片思い的な僕ら。 作:鋭利庵
『明日、アルトセイム自然公園にて待つ』
教養が伺える厳格な文面と文字が昨日、僕の家のポストに入っていた。荒々しくも繊細に筆で書かれた文字は狭い紙の世界に収まりきらず、今にも外界へと羽ばたいていきそうな雰囲気を漂わせながら僕の前に立ちはだかる。宛先は書いていないし、氏名もなし。はっきり言って怪しいことこの上なかった。
当然、僕はこれをラブレターだとか思うほどおめでたい頭をしていないし、この文面を書いてラブレターだと言い張るようなおめでたい頭をした奴がいるとも思えない。消印がなかったということは直接投函されたんだから……アインハルトちゃんの呼び出しか、シスターシャッハの果たし状あたりが妥当といったところだろうか。大穴で、思考能力を投げ捨て本能に身を任せたカリムさんが用意した暗殺用の手紙というのもあり得る。こんな頭の悪い思考を、ないと断じることができないのが恐ろしいところだ。
改めて僕の手の上に乗っかる手紙を凝視してみても、内容が変わるわけではない。むしろ、力強く書かれた毛筆の文字はますます強く紙にへばり付いているような気さえしてくる。
何だ。この魔法とデジタル全盛期のこの時代に毛筆の手紙とは古風で味な真似をするものだとか言ったらいいのか。情報媒体にはあまり興味を持たない僕としては、情緒よりも先に困惑が来てしまうのだが、どんな反応をするのが正解なんだろうか。
何気なく電気に手紙を透かしてごろりと寝転がる。フローリングのひんやりとした硬質感が僕の熱を奪って、睡魔を活発化させる。僕を飲み込みそうな睡眠欲と格闘しながら、ごろりと横に転がった。
さて、約束の日は今日なんだけど……。
「今日のいつなんだか」
今日だということは本文にでかでかと書いてあったが、細かい時刻は指定されていなかった。今の時刻は午前九時。今から行っても徒労になる可能性が高いのが目下の悩みだ。
だからといって、特にやることもない。腱鞘炎のせいでパソコン弄ったりお持ち帰りの書類仕事は無理だし、本を読みたい気分でもない。
仕方がないのでテレビのリモコンを無造作に引き寄せて、寝転がったまま電源を入れた。怠惰に飲まれて特に見たくもない番組を眺めていると、時間が僕の動きとは関係なく流れているように感じる。一日を無為に過ごしているような気がして、謎の焦燥感が湧いてくる。ふと壁に掛けているクラシックな時計を見ると、時刻は午前十時。時間が吹っ飛ばされたことを疑いたくなった。
テレビでは変わらず、面白みがあるんだかないんだかわからないような、バラエティーとニュースの合成物を映し出している。その番組でなのはさんが『あの人は今』みたいな扱いを受けていて微妙な気分だ。最近はメディアへの露出も控え目だから仕方がないことなのかもしれないけど。
そんな風に考えていると、デバイスが単調な音楽で着信を知らせてきた。インテリジェントデバイスだったらこういう時、喋って知らせてくれるのかなと思ったが、よく考えたらヴィヴィオちゃんのクリスは喋らないか。
いやまあ、僕にはストレージが合ってるんだけどさ。
「……げ。カリムさんからだ」
着信先を確認すると、恐らくは一生使うことはないだろうと思っていた番号が表示されていた。まさか、大穴が正解だとは。
「………………はい。アリネールです」
『今何してるんですか?』
間髪入れずに、カリムさんの声が耳に響く。ちなみに、徒らに不快感を刺激しないため、サウンドオンリーだ。空中に映し出されたディスプレイには黒色しか見えない。
声質に若干苛つきが混じっているのは、僕なんぞに通信回線を割くからか、それとも。
「何って……自宅にいますけど」
『すぐにアルトセイム自然公園に来てください』
言うだけ言ったら、すぐに通信は打ち切られた。
……まさかとは思うけど、マジで大穴?
アルトセイム自然公園は、基本的にストライクアーツの非公式決闘場として知られている。
そのため、土日はDSAAを目指す子供や、やたらガチな戦いを繰り広げる大人たちで溢れかえり、武術の心得のない僕には居づらい場所となっている。自然保護の観点から言ったら、正直どうなのかといったところだ。だが、今日に限っては人気が少ない。絶滅危惧種だったはずの木に蹴りを入れている少女はいないし、腕立て伏せをする男の上で腕立て伏せをするマッチョマンたちもいない。
何があったのだろうかと首を傾げたが、アインハルトちゃんが近い内にストライクアーツの大会があると言っていたのを思い出した。きっとそれが今日だったのだろう。
……つまり人目に付かないということだ。絶好の暗殺日和である。逃げたい。超逃げたい。というか逃げるって選択肢もあったんだよな。何で逃げなかったんだ、僕。
急下降するテンションの中で、唯一後悔だけが元気良く募り出す。しかし、ここまで来ておいて今更引き返すのも、若干疲労を感じ始めてきた脚は許さず、処刑場に行く死刑囚の気分で、上手く説得できないかなあと希望的観測を唱えた。
「フィアッテさん!こっちですよ、こっち!」
戦々恐々としながら向かったその先には、揺れる金髪。しかしながら、カリムさんのストレートではなく、比較的見慣れたサイドポニー。
「……あれ、ヴィヴィオちゃん?」
「あれって何ですか、あれって。もう。遅いですよー、待ち合わせ時間は九時だったのに」
「……待ち合わせ時間?」
「はい?」
もしかしてあの文面には何かしらの深淵な暗号が書かれていたのだろうか。少なくとも、僕の目に入るとこには待ち合わせ時間とかは書いてなかったはずだけど……。ていうか、あれ書いたのヴィヴィオちゃんかよ。見かけによらず、随分力強い書体だったな。
「えっと……待ち合わせ時間、書いてなかったんだけど」
何かの手違いかと思い、そう言って鞄からごそごそと果たし状を取り出した。
「え、あれ?れれれ……?な、何でフィアッテさんがそれ持ってるんです?」
ヴィヴィオちゃんは果たし状を二度見して、「ひゃへえ!?」と鳴き声を発しながら僕の手からひったくる。そして、顔の表面に汗を噴きださせ、赤く染めた。
「家に投函してあったんだけど……これは、ヴィヴィオちゃんが?」
「ううううううう……」
僕の質問に答えることなくヴィヴィオちゃんは呻き声を漏らすが、もうそれが答えのようなものだった。湧き上がる黒歴史的な衝動を堪えられなくなったのか、ヴィヴィオちゃんはうがーと叫んで果たし状をびりびりと破き捨てようとして、途中で思い留まり破いた手紙をポケットにしまった。
「あのですね、これは間違いで……本当は、もっと違う手紙のつもりだったんですよ!?こんなアインハルトさんみたいに女子力かなぐり捨てた手紙じゃなくて……もっと可愛くてちゃんとしたの!用意して出したはずだったんですよ!?」
さりげなくアインハルトちゃんをディスるヴィヴィオちゃんだが、それに気付くことなく頭を抱え、首を振る。
「こ、こんなはずでは……」
「まあ、何か一時間……」時計を見て。「半も待たせちゃったみたいだし、多分僕の方が悪いさ」
「そんなことありませんよ!私がちゃんと確認してれば……」
ヴィヴィオちゃんが申し訳なさそうに俯く。へにゃりとしたサイドポニーが力なさげに揺れ、羞恥からか赤くなった頬をぺちりと叩いた。
ここでもう一度「いやいや」と謙遜して責任の奪い合いごっこをしてもいいのだが、ヴィヴィオちゃんの一時間半を無為にしてしまったという負い目がこっちにはあるのだし、これ以上ヴィヴィオちゃんの時間を無駄にするのは気がひける。社交辞令遊びもほどほどにして、用件を尋ねた。
「あー……うん、はい。それは、ですね……」
のだがどうも煮え切らない。にへらと社交辞令の文字が張り付いた笑顔を見せたかと思えば、頭をポリポリと掻いて眼球を魚類に進化させて泳がせ、口を開いては言い淀む。
「えーと、こう……そんな感じといいますか、何というか、いえ、その……あー、むむむ」むむむとか言いたいのはこっちだ。
面と向かっては伝えにくいから手紙にしたんですけど……。とヴィヴィオちゃんが項垂れてどんよりとした空気を背負った。僕がやると演技過剰と捉えられるような仕草も、ヴィヴィオちゃんがやると自然に見えるから不思議である。いや、不思議じゃないのか?キャラクターとか音楽性とかの違いみたいな感じだろう。僕がやるとキモいと思うし、ヴィヴィオちゃんがやると可愛いととられる。
いや、誰かが落ち込んでるのを見てそんな風に思うのも、どうかと思うんだけどね。
「そ、その~……」
「うん」
いい加減座りたいなあとか思ってきたところで、ヴィヴィオちゃんが何かを決したように唾を飲み込み、口を開いた。そのままパクパクと口を開閉させて金魚の真似。目の泳ぎっぷりは、既に魚類を超越して宇宙遊泳の気分を味わっている。眼球初の宇宙飛行士が誕生しようという歴史的な瞬間に立ち会えたのを光栄に思うべきか、普通にまだ話さないのかと苛立ってみるべきか。
「フィ、フィアッテさん!!」
「はいほい、フィアッテです」
「私と、デートしませんか!?」
「しますします」と脊髄に身を任せて答えた後で。「…………んん?」
ヴィヴィオちゃんはゆっくりと大きく深呼吸をした後で、もう一度言った。
「デート、しませんか?」
男女二人で出掛ければデートだと、僕の友人────というかぶっちゃけエリオがそんなことを言っていた気がする。言っちゃっていた気がする。
その時は正直、流石モテ男さんの言うことは違いますねすげーッスパねえッスマジリスペクトッスとぐらいしか思わなかったのだが、今思うとあれは致し方ないことなのかもしれない。意識的にせよそうでないにせよ、女の子と出掛ける機会の多かったエリオが防衛本能を働かせた可能性が十分にある。
右肘にヴィヴィオちゃんから当ててんのよ攻撃を受けて周囲の視線が皮膚に突き刺さるのをひしひしと感じながら、僕はそんなことを考えた。るんるんという音を発しながら上機嫌で歩くヴィヴィオちゃんの腕は僕の手を見た目よりもがっちりと、ストライクアーツ有段者の腕力で拘束している。取り敢えず、周りの視線に耐えかねて逃げ出すことはできなさそうだ。
「……あれですよ。ほら、デート……みたいなもの?ですし、ほら、こんなものなのかな〜……って……」
僕の訝しげというか、居心地の悪そうな視線に気付いたのか、ヴィヴィオちゃんが少し頬を染めて弁明を試みた。
それでも別にわざわざここまでガッチリ腕を組む必要はないのではないか。そんな旨をヴィヴィオちゃんに伝えても、曖昧な笑いに受け流されて「必要なことなので」と拒否される。それでもやはり少し恥ずかしいのか、密着している部分は胴体と指だけで、手のひらなどはほとんど触れずにぎゅうと指に力を込められていた。
今回の目的はデート。っぽいもの、らしい。デート、しませんか?とはにかんだような照れが残っているような顔で僕に告げた後、ヴィヴィオちゃんはわたわたと身振り手振りを手話の熟練者のごとく言葉と共にまくしたてて、何でも、『後学のため』かつ『将来のため』で『今やらなきゃいけないこと』だと弁明を開始した。弁明時間は三分クッキングが六日分放送終了するほどだったが、その内容を要約すれば前述の三つの理由プラス「勘違いしないでよね!」とのことだった。多少の脚色があることは否めないけど。
しかし、こんなところを知り合い────特にキャロに見られたらどう思われるだろうか。どうも思われないのが一番辛いが、変に誤解されてしまうのもそれはそれで嫌だ。既に可能性の芽は潰えたというのに、女々しいことだとわかっているがこればかりは止められない。
「フィアッテさんー?」
「んー?」
「この右手、どうしたんですか?こう……包帯でぐるぐる巻きですけど」
そう言って、ヴィヴィオちゃんは恐る恐るといったように指先で包帯を優しく突いた。包帯が無駄に分厚く巻かれているせいか感覚が薄く、本当に突いているかは疑問なとこだが。
「ただの腱鞘炎だよ。数日以内には治るってさ」
「へぇ〜……」包帯を凝視しながら何度か頷いている。少し不気味だった。「……腱鞘炎、って、何ですか?」不気味さが綺麗さっぱり消え失せた。
「えっと……腱と腱鞘の間に起こる……炎症、だったか何とか。そんな感じのことを言われたけど」
「痛いんですか?」
「動かしたり強く触ったりするとね」
そんな具合に、適当な雑談を交えながらヴィヴィオちゃんに連れられて歩いていると、見覚えのありたくなかった顔を発見してしまった。
「…………」
真顔無言で凝視してくるシスターシャッハだ。この間のカリムさんといい教会には有休が多いのか、プライベートを主張してくるノースリーブの紫色が妙な色気を発している。感情の読み取れない瞳の真上には、地面と平行になって微動だにしない眉がこれまた地面と平行になっている前髪と共謀してこちらを圧迫しているような気がした。何だか、あらゆる生物の遺伝子に刻み込まれた根源的な恐怖的なものを感じる。
僕はこれまでの人生で今以上に僕が盲目でないことを悔いたことはない。ていうか、こんなことを思うのは後にも先にも今ぐらいのものだろう。
「それでですね、フィアッテさん。今日はどこに行くんだと思いますか?ひょっとしたらフィアッテさんも知ってるかもしれませんけど、私、一度行ってみたかったとこがあるんです」
僕の腕に張り付いて視野狭窄道を極めるべく修行中であるヴィヴィオちゃんは彼女に気付いた様子がなく、修行の成果が現れてきたことを目一杯表現していた。まあ、あんな道行く人が二度見して逃げ出すような、見るだけで正気度チェックの入りそうな顔を見ないで済むのはいいことだろう。
「…………」
すれ違う。僕たちが前進していて、彼女も歩いているのだから当然だ。だが、急にシスターシャッハが野生か正気に返って襲いかかってこないかだけが不安だった。
じわりと額に汗が滲んで髪の付け根を濡らす。すれ違っている最中もシスターシャッハはこちらを穴が空くほどというよりは穴を空けてやるといったように凝視してきて、首だけが常に僕の方を向くように滑らかに動いていて気味が悪い。
何も言葉を発せなかったのは、シスターシャッハが怖いのが半分、シスターシャッハが恐ろしいのが半分で構成されていて、口を開いた瞬間に彼女が彼女の職業とはほど遠い邪神的な何かに変貌してくるのではないかといった、おおよそ論理の欠片も見当たらない空想が否定できなかったからだった。
シスターシャッハを通り過ぎる。そして首が百八十度回る。こいつホントに人間かと疑わしくなってきた。
そんな人間離れした彼女に見つめられながらヴィヴィオちゃんを(端から見ると)侍らせているのもあってか、僕に視線が集中していた。肩で風を切って歩いているというよりは、肩を風に切り刻まれてるイメージで、肩身の狭い思いをしながら歩く。
「……行ったかな」
「何がですか?」
ここまで注目されても気にも留めない鈍感っぷりはある意味羨ましいよなあ、と敬服の念を覚えた。
「いや、何でもないよ」
できる限り早く忘れたいがために、そういうことにしておく。これは僕の精神衛生上必要な措置なのだ。
ヴィヴィオちゃんに連れられてやって来たのは、この間、カリムさんと仲良く嘔吐を披露した喫茶店だった。相変わらず近くは閑古鳥が巣を作っているのにも関わらず、内部だけが大盛況という謎の構造になっている。
「ここです、ここ!フェイトママが行ったことあって、そのことを言ってたんで行ってみたかったんですよね」
「…………うん」
フェイトさんが誰とここに来たかは、悲しくなってくるので考えないようにした。カップルに溢れる店内で一人でとかだったら、目も当てられない。
「いらっしゃいませー……せー……」
店内に入ると、先日しきりにカップルシートを勧めてきやがってくれた店員さんが、こちらを見て固まっていた。笑顔の固定化により細められた目は僕をロックオンしていて、時折ヴィヴィオちゃんとの間を行ったり来たりと細かく動く。
「……お二人様ですか?」
「はい。……か、カップルシートでお願いします。デートなので!」
「…………二名様ご案内しまーす」
二股男を見るような視線に耐えかねたため、不可抗力を装って困ったように笑いかけてみた。ナンパ男を見るような目で見られた。僕ほど一途な男になんたる風評被害だ、と自賛しながら憤ってみるも、それで僕の社会的ライフは回復しない。
「カップルシート。一度座ってみたかったんですよねー」
案内されたカップルシートには、通常の席とは違って仕切りのようなものが付いていた。仕切りに埋め込まれた磨りガラスはハート型の様相をしていて、椅子は横並びで密着している。いざ座ってみると、本当に身体が密着しそうなほどの距離しか離れていない。でもどちらにせよ、ヴィヴィオちゃんの手は接着されたように僕の腕から離れないので同じことだった。
それにしても、いつまでくっ付いてるんだろうこの娘、ちょっと恥ずかしくなってきた。
「では、ごゆっくりどうぞ」
心の含有率が一割も含まれていなさそうな声で、建前をぶつけられる。営業スマイルはここまでの道のりの中で既に鳴りを潜めていて、特に何の感情も篭ってない眼球だけが彼女の顔で自己主張をしていた。なんか最近、こんな感じの目で見られてばっかだ。
去っていく店員さんに適当に注文を告げる。二回目ともなれば勝手知ったるとは言い過ぎだが、何があるかぐらいは把握している。ヴィヴィオちゃんも食べたいものを事前に決めていたようで、十分ほど待ったらシックなチョコレートケーキと愉快な形状をしたパフェが一緒に運ばれてきた。
「美味しそうですねー!」
とご機嫌なヴィヴィオちゃんだが、僕にはそのウナギとフジツボを合成してパフェ色に染めたような食物がどうしても美味しそうには見えない。メニューの中ではこの間ユーノさんが頼んでいたチョコレートパフェと同列に表記してあって確か値段も一回りほど高かったはずのパフェは、ただただ異様な存在感を発しながら「いっただっきまーす」とヴィヴィオちゃんの口に躊躇無く吸い込まれていった。
するりとチョコレートケーキにフォークを入れ、口に運ぶ。流石に色物枠でないだけあって、値段相応に美味しい。
「そういえばヴィヴィオちゃん」
「はい?」
「今日のこと、カリムさんに話してたの?」
今朝、カリムさんから電話が掛かってきたことが少しばかり気になって、聞いてみた。
「いえ、話してませんよ?あー、でもシャンテにこの日出掛けるんだー、とは言ったかも……。フィアッテさんと、とは言ってませんでしたけど」
「ああ、うん。そうかい。ありがとう」
……聖王教会、ひょっとしてヴィヴィオちゃんのストーカーでもしてるのか?
今ここにも教会の目が光っているんじゃないかと思って、体勢を変えるついでのようにあたりをきょろきょろと見回す。だが、カップルシートの仕切りがあるため、監視者の姿は確認できなかった。尤も、監視者が見えたとしても僕にはそれを判別する手段がないのだが。
僕がヴィヴィオちゃんのプライバシーについて一抹の不安を覚えたところで、怪しげな物体を嚥下したヴィヴィオちゃんが尋ねる。
「前々から思ってたんですけど、フィアッテさんとカリムさんって、やっぱり仲良いんですか?」
「そんなことは決して全然ないよ」
「いえでも、会った時はいっつもニコニコしてますし、そうかと思ったら口から出るのは褒め言葉ばかりですし……」
「大人の世界にはね、社交辞令って言葉があるんだ」
というよりは、建前でガッチガチに言葉を固めていないとどんな言葉が飛び出すのかわかったもんじゃないからっていうのが本音だけど。
「……?えっと、じゃあ仲は悪いんですか?」
「ん……まあ、そうかな。仲は悪い。凄く悪い」
「むー……」
先ほどまでクリームと謎の素材で膨れていたヴィヴィオちゃんの頬が、今度は空気を多量に含む。
「フィアッテさんもカリムさんも、どっちも私の大好きな人なんですから、大好きな人同士には仲良くしてほしいなーって。そう思っただけです」
いえ、だからといって無理に仲良くしてほしいわけじゃないんですけど……。ヴィヴィオちゃんはそう言ってにゃははと誤魔化すように笑うが、テーブルの下では指をぐにぐにと絡ませて不満そうだ。
「フィアッテさん」
「うん?」
「フィアッテさんの……が……、好き、な食べ物って何ですか!?」
「んー……ヴィヴィオちゃんは?」
今までの流れをぶった切り、突如として投げつけられた言葉のドッヂボールをピッチャー返ししてみた。あまりに突然だったため思考時間を要さず反射で返してしまったのだが、ひょっとしてこれは僕のコミュ力が足りないということではないのだろうか。少し不安になる。
「わ、私ですか!?……うーんと、ママの作ったキャラメルミルクとか、あ、卵料理とかも!たまに自分でも作ってみたりするんですよー」
ヴィヴィオちゃんの顔が、感想を求めるように近付いてきた。少々鼻息が荒く、僅かに紅潮した頬と片方だけ上がった口角が自慢げにくっ付いたクリームを揺らす。
「あ、何でしたら……今度、うちに来てみてく、ください。私の手料理、ご馳走しますよ?」
ひょっとすると好きな食べ物の話はただの話題逸らしだったのか、あっさりと他の話題にシフトした。そうだね今度行けたら行くよと本気と社交辞令のハーフを口から生み出して応対した。
話している間も二人してもきゅもきゅと食べ進み、もはや液体と固体の中間の位置を陣取ったチョコレートやクリームの跡くらいしか残っていない。しかし特別席を立とうという気にもならず、なんとなくその場に留まる。
「あの、私、行きたいところがあるんですけど、いいですか?」
今日の予定はヴィヴィオちゃんに任せているのだから一々僕に許可など求めなくてもいいと思うが、身を乗り出して膝に手を乗っけて真面目な顔をするヴィヴィオちゃんに気圧されてか、それを言うでもなく頷いた。
男の意地で僕が会計を払って喫茶店を後にした後で向かったのは、僕がよく行く墓地だった。奥の方に覇王の墓があるということで一種の名所と化しているこの場所にも夏の昼間ということで人は少なく、ベルカ式と日本式の墓の入り混じった空間に騒音はない。
直射日光と墓石からの照り返しが、肌をじりじりと焼いていた。額と首筋に滲む汗は不快を伴ってそれを拭う指を濡らし、指の表面を周囲の気温に馴染めない風で冷やしていく。
僕にとっては見慣れたものだが、ヴィヴィオちゃんにとってはわざわざ来るほどのところでもないはずだ。特に、デートで行くのだとしたら比較的ヴィヴィオちゃんに甘い僕だとしても、センスの欠如を訴えざるを得ない。
「……お墓、磨いてもいいですか?」
「そりゃあ、誰に許可取ってやるもんでもないだろうさ。いやまあ、僕がよく来て磨いてたりするから意味があるかどうかは別だけどね」
「それでも、です」
なのはさんたちに聞いたのか、慣れているとは言い難いが迷いのない手つきで墓石を磨いていく。
「フィアッテさん、覚えてますか?ほら、私が家出したときのこと」
「ん、そりゃあねえ」
昔っからヴィヴィオちゃんは素直ないい子だったが、ある一時期、反抗期とも言える時期があった。ヴィヴィオちゃんが、自分の家と他のご家庭の相違点に気付いてショックを受けていた頃だ。
幸運にも特殊な家庭環境からいじめを受けていたなどということはなかったが、それでも血の繋がった男女両方の親を持っている友達に囲まれながらそれを気にせず遊ぶというのは、当時の多感なヴィヴィオちゃんには難しかったようだった。ヴィヴィオちゃんはなのはさんたちの呼び方を『ママ』から『なのはさん』『フェイトさん』に変え、家出を決行。橋の下で丸くなっていたのを僕が発見したのだった。
「あの時、話してくれたじゃないですか。その……フィアッテさんの、ご家族の、こと」
「ああ、そんなに気を遣わなくていいよ。あの時も、もう気にしてないって言ったろう?」
言いにくそうに顔を動かして言葉を詰まらせるヴィヴィオちゃん。だが僕の心の体積の大部分はキャロのことが占めており、その気遣いも特に意味を持たない。
「私あの時、すっごくフィアッテさんに感謝したんです。救われた気持ちでした」
「正直、僕が言わなくてもすぐに解決して、ヴィヴィオちゃんは今と同じように真っ直ぐ育ってたと思うけどね。なのはさんたちの愛が伝わらなかったとは思えないし、あのくらいのご家庭不幸自慢ならキャロやエリオ、フェイトさんやはやてさんだってできるんだ」
僕がヴィヴィオちゃんに感謝される理由なんて、ただたまたまそこにいたという理由だけだったのだ。というか、僕なんかよりも他の人の方がヴィヴィオちゃんには良い影響を及ぼしたのではないかと睨んでいるほどだ。
アリネールの墓に手を当てながら僕に揺れる金髪を見せるヴィヴィオちゃんを見ていると、そんな気がしてならない。
「それでも、私が助けられたのはフィアッテさんにですから」
「…………」
「あなたにとっては特別なことじゃなくても、私にとってはあなたしかいないんです。あの時の私を見つけてくれて、あの時の私を救ってくれたのはフィアッテさんしかいないんですから」
……どうにも、そう言われると弱い。
正直、僕がキャロを好きになったのだって、たまたま僕が彼女の笑顔で他の何もかもがどうでもよくなるくらい救われたってだけの話だった。
だからと言ってキャロに出会ってなければ救われてなかったかというとそんなことはなく、多分フェイトさんにでも「家族」というものがどんなものかを教わって救われていただろうことは想像に難くない。そしてその場合、きっと僕はフェイトさんに惚れていたことだろう。
要するに、言い方はあれかもしれないが、僕の家族のことよりも脳内を占めて、優先順位を変えてくれるような存在なら誰でも良かったのだ。
……あ、やっぱり前言訂正。どうあろうとカリムさんだけは無理だわ。
まあ、だからこそ、ヴィヴィオちゃんの言葉を否定することは僕のキャロへの恋心を否定するということと同義であり、謙遜という形さえ取れず押し黙った。
じんわりと表皮に汗の浮かんだ首を爪で撫でる。指がマナーモードになっているのか、小刻みに震えていることに気付いた。
どうにも、良くない流れだ。
さっきから感じ取っていた不自然が形を成すように頭の中で組みあがる。
「実はここに来たかったのも、一つお礼を言いたかったからなんです」
丁度、一つの名前が彫ってある所で、ヴィヴィオちゃんの手が止まった。
キャリィ・アリネール。
僕の、母親であって欲しかった名前。
「……それでも、お礼を言いたかった人の名前は書いてなかったんですけどね」
「書いてなかったって……それって」
「ソリオ・アリネールさんです」
「…………」
意外な名前がヴィヴィオちゃんの口から出てきたことに驚いて、無言になる。ヴィヴィオちゃんも僕の反応を気にしてなのか、やっとこちらを振り向いたにも関わらず視線があちらこちらと彷徨っていた。さらりさらりと雪解け水みたいに流れていく沈黙は僕らの間を通り過ぎ、泥のような何かだけを残していく。
「……私があの時フィアッテさんに救われたのも、元を辿ったらフィアッテさんのお母さんがフィアッテさんに酷いことをしてたのが原因で────それで、その」
一呼吸置いて、ヴィヴィオちゃんは泣きそうな顔で続けた。
「あはは、はは……。軽蔑しますよね、こんなの。フィアッテさんが酷いことされてたのが私にとって良い事だなんて言ってるんですから。でも、そのお陰でフィアッテさんと会えて、救ってもらって……」
僕も何らかの言葉を生み出そうとしていたのだが、不定形の思いは舌の上で転がるばかりで空気中に放出されていこうとしない。
引きこもりな言葉を何とかして外に引っ張り出そうと悪戦苦闘している内に、僕の耳に。
「そのお陰で、そのお陰であなたを────」
決定的で致命的な言葉が。
「好きになれたんです」
聞こえた。
Q.遅かったね
A.ごめんなさい
Q.雰囲気もいつもと違くね?
A.残り一話だし……間空いてちょっと文体忘れたっていうか…
Q.すごく遅かったね
A.ごめんなさい