今回はあとがきの方に今後の投稿についてお話があるので目を通していただければ幸いです。
「……はあ、どうしようかしら……」
――休日の音ノ木坂学園。
その生徒会室にて悩ましげにため息をつく一人の少女――絵里の姿があった。
絹のようにきめ細やかなブロンドヘアーに透き通るようなアイスブルーの瞳という、整った麗しい顔立ち。悩ましげな表情を浮かべるそれは見る者を魅了させるような美しさを晒し出していた。
もっとも、それを目にするものは今この場にはいないのだが。
そんな絵里を悩ませている原因、それは彼女の目の前にある二枚の紙にあった。
それには幾人の生徒の名前が記されているのだが、その全てが漏れることなく大きく×で上書きされていた。
それを見て、絵里は改めて大きなため息をついた。
「漫画みたいに我こそは!って名乗りを挙げる子なんていないのね……」
絵里を悩ませている問題――それは生徒会の跡継ぎ問題だった。
この時期、どこの学校でも話題となる生徒会の引継ぎ――それはここ音ノ木坂も例外ではなく、絵里もしばらく前から引き継ぎのために動いてはいた。
だがここで頭を悩ませる問題が発生した。生徒会長を引き継がせる人間が見つからないのだ。
最初は立候補による募集をかけた。
生徒会長を経験しておけば将来進学や就職活動に有利になると考える生徒もいるはずと思い、一人や二人は立候補するだろうと考えた。
……誰も立候補しなかった。元々廃校になりかけていた学校で会長をしても旨味がなく、廃校阻止になったのもμ’sの功績が大きい――と考える生徒が多かったのかもしれない。事実、その面は否定できないのだが。
ならばと、次はこちらから呼びかけてみることにした。
以前から絵里が『任せられるかも』と思っていた目ぼしい生徒を一年二年の区別なくリストに纏め、それぞれ真姫と海未に各学年で呼びかけてもらった。
――結果は彼女の目の前にある通り、惨敗。生徒会長を引き継ごうとする気概のある人間はいなかったのだ。
余談ではあるが、海未は「大勢の前で話すなんて私には無理です!!」と顔を真っ赤にして早々に辞退、真姫は「柄じゃないから」と言って断っていた。
『あの完璧な絵里先輩の跡を継ぐなんて私には無理!!』多くの生徒がそんな風な理由で断っていたと、海未や真姫は言っていた。
――そんなことないのに。と絵里は思う。
生徒会長だって自分から立候補したわけではない。他に生徒会長をやれそうな人がいないからと、先生たちに何度も頼まれては断って――最終的に自分が折れただけなのだ。
自分は皆が思っているような――自ら先頭に立とうとするような人間ではないのだ。
「『完璧な絵里先輩』か……本当は、そう見られるように無理してただけなのにね……」
本当の自分はそんな人間ではない。
どこか抜けているところがあって、怖がりで、思い詰める余り意地っ張りになってしまう――そんなどこにでもいるような人間だ。
生徒会長としての自分なんて、生徒の代表として恥をかくことが無いようにと意地を張り、仮面を被っていたに過ぎない。本当は挫けそうになったり、陰で泣いてしまったことだってある。
――だから、今のように心から笑うことができたのは本当に久しぶりだった。
「穂乃果たちがいなかったら、私はずっと笑うことのできない『完璧な絵里先輩』だったのかしら……」
ぼんやりと物思いに耽る絵里が浮かべたのは、自らも所属するμ’s――その中心でもある、高坂穂乃果だった。
彼女がスクールアイドルを始めなければ――彼女がいなければ、自分はどうなっていたのだろう。心から笑うことができず、周囲からの期待と責任感からくる重責に押し潰されていたのだろうか。
だから自分をそこから――『完璧な絵里先輩』から引き上げてくれた穂乃果には、本当に感謝していた。あの時差し伸べてくれた手が、自分を救ってくれたのだ。
でもそこには自分を救うためだとか、そんな大それた目的はなかったのだろうと、絵里は思う。
例えるなら、穂乃果は台風の目――巻き込んだ人々を自然と笑顔にしていくような、そんな優しい台風の中心となる存在なのだろう。
だから――ふと思う。
彼女のような人間が、もしも生徒会長になってくれるのなら――
「―――きゃあっ!?」
物思いに耽っていた絵里を襲ったのは、開けていた窓から吹き込んできた突風だった。
あまりの強さに悲鳴をあげながら髪を押さえる絵里の前で、ばさばさと音を立てながら大量の書類が舞い上がる。
そうして風が収まった頃、恐る恐る目を開けた彼女が目の当たりにしたのは、舞い上がった書類が辺り一面に散らばる、無残な姿となった生徒会室だった。
いけないと思い、慌てて散らばった書類を集め始める絵里。
「希! そっちの方おねが……い……」
親友の名を咄嗟に呼んで、帰ってきた沈黙に我に返る絵里。
今の生徒会室にいるのは、絵里ただ一人。彼女の親友であり生徒会副会長、そしてμ’sのメンバーで――魔戒法師の卵でもある東條希の姿は、そこにはなかった。
その理由を思い出し、ほんの少し寂しげな表情で呟いた。
「……そういえば、今日は親と会う約束をしてるんだって言ってたわね」
**
――同じ頃。
東京駅の改札口にて、一人の少女――東條希の姿があった。
気合を入れたであろう服装に身を包み、御洒落をした彼女は普段とは違い、そわそわとした様子で改札の向こう側をじっと見つめていた。
時折時計を確認したり、身だしなみにミスがないか再確認したりなど、非常に落ち着かない様子だ。
それは年齢の割にどこか達観したような雰囲気を纏っている彼女にしては珍しく、年相応の少女らしい姿だった。
「―――あっ……!」
やがて、改札の向こうから一組の男女が現れた。
その姿を目にした希は表情をぱあっと輝かせ、待ちきれないといった様子でその男女の下へと駆け出した。
近づくにつれ、その男女の姿がはっきりとしてくる。眼鏡をかけた男性に、髪を腰まで伸ばした女性。若々しさの残る壮年の男女であり、目元や髪色、顔立ちなど希に似通った雰囲気を持っていた。
そして二人も、自分たちの下に駆け寄ってくる希の姿を認め、笑顔を浮かべた。
「お父さん!お母さん!」
「「希!!」」
男女――両親の下へと駆け寄った希は、その勢いを殺さぬまま抱きついた。
対する両親もその衝撃に怯むことことなく、愛する一人娘の抱擁をしっかりと受け止めた。
――東條家が、久しぶりに一家揃った瞬間だった。
「久しぶりだなぁ、前より綺麗になったんじゃないか?」
「ええ、こっちでの生活は楽しいかしら?」
「うん!あのね、お父さんとお母さんに話したいことがいーっぱいあるの!」
そう語る希の姿は、普段の大人びたものとは全く違っていた。
それは親に甘える、甘えたがりの少女そのものだった。
**
「―――はぁ……」
――学校の帰り道。
憂鬱な表情でため息をつきながら絵里は一人、とぼとぼと重い足取りで歩いていた。
結局、生徒会の引継ぎは今日も進展がなかった。このままでは誰かに指名して押し付けるような形になってしまう。
絵里は、それだけは避けたいと思った。
押し付けられた仕事にはそうそうやる気など起こるわけでもないし、なによりも無理だと言ってるような相手に余計な重圧を与えたくはない。優秀だと見られ、周囲から寄せられる期待がどれだけ重く苦しいものなのか、絵里は身を持って知っていた。
どうにかしてやる気に溢れ、生徒会を引き継げられるような生徒を、何としても見つけなくてはならない。
しかし立候補するような生徒はおらず、呼びかけてみても自信がないと断られ続ける中で、そんな生徒が本当に見つかるのかと不安に駆られてくる。
――やっぱり、誰かにお願いするしかないのかしら……?
自分の時のように、相手が折れるまで、何度も何度もお願いする。
自分のように、心が押し潰されてしまうことを承知の上で――“押し付ける”。
学校のためにと、そんな大義名分を盾にして――
マイナス思考の深みに嵌り、周りの景色がほとんど視界に入らなくなっていく絵里。
“たまたま”人気が全くない通りを歩く彼女の前に、黒い靄が立ち込める。絵里はそれに気づかない。
まるで意志を持つかのように、黒い靄は絵里の鼻先にまで伸びる。
そして――
「――きゃあっ!?」
ぐいっと突如腕を引っ張られ、その身体を壁に押し付けられた。
『――変質者!?』と、突然の出来事に身の危険を感じ、パニックに陥った絵里は相手を振りほどこうとする。
だが自らを拘束する相手の力は強く、ビクともしない。圧倒的な力を前に碌な抵抗ができない中、絵里の脳裏に変質者に弄ばれ、無残な姿となる未来が浮かび上がる。
その光景に心は恐怖に縛られ、身体が震え、目元に涙が浮かび上がる。
このまま欲望をぶつけられ、好き勝手に嬲られてしまうのだろうかと絶望する中――
「落ち着け、絢瀬さん!」
――聞き覚えのある声が、絵里の耳に響いた。
我に返り、恐る恐ると自らを押さえつける相手を見上げると、その目に映りこんだのはボロボロの白いコートを纏った、黒い短髪の同年代の少年の姿があった。
見覚えのあるその姿に、絵里は自分を押さえつけていた相手が誰なのかようやく理解した。
「彩牙……さん?」
そこにいたのは村雨彩牙だった。
白いコートを纏った姿――魔戒騎士としての姿を晒す彼を前に、なぜ自分を押さえつけるのかと絵里の中に疑問が浮かび上がる。
それに応えるかのように、彩牙は静かに口を開いた。
「――見ろ」
くい、と彩牙が顎で示した先。それは先程まで絵里が歩いていた場所――そのすぐ傍に立つ、一本の電柱だった。
だがそれは普通の電柱ではなかった。黒い靄が立ち昇り、触手のように蠢き、怨嗟の籠った呻き声を発していたのだ。
ずっと眺めていると呑み込まれてしまいそうな……まるで獲物を待ち構え、大きく開けた怪物の口のようだった。
あれは一体何なのか――その答えは、彩牙の左手から返ってきた。
『あれは陰我の溜まったオブジェ――エレメントだ。陰我が溜まりきって完全にゲートが開いてやがる』
「ゲート……?ええと、あなたは……?」
『俺様は魔導輪ザルバ。 で、ゲートってのは魔界からホラーが現れてくる、文字通りの門だ。あのままあそこを歩いていたら、嬢ちゃんはホラーに憑依されていたかもしれないってことさ』
「わ、私が……!?」
ザルバの言葉――ホラーという単語に、絵里の脳裏に蘇るのは学校の屋上でホラーに襲われた記憶。
穂乃果の身体を操り、ことりを、希を、自分たちを喰おうとした異形のバケモノ。
自分があれになっていたかもしれないと聞かされ、血の気が引き、背筋が凍る。人を喰うバケモノに成り果て、人々を――穂乃果たちを襲い、喰らい、最終的に魔戒騎士に……彩牙に――希に、葬られる。
そんな悪夢のような光景が、絵里の脳裏に過った。
「心配しなくていい、すぐに始末するから絢瀬さんは早くここから――」
「……ま、まって!」
その一方で、絵里の中に別の想いが芽生えていた。
何故そんなことを思ったのか、絵里にもわからない。あんなに恐ろしい目に遭ったというのに、怖くて堪らないのに。
だが知りたいと思った、知らなければと思った。彩牙が、希が――彼らが、どんなことをしているのか。
どんな想いで、この世界に身を置いているのか。
「私も……一緒にいていいかしら……?」
「『………は?』」
重なり合った、彩牙とザルバのポカンとした呟きが辺りに響き渡った。
**
「――そう。そんなことがあったのね」
「うん!色々あったけど……みんなと楽しくやってるよ♪」
――とある喫茶店。
久しぶりに揃った希たち東條家は、個室席もあるそこでお茶をしながら一家団欒に花を咲かせていた。
話題にしていたのは希の日常のことだった。友達が増えたこと、スクールアイドルをしていること、一時はすれ違いから解散しかけたが仲直りして再び活動を始めたこと。
以前電話で話したことや、あれから新たに起きた出来事を語る希は、とても楽しそうだった。新しい出来事を語ることは勿論、一度は話したことであってもこうして両親の顔や反応を直に目にしながら語ることは、希の心を弾ませていた。
「しかし希がその、スクールアイドルか………よからぬ輩が近づかないかと思うと不安になるな……」
「あら、お父さんったら」
そうしてまた、朗らかな笑い声に包まれる希たち一家。
μ’sの皆といる時とはまた違う、家族特有の賑やかな空気。希はこの空気が好きだった。
幾ら仲の良い友がいたとしても、これだけは……この空気だけは、家族でなければ出せないものだった。
「……本当に、楽しそうでよかったわ。 電話じゃ楽しそうに話していたけど、こうして顔を合わせるまで本当かどうか不安だったのよ」
「昔から引越しばかりで、希には寂しい思いをさせてばかりだったからな……それだけが気がかりだったんだよ」
「――ありがとう……お父さん、お母さん」
今の希の暮らしを――彼女が友に囲まれ、楽しく暮らしていることに安堵し、噛みしめるように語る両親の姿に、希は心を震わせる。
自分のことをそこまで案じ、想ってくれていることが途方もなく嬉しかったのだ。
両親がこれからも安心していくためには、自分が健やかに、幸せに暮らしていくことなのだろうと思う。
「――それとね。今日はもう一つ、大事な話があるの」
だから――これからこの話をすることは、希には心苦しかった。
自分がこれから話すことは、両親の望みとはまったくの正反対にあるのだから。
だけど、話さなくてはならない。それは今日の予定が決まったときからずっと決めていたことなのだ。
それにこれからのこと、これから降りかかることを考えれば――避けては通れないものだった。
何かと思い、話を待つ両親の前で、希は鞄から“それ”を取り出した。
「――希、それは……」
「――――っ」
希が鞄から取り出したものを前に、両親の表情は強張った。
それは希が幼い頃、誕生日プレゼントとして彼らが与えた“お守り”――魔導筆だった。
大事な話と言って、今この場で魔導筆を出す――それが意味することはただ一つだった。
「――私、魔戒法師になったんだよ」
希の言葉に、嘆くような――その一方で予期はしていたというような反応を見せる両親。
そんな彼らの姿を前に、希はずっと疑問に思っていたことを問いかける。
「教えて……お父さんとお母さんは、魔戒法師だったんだよね」
――どうして、私を魔戒法師じゃなく、普通の女の子として育てたの?
**
「―――ハアッ!!」
――とある広場。
エレメントと化したオブジェから飛び出した黒い靄――陰我を魔戒剣で両断し、浄化を果たす彩牙の姿があった。
危な気なく一仕事を終え、額から伝う汗を拭う。そしてその視線は、自らの後方に向けられた。
「―――っ、はぁっ、ふぅっ……!」
そこには膝に手をつき、肩で息をする絵里の姿があった。
帰り道で彩牙と遭遇してからここまでずっとついて来ていたのだ。
――遭遇した場所にあったエレメントを浄化してから、彩牙はあちこちに点在するエレメントを巡っては浄化していた。そんな彩牙の姿を見届けたいと同行を願った絵里であったが、思っていた以上のハードワークに体力を完全に奪われていた。
彼女はただ彩牙についていくだけであったが、何分その行動範囲が途轍もなかった。
ある箇所のエレメントを潰したと思ったら、全く正反対の――例えるなら日本列島の北から南へ移動するようにエレメントを潰しに行くというのが続いていたのだ。
体力には自信があった絵里だが、少し汗をかいただけの彩牙を前に、彼らと自分では体のつくりが根本的に違うのだと改めて実感した。
――最も、そうでなければあのようなバケモノと戦うことなど不可能なのだろうが……
『……まさか根を上げずにしっかりついてくるとはな、大した根性をした嬢ちゃんだ』
ザルバが感心したような声を上げる。彩牙もそれには同感だった。
なにせ彼らは絵里を撒くつもりでエレメントを巡っていたのだ。いつも以上に早歩きで進んだり、わざわざ離れた場所まで向かったりするなど、体力が切れた頃を見計らって安全な場所で撒けるようにしていた。
だが彼らの予想に反し、絵里は最後までついて来ていた。流石に体力がなくなり、疲労困憊の状態ではあったが、これもひとえに彼女の意志の強さによるものなのだろう。
彩牙たちの――希のやっていることを知りたいという意志が――
「……」
――流石に、ここまで意地を見せた彼女に何もしないというのは酷な話だ。
幸いにして今日潰すべきエレメントは全て浄化した。園田家の手伝いにもまだ時間に余裕がある。
彩牙は絵里の下に歩み寄ると、ふらついて今にも倒れてしまいそうな彼女の手を取り、肩を支える。
「彩牙くん……?」
「少し休もうか」
まずは、休めるところを探さなければ。
*
彩牙が選んだのは、近場にあった公園だった。
適当なベンチに絵里を座らせ、自販機で買ったスポーツドリンクを手渡す。呼吸を整えながら少しずつ飲んでいく彼女の姿は、汗を流す姿も相まって健康的な色気を晒していた。
自身もまた、一緒に買っていた黄色いラベルの缶コーヒーを開け、啜っていく。コーヒーの苦味を埋め尽くすような練乳の甘ったるさが口の中に広がり、混沌とした味わいが彩牙の味覚を刺激する。
……次は甘くないやつを買おうと思った。
「……今日は、我儘に付き合ってくれてありがとう」
そうしていること数分後――ようやく体力が落ち着いたのか、姿勢を楽にした絵里が呟いた。
「魔戒騎士ってホラーと戦うだけがお仕事じゃなかったのね」
「ああ、ホラーの出現を防ぐためにゲートを潰す――それも俺たちの役目だ」
「海未の家の手伝いもしてるんでしょ?よく体力が持つわね」
「そうか?俺にとっては当たり前のことなんだが……」
日中はエレメントの浄化と園田家の手伝い、夕方に海未と剣の稽古と夕食を済ませた後、夜の見回りとホラーの討滅。そして早朝にまた海未と剣の稽古――
こんな暮らしで一体どうやって休息をとり、体力を維持しているのか……絵里には不思議でたまらなかった。魔戒騎士の身体の仕組みを解析すれば体力の心配がいらなくなるのではないか――そんな冗談のような考えが浮かび上がるほどに。
そして同時に、心配事が生まれる。
「……希は、こんな生活で持つのかしら」
「――彼女なら大丈夫だ。最近は上手く身体を休められるようになってきたし、それに毎日遅くまで見回るわけじゃないからな」
『ま、始めたばかりの頃は翌日ふらつくことが多かったがな』
彩牙たちの言葉にほっとすると同時に、一つ合点がいった。
一時期、希が練習中に上の空になっていたりフラフラしていたりすることがあったが――あれは、魔戒法師としての生活サイクルにまだ順応できていなかった故だったのだ。
事実、最近の希はそう言った様子を見せることなく、健康体そのものだった。
希の成長にほっとするやら寂しいやら複雑な感情を抱く中、絵里は表情を引き締め、彩牙に尋ねる。
今現在、最も聞きたいと思っていたことを。
「……聞いてもいいかしら?」
「何がだ?」
「彩牙さんは、どうしてホラーと戦うの? ……あんなのと戦うことに、怖いと思うことはないの?」
絵里は、彩牙が何故ホラーと戦うのか知らなかった。
希が戦う理由は以前本人から聞いた。μ’sの皆を守りたいが為に戦うことを選んだのだと。
では彩牙は?彼は何のために戦うのか?
ホラーを討滅することは彼ら魔戒騎士の使命だと、希は言っていた。使命感――それだけで、あのような恐ろしいバケモノと戦うことができるのか?
彩牙を戦いへと突き動かすものは何なのか――絵里はそれを知りたかった。
「…………ははっ」
「……?」
そんな絵里の言葉に、彩牙は昔を――戦う理由に悩んでいた頃を思い出し、僅かに頬を緩ませた。
不思議そうに見つめる絵里の視線を浴びながら、表情を引き締めた彩牙は口を開いた。
「守りたい人々がいるからだ」
彩牙の言葉に、絵里は目を見開いた。
「……確かに、ホラーは恐ろしい。奴らは闇の中から俺たちの心の隙を窺い、その身と心を闇に堕とそうとする。 直接対峙しても同じだ、奴らの恐怖に呑まれ、喰われることは怖い」
「……」
「だが俺が戦うことで、その恐怖から人々を――大切な人を守ることができる。ホラーを倒すことで人々の未来が、明日が守られる。だから俺は戦うことができるんだ」
「――そしてこの力は、そのために受け継がれてきたんだ」
そう語る彩牙が掲げたのは、赤い鞘に納められた魔戒剣――牙狼剣。
黄金騎士ガロの力そのものであり、象徴でもある剣。
彩牙が受け継いだ力であるそれを見上げる絵里の胸中に、ある想いが生まれた。
「………重荷に思ったことは、ないの?」
気付いた時には口に出していた。
絵里が聞いた話では、彩牙は海未の家に拾われる以前の記憶が無かった筈だ。仮に記憶を失う前はガロを受け継ぐ心構えや覚悟があったとしても、記憶を失くした彼の中にはそれらは無かった筈だ。
気付いた時には自分の中に存在し、受け継いでいた力。それに伴う戦いの運命に苦悩することはなかったのか。
その強大な力を受け継ぐことを、重荷と思うことはなかったのか――
「……重荷じゃない、と言えば嘘になる」
絵里からかけられた問いに、彩牙は静かに語り始める。
その瞳は揺らぐことなく、掲げられた牙狼剣に向けられていた。
「黄金騎士ガロの称号……それを未熟な俺が名乗っていいのかと不安になることも、その名を重く感じることもある」
彩牙は語る。
ガロはただの称号でも、黄金の鎧でもない。すべての魔戒騎士の頂点に君臨する最強の称号であり、鎧に宿りし英霊に認められた騎士のみが名乗り、鎧を纏うことが許されるのだと。
ガロを名乗り、その鎧を纏うということは――英霊たちの遺志を継ぐということ。
その身に掛かる重責は如何ほどのものであるのか――絵里は想像するのが恐ろしくなった。
「――だが同時に、誇りに思う」
「え……?」
――故に、誇らしげにそう語る彩牙の姿は予想外だった。
「確かに、先代のガロであった父はどういった経緯で、何故未熟な俺に鎧を託したのかわからない」
「だがどんな理由があったにせよ、父がガロの鎧を――人を守るための力を俺に託してくれた事実は変わらない」
「俺を信じ、未来を託してくれた――そのことが嬉しく思うんだ」
そう語る彩牙の横顔には、凛々しい笑顔が浮かんでいた。
力を受け継ぐということは、重責を背負うことだけではない。力を託される――それは信頼の証でもある。
『彼ならば託すに値する』――そう信じられているからこそ、力を――希望を託されるのだ。
そして今、彩牙の手元にはガロの鎧が――信頼と共に託された“希望”の象徴があった。
その一方で、絵里は彼の言葉を自分の境遇と――生徒会の引継ぎと重ねていた。
……自分は、信じていたのだろうか。生徒会を引き継がせなければと考えているばかりで、相手のことを――生徒会を任せられると信じていたのだろうか。
――否だ。『やれるかも』と思っていただけで、『任せられる』『任せたい』とは思っていなかった。相手のことを、信じきれていなかった。
彩牙を信じて鎧を託したのであろう彼の父が、それを誇りと思う彼が、羨ましかった。
「……なんだか、羨ましいわね。そう思えるのって」
『お前さんはどうなんだ』
「え?」
「絢瀬さんにもそう思える相手がいるんじゃないのか?」
――言われて、考える。
自分が信じる人。自分の想いを託したいと思える人。
深く、深く考える。自分の奥深くにある心からの想いを引っ張り出す。
そうして浮かび上がったのは、自分に手を差し伸べる一人の少女。
自分を救ってくれた、太陽のような女の子――
「――――あ……」
――いた。
たった一人、絵里が自分の想いを託したいと思える少女が。
――彼女は秀才ではない。テストでは赤点ギリギリであるし、友人の助けがなければ何もできないと自信満々に言うほどだ。多くの人間が浮かべる生徒会長像とは正反対の位置に属するだろう。
だが彼女なら――助けを借りることを躊躇わない彼女だからこそ、生徒たちを導くのではなく、生徒たちと肩を並べて一緒に進んでいくことができる。
そんな新しいカタチの生徒会ができるのではないか――そう思った。
いや、彼女ならそれができると信じられる。
「そっか……そうだったのね……」
今、ようやく気付くことができた。
自分の本当の想い。誰にこの役目を託したかったのか。
「……ありがとう、彩牙さん。あなたと話せてよかったわ」
――自分は、学校の未来を“彼女”に託したかったのだ。
台風のように周囲を巻き込みつつも皆を笑顔にできる、太陽のような女の子に――
**
――あるところに、二人の男女がいた。
彼らは魔戒法師だった。幼い頃より閑岱の地で修業を積み、法師として騎士を支え、ホラーと戦い、人を守ってきた。
その中で彼らは絆を深め、恋に落ち、愛を抱き、夫婦となった。
――しかし、良いことばかりとは限らなかった。
彼らは魔戒法師。ホラーと戦う者たち。
戦うとはつまり、自分たちも死ぬことがあるということだ。
組んでいた魔戒騎士、そして先輩、後輩、修業時代からの馴染みの魔戒法師。皆ホラーとの戦いの中で傷つき、斃れていった。
彼らは魔戒法師としては並程度の実力しか持たなかった故、その無力感もさることながら、自分たちだけが生き残ってしまった罪悪感にひどく苛まされていった。
そうして悲しみ、悩み、苦しんだ末に――彼らは挫けた。
彼らは戦えなくなった。仲間を失い続ける悲しみ、死ぬことに対する恐怖、力不足による無力感が、守りし者としての心をへし折ったのだ。
彼らは番犬所から去り、術を捨て、守りし者からただの人となった。
普通の人間として暮らしていくことは、それまでとは違う苦労が多かった。だが戦いとは無縁の場所で穏やかに生きていくことは、彼らの心身に僅かなりにでも癒しをもたらしたのだ。
そうして月日は流れ、彼らはその間に新しい生命を授かった。
母譲りの髪色と父譲りの色の瞳をもつ、可愛らしい女の子だった。その無邪気な笑顔は、深く傷ついた彼らの心に溢れんばかりの幸福感をもたらした。
その子こそが――
「……それが希、あなたなのよ」
「……」
そう語る両親の言葉を、希は目を見開きながら聞いていた。
自分が知らなかった両親の過去――魔戒法師として育ち、戦い、仲間を失い続け、心がへし折れたその半生。その過去は彼女が想像していたものよりも凄惨で、思わず言葉を失ってしまっていた。
自分にとっての仲間や友――彩牙や絵里、μ’sの皆。それらを失い続けてきた両親の苦悩と絶望は如何ほどのものだったのか、想像するだけで彼女の心は恐怖に震えた。
それ故に、仲間を失い続けた両親にとって新たな命を――希を授かったことは、この世の何物にも代えがたい希望になったのだ。
――だが一つだけ、両親には大きな不安があった。
「もう知ってるとは思うが……希、お前は生まれつき大きな法力を持っていたんだ」
「あなたは小さな頃から“この世ならざるモノ”が見えていたのでしょう?その理由がそれよ」
両親は語る。
希が有していた法力とは、両親とは比べものにならない――それこそ名を遺せる法師になれるであろう、というほどに強大だったのだと。
それが作用して希にはこの世ならざるモノが見えていたことを両親は知っていた。……知っていて、気づかぬふりをしていた。
その理由は――
「……私たちは怖かった。いつかお前が戦いに巻き込まれるのではないかと」
「だけど私たちの力ではあなたの力を封じ込めることはできなかった。それに逃げ出した身では番犬所を頼ることもできない。だから――」
「……だから、あの守りの術を教えたの?」
確かめるような希の問いに、両親はこくりと頷いた。
幼い頃の誕生日に、お守りと称した魔導筆と共に授かった守りの術。
あれは“その時”が来た時を危惧して、希が自身や大切な人を守れるようにと授けたのだ。
事実、その懸念は現実となった。この術が無ければ彼女は今こうして無事ではいなかっただろう。彼女だけではない。彩牙や真姫――μ’sの皆も。
――だが、同時に疑問も浮かび上がる。
「――『何故魔戒法師やホラーのことを教えなかったのか?』……って言いたそうね」
言おうとしていたことを読み取った母の言葉にどきりとし、息を呑む希。
母の言う通り、高い法力を有していたのなら魔戒騎士や魔戒法師のこと、ホラーとの戦いのことを教えなかったのか不思議に思っていた。
全てを教えてしっかり戦えるようにするのではなく、何故何も教えずに最低限の守りの術だけを授けたのか――希にはその理由がわからなかった。
「……お前には、何も知らずにいてほしかった」
「え……?」
「魔戒法師やホラーのことなど知らず、ただ平穏に……普通の女の子として生きてほしかったのよ」
平穏に、穏やかに生きてほしい。
戦いとは無縁の世界で、一人の女の子としての幸せを享受してほしい。
それが両親の願い。愛する一人娘へ抱く、ただ一つの願い。
それは人の親としてはごく当たり前の感情、だがその一方で――
「……つまり私たちは、お前以外の人間を見捨てるも同然のことをしたんだ」
「……幻滅したでしょう? 魔戒法師になった今のあなたにとって、私たちは守りし者の使命も何もかも放棄した、“魔戒法師くずれ”だもの」
顔も名前も知らない人間の命や未来よりも、彼らは自分たちの娘の平穏を選んだ。
それは魔戒法師としてはあってはならないこと。
守る人間を選り好みするような者は、守りし者に非ず。
戦いから逃げ出した身ではあるものの、かつては彼らも魔戒法師。そのことに対する負い目が両親の中にはあったのだ。
俯き、視線を逸らす両親には、希の表情は見えない。
彼らは娘を見るのが怖かった。娘がどんな目で自分たちを見ているのか、向き合うことができなかった。
怒っているのだろうか、軽蔑しているのだろうか――“逃げ続けた”彼らには、それを確かめる勇気がない。
そして僅かに見えた視界の隅で、希の口元が動き出す――
「……そんなことない」
淀みなく、はっきりとした言葉。優しさと力強さが織り混じった声色。
その言葉に思わず視線を上げた両親の目の前には、愛する娘の柔らかな微笑みがあった。
「そんなことないよ。 だって、お父さんもお母さんも頑張って、悲しくて、辛い思いをしても……ずっと私を守ってきてくれたんでしょ?」
「私にとってお父さんとお母さんは……世界で一番の“守りし者”だよ」
希は両親を責める気にはならなかった。
――責める理由がどこにあるというのか。
ホラーと対峙し、その恐怖と向き合い、自分の命どころか危うく友を失いかけた希だからこそ、両親の気持ちは痛いほどわかる。それを笑ったり軽蔑するなどできるわけがない。
そして戦いから逃げた負い目に加え、人々を守ることを放棄した罪の意識に苛まれることになっても、両親は希の平穏を――彼女を守ることを選択した。
それほどの愛を、どうして否定することができようか。
――だから、誰が何と言おうと、希は何度でも毅然と言える。
彼女の両親は、立派な守りし者なのだと。
「希……!」
「――ッ……!」
そんな希の言葉に、両親は涙を堪えるので精一杯だった。
――彼らは赦されたかったのだ。戦いから逃げ、人を守ることを放棄した罪の意識から。許されぬとわかっていながらも、救いを求めていた。
そして今、それは為された。彼らがこの世で最も守りたいと思っていた相手に。魔戒法師となり、彼らを糾弾できる立場にある愛する娘に。
これほどに心を震わせ、救いとなる出来事があるだろうか――
「……だから、お願いがあるの」
だからこそ、希には頼みたいことがあった。
世界で一番の守りし者だと信じている両親に、誰よりも喪うことの哀しみを知る両親だからこそ、教わりたいことがあった。
「私に術を――みんなを守るための力を教えてほしいの」
命を、未来を、希望を守るための術。
両親が守れなかった分も守っていくために、自分も含め皆を守るために、かつて両親がこれまで培ってきた全てを教わり、受け継ぎたかったのだ。
全ては、これからの未来のために。
それに対する両親の答えは――最早語るまでもなかった。
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――夜。絵里の自室。
ゆったりとした部屋着でリラックスしている絵里の手元には、彼女のスマートフォンがあった。
ついついと操作し、その画面に映し出されたのは、ある人物の連絡先。
一瞬逡巡するも、気を取り直すようにタップし、電話を掛ける。
プルルルル、と電話の呼出音が耳の中で反響する。
その最中で絵里は考える。受け入れてくれるだろうか、引き受けてくれるだろうかと不安はある。
だがその一方で、彼女ならば引き受けてくれる、自分の後を継いでくれるという想いもあった。
確証は何一つない。だがきっとそうなるであろうという確信が、絵里にはあった。
何よりも絵里自身が、彼女に託したいと思っているから――
『――もしもし、絵里ちゃん? どうしたの?』
「こんばんは、穂乃果。 あのね、大事な話が……」
「――あなたに、お願いしたいことがあるの」
***
穂乃果「あの日、私たちの夢が一つ叶いました」
穂乃果「だから私たちはもう一度駆け出します!」
穂乃果「新しい夢に向かって!」
穂乃果「次回、『夢想』!!」
穂乃果「叶え!私たちの――」
突然ですがしばらくの間、お休みを頂きたいと思います。
というのもここ数話は投稿間隔がどんどん伸びていってしまい、話や文章が頭の中でまとまらず、書き溜めの執筆も全く進まないという状況に陥ってしまったのが原因です。
このまま無理無理に進めてお目汚しするよりは、章の区切りで一旦筆を休めた方がいいかもしれないと思い、このような措置といたしました。
楽しみにしていただいている方には申し訳なく思いますが、どうか長い目でお待ちいただければ幸いです。
いつになるかお約束はできませんが、第二部の一話目を投稿できるその日にまたお会いしましょう。