司波達也の日常 作:ネコ
夏休みも後半に差し掛かった頃。
達也の元へ、雫から連絡が入った。
「どうかしたのか?」
『こんばんは達也さん、今度の日曜日……何してるの?』
雫は、モニターに映った達也の姿と、その周囲にある物を見て興味深そうに訊ねる。
「今週にはここを出ていくから荷物の整理をしているところだ」
『えっ? 引っ越し? どこに?』
『そんな!! 達也さんどこかに転校してしまうんですか!?』
達也の言葉を聞いて、身を乗り出すように話しに割り込んできたのはほのかだった。
達也の周りには、引っ越し用の箱が幾つか積み上げられており、部屋の中は余分な荷物が少ないこともあって閑散としている。
達也は箱詰め作業をしながらほのかたちの問いに答えた。
「何処かに行くと言うよりも、ここより研究所に近い場所へ引っ越すだけだ。転校する訳じゃない」
『そうですか……良かったぁ』
ほのかの安堵するような声が小さく聞こえてくるが、それに被せるようにして、雫が質問を続ける。
『でも、なんで急に引っ越しなんてするの?』
「良い物件が見つかったからだな」
本当の理由からはほど遠い答えではあったが、嘘でもない。
雫は達也の答えに納得していなかったものの、それ以上の事を達也に問い掛けることはしなかった。その代わりに、本来の用件を訊ねる。
『達也さん、夏休みの間で、空いてる日はある?』
本当であれば達也を誘う日を日曜日に予定していたものの、この調子では了承を得るのが難しいと判断した雫は、言い方を変える。
「そうだな……8月の終わり頃であれば調整できる」
『じゃあ、8月の最後の日曜日は空けておいて。それと新しい住所も教えて』
「あまり教えるようなものではないんだが……」
少し渋ったものの、バレるのが遅いか早いかの違いしかなく、その差によって生じる不都合は今のところ存在しない。
『誰にも言ったりしない』
『私も!』
「分かったよ」
達也は近くに置いてある端末を手に取って、雫とほのかにデータを転送する。
雫たちは、そのデータを見て嬉しそうに場所の詳細を閲覧し始めた。
達也の引っ越しは、荷物が少なかったことからすぐに終わった。寧ろ、時間が掛かったのは同居する亜夜子の方である。
「不束者ですがよろしくお願いします」
「ああ。こっちこそよろしく」
折り目正しく、正座して三指ついて待ち構えていたときは何事かと達也は思ったが、婚約していればそう言うものだろうかと、亜夜子が一緒に住むことについて、特に異論は無かった。
達也たちが住むのは、見た目一般的な2階建ての建造物。周囲にはポツポツと幾つか家が建っており、それぞれの家の敷地はそれなりの広さを持っている。
達也の家は、敷地の周りを塀で囲まれ、少し広目の庭があり、隣接の家とそう変わりはない。
庭には少し大きめの小屋が設置してあるだけであり、誰が見ても特に不自然な点は見当たらないだろう。しかし、その実態は不自然など生ぬるいものとなっていた。
建造物は全て対戦車ライフルすら防ぐ性能を有し、地下には簡易のシェルターが設けられ、欲を出さなければ一生を暮らすことのできる設備が完備されている。
電力だけは外部からの供給が必要になるが、一ヶ月程度であれば、自家発電と太陽光の組み合わせにより不自由なく対応可能な作りになっている。
達也としては、その電力の部分についても、永久機関にしたいところではあったが、未だ開発途上であるため実現できていない。
今まで構想として作ってきた設計図を活かす造りに、達也は満足そうに家の中を見て回った。
「達也さんも嬉しいですか?」
「ああ。勿論嬉しいに決まっている。この日が来るのを待っていたからな」
「そんなに待ち遠しくしていたなんて知りませんでした……」
「感情が抑制されているせいで分かりにくいとは思うが本音だよ」
多少の認識の違いはあるものの、亜夜子は達也の言葉を感動したように聞き入ると、拳を握りしめて気合いを入れる。
「今日の夕食は頑張りますから期待しててください!」
「楽しみにしていよう」
亜夜子は軽く頭を下げると、その場を去り、達也は続けて家の細部まで確認していく。
大分突貫工事な部分もあったのだが、達也が監督しただけあって異常なところは見受けられない。
達也は一通り見て回り満足すると、敷地内に達也と亜夜子を除いて誰もいないことを確認し、システムを起動させる。
そのシステムは、魔法の結界であり、四葉本家で採用されているものに、認識阻害を加えたものだった。
認識阻害と言っても強力なものではなく、目的意識がなければ、その邸宅から認識を反らす程度のものである。そのため、達也の元を訪ねてくる者には効果が薄い代物だった。
達也はその調整や、他の機材の設置、そして持ってきた荷物の整理でこの日を終えることになる。
「達也さん。ご飯出来ました」
「今いく」
可愛らしいエプロン姿で呼びに来た亜夜子へ、達也は無愛想に答えるが、亜夜子の笑顔は崩れることなく、笑顔のまま食事の準備してある部屋へ案内する。
案内された部屋には、四人掛けのテーブルに、二人で食べるには些か多すぎる料理の数々が並び、雰囲気を出すためなのか、照明を僅かに落として、テーブルの上に設置してあるライトで、そこだけを明るく照らし出していた。
達也を先導していた亜夜子は、片方の椅子を引くと達也へ座るように目で訴える。
達也が、その招きに応じて椅子に座ると、亜夜子は達也の対面に向かい、エプロンを外してから椅子に座った。
「達也さん飲まれますか?」
亜夜子が掲げたのは年代物のワインであり、達也によく見えるよう銘柄を見せる。
「戴くよ」
亜夜子はワインのコルクを抜き、達也の持つグラスへと注ぐ。
勿論法律的に、飲酒が認められるわけではなかったが、この場にそれを咎める者はいないし、ましてや達也は酒に溺れることがないため、飲み物については全く気にしてない。
二人で注がれたワイングラスを持ち、軽く掲げる。
「新しい門出に乾杯」
「乾杯」
亜夜子は飲んでもいないのに、既に顔は真っ赤に染まっていた。
元々それほどアルコールに対して強くはなかったのだろう。食事の半ば頃には頭をフラフラとさせ始め、終盤にはそのままテーブルにうつ伏せになってしまう。
達也はアルコールを含んだ吐息を漏らすと、身体の機能を一瞬で元に戻し、幸せそうに眠る亜夜子を部屋へと運ぶ。そして、料理の後片付けを素早く済ませると、自室へと戻っていった。
翌朝は、予想通りというべきか、寝坊した上に二日酔いで頭を押さえる亜夜子が、朝食を準備していた達也にひたすら謝り続けていたのは余談である。
雫たちと約束を交わした夏休み最後の日曜日。
自分たちが迎えに行くからと、結局当日になっても目的地を告げずに、達也の家に迎えに来た。
その際に軽いハプニングが発生する。それは予想できたことであるが、現状では回避不可能。
インターホンを鳴らした雫の呼び出しに応じたのは、達也と一緒に住む亜夜子だった。
亜夜子との軽いやり取りの後、玄関から出ていく達也へ、亜夜子が新妻のように、少しだけ追随して達也を見送るために外へ出てくる。
そして、雫たちに見せつけるように達也の頬へ軽くキスをすると、満面な笑顔で手を振って送り出した。
女の勘とでも言うべきものか、亜夜子は雫たちから感じ取れる達也への想いに反応し、悪い虫を寄せ付けないようにと先手を打ったに過ぎない。
それを見ていた雫たちは、まるで時が止まったかのように、その場からしばらく動けずにいた。
「出掛けるんだろう? そんな所に立ってないで、乗ったらどうだ?」
達也は先程のやり取りを気にせずに、北山家の使用人である黒沢に勧められて、既に乗り込んでいた車の中から、雫たちに不思議そうに声を掛けた。
豪胆と言うべきか、その顔には微塵も動揺など見られない。寧ろ、動揺しているのは雫たちだった。
ショッキングな光景を見て動けないほのかの手を引き、雫は達也を睨み付けるようにして車に向かう。
先程の一幕について、必ず聞き出すという決意に満ち溢れていた。
車が出発してから十数分。
車内では、心を落ち着けるためだろう、ゆったりとしたクラシックが流れ、場の雰囲気を落ち着かせていた。
誰一人として口を開こうとはしないが、だからと言って、音楽に耳を傾けているわけでもない。
ほのかは下を向いて俯き、雫も同様に下を向いて、時折ほのかの方を見る。
達也は内心で溜め息を吐いたものの、ここまでショックを受けることだろうかと、窓の外へ視線を移し、行き先について推察する。
一番初めに口を開いたのは、雫だった。
それまで下に向けていた顔を上げると、意を決したように達也を見つめる。
「さっきの子は誰?」
雫の問いに対して敏感に反応したのは、問い掛けられた達也ではなく、隣に座っていたほのかだった。
達也はそれまでの思考を放棄し、雫に顔を向けると、手短に答える。
「婚約者だな」
達也の言葉は、車内の空気を一気に鉛へと変えたかのような威力があり、誰一人として動こうとしない。
暗い雰囲気は、目的地に到着するまで引き摺ることになり、結果としてその目的地で待っていた人物に伝わることになる。
「よく来てくれた!」
「お久し振りです」
達也に片手を差し出し握手を求めてきたのは、雫の父親である北山潮だった。
潮は夏の日差しを避けるために麦わら帽子を被っており、その服装はラフな格好で纏められている。
その後ろには、夫を立てるようにして、1歩下がった位置に、潮の妻である紅音が静かに微笑みながら立っており、その反対側には、航がニコニコと笑顔で達也を迎える。
潮は握手を交わすと、今日の本題に入った。
「今日はバーベキューを近くの島で行うんだが、いつも世話になっている達也くんを誘おうということになってね。突然のことで驚いたと思うが、楽しんでいってくれ」
「お誘いありがとうございます」
「遠慮することはない。私と君の仲じゃないか」
「礼を失するわけにはいきませんよ」
達也たちの会話の背後で、車からゆっくり出てきた雫たちは、黒沢から渡された潮とお揃いの、つばの広い麦わら帽子を深々と被り潮たちの元に進む。
最初に雫たちの異変に気付いたのは紅音だった。
潮の傍からそっと離れると、雫とほのかの前に軽く膝を曲げて顔を確認すると、視線を黒沢に向ける。
黒沢は頷いて紅音の耳に口を寄せて原因について話した。
聞いてみれば、誰が悪いわけでもない。
いるかもしれないことを考慮しておくのは当然のこと。
娘たちを応援していた身としては、事前にそこまで確認しておくべきだったことを反省しつつも、過ぎたことを言っても仕方がないと割りきる。
「どこまで確認したのです?」
「お嬢様方が聞いたのは、その娘との関係性のみで、それ以上のことは聞いておりません」
「分かりました。後は私が引き受けます。あなたは準備をしてらっしゃい」
「はい」
紅音は黒沢に指示を出し、自らは雫たちの肩を抱いて船に誘導する。
達也と会話が盛り上がっていた潮が気付くのはもう少し後になるが、先に船へ乗り込む紅音たちを見て、航も何かがあったのだと気付いた。
船は最新式のものであり、船に乗ってからも潮の話は止まることを知らない。
ようやく潮の話相手から解放された時には、目前に島が見える位置にまで近付いていた。
「あなた……。ちょっといいかしら?」
「ん? どうかしたのか?」
妻に呼ばれて船内へと入っていく潮を見送ると、特にすることもなくなったため、達也はデバイスを立ち上げて、掛かりきりになっていた作業を始めた。
船内の一室に通された潮は、お通夜のような暗い雰囲気の部屋に思わず顔をしかめたものの、その原因である二人の様子を見て、慌てたように振り返る。
「船酔いか!? 極力振動を吸収するはずなんだが……。やはり、この会社の売り込みは───」
「黙ってよく聞きなさい」
紅音は、独り言をぶつぶつ言い始めた潮の手を掴むと、強引に部屋の外へ連れ出し、少し離れた場所で、他の者に聞かれないよう小さな声で話し出す。
「今日誘ったあの子だけど、婚約者がいるそうね」
「何? そんなことは初耳だ……」
「あなたも知らなかったのね……。でも、二人があの子に気があるのは分かるでしょう?」
「それくらいは分かるとも。そのためにこうやって機会を作ろうとしたんだが……」
企業の上役とは言え、未だ中学を出たばかり。魔法科高校へは2科生でギリギリ入れたということと、あまり聞かない家名であったことから、楽観視していたことに、潮は頭を抱える。
「雫の方は落ち着いてきたのだけど、ほのかがショックのあまり泣き続けてるわ。ほのかの血と性格を考えれば……、何をすべきか分かるわね?」
「ああ。親として、ゆっくりと傷付いた心を癒しつつ、ただの友達だったと───」
───バシン!
潮の頬を紅音が打ちすえる。
音の割りにそれほど痛くはなかったのだろう。潮は叩かれた頬を押さえて紅音を見た。
「まだ終わってない」
潮は説明を求めるように、声は出さず紅音の目を見つめたまま、続く言葉を黙って待つ。
「未だ婚約。結婚できる年齢までまだ2年の猶予があるわ」
潮は紅音が言いたいことが分かったのだろう。見つめ合ったまま頷くと、潮は達也の元に、紅音は雫たちの元に戻っていった。
精神的なショックと言うものは、思いの丈により変わってくる。特に恋などという曖昧な形のものは、それが如実に現れると言ってもいいだろう。
受けた傷を回復するには、自然に治すか、薬など別のもので治すか。
紅音たちが行ったのは、どちらかと言えば後者に当たる。
相手に好きな人がいるかもしれないというごく当たり前の心構えをさせ、関係性を変えることなく、最初の頃に戻す。
北山家は、僅か数代で築いた資産家であるため、成金などと言われているが、苦労を経験しなかったわけではない。
日々、他の企業との顔繋ぎに奔走し、営業を重ね、今の地位をもぎ取っていた。
紅音にしても、Aランク魔法師として有名になるまでは、地道な活動を繰り返し、ひたむきに研鑽を積み重ねてきた。
そんな二人が出した結論。
それは、長い人生において、これまで目標を諦めるという選択をしたことのないふたりが、恋愛だからといって、諦めるという選択をさせないことだった。
その日のバーベキューは、当然の結果とも言うべきか、静かなものだった。
音としての静けさではなく、雰囲気としての静けさ。
話すのは主に潮と達也のみで、リラックスする音楽が場を繋ぐように流れていく。
「時に達也くん。婚約者がいると聞いたのだが、どのような娘か聞いても構わないかい?」
「ええ。名前は黒羽亜夜子。年は1つ下ですね。外見としては、黒髪が腰付近まであり、背丈は雫くらいでしょうか」
「その子も魔法が使えるのかい?」
「そうですね」
「なるほど……。しかし、過去に君は恋人などいないと言っていたと思ったんだが……」
「婚約を言い渡されたのは、九校戦後に実家へ帰ったときですから、まだ2週間ほど前ですよ」
「それほど経ってないか……」
その後も潮からの質問攻めに、達也は淡々と答えていった。
夏休みが終わり、学業に戻った達也は、ある決心をしてエリカに声を掛けた。
「エリカ。少しいいか?」
「どうかした?」
駅に向けて歩く帰宅部二人。
夏休み前とあまり変わることなく続く光景は、知らないものが見れば、付き合っていると勘違いしても仕方ないだろう。
「エリカの家に修次さんがいるだろう?」
「うん、いるよ。もしかしてサインとか? 有名人だからねぇ」
修次の事に関して、エリカに聞く者が多いのだろう。顎に手を当てて遠くを見ながら沁々と感慨深げに呟く。
「サインではないんだが」
「じゃあなんだろ? 一緒に写真撮るとか?」
予想とは違った答えに、それでも似たようなことだろうと、当たりをつけて問うが、達也は首を横に振る。
「いつ頃戻ってこられるか分かるか?」
「ん~。次は10月の始め頃かな。そこで1ヶ月くらいこっちに戻ってくるって言ってた気がするから、たぶん毎週日曜には帰ってくると思うな~」
「流石に毎週はキツいんじゃないか? 防衛大とはいえ、実務ばかりだからその内の2週くらいか……」
「まあ、ちょっとした理由があってね……。確実に毎週来るわ……。それよりも修次兄がどうかした?」
毎週帰る理由について、エリカは確信があるようだが、その理由には触れず、目的を訊ねた。
「少々手合わせ願いたいんだが、都合を聞くことはできないか?」
「それなら、日曜の昼過ぎくらいに来たらいいよ。たぶん鍛練してると思うし」
「わかった。帰ってくる頃にまた教えてくれ」
「りょーかい。それよりも、いったいどんな風の吹き回し? 達也くんが他の人と手合わせしたいなんて」
不思議そうに首を傾げて達也を見る。
エリカから見た達也は、全てを一人でこなしてしまうような性格であると見ていたため、この申し出がとても珍しいと感じてしまう。
「今自宅で鍛練を積んでるんだが、実践経験が乏しくてな」
「それなら、私とやろうよ。私も達也くんとやりたいと思っていたから丁度いいし」
「そうだな……。あまり時間もないし、毎週でも構わないか?」
「毎日でもオッケー」
エリカは片手を目の前に上げて了承すると、達也は頷き、近付いてくる日に向けて、当座の目標が達成できそうなことに心の中で安堵した。
二人は気にしていないが、二人が今いるのは第一高校への通学路。
当然のことながら、そこを通るのは達也たちだけではなく、他の生徒の姿も複数見掛けられる。
会話の端々を捉えた他の生徒は、達也とエリカの関係性を誤解したまま、その誤解を加速させていく。
エリカの誘いに乗って、達也はエリカと共にコミューターに乗り込み、千葉家の道場へ足を運ぶ。
目的の場所まで時間にして数十分。
到着して早々に通された部屋で、エリカは達也を待たせると、達也のための鍛練用の服を取りに、そのまま部屋を出ていく。
千葉の家は、古い武家屋敷のようで、広大な土地に昔ながらの木造建築物が計算された配置で並んでいる。
見た目は古いが、頑丈さや防犯レベルは、流石千葉家というべきだろう。しっかりと魔法的な守護もされていた。
四葉家と似たような雰囲気に、どこも考えることは同じなのかと思いを巡らせていたところに、エリカが服を携えて戻ってくる。
「はい、これに着替えて。着替えたら、この部屋の外で待っててね」
エリカはそう言うと、嬉しそうに再び部屋を出ていく。
達也は着替えを手早く済ませると、部屋の前でエリカを待った。
女性の準備には、時間が掛かるというのが相場だが、エリカはそのようなことなく、数分で戻ってくる。僅かに乱れた呼吸を見れば、かなり急いで準備したのが分かった。
「案内するからついてきて」
迷路のような作りの廊下を進み、大広間へと通される。
「家の中にスペースがあるんだな」
「そうなのよね。ここ維持するお金あるなら小遣いをもう少し増やしてくれても良さそうじゃない?」
「ノーコメントで」
「ノリが悪いなぁ」
軽口を叩いて不機嫌そうに見せてはいるが、エリカは既に戦闘体勢に入っており、自然な格好で木刀を垂らしたまま部屋の中央に向かう。
「そこに立て掛けてあるのなら、どれでも使っていいよ」
「無手でいかせてもらう」
「お好きなように」
怪我をするかもと言った陳腐な台詞は吐かず、二人は対峙したままその場に立ち尽くす。
合図など必要なくとも、既に手合わせが始まっていることを二人は認識していた。
最初に動いたのはエリカから。
地を這うように足を前へ踏み出し、床板が軋むほどの踏み込みで一気に加速すると、更に魔法を発動して、その速度を視認が困難な域にまで高める。
そして、その速度のまま達也の胴を薙ぐようにして横を通りすぎようとしたが、エリカは手首を捕まれ、一本背負いの要領で、床板から体を浮かされる。
そのままでは、床に叩きつけられるところを、エリカは手首の拘束を解いて逃れたが、勢いが消えることはなく、そのままあっさりと空中へ投げられた。
僅かな滞空時間を利用して、エリカは体勢を整えると、足から着地しようとする。しかし、達也の攻撃はこれで終わりではなかった。着地した瞬間を狙って、床にエリカの体重が乗りきる前に、エリカの首を捉えると、両足へ足払いを掛けてそのまま床に押し倒した。
エリカが動き始めてから僅か数秒足らずの出来事。
常人の目には、何が起こったのかさえ理解することが困難な速度域でのやりとりに、エリカは興奮したように目を輝かせて達也を見た。
達也は首に添えられた手を退けると、エリカの手首を掴み立たせる。
「達也くん、もう一回!」
「分かった」
はしゃぐエリカに応えるため、達也は一旦距離を取り、再び対峙する。
その日はエリカが満足するまで、実践に近い手合わせは続いた。