・・・・2か月ですね、ハイ。
お待たせしてしまい、申し訳ありませんでした!
最近どんどんペースが落ちてしまっているなあ・・・・・
――アイドル。
それは光り輝くステージに立つ、女の子たちの憧れの象徴。
昨今では学生たちによる自主的なアイドル活動――スクールアイドルが世の流行を占めてはいるが、だからといって芸能界で活躍する本来のアイドルが廃れたわけではない。寧ろ更に勢いが加速していると言ってもいいだろう。
アイドルそのものが女の子たちの憧れの的であることには変わりないのだ。
そんなアイドルたちを擁する芸能プロダクションの中に、金城プロダクションという名の芸能事務所があった。
とある巨大グループに属する一芸能プロダクションであるそこには、数多くのアイドルやそれを夢見る少女たちが所属しており、日々の努力の下に輝かしい活躍を送っていた。
――しかし、全員が全員輝けるわけではない。
日の光を浴びる者もいれば、日の目を見ない者もいる。夢を叶える者もいれば、夢破れる者もいる。
そしてそれは、アイドルに限った話ではなかった。
「……え? い、今なんて?」
「……ですから、私、ここを……アイドルを辞めます」
金城プロダクションのアイドル部門、その一室に一人の男がいた。
男の名はアキヤマ。この金城プロダクションに所属するプロデューサーの一人であり、アイドルを光り輝かせるために導く役割を担っていた。
そんな彼の前にはデスクを挟んで一人の少女がいた。彼女はアキヤマがプロデュースを担当しているアイドルの一人である。
――いや、だったと言うべきか。
「ど、どうしてだ!?君はまだまだこれからだろう!?たしかに今はまだ大きな仕事はないが、これから大きく……」
「無理なんですよ、私には」
少女の言葉――アイドルを辞めるというその言葉にアキヤマは慌てて反論するが、少女は小さく、だがはっきりとした声でその言葉を遮った。
その表情には疲れ切ったような、諦めたような――虚無感に満ちた感情が浮かんでいた。
「歌もダンスもトークも、お客さんに魅かれるようにならない、上手くならない。三年たっても碌にファンも付かない。私にはアイドルなんて、最初から無理だったんですよ」
「ま、待ってくれ! 今はそうでもまだ十分に巻き返せるはずだ!ヒットするまでに数年かかることなんてよくあることだろう!?」
「……」
確かに、アキヤマの言うことは間違っていない。
ヒットするまでに数年もの下積みがかかることなど、芸能界では特別珍しい話ではなかった。
だがしかし――
「ひょっとして他の部署にいる同期の子が活躍しているのを気にしているのか? 君には君のやり方があるんだ、諦める必要なんてないだろう!?」
「……」
「それに今君に辞められると困るんだ! 今は君を中心とした新しいプロジェクトを進めているんだ。なのに君が辞めてしまったら他の子たちにも迷惑が掛かってしまうし、僕の立場だって悪くなってしまう!」
「……」
少女を引き留めようと、必死さを露にして興奮してまくりたてるアキヤマ。
だが、彼は気づいていなかった。
アキヤマが少女を引き留めるために紡ぐ言葉。その一言一言を聞くたびに、少女の表情が冷めきったものへと変化していくことを。
「これ以上立場が悪くなってしまったらこの部署自体の存続も危うくなってしまう!そんなことになったら他の子たちも路頭に迷ってしまうかもしれない!だから――」
「やっぱり、そうだったんですね」
再びアキヤマの言葉を遮った少女。
突然のことに戸惑うアキヤマを前に、少女は再び口を開いていく。
冷めきった表情を、鉄仮面のように変えないまま。
「プロデューサーは私たちのためにとかじゃなくて、自分のために――自分がいい思いをしたいだけなんですよね」
「な、なにを言ってるんだ! そんなこと――」
「私の一年後に入った子が心を病んで辞めていった件、覚えてますよね。あの子のこと、プロデューサーが追い詰めたんですよ。さっき私に話したみたいに、色んな人に迷惑がかかるとか、気が弱い子なのにプレッシャーを与えるような真似をしたこと、知ってるんですよ」
「そ、それは……!」
アキヤマは、言葉が出なかった。
反論の一つも碌にできないそんな彼の姿に幻滅したのか、少女は呆れ返ったような溜息を吐いた。
「……アイドルに向いてなかったと思ったのもそうですけど、一番の理由は貴方のような人にプロデュースされたくないからです。本当なら上の人に訴えたいところですけど、仮にも今までお世話になった恩がありますので止めておきます。 できることなら、今後は担当アイドルの子たちをしっかりと思いやれるようになることを願っています」
「待っ……!」
踵を返し、オフィスから去ろうとする少女に慌てて手を伸ばそうとするが、それは出かかった言葉と共に虚しく空を切り、そのまま少女は振り返ることなくオフィスを後にした。
一人残され、虚しく腕を伸ばしたまま固まるアキヤマ。
唖然とした表情で腕を伸ばしたまま固まっていたが、しばらくすると伸ばされた腕がプルプルと震えはじめ――
「…………なんだよ……
――なんだよ子供のくせに偉そうなこと言って!!」
激情に駆られ、憤怒に満ちた表情で拳をデスクに激しく叩きつけるアキヤマ。
その姿は先程までの少女に責められて狼狽えていた姿とは、あまりにもかけ離れていた。
「くそっくそっくそっ! 今まで面倒見てやってきたのに恩を仇で返しやがって!誰のおかげでアイドルになれたと思ってるんだ!」
アキヤマは怒りに震えていた。
アイドルとしてスカウトし、輝けるようにプロデュース“してやった”というのにその恩を忘れ、勝手に辞めると言い出した挙句まるで自分が悪いかのように糾弾したあの少女のことが、そして碌な成果も出せず、自分に迷惑をかけたくせに被害者ぶる他の担当アイドルのことが許せなかった。
ちやほやされる人形のように、大人しく言うことを聞いていればいいのに――そんな憤りが彼の中で渦巻いていた。
「大体元を辿れば他の部署のやつらが僕より良い成果を出しているのが悪いんだ!どいつもこいつも僕の足を引っ張りやがって!」
そして彼の怒りは、この件には何ら関係もない他の部署の人間にまで向けられる。
――第三者から見れば、アキヤマの方こそが身勝手で他者の足を引っ張る人間に思えるだろう。事実、先の少女も彼ではなく他の人間にプロデュースされていたらアイドルとして十分に輝けた可能性があっただろう。
しかしアキヤマは自分こそが正しいと、自分の思い通りにならない他の人間こそが害であると信じて疑わなかった。
――そして、その歪極まりない自尊心は――
『―――思い通りに動く人形が欲しいか?』
奴らを呼び寄せる“陰我”となる。
*
「……アイドル、好きだったんだけどな」
アキヤマに縁切りを言い渡した少女は一人、事務所の廊下を歩いていた。その表情はアキヤマと話していた時の冷めきったものとは打って変わり、悲しげなものになっていた。
彼女はアイドルが好きだった。芸能界入りしたのもアイドルになりたいという、ごくありふれた理由だった。それだけにアイドルにかける情熱も大きかった。
だが彼女はそんな大好きなアイドルを諦める道を選んだ。
その原因が彼女をはじめとした担当アイドルたちに無理難題を押し付け、プレッシャーを与えて心を追い詰めるようなプロデュース“まがい”のことをするアキヤマにあるとはいえ、大好きだったはずのものから身を遠ざけるという現実に、彼女の心は暗く沈んでいた。
「……ダメね。あんな啖呵きったのにこんな弱気になっちゃ」
とにかく、落ち込んでばかりではいられない。
アイドルを辞めることを選んだのは自分なのだ。気持ちを切り替えなくてはいけない。
とりあえずまずは実家に帰り、家の仕事を手伝おうと考えた。突然仕事を辞めたことに両親は怒るかもしれないが、なんとか説得して――
「――あ、れ……?」
――おかしい。
なにかが、おかしい。エレベーターに向かって歩いていたはずなのに、一向に辿りつかない。
いや、そうじゃない。足が動いてない、動かない。
足だけじゃない。腕が、口が、瞼が、うご か な――
「――良い人形っていうのはね、思い通りに動くことだと思うんだ」
少女の背後から、声が聞こえた。
それは先程彼女が絶縁を叩きつけたアキヤマのものだったが、その声に彼女は言い知れぬ恐怖を抱いた。
口調は軽いのに感情がこもっていないその声が、まるで蛇のようで――
「でも君は思うように動いてくれないし、そんな“不良品の”人形は必要ないよね」
アキヤマの言葉と共に、動かなかった少女の腕が動き始め――いや、“動かされた”。
自分の身体が理解の及ばない何かに動かされているという現実に少女の心は恐怖に支配されるが、その表情は人形のように動かない、動かせない。悲鳴の一つも上げられない。
そして両腕が横に開かれ、彼女の姿が十字架の形になった時――
「だから――“いただきます”」
――い、いやぁぁぁ!うで、私の腕が!!
指先と足先――少女の身体がその端から糸へと変化していき、アキヤマの口の中に吸い込まれ始めた。
自分がわけのわからないまま喰われていくという現実に、少女は恐怖し、絶望するが涙を流すことも、表情を恐怖で歪ませることも、悲鳴をあげることさえできなかった。
やがて少女の全身が文字通り糸へと変えられ、アキヤマの口の中に吸い込まれていく中、彼女の脳裏に最後に浮かんだのは――
――おかあ、さん。おとう、さん。
かつてアイドルになると決めた自分を見送ってくれた、両親の姿だった。
**
――秋葉原・とあるマンション
「それじゃ、行ってくるわね。虎太郎のことお願いね」
「はい!任せてくださいお姉さま!」
「行ってらっしゃーい!」
二人の妹に見送られ、我が家を後にする一人の少女がいた。
黒髪をツインテールにした少女――矢澤にこだ。
夏休みが終わり、今日から新学期が始まるということでピンクのカーディガンの下に音ノ木坂の制服に身を包んだ彼女は廊下、エレベーター、マンションのフロントと通り抜け、音ノ木坂へと繋がる秋葉原の街中を歩いていた。
街中を歩く中、鼻歌を囀り、軽やかな足取りに似合うような笑顔を浮かべるにこ。
今の彼女はとても充実していた。
数か月前までの彼女はお世辞にも良い状態とは言えなかった。妹たちのいる家ではともかく、外に出ている時は表情を強張らせているというか、心に余裕というものがなかった。
だが今は違った。
μ’sの一員として、スクールアイドルとして再始動した今のにこは腐りかけていた以前とは違い、大好きなアイドルに仲間たちと共に熱中できていることが、彼女の心に輝きを灯らせていたのだ。
そうして音ノ木坂に向かっている途中、一際大きいビルの前でにこの足取りは小さくなり、やがて完全に立ち止まるとそのビルを大きく見上げた。
その表情に強い意志を宿して。
「……いつか、私もここに……」
己に誓うかのようにそう呟くと、再び音ノ木坂に向けて歩き出すにこ。
その際一人の少年とすれ違ったが、にこは特に気に留めることもなく、そのままその場を後にした。
だが少年は立ち止まり、黒いコートを翻して振り返ると、にこが去って行った方向をサングラス越しに見つめた。
『どうかしましたか?コテツ』
「……いや、何でもねえよ」
少年――コテツは気を取り直すかのように視線を逸らすと、その先を一際大きなビルに――先程までにこが見上げていたビルへと向けた。
同じビルを見上げるという点では、先程のにこと同じであった。しかし彼女と決定的に違ったのは、単純に強い意志を浮かべていたにことは違い、コテツは睨むような鋭い表情を浮かべていたということだった。
「……どうだ、ギルヴァ」
『はい。かなり微弱ではありますが、おそらくは』
コテツが、そしてギルヴァがビルから感じ取った気配。
それは彼らにとって馴染み深いものであると同時に、決してこの世にあってはならないものだった。
それは――
「――あ! コテツくん、おはようにゃー!」
「お、おはようございます!」
――と、その時、コテツに呼びかける、元気一杯な少女の声と、少し気恥しそうな少女の声、二人の声が響いた。
その特徴的な語尾に振り返らずともわかった。
そこにいたのは星空凛と小泉花陽だった。二人とも先程のにこと同じように、音ノ木坂の夏服に身を包んでいた。
「――よ、おはようさん。二人とも今から学校か」
凛と花陽に振り返ったコテツ。
その顔には先程までの鋭い表情とは正反対の、穏やかな笑みを浮かべていた。
その変化に凛と花陽は気づかず、曇りのない朗らかな笑顔を浮かべていた。
「うん!コテツくんはお散歩かにゃ?」
「ま、そんなとこだ。街の平和を守るためのパトロールってな」
コテツの言葉に、事情を知る凛は察したような表情を見せ、すぐに満面の笑みを浮かべた。
一方、何のことなのかよくわからない花陽は不思議そうに疑問符を浮かべ、視線の先をコテツが見上げていたビルへと移した。
その瞬間何かに気づいたのか、彼女の表情は驚愕したもの、歓喜に満ちたものへと変化していった。
「かよちん?」
「も、もももももももしかしてここは、あの金城プロダクションじゃないですかぁ!?」
「……知ってんのか?」
やけにテンションが上がっている花陽の姿に戸惑いつつも、そう尋ねるコテツ。
その瞬間キッと睨むような、普段の彼女からは想像もできない程の鋭い視線をコテツに向け、そして――
「知ってるも何も! ここ金城プロダクションこと金城プロはアイドル業界の中でも大手中の大手!現在活躍中のアイドルの多くが金城プロ所属と言われているほどの芸能事務所なんですよ! かのA-RISEも金城プロからのスカウトを受けているとの噂がある程なんですよぉ……!」
早口で、かつ人目も憚らないほどの大声で捲し立てるように力説した。
普段の姿からは想像できないほどに興奮しきった様子から悦に浸った様子へと、怒涛の勢いで感情の変化を見せた花陽に思わず気圧されたコテツに、凛がこっそり耳打ちした。
「かよちんはね、アイドルが大好きなんだ。アイドル絡みになると大体こんな感じになるんだよ」
「……そ、そうか」
「ちなみに凛はこっちのかよちんも大好きだよ」
大好きにしても性格が変わりすぎだろうと思ったが、本人や親友である凛がそれでいいと言うのならそっとしておこうとコテツは思った。と言うよりも、単に下手に言及したらまたさっきの勢いで言い詰められるかもしれないのを避けたかっただけかもしれないが。
とにかく、と気を取り直し、悦に浸った花陽とにこにこと笑顔を浮かべる凛をよそに、彼女が金城プロダクションと呼んだそのビルを、コテツはもう一度見上げた。
「……芸能事務所、ね」
確かめるようにそう呟いたコテツ。
ビルを見上げるそのサングラスの下からは――鋭い眼光を覗かせていた。
**
「…………むむ……」
――新学期初日の音ノ木坂学院。
理事長や生徒会長である絵里の挨拶を含んだ全校集会が終わり、初日ということで簡単なHRだけで放課後を迎えることになった音ノ木坂学院とその生徒たち。
家に帰る者や遊びに出掛ける者、部活動に精を出す者など、各々が思い思いの時を過ごす中、校舎の一角にある階段の踊り場に希の姿はあった。
ちょうど周囲からは死角となる位置にいた彼女は、唸るような声を漏らしながら険しい表情を浮かべている。その視線の先には、掌の上に乗る魔界文字が記された風船があった。
希が力を籠めるたびに――自らの中に流れる“力”を流し込むイメージを浮かべるたびに、風船は淡い光を放ち、膨らんでいく。
やがて希の額に汗が浮かび上がり、それと並行して風船はどんどん大きく膨らんでいく。
そして、膨らみきった次の瞬間――
「――――わっ!?」
―――パァン!!
空気の弾ける音と衝撃と共に、風船が破裂したのだ。
その音と衝撃に、思わず悲鳴をあげ、顔を庇う希。
そして一息つき、落ち着くと床に落ちた風船の欠片を拾い上げ、それを見つめては残念そうにため息をついた。
「……やっぱり、そう簡単にはいかないんやね」
この風船は普段の学生生活の合間にも行える鍛錬のためにと、大和から渡されたものだった。
大和曰く、希は非常に高い法力を有してはいるが、その出力を状況に合わせて微調整する術に乏しいというのだ。事実、防壁をはじめとして、希がこれまで行使してきた術はそのほとんどが最大出力で放たれていたのだ。
そこで大和から言い渡されたのが、この風船を使った鍛錬だった。
術者の法力の出力に反応して膨らむ風船を利用し、破裂する寸前まで膨らませ、法力の出力を一定に維持してその状態を保たせることで、法力の出力をコントロールできるようにするという代物だった。
この鍛錬を希は暇を見つけては人目を盗んで続けているのだが、結果は御覧の通り、中々芳しくはなかった。
だがそれでも、希の表情に諦めの色はなかった。
「でもできるようにならへんと。ウチが鍛えさせてくださいって言いだしたんやし」
そう、そもそも大和に鍛えてもらえるように頼んだのは希だったのだ。
法師として生きることを改めて決めた希が自分の実力不足を補うために、同じ法師である大和に鍛えてもらえるようにお願いしたのだ。
その嘆願を大和は快諾。こうして今、風船を使った鍛錬を言い渡されていた。
今一度、再度挑戦しようと、鞄から新しい風船を取り出す希。
その時――
「……ふむ。少しずつ上達しているようだな」
「―――っ!?」
背後から突然かけられた声。
それに驚いて振り向いた希の視線の先には、作業服に身を包んだ初老の男性――音ノ木坂の用務員がじっと見つめていた。
見られてしまったと慌てる希だったが、すぐに違和感に気が付いた。
用務員は希の鍛錬――法術のそれに驚いている様子ではなかったのだ。それどころか感心しているような雰囲気だった。
そんな彼女の訝しげな様子に気が付いた用務員は、懐からある物を取り出した。
無骨な作りの、大きな毛筆。見覚えのあるそれを目の前にした希は、おそるおそると尋ねた。
「ひょっとして……大和さん、なんですか?」
「うむ」
「……その姿は?」
「変化の術だ。お前の様子を一度見ておこうと思ってな」
あっけからんと答えた男――大和。
その全くの別人となった姿に、唖然とせずにはいられなかった。
しかしその一方で、彼の言葉が確かならば大和は希の鍛錬を見に来てくれたことになる。師と呼べる人物が自分のことを気にかけてくれていることを自覚し、身が引き締まる希。
そうして今一度、彼の前で今の自分の実力を見てもらおうとした時――
「――希? こんなところで何してるの?」
階段の下から、彼女を呼びかける絵里の声が響いた。
一瞬見られたかと思いドキリとしたが、絵里からは風船や大和の姿はちょうど死角になって見えなかったらしく、絵里は特に不思議に思う様子は見せなかった。
そんな彼女と向き合った希は、できるだけ何もなかったように普段通りに装ってみせた。
「あ、えりち。実はな、新しい占いの練習やってたんよ」
「そうなの?それじゃあ今度占ってもらおうかしら」
「ええよ、楽しみに待っててな♪」
それを最後に「先生に呼ばれているから」とその場を後にする絵里。
去っていくその姿を見て一安心したように息を吐く希を、大和は静かに見つめていた。
「……今のが、お前の守りたい友か」
「――はい。えりちは……μ’sのみんなはウチの大事なお友達。みんなを守りたいから、離れたくないから、ウチはこの道を選んだんです」
魔戒法師であると同時に一介の女子高生を続ける。
普通ならばありえないその道を選んだのは、友を守りたいという思いと離れ離れになりたくないという思い、二つの相反した思いから来たものだ。
他の騎士や法師が見れば何を甘いことを言うのかと、何と心の弱い者かと思うだろう。だがそう思われ、蔑まれようとも希は決してこの道を違えたりはしないだろう。
なぜならこれこそが、彼女が心からやりたいと思うことなのだから――
「……そうか。ならば何としてでも守りぬいてみせろ」
「……大和さんにも、誰か守りたい人がおったんですか?」
希のその言葉に、大和は自嘲するような……懐かしむような、複雑な感情が籠めらた笑みを小さく浮かべた。
「……ああ、いた」
「この世の何よりも、守りたいと思った者が」
**
「えーっと……こんなものかしら」
――時が経ち、夕方。
夏休み明け初日の練習が終わり、μ’sのメンバーと別れた後、その帰り道にあるスーパーマーケットから出てきたにこの姿があった。その手には沢山の食材が入れられた買い物袋を提げていた。
帰り道に頼まれたおつかい――というわけではない。帰りが遅くなる母親に代わって夕食を作るため、こうして買い出しをしていたのだ。
練習で疲れた身体に家事の労働が追加されるという形ではあるが、にこは特に苦には思っていなかった。むしろこれは彼女にとって特に変わり映えのない日常の一つでしかなかった。
母子家庭であるにこの家では母親の帰りが仕事で遅くなることが時折あり、そんな時にはにこが家事全般を行っていた。
年頃の女子高生の遊ぶ時間が減ることになっているが、にこは母親を恨んだことはない。
母が遅くなるまでに仕事をしているのは、女手一つで自分たちを養うためであることが分かっているからだ。それに帰りが遅くとも、家には自分を慕ってくれる妹や弟たちがいる。
だからにこは、寂しいと思うことはなかった。
それに――
「……今は、みんながいるものね」
買い物を終え、再び帰路につくにこ。
その道中、たまたま通りがかった家電量販店の前でその足取りは止まった。
道に面したショウウィンドウに展示されていた、最新型のテレビ。その中に映されていたアイドルの姿に、にこの視線は向けられていた。
アイドル。
それはにこにとって何物にも代え難い夢そのものであった。
きっかけは些細な憧れだった。小さい頃にテレビに出てきた、可愛らしい笑顔と衣装で歌うアイドル。その姿がキラキラ輝いて見えたにこは瞬く間にアイドルに夢中になり、いつしかこう思うようになった。
――自分も、人々を笑顔にさせるようなアイドルになりたい。
それがにこの夢の始まりだ。
そしてにこは今、夢の一つの形とも言えるスクールアイドルになっていた。頼もしい大事な仲間と共に、少しずつではあるが着実に人気を集めてきている。
だがこれで夢が終わったわけではない。
にこはまだ、現状に満足しているわけではない。
確かにスクールアイドルは立派なアイドルであるし、にこはμ’sを愛している。そもそもアイドルはどんな形であってもアイドルであることには変わりないというのがにこの考えだ。
だがにこの目指すアイドルは沢山の人を笑顔にさせるアイドルだ。彼女がよく口にする“宇宙No.1アイドル”というのはその意識の表れだと言ってもよい。
それ故、にこはスクールアイドルだけで終わるつもりはない。高校を卒業した後はプロのアイドル入りを目指すことも考えていた。
勿論、それが容易ではないことはにこもよく知っていた。μ’sが築かれる前のスクールアイドル活動で挫折した経験をもって。
プロのアイドルではそれはより困難な道になるだろう。だがそうだとしても、にこは信じていた。
その先に自分が夢見た景色があると――
「――アイドルねぇ。憧れだとか何とか言うけど、そんなに良いモンかね?」
――そんな思いを秘めながらテレビの中のアイドルを見つめていた、その時だ。
にこの隣から嘲笑うような声が聞こえたのだ。
その言葉にピクリときたにこが視線を向けた先には、同じようにテレビを見つめる一人の少年がいた。
彼女と同じような背格好に、黒いロングコートとサングラスを身に着けた、非常に目立つ姿の少年だった。
「アイドルになれたとしてもプライベートは無いようなモンだし、場合によっちゃ変な仕事をやらされたりイカレたストーカーにつけ回されるんだろ? 俺だったらそんなのは絶対ヤダね」
「……ちょっと、何よアンタ」
少年の言葉に憤りを感じるにこ。
アイドルが何よりも好きな彼女にとって、アイドルを侮辱するような少年の言葉は到底見過ごせるようなものではなかった。
そもそもこんな往来で、初対面の相手の隣で――しかもはっきり聞こえるようにそんなことを口にする少年の正気を疑った。
「ん? 俺はただ自分が思ったことを口にしただけだぜ?」
にこの非難の視線を受けても少年は動揺するそぶりも見せず、にやりと相手の神経を逆撫でするような笑みを浮かべていた。
その笑みを見たにこの中で、言い表しようのない対抗心が芽生え始めた。
「……そう、じゃあ私も思ったことを言わせてもらうわ。 確かにアイドルは笑顔を振りまけばいいだけの楽な仕事じゃないし、報われないことだってあるわ。けどね、それでもアイドルには人を笑顔にさせる力ってものがあるのよ。 アンタがどこの誰で何を考えているのか知らないけど、一方的な視点でアイドルを語ってんじゃないわよ!!」
初対面の――通りすがりの相手であるにも拘わらず、思いの丈を叫んだにこ。
それだけ彼女のアイドルにかける情熱が大きいことへの表れでもあった。
だがその言葉を受けた少年は、尚も変わらずに馬鹿にするような笑みを浮かべていた。
「ふーん、お熱いこって。ま、精々頑張ってくれよ」
「ちょっと!待ちなさいよ!」
にこの制止も気に留めず、その場から立ち去る少年。
最後までこちらを馬鹿にしているような笑みを崩さずにいたその姿に、にこは怒りを隠し切れなかった。
それと同時に心の隅で――本人も気づかぬまま、こうも思った。
――何故、通りすがりの相手にこんなにムキになるのだろう、と。
「まったく、何だったのよアイツ!」
再び帰路につきはじめたにこ。
だがその感情はトップアイドルを目指す決意に水を差され、不機嫌極まりなかった。
自らが愛するアイドルにあのような物言いをされたのだ、にこが怒るのも無理はない。
――そりゃあ、ああいう考えがあるくらい、知ってたけどね。
あのようなことを言われたことで、アイドルを目指す思いに陰りが生まれる――ということはなかった。
むしろその逆で、熱が灯った。人々を笑顔にできるようなアイドルとなり、あの少年の鼻を明かしてやりたいという反骨心へとなったのだ。
そのためにまずはラブライブに出場し、有名にならなければと決意を新たにしたとき――
「――あの、少しよろしいですか?」
後ろから声をかけられた。
何かと思い振り向いた先には、一人の男性がいた。
スーツ姿のその男性に先の少年のことを思い出したのか、本人も気づかないうちににこの表情は若干険しいものへと変化した。
新手のナンパかセールスか何かと思ったこともあったのだろう、よくもこんな高校生に声をかけられるものだと呆れてもいた。
「……なにか用ですか?」
「あぁすいません。私、こういう者ですが……」
そう言って男が懐から取り出したのは、一枚の名刺だった。
その名刺に視線を移し、印刷された文字を追うにこ。その表情はみるみるうちに驚きの表情へと変わっていった。
そこに印されていたのは“金城”――
「……金城プロダクションの……プロデューサー!?」
驚愕に満ちた表情のまま、男と、男の持つ名刺の間で視線を行き来させるにこ。
そんな彼女の姿に男は笑顔を浮かべ、口を開いた。
「アイドルに――興味はございませんか?」
男――アキヤマの表情には、どこまでも深い笑みが刻まれていた。
*
『まったく、いきなり何を始めたのかとヒヤヒヤしましたよ』
「まあ悪かったよ、そうカッカするなって」
一方、にこの前から立ち去った少年――コテツはギルヴァに諫められていた。
そうは言うが余り反省しているようには見えないコテツに、ギルヴァは呆れの色を隠しきれなかった。
コテツが突然あの少女――にこに話しかけたことだけでも驚いたのに、彼女の神経を逆撫でするようなことを言い出したのだ。会話のペースを握っていたとはいえ、いつ下手なことを言い出さないか気が気でなかった。
だがギルヴァはどうしても、あまり責め立てる気にはなれなかった。
それはにこと話した後のコテツの様子が――
『……嬉しそうですね』
「そうか?気のせいだろ」
嬉しそうに――いや、安心しているように見えたからだ。
「……っ」
『どうかしましたか?』
だがそれも束の間で、突然表情を険しくさせ、にこと会話した先へと視線を向けた。
コテツには何か感じるものがあったのか、その表情には警戒の色と――怒りの色が籠められていた。
**
「「「――アイドルにスカウトされたぁ!?」」」
アイドル研究部・部室。
普段からμ’sメンバーの賑やかな雰囲気に包まれたそこに、にこ以外のメンバーの驚愕に満ちた声が響き渡った。
余りの声量に窓ガラスがびりびりと震える中でその声を一身に浴びたにこは、何事もないかのように鼻高々とふんぞり返っていた。
「ま、いつかこういう日が来るとはわかっていたけどねー? やっぱりにこの持つアイドルオーラが放っておかれるわけないっていうかー?」
「……合宿の時みたいに、見栄張ってるだけってオチじゃないでしょうね」
「んなわけないでしょっ!ほら、これが動かぬ証拠よ!」
疑わしい視線な向ける真姫に対してカッとなったにこが突き出したのは、一枚の名刺。
そこに記された“金城プロダクション”の文字を目の当たりにした花陽は、その驚愕に満ちた表情を更に深いものにした。
「かっ、かかかかかかかか金城プロダクション!? まさかあの金城プロですかぁ!?」
「そうよ花陽!あの金城プロに、このにこにーが認められたってことよ!」
興奮した花陽に応えるように自らを称えるにこ。
盛り上がっていく二人のやりとりを目にしたメンバーたちは、にこの言うことが真実であることを察したのだった。
それは普通に考えればとてもおめでだいことだろう。
常日頃からアイドルへかける情熱が人一倍強いにこが、プロのアイドルとして活躍できるきっかけを掴んだのだ。
しかしこの場合、彼女たちにとっては一つの懸念が生まれる事柄でもあった。
それは――
「……にこは、どうするのですか?」
「うん?」
「にこはこのスカウトに応え、プロのアイドルになるのですか?
――μ’sを抜けて」
誰もが聞きあぐねていたそのことを、はっきりと問いかけたのは海未だった。
そう、プロのアイドルとスクールアイドルは同じアイドルであってもその領分は全く異なるものであり、掛け持ちすることなどできない。
プロ野球と草野球がいい例だ。プロとアマチュアの世界とは完全に分けられているものなのだから。
そのことに気付いた花陽は表情を曇らせた。
わかっているのだ。普段からトップアイドルとして輝くことを夢見ていたにこにとって、このスカウトがどれほど大きなチャンスなのかということを。だからにこ自身の夢を考えれば、スカウトに応えるのが一番良いことの筈なのだ。
だがその一方で、こうも思ってしまう。
――μ’sが9人でなくなってしまう。にこに抜けてほしくない。
にこと離れ離れになりたくない。
そんな我儘にも似た思いが、にこ以外のメンバーに渦巻いていた。
「……私は、にこちゃんのやりたいようにやるべきだと思う」
沈黙を破ったのは穂乃果だった。
その言葉に反応したメンバー全員の視線を一身に浴びる中で、穂乃果は続けて口を開いていく。
「にこちゃんがμ’sでなくなっちゃうのかもしれないのは寂しいけど……でもアイドルになる、アイドルとしてみんなを笑顔にしたいってのは、にこちゃんがずっと夢見てきたことだよね」
「だったらその夢を私たちの我儘で邪魔しちゃいけないと思うんだ。勿論、μ’sに残ってくれるって言うならすっごく嬉しいけど……」
「……にこちゃんは、どうしたいの?」
改めて静かに問いかける穂乃果。
その表情にはにこの望みを聞いてあげたいという思いと、μ’sから離れてほしくないという、相反する感情が渦巻いていた。
彼女も他のメンバーたちと同様、本心ではにこに抜けてほしくないのだ。その思いを心の中で留まらせようと必死になっていた。
そしてにこは、その一連の話に口を挟まず、静かに聞いていた。
腕を組み、目を閉じていた彼女の表情からは考えが読み取れない。
喜んでいるのか、怒っているのか、はたまた失望しているのか、何もかもわからなかった。
どれくらいそうしていただろうか。数分であるはずなのに何時間も経ったような錯覚を抱いたころ、にこは静かに口を開いた。
「……そうね、昨日スカウトされてから私もずっと考えてた」
「……それで、答えは決まったの?」
絵里の問いかけに「ええ」と返したにこは、その眼を開いた。
そして自分を見つめるメンバー全員を一通り見渡し、再び口を開いた。
「私の答えは――……」
*
『……そうか、そんなことがあったのか』
――にこの話を聞いてから数分後の、音ノ木坂の廊下。
そこには周囲に聞かれないように彩牙に電話をしている希の姿があった。
周囲に聞かれないようにしているのは彼氏ができた等と思われないように――などでは決してない。
その証拠に、希の表情は普段以上に引き締まったものになっていた。
「うん、にこっちが言っていた金城プロダクションなんやけど、それってやっぱり……」
『間違いない。俺様達が怪しいと踏んでいた場所だ。――ホラーが潜んでいる、な』
希の問いに答えたのはザルバだった。
そう、希は金城プロダクションのことを知っていた。にこや花陽のように大手の芸能事務所としてではなく、ホラーが潜んでいるかもしれない場所として。
そもそものきっかけは番犬所からホラー討滅の指令が出されたことだった。無名のアイドルが何人か行方不明になっている――おそらくホラーに喰われたらしく、その調査を行っていたのだ。
そうして怪しいと踏んだのが、金城プロダクションだった。
行方不明になった無名のアイドルが金城プロダクション所属であり、なおかつその事務所ビルからザルバが僅かな邪気を感じ取ったのだ。
それ故、今夜にでもホラー捜索、もしくは討滅に乗りこむつもりであったのだが――
『それで、矢澤さんはその金城プロってとこに行ったのか』
「話をつけについさっきな。守りの加護をこっそりかけておいたんやけど」
『わかった、俺もすぐに向かう。もし本当にホラーがいた時は――』
「うん、気を付けてな。ウチも今からにこっちを追いかけるよ」
その言葉を最後に彩牙との電話を切り、先に金城プロダクションへと向かったにこの後を追いかけ始める希。
その表情には、友人に襲い掛かるかもしれない魔獣の脅威に対する焦燥が現れていた。
――にこっち、無事でいて――!
**
――同じころ、金城プロダクション。
「みんな、集まったかな?それじゃあ今週の成果を発表するよ」
アイドル部署の一つ――アキヤマのオフィスにて、そう告げた彼の前には数人の少女たちが並んでいた。
彼女らはアキヤマがプロデュースを担当するアイドルであったが、皆普通ではなく、その表情は恐怖に青ざめ、脂汗がいくつも伝っていた。
そんな彼女たちの様子を満足そうに見渡したアキヤマは、手元にあるファイルの中身に視線を移した。
「それじゃあ成績のいい子から……スズちゃんとユカリちゃんは昨日のイベントがいい感じだったよ、アヤちゃんはちょっと噛んじゃったのがいただけなかったね」
アキヤマが“成績”の内容を口にしていくたびに、少女たちの様子は安堵したものや冷や汗をかくようなものなど、多彩に変わっていく。
だが共通していたのは、“最後の一人になるまで”名前を呼ばれた少女は皆、ホッとしていたことだった。
まるで、命拾いしたかのように――
「……さて、残念ながら“移籍”が決まったのは――ユミちゃんです」
アキヤマが最後の一人の名を口にした瞬間、ユミと呼ばれた少女は顔面蒼白となり、絶望に染まった表情になった。
そして瞳から涙が溢れ、歯をガチガチと震えさせながら、縋るようにアキヤマの下へと駆け寄った。
「お、お願いします! それだけは、それだけは勘弁してください!」
「んー……そう言われてもねぇ。ユミちゃんは他の子たちと比べても大した結果を出せなかったし、この続けてもしょうがないでしょ?だから――
――僕の胃の中への“移籍”、受け入れてくれるよね?」
「――いっ、イヤァァァァァァ!!」
アキヤマの言葉に恐怖が限界になり、恐怖に歪んだ顔を涙や鼻水で濡らし、その場から逃げようと駆け出すユミ。
しかしアキヤマが彼女に向けて腕を突き出すと――
「――あ゛っ!」
ピタリと、まるで何かに縛られているかのように、その場で動きを止めた。
そのままアキヤマは、彼女の下にゆっくりと歩み寄った。
「逃げちゃダメだよ。ユミちゃんは今夜の移籍の時間までここにいてもらわなきゃ」
「た……たす け………!」
「あ、前も言ったけど、みんなも誰かに言いふらすとかしちゃ駄目だよ?もし余計なことを言ったりしたらアイちゃんみたいに首と身体がお別れしちゃうことになっちゃうからね?」
アキヤマの言葉に少女たちはアイと呼ばれた少女の無残な姿を思い出したのか、再び顔面蒼白となり、恐怖で震えだした。
そんな彼女らの首には、まるで首輪のように透明な糸が巻かれていた。
「……さて、近いうちに新しい子が僕の人形に加わることだし、楽しみだなぁ」
そう言いながら舌なめずりをし、懐から一枚の写真を取り出したアキヤマ。
そこには音ノ木坂の制服に身を包んだ少女――矢澤にこが写し出されていた。
**
「……よし、行くわよ」
――金城プロダクション・本社ビル前。
そこにはやや緊張したような表情のにこが、そのビルを見上げていた。
スカウトに対する“答え”を告げるためにやってきたのだが、自分が憧れを抱いていたその場所を前に、緊張に包まれていたのだ。
やがて頬を軽く叩き、気を入れ直すとビルに向かって一歩踏み出し――
「――よお、そんなとこに行くのはやめた方がいいと思うぜ?」
――聞き覚えのある声に呼び止められた。
その声に「はぁ」とため息を吐き、後ろを振り返ると、そこには昨日にこが会った少年――コテツが立っていた。
その姿を前にしたにこは、うんざりしたような表情を浮かべた。
「……なによ、またアンタ?」
警戒心と不満感を露にするにこ。
だがそれも無理はないだろう。コテツはにこが愛するアイドルを愚弄するような言葉を吐いたのだ。そんな相手と仲良くしろと言うのが無理な話だ。
そんなにこの態度を気にもかけないコテツは、昨日と同じように人を喰ったような笑みを浮かべていた。
だがそれも束の間で、表情を引き締めたものへと変えた。
「なんだってそこまでアイドルにこだわる?何故そこまでアイドルになろうとする? そこまでアイドルであろうとすることに、一体何の意味があるってんだ?」
「アンタ……」
真剣に問い詰めるコテツの姿に、驚いたような表情を浮かべるにこ。
そんなにこに構わず、コテツは続けて口を開いた。
「だいたいアンタはスクールアイドルなんだろ?それだってのにそっちに行くのか。プロのアイドルになることができれば所詮アマチュアのスクールアイドルなんか踏み台でしかないって、そう言いたいのか?」
コテツの、ともすれば責めているようにも見える問いかけに、にこは彼への認識を改めた。
軽口ばかりで人を見下すようなことばかりを言う軽い人間かと思っていたが、どうやらそうではないようだった。
何故そこまで必死になるのかわからないが――とにかくも相手が真剣に問い詰めているのだから、こちらも真剣に答えねばと、そう思った。
「……好きだからよ、アイドルが」
その言葉にコテツはピクリと反応したが、にこは構わずに口を開いていく。
「私はアイドルが大好きなの、明日もまた頑張ろうって気持ちにさせてくれるアイドルがね。人を笑顔にできるような、そんなアイドルに私もなりたいからよ」
“好きだから”――それがにこがアイドルにこだわる理由だった。
単純で、何の捻りもない理由。だがそれ故に強靭でもある。
だからにこはアイドルであろうとすることに折れることはない。彼女がアイドルを好きでいる限り。
「……そうか。だからアンタはどうしてもアイドルになりたいって言うのか」
「ええそうよ。それと一つ言わせてもらうわ。一体どこでそんなことを聞いたのか知らないけど――……」
「私がいつ、スクールアイドルを辞めるなんて言ったのかしら?」
その言葉に、コテツは思わず口を半開きにして、呆気にとられた表情を見せた。
そしてその言葉の意味をよく噛みしめると、その表情を破顔させ、口から笑い声が漏れ始め――
「――は、はは……はははははははは! そうかそうか!なるほど、そういうことだったのか!」
その言葉で、理解した。
にこが今日ここを訪れた、その理由を。
「もういい?人を待たせてるから早く行きたいんだけど」
「――ああ。そうそう、そうだったな」
「――それを聞いたら、尚更行かせるわけにはいかないな」
その言葉と共に、コテツはあっという間ににこの目前まで詰め寄った。
えっ、と息を漏らす暇もなく、彼女の額に魔戒符が突きつけられ、その意識は闇の中へと落ちていった。
「よっ、と……」
崩れ落ちるにこの身体を抱きかかえるコテツ。
腕の中で穏やかな寝息を立てるにこを一瞥した後、彼はもう一度金城プロダクションのビルを見上げた。
魔獣の住処となった、そのビルを。
――数分後
「――希! あれを!」
「にこっち!」
金城プロダクション前に辿りついた彩牙と希が目にしたのは、街路樹の花壇に寄りかかるように倒れているにこの姿だった。
急いで彼女の下に駆け寄り、その身を確かめるが特に目立った外傷はなく、穏やかな寝息をたてていた。
『どうやら寝ているだけのようだな』
「よかったぁ……」
ホラーに何かされたのかと思った希は、彼女の身に特に異常がなかったことに安堵した。
自分たちが来るまで騒ぎなどにならなかったのは、ちょうど都合よく人通りがなかったためだろう。路上で少女が倒れているという騒ぎにならないよう、にこの身体に認識阻害の術をかけ、冷えないようにと自らのブレザーを羽織らせた。
そうして改めて、彩牙と共に金城プロダクションのビルを見上げる。
「どうだ、ザルバ」
『……ああ、間違いない。ホラーの邪気をはっきりと感じるぜ。魔戒騎士の気配も一緒にな』
「大和さんか、コテツくんのこと?」
希がそう問いかけた瞬間、動きがあった。
ビルの上階の方から、激しい空気の震えが伝わってきたのだ。膨れ上がった邪気と共に。
それが意味することは――
『どうやら、一戦おっぱじめたようだぜ』
「――行こう!」
「うん! ――にこっち、ちょっと待っててな」
そうして彼らもまた、金城プロダクションへと乗り込んでいった。
**
――時は少し遡り、金城プロダクション・アキヤマのオフィス。
「もうそろそろかな……」
そこではアキヤマが自分のデスクに腰を掛け、昨日スカウトした少女――にこを待ち続けていた。貰った電話によれば、そろそろ訪れるはずだった。
待ちながらちらり、と彼はオフィスの隅に視線を移した。そこには“移籍”を告げられた少女――ユミが何かに縛られているかのように立ち尽くしていた。
涙で濡らし、恐怖で青ざめたその表情を見て、アキヤマは舌なめずりをした。
にこがオフィスを訪れてからどうするか、彼は既に決めていた。
まずは彼女の前で、ユミの“移籍”を行う。そうして恐怖に支配され、逃げ出すであろうにこをすかさず“糸”を植え付ける。
そうすれば、彼女はめでたくアキヤマの人形への仲間入りを果たすことになる。その時を想像し、期待で胸を弾ませる。
そして――遂にその時が来た。
――コン、コン
オフィスのドアをノックする音。にこが来たのだと、アキヤマは確信した。
ドアの向こうからは“彼女の匂いも感じられた”ため、嬉々としてドアに歩み寄り、その扉を開いた。
「待っていたよ矢澤さん!さ、まずは中に入って――」
――ボッ
アキヤマの言葉を遮るように、彼の目の前に突き出されたのは、目のような彫が刻まれた金属製のライター。そのライターから、鮮やかな真紅の炎が灯しだされた。
その炎に照らされたアキヤマの瞳は赤みを帯びた白に濁り、魔界文字が浮かび上がる。
目の前の炎、そして自らの異変に“何が起きたのか”気づいたのと同時に、ドアの隙間から繰り出された足がアキヤマの胴体に叩き込まれ、その身は大きく蹴り飛ばされた。
「がっ……!? ま、まさか……!」
蹴り飛ばされ、デスクに叩きつけられたアキヤマ。
よろりと立ち上がる中、半開きだったドアが全開になり、下手人の姿が露になる。
真紅の炎が灯されたライターを手に、黒いコートに身を包み、サングラスで目元を隠した少年だ。
そこにいたのは―――
「どーも。スカウトに来たぜ、ホラーさんよ」
魔導ライターを携えた、コテツの姿があった。
「魔戒……騎士っ……!」
「そう、お前らホラーの天敵サマだ」
そう言いながらちらり、とコテツはこの場にいた一般人――ユミへと視線を移した。
驚愕の表情でこちらを見つめている彼女は何かに縛られて拘束されており、今の今まで死への恐怖で絶望していたのか、息は荒れ、脂汗がいくつも浮かんでおり、顔色は血の気が感じられない程青くなっていた。
「……随分とまあ、下衆な趣味だな」
「く、くそっ!」
コテツの視線がユミへと移った瞬間、起き上がったアキヤマは彼女に向けて腕を伸ばし、その指を手繰り寄せるような動きをした。
するとオフィスの隅にいたユミの身体は、手繰り寄せられるかのようにアキヤマの下へ引き寄せられていく。
アキヤマへと引き寄せられていくユミの姿を、コテツはただ見ていることしかできず――
「させるかっての!」
――ということはなかった。
彼の手から放たれた魔戒剣が弧を描いて飛んでいき、アキヤマとユミの間で“何も切らずに”軌道を残して彼の手元へ戻っていった。
自分とユミの間を飛翔した魔戒剣を目にし、しまったという表情を見せるアキヤマ。
それと同時にアキヤマの下へ引き寄せられていたユミの身体は途中でピタリと止まり、まるで糸が切れたかのようにその場に倒れた。
起き上がり、戸惑いの表情を浮かべるユミは自分の身体が“自由に動ける”ことに気付いた。
「さっさと逃げな」
「は、はい!」
コテツに促され、涙混じりの表情でオフィスから逃げ出すユミ。
そんな彼女を背にしたコテツは己の目の前で屈辱に満ちた表情で見つめるアキヤマに、軽蔑の意を籠めた視線を投げかけた。
「人質を取ろうなんてな、クズもここに極まれりってか」
「くそ、魔戒騎士が……! 何故僕の邪魔をする!そんなに使命とやらが大事か!」
「ああ大事さ。だがな、それ以上にお前がムカつくんだよ」
「なに!?」と言いたげな疑問に満ちた表情を浮かべるアキヤマ。
そんな彼の疑問に答えるように、コテツは口を開いていく。
「あるところに一人の女の子がいた。その子はみんなを笑顔にできるようなアイドルになるのが夢だった」
「だがその子の夢につけこみ、餌にして女の子を喰おうとする悪魔が現れた。 ……わかるか、えぇ?お前のことだよ」
「そんな女の子を――“アイツ”の夢を利用して、喰おうとするお前が……俺は何よりも腹立たしいんだよ」
そう言って、魔戒剣を突きつけるコテツ。
それを前にしたアキヤマは、心底納得できないと言うような表情を浮かべ、そして――
「夢……? そんなもの、人形に必要あるものか!アイドルなんてものは皆、僕の欲を満たす人形になってさえいればいいんだ!」
怒りの形相を浮かべて叫び、両の掌から夥しい量の糸を噴き出した。
糸はアキヤマの身体を幾重にも包み、繭のように形作っていく。アキヤマだった繭は鼓動を一拍打つと、内側から破くように弾け飛んだ。
『貴様も、あの子も、全ての人間は、僕の思い通りに動く人形であればいいんだ!』
繭が弾け飛んだ場所、そこにいたのはもはやアキヤマではなかった。
関節が露になった木彫りの人形のような姿をし、まるで吊らされたマリオネットのように不自然に浮いている魔獣がいた。
これが、アキヤマに憑依したホラーの真の姿。その名は――
『ホラー・マリグルス。何もかもが思い通りにならないと気が済まない癇癪持ちのホラーです』
真の姿を露にしたマリグルスを前に、魔戒剣を構えるコテツ。
それと同時にマリグルスは腕を突き出し、その指先をカチャカチャと音を立てて蠢かせた。
するとマリグルスの後ろにあった無残に壊れたデスクがピクリと動いた直後、ひとりでに浮かび上がって猛烈な速さでコテツに向かって飛び込んできた。
「おっと!」
飛びかかってくるデスクを咄嗟に避けるコテツ。
すると狙う相手を失ったデスクはその勢いのまま彼の後ろにあった壁に激突し、原形を留めない程に破壊された残骸が残った。
だがこれにより、マリグルスの能力ははっきりとわかった。
『奴は指先から糸を噴き出し、物や人間を人形のように操ってるようですね』
「自分が人形みたいな見た目してる癖にか」
マリグルスは両手の指先から、透明と見間違うほどに細い糸を噴き出し、それを対象となる物や人間に植え付けることで、人形のように自在に操ることができるのだ。さながら人形遣いのように自由自在に、思うがまま。
そしてそれを証明するかのように椅子、本棚、観賞植物など、オフィスの中にあったありとあらゆる物が浮かび上がり、マリグルスの周りに集まり始めた。
「……マジか。こいつは骨が折れるな」
不敵な笑みは崩さずとも、思わず冷や汗を垂らすコテツの前で、マリグルスに操られたオフィス用品が一斉に襲い掛かった。
ある物はまっすぐに射出するように、またある物は鎖付き鉄球のように叩きつけるようにして、コテツへと襲い掛かる。
コテツは襲い掛かるそれらのオフィス用品を避け、時には魔戒剣で弾きながら隙間を縫うようにしてマリグルスへの距離を詰めていく。
そしてマリグルスの目前まで迫り、魔戒剣を振り下ろそうとした瞬間――
「――ぐっ!?」
そこで、コテツの身体はピタリと止まり、身動きができなくなった。
彼の身体もまた、マリグルスの糸によって支配下に置かれたのだ。
何一つ身動きができず、宙に浮いたままの彼を前にして、マリグルスから歓喜に満ちた笑い声が発せられた。
『ふ、ふふ……ははははははは! やったぞ!これで魔戒騎士も僕の人形になったんだ!』
宿敵たる魔戒騎士さえも思い通りに操る人形にしたことで、狂喜に震えるマリグルス。
糸の支配下から逃れようと必死にもがくコテツの姿を前に、マリグルスは更なる喜びに打ち震える。あれほど自信に溢れていた振る舞いをしていたくせに、偉そうなことを言っていたくせに、呆気ないものだと。
そんな彼の屈辱に満ちた表情を嘲笑いながら喰らってやろうと、手始めにサングラスを外すべくコテツの身体を手元に手繰り寄せた。
その時――
「――ギルヴァ!!」
『カアッ!!』
コテツの声に応えるように首元に下げられたギルヴァの口が開かれ、そこから真紅の魔導火が吐き出された。
まるでバーナーのごとき勢いで放たれた魔導火はコテツの身体を操っていた糸を焼き尽くし、その糸を伝ってマリグルスの身体も焼き尽くしていく。
真紅の炎に包まれたマリグルスは苦悶の声を吐き出しながら地へ崩れ落ち、その隙に自由の身となったコテツはマリグルスから距離を取った。
『グ、アァァ……! 熱い、熱いイイィィィ!!』
「やっぱ人形なだけあってよく燃えるな」
『キィサァマアァァァァ!!』
先程までとはうって変わり、怒りに震えるマリグルスは燃え盛る身体のまま、コテツへと襲い掛かる。
さながら炎の人形のようにも見えるその姿を前に、コテツは臆することなく魔戒剣を構え、己の身体を包むように円を描き、灰色の鎧を――カゲロウの鎧を召喚する。
そして、こちらに向かってくるマリグルス目掛け、灰塵剣を投擲した。
弧を描きながら飛翔してくる灰塵剣を前に、マリグルスは怒りに囚われた頭の中で思考を巡らせ、指先から糸を噴き出した。
向かってくる灰塵剣を操り、逆にカゲロウに反撃しようと目論んだのだ。
しかし、カゲロウに対する怒りに支配された頭では、その行為の結果に至ることができなかった。平常時なら必ず至ることができたその答えに。
『な――にぃ!?』
マリグルスが噴き出した糸はその目的を果たせぬまま、その全てが焼け落ちていった。
怒りに支配されたことで考えが至らなかったが、今のマリグルスは魔導火に焼かれ続けているのだ。そんな状態で糸を噴き出しても悉く焼き尽くされていくのは当然の結果だった。
そして邪魔するものがない灰塵剣はそのまま飛翔していき――マリグルスの身体を両断した。
身体が上半身と下半身に分かれたマリグルス。
下半身はそのまま崩れ落ち、みるみるうちに魔導火に焼かれていき、残った上半身はカゲロウに襲い掛かろうとした勢いのまま、宙を舞った。
そして宙を舞うマリグルスの瞳に映ったのは、手元に戻った灰塵剣を双剣態へと変え、今にも振るおうとしているカゲロウの姿だった。
そして――
『――オリャアッ!!』
振るわれた灰塵剣はクロスの軌道を描き、マリグルスの上半身を斬り裂いた。
そしてマリグルスはそのまま魔導火で焼き尽くされていき、もはや声にすらならない断末魔を残して消滅していった。
マリグルスが消滅したと同時に消えていく魔導火。それを見届けた後、コテツはカゲロウの鎧を解除した。
それと同時に、オフィスの外から人の気配が近づいてきた。
覚えのある“二人分の”気配に、コテツはその正体が誰なのか見当がついた。
そこに現れたのは――
「――あれ、コテツくん!?」
「これは……!」
彩牙と希の二人だった。
戦いの舞台になったことで見る影もないほどに荒れ果てたオフィスを目にして驚愕に包まれた二人を前に、コテツはさも何事もなかったかのように不敵な笑みを浮かべた。
『……邪気が消えた。そうか、もう終わったということか』
「そういうこと、一足遅かったなお二人さん。じゃ、後始末よろしく」
「なっ、おい!」
ザルバの呟きに応えるようにそう言い残し、彩牙の制止も聞かぬまま、コテツはオフィスの窓を開けて外に飛び降りていった。
地上から数階分の高さはあったが、魔戒騎士の体力なら特に問題はないだろう。
それよりも、残された彩牙たちには一つ問題があった。
「……ねえ、なんだか騒がしくなってきてへん?」
『相当暴れたようだからな、騒ぎにならない方が可笑しな話だ』
ビル内にいた人々の慌てふためく声と、大きくなる足音。人が沢山残っているビル内で戦ったのだ、当然の結果だった。
巻き込まれた人々の記憶の消去に、証拠の隠滅、やらなければいけない後始末が山ほど残っている。
コテツの遺した置き土産に、彩牙はホラーと戦ってすらいないのに頭を抱えずにはいられなかった。
**
――翌日、音ノ木坂への通学路。
そこには通学途中の希と絵里の姿があった。
「ふあぁ……」
「希、大丈夫? 凄く疲れてるようだけど……」
「んー……うん、大丈夫。無理せえへんようにするよ」
非常に疲れた様子の希を、心配そうに見つめる絵里。
それもそのはず、昨日はコテツとホラーの戦いの証拠隠滅で大忙しだったのだ。
まずホラーに囚われていた少女たちや騒ぎに気付いた人々の記憶を取り除くことから始まり、監視カメラに収められた映像のすり替え、ホラーとの戦いの跡を火事の跡に誤魔化すなど、短時間でやらなければいけないことが山ほどあった。
大和が駆けつけて手を貸してくれたものの人が多く残ったビル内であったということもあり、作業量はこれまでにない程になりあちこちを駆け回ったのもあって彩牙共々、下手するとホラーと戦った時よりも疲れ切ったような気がしたのだ。
そんなこともあり、希には後始末の疲労が色濃く残っていた。今日ばかりはホラーもゲートも現れないでほしいと切に願っていた。
そうして校門前まで辿りつくと、見覚えのある後ろ姿が見えた。
小柄な体に黒いツインテール。その姿を見た希は先程までの疲れ切った様子はどこへやら、悪戯な表情を浮かべて両手をわきわきとさせた。
そして、素早く忍び寄ると――
「にこっち、おっはよー!」
「ぅわあっ!? 朝っぱらから何すんのよアンタは!」
人影――にこの胸をわしわしと掴んだ。
出会い頭にわしわしされたにこは顔を赤らめ、希の手を振りほどく。すると希はにこの胸を掴んでいた掌を不思議そうに見つめ、口を開いた。
「にこっち……ちょっと縮んだんとちゃう?」
「んなわけないでしょっ! ……ったく、こっちは首が少し痛いってのに」
そう言いながら腫れ物を扱うかのように自分の首をさするにこ。
それを見て、絵里は心配そうな表情を浮かべた。
「ちょっと、寝違えたの?」
「んー……なんかね、昨日金城プロに行った辺りからの記憶がおぼろげなのよ。気が付いたら家の前にいてね、それから妙に痛むのよ」
にこは昨日のこと――コテツと話した辺りのことを覚えていなかった。
彼と会話したことも、彼によって眠らされたことも。眠らされた時の姿勢により、首少し痛くなったという形だけを残していた。
そして、金城プロという言葉に反応した希は、にこに問いかけた。
「そういえばにこっち、金城プロの人とは……?」
「それがね、あれからもう何度か電話してみたんだけど繋がらないのよ。事務所の方にも電話してみたけどそんな人いないってさ」
「それじゃあ、スカウトの件は――」
「そ、完全にお流れになったってわけ。ま、元々“断るつもり”だったからいいんだけどね」
にこの言葉に反応した絵里の表情に陰が差す。
そう、昨日にこが金城プロダクションを訪れたのはスカウトの件を断るためだったのだ。
あれほど憧れるプロのアイドルになれる機会を自ら手放す、その理由は――
「……ねえ、本当に良かったの? プロのアイドルになれるチャンスだったんでしょ?」
「昨日も言ったでしょ。プロへの道があるからって、ラブライブに出てもないのにスクールアイドルをやめるような真似、このにこがするわけないでしょ?」
「でも、アイドル好きなんやよね?」
「好きよ? 好きなものだからこそ、途中で中途半端に投げ出すような真似したくないのよ。あんた達もその気持ち、わかるでしょ?」
にこはアイドルが大好きだ。そこにはアイドルに対する強い思いが――こだわりがある。
だからこそ、妥協はしたくない。プロへの道があるからといって、スクールアイドルを中途半端に投げ出すようなことはしたくないのだ。
アイドルが好きだからこそ、どんな形であろうと、どんなに華やかな道が用意されていたとしても、今のアイドル活動を――スクールアイドルを投げ出したりしない。
それがにこの考えだった。
「言っとくけど、別にアンタたちのために断ったわけじゃないからね。まあ、宇宙No.1アイドルであるにこに離れてほしくないって気持ちもわかるけどねー」
「……ふふっ。そうね、頼りにしてるわよ、宇宙No.1アイドルさん」
「にこっちがいないと寂しいもんなぁ」
そうして和気藹々とした雰囲気で、校舎へと歩いていく絵里と希、そしてにこの三人。
にこは今回、プロのアイドルへの道を自ら手放した。
だがいつの日か。スクールアイドルを最後までやりきり、プロのアイドルへの道を本格的に目指そうとするとき、彼女はきっと宇宙No.1に相応しいようなアイドルになれるだろう。
彼女には、それができるほどの器があるのだから――
『……よいのですか?声をかけなくて』
そんな三人の姿を、遠くから見守る影があった。
「いいんだよ。知ってるだろ、なんで俺がカゲロウの鎧を継いだのか」
そう言い残した影――コテツは、三人のうち小柄な人影を今一度見つめると、その場を後にした。
その表情にはこれまで誰も見たことがないほどの、穏やかな意志が宿っていた。
***
ことり「誰もが、彼女のことをこう言いました。“太陽のような人”だと」
ことり「でも太陽は、いつもさんさんと輝くわけじゃありません」
ことり「時には雲に隠れちゃうことだってあるんです……」
ことり「次回、『涙雨』」
ことり「雨が、太陽を覆い尽くす」
魔戒指南
・ ホラー・マリグルス
木彫りのマリオネットのような姿をしたホラー。
自分の思い通りにならないものは何もかも気に入らない癇癪もちであり、他者を自分の思い通りに好き勝手に操ることを何よりもの幸福としている。
指先から非常に細い糸を発射し、それで捉えた対象を意のままに操る。
主人公が主人公していない件について。
ちなみに金城プロダクションの経営者は先代の愛人との子という噂がなきにしもあらず。