Girls und Kosmosflotte   作:Brahma

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第140話 イゼルローンを放棄するそうです(その1)

それからのビュコックの行動は、70過ぎの老人とは思えないほど素早いものだった。トリューニヒト派という組織力学で上に行っただけの小役人タイプの統合作戦本部長ドーソンは、顔色も食欲すらも失った状態であったが、今後の具体的な対策を示して、「全責任はわしが取る」のひとことで、本部の秩序と機能を回復させた。

同盟軍首脳部は、兵力をかき集める。パエッタの指揮する第1艦隊、ウランフの指揮する第10艦隊、ボロディンの第12艦隊、緊急に編成された小艦隊、各星系警備隊。星間巡視隊、建艦後間もない新造艦や解体寸前の老朽艦までかきあつめて、数だけは、5万2千隻を数えた。ビュコックは、第1、第10、第12艦隊を再編し、それに属さない2万隻を第15艦隊、第16艦隊に分けて。前者をライオネル・モートン、後者をラルフ・カールセンを任命するよう統合作戦本部に具申し、有能で勇敢な二人の少将は、中将に昇進した。多忙な出兵準備中に総参謀長オスマン中将が急性脳出血で倒れたため、士官学校戦略研究科の若手教授のなかから異動したばかりの副参謀長チャン・ウー・チェンが参謀長となった。

 

作戦会議の結論は、早々に出た。敵よりも3万5千隻以上も少ない兵力でフェザーン回廊の出口で正面決戦を挑むのは不利であり、敵の補給線と行動限界点に達したと思われる場所で、迎撃し、後方攪乱、側背攻撃を行い、指揮系統、通信、補給を圧迫、混乱させ撤退させる、というもので、帝国軍の首脳部も洞察したように、実際のところ、これしか選択肢がないのだった。

「イゼルローンにいるヤン・ウェンリー提督を呼び戻してはいかがでしょうか?」

若手参謀長の提案の重大さとそののんびりした口調の落差に列席した提督たちは驚いた様子だ。ビュコックは、白い眉をいくらかつりあげ、軽く頷いて、提案の内容を詳しく説明するよう求めた。

「ヤン提督の知略と、彼の艦隊の兵力とはわが軍にとって極めて貴重なものですがこのような状況下でイゼルローンにとどめておくのは、焼き立てのパンを冷蔵庫の中で固くしてしまうようなものです。」

「イゼルローン要塞は、回廊の両側に異なる勢力が存在するときに無限の存在価値を有しますが、両端が同じ勢力に占められてしまえば、袋のなかに閉じ込められたようなもので敵にしてみればわざわざ血を流してまで攻略する必要はありません。帝国軍がフェザーン回廊を通過してきた以上、イゼルローン回廊のみを確保していても無意味ですよ。」

「それは、貴官のいうとおりかもしれないが、ヤン提督は、イゼルローンで帝国の別働隊と対峙している。うかつに動ける状態ではないぞ。」

「ヤン提督ならなんとかするでしょう。彼がいなければ、我々は準軍事的にきわめて不利です。それに運よく講和に持ち込めたとしても帝国はイゼルローンの返還を求めてくるでしょう。とすれば、イゼルローンに固守したところでヤン個人の武名があがるだけのことで、同盟に何の益ももたらしません。わが軍には、十分な兵力も時間もないのですから彼には最大限働いてもらわねばなりますまい。」

「...彼に、イゼルローンを放棄するよう命令するのかね。」

「長官にはわかっておられるはずです。具体的な命令は必要ありません。ヤンに訓令すればよいのです。全責任は宇宙艦隊司令部が負うから、最善と思われる方策をとるように...とね。おそらくヤンはイゼルローン要塞を守ることにこだわらないでしょうよ。」

大胆な提案を終えた「パン屋の二代目」の風貌をした若き総参謀長は、やおら食べかけのハムサンドを胸ポケットからとりだすと無邪気な表情で、中断した昼食を再開しはじめた。

 

さて、帝国軍の先鋒は同盟領に侵入する。フェザーン回廊出口付近の同盟軍の動きについてミッターマイヤーは、最先鋒にあたるバイエルライン中将に探索させていたが報告は三日目にもたらされた。

「フェザーン回廊出口付近に敵影なし。」

バイエルラインからその報告がもたらされるとミッターマイヤーは、参謀長ディッケル中将をかえりみて微妙な表情を見せる。

「さて、これで玄関からホールまで通してもらえたわけだが、問題は食堂にたどりつけるかどうかだ。」

宇宙暦799年1月8日、同盟にとって招かれざる客の第一陣は、フェザーン回廊を通過し、彼らが初めて見る恒星と惑星の大海にのりだすことになった。

 

さて、もう一方の最前線であるイゼルローン要塞にも新年はおとずれたが、ロイエンタール率いる帝国軍の大艦隊の攻撃を受けていては、士官も居住民にも素直に新年を祝う気になれない。そんな彼らが絶望の淵にはいらずにいられたのは、敵手からも同盟軍最高の智将と目され、揶揄を込めて叛徒どものペテン師と呼ばれる要塞司令官兼駐留艦隊司令官を兼任するおさまりの悪い黒髪の学者風提督がいたからだった。その当人ヤン・ウェンリーは、

「世の中なにをやってもだめなことばかり~♪ どうせだめなら酒飲んで寝よか~♪」

と不謹慎きわまる鼻歌をぼそぼそと歌っていた。

スクリーンに敵の砲火を見ながらも、ほおを緩めたのは、帝国軍の妨害電波をかいくぐって首都からの通信文がもたらされたからだった。

 

「イゼルローン要塞司令官兼駐留艦隊司令官ヤン・ウェンリー殿

全責任は宇宙艦隊司令部が負う。貴官の判断によって最善と信ずる方策をとられたし。宇宙艦隊司令長官アレクサンドル・ビュコック」

ふむふむと読みながら

「もつべきは話の分かる上司だな。」

とつぶやいたあと、ふと思うことあって再び通信文を読み返す。

不意に眉をしかめてしまうヤンだった。

断固としてイゼルローンを死守せよという単純で蒙昧な命令であればロイエンタールとひたすら戦って戦果を挙げられれば御の字で済むが、眼前の戦場にこだわらず、広大きわまる戦場の全体を把握し、自由惑星同盟に有利になるよう導け、というわけである。ラインハルト風に言えば「卿の力量にふさわしい働きをしてもらおう。」ということだ。

「食えない親父さんだ。給料分以上に働かせようっていうんだな。」

通信文を受け取った時の感嘆と賞賛は、当事者が自分であると知った瞬間に忘却の彼方となって、ぼやきに変わる。

「敵の戦艦一隻が年金いくら分になるやら...。」

という低レベルなつぶやきをもらし、たまたまそばにいた副官グリーンヒル大尉は、のちにヤンの被保護者であったユリアンのみにこのことを伝えている。

「ああ、大尉。みんなを呼んでくれ。」

「はい。閣下。」

会議室に呼ばれた、西住みほ揮下をのぞいた幕僚たちに、

「イゼルローン要塞を放棄する。」

ヤンはあたかも昼食のメニューを頼むようにあっさりとした口調で言った。

 


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