牙狼〈GARO〉 -女神ノ調べ-   作:らいどる

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今回は割と短めです




第19話  友達

 

 

 

 

 

 

 

「……んぅ……」

 

――朝。

カーテンの隙間から漏れる陽光を浴び、目を覚ました希。

寝惚け気味な頭を起こし、ぼうっとしながらカーテンを開けると朝の日差しが暗かった部屋を照らしだし、夢現だった意識を一気に覚醒させていく。

そのままリビングへ――行こうとしていた足を止め、今は彩牙を匿っていたことを思い出す。

流石に年頃の娘がこんな寝起きの格好で異性の前に立つなど恥ずかしいというレベルの話ではない。とりあえずは人前でも平気な程度のラフな服装に着替え、髪も軽く結い上げる。

鏡を見て問題ないことを確認すると、改めて寝室を後にしてリビングに足を踏み入れる。

 

そこでふと、希は違和感を抱いた。家の中に人の気配が全くしないのだ。

普段ならばいざ知らず、今は彩牙を泊めているのだ。それで人の気配がしないというのはあまりにも不自然だった。

自分以外の人の気配が――彩牙の姿はどこにも見当たらなかったのだ。

 

「……彩牙くん?」

 

ふと視線を動かせば、そこにはテーブルに置かれた一枚の置手紙。

それには一文だけ記されていた。“見回りに行ってくる”と。

彩牙は、こんな早朝からエレメント浄化の見回りに出かけたのだ。昨夜だって街の見回りに出かけていたのに、仮にも病み上がりがこんな早朝から出かけて体力が持つのかと心配になる。

 

だがその一方で、そうする理由もわかってしまう。

……何かしていないと落ち着かないのだ。じっとしていればしているほどあれこれ考え込んでしまい、思考の渦に呑み込まれてしまう。今の自分や彩牙ならば尚更だ。

だから多少無理をしてでも何かをしていなければ気が狂ってしまいそうになる。

彩牙にとってそれはホラーの討滅――魔戒騎士の務めだ。たとえ己にその資格がないと思っていても彼にできること、考えつくことはそれしかなかったのだ。

 

「………ん?」

 

その時、家の中にベルのような音が響き渡った。

それは何度も聞き覚えのある慣れ親しんだ音――自分のスマートフォンの着信音だ。

何かと思い、スマートフォンを開いてみるとそこには一通のメールが届いていた。

差出人は――

 

 

 

「……えりち……?」

 

 

 

**

 

 

 

――穂むら。高坂家の住まい。

その一角、穂乃果の部屋の前に海未は立っていた。

この扉の向こう側に心が潰され、引き籠ってしまった大切な幼馴染がいる。

しかし、それも今日までだ。

 

「お姉ちゃんのこと、よろしくお願いします」

 

隣に立っていた雪穂がそう呟くと、彼女はとたとたと階段を下りていく。

彼女の――家族の想いを心に刻み、海未は大きく深呼吸をし、気合を入れるように頬を叩いた。

そして決意を新たにし、扉を一気に開いた。

 

「――穂乃果!」

 

――返事は、ない。

部屋の仲は以前来た時と同じ、カーテンが閉め切られて薄暗く、ベッドの上に毛布で覆われた山が――穂乃果が蹲っている姿が確認できた。

元気が取り柄だったころとは正反対な痛々しい姿。だがそれを前にしても海未の心は揺らぐことはなかった。

むしろ予想の範疇なのだから。

 

勇ましい足取りで部屋に乗り込んだ海未は、まず真っ先にカーテンを全開にした。薄暗かった部屋に陽光が差し込み、明るく照らし出す。

そして間髪入れずに、穂乃果を覆っている毛布を剥ぎ取った。

 

「……何の用なの」

 

毛布を剥ぎ取られ、露になった穂乃果は海未を見上げた。

もし普段の彼女であれば、ここで寝惚けながら愚痴の一つや二つでも言うだろう。だが今の彼女の表情は、言葉は、虚無そのものだった。

だがそれでも海未は臆しない。それどころか生気に満ち溢れた笑顔で口を開いた。

 

「出かけますよ、穂乃果!」

 

 

 

**

 

 

 

――どうして自分はこんなところにいるのだろう?

ぼんやりとした頭で穂乃果はそう思った。

押しかけた海未によって部屋から引っ張り出され、雪穂と母も交えて強制的に身嗜みを整えられた彼女が連れてこられた場所。そこは――

 

「くっ……い、意外と難しいのですね」

 

秋葉原にある、ゲームセンターだった。

賑やかに鳴り響く音楽と輝かしい照明が、暫く暗い部屋に籠っていた穂乃果の五感に容赦なく突き刺さる。こんな風だったかな、と過去に訪れた時との感じ方の違いに戸惑っていた。

そして彼女を連れだした海未はというと、クレーンゲームに躍起になっていた。

慣れていないのか、ぬいぐるみを直接クレーンで持ち上げようと悪戦苦闘し、上手くいっていなかった。

 

「……こ、ここまでにしておきましょうか。さて、次は何をしましょう」

 

やがて諦めたのか、負け惜しみに近いような台詞を吐いて海未は穂乃果の手を引いてゲームセンターの中を探索する。

手を引かれながら穂乃果は思う。どうして海未は自分をここに連れてきたのか。

どれだけ考えても、彼女の真意がわからない。

 

「――あ、来た来た!」

 

その時、見知った顔が現れた。

クラスメイトの三人――ヒデコにフミコ、そしてミカの三人だ。一年の頃から仲が良く、スクールアイドルを始めてからはファーストライブの頃からあれこれ手助けしてくれたことを覚えている。

休日に三人で遊びに来てたのだろう。

 

「久しぶりじゃん!いきなり学校に来なくなったから心配してたんだよ!」

 

「そうそう、怪我したとか病気になったとか噂になってたんだよ!」

 

「おまけにμ’sは活動休止になっちゃうし、学校中大騒ぎなんだから!」

 

「あ、うん……ごめんね……?」

 

詰め寄ってきた三人に圧倒され、後ずさる穂乃果。

質問攻めにされてはいるが、不快な感じはしなかった。自分のことを案じてくれているのが感じ取れたからだ。

それと同時に、“自分なんかのこと”を案じさせてしまっていることに罪悪感を感じた。

 

「まあ、思ってたよりは元気そうで安心したよ。……さ、折角だし遊んでこうよ、園田さんも行こう?」

 

「ええ、是非とも」

 

そうしているうちに話はどんどんと進み、気付けば一緒に遊ぶことになっていた。

ヒデコに手を引かれ、戸惑いを抱えながら為すがままの穂乃果。海未はそんな彼女を穏やかな微笑みで見つめ、ついていく。

彼女たちが目を付けたのはのはダンスゲームだった。筐体が二台並んだ、対戦が可能であるゲームセンターお馴染みのものだった。

 

「負けないよ!私これ得意なんだから!」

 

「う、うん」

 

そして気付けば、穂乃果とミカが対戦することになっていた。

流されるまま筐体の前に立たされ、戸惑いの表情を浮かべる穂乃果。海未の方に視線を向けると、彼女は楽しそうな表情で穂乃果を応援していた。

――やはり、海未の真意がわからない。

 

そんなことを考えている間に、曲が流れ始めた。

軽快なメロディに乗って、画面に矢印のリズムアイコンが流れ始める。

慌てて前を向き、構えると――

 

 

 

――1,2,3,4! 1,2,3,4!

 

そこには、在りし日の光景が広がっていた。

どこまでも広がる青空の下、屋上に響き渡る海未の声。

それに合わせてダンスの練習をする穂乃果とことり。やがてそこに花陽と凛と真姫が加わり、にこが自分のキャラを披露して、絵里と希が優しげに見守っている。

九人のスクールアイドル――μ’sの姿がそこにはあった。

そこにいるメンバーたちは、誰もが楽しそうだった。ことりも海未も、花陽も凛も真姫も、絵里も希も。

そして穂乃果も――

 

「穂乃果!始まってるよ!」

 

「え……あ、わわっ……!」

 

慌てるようなヒデコの声に呼び戻され、穂乃果は我に返った。

気付けば隣の筐体に立つミカは既にリズムに合わせてステップしており、穂乃果は完全に出遅れていた。

追従するように慌ててリズムに合わせてステップを踏む穂乃果。ヒデコとフミコの声援が響く中、海未は優しげな視線で穂乃果を見つめていた。

 

 

 

 

 

 

「……海未ちゃん。どうしてこんなことしてるの」

 

ヒデコたちと別れた後、穂乃果と海未はクレープ屋を訪れていた。

かつて彩牙やμ’sのメンバーと訪れたその場所でクレープを食べる中、穂乃果はそう呟いた。

 

「私なんかのためにこんなことする必要なんてないよ……私、みんなを不幸にしちゃうんだよ。なのにどうして……?」

 

それは、海未に連れ出されてから穂乃果がずっと気にしていたことだった。

今日一日連れ回されて、海未が穂乃果を元気づけさせようとしていることくらい、わかっていた。

しかしそんな資格は自分にはないと、穂乃果は考えていた。自分が何かをすれば、それは回り回って他人に不幸をもたらしてしまう。そうでなくても周りが見えず、迷惑をかけてしまう。

だから自分は何もしない方がいいのだ。誰にも関わらない方がいいのだ。その筈なのに海未はこうして関わりを繋げようとしている。

海未にとって迷惑になる筈なのに――それが穂乃果にはわからなかった。

 

そんな穂乃果を横目に、海未は怒ることも悲しい表情を浮かべることもなく、優しげな笑みを浮かべながら口を開いた。

 

「実はもう一つ、連れていきたい場所があるんです」

 

 

 

**

 

 

 

「……海未ちゃん、ここ……」

 

海未に連れられた場所を前に、穂乃果は愕然とした表情で呟いた。

そこは音ノ木坂学院――その講堂だった。穂乃果が潰れる前、ライブをしようとしていた場所。ファーストライブを行った場所。

そして、μ’sが始まった場所。

 

「覚えていますか?μ’sがまだ私たち三人だけだったころの、あのファーストライブを」

 

「……忘れる訳、ないよ。 思えば海未ちゃんはあの時、衣装をものすごく恥ずかしがっていたよね、なのに私無理矢理させちゃって……」

 

思えばあの頃から自分は周りに迷惑をかけていたと、穂乃果は思った。

海未がその最たる例だ。彼女はスクールアイドルをやることを羞恥で拒否していたのに、無理矢理巻き込むような形でやらせてしまった。

自分はいつもそうだ。相手がどう思ってるかなんて考えもせずに、あれこれ巻き込んできていた。

そんな自己嫌悪を起こす穂乃果に対し、海未は彼女に背を向けたまま口を開いた。

 

「……そうそう。何故こんなことをしているのかという、先程の質問ですが――」

 

その言葉に、穂乃果は身構えた。

今まで迷惑をかけた分、彼女には自分を責める権利があると、そう思って――

 

 

 

「――穂乃果と一緒にいたかっただけなのです」

 

「え……?」

 

思いもよらない言葉に唖然とする穂乃果を前に、振り返った海未は穏やかな表情で口を開いた。

 

「穂乃果と一緒にいたい……そして、穂乃果と一緒にスクールアイドルを続けたいのです」

 

迷うそぶりを少しも見せずにはっきりとそう口にする海未の姿に、穂乃果は戸惑った。

何故そう思えるのだろうか。自分と一緒にいて、自分が掛ける迷惑を一番被ってきたのは海未のはずだ。

ホラーに初めて襲われた時も、学園祭の時も、ホラーに操られた時だってそうだ。自分が余計なことをしたせいで、迷惑などとは生温い事態を招いてしまったのだ。

なのに何故、そんなことを言えるのだろうか。

 

「穂乃果も同じでしょう?」

 

「え……?」

 

海未の言葉に、穂乃果は愕然とする。

そんなことはない。自分はそんなことを思ってはいけない。いけないのだ。

 

「ヒデコたちとダンスゲームをしていた時、凄く楽しそうでしたよ」

 

――いけないはず、なのに。

ダンスゲームの対戦をしていた時、穂乃果は楽しいと思うより、戸惑いの感情が強かった。

だがそれは穂乃果の勘違いだった。彼女自身は気づかなかったがあの時、ダンスを踊る穂乃果の表情には僅かながら確かに笑顔が浮かんでいたのだ。

その姿を海未はこの目でしかと見た。そして確信したのだ。

穂乃果の心は完全に潰れてはいなかったことを。だから海未は、自信を持って言うことができる。

 

「不幸になるとか、迷惑になるとか、そんなものどんと来いです。それよりも穂乃果と一緒に真新しくて、輝かしい景色を見たい……それが私の願いなんです!」

 

――だから穂乃果、一緒にスクールアイドルをしましょう。

そう語る海未に、穂乃果は呆気にとられる。そして次第にゆっくりと、その顔がくしゃりと歪み、涙が浮かび上がる。

それは海未の我儘だ。心が押し潰され、弱りきった相手に自らの願望を押し付けるなど、傲慢にも程があるだろう。

だがそれでもいいと海未は思う。我儘だろうと傲慢だろと上等ではないか。それこそが海未の本音、心からの願いなのだ。

本音の一つや二つぶつけられずして、どうして親友だと名乗れようか。

 

そして穂乃果は、それを受けてはいけないと思った。自分がいては、更なる迷惑や不幸をもたらしてしまうと。

だがその一方で、その言葉を嬉しく感じる自分も確かに存在していた。歌うことが、踊ることが、海未やことりと――皆といることが嬉しくて、楽しくて、どうしようもなく求める自分が確かに存在していた。

そして一度芽生えたその想いはふつふつと大きくなり、抑えきれなくなる。しかし残った理性がその願いを封じ込めようとする。

 

「駄目だよ……だって、また迷惑かけちゃうよ?周りが見えなくて振り回しちゃって……不幸にしちゃうんだよ……?」

 

それに海未は、優しく答える。

 

「言ったでしょう、迷惑も振り回されるのも慣れっこだと。それよりも穂乃果が見せてくれる景色を見たいのです。私もことりも、μ’sのみんなもそう思っています。

 

 

 

 

 

 

 ――そうですよね、みんな!」

 

――え?

穂乃果が呆然と呟くとともに、舞台袖から人影が現れる。

凛と花陽と真姫と、絵里とにこと、そしてことりが現れ、海未の隣に並んで穂乃果と向き合った。皆、穂乃果を責めるような表情は浮かべておらず、海未と同じような優しい笑顔を浮かべていた。

その中でことりが一歩前に出て、口を開く。

 

「穂乃果ちゃん、私ね……実はフランスから留学の誘いが来てたけど、断っちゃったんだ」

 

「えっ……!?」

 

穂乃果の口から驚きに満ちた声が漏れる。

留学の誘いが来ていたこともそうだが、それを蹴ったとあっさり言い放ったのだ。混乱するなというのが無理な話だ。

他のメンバーたちも気持ちはわかると言わんばかりに笑みを浮かんでいた。

 

「だって、穂乃果ちゃんと海未ちゃんがいないんだもん。μ’sのみんなとスクールアイドルができなくなっちゃうんだもん。我儘でも今、私のやりたいことがそれなの」

 

それはことりの我儘だ。

だがそれでもいいと、我儘でもいいと彼女は思ったのだ。

自分の心に嘘をつき、縛り付けることの方がもっと辛いのだから。この数日、穂乃果が何と言うのか恐れるあまり彼女と向き合わず、言いたいことを言えなかったことでそれを強く実感した。

 

「……あの時、叩いちゃってごめんね。穂乃果ちゃんは自分のことがすごく怖くなって、あんなこと言っちゃったんだよね」

 

そしてそれは、穂乃果も同じだ。

あの日、穂乃果の身体を利用してホラーが彼女たちに牙を剥いた時、穂乃果は自己嫌悪に陥るあまりそれまでの全てを否定した。

だがそれは彼女の本心ではない。ホラーを招いてしまったという罪の意識が、スクールアイドルを続けたいという彼女の本心を覆い尽くしてしまったが故に飛び出してしまった言葉なのだ。

 

だからことりは、この言葉をかけるべきだと思ったのだ。

彼女の我儘であり、穂乃果が本当に望んでいることでもある、この言葉を。

 

「穂乃果ちゃん、一緒にスクールアイドルをやろう。ヤダって言っても聞かないよ」

 

 

 

 

 

「――だって、私は穂乃果ちゃんと一緒にやりたいもん!」

 

そう語ることりの表情は晴れやかな笑顔だった。

それは彼女の言葉が嘘偽りない本心であり、例え拒否されたとしても押し通す我儘であることを意味していた。

それに対する穂乃果は、震える唇で口を開いた。

 

「……いいの……? 私、また突拍子もないこと言ってみんなを振り回しちゃうよ……?」

 

「もう慣れちゃったし、それくらい我慢するわ」

 

「その方が穂乃果ちゃんらしくて楽しいニャ」

 

不安に満ちた穂乃果の言葉を、真姫と凛が肯定する。

皆を引っ張ることができるバイタリティは、穂乃果の美点であると。

 

「夢中になって、周りが見えなくなっちゃうかも……!」

 

「むしろ夢中になれないようないい加減さでアイドルをするなって話よ」

 

「周りが見えなくなっちゃうのは、私も同じだよ」

 

にこと花陽が、夢中になることの正当さを説く。

好きになり、夢中になるということは真剣さの裏返しであると。

 

「私の行動一つで、みんなを不幸にしちゃうかも……!」

 

「そんなことはないわ」

 

穂乃果が抱える最大の不安、自分の行いが周りに不幸を招くのではないかという不安。

それを穏やかに、且つ真正面からばっさりと否定したのは絵里だった。

 

「私はあの時、あなたの手に救われたわ。変わることを恐れない穂乃果の勇気は人を不幸にするものなんかじゃない、人を笑顔にするものよ」

 

かつて責任感のあまり自分の心を氷に閉じ込め、μ’sと対立して壁を作っていた絵里。その氷を溶かしてくれたのは穂乃果の勇気だ。

好きなことに全力で打ち込み、自分を偽らない穂乃果の姿が絵里の心に手を伸ばし、その閉じ籠っていた心は救われた。

だから今度は、自分が手を差し伸べる番なのだ。

 

「もう一度聞くわ。穂乃果、あなたはどうしたいの?」

 

そう言って手を差し伸べる絵里を前に、穂乃果の唇が、瞳が、心が震える。

もう、抑えられなかった。罪悪感と絶望で抑えつけられていた本心が溢れ出す。コップから溢れ出す水のように、止めようとしても止められない。

それは涙として、言葉という形を成して現れる。

 

「……いいの、かな……私、みんなと一緒にいて……スクールアイドル、やってもいいのかなぁ……!」

 

嗚咽を繰り返しながら本心を――本当の願いを口にした穂乃果。

想いを言葉にするということはそれを本心であると自分に認めた証。穂乃果はこれまで抑え込んでいた本心を今、はっきりと自覚したのだ。

そして一度自覚してしまえば、それを誤魔化す術はない。

 

「私、スクールアイドルをやりたいよ……海未ちゃんとことりちゃんと……μ’sのみんなと一緒にスクールアイドルやりたいの! 例え我儘でも、誰かの迷惑になるとしても、やりたいよ!続けたいよぉ!!」

 

激情と、涙と共に吐き出される穂乃果の本心。

それは彼女の心からの願い、嘘偽りない心の叫び。ただの子供の我儘と言ってもいいそれが、穂乃果の本当の願いだった。

そんな彼女の手を、海未とことりが優しく包み取る。

 

「さっきも言ったでしょう。私たちも自分たちがやりたいからやっているだけなのです。だから、穂乃果もいいんですよ」

 

「一緒に我儘を通して、私たちだけの景色を見に行こう!」

 

「うん……うん……!」

 

涙混じりの声で何度も頷き、海未とことりに抱きつく穂乃果。

他のメンバーたちはその姿を穏やかに見守るとともに、心から安堵していた。

彼女の心にスクールアイドルを続けたいという想いが残っていたこと。彼女の心は死んでおらず、こうして再び起き上がることができたことに安心したのだ。

しかし、これで終わりではない。μ’sの名前の由来になったのは、歌を司る九人の女神。

そう、あと一人足りないのだ。

 

 

「……――」

 

その時、ふと何かを感じ取ったように辺りを見回す絵里。

その視線の先には、半開きとなった講堂の扉があった。

まるでついさっきまで誰かが覗いていたかのように。

 

 

 

**

 

 

 

「……穂乃果ちゃん、もう大丈夫そうやね」

 

誰もいない音ノ木坂の廊下を、一人歩いている少女がいた。

――希だ。彼女は今日、絵里から呼び出されてつい先程、講堂にて穂乃果が仲間たちの手で立ち直る姿を外から覗いていたのだ。

その光景を目にした希は安堵していた。あの日、μ’sが活動を休止し、魔戒法師のことで彼女たちとの距離が離れてから、心が折れた穂乃果のことを案じていたのだ。立ち直らせてあげなければいかないと、そう考えていた。

 

だが希が何かするまでもなく、他の仲間達――海未やことりをはじめとしたμ’sのメンバーたちによって穂乃果の心は立ち上がることができた。

だから希は、もう自分の助けは必要ないと考えていた。自分がいなくてもμ’sは大丈夫なのだと。

魔戒法師として生きることを決めた自分は、もうここには必要ないのだ。“こちら側”に引き戻そうとした絵里の手を取らなかった時に、それはもう決まっていた。

かつてオルトスが言ったように、魔戒に生きる者と一般人は一緒に入られない――だから、希は皆から自分の記憶を消してここから去ろうと考えた。

 

 

 

「――希」

 

――しかし、そんな希を呼び止める声が廊下に響いた。

振り返った視線の先にいたのは日本人離れしたスタイルと金髪碧眼を持ち、今日彼女をここに呼び出した張本人――絵里だった。

絵里は振り返った希を困ったような笑顔で見据え、口を開いた。

 

「どこに行くの?これからライブに向けての練習があるのよ」

 

「え……?だってウチは、もう……」

 

絵里の言葉に、希は呆然とした。

絵里が今日呼び出したのは、自分がいなくても八人でやっていけるということを見せるためではなかったのか?あの日、手を取らなかった自分に対する別れのためではなかったのかと、そう思ったのだ。

そんな希を前に、絵里は呆れたように肩をすくめた。

 

「……やっぱりね。自分はもうμ’sにいられないとか、そんなこと考えてたんでしょ」

 

「だって……ウチ、あの時えりちの手を……」

 

μ'sに――戦いとは無関係な世界に帰ってきてほしいという絵里の手を、希は取ることができなかった。

咄嗟ではあっても、光がある世界よりも闇の中で生きる世界を選んだのだ。

だから自分はもう、μ’sという光の中には戻れないと思っていたのだが――

 

「希は、本当にそれでいいと思ってるの?」

 

「え?」

 

「このままμ’sを抜けてもいいなんて――本気で思ってるの?」

 

心の内を見透かすような眼差しで見つめる絵里。

その視線と言葉を受けた希は言葉に詰まる。

……仕方がないのだ。一度差し伸べられた手を取らなかった自分が、今更どの口で言えるというのか。

そんな希を前に、絵里は一呼吸吐くと口を開いた。

 

「……本音を言うとね、私は戦いなんて止めてすぐにこっちに戻ってきてほしいと思ってるわ」

 

「……」

 

「でも希は、また戦いに行くんでしょうね。あなた、変なところで頑固だものね」

 

「……そうやね。ウチはどうやってもホラーとの戦いに行っちゃうんや。そうするって決めたんやから、だから……」

 

そう、希はホラーと戦うことに決めたのだ。自らの力で、大切なものを守るために。

だから自分はもう、μ’sには居られないのだ。

あそこに、自分の居場所はもう――

 

「――嘘。μ’sを抜けるなんて、できないこと言うものじゃないわよ」

 

そんな希の考えを、絵里は真正面から否定した。

きっぱりと、しかし穏やかに。

 

「……そんなこと、ないよ……ウチは、ウチは決めたんよ……」

 

「ええ、決めたんでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 ――どっちもやり遂げるんだって」

 

絵里の言葉に、希の脳裏にあの決意が蘇る。

かつて魔戒法師とμ’sのどちらを取るのか選択を迫られた時、絵里とにこに相談したことを。

あの時、絵里は言った。「本当にしたいことは何なのか」と。

そして希は決めたのだ。魔戒法師とμ’s、どちらも捨てずにやり遂げることを。

あの決意を抱いた理由、それは――

 

「あの時迷ってたのは、μ’sをどうしても捨てたくないから――そうでしょ?」

 

――そうだ。

あの決意を、我儘を通すと決めたのは、μ’sを捨てたくないから、μ’sが好きだったから。

だからみんなを守るために魔戒法師として戦うことを決めた。居場所を捨てたくないからμ’sを続けることを決めた。

だけどその決意は揺らいでしまった。絵里の手を取れなかったから――自分が、臆病だったから。

 

「もう一度聞くわよ。 ……希の本当にしたいことって、何?」

 

あの時と同じ問いかけを、投げかける絵里。

それを前にした希は手を胸に当て、自らの抱いた想いを――本当の願いを心の内で反芻し、不安と共に唇を震えさせながら口を開いた。

 

「……ウチは……μ’sを続けたい、もっとみんなと一緒にいたい……」

 

「……」

 

「でも、それと同じくらいに魔戒法師を続けたいって思ってる……みんなを守りたいって思ってる……!えりちたちが望んでなくても、それがウチのやりたいことなんや!」

 

希には、捨てられない。

μ’sも魔戒法師も、どちらかを選んでどちらかを捨てることなどできないのだ。

魔戒法師として皆を守りたい、けれども幼い頃から探し求めてきた居場所を手放したくない。それらは彼女の我儘だ。我儘だからこそ、その想いは強い。諦められない。

だからこそあの時、希はどちらもやり遂げると決意したのだ。

 

「――あんたそれ、本気で言ってるの?」

 

その時、新たな人物が現れた。

歳に似つかわしくない小柄な少女――にこだ。

絵里の隣に立つ彼女は、鋭い視線を希に向けていた。魔戒法師のことを明かした時と同じ、非難めいたものだ。

あの時の希はその目に気圧され、碌に答えることができなかった。

――だが今は違う。希は目を逸らすことなくしっかりと向き合い、口を開いた。

 

「……うん。ウチはμ’sも魔戒法師もやめない、やめたくないんや」

 

「私、言ったわよね。死んじゃうかもしれないって」

 

「……そうやね、ウチだって死ぬのは怖い。けどそれ以上にみんなを守れなくなるのはもっと怖い。だからウチは魔戒法師をやめない」

 

 

 

 

「生きて――みんなとスクールアイドルを続けるためにも、ウチは戦うよ」

 

自らの想いを言葉にした希を、にこと絵里はまっすぐに見つめる。

ひょっとするとまた非難されるかもしれない。だがそれでもいいと希は思った。

この我儘は絶対に曲げない。今度こそこの想いは曲げないと、そう決めたのだから。

 

「……勝手にしなさい」

 

くるりと、踵を返すにこ。

険しい声色の彼女にいささかの不安を抱いたが――

 

「……怪我」

 

「え?」

 

「怪我すんじゃないわよ。特にアイドルは顔が命なんだから、怪我なんかしたら承知しないわよ」

 

「――! うん!」

 

希の熱意に、にこは折れた。

彼女は理解したのだ。何を言っても希は考えを曲げるつもりはないと。

勿論、戦うことに思う所はある。だが一方で、その気持ちもわかってしまうのだ。

好きだからどうしても諦められない、捨てられない。にこがアイドルを好きであるのと同じように、希もμ’sが好きであり、それを守りたいと思っているのだ。

だから希は魔戒法師として戦うことをやめない。μ’sが好きだから、皆を守りたいと思っているから。

それを止めることなど誰にもできないのだ。

 

「さあ、戻りましょう。みんなの――μ’sのところに!」

 

差し伸べられた絵里の手を取る希。そこに最早迷いはない。

彼女はもう二度と迷うことはないだろう。この手を放すことも、戦うことに迷うことも、もうないだろう。

己の想いを見つめ直し、向き合い、そして貫き通すことを決めたのだから。

 

 

――彩牙くんも、きっと……

 

そして、己にできたのだから、彩牙も自分自身と折り合いをつけることができる。

そんな確信を抱いたのだった。

 

 

 

 

 

 

「「――希ちゃぁぁぁぁん!!」」

 

「わわっ!?」

 

絵里とにこと共に講堂へ――μ’sの下へと戻ってきた希を出迎えたのは、涙声で抱き着いてきた凛と花陽だった。

二人分の重みを受けて慌てるも、嗚咽を漏らしながら抱き着く二人の姿に母性に似た愛おしさを覚え、二人を覆うように抱き返す希。

凛と花陽は涙交じりの声で語る。「戻ってきてくれてよかった」と。「これからは自分たちが希の居場所を守る」と。

そんな二人の言葉を受けて、μ’sに戻ってきたのは間違いではなかったと希は思った。自分がいることに涙を流すほど喜んでくれる者がいたということを実感したのだ。

ここから去ろうとしていた自分に手を伸ばしてくれた絵里とにこに、改めて感謝の念を抱くのだった。

 

「……希、やっぱり戦うのね」

 

そんな希を、真姫はじっと見つめていた。

彼女は凛と花陽より一歩下がった立ち位置で、希を見つめていた。

色々な感情が織り混じったような視線を向ける彼女を前に、希は凛と花陽を優しく退けるとその前に立った。

――思えば、初めてホラーと戦ったあの夜も真姫はこんな視線を向けていた。戦ってほしくないと、戻ってほしいと。

真摯な想いであるからこそ、希は自分の本心をもう一度彼女に示す。

 

「……ごめんな、真姫ちゃん。やっぱりウチ――」

 

「一つだけ約束して!」

 

そんな希の言葉を、真姫は遮った。

語気を荒くした彼女の表情はその反面、今にも泣き出してしまうかのように瞳を潤ませていた。

そして溢れんばかりの想いを少しずつ汲みだすかのように、先程とは打って変わって静かに口を開いた。

 

「……絶対に帰ってくるって約束して。私たちは……μ’sは絶対に欠けちゃダメなんだから、ここが帰る場所なんだってこと、忘れないで」

 

――真姫もわかっているのだ。

希は魔戒法師として戦うことをやめるつもりはないことを。幾ら止めようとしても、彼女の決意は揺るがないことを。絵里やにこと共に講堂に戻って来た時の彼女の目を見た瞬間に理解したのだ。

だからこそ、真姫は希に願った。希の帰る場所はここに――μ’sにあるのだと。

ホラーと戦い続ける道を選んでも、魔戒法師としての道を歩むとしても、彼女の帰る場所はここにある。自分たちは希の帰りを待ち続けているのだと。

それを忘れないでいてほしかったのだ。

 

「……勿論!ウチは絶対μ’sから出て行ったりせえへんよ」

 

そして、その願いを希が断る理由はなかった。

魔戒法師として戦いながらも、μ’sに居続けることを決めたのだ。一度は揺らいだその決意も、今ではより強固なものとなり最早揺らぐことはなくなった。

だから真姫の願いを拒絶する理由などどこにもなく、寧ろ自分から願い出たいほどだった。

 

「――希ちゃん」

 

そして最後に穂乃果が現れた。

海未とことりに支えられるように歩く彼女の姿は、感情の赴くままに大泣きしたせいで目元と鼻の辺りが真っ赤に腫れ、鼻をすすり、涙の跡が残り、目は充血しているという酷い有様だった。

しかし、その表情に陰はない。

かつてのように太陽のような晴れやかな笑顔を浮かべ、高坂穂乃果はそこに立っていた。

 

「また頑張ろう。もう一度、みんなと一緒に!」

 

「――うん!」

 

互いに手を取り合う穂乃果と希。

片や自己否定によって、片や己に生じた迷いにより一度はμ’sを離れた二人だったが、こうして再び戻ってきた。

一度はバラバラになっていたμ’sが、再び一つになった。その現実は、この場にいる全員にとって何物にも代えがたい勇気へと繋がるだろう。

再び転ぶことがあったとしても、自分たちは必ず立ち上がることができると――

それを示すかのように、絵里は高らかに声を上げる。

 

「さあ、ライブまで時間はないのだから気合入れていきましょう!特に穂乃果はずっと引き籠っていたんだから厳しくいくわよ!」

 

「うん!みんな、ファイトだよっ!!」

 

「うん!穂乃果ちゃん!」

 

「競争なら負けないニャー!」

 

我先にと言わんばかりに屋上に向けて駆け出していく穂乃果。

その後を慌てて追いかけていくことりに続いて一人、また一人と講堂を後にしていく。

そして希もその後に続こうとした時――

 

「――希」

 

希と共に最後まで残っていた海未が、彼女を呼び止めた。

振り返った先、穏やかでありながらも真剣な表情を浮かべる海未の姿を前に、大事なことを思い出した。

――そう、もう一人いたではないか。

胸の内にある言葉を、かけてあげるべき人物が。

己が道に迷う男が。

――海未がその帰りを待つ少年が。

 

「行きましょう、彩牙くんのところに……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――それは、一瞬のことだった。

 

「――え?」

 

意気込み、彩牙の下へと向かおうとした海未。

その身体を蜘蛛の糸のようなものが幾重にも巻き付き、一瞬のうちに拘束したのだ。

唖然とする希が蜘蛛の糸を目で辿っていくと、そこには腹部が髑髏になっている蜘蛛のような物体がステージの壁に貼り付き、髑髏の口から糸を吐き出していた。

 

――魔導具だ。

何故?誰が仕掛けたのか?どうして今まで気が付かなかったのか?疑問が浮かんでは消えていき、混乱に包まれた希の目の前で、同じように呆気にとられた表情の海未の身体が引き摺られていく。

それを目の当たりにした希は我に返り魔導筆を取り出すが、それを凌ぐ速さで糸は海未の身体を巻き取っていき、あっという間に魔導具の下に到達してしまった。

 

『娘を返してほしければ追ってこい』

 

魔導具からくぐもった男の声が響くと同時に強烈な光が海未の身体ごと包み込み、希は反射的に目を閉じた。

そして光が一際強く輝き、その輝きが止むと海未の姿も、彼女を捕らえた魔導具の姿も忽然と消えていた。

 

「――海未ちゃぁぁぁん!!」

 

慟哭にも近い希の叫びが、誰もいない講堂の中に響き渡った――

 

 

 

**

 

 

 

――虹の番犬所

一人、純白のソファに座り込む主――神官オルトス。

彩牙などが訪れた時は大抵くつろいでいる彼女は今、手に持つある物を見つめていた。

“それ”を見つめるオルトスの表情は普段のそれとは違い、無感情と言っても過言でない程に値踏みするような視線だった。

何度も何度も――それこそ日が昇って落ちるまでのように繰り返し見つめ直し、やがて確信を得たかのように“それ”から視線を外した。

 

 

「……なるほどのう。そういうことか」

 

一人呟くオルトスは“それ”――“木箱”を忌々しそうに見つめた。

 

 

 

***

 

 

 

ザルバ「判断を人任せにしようって奴は、どうも気が知れんな」

 

ザルバ「他人の言いなりになるってことを認めてるんだぜ?俺様には我慢できないな」

 

ザルバ「そんなことで納得なんざできるわけないのにな」

 

 

ザルバ「次回、『傀儡』!」

 

 

 

ザルバ「それは本当に、お前の意志で決めたことか?」

 

 

 

 







魔戒指南

『主人公どこ・・・・・・?』


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