牙狼〈GARO〉 -女神ノ調べ-   作:らいどる

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第一部  女神ノ調べ -Song of μ's-
第1話  騎士


 

 

 

光あるところに、漆黒の闇ありき

 

 

 

古の時代より、人類は闇を恐れた

 

 

 

しかし、暗黒を断ち切る騎士の剣によって――

 

 

 

 

人類は希望の光を得たのだ

 

 

 

 

**

 

 

 

 

 

 

 

――ああ、またですか

 

そう思ったのは今自分に起きていることが初めてではないからだ。

自分は今、5歳くらいの姿で近所にある公園でブランコを漕いでいる。だけど周りには2人の幼馴染はおろか人っ子一人おらず、不気味なほど静まり返っている。

だけど慌てることはない、自分にはこれがただの夢だとわかっているからだ。

 

なにせ本来の自分は16歳の高校2年生なのだ。こんな5歳の姿を取っているわけがない。

また、というのもこの夢を見るのは初めてではない。ここ最近、時折こうやって同じ夢を見るようになったのだ。夢はすぐに忘れてしまうと言うが、ここまで何度も見ていれば嫌でも覚えてしまう。

だからこれから何が起こるのか手に取るようにわかる。それに対して自分が感じるのは一つ。

 

――恐怖だ。

 

 

「………」

 

やがてブランコを漕ぐ自分の目の前に、フードを深く被った男が現れた。フードに深く覆われたその顔は窺うことができず、代わりに洩れてくるのは獣のような深い吐息。

生臭さの混じったその吐息に顔を顰めていると、異変が現れた。

骨と肉が裂き弾ける音と共に男の体が膨れ上がり、身に纏っていたフードを突き破ってその下に隠されていた姿が白日の下に晒された。

 

「キシャァァァァァ!」

 

そこにいたのは怪物だった。

おとぎ話に出てくるような悪魔の姿に、イメージぴったりの黒い翼と到底似つかわしくない純白の翼をもった、見るだけで嫌悪感に包まれるような醜悪な怪物だ。

姿を晒した怪物は驚愕と恐怖に塗り固められた自分に向けて、おぞましい腕を伸ばした。

 

「っ! いやぁぁぁぁ!!」

 

その瞬間、ブランコを飛び降りた自分は脱兎のごとく駆けだした。あんな怪物に捕まってしまっては何をされるかわからない。もしかしたら殺されてしまうかもしれないし、それ以上にひどい目に合うかもしれない。そんな思いが自分の体を動かしていた。

 

やがて公園の出口にまでたどり着いたが、白い靄に包まれた出口はまるで見えない壁があるかのように塞がれ、通れなくなっていた。

――まるで、お前に逃げ場などないと言うかのように。

 

「助けて! ほのか! ことり!」

 

幼馴染の名前を叫びながら出口をふさぐ見えない壁を叩くが、それで状況が変わるわけでもない。ただ自分の中の不安と恐怖が大きく膨れ上がっていくだけだった。

ふと後ろを振り返れば状況はさらに悪くなっていた。あの怪物の姿が増えていたのだ。

空から舞い降りるように一体、地面から這い出るようにまた一体とどんどんと増えていき、次第に自分の周囲は完全に怪物で埋め尽くされてしまった。

 

「い、いや……こないで、こないで……!」

 

じりじりと迫りくる怪物たちを前に、もはやしゃがみ込んで泣き出し、命乞いをするしかなかった。

そうして眼前まで迫った怪物の手が自分に触れようとした時――

 

 

「キシャァァァァ!?」

 

一筋の光が、怪物を斬り裂いた。

 

「え……?」

 

唖然とする自分をよそに、その金色の光は一閃、また一閃と走り、怪物たちの体を斬り裂いていく。

そうして自分を襲っていた怪物たちはあっという間に全て斬り裂かれ、その光の正体が露になった。

 

「……おお……かみ?」

 

そこにいたのは――金色に輝く狼の騎士だった。

手には先ほどの怪物たちを斬ったのであろう、幾何学的な装飾が施された長剣を携え、緑色の瞳が自分をじっと見据えていた。

 

「あなたは……」

 

そう尋ねようとした瞬間、狼の姿がぼやけ始めた。

いや、狼だけではない。周囲の光景すべてがぼやけ始め、やがて視界全てが真っ白になり――

 

そこで自分の意識は暗転した。

 

 

 

 

 

 

 

――チュン、チュン

 

「……あ」

 

小鳥のさえずりと共に、カーテンの隙間から朝日が洩れる。

覚醒したばかりで僅かに重い体を起こし、カーテンを一気に開くと遮られていた眩い日光が差し込み、自分の目に突き刺さってくる。そうして目に突き刺さった日光によって寝起きでぼやけていた頭も一気に覚醒してきた。

 

「……またあの夢ですか」

 

こうして私――園田海未の一日が始まった。

 

 

 

 

 

 

身支度を整え、道着に着替えると家に併設されている道場へと向かう。

剣道の自己鍛錬をするためだ。将来園田流の看板を背負う身として、こうした鍛錬を欠かしたことはない。もはや習慣となっており、特別な用事でもない限りはこれをしないと一日が始まった気にならない。

そうして道場に近づき、扉に触れようとした時、扉の奥から微かな音が聞こえてきた。竹刀を振る音、すり足の音だ。

 

――また先を越されてしまった。

 

そう思いながら扉を開けると予想通り、先客が既に素振りをしていた。

同じ道着を纏い、まっすぐな瞳で素振りを行う同じ年頃の“彼”の姿はこの道の先輩である私から見ても非常に様になっていると思う。髪を後ろに流し、僅かに前髪が垂れている彼は私に気づいたのか、素振りの手を止め、額に流れる汗を拭いながら振り返った。

 

「おはよう海未、今日も早いんだな」

 

「おはようございます彩牙くん。それは私の台詞ですよ」

 

――彼の名は、村雨彩牙(さいが)

園田道場の門下生にして、この家の居候である少年だ。

 

 

 

 

「それじゃあ今日も一戦、お願いしようか」

 

「ええ、こちらこそお願いします」

 

ここ最近、朝の日課に新たに加わった彩牙との対面稽古。

互いに竹刀を構え合う――が、彩牙の構えを見て海未は苦言を漏らした。

 

「彩牙くん、またですよ」

 

「あ。ごめんよ、つい」

 

彩牙のとった構えは剣道本来のそれから大きくかけ離れていた。

腰を低く落とし、竹刀は顔の横に添えられて切っ先はまっすぐ相手に突き付けられていた。

無意識だったのか、注意されるとすぐに本来の構えに戻した。その様子を見て、海未は彩牙について思考を巡らせる。

 

 

――村雨彩牙。

彼と出会ったのはもう1か月は前になる。

あれは雨の日だった。μ’sの練習が長引いてしまって遅くなった帰り、家の前で傷だらけの姿で倒れていたのを見つけたのだ。その様子は酷い有様で、一緒にいたことりなどは悲鳴を上げて危うく卒倒しかけた。

何せ全身血まみれで、新たな血が雨と一緒にどくどくと流れ続けていたのだ。荒事に無縁な女子高生に平気でいろと言うのが無理な話だ。

 

ことりの悲鳴に気づいた両親によって救急車が呼ばれ、搬送された先――真姫の両親が経営する病院で三日三晩眠り続けた後、彩牙はようやく目を覚ました。これでめでたしめでたし――とはいかなかった。

目覚めた彩牙の経過は順調で、常人とは比べものにならないほど凄まじい早さで回復していった。だが一つだけ、どうしても回復できないものがあった。

 

記憶だ。

目覚めた彩牙は自分の名前以外、何一つ覚えていなかったのだ。

どこに住んでいるのか、普段何をしているのか、どうしてあんな場所で倒れていたのか、あの怪我はどうしたのか、そういったことが何一つわからなかったのだ。これでは彼の処遇を決めることができない。

どうしたものか――誰もがそう思った時、その均衡を破ったのは驚いたことに海未の両親だった。

 

「家で暮らさないか?」

 

その場に居合わせた海未、そして言われた彩牙本人も唖然にとられた。

海未の両親――特に武道家である父は非常に厳格である。会って数日もしない――それも記憶喪失の身元不明の少年を受け入れようとするなど到底信じられなかった。

母も母で、優しい性格ではあるが由緒正しい日舞の家元。そんな母がどこの馬の骨ともわからない男を招くなど家の名に泥を塗ることになりかねないのではと思ったのだ。

そもそも家族でも知り合いでもない、同じ年頃で全く赤の他人の男女が同じ屋根の下で暮らすというのはいかがなものだろうか。きっと彩牙もそう思っていたことだろう。

 

何故と聞いてもはぐらかされるだけの上、彩牙の処遇に困っていたのは事実だったためそのまま彩牙は園田家に預けられることになった。

最初は突然現れた彩牙に警戒心をもっていた海未だったが、それも徐々に薄れていった。

彩牙はとても気の利く少年だった。炊事、掃除、洗濯などのような家事全般に加え、道場や日舞などにおける雑事を、『お世話になっているから』と誰に言われるわけでもなく手伝い始めたのだ。

 

その上落ち着きのある性格をしており、そこらの男子のようにへらへらと軽薄な笑みを浮かべたりするでもなく、かといって他人の顔色を窺うような卑屈さがあるわけでもない、芯のしっかりした好青年だった。元々男性に対して苦手とまでいかなくても初心なところがある上厳格な父を見て育ったため、へらへらした性格や卑屈な性格――所謂男らしくない男性が好きではなかった海未にとって、そういった彼の姿は好印象だった。

 

そうして雑事の手伝いをしているうちに彩牙は剣道の稽古に加わるようになったが、そこでも海未は彼に驚かされた。

彩牙の太刀筋は昨日今日剣を持ったような人間のそれではなかった。粗さはあるものの、その太刀筋に迷いや雑念はなく、非常に鋭いものだった。幼いころから稽古していた自分と同じ――いや、それ以上……彩牙の太刀筋に海未はそう感じた。

太刀筋は振るう者の心を表すもの。その淀みのない太刀筋からこうも思った。

 

――彼は悪い人間ではない。

 

そういった経緯もあって、ほとんど海未の貸し切り状態だった早朝の稽古に彩牙の姿が加わるようになり、今ではこうして対面稽古をする仲に――

 

 

「メェェーーンッ!!」

 

バシン、と防具越しに頭に響く竹刀の弾ける音と衝撃。見れば自分の目の前で防具に弾かれた竹刀を持った彩牙の姿があった。

 

――いけない、やってしまった。

 

稽古の最中だというのに考え事に没頭してしまった。きっと彩牙の目には隙だらけの間抜けな姿が映っていたことだろう。海未は自分の迂闊さを恥じた。

 

「油断大敵だよ、海未」

 

「……申し訳ありません。ですが、次はこうはいきません!」

 

「望むところさ」

 

まずは彩牙から一本取る前に自分の心から一本取らなければ。

そう思いながら身を引き締め、海未は再び稽古に臨んだ。

 

 

 

**

 

 

 

「今朝もお疲れさま、海未」

 

「彩牙くんもお疲れ様です。また太刀筋が鋭くなったのではないですか?」

 

「俺はまだ新参者だからね、先生や海未に追いつけるように頑張らないと」

 

「それを言うなら私も同じですよ、まだまだ修行中の身ですから」

 

朝の鍛錬を終え、身支度を整えて広い園田家の廊下を進む二人。

汗を流すために浴びたシャワーで若干火照った体で、海未は隣を歩く彩牙の横顔をちらりと見た。

顔立ちは悪くない。むしろ世間一般からすれば十分美形の部類に入るだろう。だが野性味…とまではいかなくても荒波に揉まれたような逞しさが感じられる。テレビで見るような線の細い男性アイドルとはまた違った魅力が――

 

――って、私は何を考えているのですか!

 

浮かんだ考えを払うように、ぶんぶんと頭を振る。これではまるで彼にときめいているようではないか、それだけはあり得ない。

確かに彩牙は悪い人間ではない、それだけは断言できる。しかしまだ出会って一月も経っていないのだ。そんなよく知りもしない男性のことを好きになるなどまるで軽い女のようではないか。

だいたい男女とはそんな簡単な気持ちで付き合っていいものではない。知り合い、お友達と時間をかけて互いのことを深く知っていくことで初めてお付き合いするもので――

 

 

「あら、海未さん、彩牙さん、もう朝の稽古は終わったのですか?」

 

と、悶絶していると向こうから呼びかける声があった。

そこにいたのは園田家の現当主――海未の母だった。すでにお辞儀していた彩牙に続くように慌てて海未もお辞儀し、「はい」と答えた。

 

「でしたら――久しぶりにお稽古を見てさしあげましょうか?」

 

「はい、お願いします」

 

即答だった。普段は優しい母でも日舞においては敬うべき師匠なのだ。師匠の言うことには全て「はい」と答えるのが弟子のあるべき姿だと海未は捉えている。

稽古を言い渡したのも、きっとさっきの心あらずな様子を見たからなのだろう。海未は反省した。

 

「それと彩牙さん、申し訳ないのですけど夕方にお使いを頼まれていただけないでしょうか? 私が行くべきなのですけど、どうしても外せない用事と被ってしまって……」

 

「わかりました。俺でよければ」

 

「いつもすみませんね、勝手なお願いばかりして」

 

「いえ、先生と奥様にはお世話になっていますから、これくらいは」

 

「ありがとうございます。それでは海未さん、参りましょうか」

 

「はい」

 

母に促され、その後をついて舞台に向かう海未。

その背に彩牙が声をかけた。

 

「そういえば海未、さっき顔が赤くなってたけどどうしたんだ?」

 

「……なんでもありません、お気になさらず」

 

――やっぱり、嫌いではないが苦手かもしれない。

母のからかうような笑みと、「?」と彩牙のポカンとしたような表情に挟まれて、海未は恥ずかしさで再び顔が赤くなるのを感じた。

 

 

**

 

 

「――1,2,3,4! 花陽、少し遅れています!」

 

「は、はいっ!」

 

「穂乃果は少し速すぎです! もっと周りに合わせてください!」

 

「うん!」

 

時間は流れ、放課後。

海未の通う国立音ノ木坂学院の屋上に、彼女をはじめとした9人の少女たちの姿があった。

彼女たちこそ音ノ木坂のスクールアイドル“μ’s”。廃校の危機に陥った母校を救うため、たくさんの生徒が集まるようにと、海未の幼馴染の穂乃果を中心に立ち上がったスクールアイドルグループだ。

今はつい先日ライブを行ったオープンキャンパスの結果を待ちながら、次の目標であるラブライブ!――スクールアイドルの全国大会に向けて練習中である。

 

「――はいストップ! それじゃあ少し休憩しましょう」

 

「は~い!」

 

「もう疲れたニャ~」

 

絵里の号令により、穂乃果と凛をはじめとして次々とへたり込むメンバーたち。まだ7月半ば、これからどんどん暑くなるという時期だ。流れる汗によってシャツが体にへばりつき、健康的なボディラインが露になる。

ここが男性に覗かれる心配のない女子高でよかったと誰もが思っていることだろう。

 

「みんな、動きがだいぶ良くなってきたわね」

 

「ええ、オープンキャンパス前と比べると見違えるようです。これも絵里先輩が指導してくれたおかげですね」

 

「そ、そんなことないわよ。みんなの努力あってこそよ」

 

絵里は照れるように頬を掻いた。

絵里は幼いころ、バレエの経験があった。その経験を活かし、日舞の跡取りである海未と共にメンバーのダンスの指導にあたっていた。その甲斐もあり、μ’sメンバーのダンスのキレは彼女が加わる前に比べて格段に上達していた。

 

「そんなこと言って~、ホントは嬉しいんやろ?」

 

「きゃっ! ちょっと希、からかわないで」

 

そんな絵里をからかうように後ろから抱き着いてきたのは彼女の友人、東條希。

絵里と同時にμ’sに加入したメンバーであり、一年のころからの親友だった。

 

「でもさ、やっぱりどんどん上達してるよね、私たち! オープンキャンパスの時もお客さんの反応良かったし! これなら廃校にも待ったがかかるよね!」

 

元気いっぱいに叫ぶ穂乃果。

彼女の言う通り、先日のオープンキャンパスの結果が乏しくなかったら音ノ木坂の廃坑は確定していたのだ。だがオープンキャンパス当日、彼女たちのライブに集まったのはたくさんの中学生たち。そのみんなが笑顔になっていた。

まだはっきりとはわからないが、きっと廃校確定だけは免れただろうと誰もが思っていた。

 

「そうだね♪ お母さんも明るい表情してたし、きっと大丈夫だよ」

 

「本当!? テンション上がってきたニャー!」

 

「それじゃあ次は本格的にラブライブに向けることになるのかしらね」

 

「そうだね! 大会も近くなってきたし、μ’sの今の順位…は……」

 

「? どうしたの花陽ちゃん」

 

スマートフォンを操作していた花陽の表情が明るいものから段々と暗くなり、怯えるようなものになっていった。

どうしたのだろう。と、穂乃果をはじめとした全員が花陽の持つスマートフォンを覗き込んだ。

その画面にはたまたま映ったのか、あるニュースのテロップが流れていた。

 

――『連続猟奇殺人、新たな被害者』

 

「……この犯人、まだ捕まってなかったのね」

 

にこの呟きに、その場の全員が沈痛な表情で沈黙した。

――それはここ数か月、東京23区内で起こる連続殺人事件だった。

被害者はいずれも若い女性、そのどれもが首から上が切断されて存在しない“首なし死体”となった猟奇的な殺し方だった。

警察の必死の捜査にも関わらず犯人は捕まらず、これまでに6人――このニュースを含めれば7人もの女性が被害にあっている。

華の女子高生である彼女たちを恐怖させるにはあまりにも十分すぎた。

 

「嫌よね……被害者には私たちと同じ年の子もいたんでしょ? 海未先輩も気を付けてくださいね」

 

「そうよね……この中じゃ海未さんが一番狙われやすいかもしれないし」

 

「海未ちゃん! 死んじゃやだよ!」

 

真姫、絵里、穂乃果をはじめとした全員が海未に心配な視線を向ける。

この連続殺人事件、もう一つ特徴があった。被害者の関係者からの証言により、被害者は全員黒い長髪だったことが明らかになったのだ。

それ故、青みのある艶やかな黒い長髪を持つ海未がメンバーの中では一番犯人に狙われやすく、危険だと言える。

 

「大丈夫です。穂乃果やことりを残して先に逝くわけにはいきませんから」

 

「本当!? 本当だよね!? 嘘だったら針千本飲ますからね!」

 

「わかってます、わかってますから少し離れてください。近すぎです」

 

涙交じりの顔で迫る穂乃果を嗜める海未。

幼馴染の自分を心配してくれるのは嬉しいが、些か感情表現がオーバーな気もする。

まあ、それが穂乃果のいいところなのですけど――と、密かに思う海未。多分本人に面と向かって言うことはないだろうが。

 

――プルルルル

 

「……あ、すいません。私のようです」

 

と、その時海未の携帯が鳴り響いた。

バッグの下に駆け寄り、携帯を開いてみるとそこには『彩牙』の二文字が。

どうしたのだろうと思いながら電話に出た。

 

「彩牙くん?」

 

『あ、海未? 今朝奥様に頼まれていたお使いなんだけど、先方の都合でちょっと遅くなりそうなんだ。だから今晩の稽古に付き合うのはちょっと厳しそうでさ』

 

「そうですか……それじゃあ仕方ありませんね」

 

『ごめんね。最近物騒だから気を付けて』

 

「はい、彩牙くんもお気をつけて」

 

少し残念に思いながら電話を切ると、全員が海未を見つめていた。

希を含んだ何人かがにやにやしているのは気のせいと信じたい。

 

「海未ちゃん、今のってあの日倒れていた……?」

 

「ええ、そういえばことりはあまり話したことがありませんでしたね」

 

「う、うん……」

 

どうもことりは彩牙のことが苦手なようだと海未は思った。

しかし無理もないと思う。倒れていた彩牙を見つけた時、彼の傷は本当に酷いものだった。

まるで事故にあったか、獰猛な獣にでも襲われたかのように血だまりの中に倒れていたのだ。身に着けていたボロボロの白いコートが余計にその姿を映えらせていた。

その姿がトラウマになったのか、ことりは彩牙に苦手意識を持つようになってしまっていた。

 

「それにしても海未ちゃんが男の子と同棲するなんて、すっごい意外やね♪ 噂じゃ結構カッコいい子なんやろ?」

 

「あ、彩牙くんならこないだ家に饅頭買いに来てたよ! 今時珍しく礼儀のしっかりした子だってお母さんたちが言ってた!」

 

「おお、海未先輩も隅に置けないニャー……」

 

「アンタね、仮にもアイドルなんだから下手に付き合ったりするんじゃないわよ。 アイドルの熱愛報道なんてシャレにならないんだからね」

 

「つ、付きっ……!? しません! そんな破廉恥な!」

 

先ほどまでの重苦しい雰囲気はどこにいったのやら、和気藹々とした声が響き渡る。

スクールアイドルとはいえ、彼女たちも華の女子高生。気になる男子の話題で盛り上がるのはごく自然とも言えた。海未としてはその話題でからかわれる立場にあり、非常に恥ずかしかったが。

だが偶然とはいえ彩牙のかけた一本の電話が、沈みかけていたμ’sの元気を再び引き上げてくれた。

ありがとうございます――僅かに赤くなった顔で、海未は密かに感謝の言葉を浮かべた。

 

 

 

**

 

 

 

――チョキ、チョキ

 

シザーの音が響く。

ここは個人経営のヘアサロン。こじんまりとしているが隅々まできっちり整理されて清潔感に溢れ、真っ白な壁と床にところどころ浮かんでいる赤のワンポイントが洒落た雰囲気を出していた。そして一角には練習用のウィッグが並んでいた。

 

「……お客さんの髪、とっても綺麗ですねぇ……カットし甲斐がありますよ」

 

その中で一人、若い男が“女性客”の髪をカットしていた。

彼はこのヘアサロンの持ち主であり、唯一の店員だった。

 

「僕ね、お客さんみたいな髪の人って大好きなんですよ。日本的っていうのかな、大和撫子を彷彿させるみたいで」

 

「そう、こんな感じの艶のある黒い髪が」

 

うっとりとした顔つきで、男は“女性客”の背まであるような“黒い髪”をなでる。

“女性客”は何も答えない。

シザーの髪を切る音が響く。

 

「美容師になったのも、そんな髪を美しくカットしたいと思ったからなんですよ。もう好きで好きでたまらなくて――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――だから、カットしたら帰すのが勿体なくなって、手元に置いておきたくなっちゃったんですよ」

 

シザーの音と同時に、粘着質のある音が響く。

 

「お客さんでちょうど7人目ですよ。今までのお客さんたちも本当に本当に、美しい髪をお持ちでした」

 

「でも……美しさはいつまでも続かないんですよ。段々髪の質も痛んで、匂ってきちゃったんです。そんな時は新しいお客さんを“ご招待して”また美しい髪をカットしたんです」

 

ポタリ、ポタリと、液体の滴り落ちる音が響く。

 

「ほら見えます? あそこに並んでいられるのが過去のお客さんたちです。皆さんかつては美しい髪だったんですけど、今じゃあそこまでみすぼらしくなっちゃって」

 

指差した先には、一角に並べられていたウィッグ――

 

 

 

 

 

 

――いや、女性の生首だった。

 

「お客さんはいつまで美しいままでいられるんでしょうねぇ。ずっと美しいままなら嬉しいんですけどね」

 

「まあ、もし駄目になったらまた新しいお客さんを“招待する”だけですけど」

 

血に塗れたシザーが閉じられる。

髪のカットが終わった“女性客”――の生首から、新たな血が床に滴り落ち、新たな赤いワンポイントとなる。

――この男こそ、東京一帯の女性を恐怖に陥れている連続殺人事件の犯人だった。

 

「よし、今日のカット終わり!」

 

血に塗れたシザーを台にコトリと置くと、男は光悦の表情を浮かべ、愛でるように女性の生首の髪をなでる。

しかしそれも束の間、悦の入った表情はやがてみるみるうちに憤怒に満ちたものへと変化していった。

 

「……駄目だ……」

 

そう呟いた直後、男は台に置いたばかりの血塗れのシザーを手に取り、生首めがけて振り下ろした。

ざくり、とシザーが突き刺さり、粘性の高い血がじわりと滲み出てきた。

 

「こんなんじゃ、駄目だ!! こんなのじゃ、僕の求める美しさには到底及ばない!!」

 

狂気に取りつかれたように何度もシザーを振り下ろし、突き刺す。

何度も、何度も、何度も突き刺し、生首の髪は乱れ、肉が、形が崩れていく。

そうして何度も振り下ろし、息を荒げ、男がようやく平静を取り戻した時には血まみれで髪がボロボロになり、肉が醜く崩れ落ちた生首があった。

 

「もっとだ……もっと美しい髪の女性なら僕の求める美しさに……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『………し……なぃ………?』

 

「……ん?」

 

ふと、声が聞こえたような気がした。男以外、生者が誰もいないヘアサロンに。

気のせいかな、と思ったその直後だった。

 

『もっと沢山の女の髪を切りたくないか?』

 

「!? だ、誰!?」

 

また声が聞こえた、今度ははっきりと。

男のような女のような、老人のような子供のような、複数の声色が混じったような声だった。

一体どこから、と辺りを見回していると、ある一点で目が留まった。

シザーだ。男が普段カットに使い、さっきまで使っていたシザーが妖しい光を帯びていた。

 

「……そ、そこにいるのか?」

 

『貴様の欲望、美学、見せてもらった。どうだ、もっと沢山の女の髪を切りたくないか?』

 

『美しさを永遠に保ったまま、女の髪を切り続けていたいと思わないか?』

 

『それができると言われたら――貴様はどうする?』

 

その声が語る内容は、男にとって非常に魅力的で甘美なものだった。

それらは全て男が望んでやまないもの、到底現実にはできないものだった。

だから――男に迷う隙はなかった。

 

「うん! 僕はそうしたい! カットした美しい髪を永遠に保ち続けたい!」

 

『……いいだろう。ならば――』

 

 

 

 

 

 

 

『――その身体、俺によこせぇぇぇぇぇ!!』

 

その瞬間、シザーから“闇”が噴き出した。

 

「う、ああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」

 

噴き出した“闇”は、まるで意志を持つかのように男の中に入り込んできた。

目から、鼻から、口から、耳から、穴という穴から入り込み、男の中を侵食していく。

肉体だけではない、意識を、心を、魂を全て黒く染めていく。

――そうして、噴き出した“闇”が全て男の中に入り込むと、男は少しうなだれた後、カッと金色の瞳になった目を見開いた。

そして、すぐ傍にあった女性の生首を見るや否や、指先をシザーに変化させ――

 

――ジョキン

 

女性の生首を切りだした。

しかし切り口から血が噴き出ることはなく、代わりに出てきたのはあろうことか髪の毛だった。切っていくたびに髪の毛がどんどん噴き出していき、そして女性の生首だったものはあっという間に黒い髪の毛の山になっていた。

そして山になった髪の毛はなんとひとりでに浮かび上がり――

 

――ズゾゾゾゾ

 

男の口に吸い込まれていく。

余りにも異常な光景だが、男は嫌悪感を浮かべるどころか光悦な表情を浮かべており、髪の毛が全て吸い込まれると咀嚼し始め、やがてごくりと音を立てて呑み込んだ。

 

「……うん、なかなかいい趣味をもった人間だね。とっても美味だ」

 

「さて、久しぶりの人界だ。たらふく食べるとしようかな」

 

ぺろり、と口の端に残っていた髪の毛を舐め取り、満悦そうにつぶやく男――だったもの。

そこにいた男はもう、人間ではなかった。

それは太古の時代より人の陰我に引き寄せられ、人に憑依し、人を食らうモノ。

その名は――

 

 

 

**

 

 

 

「すっかり暗くなっちゃったね」

 

「全くです、穂乃果が忘れたりするからですよ」

 

「ホントごめんなさいっ!」

 

夜も更けた帰り道、海未、ことり、穂乃果の姿があった。

元々は絵里の提案で暗くなる前に練習を切り上げ、万が一のために何人かずつでまとまって帰っていた。しかし穂乃果が学校に課題のノート――しかも明日提出しなければいけないものを忘れてきたことを家の近くで思い出し、一人で行くのは危険ということで3人一緒に学校まで戻って回収し、戻ったころにはすっかり夜も更けてしまっていた。

 

「普段からしゃんとしていなからこのようなことになるのですよ、何のために絵里先輩が早めに切り上げたと思っているんですか」

 

「まあまあ海未ちゃん、穂乃果ちゃんだって反省してるしそこまで強く言わなくても……」

 

「ことりは穂乃果に甘いのです、穂乃果のように抜けてる相手にはそれこそ何度でも言わないと駄目なんです」

 

「うぅ、耳が痛いよぉ……」

 

しょんぼりとうなだれる穂乃果。これできちんと次に生かしてくれれば海未としては文句ないのだが、きっと無理だろう。

ともあれ、何事もなく無事ここまで来ることができた。あとは目の前の角を曲がれば自分たちの町に入ることができる。

――そう思った時だった。

 

「――こんばんは! お嬢さんたち!」

 

「「「ひゃっ!?」」」

 

突然、後ろから声をかけられた。

慌てて振り向くと、そこには一人の男が立っていた。20代半ばのような若い男だ。帽子の下から覗かせるその顔には人懐っこそうな笑顔が浮かんでいる。

 

「な、何ですかあなたは!?」

 

「あ、驚かせちゃったかな? ごめんごめん! 僕、こういう者なんだけど」

 

そう言って男が差し出したのは、一枚の名刺。

そこには『滝川』という男の名前と、美容師である旨が記されていた。

 

「美容師……ですか?」

 

「そう! 小さなヘアサロンなんだけどね。偶々見つけたお嬢さんたちの髪がとっても綺麗で! どうです、ウチでその髪をもっと美しくしていきません?」

 

「は、はぁ……?」

 

――怪しい。怪しすぎる。

髪を褒められたというのにちっとも嬉しく思えない。こんな時間に人気のない場所で女子高生を捕まえて言うセリフだろうか。

男は相変わらずニコニコした笑みを浮かべている。だが何故だろう――海未にはその笑顔があまりにも不気味なものに思えた。

横を見ればことりと穂乃果も同じことを思ったのだろうか、二人の顔も強張っていた。

 

「あの……すみませんが急いでますので遠慮します」

 

「えぇどうして!? そんなに美しい髪なのにもったいないよ!」

 

断っても男はしつこく言い寄ってきた。

断られてもめげない強引さ――穂乃果にもある点だが、男のそれは穂乃果とは全く別だと感じた。

穂乃果のはみんなのため、一緒に楽しくなるためにあるが、男のはただ自分が楽しくなるため――自分の欲を満たすためだと海未は感じた。

交番も近いし、いっそのこと通報してしまおうかとも思った。

 

「お断りします。最近は物騒なので早く帰らないと家族も心配します」

 

「物騒?」

 

「知らないんですか? 最近起きてる殺人事件ですけど……」

 

遠慮しがちにことりが言う。

それに続くように穂乃果も言う。

 

「そ、そうなんです! だから早く帰らないと……!」

 

「……そっか、残念だなぁ……」

 

「わかっていただけましたか。申し訳ありませんが、それでは」

 

「うん、しょうがないから――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――しょうがないから、この場でカットすることにするよ」

 

「え?」

 

「! 穂乃果!」

 

真っ先に気づいたのは海未だった。

穂乃果を押し倒すと同時に、自分たちがいた場所をあるものが横切った。

それは、男が手にしたシザーだった。

 

「海未ちゃん! 穂乃果ちゃん!」

 

「大丈夫ですか、穂乃果!」

 

「う、うん……」

 

 

 

「あーあ、外しちゃった」

 

そう言いながらチョキチョキとシザーを開いては閉じる男。

その時、3人は気づいた。いや、気付いてしまった。

男の持つシザーが、血に塗れていたことを。

 

「君たちも今までのお嬢さんたちのように美しくカットしようと思ったのに」

 

「ま、まさかあなた、例の連続殺人の……!」

 

「うん、そうだよ! “この人間”は君みたいな黒い髪の子ばかりを狙ってたみたいだけど……」

 

 

 

 

 

 

「“僕としては”、隣の子たちも美味しい“つけあわせ”になると思うんだよね」

 

「……! 逃げますよ、穂乃果!ことり!」

 

「う、うん!」

 

やばい、やばすぎる。本能がそう叫んでいた。

今すぐにここから離れなければ殺されると。気づいた時にはことりと穂乃果の手を握って駆け出していた。

幸い、この曲がり角を曲がった先すぐには交番がある。そこに駆け込んで助けを求めれば――

 

 

「ハロー♪」

 

「「「きゃあぁぁぁっ!!」」」

 

――曲がった先には、あの男が待ち構えていた。

何故、どうして、自分たちの後ろにいたはずなのにどうやって一瞬のうちに先回りを――

そんな疑問を考えるより先に足が先に動いていた。逆方向になってしまうが仕方ない。

今はとにかくあの男から逃げなければ――

 

 

 

**

 

 

 

そうして逃げているうちに人気の全くない夜の公園へと辿りついた。

幼いころはよく3人で遊んでいたこの場所が不気味な雰囲気を帯び、まるで自分たちの処刑場かのような錯覚を受けた。

まずい、まんまと誘導された――海未はそう思い、そして後悔した。

せめて自分一人だったら二人を巻き込まずに済んだのに――と。

 

「やあようこそ! 僕の即席サロンへ!」

 

「ひいっ!」

 

ことりが涙交じりの短い悲鳴を上げる。

案の定というべきか、3人の目の前にはあの男が立ちふさがっていた。ご丁寧にもヘアサロンにあるような散髪椅子を横に添えて。

そして仰々しくお辞儀をすると、男は深い笑みを浮かべて歩み寄ってくる。

 

「お嬢さんたちの髪、本当に美しくて綺麗だからカットし甲斐があるなぁ……」

 

血に塗れたシザーを弄びながら、ゆらゆらと歩み寄ってくる男。

――やるしかない。このような猟奇殺人犯相手にどこまでやれるかわからないし、本音を言うととても怖い。今すぐ逃げたい気持ちになる。

だけど今は穂乃果とことりが――最も大切な二人が傍にいるのだ。こんな時に二人を守れないで何のために修練してきた武道なのか。

そう海未が己を奮い立たせていると、男はおもむろに血に塗れたシザーを投げ捨てた。凶器のはずのそれを――である。

もしかして気が変わったのか。海未をはじめ、3人はそんな希望を抱いた。

 

「……そして、とっても美味しそう」

 

しかしそれは、淡い希望でしかなかったことを思い知らされた。

3人は自分の目が信じられなかった。目の前で起きていることが現実だと、到底受け入れられなかった。

目の前にはあの男が立っている。頭も、胴体も、腕も、足も、すべてが人間のものだった。

ただ一つ違っていたのは指先だった。シザーの金属音とともに、男の指がありえないものへと変形していく。

 

「……な、なに……あれ……」

 

震える声で穂乃果が呟いた。

シザーだ。男の指一本一本がシザーの刃へと変わっていく。それも普通の長さではない、少なく見積もっても膝下までの長さがあった。

10本のシザーの刃が、まるで爪のように動く。動くたびにカチャカチャと甲高い金属音が響く。

――この男は、本当に人間なのだろうか。3人の胸に浮かんだのは同じ思いだった。

言いようのない恐怖――まるで子供のころ理由もなく怯えていた、闇のような恐怖と共に。

 

「お嬢さんたちの髪はどんな味がするのかなぁ……楽しみだなっ!」

 

「! 穂乃果、ことり!」

 

「えっ」

 

「海未ちゃん!」

 

無意識に体が動いていた。

あの男が信じられないスピードで駆け出した瞬間、海未は穂乃果とことりを突き飛ばしていた。二人の呆気にとられた表情、それがみるみると庇われたことを理解した悲しみのものに変わっていく。

一瞬のうちに目前まで迫った男が狂気に染まった笑顔で、海未に向かってシザーに変化した指を突き出す。

 

――ああ、ここで終わってしまうのですね。

全てがスローになった視界で、海未はそう思った。

折角μ’sが9人になり、オープンキャンパスも成功し、ラブライブに向けてようやく軌道に乗り始めたというのに。2人を残して逝く気はないと言ったばかりなのに、早速破ってしまった。

2人を助けてよかったと思うと同時に、申し訳ないという気持ちが溢れてきた。

 

――穂乃果、ことり、あなた達はどうか無事に逃げてください――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――ガキンッ

 

鳴り響く金属音。

――痛みはない。斬り裂かれた感触もない。

自分はまだ生きているのか、しかしどうやって?

おそるおそる目を開くと、今度は驚きで更に目が見開かれた。

 

シザーの刃は海未の体に触れるギリギリのところで止まっていた。

――いや、止められていた。横から割り込んできた、もう一つの“刃”によって。

 

「あ、あれって……まさか……?」

 

驚愕の表情で呟くことり。きっと自分も似たような顔をしているのだと、海未は思った。

割り込んでシザーを止めたのは、一本の剣だった。

細身の両刃剣で、10本もあるシザーの刃をいとも簡単に押し留めていた。その“赤い柄”を握る腕を、海未には見覚えがあった。

いや、見覚えがあるどころの話ではない。海未はその腕をここ数週間、毎日見ていた。

そう、日が昇ったばかりの早朝、他に誰もいない道場で一緒に竹刀を握っていた――

 

「……彩牙、くん……?」

 

「……」

 

――村雨彩牙。

園田家の居候兼門下生の少年がボロボロの白いコートを身に纏い、たった一本の剣で海未に迫るシザーを押し留めていた。

 

 

「なぁに、君は? いいところだったのに」

 

「貴様、ホラーか?」

 

「……だとしたらどうするの?」

 

「狩る」

 

見たこともない鋭い目つき。聞いたこともないような怒りを込めた低い声。

穏やかな普段の彼とはまるで違う。海未は目の前にいるのは本当に彩牙なのだろうかと言い知れぬ違和感を覚えた。

 

「ぎゃっ!!」

 

次の瞬間、状況は一変した。

彩牙が剣を握る腕を振るうと押し留めていたシザーが弾かれ、男は胴体むき出しになった。

すかさず彩牙はその腹に強烈な蹴りを叩きこみ、蹲りかけた瞬間にその体を斬り裂いた。

肩から腰へ、更にそこから袈裟斬りを刻み込み、男の体は大きく飛ばされる。

穂乃果とことりの潜めていた息からかすかな悲鳴がもれた。

 

「そうか……貴様、魔戒騎士か!」

 

「……」

 

男はまだ生きていた。

袈裟にかけて刻まれた大きな傷から夥しい量の血を流し、苦痛に顔を歪ませながらもしっかりと立っていた。まるでこれしきでは死なないと言わんばかりに。

そしてその口からは先程までの余裕と不気味な無邪気さとはまるで正反対の、苦痛と怨嗟に満ちたおどろおどろしい声が発せられていた。

こんな人間が本当にいるのか、そもそもこれを人間と呼んでいいのか。3人は目の前の現実にただ戸惑うだけだった。

 

「さ、彩牙くん……?」

 

「隠れていろ」

 

彩牙は海未に振り向くこともなく、男から目を離さずに剣を構える。

海未はその構えに見覚えがあった。

腰を低く落とし、顔の横に添えた剣の切っ先を相手に向ける。毎朝稽古のたびに直すよう注意していたあの構えだ。

 

「海未ちゃん! 大丈夫!?」

 

「穂乃果、ことり……」

 

海未の下に穂乃果とことりが駆け寄り、支えられてその場を離れる。

海未はこの時自分の足が震えていたことに気づいた。

ふと振り返れば、彩牙が男に向かって駆け出していた。

距離を詰めた彩牙が剣を振り下ろす。男はシザーで剣を受け止め、火花と共にギチギチと金属同士の擦れ合う音が響く。

男は空いている片腕のシザーで彩牙を斬り裂こうとするが、今度は赤い鞘で受け止められ鍔迫り合いになる。

 

拮抗する二人。その均衡を破ったのは彩牙だった。

一瞬で鞘の持ち方を変えるとその先端を男の鳩尾めがけて突き出す。息を一気に吐き出し、力が抜けた男の隙を見逃さずに剣でシザーを叩き折り、そのまま胴体を斬り裂いた。

反撃で繰り出したもう一方の腕のシザーを剣で弾き、再び距離を取る。

圧倒的だ。彩牙の剣にはブレがなく、隙もない。だが何故だろう、その剣にはどこか別の感情が込められているような気がする。

海未がそう思った、そのときだった。

 

「あ、あれ? 通れないよ!?」

 

「なんで、どうして!?」

 

穂乃果が何もない空間をバンバンと叩く。ことりもまるでそこに壁があるかのようにペタペタと手を動かす。

いや、あるかのようではない。そこには本当に見えない壁があったのだ。

まるで獲物はここから逃がさないと言うかのように。

そしてその獲物を狙う狩人――男がぎょろりとこっちを見つめていた。

 

「ウゥゥゥ……ガアァァァ!」

 

獣のような唸り声と共に、男の体が再び変化していく。

全身から無数のシザーが肉体を内側から食い破らんと突き破って這い出てくる。ことりから恐怖と嫌悪感に満ちた悲鳴がもれる。

やがて突き破ったシザーが男の体を覆い尽くすと、肉を追い出すかのようにシザーが弾き飛ばされた。

 

 

「な…なに、あれ……」

 

そうして露になった男の姿は、もはや人間の形をしていなかった。

肌はぬめりのあるごつごつとした黒い肌に、それを覆うような外骨格。シザーの刃となった指、全身に現れた美容師を彷彿とさせるような赤、青、白の意匠。

見るも醜悪な怪物が、そこに立っていた。

 

『――カアッ!!』

 

怪物が息を深く吸うと次の瞬間、信じられないものがその口から飛び出してきた。

シザーだ。歪な形の無数のシザーがまるでスチールウールのように絡み合い、ボール状の塊となって吐き出されたのだ。

それも一つではない、二つ三つと続けて吐き出された。

――見えない壁に逃げ道をふさがれた、海未たちめがけて。

 

「きゃあぁぁっ!」

 

悲鳴と共に屈みこむ3人。だがそんなことはお構いなしと、シザー塊は3人を切り刻まんと突き進む。

そしてシザー塊が目前まで迫った、そのときだった。

 

 

「――はっ!」

 

彩牙だ。

海未たちの前に躍り出た彩牙が、シザー塊を剣で弾き飛ばす。

一つ、二つ、三つ。どんな硬度をしているのか、その剣はあれだけのシザー塊を弾き、鍔迫り合いをしたというのに刃こぼれ一つしていなかった。

 

海未がほっとしたのも束の間、彩牙の目の前には新たなシザー塊が迫っていた。

それも先程のとはまるで違う、自分たちの背丈ほどはあるかのような巨大なシザー塊だ。

あれだけ巨大なものを弾き返せるのか――そう思った次の瞬間、海未はぎょっとした。

巨大なシザー塊が迫る中、彩牙は剣を構えてなかった。あろうことかその切っ先はシザー塊にではなく天を突くかのように掲げられていた。

 

「な、なんで!?」

 

「何やってるんですか!シザーが……!」

 

天高く掲げられた剣が円を描く。その軌跡が宙に残り、光り輝く。

光は円全体におよび、金色の光を放つ。

光の円から“何か”が降り注いで彩牙の体を包み、眩いほどの金色の光が辺りを包む。それと同時に巨大なシザー塊が彩牙の体に到達した。

 

「彩牙くんっ!!」

 

しかし肉体の裂かれる音は聞こえない。

光の向こうから聞こえてくるのは、火花が鳴る、金属同士が擦れあう音だけだった。

そして光がやんだ時、彼女たちは、中でも海未は他の二人以上に驚愕で目を見開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「黄金の……狼……!?」

 

そこにいたのは彩牙ではなかった。

騎士だ。

狼を模った、華美な装飾の施された黄金の鎧を纏った騎士が立っていた。

巨大なシザー塊は騎士の左腕一本で受け止められ、力を込めて握りしめたと同時にシザー塊は砕け散り、元のシザーとなってバラバラと地面に零れ落ちる。

手にしていた細身の剣は、金色の柄に装飾の施された厚みのある黒い刀身の長剣へと変化していた。

緑色の瞳が怪物を睨み、牙を剥き出しにした憤怒の表情からは狼の唸り声が上がる。

 

それはまさに、海未の夢に現れたあの黄金の騎士そのものだった。

ただ一つ違う点を挙げるとすれば、夢に出てきたものよりも“くすんだ金色”をしていたことか。

 

「彩牙、くん……?」

 

『バ、バカなっ!?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『“ガロ”だとっ!? こんな小僧が!?』

 

怪物が狼狽え、信じられないような叫びをあげる。

彩牙――いや、ガロと呼ばれた騎士は何も答えないまま、怪物に向かって歩を進める。

怪物は怯えるかのようにシザー塊を次々と吐き飛ばしていく。

しかしガロの歩みは止まらない。ガロが腕を振るうだけでシザー塊は砕け散り、みるみるうちに距離を詰めていく。

シザー塊だけでは駄目だと悟ったのか、怪物は両手のシザーを振るってガロに斬りかかる。

 

――そこから、勝負は一瞬で着いた。

怪物の振るったシザーは、ガロの振るった長剣によって叩き折られた。そしてガロはそのまま長剣を怪物の脇腹に充て、一気に振りぬいた。

振りぬいた長剣の軌跡は金色の光となり、それは怪物の体を一刀両断していた。

金切り声の断末魔と共に、怪物の体は血飛沫を撒き散らして弾け飛んだ。

そしてその血は――ことりめがけて飛んでいた。

 

「え?」

 

「ことり!!」

 

嫌な予感がする。あの血をことりに着けてはいけない。

そんな直感を感じた海未は、ことりを庇うように覆いかぶさった。

 

「っ!」

 

海未の背中に浴びせられた、あの怪物の血。

肌が焼けるような感覚の後、その血は一瞬だけ黒い跡を残して肌に吸い込まれるように消えていった。

 

「海未ちゃん、大丈夫!?」

 

「は、はい。ことりも大丈夫ですか?」

 

「う、うん……」

 

互いの無事を確認し、海未たちはガロに向き直る。

緑の瞳でじっと海未たちを見つめていたガロ。それが一際光った直後、鎧がいくつものパーツに分離され空へ還るかのように消えていった。

そしてそこに立っていたのは、元の彩牙の姿だった。

 

「彩牙くん……」

 

「……無事かい? 海未」

 

先程までの苛烈さはどこへ消えたのか。

そこにいたのはいつもの穏やかな表情を浮かべた、海未のよく知る彩牙だった。

先程までの苛烈な戦いを繰り広げた彩牙と、今目の前にいる彩牙。一体どちらの姿が本当の彼なのか。

穂乃果、ことり、そして海未は只々困惑の表情で彩牙を見つめることしかできなかった。

 

 

 

***

 

 

 

闇に潜む魔獣“ホラー”

 

 

奴らは人間の邪心をゲートに人間界に現れ、人を食らう

 

 

それを討ち倒すは人を守りし者――“魔戒騎士”

 

 

今宵、ホラーを狩る若き魔戒騎士

 

 

そして9人の少女たちによる

 

 

 

 

 

――新たな伝説が幕をあける――

 

 

 

***

 

 

海未「私たちは知りませんでした。彼のことを」

 

海未「私たちは知りませんでした。この世界の真実を」

 

海未「今、彼の口から本当のことが語られる」

 

海未「次回、『彩牙』」

 

 

 

海未「彼の戦う理由、それは――」

 

 







魔戒指南


・ ホラー・シザリアン

連続殺人を繰り返す美容師・滝川に憑依したホラー。
美しい黒髪を持つ女性を好んで捕食する。指先をシザーの刃に変えて相手を斬り裂くほか、シザーの刃を何重にも固めた塊として飛ばすこともできる。
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