片思い的な僕ら。 作:鋭利庵
「こんなの絶対おかしいですよ……間違ってますって、絶対」
「はあ」
「十歳の頃からの付き合いなんですよ、いや、ルーちゃんもそうですけどこっちはパートナーですよパートナー!一緒にお風呂に入って裸まで見た関係ですよ!?」
「はあ」
「ああいうのっていつの間にか周りから夫婦扱いされて事実婚ってなるんじゃないですか……?私、そんなにおかしいこと言ってますか……?」
「……どうだろうねえ」
酒の減るペースは、僕が一本消費する毎にキャロが五本。今日ばかりはたっぷりと飲んでも罰は当たらないだろうと大量に箱で購入した缶の内、既に三分の二が中身を人体へと移していた。
明日は休みだし、きっと問題ないと思ってキャロがハイペースで飲むのを見過ごしていたが、横に転がる空き缶の数を見て彼女が急性アルコール中毒にならないかが不安になる。彼女の小さい身体の中にどうしてこれだけの量が入るのかといった驚愕もあるが、それ以上に僕の自宅で急に吐くんじゃないだろうなといった心配もあった。
「ふぁっくふぁっきんさのばびっち」
「キャロ、キャロ。それはちょっと危ない。女の子が言っていい言葉じゃないって、多分」
「うえええ……私もう女の子なんて歳じゃありませんよーだ。もう二十ですよ、お酒だって飲める歳なんです。でもどうせ私はロリコン御用達くらいにしか思われてないのです。色気なんてクソ食らえですよ。無駄な脂肪ぶるんぶるん震わせてんじゃねーですっての」
「えーっと、何だ。その……」
「人間、下を見ると安心するって言いますけど、レズビアン疑惑コブ付き三十路手前の行き遅れを見ても全然安心なんかできません!うう、ああはなりたくないよぉ……仕事が恋人って言葉を言い訳に使いたくないよぉ……。エリオくぅん……」
「………………」
どうしよう。
この娘、僕の好きな娘なんだけどなあ……。
いやホント、何でこの娘を好きになったのかわからなくなるような罵詈雑言の嵐の中でも、恋情の船はしっかりと僕の心に浮かんでいて、中々沈む気配を見せない。
誰かをずっと好きでい続けるのは莫大なエネルギーが必要、だなんて言うけれど、好きな誰かを嫌うのにもまた、必要なエネルギーは生半可ではないということだろうか。子供の頃から続いている彼女への片思いは、彼女と僕が二十歳になった今でも、滞りなく現在進行形で継続されている。
彼女の思い人の結婚式が挙げられた、今日でも。未だに。
だからと言って僕に傷心中の彼女を慰められるだけの甲斐性もこれを好機として彼女を狙っていくだけの度胸もなく、ただただ、酒を飲んでは愚痴を聞くだけに留まっている。
……いや、うん。だからいつまで経っても片思いのままなんだろうなあ。
「情けない話だよなあ……」
自然と口から声が漏れた。酒も入っているからか、キャロの前での意思に反する内心の吐露という脊髄と舌の暴挙に、あまり驚きはなかった。そして、その言葉にキャロが声を荒げて反応する、
「情けない!情けないって何ですか!?情けないって言う方の情けがないからそんなことが言えってったって……?あれ、何だっけ。……そうです!エリオ君をルーちゃんから寝取れば」「ちょっぷ」「あいたぁ!?」
何やら話が危ない方向へと進んでいきそうだったので、チョップにてせき止める。あまり強く力を入れたわけではないのに、キャロは叩かれた場所を手で押さえてうんうんと唸っていた。きっと当たり所が悪かったのだろうと軽く流して、時計を見る。そろそろ十二時を回りそうだ。
さすがに朝帰りはマズい、ということでキャロに帰宅を促す。
「やです」
端的な返事が返ってきた。
「だあって家に帰っても誰もいないんですよ?エリオ君のとこにも気軽に行けないっていうか行っても気まずいだけっていうか行った瞬間ルーちゃんの艶めかしい声が聞こえてきたのがトラウマになってるっていうか今日結婚式あったから絶対初夜ってるよねとか思ってみたり……。あ、フェイトさんのとこは普通に行きたくない。何かこの状態のままで行ったら喪女菌が感染しそうだし」
「……キャロ、今日何か特にフェイトさんに厳しいね?」
数年前は「私の一番尊敬する人です!」とか目を輝かせて言っていた気がしたんだけど、あれはもしや影武者だったのだろうか。だとするならキャロ検定一級免許取得者(検定主催者・エリオ)の僕がキャロを見間違えるとは、僕もまだまだ研鑽が足りないなとか言ってみたり。
「エリオ君が先に結婚するのを聞いて焦ったけどまだ結婚してない私を見て安心するフェイトさんなんて、一生結婚できなけりゃいいんです」
「…………フェイトさんにも色々あるんだよ、うん。許してあげよう、だって彼女もう二十九なんだ」
年の離れた弟、はたまた養子のような存在が自分よりも先に結婚したとなれば、内心穏やかではないだろう。しかも彼女、彼氏いない歴=年齢だというのだから笑えない。本人には笑ってもいいと言われたが、一緒に酒に付き合っていたエリオも顔を青くして目を逸らしていた。
いやいや、ホント笑えないですって。
悲しすぎるフェイトさんの事情を忘れるように缶のビールを一気に呷る。喉の奥へと抜けていくような苦みが鼻へと突き抜け、咽せた。
そしてそんな僕をキャロは大笑いして、やたら近代的な構造のテーブルをバンバンと叩く。僕の部屋に家具というものが軒並み存在しないことからエリオが誕生日にプレゼントしてくれたものだ。それを今キャロが叩いていると考えると面白いものがある……のか?微妙なところだ。
「私だってね、パートナーって立場に胡座かいてるわけじゃなかったんですよ?恥ずかしいようなことだって言いましたし、誘惑だってたくさんしましたとも。時にはもう面倒だから襲っちゃおうかなとかも思いましたよ。ですけど……ね?私だって女の子……でしたもん。告白とか、されてみたかったんですよ」
ぷはあ、と可愛らしい息を吐きながら、可愛らしくない音を缶ビールとテーブルの間で立てる。勢いに煽られた缶の中身が液体ながらに飛行という快挙を成し遂げ、重力に勝てないままテーブルに落下した。キャロはしばらく零れたビールを見つめていたが、何を思ったか、そっと指を漬けてそれを少し扇情的に舐めた。
「アピールも……ちゃんとしてたのに……やっぱりおっぱいですか、おっぱいが大きい方が良かったからなの?私の時は顔赤くして逃げるだけだったのに、ルーちゃんとはちゃんとヤることヤってるだなんて、エリオ君……いや、エロ君は……ああもう!ばーかばーかばああああああか!!」
そして、エキセントリックに咆えた。前後のテンションに脈絡がないのが酔っ払いの特徴だ。
「えっちへんたいどすけべばーかばーか」
拗ねるように唇を尖らせ、机に突っ伏したままつまみのナッツ類に手を伸ばし、わざとらしくボリボリと音を立てて乱暴に咀嚼する。「エリオ君なんて」ボリボリ「ルーちゃんとヤりすぎて」バリバリ「腹上死しちゃえばいいんだよ」我が好きな人ながら酷い絵面だ、と思う。きっとこういうのを『百年の恋も冷めそう』なんて言うんだろうけど、どうやら僕の恋は思いの外粘着質のようで、中々心の底に張った根を廃棄してくれそうにない。いっそ嫌いになれたら楽なんだけどなあ。
あー、アオミドロになりたい。アイツら、悩みとかなさそうだし。太陽の光を浴びて無意識でエネルギーを作るだけで生きていけるというのはきっとどんなに楽なのだろう。いやでも脳味噌ないから思考できないか。どうせ思考できないんなら無機物でもいいよなあ、捕食の心配もないし。
最近は切っていなかったせいか、鬱陶しいほど伸びっぱなしになっている髪の毛をボリボリと掻き毟る。エリオの結婚式の前に切っときゃ良かったかなと思いつつも、最近は忙しくて叶わなかった。威厳もクソもないが、これでも一応隊長、責任ある立場なのだ。
……いやうん、だからなんだろうね。キャロの口調からいつまで経っても僕に対する敬語が取れないのは。変にフランクなよりは上司としてはずっとやりやすいんだけど、こう、何だ。複雑な気持ち。
僕が苦い気持ちを噛みしめながら苦みのあるアルコール飲料を飲み干すと、キャロが苦虫を噛み潰した顔で新しいビールの缶に手を伸ばしながら、言う。
「フリードはエリオ君に寝取られるし、エリオ君はルーちゃんに寝取られるし……。飲まなきゃやってらんないっての」
「いや、飲むのはいいけどさ……ここ、男の家だからね?これっぽっちも意識してないかもしれないけど、一応男の家だからね?変な噂とか立つかもしれないし、そろそろ帰った方が……」
「やーでーすー!帰らない帰らないまだ飲む
「全く関係ない話題でフェイトさんに流れ弾を狙い撃ちするのやめようよ……。やめよう?フェイトさんピンポイントで狙ってるのかもしれないけど、なのはさんとはやてさんにも誤射してるから」
二十九歳、独身、処女。皆条件は同じだった。
特になのはさんは少し気になっていた人が仕事のしすぎでストレスが溜まり、女装に目覚めて男に走ったというダブル役満。単純に男の人に縁がなかった方がまだマシかなと思える悲惨さである。その人の写真を一度見せて貰ったことがあるのだが、その辺の女の子より数倍は可愛かったのがなのはさんの乾いた笑いに虚しさを助長させていた。
みんな結婚できなきゃいいんだおぇぇと吐き気を催しながらも呪詛を垂れ流すキャロに謎の執念を感じつつ、袋を持っていって背中をさする。
「飲み過ぎだよ。ほら、フェイトさんに連絡してあげるから、もう帰ろう?」
「何ですかおぇぇぇ……帰って欲しいんですか。ひょっとして女ですか。女連れ込むから私は邪魔になるとそう言いたいんですかおぇぇ気持ち悪い……」
違うから、とキャロを宥め賺し、さりげなく彼女から酒を遠ざける。放っておくとまた自棄を起こして箱ごと酒を消費しかねない。
「私、そんなに魅力ないですかねえ……?確かに胸は小さいままだし、背だって全然伸びてませんけど、これでも二十の女なんですよ?私、そんなに魅力足りないですか……?」
瞳を潤ませて、キャロが腕に体重を預けてきた。軽くて柔らかいその感触は、僕の心臓の鼓動を早めてくる。
ここで「いや、キャロは十分魅力的だよ」なんて言えたら良いのだろうけど、突然の出来事に「いや……そんなことはない、と思う……けど」なんて曖昧な色の返答になってしまった。
「じゃあ、キスしてください」
「は、え?」
「してくださいよ、キス。ぶちゅーって」
「いや、ちょ、待っ……キ、キャロ。酔いすぎだって」
酒の酔いからか羞恥からか顔を真っ赤にしてこちらを見つめるキャロに、どう反応をしていいかがわからず取り敢えず倒れてくる彼女の肩を掴む。焦点の定まらない眼球がこちらを見つめる。昔見た次元犯罪者がこんな目をしてたかなあ、と半ば現実逃避気味に想起した。
「ん…………」
キャロが目を瞑った。
何だこれ、チャンスなのか?いやしかし待てこういうのはどうなのだろうか傷心と酩酊に付け込むようで気が引けるというかでも一人暮らしの男の家に転がり込むのは脈ありと言えないだろうかほらキャロだって受け入れ体勢取ってるし!しかしついさっきまでエリオが好きだって公言してていきなり僕を好きになるなんて現実的じゃないしとか言ってやっぱりどこかに言い訳を探してて!
自惚れてもいいんだろうか。自惚れるべきなんだろうか。
自信とはまた違った感情が僕を後押しして背を蹴飛ばす。心の中に生息する悪魔っぽい、僕の顔をしたコスプレ男が僕の後頭部を殴りつけて顔面を彼女の唇に接近させる。
「………………」
キャロの顔が映る。僕の好きな────本当に大好きな人の顔。
そして僕には、その目の端に見えた涙の跡が酷く痛々しく見えて。
「……キャロ」
そして、僕は言う。
「駄目だよ、好きでもない男に唇を許したら。女の子なんだから自分を安売りしないで、そんな台詞は君がエリオの代わりに好きになれる人に出会った時に取っておきなよ。大丈夫、君は十分魅力的な女の子なんだから、その時はきっと上手くいくさ」
ああ、そうだ。
僕は、別にこの娘に振り向いてほしくてこの娘を好きになったわけじゃないんだった。
好きになった時からキャロの心の中にはエリオがいて────それはきっと、僕の入る隙間などないくらいには埋め尽くされていた。けれども、僕はそれで良かった。
ただ、彼女の笑顔が眩しかったから。
たったそれだけのことで、僕は彼女を好きになってしまった。我ながら、チョロいものだと思う。
だから────
「いやそういう答えとか求めてませんから」
「!?」
キャロはすごくいいことを言っていた気がする僕をスルーして、真顔でこちらを見上げた。彼女の肩を掴んでいた手を振り払われ、今度は逆に僕が彼女に肩を掴まれる。肩に入れられる力はキャロの方に向かって行き、咄嗟に対応できずバランスを崩しそうになるも、耐える。
そうすると、
「じゃ、もういいです」
という声と共にキャロの顔が近付いてきた。
そしてそれは中途半端な所で減速することなく、僕の顔へと押し当てられる。正確に言うのなら、僕の唇と彼女の唇が重なっていた。
キス、というやつだ。
まず最初に来たのは、ふんわりとした甘い香り。次いで、酒臭さ。実のところ、キスすらも初めてだったものだから、何が起きたかがよくわからないままに思考は停止して、ただドクドクとうるさい心臓の音が彼女に聞こえてしまわないかを心配していた。
だがその心配は杞憂だったかのように、鼓動を掻き消す水音が淫靡に響く。舌を入れられていると気付いたのは、その音が脳味噌を刺激したほんの後。茹だった頭で何とか抵抗しようと考え、考えが纏まる前に反射的行動で彼女の舌を何とか押し返そうと舌を動かす。しかし、互いの舌は絡まるばかりで落ち着きを見せることはなく、それに反応してキャロが悩ましげな声を上げた。
可愛い。もっとこの声を聞いていたいという衝動が僕の内側から発生し、それを堪えるのに脳の容量を大幅に使用する。しかし、この状況で何を堪える必要があるのだろうか。疑問と欲望が湧きだしてきて、決意が薄れる。
そして、僕も彼女の口内に舌を侵入させ────
三秒後、僕はゲロ塗れになった。