Girls und Kosmosflotte   作:Brahma

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第141話 イゼルローンを放棄するそうです(その2)

イゼルローン要塞の幹部たちは、驚くことに十分な耐性があるはずだったが、今度も思わず問い返さずにいられないのはみな共通していた。あえて常識論を唱えることを是とするムライ少将が会議の口火を切る。

「なんとおっしゃったのですか、閣下?」

「イゼルローン要塞を放棄する。」

ヤンは、おなじ語句を同じ口調で繰り返す。

シェーンコップとキャゼルヌは、素早く視線を交差させた。

「閣下のご意向に異論はありませんが、できれば少しご説明いただけますか。」

ムライが信頼と疑心の平衡点を求めて注文すると、ヤンはうなずいて説明をはじめた。

「イゼルローン要塞の戦略的意義は、回廊の両端に異なった勢力が存在することでその効果が発揮されているんだ。それがもし、両端が同一勢力で占められることになった場合、袋の中に閉じ込められた小石のように孤立を余儀なくされ、戦略的意義も雲散霧消してしまう。つまり要塞も駐留艦隊も戦わずして無力化されてしまうわけだ。それこそローエングラム公が戦争の天才たるゆえんであり、戦術的には難攻不落な要塞が戦略レベルではまったく無用の長物と化してしまったこの状態で、同盟軍が、この要塞に固執していては、いたずらに遊兵を生み出すだけのことで不必要なだけでなく愚劣のきわみである。少なくとも駐留艦隊の戦力だけでも帝国軍の侵略に対して活用する方策を見つけ出さなくてはいけない。」

「イゼルローンにこもって抗戦し、その戦果をもって帝国軍と交渉するという選択肢はないのですか。」

「その場合、帝国側の交渉条件として、かならずイゼルローンの返還が持ち出されるだろう。そして同盟はそれを呑まざるを得ない。つまり、イゼルローンが失われるのは変わりない。それならばその前にくれてやっても大差ない。」

「しかし、ひとたび手に入れたものをみすみす敵の手に引き渡すとは無念な話ではありませんか。」

パトリチェフ准将が巨体を前後に揺らしながら一同を見わたす。

「せっかく費用と人手をかけて造った要塞を他人に奪われた帝国軍のほうが、よっぽど無念だったろうね。」

しかし、帝国軍の将帥たちにその無念の唇をかませ、歯ぎしりさせたのはヤン当人であり、ヤンのその半ば白々しいともいえるセリフを聞きながら、皮肉っぽく苦笑したのは実践部隊を指揮して要塞の潜入と占拠をなしとげたシェーンコップ少将である。

「それにしても司令官、われわれがイゼルローンを放棄する間、帝国軍が指をくわえて座視しているとは思えませんが、どのように彼らの攻撃に対処しますか。」

「そうだなあ。ロイエンタール提督に頼んでみようか。要塞は差し上げますから、どうかお縄は勘弁して女子どもは見逃してください、とか。」

「それにしても、心理的効果というものがあるでしょう。ヤン提督が帝国軍に追われるようにしてイゼルローン要塞を放棄したら同盟市民や将兵の受ける衝撃はおおきいですぞ。戦わずして敗北感にさいなまれ、戦意を失うでしょう。そのあたりをご一考ください。」

「わたしも参謀長の意見に賛同しますね。」

賛同すると言いつつ精悍な防御指揮官の意見は、しっかりと皮肉な方向、若しくは斜め上の方向を向いている。

「どうせなら、あの平和ボケな政府首脳が血相を変えてイゼルローンなど捨てて助けにこいと、わめきたてて泣きついてくるのを待ってから腰を上げたらいいでしょう。恩知らずの連中だが今度こそ閣下のありがたみを思い知るでしょう。」

「それでは遅い。帝国軍に対する勝機を失ってしまう。」

シェーンコップが眉を微妙な角度に動かして続ける。

「ほう!?勝機ですか?すると勝てると思っていらっしゃるのですか。」

こういった発言はイゼルローン要塞でなければ許されないだろうという口調だった。ヤンは部下の言論に寛容で、寛容すぎると評されるが、それだからこそシェーンコップ、ポプランのような異才、そしてメルカッツのような帝国軍の宿将といった優れた人材があつまり梁山泊のような感を呈するのである。そしてこのおさまりの悪い黒髪の智将の頭脳からおそるべき策が飛び出して精強な帝国軍をして畏怖させるのだ。

「シェーンコップ少将のいいたいことはわかる。われわれは、戦略的に極めて不利な立場にあるし、戦術レベルの勝利が戦略レベルでの敗北を償いえないというのは軍事上の常識だ。だが今回、たったひとつ逆転のトライを決めるチャンスがある。」

「それは....?」

ヤンの返答は、明敏なシェーンコップさえ理解に苦しむものだった。「奇跡のヤン」は、さりげない笑顔でつぶやくような一言を発した。

「ローエングラム公は独身だ。それがこの際の狙いさ。」

 

「閣下」

シェーンコップはヤンを呼び止める。

「なんだい。」

「思うのですよ。ハイネセンが安全でありえないとなったら、政府首脳部は、市民を置き去りに自分や家族だけ脱出し、難攻不落のイゼルローンに逃げ込むんじゃないかとね、守るべき市民を守らず自分たちだけ安全を謀ろうとする連中は、一網打尽にしてローエングラム公に引き渡すのもよし、罰をくれてやってもよい。そのあとはあなたが名実ともに頂点にたてばいい。イゼルローン共和国っていうのも悪くないと思いますよ。」

「政治権力って言うのは、なければ社会上こまる半面、下水処理場の汚水処理の池に似ている。実際の下水処理場は水をきれいにするが、池自体で自己完結していれば、水はきれいにならず、ただ汚水が入れ替わっているだけで腐臭を放つ。近づきくないね。」

「そうはいっても、なりたくもない軍人になったのでしょう?」

「軍人の延長に必ず独裁者がいるわけじゃないが、こんなろくでもない稼業から早く足を洗いたいね。」

「独裁者を選ぶのも民衆だが、自由と解放を求めるのも民衆です。亡命してきて30年、わたしはずっと疑問に思ってきたのですが、もし民衆が民主主義でなく独裁を選んだらそのパラドックスをどう整合させるんだろうって。」

「その質問には、だれも回答できないだろうね。プラトンの国制分類にみられるようにはるか古代ギリシャの時代から論じられてきて誰も結論を出せていない。まあ、そんなことより目前に急務があるのだからそれをかたづけよう。夕食の準備もできていないのに明日の朝食について論じてもはじまらない。」

「それにしても食事の材料が相手の負担だからと言って返してやるのは気前が良すぎますな。」

「必要なものを必要な間だけ借りた。必要になったらまた借りるさ。その間帝国に預かってもらう。利子が付かないのが残念だが。」

「要塞とか人妻とかそう簡単に貸し借りできるものですかな。」

シェーンコップはきわどい比喩を使ってその困難さをたとえて、寛容さで知られる若き上官を苦笑させた。

「貸してくださいと言えば、当然拒否されるだろうな。」

「ひっかけるしかないでしょう。」

「うむ。相手はロイエンタールだ。帝国の双璧とうたわれる男だ。ひっかけがいがあるというものさ。」

ヤンの人の悪い口調に、シェーンコップの脳裏に浮かんだ感慨は、まるで評判の悪い教師にイタズラを仕掛ける学生みたいだな、というものだった。

年上の勇猛、精悍で明敏な部下が笑みをうかべ口元をやや緩めたのをみて、ヤンも笑みをうかべ、まさしくいたずらっ子のように少しばかりぺろりと舌をだしてみせた。


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