牙狼〈GARO〉 -女神ノ調べ-   作:らいどる

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第一部 決戦:前編





第20話  傀儡

 

 

 

 

 

 

――時は、海未が攫われる少し前までに遡る。

 

「ぐっ……!」

 

秋葉原の路地裏に、力なく壁に寄りかかる人影があった。

――彩牙だ。

大粒の汗を流し、荒く呼吸を繰り返す彼は、見るからに憔悴しきった様子を見せていた。

身体が十分に回復しきっていない早朝から休む間もなくエレメントの浄化を繰り返したことにより、体力を限界間近まで失っていたのだ。

 

――胸の動悸が収まらない。息を吐き、吸う行為そのものに苦しみを感じる。膝が笑って上手く立てず、腕に力が入らない。

疲労困憊という言葉すら生易しい状態になっても尚、彩牙は浄化をやめようとはしていなかった。

 

――自分に休む暇はない、その資格もない。自分が犯した罪を考えれば当然のことだ。

この程度では贖罪にもなり得ない。このやり方しか知らない自分は、文字通り全身を使い潰してでも犯した罪を償わなければならない。

そんな強迫観念にも似た想いが彩牙を突き動かしていた。

 

それが原動力となり、彩牙は再び歩き出す。

崩れ落ちそうになる足腰に必死に力を籠めながら、自分の罪を償うために。

 

「――ぅ、あっ……?」

 

しかし、想いに身体がついていかないこともある。

足がもつれ、バランスを崩し、倒れこむ彩牙。

だがその身体は地面に衝突することはなく、浮遊感と共に制止した。

 

「ちょっとお兄さん!しっかりおし!」

 

そこには、彩牙の身体を支える中年女性の姿があった。

必死に呼びかける女性の姿をおぼろげな瞳で見つめる彩牙は、ある既視感を抱いていた。

 

――どこかで会ったことがある気がする。

……そうだ。確か高坂さんや海未たちと行った、あの店の――

 

 

 

 

 

 

「――ここは……」

 

『ようやく起きたか』

 

目を覚ました彩牙は、椅子に座らされていた。

視線を動かせば、そこはかつて海未たちと訪れたことのある、あのクレープ屋だった。

そして屋台から意識を失う前に見た中年女性が現れたことを目にしたことで、彩牙は彼女がこのクレープ屋の店主であることを思い出した。

 

「ほら、これでも食べて元気をお出し」

 

そう言って中年女性――クレープ屋の店主が渡してきたのは、以前彩牙が訪れた時にも食べた抹茶のクレープだった。

有無を言わせない言葉と共に渡されたクレープを一口かじると、ほのかな苦味と控えめな甘さが口の中に広がっていく。

 

「……俺のこと、覚えていたのですか」

 

「娘と同じ年頃の女の子に囲まれた色男だったからね。しかしあんなにフラフラでどうしたんだい、あの女の子たちの誰かに振られでもしたのかい?」

 

「……いえ、そういうわけでは……」

 

――そうだ。自分には誰かに好かれる資格も、誰かを好きになる資格もないのだ。

そんな想いを胸に、自らを戒めるような険しい表情を浮かべる彩牙の姿に、店主は神妙な眼差しを向ける。

 

「……まあ、無理にはとは言わないよ。色々込み入った事情もあるだろうしね」

 

「……すいません」

 

「ただ年長者のお節介を言わせてもらうならね、何か悪いことしたと思ってるならちゃんとそれを言葉にしなきゃいけないよ」

 

「言葉に……ですか」

 

「そうさ、言葉ってのは人が持つものの中で最も大切なんだ。言葉がなけりゃ自分の気持ちを相手に伝えるなんてできっこないだろう? 悪いことをしたなら謝る、助けてもらったなら感謝する、困っている人がいたら助言する。そうやって人と人は繋がっていくものなのさ」

 

「………」

 

「それともう一つ言わせてもらうなら、あんまり自分を責めるんじゃないよ。何があったかは知らないけど、お兄さんが自分を責めて、傷ついていく様を見たくないって人がいるんだからね。 ……たとえそれが、どんなに重い罪を犯した人間だとしても、ね」

 

奢りだからゆっくり休んでおいき。と言い残し、店主は再び屋台の中に潜り込んでいく。

その姿を見つめながら、彩牙は自問自答を繰り返す。

――自分が責められる様を良しとしない人間がいる。そんなことが本当に――自分のような大罪を犯した人間にあるのかと。

少なくともコテツは決して許しはしないだろう。それに何よりも自分が自分を許せそうにないのだ。

 

――どれほど心配したと、思ってるんですか……!

 

だがその一方で、海未の言葉が頭をよぎる。

あの時の海未は彩牙の身を案じていた。突然いなくなったことに不安を抱き、涙まで流すほどに。

……彼女は、自分のことを許すというのだろうか。罪を償おうとする自分の姿を、良しとしないとでもいうのか?そんな都合のいいことが――

 

 

 

――“都合がいい”?

自分のことが許せない筈なのに、何故そんなことを考えた?

――まさか……自分は、彼女に許されたいと思っているのか……?

 

 

 

 

『………む。小僧、一大事だ』

 

思考の渦の深みに嵌りかけていた彩牙の意識を、ザルバの声が引き戻した。

ハッとするように我に返り、ザルバに視線を向ける。

 

『微かな邪気と共に嬢ちゃんの反応が途絶えた』

 

「―――! ホラーか!?」

 

『わからん。俺様の分身の反応が消えたということは結界に捕まったか、あるいは――』

 

――あるいは、何かしらの術で妨害されているか。

そしてそんな芸当が可能であるのは彩牙の知る限り二つしかない。

一つは番犬所。彩牙に対する人質と考えればわからなくもない。

そしてもう一つは――

 

「そう、私だよ。黄金騎士」

 

「――! 貴様!!」

 

たった今脳裏に浮かんだもう一方の可能性――闇法師が、前触れもなく彩牙の前に現れた。

突然の襲来に身構え、剣を抜こうとする彩牙を前に闇法師は動じることなく腕を突き出した。

その手には、一枚の闇色の魔戒符が握られていた。

 

「巫女に会いたいのだろう?会わせてやろう」

 

「なにを―――!?」

 

その言葉の真意を問う間もなく、闇法師の持つ魔戒符から闇色の光が放たれた。

その光に包まれ、彩牙の身体と意識は闇に堕ちていった――

 

 

 

**

 

 

 

「――海未が攫われた!?」

 

――音ノ木坂、屋上。

海未を除いたμ’sが一堂に揃うその場所に、悲鳴のような叫びが辺りに響き渡った。

あの後、希は講堂で起きた出来事――海未が攫われたことを皆に話した。恐らくホラーか法師が関わっていることも。

 

「どうして……折角みんながまた戻ってきたのに……!」

 

「なんで……なんで海未がそんな目に遭わなきゃならないのよ!」

 

折角μ’sが復活したと思った矢先の事態に皆、戸惑いと憤りを隠せないでいた。

どうして海未がそんな目に遭わなければならないのか、どうして自分たちに手を出してくるのかと。

 

――もしかして、海未ちゃんを人質に……?

 

攫われた理由に心当たりがないわけではないが、今はそれを説明する暇は希にはない。

――最も、そうでなくても説明できるかと問われたら否なのだが。

どちらにせよ、希は戸惑っているわけにはいかない。彩牙にも連絡を入れたようとしたのだが、どういう訳か携帯はおろか、ザルバを介する通信すらも通じなかったのだ。

希は、これまで浮かべたことがあるかないか、というほどに鬼気迫る表情で口を開いた。

 

「とにかく、ウチは海未ちゃんを助けに行くからみんなはここに――」

 

「その話、ちょいと待ってもらうぞ」

 

その言葉を遮ったのは“希を除き”、聞き覚えのない声だった。

声のする方へ振り向くと、そこには一人の少女がいた。

音ノ木坂の制服を身に纏い、絹のようなきめ細やかな純白の髪と透き通るような白い肌を持つ美しい少女だ。そんな幻想的な雰囲気を持つ少女が、“屋上の入り口からは正反対の”フェンスに身体を預けてこちらを見据えていた。

音ノ木坂にこんな生徒がいただろうかと、誰もが不思議に思った。

 

一方、希だけはその少女を目にした途端警戒心に包まれた。

なにせその少女は紛れもなく、虹の番犬所の主である神官オルトスであったのだから。

番犬所の命に背いた自分は彩牙と同じく追われる身だ。となればオルトス自ら自分を捕らえに来たのかと警戒するのは至極道理であった。

だがオルトスはそんな希の警戒心など無視するかのように、悠然とした仕草で歩み寄っていく。

 

「……何の用ですか……!」

 

「まあそう構えるでない。そのようなことをする尺がないことくらいお主もわかっておろう?」

 

「っ……」

 

「東條希、指令じゃ。緊急かつ極秘のもの、何よりもこれを果たすことを優先せよ」

 

そう言ってオルトスが手渡してきたのは、一枚のメモ用紙だった。

罰則やら何もなく言い渡される突然の指令に戸惑い、そして何故指令書ではなくただのメモ書きなのか疑問に思いながらも、渡されたメモ用紙の内容に目を通していく。

 

 

「―――――え」

 

そこに記されていた内容に、言葉を失った。

口が半開きになり、冷汗が流れ、目が見開かれる。驚愕に包まれた希の脳裏は混乱に埋め尽くされていく。

何故、どういうことなのか。そんな言葉が希の頭に駆け巡っていく中、オルトスは冷徹さを持って口を開いた。

 

「呆けている暇はないぞ。事は一刻を争う、直ちに――」

 

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 

オルトスの言葉を遮ったのは、焦るような穂乃果の叫びだった。

オルトスの冷ややかな視線を浴びて思わず怯んだが、それでも勇気を振り絞って口を開いた。

 

「あの、今海未ちゃんが……私たちの友達が悪い人に捕まっちゃってるんです!ううん、ひょっとしたらその人はホラーかもしれない!」

 

「……だとしたら、何じゃ?」

 

「お願いします!希ちゃんを助けに行かせて上げてください!大事な用があって、それが急がなきゃけないってことはなんとなくわかるけど、それでも!」

 

「私からもお願いします!我儘なのはわかっているけど、それでも私たちは友達を失いたくない! ……友達を守れなかったなんてそんな思い、希にさせたくない……!だから……!」

 

「「「「お願いします!!」」」」

 

穂乃果、そして絵里に続き、μ’s全員がオルトスに頭を下げる光景を、希は呆けた表情で見つめていた。

――嬉しかった。皆が海未の身を心配してくれることが、自分の心を案じてくれていることが。友を案じるその優しさこそ、希が守りたいと思ったもの、手放したくないと思ったものだ。

だから――これだけは確認しておかなくてはいけない。

 

「……一つ、ええですか?」

 

「なんじゃ?」

 

「ウチと彩牙くんの“望み”、あれってまだ生きてますか?」

 

「お主ら次第じゃな。お主らが魔戒騎士、魔戒法師である限り」

 

――ああ、それだけ聞ければ十分だ。

彼女は何も、約束を違える気など最初からなかったのだ。自分たちが騎士や法師の使命を放棄すれば海未は助からない。彼女はそんな当たり前のことを言っていたに過ぎないのだ。

だから希は確たる意志でこの言葉を言うことができる。

 

「――わかりました。この指令、受けます」

 

「ちょっと、希!?」

 

「アンタ、何を考えて――!?」

 

その言葉に驚き、掴みかかろうとする絵里とにこをやんわりと制する希。

希のあまりにもな落ち着き様に疑問を抱いた彼女たちを前に、穏やかな表情で口を開いた。

 

「大丈夫、海未ちゃんはきっと“この先”におるよ。そうでなくても必ず手掛かりがある」

 

「……それ、本当なの……?」

 

「もちろん! 知ってるやろ、ウチの占いはよく当たるって!」

 

真姫の懐疑的な視線にも臆することなく、はっきりと答える希。

それだけでこの場の全員が理解した。希の今の言葉に、嘘偽り、強がりは一つもないのだと。

海未を助けることができると、そう確信していることを。

そんな中、穂乃果が一歩前に出ると静かに呟いた。

 

「……練習の準備、しておくから」

 

「え……?」

 

「絶対、無事に帰ってきてね。海未ちゃんと一緒に!」

 

「――うん! まかせとき!!」

 

 

 

**

 

 

 

「――――っ!ここは……?」

 

闇法師の繰り出した光に呑み込まれ、意識を取り戻した彩牙。

彼の姿は先程までのクレープ屋のある裏通りではなく、見覚えのない薄暗く広い空間にあった。

周囲を見回す彼の目に映ったのは、仄かに照らされた床と、天から吊るされた赤い幕。そこはまるで劇場の舞台のようだった。

もっとも、果てが見えないほどに広く、客席はほとんど見えないという異常さがあったのだが。

 

そして何よりも違和感を抱いたのは、肌にピリピリと突き刺さる異様な空気だった。

――意識を失う前の状況を察するに、ここは十中八九結界の中だ。恐らくあの闇法師が作り出し、自分をここへ閉じ込めたのだろう。

 

となれば、何か仕掛けてくるに違いない。魔戒剣を手に周囲を警戒していると、突然暗闇の中に一筋の光が差し込んだ。

その光――スポットライトが照らしだしたのは、今まで全く見えなかった客席だった。

たった一席だけを指し示すように照らされたスポットライトによって露になったもの、それは―――

 

 

「――海未!!」

 

意識を失い、鎖で客席に拘束されている海未の姿がそこにはあった。

それを目の当たりにした途端、先程まで抱いていた警戒心は鳴りを潜め、一心不乱に彼女の下へと駆け出す彩牙。

行方知れずとなった海未が目の前にいるのに、周囲をゆっくり警戒する暇がどこにあるのだろうか。

そして、その中間に差し掛かったとき――

 

『――小僧!上だ!!』

 

ザルバの叫びと同時に、上から降りかかる強烈な殺気。

咄嗟に飛び退くと、間髪入れずに目の前に剣を振り下ろしながら人影が降り立った。もし一瞬でも遅れていれば斬り裂かれていたことだろう。

そしてその勢いを殺さぬまま、人影は剣を振るって襲い掛かる。彩牙も魔戒剣を抜き、人影の振るう剣を防ぎ、弾いていく。

一撃、二撃と剣を打ち合い、仕切り直すように人影が飛び退くと、どこからともなく差し込んだスポットライトが人影を照らし、その正体を露にした。

 

「――コテツ……!」

 

「……ちっ。あともうちょいだったのによ」

 

――そこにいたのは魔戒騎士、コテツだった。

彩牙を仇と憎む彼は唾を吐きつけるように表情を歪め、サングラス越しでも隠しきれないほどの憎しみの感情を彩牙に向けていた。

そして彩牙もまた、怒りの感情をコテツへぶつけ返す。

 

「お前……! 何の真似だ!」

 

「言わなくたってわかるだろ、テメェを斬るに決まってんだろ」

 

「お前こそわからないのか!海未がそこで捕まっているんだぞ!」

 

「どうせ死んじまう命なんだ、知ったこっちゃねえよ。………まあ安心しな、テメェを斬った後、責任もって苦しまないように殺してやるさ」

 

「貴様……!!」

 

コテツの言葉に怒りで身を震わせる彩牙。

それは、その言葉だけは到底看過できるものではなかった。

自分が罪人であろうと、コテツの師を殺した男であろうと、それだけは――海未を手にかけることだけはどうしても我慢できるものではなかった。

たとえそれが魔戒騎士としての掟、正しく為さねばならぬことだとしてもだ。

――気づけば、彩牙は憤怒に満ちた表情でコテツを睨みつけ、魔戒剣を向けていた。

目の前にいるコテツと、同じような表情で。

 

『おい、落ち着――』

 

「黙っていろ、ザルバ!」

 

ザルバの声を黙らせる彩牙。

一歩前に出ると魔戒剣で円を描き、ガロの鎧を召喚した。

対するコテツも同じように一歩前に出ると、カゲロウの鎧を召喚した。

 

一歩、また一歩と踏み出していく両者。

スポットライトに照らされた金と灰色の狼の間には、最早語り合う言葉はなかった。

あるのはただ大切な者を奪い、そして奪おうとする相手に対する深い憎悪。

そして、歩みが早足に、早足から駆け足に変わった時、肉薄した両者はそれぞれの得物を“敵”へと振るうのだった――

 

 

『『オオオォォォォォォォォォッ!!』』

 

 

 

**

 

 

 

「……ここやね」

 

――同じ頃。

オルトスからの指令を受けた希はとあるマンションの中にいた。

そこは何の変哲もない、どこにでもあるようなマンションだった。

――希の目の前にある扉の向こうから伝わってくる、異様な気さえ除けば。

 

――何なん、これ……ここが本当に、“あの人”の住まいなん……!?

 

扉の向こうから漂ってくるのは、ホラーの気配のような邪気であるわけではない。

それよりも重々しく、生々しい……謂わば人間の憎悪そのものが溢れ出ているようだった。

扉越しでも伝わるほどに濃厚な憎悪を前に、思わず息を呑み、尻込みする希。

吐き気がこみあげ、今すぐこの場から逃げ出したくなってしまいたくなる。そんな気持ちを抑え込んだのは友を――海未と、そして彩牙を助けたいという想いだった。

 

一歩踏み出し、ドアノブを捻ってみる希。

鍵はかけられていないようだが、扉は固く閉ざされていた。恐らくは術で封じられているのだろう。

だが、これくらいならば容易に想像できていた。

 

「ええと……確かこう……やったよね」

 

懐から一枚の札を取り出すと、扉の真ん中へと貼り付けた。

こんな時に使えとオルトスから渡された魔戒符だ。一歩後ろに下がると指先で陣を描き、法力を籠めて魔戒符を指差した。

すると指に共鳴するように魔戒符が光り始め、その表面に描かれた紋様が浮かび上がった。

そして――

 

「わっ……!?」

 

ポン、と弾けるような音と共に魔戒符は粉々になり、うっすらとした煙を上げながら扉が開いたのだ。

ドアそのものが壊れてしまっていないか微かな不安を抱きつつ、希は閉ざされていた部屋の中へと足を踏み入れた。

 

――思ってたよりも、見た感じは普通やね。

 

玄関と、それに連なる廊下は、物がほとんどないことを除けば至って普通のそれだった。

しかし、見た目は普通であることが却って空気に漂う憎悪を強調しており、肌に貼り付くような不快感を抱かせた。

そして廊下の奥――リビングに続くと思しきドアを開けた時、その先にある光景を目にした希は息を呑んだ。

 

「っ……これは……!」

 

そこに広がる光景は、マンションのリビングとはかけ離れたものだった。

薄暗い部屋中を埋め尽くす、用途がわからないものから作りかけのものまでの様々な魔導具。本棚一杯に詰められ、読みかけのものが至る所に放置されている魔導書。その中には見つめてはいけないと本能が訴えかけるような危険なものまでが幾つもあった。

そこは御伽噺に出てくる魔法使いの住処と呼んでも差し支えない場所だった。それもまともな部類ではない者の――だ。

 

――いけない。こんなところで気圧されてたらあかん……!

 

頬を叩き、気を取り直してリビングの中に足を踏み入れる希。

迎撃用の魔導具などをうっかり起動してしまわぬよう、細心の注意を払いながら目当てのものを探していく。

……そのうちの最たるものである、海未の姿はここには無いようだった。彼女の気配が微塵も感じ取れなかったのだ。

しかし落胆する暇も、必要もない。たとえ姿が無くても手掛かりがある筈だと信じていたのだ。

 

そんな中、希の視界に一冊の魔導書が映りこんだ。

たまたま視界に入っただけなのに、どうしても意識を逸らすことができず――逸らしてはならないと本能が訴えかけ――それを手に取った。

その魔導書の表紙には指令書に使われる魔導文字とは違う、全く見たことのない文字が記されていた。魔界に関する文字であることは確かなのだろうが、希ではどうやっても中身を読むことができない。

オルトスならば読めるかもしれない――そう思い、魔法衣の懐に魔導書を仕舞おうとした。

 

「――あれ、何か……?」

 

その時、魔導書の中から、折りたたまれた一枚の紙が落ちた。

その紙を拾い上げ開いていくと、露になったのは一枚の地図だった。この辺一帯が記されたその地図には、幾つか丸が付けられていた。

丸が付けられた地点のことを思い浮かべながら目を通していくと、彼女の意識はある一点の丸に釘つけになった。

その丸が付けられた場所は、彼女が良く知る場所だった。大切な思い出が詰まっており、守りたい人たちがいる、その場所は――

 

 

 

『……そこに、誰かいるのですか……』

 

「っ!? だ、誰!?」

 

突然部屋の中に響いた、くぐもったような男性の声。

この場を守る番人かと周囲を警戒する一方で、希はその声に奇妙な感覚を抱いていた。

どこかで聞き覚えがあるような……そんな思いを抱きながら声の出所を探していくと、彼女の視線は机の上に辿りついた。

綺麗な女性の写真や幾つもの紙が散らばる中、そこにいた声の主は――

 

 

 

**

 

 

 

――……!………!

 

――何でしょう……

折角寝ていたのに何か聞こえて眠れません……

これは……人の声と……金属の音……?

なにか金属をぶつけあうような……まるで、刀を打ち合うような……

 

――!!…………!!

 

――まだ聞こえますね……

まったく、人が静かに寝ているのに静かにできないんでしょうか……?

少しは気を遣って……――

 

 

 

 

 

 

 

 

…………あれ?

そもそも私はいつ寝たんでしたっけ……?私は寝る前、何をしていたんでしたっけ……?

ええと……私は、たしか……――

 

 

――海未ちゃぁぁぁぁん!!

 

 

――そうだ……!

私はあの時、音ノ木の講堂で何かに捕まって――!

 

 

 

 

 

 

「――――っ……! こ、ここは……!?」

 

意識を失う直前の記憶を取り戻し、跳ね起きるように意識を取り戻した海未。

しかし起き上がろうとするも、意志に反して彼女の身体は微動だにしなかった。

視線を下に映せば、そこには劇場の椅子に縛られた自分の姿。困惑に包まれながらもなんとか脱出しようと身を捩らせるも、彼女を縛る鎖はびくともしなかった。

何故こんなことになったのか定かではないが、意識を失う前の状況から察するにホラー絡みの碌でもないことだけは確かだ。

どうにか脱出できないかと途方に暮れる中――

 

 

――ガ、キィィィィィ………ン………!!

 

「え……!?」

 

辺りに響く金属音。

そういえば意識を取り戻す前、この音と何かの叫び声に意識が誘われたことを思い出した。

そして再び響く金属音と叫び声。刀が打ち合う音に似ているそれの正体を探すべく、周囲に視線を向けるとそれはすぐに見つかった。

 

そこには、スポットライトで照らされた、とても広大な舞台があった。

その場で火花を散らして剣の舞を踊っていたのは、くすんだ金と灰色の、二頭の狼。

金の狼が振るった剣を、灰の狼の剣が宙に弾き飛ばす。距離を取った灰の狼がブーメランのように投擲した剣を、金の狼が殴り飛ばす。

互いの剣が宙に舞い、無手となった二頭の狼は拳を繰り出す。金の狼の拳が灰の狼の顔面に吸い込まれ、灰の狼の拳が金の狼の鳩尾に吸い込まれる。

よろめき、たたらを踏むも相手へ向かう足を止めようとしない狼たちの下に互いの剣が還る。そして、力強く握ったそれを、目の前の敵に向けて振り下ろす――

 

『――サァイガァァァァァァァァ!!』

 

『――コォテツゥゥゥゥゥゥゥ!!』

 

鍔迫り合い、怒りに満ちた互いの名を叫ぶ二頭の狼――

そこでは黄金騎士ガロと灰塵騎士カゲロウ――村雨彩牙とコテツが、憎悪に満ちた死闘を繰り広げていたのだ。

 

「彩牙くん……なんで、どうして……!?」

 

海未はその光景に我が目を疑った。

彼女の記憶では、彩牙はコテツの師を殺めたという罪の意識に苛まれ、自信も覇気も何もかも喪失していたのだ。

だがこれは何だと言うのか。

目の前でコテツと戦っている彩牙は、彼に対する怒りや憎しみを隠そうとせず、それらの感情に従うまま剣を振るっていた。鎧越しで、離れている海未にはっきりと伝わるほどに。

一体何が彩牙をあそこまで変えてしまったというのか――

 

「――見物だろう?私怨に満ちた剣を振るう騎士の姿は」

 

「――――っ!?」

 

――な……!?この人、一体どこから……!?

 

その時、一人の男が前触れもなく海未の隣に現れた。

黒いローブに身を包んだ男――闇法師だ。音もなく現れたことと、彼の纏うどす黒く濁った気配を前に海未の頭は驚愕に包まれ、その心は闇を恐れる本能的な恐怖に竦みあがった。

そんな彼女の様子に満足したのか、闇法師は愉快そうな声色で口を開いた。

 

「少し手を加えてやるだけで怒りに囚われる……まったく未熟で、それゆえに御しやすい」

 

「……! 彩牙くんたちに何をしたんですか……!?」

 

「簡単なことだ。復讐に燃える者には仇を、空っぽな者にはその心を狂わせる囚われの姫を用意してやっただけのことだ」

 

「囚われの……? っ――!」

 

その言葉にはっとした海未は、改めて今の状況を思い返す。

意識を失う前の光景、そして拘束された自分の姿……囚われの姫とやらが誰のことを指しているかなど、火を見るより明らかではないか――

 

「よく想われているではないか。お陰で事が容易に進んだよ」

 

「……何故ですか。何のために、こんなことを……!」

 

愉快そうで、それでいて見下しているような闇法師の姿に、憤りに満ちた瞳をぶつける海未。

人を影で操り、その様を見て悦に浸るなど、どんな理由があったとしても許せることではないのだ。

しかしその義憤も――ローブの下からこちらを見下ろす闇法師の姿を前に、引っ込むこととなった。

 

「――何故かだと? 我が復讐のために必要だからだ。奴らも、そして貴様も」

 

「………!」

 

先程までとはうって変わり、冷徹な声色の闇法師。

ローブの中からうっすらと浮かんだ闇法師の瞳を見た海未は戦慄し、思わず息を呑んだ。

世に対する絶望と失望がごちゃ混ぜになったかのような虚無感と、人間という生き物に対して消えることのない復讐の炎が燃え上がるという、相反する二つの感情が浮かんでいたのだ。

一体何があれば人間がこんな眼をするのか――海未は戦慄した。そしてそれ故に気づけなかった。

自分たちが必要だという、その言葉の意味に。

 

「さあ見るがいい――我が復讐のために怒りに囚われた騎士の姿を」

 

「――! 彩牙くん……!」

 

 

 

 

 

 

火花が舞う。

金の剣と灰の剣――牙狼剣と灰塵剣がぶつかり合い、ソウルメタルの火花が舞い散り、暗闇を照らす。

ぶつかり、弾かれた牙狼剣をガロは渾身の力で抑え込み、再び振り下ろす。カゲロウは手元から浮かびかけた灰塵剣を握りしめ、振り上げた。

間髪入れずに牙狼剣と灰塵剣がぶつかり合い、再び火花が舞い上がり、そして同じように弾かれる。

 

先程と違うのは、剣が手を離れて互いの背後に飛んでいき、床に突き刺さったことだった。

無手となった二人だが、闘志は微塵もなくなってはいない。剣だけではない、その身そのものが武器なのだ。

ガロが拳を繰り出せば、カゲロウの胸に吸い込まれていく。カゲロウが手刀を繰り出せば、ガロの鳩尾に突き刺さる。

息が止まり、吐きそうになるのを堪え、ガロは頭突きを叩き込む。視界が乱れ、焦点が合わなくなる中で、カゲロウは回し蹴りを叩き込む。

殴る、蹴る、騎士という名には程遠い、泥臭い戦いがそこにはあった。

 

『う、お……りゃあぁぁぁぁぁ!!』

 

カゲロウの繰り出した拳を、姿勢を低くして避けたガロの腕が絡めとる。

まずい――そう思う暇もなく、ガロに背負い投げられたカゲロウは、渾身の力で床に叩きつけられた。

背中から伝わる衝撃に痺れるカゲロウ。そこに追撃を加えようと飛びかかるガロの腹部に、カゲロウは咄嗟に蹴りを叩き込む。

カゲロウの脚で吊り上げられたガロは、そのまま巴投げのように蹴り飛ばされる。飛ばされた先で床を何度も跳ね、腕を突き出して体勢を立て直したガロはその場で突き刺さっていた牙狼剣を握りしめ、床から引き抜いた。同様にカゲロウも体勢を立て直し、床に突き刺さっていた灰塵剣を引き抜いた。

 

そして、再び剣を手にした二人の騎士は、雄叫びと共にぶつかりあった。

 

『俺が憎いか!あの女を殺そうとする俺を!!』

 

『ああそうだ!海未を手にかけるというのなら、例え修羅に堕ちても貴様を殺す!!』

 

『言うじゃねえか!だったら俺は鬼になってやるさ、テメェという修羅を殺す復讐の鬼になぁ!!』

 

剣が弾かれ、振るわれる。また弾かれ、振るわれる。

何度も、何度も、剣の打ち合いが繰り広げられ、ソウルメタルの火花が金と灰の鎧を赤く照らす。

その最中、カゲロウは灰塵剣を双剣態へと変え、怒涛の連撃を繰り出していく。息をつく暇もなく繰り出される二刀流の嵐を前に、ガロは段々刃を捌ききれなくなり、徐々に劣勢に追い込まれていく。

そうして徐々に崩れ始めた均衡は、遂に決定的な時を迎えた。

 

『ぐっ―――――!!』

 

床に向かって弾かれた牙狼剣が、床と、灰塵剣の一振りによって挟み込まれたのだ。

剣を封じられたガロ。カゲロウはその隙を見逃さなかった。

残ったもう一振りでガロの身体を切り刻み始めたのだ。

何度も何度も斬り裂かれ、鎧を構成するソウルメタルの粒子が火花となって宙に舞い、その下に包まれる彩牙の血が飛び散り、真っ白な周囲の床を赤く染めていく。

 

切り刻まれていくガロだが、彼の瞳から闘志は消え去っていなかった。

己の身を斬り裂いていく灰塵剣を掴み、奪い取り、後方へと投げ捨てた。

得物を奪い取られ、動揺で一瞬怯んだカゲロウ。ガロにはその一瞬だけで十分だった。

頭突きを叩き込み、間髪入れずに顎に掌底を叩き込む。平衡感覚を失い、よろめくカゲロウに掴みかかり、床に押し倒したのだ。

 

マウントポジションを取ったガロは拳を叩き込んでいく。

切り刻まれたお返しと言わんばかりに何度も叩き込み、鎧を砕き、肉を潰し、その拳をコテツの血で赤く染めていく。

そして傍で突き刺さっていた牙狼剣を手に取り、逆手に持ち切っ先をカゲロウへと向ける。

睨みつけるように赤い瞳を向けるカゲロウ。

 

――こいつを野放しにしておけば海未がまた危険に晒される。今、やるしかない――

そんな暗い意志と共に、牙狼剣を振り下ろす。

真っ直ぐ振り下ろされた牙狼剣は、その先にあるカゲロウの喉元に――

 

 

 

 

 

 

 

「――彩牙くんっ!! だめぇぇぇっ!!」

 

 

 

***

 

 

 

海未「それは、どこまでも深い絶望」

 

海未「それは、激しく燃え盛る憎悪」

 

海未「それら陰我を、影から操る者がいた」

 

 

海未「次回、『暗黒』」

 

 

 

海未「闇が、そのベールを脱ぎ捨てる」

 

 

 

 







魔戒指南


・ 謎の魔導書
とあるマンションの一室で希が見つけた魔導書。
古く難解な文字で記されており、希では読むことができない。

【読んでしまえば戻れない】
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