前回から1年以上経ってしまいましたが、ようやく帰ってこれました。
更新が止まっている間にスクスタ配信やら牙狼の新作やら色々な展開がありましたが、こちらもまた進めていきたいと思います。
相変わらずの亀更新ではありますが、今後もよろしくお願いします。
あと、今回から投稿形式を少し変えてみました。
P.S.フェス限がまったくお迎えできないのだが(血涙
第24話 夢想/Ⅰ
――俺の自我は、背負われている時から始まった。
ゆらり、ゆらりと揺れる中、背負い紐で固定された俺が“目覚めて”初めて目にしたのは大きな背中だった。寝惚け気味で、虚ろ気な目に映ったその背中はとても大きく、ごつごつとして巌のように固かった。
……だけど同時に、温もりもあった。小さくて、風が吹いたら飛ばされそうなほど脆い身体を決して振り落とさぬようにと穏やかに揺れるその背中は、俺の身を案じる優しさと温もりがあった。
――といっても、当時の俺にそんなことはわからなかった。初めて見た世界の中で、ただ暖かい、気持ちいいと漠然と思っていただけだ。
暫く揺られていると、また眠くなってくる。
うつらうつらと瞼が重くなる中、遂に限界がきて夢の世界に旅立とうとしたその瞬間、その背中の主の顔がちらりと振り向いた。
――男の人だった。それなりに歳を取っているようで、皺と髭を幾らか携えたその顔は鋭く厳格な顔立ちで、それでいて慈しむような眼差しでこちらを見つめていた。
――その時、俺は漠然と理解した。
この人が――俺の父親なのだと。
***
第24話 夢想
「……はぁ、今日もダメかぁ……」
――ある日の夜。
人々が行き交う街の広場の一角に、一人の若い女がいた。
ギターを肩から下げ、自作の歌を奏でる――弾き語りだ。だが人の行き交いに比べ、彼女の歌に耳を傾け、足を止める者は殆ど皆無だった。
彼女はかつて、プロの歌手を志していた。
音楽関係の事務所に所属し、CDを出し、そこそこ売れだして小さなイベントに出演したりするなど順調に進んでいた。
しかしある悲劇が彼女を襲った。
上達しようと無理な自主練を続けるあまり、彼女は過労で倒れてしまった。命に別状はなく、無事完治することもできた――ある一点を除いて。
喉だ。
上達のために喉を酷使しすぎたあまり、彼女の喉は潰れてしまったのだ。
それ以降彼女は以前と同じように歌うことができなくなり、仕事もなくなり、事務所内で彼女は腫れ物のような扱いになった。
そして最終的にその空気に耐え切れなくなり、彼女は事務所を辞めた。引き留められる様なことはなく、その頃には世間からも彼女の存在はすっかり消えていた。
彼女の夢はそこで破れた。
だが彼女はかつての夢を忘れることができなかった。
色々な音楽事務所への売り出しや、こうした資金調達も兼ねた弾き語りによって、音楽関係者へのアピールを重ねていった。
しかし現実は厳しいものだった。以前のように歌えなくなった彼女を迎え入れようとする事務所はなかった。弾き語りも音楽関係者の目の留まることはおろか、一般人の足も引き留めることができなかった。
女手一つで育ててくれた母はそれでも彼女のことを応援してくれていたが、生活費もまともに稼げない自分が情けなく思い、罪悪感に近い居心地の悪さを抱いていた。
片付け、ギターケースを背負い、帰路に就く。
生気が抜け落ちた暗い表情を浮かべ、とぼとぼとした足取りで歩く彼女の耳に、軽快なポップソングが飛び込んでくる。
顔を上げ、その歌声の出所を探す。その視線が辿りついたのは、ビルの外壁に備え付けられた街頭モニターだった。そこに映し出されていたのは、お揃いの衣装に身を包んだ三人の少女たちだった。
『――本日は第一回ラブライブで見事優勝を飾ったスクールアイドル、A-RISEの皆さんにお越しいただきました!』
――スクールアイドル。
彼女はアイドル関連にはほとんど興味はなかったが、その存在は知っていた。女子高生を中心に広がっているアマチュアのアイドル活動で、中にはプロに匹敵する腕前のグループもあるらしく、芸能事務所も取り入れを検討していると聞いたことがある。
現に今、彼女以外の通行人の多くの視線もモニターの中の少女たちに釘付けとなり、そこかしこで黄色い悲鳴が上がっていた。
彼女の瞳に映る、モニターの中で司会者の質問に答える少女たちは、とてもキラキラしているように見えた。
その姿は輝かしくて、微笑ましくて、羨ましくて、そして何よりも――妬ましかった。
なぜ自分はあの場所に立つことができないのか、なぜ自分はこんなにも惨めなのか、自分と彼女たちで何が違うのか。
なぜ、なぜ、なぜ――――『何故』と思う感情は次第に自分を認めない世間に対する憤りに、望むままに歌うことができるスクールアイドルそのものに対する嫉妬へと変わっていき、どす黒い感情が彼女の中を満たしていく。
『―――もう一度歌いたいか?』
「えっ……!?」
――その時、彼女の耳に何者かの声が響いた。
男のような女のような、老人のような子供のような、奇妙な声だった。
咄嗟に辺りを見回すが、彼に声をかけた様子の人物はいない。それどころか皆モニターの方に釘付けになっていて、誰も彼を見ていない。
あんなにはっきりと声が聞こえたのに、だ。
『羨ましいのだろう、妬ましいのだろう?思うがままに歌うことができるあの娘たちが』
『本来ならばあそこに立てたのはお前だったはずなのになぁ』
「な、なによ……私、疲れてるの?」
明日はゆっくり休んだ方がいいかな――自分に言い聞かせるように呟きながら、彼女はその場を離れようとする。
『そうしてまた今日と変わらぬ日々を過ごすのか?』
――しかし、その声が彼女の歩みを止めた。
『誰の興味も引かぬ曲、誰の心にも響かぬ歌。それを惰性で垂れ流し続けながら、差し伸べられることがない手をただ待ち続けるだけの毎日』
――黙れ。
『そんな日々をこれからもずっと続けていくつもりか?』
――黙れ、黙れ……。
『他者を羨み、妬み、何者にもなれぬまま、惨めに生きていくつもりか?』
――だまれ、だまれ、だまれ……!
『私を受け入れろ。そうすればお前を昔以上に歌わせてやれるぞ……?』
「――だまれだまれだまれだまれっ!! そこまで言うならやってみなさいよ!私をもう一度歌わせてみせてよっ!!」
語りかけてくるその声に、耐えられなくなった彼女は大声で叫びあげる。
これ以上我慢できなかった。自分の心を見透かしたかのように語りかけるその声は彼女の神経を逆撫で、心を激情で支配するには十分だったのだ。
――故に、彼女は気づかなかった。
辺りに響き渡るほどの叫び声を上げたのに、誰一人彼女の方に視線を向けないという異常性に。
『――よく言った』
その声が嘲笑うようにそう言ったことに、彼女が気付けたかは定かではない。
ただ一つ確かなのは、背負ったギターケースから溢れ出した闇が彼女の身体に入り込んでくること。それが彼女という『人間』が最期に見た光景だったということだ。
**
――音ノ木坂学院・講堂
「――音ノ木坂学院は、入学希望者が予想を上回る結果となったため、来年度も生徒を募集することになりました」
全校生徒と教師で埋め尽くされたそこで壇上に立ち、生徒たちに挨拶を述べるのはことりの母――この学校の理事長だった。
彼女の語る言葉には、廃校は免れないと思われていた学校が存続できることに対する喜びと、生徒たちに学校が無くなるという寂しい思いをさせずに済んだことによる安心感が籠められていた。
そして理事長の挨拶の内容は、生徒たちへと直接投げかけるものになっていく。
三年生は残りの学園生活を悔いなく過ごすことを。
二年生と一年生にはこれから入学してくる後輩へのお手本となること。
お決まりの言葉と言えばそれまでだが、核心を突いている言葉でもあった。これらの言葉を守れない人間には、何かしらの形で報いが返ってくることもまた事実なのだから。
そして、その言葉で理事長の挨拶は締めくくられた。
「理事長、ありがとうございました。それでは次に生徒会長の挨拶。 生徒会長、お願いします」
そう告げるのは司会の席に座る、赤いリボンを身に着けた二年生――ヒデコだ。
彼女の言葉に応えるように席を立つ絵里。そのまま壇上へと向かう――わけではなく、彼女はその場でパチパチと拍手をしていた。これから起きる出来事を祝うかのように。
やがて、そんな“元”生徒会長の祝福に応えるかのように、一人の少女が壇上の袖から姿を現した。
赤いリボンを身に着け、全校生徒の視線を浴び、袖に隠れている二人の幼馴染が見守る中、彼女は演卓の前に立ち、高らかに宣言した。
「皆さん、こんにちは! この度生徒会長になりました、スクールアイドルでお馴染み――」
生徒たちの歓声を浴びる中、彼女は演卓に置かれたマイクを手に取るとそれを天高く放り投げ、危なげなくキャッチすると再び高らかに宣言するのだった。
「――高坂穂乃果と申します!!」
新生徒会長――穂乃果の姿を前に絵里は思う。
やはり彼女にお願いして正解だったと。二つ返事で引き受けてくれたことも、こうして新生徒会長として宣言している彼女を見たことで確信した。
彼女ならば、きっとこれまで以上に楽しくて、輝いている学校生活を作り出すことができると。そんな晴れやかな想いで、絵里は新しい生徒会長の誕生を見守っていた。
――この数秒後、考えていた挨拶の内容が頭の中から吹っ飛んで硬直した生徒会長を前に、絵里をはじめとした全校生徒が「本当に大丈夫なんだろうか」と不安を抱くことになるのだが、まだ誰も知る由はない。
**
「――魔導書?」
――虹の番犬所。
神官オルトスに呼び出された彩牙とコテツの、オウム返しのような声がその場に響き渡る。
うむ。と呟くオルトスが取り出したのは、旧魔界語で記された一冊の魔導書だった。
「お主ら、旧魔界語は読めるかの?」
「多少は」
「師匠に死ぬ気で叩き込まされたよ」
「ふむ、やはり希に探させて正解だったようじゃの」
二人の答えに満足そうに頷くオルトス。
話が見えず首を傾げる彩牙たちに、オルトスは事の次第を語りだす。
事はあの日――大和が海未を攫い、暗黒騎士としての本性を明らかにした日のことだ。
彩牙がコテツの師を殺害したという記録が納められた魔導具に改竄の跡を見つけたオルトスは大和に疑いを持った。魔導具の記録を改竄できるほどの腕を持つ魔戒法師は、大和以外にはいなかったからだ。
そして希に大和の住処の調査を命じ、そこで彼女が見つけ、持ち帰ったのがこの魔導書だったのだ。
――なお、正体を露にした大和が姿を消して間を開かずに、大和の住処は塵一つ残さず消えていたため、持ち出すことができた物品はこれのみだったという。
「ちなみに言うとこの魔導書は旧魔界語を読める者が読むと発狂する術がかけられておってな、全く読めないあやつを向かわせて正解じゃったわい」
もう術は解いてあるから安心せえよ。と軽い口調で語るオルトスに、彩牙たちは小さくため息をついた。
運が良かった風に言っているが、実の所全部わかった上で希を向かわせたということが言葉の節々から伝わってきたからだ。
「それで、何が記されてあったのですか?」
「極上に美味い赤酒の製造法が記されておったわ」
「何言ってんだこいつ」と言いたげな視線を向けるコテツだが、オルトスは意にも介さず平然としている。
コテツ程ではないにしろ、彩牙も同じような視線を向ける中、オルトスはその答えを口にした。
「大和もなかなかに厭らしいことをしおってな、魔導書の中身を無茶苦茶に改竄されておったのじゃ」
暗号文にされたようなものだとオルトスは語る。
それが事実だというのならば、オルトスをもってしても解読するには一朝一夕ではいかないだろう。仮にも魔戒法師としても超一流であった大和が簡単に解読できるような暗号を仕込むとは到底思えない。
しかし、それは裏を返せば――
『奴にとっても重要な情報が詰まっているってことか』
「そういうことじゃ。希は本当にいい仕事をしてくれたわい」
希の勘の鋭さは彩牙もよく知っている。
そんな彼女が膨大な魔導書の中からこの一冊を持ち出したという事実。それだけでも暗号の解読をする価値は十二分にあるだろう。
やるべきことは決まった。あとはこのことを希とも共有して――
「――彩牙。 お前に話しておきたいことがある」
その時、コテツがおもむろに話を切り出した。
彼はちらりとオルトスに視線を向けると、再び口を開いた。
「……俺が魔戒騎士になったのは、あるホラーを倒すためだ」
そう言ってコテツが取り出したのは一枚の写真だった。
「そこに写っている男がそのホラーだ」と渡された写真を見て、彩牙は目を見開いた。
「……お前、これは――!」
「見つけたら教えてくれ。頼む」
そう語るコテツだが、彩牙は写真から目を離せない。
この写真の中身が真実であるのならば、コテツは――
**
「――ラブライブに出ない?」
その日の晩、園田家の道場。
日課となっている海未との剣の稽古を終えて片付けている最中、海未の話を聞いた彩牙は鸚鵡返しのように呟いた。
はい。と海未はその詳細を語り始める。
曰く、事は今日の日中に起きた。
生徒会としての初仕事が一段落ついて一休みしている最中、鬼気迫る表情の花陽、凛、真姫、にこが現れ、彼女らに有無を言わせず部室に連れていかれたのだ。
途中で合流した絵里と希も交え、アイドル研究部の部室で聞かされたこと――それはラブライブの第2回大会の開催が決定したとのことだった。
ランキング形式の第1回とは違い投票によるトーナメント形式であり、これまで注目を浴びなかったグループでも優勝できる可能性がある――謂わばアイドル下克上なのだと、花陽が熱弁したらしい。
彼女たちμ’sは地区予選で必ずA-RISEと当たることになるという、巨大すぎる壁が立ちはだかることにはなったが、それでもやる価値はあると話が纏まりかけた時だった。
それまで一言も喋らなかった人物が――それこそいの一番に出場しようと言いそうな人物が、何も言わなかったことに気付いたのだ。
――穂乃果だ。
彼女は我関せずとでも言うように、のんびりとお茶を飲みながらあっけからんと言った。
―――出なくてもいいんじゃない?
それからはもう大騒ぎだ。
何故出ないのかと問い詰め、鏡を前に心理テスト紛いのことをはじめ、終いにはホラーの憑依を疑って魔導火を取り出す始末だ。
そんな周囲の勢いに圧倒されつつも、穂乃果は『みんなと楽しく歌って踊れればそれでいい』と言うだけだった。
――それがラブライブに出場しないことへの理由になっておらず、ただはぐらかしているだけなのは誰の目から見ても明らかだった。
「生徒会の仕事で忙しくなるから、と私たちも最初は考えたのですが……」
『猪突猛進を絵に描いたようなあの嬢ちゃんがそんなことで降りる筈もなし、か』
穂乃果は、一度やると決めたことには全力で挑むような人間だ。
絵里から引き継いだ生徒会の仕事も、スクールアイドルも、やると決めたからには変に妥協せず、全力でやりきるのが穂乃果の在り方だ。そんな彼女が『生徒会の仕事があるからスクールアイドルは妥協します』などと言うはずがないのだ。そんなことでスクールアイドルを楽しむことなど、彼女にできる筈がない。
ならば穂乃果の真意は一体どこにあるのか――
「……多分、だけど」
彩牙が洩らした呟きに、海未はハッと顔を上げた。
「高坂さんは……怖いんじゃないか?」
「……大会で負けることが――ではないのですよね?」
恐らくだが彼女は――自分が行動したせいで、何か良くないことが起こるのを恐れているのかもしれない。
その最たる理由が前大会の棄権の経緯だ。あの時の穂乃果は夢中になるあまり、自身の身体を酷使してしまい、ライブの途中で倒れ、結果としてラブライブの棄権という結果を招いてしまった。
立ち直りはした。しかしあの時の過ちが、今も彼女を縛っているのだ。
「……実を言うと、私も薄々そんな気はしていました」
そして海未もまた、彩牙と同じ考えに至っていた。
彼女と穂乃果の付き合いは長い。ことりも入れた三人は幼い頃からずっと一緒だったのだ。
そんな小さな頃から穂乃果を見続けてきた彼女だからこそ、穂乃果の抱える迷いに感づくことができた。
あの日の出来事が、穂乃果から一歩踏み出す勇気を奪っているのではないかと。彩牙の言葉でその考えは確信に変わった。
「明日、もう一度穂乃果と――みんなと話し合ってみます。あの時穂乃果が見せてくれた夢を、私ももう一度追いかけたいのです」
「――そうだな、それがいい」
ならば答えは簡単だ。
皆と共に夢を追いかけることの楽しさを、穂乃果に思い出させるのだ。
海未一人では難しいかもしれないが、彼女は一人ではない。ことりが、μ’sの皆が共にいる。
皆と一緒ならば、どんな逆境でも乗り越えられると信じていた。
「……それで、彩牙くんの方はあれからどうですか?」
穂乃果についての話が一段落ついたところで、話題を切り替える海未。
あの日――彩牙が自分の下へと戻って来た日から、彼は以前より少し変わったように見えていた。
真面目なところは変わってないのだが、張り詰めていた気が和らいだというか――肩の荷が少し降りたような印象を受けていた。
それでもこうして尋ねるのは――また色々と溜め込み過ぎないようにと思ったからだ。溜め込みすぎる前に自分に吐き出してくれればいいと、そう思ったのだ。
「そうだな……特に――いや」
「変わりない」と続けそうになった言葉を抑え、彩牙は改めて答える。
「少しずつだけど、記憶が蘇り始めているんだ」
「! 本当ですか!?」
「ああ。といっても本当に少しずつだけどな」
彩牙曰く、あれから変わった夢を見るようになったという。
そこには幼い頃や少し成長した頃の自分がいて、夢だとはっきり認識でき、起きてからもその内容をはっきり覚えていた。そして何よりも、夢の内容を「懐かしい」と思ったのだ。
彩牙は察した。いや、感じ取ったと言うべきか。
あれはただの夢ではなく、自分の過去――失われていた自らの記憶が蘇りつつあるのだと。
「でも、どうして……?」
『――恐らくだが、大和に植えつけられた記憶を“偽り”だと認識した影響だろう』
海未の疑問に、ザルバが答える。
大和に植えつけられた記憶――コテツの師を殺したという、偽りの記憶。
あの日までの彩牙にとって、それは自らの過去であり、真実の記憶だった。だがそれが偽りであると発覚した時、それは偽りの記憶というただの『情報』になった。
それを補うかのように、これまで彩牙の奥底に封じ込められていた彼自身の本当の記憶が呼び起こされつつあるのではないか――というのがザルバの、そして彩牙の考えだった。
それを聞いた海未はほっとしていた。
ずっと不安だったのだ。これまで記憶が無くとも不安がなさそうに振る舞っていた彩牙だったが、心配かけまいとそう振る舞っていただけなのではないかと。
過去の記憶という、それまでの自分を確立する全てを失った彼の心中を考えると、海未は恐ろしくなった。もし自分が同じ状況に陥ったら、自分を保っていられるのかわからなかった。
だからこそ彩牙の記憶が蘇り、彼が己のことを確立できるようになれたことを、心から安堵していた。
――そう考えると、彩牙の記憶が蘇ることを一番に望んでいたのは彼女だったのかもしれない。
「だから……俺は大丈夫だ。気にかけてくれてありがとうな」
「――はい。もしまた何か迷うことがあれば……」
「その時は海未にも相談するさ。今度は、必ず」
その言葉に穏やかな笑みを浮かべる海未。
彩牙の支えとなれることを実感し心を弾ませながら、彼女は止めていた手を動かし、片づけを再開する。
その姿を、彩牙はある複雑な思いを抱きながら見つめていた。
――すまない、海未。俺は君に嘘をついた。
だけど……どうして言えるというんだ。
君の命のリミットが迫っていること、そこから救うために必要なヴァランカスの実がまだ見つからないことを。
どうやって……打ち明けろというんだ――
**
「……ねえ、何か聞こえない?」
「え? 何のこと………ホントだ」
――夜。とある通り。
そこを歩いていたカップルの片割れの女性が、不意に足を止めてそう呟いた。
その言葉に訝しげな表情を浮かべていた彼氏だったが、耳を澄ませると微かではあるが確かに音が聞こえてきた。
弦楽器か何かを弾くような音に――声。歌声だろうか。
その音が無性に気になった彼らは、引き寄せられるかのように音の発生源へと足を運ぶ。
少し歩き、開けた場所に出て――そこにいた。
一人の女が、ギターを弾きながら歌っていたのだ。
さっき聞こえたのはこの歌声だったのかと納得した彼らは踵を返す――ことはなく、その弾き語りの目の前まで足を運び、彼の歌声に耳を傾ける。
不思議な気持ちだった。今までこの女のような路上での弾き語りは何度も見てきたが、そのいずれにも足を止めて耳を傾けるようなことはなかった。
だがこれは違う。
聴く者すべてを引き込み、虜にするような――そんな不思議な魅力がこの歌声にはあった。願うことならずっと聴いていたいと、そう思うほどに。
しかしどんなものにも終わりがある。
歌が終わり、ギターの音が止むと、弾き語りの女はぺこりとお辞儀をする。
それまで歌に夢中になっていたカップルは我に返り、溢れんばかりの拍手を返す。そしてそのままどちらからとも言わずに財布を取り出した。
これほど心を虜にするような歌をばっちり聴いておいて金も払わずに立ち去るのは失礼だと思ったのだ。もしここにCDも置かれていたら迷わず買っていたことだろう。
「――いえ、お金はいりません」
しかしそれを手で制したのは他でもない、弾き語りの女だった。
「え? でも――」
「代わりと言っては何ですが―――」
「お二人の命を頂きます」
「え?」と呟く暇もなく、弾き語りの女の喉から飛び出した触手がカップルの頭蓋を貫いた。