標を入力して船を走らせ始める。
攻撃前に撃沈させることが出来ればいいが、今の達也では十キロメートル程度が、魔法の射程の限界である。
そのため、その船に近付くことが必要になるわけだが、今回は船に乗っていくのが一番効率的だと判断したため、葉山に船を手配して貰ったのだった。
達也は船の限界まで速度を上げると、視線はそれっきり前を見ることなく、ぼんやりと遠くを見る。それ以降、動きがあるまで達也が口を開くことはなかった。
葉山は船内の空調管理などを行うのみで、達也の邪魔にならぬようにと、話しかけることせず、離れた場所から、達也の手元に視線を向けている。
そうして進んでいくと、変化は突然に起こった。
達也がリモコンを操作して、船のエンジンを止めたのと、警報がなったのは一緒。
葉山はレーダー類にサッと目をやり、状況を確認すると、達也に向き直る。
「どうやら、この船はロックされているようですな。魚雷が2発向かってきます」
「ここまで来れば問題ありませんよ」
達也はケースから、銃形態のCADを取り出す。
そのCADは達也が普段使っているものとは違い、銃身が長く、更には眼鏡に直結した作りになっている。
達也は直ぐにCADのトリガーを2度引くと、付属品である眼鏡をかけた。
「───魚雷沈黙しました」
「そうですか」
ソナーから消えた光点を見て、葉山は静かに呟く。
結果の分かっていたことに達也は興味がないようで、眼鏡の調整をすると、進行方向に向けて構えを取る。
前方に何かが見えているわけではない。
しかし、達也は見えているかのように、やや下へ向けてそのトリガーを引いた。
発動は一瞬。
光は一瞬にして潜水艦を包み込み、周囲の海水もろとも消し去った。
達也はすぐに壁へ寄ると、眼鏡を外して葉山に視線を見る。
葉山も心得たもので、達也と同様に、壁に掴まり衝撃に備えていた。
数秒後に訪れた衝撃は、船を大きく揺らすが転覆までには至らない。
達也は衝撃が収まると、今度は港に向けて船を進ませる。
沖にいた外部勢力はこれだけだが、未だ沖縄本島には敵対勢力がいるためだ。
船を最高速度にしながら、達也はデバイスに目を向けて、随時更新される情報を見逃すまいと神経を尖らせていた。
気付いたのは数分後。
陸地に近くなったところで、その文字に目を見張る。
「まさか!?」
達也は信じられない思いで、船内から出るとCADを構えて空を見上げる。
達也の様子に、葉山も続くと、達也の見ている方向を見上げた。
特に代わり映えのない空に、達也はすぐにCADを下ろすと、葉山に向き直る。
「葉山さん。四葉深夜にすぐ連絡を」
「分かりました」
葉山は携帯を取り出し、四葉深夜に向けて掛けると、それを達也に差し出した。
沖縄の防衛軍の基地内部は、ある時刻に到達してから至るところで建物の爆発が相次いだ。
基地内部に詰めていた隊員たちは、教育のために新兵が多いことから、非常時の対応が統一出来ておらず、慌てふためくものが大多数だった。
過去に実践を潜り抜けてきた者もいたが、初手で敵に管制室を押さえられ、通信網も掌握されるなど、大きく遅れを取ることになり、事態の収集も儘ならない状況に追い込まれている。
そんな中にあって素早く動けたのは、規模の小さな部隊だけであり、それらは他の部隊と連携を取ることなく独自で動いていく。それというのも、敵が誰であるのかが正確に把握できないためであった。
疑心暗鬼に陥っているなかで、信用できるのは長年一緒にいる部隊の仲間のみ。それ以外は敵という認識で行動していた。
『現在動いている者はその場に武器を捨てて我々の指示に従え。さもなくば、基地内部の空調を切る。意味はわかるな?』
基地内に響き渡る声に、動いていた隊員たちは足を止め聞き入る。
武器を捨てて指示された先は、地下にある広場。以前達也たちが、海の中の景色を覗いた場所だった。
収容人数は基地内部の人間がギリギリ入るほどだが、その後の目的があまりにも不気味であったため、隊員たちの動きは鈍い。
しかし、全員がその指示に従うわけもなく、特に風間の部隊は敵を殲滅する方向に進んでいった。
「解除にどれ程かかる?」
「数分で、セキュリティは掌握するわ」
「では、僕と柳で敵陣に突撃しますか」
「俺はモニター側から破壊して入る」
「そんな野蛮なことは遠慮するよ」
「管制室前までの通路は確保しましたので向かってください」
女性の声で、降りていた扉が次々と開いていく。
その状態がわかったのだろう。管制室から慌てたような声が聞こえてきた。
『誰だ! くそっ! お前たちがその気ならば、こちらは外へ攻撃を仕掛ける! お前たちのせいで、上空を飛ぶ機体は海の藻屑と消えるのだ! お前たちのせいでな!』
言葉と同時に数発のミサイルが発射される。それは、基地内部の者には振動で伝わり、相手の本気度が伺えた。
しかし、その後に聞こえた声は微妙に情けないものになる。
『今度はミサイルの制御を奪われた!』
『他にないのか!?』
『今度はこっちので当てる!!』
基地内は、一部の隊員を除き、敵も味方も双方混乱の一途を辿っていた。
所変わって空の上を旋回しながら上昇していく機体には、沖縄から出立した深夜たちが乗っていた。
深夜が背もたれを倒した椅子に深々と体を横たえ、目を瞑っていると、腕に着けてあるデバイスが自己主張するように振動する。
「どうかしたのかしら?」
デバイスには、深夜のガーディアンである葉山からの呼び出しであることが表示されており、深夜は不審に思いながらも呼び出しに応じる。
葉山は長く四葉に仕えており、屋敷の取りまとめなどもガーディアンの役目の傍らで行うほど有能であるため、最初に指示を出しておけば、その後はほぼ指示など必要ない。
そんな葉山が連絡してきたことに、何かが起きたのだと深夜は感じ取っていた。
『達也です。恐らく、その機体に向けて、軍の基地からミサイルが発射されました。すぐに防壁を────』
「穂波さんは機体の前、深雪さんは中央、水波さんは後ろにシールドを張りなさい。私が全体のサポートをします」
達也の言葉が終わる前に、周囲にいる3人へ問答無用で指示を飛ばす。深雪たちは告げられた内容に、不満など見せず直ぐに移動を開始した。
深夜たちがいるのはファーストクラスのシートであり、その場所は機体の前方に位置する。
機体の大きさは約30メートルあるため、それぞれが配置に着くまで少し時間はかかるが、その時間は深夜の事象干渉力により凌ぐことになる。
深雪たちは配置に着くと、周囲の視線を気にせずに機体に防壁を張り始めた。
それを感じた深夜は、深く息を吐くと額に汗を浮かばせたまま達也に問い掛ける。
「では、詳しい話を聞きましょうか」
『軍の基地内部に裏切り者がいるとお話ししたと思いますが、その裏切り者が今回の攻撃に関与しているものと思います』
「最初から分からなかったのですか?』
『未来が少しずつズレているようなので、こうなることは想定しておくべきだったかもしれません』
「確かに、あの段階で───」
深夜の言葉は、爆音と外からの閃光により妨げられる。
機体に向けて何かが当たったのは明白であり、それにより僅かに機体が揺らぐ。
『今のところ、発射されたミサイルは数発。時間差はほとんど無かったため、ミサイルについては今ので凌げたでしょうが、基地には光学兵器があるので注意してください』
「簡単に言ってくれるわね……」
達也の感情の籠っていない台詞に、深夜は自重を止めてその異能を使用する。
元々深夜は精神干渉系の魔法師であり、物理に対する干渉力はそれほど強くはない。
そのため、深夜の事象干渉力では、3人のカバーをするのが精一杯と言うのが本当のところだ。
しかし、それは「物理に拘れば」の話であり、異能として使うならば、話は全く変わってくる。
同じ機体に搭乗している魔法師を、集中力を極限まで高めて感知すると、遠隔操作で無理矢理魔法師を動かした。
その魔法師を繰り人形のように、機体の護りにつかせる。
深夜の魔法による強化が、その機体の細部に至るまで行き渡った。
達也は港について早々に、乗ってきたコミューターに乗り込むと、軍の基地に向けて走らせる。
葉山はこの場にはいない。別件で動いてもらっているからだった。
軍の基地は、騒音などの観点から空港に近く、住宅街から遠い場所にある。達也はあまりにも遅いコミューターに多少なりともイラつきながらCADの眼鏡を装着して基地の方を見る。
基地からは、ミサイルでは効果がないと判断したのか、レーザーが空に向けて発射されたところだった。
達也の魔法の射程距離まで後僅か。
レーザーが発射されて数秒後に、達也はすぐさまCADを操作して、レーザーの根本に向けてトリガーを引く。
既に基地との距離は10キロメートル内。
達也の魔法の射程範囲である。
続けざまに魔法を発動させて建物の一部を消し去ると、順次他の構造物についても消し去っていく。
基地内部は阿鼻叫喚の地獄絵図と化していたが、犯人を特定できる者は誰もその場にはいない。
達也は、混沌としてきた基地の設備をひと通り破壊し終えると、ゆっくりコミューターをUターンさせる。
『ずいぶん派手にやったね』
「今更だ」
『もういいのかい?』
「ああ。今回はこれで終わりだ」
『なかなか面白いものが見れた。次回も何かあったら声を掛けて欲しい』
「次はまだ先だな」
『では、その時に』
デバイス越しに短く交わされた文字を理解できるのは、当人たちだけしかいない。
達也はデバイスの通話記録を消し去ると、CADの眼鏡を取り外してひと息吐いた。
達也が訪れたのは、沖縄の四葉に連なる黒羽家の別荘だった。
四葉本家の屋敷に比べて狭くはあるが、それなりの広さがある豪邸は、見るものを圧倒させるだけの迫力がある。
達也は気にせずに屋敷の入り口に進むと、呼び鈴を鳴らして人を呼ぶ。
「お疲れさまでした」
「問題ありません……ですが少々疲れたので少し休ませてもらいます」
「こちらへ」
達也は葉山に案内されるまま部屋に入ると、CADを枕元に置いてそのまま寝入った。
葉山は案内を終えると、達也から指示されたことをこなしていた。
その内容とは、潜水艦の消滅や基地の崩壊などの後始末が主なものだ。
しかし、葉山がすべてをするわけではない。元々四葉には、情報操作や収集に長けた分家があるため、今回はそこへ葉山が依頼をした形となる。
「四葉が関わった痕跡は、ほぼ抹消しましたよ」
「ありがとうございます。貢様」
葉山に報告しているのは黒羽貢。
四葉の情報処理業務を一手に引き受けている黒羽家の当主である。
貢は不快そうに達也が入っていった部屋を一瞬だけ見ると、直ぐに葉山へ視線を戻す。
「それにしても、今回の件は唐突すぎませんか? 何故あそこまで、やつの言葉を信じるのです?」
「私は深夜様の指示に従ったにすぎません」
「───そうでしたな……。では言い方を変えましょう。何故、やつが好き勝手に動くことを当主が良しとしているか御存知ですか?」
「深夜様にもお考えがあるのでしょう。私はガーディアンとしての責務を果たすのみです」
「…………」
何を言っても反応が変わらない葉山に、溜め息を吐くことで精神を落ち着けた貢は、遠くを見つめ、話題を変える。
「では、やつの会社に、私の娘を入れることについて知ってますか?」
「恐らくですが、歯止めとして期待されているのでしょう」
「それは……それでは体のいい生け贄ではないか……。悪魔に私の娘を差し出せと言うのか!? くそっ! あの時やつを殺ってさえいれば……」
貢は頭を掻きむしり、後悔の言葉を吐くが、そんな貢に慰めの言葉などが掛けられることは一切ない。
寧ろ、追撃するように、揚げ足を取られる。
「その言葉は叛意ありと受け取れますが、どうなのでしょうか?」
貢は口を閉ざし、逃げるようにその場を去る。
葉山は観察するように、貢が見えなくなるまでその背中を視線で追った。
沖縄で起きた事件の当日。
飛行機内で使用した魔法行使の過負荷に耐えきれず、穂波が空港に到着すると同時に息を引き取った。
この時の死者は穂波のみで、後は気絶していたり、疲労により動けない者がいたくらいで、起きた事象を鑑みれば、最小の被害で済んだと言えるだろう。
何故、穂波だけがこのようになったかと言えば、運が悪かったと言わざるを得ない。ミサイル群やレーザーは機体の前方に集中し、それらを防ぐのに、穂波は全力を振り絞らなければならなかったからだ。
深雪たちがカバーしようにも、いつ矛先が変わるとも分からない状況で、動くことは出来なかった。
そうして、深雪たちは自分の無力を感じていたのだが、それに追い討ちを掛けるようにして、その1ヶ月後に、四葉家当主である深夜が亡くなった。
本来であれば引き継ぐ前に当主が亡くなるなど、大事になるのだが、四葉当主が亡くなったことによる混乱は小さいもので済んだ。
理由としては、深夜がこの1ヶ月で、諸々の引き継ぎを済ませていたことが大きい。
その事から、深夜は自らの死期を悟っていたことが伺えた。
当主を引き継いだのは深夜の双子の妹である四葉真夜。
長らく仲の悪さが目立っていたが、特に表立った争いもなくスムーズに移行できたのは、四葉内での意思統一が出来ていたからだろう。
当主が変わったことで、変化があったのは達也への対応くらいだ。
今までの事が嘘のような扱いは、ここまで人は単純な生き物なのかと、達也が感じるほどのものだった。
しかし、四葉の分家に当たる当主たちまでは、流石にその意識が浸透しないようで、露骨な嫌がらせはなかったものの、居ないものとして扱われることは多分にあった。
達也としてはそちらの方が嬉しかったりするのだが、それが当人たちに伝わることはない。
金銭にしても、達也が新しく会社を起こす際には、条件を幾つか付けられたものの、無償で提供するなど、かなりの厚待遇といえる。
そのため、この当主の交代した日からが、達也の新しい人生のスタート地点と言えるだろう。
その後は、順調に進み今に至る。
達也は車を降りて、四葉本家を見上げた。
四葉───十師族の中のひとつであり、その中にあって、七草家と並び最有力候補として、魔法会に影響力を持っている有名な家系だ。
十師族はそれぞれ管轄の地があり、四葉は東海方面と岐阜及び長野方面を監視、守護している。
四葉は過去に起きたある事件以降、触れてはならない者たちとして、魔法を扱う者だけではなく、一般人にも、更には諸外国に至るまでその認識が浸透していた。
その四葉本家であるが、長野方面の山奥にあり、一般人の目に触れることはない。それと言うのも、魔法による幻惑効果を持った結界により隠蔽されているためだった。
本家に行くためには、結界の術式に登録するか、中に居る者に招いてもらう他ない。
この術式は一部の者しか知らないが、達也が改良を加えており、かなり凶悪なものへと変わっていた。
そのため、過去から数度に渡り侵入しようとする輩はいたが、改良以降生き延びた者はいない。
最寄りの駅から、山の合間を車で数時間進んだ場所にある本家の前に、達也は亜夜子と共に門が開くのを待っていた。
「司波達也です」
「お待ちしておりました。どうぞこちらへ」
二人は屋敷にある客人用の部屋にそれぞれ通される。
「荷物はこちらの部屋に置いてください。置いた後は、当主の元へご案内するよう云い遣っていますので、準備が出来次第、部屋から出ていただきますようお願いします」
達也は殺風景な部屋にある、ベッドの真ん中にトランクケースを置くと、すぐに部屋を出る。
部屋の外には達也を案内してきたメイドが控えていた。
「ご案内してもよろしいでしょうか?」
「ああ」
「ではご案内いたします」
達也はメイドに続き、屋敷の奥へ足を進める。
その部屋は、昔と変わりのない家具の配置ではあったが、主が変わったことで達也には全くの別物に見えた。
「最近は忙しいようだけど、学校の方はどうなのかしら?」
「特に変わったことはないな」
「そう」
達也は近くの椅子に腰掛け、興味なさ気に答える。
真夜は僅かに残念そうな顔をするが、すぐに表情を戻し、今日の呼び出しの名目について触れた。
「横浜での事だけど……、あの情報は軍との取引に使ったわ。詳しい内容は言った方がいいかしら?」
「いりませんよ。余計なしがらみなどは持ちたくないんで」
「じゃあ、ここまではあなたの想定の範囲なのかしら?」
「今のところは、と頭に付きますがね……。後は、10月に少々と、来年の始めにでも外国に出るくらいか……」
「外国に出ると言うことは、達也一人であの国を潰してくれるのかしら?」
「そんな面倒なことをするわけがない」
「無理とは言わないのね」
「手段を選ばなければ可能ですよっと……」
達也は言い終えると同時に立ち上がると、壁際に寄る。
「一体どこまで筒抜けなのかしらね?」
真夜は呆れたように達也に問い掛けるが、明確な答えが返ってくることはない。
真夜が呆れたのは達也の感知能力に対してのものだった。何故なら、この部屋は完全な防音対策が施されており、過去に比べて魔法的な遮断を幾重にも張り巡らしているなかで、達也がそれらをものともせずに、この部屋へ来る者を感知したからだ。
達也は全体の結界には携わったものの、四葉の主要な部屋などに設置された魔法結界には関わっていない。
それでもなお、知ることのできる達也の能力は、四葉の技術力を完全に上回っていることの証左だった。
そうして待つこと約十秒。
呼び掛けるための音が部屋の中に響き、その後にゆっくりと扉が開いていく。
「黒羽亜夜子様をお連れしました」
「入ってちょうだい」
真夜の言葉で入ってきたのは、移動用の服から着物に着替えた亜夜子だった。
「お待たせしました」
着物姿が慣れていないのだろう。亜夜子は慎重に歩を進める。
「さて、揃ったことだし本題に入りましょうか」
亜夜子が座るのを見計らい、真夜は話を切り出す。
「二人に来てもらったのは、意思を確認するためよ」
「意思?」
「ええ。やはり、双方の合意がないとうまくいかないって言うでしょ?」
「まさか……」
ここまで来れば、達也にも真夜が何を言いたいのか理解することが出来た。
達也が横を見れば、顔を真っ赤にした亜夜子が俯いて拳を握りしめている。その様子から、亜夜子には事前に話が通っているのが手に取るように分かった。
「貴方と亜夜子さんの婚約を、正式に結んでおこうと思ったのよ。驚いたかしら?」
「まだ学生の身には早いと思うが?」
「早いと言うことはないわ。寧ろ、貴方の才を知っている者からすれば当然のこと。それに、亜夜子さんならば、貴方の不満もそれほどないはず。貴方の出時を知っているし、秘書として会社の経営も手伝ってきた実績もある。メリットだらけではないかしら?」
「メリットだけならばな……」
「亜夜子さんはどうかしら?」
「はい!?」
それまで、驚いた表情で達也を見ていた亜夜子が、真夜の呼び掛けに反応して、慌てて返事をする。
真夜はその亜夜子の反応で、先程の質問を聞いていなかったことを知ると、再度同じ質問を亜夜子に向けた。
「達也さんとの婚約について異論はあるかしら?」
「あ、ありません!」
「ということよ。後は貴方次第」
「根回しは十分にしてあると言うことか……。しかし、亜夜子の両親はどうかな? 俺の事を忌み嫌っているようだったが?」
黒羽亜夜子は、四葉家の分家である黒羽家の長女。
自らの家族を大事にする黒羽家の当主である貢が、今回の婚約を快く思う筈がなく、必ず反対すると思っての問い掛けだったが、真夜は何ら問題ないとばかりに、達也に言って聞かせる。
「本来付き合うのに親の同意など必要ないものよ。貴方が望むならば黙らせてあげるわ」
「そこまでの事は望まないが、近くでうろうろされるのは煩わしいと思っただけだ」
達也は少し思案するように、片手で口許を隠し、真夜と亜夜子を見る。
真夜の表情は変わらないが、亜夜子の方は先程までの驚いたような表情から、不安そうなものへと変わり、呼吸をするのも忘れたように達也を見つめている。
「お返事を聞かせてもらえるかしら?」
「そうだな。黒羽貢から何かされるようなことがなければ特に構わない」
亜夜子は達也の言葉に、安堵するよう息を漏らし、真夜を見る。
真夜は扇子で口許を隠すと、軽く頷いた。
「では、四葉内で貴方の事は伝えておくから。それと、そろそろ貴方も父親の元を離れてはいかが?」
「特に今の場所でも不満はないが、確かに稼ぎのある者が親の脛をかじるのもあれか……」
「忙しいのだったら、婚約祝いに良い物件を見繕ってあげますよ?」
「そうしてくれ。今はラボに籠りきりだからあまり寄ることはないが、その内使うだろうしな」
「何か希望はありますか?」
「そうだな……」
達也は真夜に、家の条件を幾つか伝える。
「それではその条件で探しておきましょう」
「他に何かあるか? サプライズはしなくていいぞ」
「それはこちらの台詞です。出来ればこれからの事をこちらは知りたいのだけど?」
「不確定要素が多いんだが───」
達也は前置きしてこれからの事を語る。
それは、数ヵ月後に起こると予想される出来事。
真夜は達也の口を凝視し、一言も聞き逃すまいと耳を澄ませる。
達也の語る内容は、達也が不確定要素が多いと言ったわりに、詳細に過ぎるものだった。
真夜はそれらを聞き終えて、達也に質問する。
「それらの起こる可能性はどれ程あるのです?」
「可能性は低くはない、しかし、確実にあるとは言えない」
「極力貴方の関与は排除してきたわ。それでも変わらないのかしら?」
「四葉の力を使って押さえることが出来るのならば、先程言った場所はこちらで処理するんだが」
「それほどの人数になると流石に無理ね」
「それなら、多少の犠牲は見込んでおいた方がいいだろう」
「そうするわ」
達也と真夜の会話は淡々と行われ、内容の掴めない亜夜子は目を白黒させて、ただ聞くだけに留まる。
話が一通り終わったところで、達也だけが部屋に戻された。
残されたのは、話についていけなかった亜夜子と真夜のみ。
亜夜子は緊張した面持ちで、真夜の前に立ち尽くす。
「亜夜子さんには前から伝えていたけど、達也を支えてあげて頂戴ね」
「はい。───あの、先程のは……」
亜夜子は、先程の達也の話が気になってしまい、真夜に訊ねる。真夜も分かっていたのか、亜夜子に優しく語りかけた。
「気にするな、と言っても難しいでしょうから、達也の指示に従いなさい。その方が安全なはずよ」
「分かりました。───後ひとつだけお聞きしても良いでしょうか?」
「何かしら?」
「四葉と、達也さんの関係を、教えてください」
亜夜子にとって一番の懸念を取り去りたい思いで、声を絞り出す。
父親である貢からは、悪魔の子である達也に極力近付くなと耳にタコが出来るほど聞かされ、今に至っては、当主である真夜に向かっての態度が全くなっていない。それにも関わらず、真夜は達也を注意することなく黙認しており、これではどちらが上か分かったものではないのが現状だ。
今の達也の態度を許すのは、油断させるための罠であり、信頼を勝ち取ったところで、達也を暗殺しろとでも言われるとなれば、亜夜子の希望が絶望へと変わることは間違いなかった。
そのための確認であり、亜夜子は祈るように真夜を見つめる。
「今のところはビジネスパートナーといった側面が強いわね。私としては、達也は息子のような存在だから、もっと頼ってくれても良いと思うんだけど……」
亜夜子は拍子抜けするような内容に、緊張の意図が切れたのか、よろよろと後ろの応接机に座り込み、慌てて立ち上がる。
そんな亜夜子を見て真夜は微笑むと、退室を促した。
「安心して、幸せになりなさい。そうすれば、達也が全てから守ってくれるわ」
真夜は微笑むと、退室する亜夜子の背に聞こえないよう呟く。
「護るものが増えることで、敵も増える……。もっと好き勝手に暴れなさい。私の可愛い息子……」