牙狼〈GARO〉 -女神ノ調べ-   作:らいどる

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遅れましたが、あけましておめでとうございます。
相変わらずのろりとした更新速度ですが、本年もよろしくお願いします。

なお、今回は独自解釈が強めです。




第25話  夢幻/Ⅰ

 

 

 

剣を初めて握ったのは4歳の頃だった。

といっても当時はまだ真剣を握らせてもらえず――ソウルメタルなど以ての外で、許されていたのは木剣のみだった。

それでも幼かった俺にはその木剣が自慢の一振りで、最強の騎士の剣と同一格だった。よく振り回しては見栄を張り、「面白半分に振るうな」と父さんによく叱られた。

 

 

剣の稽古が始まったのもそれからだ。

普段から厳しい父さんだけど、この時は更に厳しくなって鬼と呼んでも差し支えがなかった。素振り、打ち込み、組手――豆や痣ができるのなんてザラだったし……正直泣いたのだって一度や二度じゃなかった。

 

だけどそれも、稽古の間だけだ。

稽古が終わった後、父さんは決まってご馳走をしてくれた。ハンバーグ、カレー、ラーメン……俺はそれが楽しみで、辛い稽古も頑張ってこれた。

中でも一番の楽しみは、食後のアイスだった。このときは普段厳つい父さんも顔を綻ばせていて――後で知ったことだけど甘党だったらしい――その顔を見るのが大好きだった。

 

 

――今になって思うと、あの父さんの笑顔は甘いのが好きだっただけじゃなくて、俺が喜んでいるのが嬉しかったんじゃないかと、そう思うんだ。

 

 

 

***

 

 

 

第25話  夢幻

 

 

 

――今にして思えば、その日は家中の空気が違っていた。

出迎えてくれた和木さんやリビングにいたママの私を見る目が、憐みの感情を帯びていたことに、私はちっとも気づけなかった。それよりも次のラブライブに向けて、新しい曲を考えようとか、振り付けは大丈夫かなとか、スクールアイドルのことで頭が一杯だった。

 

でも、しょうがないじゃない。折角穂乃果がやる気を出して、もう一度みんなとまたラブライブに挑めるようになったんだもの。

少しくらい浮かれてもいいなんて――そんなの、言い訳にしかすぎないし、今となってはどうしようもないんだけど。

 

ようやく家の中に漂うその空気に気付けたのは、夕食の時だった。

いつもは仕事で遅くなりがちなパパが珍しく夕食前に帰ってきていて、久しぶりに家族揃っての夕食。いつも口数のあまり多くないパパがいつも以上に黙り込んでいるのを前に、威圧されているような錯覚がして落ち着かなかった。

 

そして―――

 

「……真姫、話があるんだが」

 

そう言って切り出されたパパの話は、私の心を一気に暗く塗り潰していった。

スクールアイドルを――μ’sを辞めろ?なんで?どうして?嫌、嫌、嫌!!

そんなグルグルとモヤモヤで頭と心が一杯になって、口が勝手に動き出していた。

……正直、何を言ったのかは覚えてない。ただ顔を真っ赤にしたパパとショックを受けたママの様子からして、相当口汚い言葉を放ったのかもしれない。

 

そのまま溢れる激情に身を任せて食堂を飛び出した私は逃げるように自室に籠り、服が皺になるのを気にも留めずにベッドの中に潜り込んだ。

……どうして、こうなっちゃったの?本当に、もうみんなと一緒にいられないの?

パパは頑固で自分の考えを簡単に曲げないから、こうして籠っていたところで何も好転しない。そんなことわかってるのに、心も体も全く起き上がろうとしない。

 

――全部夢ならいいのに。

これは悪い夢で、目を瞑ってもう一度開けたら夢が醒めていて、これまで通りμ’sでいられたらいいのに。

そうよ……こんなの、きっと悪い夢よ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ミ   ツ   ケ   タ

 

 

 

**

 

 

 

「――西木野さんが、μ’sを抜ける?」

 

――園田家の縁側。

夕食を終え、夜の見回りに出かける前にと話をしていた彩牙と海未。

その中で海未から切り出された言葉を、彩牙は呆然と鸚鵡返しのように呟いた。

 

「……はい、本人がそう言ってました。お父上からスクールアイドルを辞めて勉強に専念するようにときつく言われたようです」

 

『ほう、あの気の強い嬢ちゃんにしては意外だな』

 

「そうだな……そういうタイプではないと思っていたが」

 

彩牙やザルバがそう思うのも当然だった。

彼らが知る西木野真姫という少女は上級生を前にしても臆することなく意見をぶつけ、自らが納得できない理不尽に対しては一歩も引かずに異を唱える――そんな我の強い人物だ。

そして真姫がスクールアイドルを――μ’sを、友と共に歌うことをどれだけ愛しているのかも知っている。

故に、そんな彼女が親に反対された程度で自分の意志を曲げてしまったのが、彼らにとっては意外だったのだ。

 

――だがそれは、あくまで彩牙とザルバという外野からの視点だ。

海未は違う。彼女には、彼女しか知らない真姫の姿があった。

 

「……以前、聞いたことがあります。真姫は元々、ピアニストになることが夢だったと」

 

いつだったか子供の頃の夢で盛り上がった時、真姫が一度だけ話してくれたことがあった。

中々渋っていたが穂乃果や凛に押し切られ、白状されるような形で語ったかつての夢。

それを語る真姫の表情が心なしか愁いを帯びたものになっていたことを思い出し、あの時の彼女は無意識に助けを求めていたのではないか――今になってそう思うのだ。

 

「大病院の一人娘……ピアニストの夢が医者に変わるのも不思議じゃないか」

 

それだけならば何も珍しくはない。

しかしただ夢が変わっただけならば、ここまで話がややこしくなることはない。

少なくともμ’sを辞めることを泣きながら辛そうに告げることなどなかっただろう。

 

『あの嬢ちゃんにまだ音楽に対する未練があったってことか』

 

だからこそ、一度は終わりかけていた音楽への情熱を取り戻させてくれたμ’sの存在は、真姫にとっても救いになったのだろう。自分の中で燻っていた音楽を、心のままに解き放てることができたのだ。

だがそれも、医者になるという夢――家族の期待も背負ったそれに、押し潰されようとしている。

 

「いっそのこと医者の夢を諦める――なんてことはできないか」

 

「……それができないからこそ、あんなに泣いていたのだと思います」

 

医者になるという夢も、真姫にとっては音楽と同じくらい大事なものなのだ。

家族が好きだから――家族の期待に応えたいと思っているから、家族と同じ夢を追いかけている。医者の夢を捨てるということは、真姫にとって家族を捨てることと同義なのだ。

だからこそ真姫は涙を流したのだ。夢を守るためには、夢を捨てなければならないという残酷な現実に。

本当は、どちらも捨てたくはないのに。

 

「――真面目……なんですよね、結局」

 

憂いを籠めた瞳で、海未はぽつりと呟いた。

 

 

 

**

 

 

 

――学校からの帰り道。

そこを真姫は一人で、重い足取りで歩いていた。それに比例するように、彼女自身の表情も暗く、憂いを帯びたものだった。

理由は明白だ。スクールアイドルを――μ’sを続けられなくなってしまったから、放課後に学校にいる意味もなくなってしまったのだ。

 

「……この道、こんなに広かったかしら……」

 

あまりにも静かで、つい独り言を零してしまう。

先日までは――μ’sに入ってからは――そう思うことなどなかったのに。一緒に帰っていた凛と花陽がいなくなっただけで、何度も通った道が全く知らない場所に思えて仕方がなかったのだ。

 

凛の騒がしさが懐かしい。

落ち着きのなさに呆れつつも、いつも元気一杯なあの声が聴けないだけで、こんなにも気分が落ち込んでしまう。

花陽の暖かさが恋しい。

いつも一歩引いているものの、あの包容力がないだけでこんなにも心がささくれ立ってしまう。

彼女たちだけではない、μ’sの皆といないだけでまるで別世界に迷い込んでしまったような錯覚を抱いていた。

 

――どうしてこうなったのだろう。どうすればよかったのだろう。

答えの出ない問いかけを繰り返しては落ち込み、また問いかける――この繰り返しを何度行ったことだろう。

こんなうじうじした自分が嫌になっていた。いっそ何も考えられなくなれば楽になれるだろうか――そんな願望さえ芽生えてしまう。

 

 

 

「――あ。 着いちゃった……」

 

そうしているうちに自宅の目の前に辿り着いていたことに、真姫はようやく気付いた。

夢遊病にでもかかったかのような虚無感と共にふらふらと歩み寄り、玄関のドアを開けようとして――ドアノブに触れることを躊躇していることに気付いた。

 

「……なによ。自分の家なのに、怖がることないでしょ」

 

気負うことはないと言い聞かせながら、真姫はドアノブを捻り、玄関を開いた。

 

 

 

「ただい――ま……?」

 

自宅に足を踏み入れた真姫は、得も言われぬ違和感を抱いた。

……静かすぎるのだ。普段から騒がしくはなく静かな家であるが、それを踏まえても静かすぎる。何と言うか、人の気配が全くしないのだ。

見た目こそは我が家ではあるが、まるで全く知らない世界に迷い込んだような――そんな錯覚を抱くほどに。

 

「……パパ、ママ……?」

 

おそるおそる足を進める彼女が辿りつき、その目に留まったのはリビングに繋がるドアだった。

開けてはいけない、この先にあるモノを見てはいけない――そんな警鐘が心のどこかで鳴り響くも、それに反して誘われるように真姫の手はドアノブを捻り、扉を開いていく。

 

 

「―――――ッ!?」

 

リビングに入った真姫は、己の目を疑った。

彼女が覚えている限り、この家は高級感のある置物や額縁などが飾られてありながらも、悪趣味さを感じさせない落ち着いた雰囲気の造りだった筈だ。

それがどうだろうか。床や壁一面中に傷痕が走り、辺り一面には家具だったと思われる何かの破片が飛び散っている。

まるで、獣か何かが暴れたような――そんな有様だった。

 

「な、なによ、これ……? パパ……ママ……!?」

 

脚が震え、視界が揺れる。

日常の象徴とも言える我が家の変わり果てた姿に――突如現れた非日常の姿に、真姫の心は大きく揺さぶられる。

そしてふらふらと両親の姿を探し求めるように彷徨う彼女の目に飛び込んできたのは――想像を絶する光景だった。

 

「―――ひっ……!?」

 

それを見つけた真姫は恐怖に表情を歪め、尻餅をついた。

彼女が見つけたそれは、人間の死体だった。――いや、果たして一目でそれを人間だと判断することができるだろうか。

原形を留めてはいなかったのだ。バラバラにされた身体のパーツがあちこちに散乱し、顔をはじめとしたほとんどの部位が元の形がわからない程に潰されているという惨い有様だ。

 

――そして、気付いてしまった。

その死体が、人間2人分であったことに。

見覚えのある赤い髪と、眼鏡が見えていたことに。

 

「―――! お、ぅえぇっ……!!」

 

その正体に気付いてしまった真姫は猛烈な吐き気に襲われ、抑えようとする間もなく胃の中身を吐き出した。

胃の中身が空っぽになっていく感覚と共に床と彼女の顔が吐瀉物で汚れていく中、あまりの衝撃に頭痛が鳴り止まない頭で彼女は問いかける。

何故?どうして?誰がこんなコトを!?――思考が滅茶苦茶になった頭では考えがまとまらず、更なる混乱が彼女を襲う。

 

 

 

――これは、あなたが望んだことでしょう?

 

「―――ッ!?」

 

そんな彼女に語りかけたのは、幼い少女の声だった。

“何処か聞き覚えのある”その声の主は、家具だった瓦礫の物陰から更に語りかける。

 

この人たちはあなたから大切なモノを奪おうとしたじゃない。訪れるかもわからない将来なんてもののために、あなたがどんな思いをするかも考えもせず

 

「………!」

 

頭が痛い、目がちかちかする、吐き気も止まらない。

心臓が締め付けられるような苦しみに意識も落ちてしまいそうなのに――なぜかその少女の声だけは何よりもクリアではっきりと聞こえ、頭に――心の中に響き渡っていく。

身体と心を苛むどんな苦しみよりも――それが真姫にとって何よりも気持ち悪かった。

 

あなたは少しでも思ったはず、『こんな人たちいなければいいのに』って。だからわたしが代わりにやってあげたの。本音を晒すのに臆病なあなたの代わりにね

 

「……ふざけないで!!知ったようなこと言わないで!! あんたに私の何がわかるって言うのよ!!パパとママを返してよ!!」

 

声を張り上げることができたのは、殆ど偶然のようなものだった。

自分のことを見透かしているような口ぶりの少女の声に、この惨劇を望んだのは自分だと騙るその言葉に、恐怖と苦しみよりも怒りが勝ったのだ。

少女の言葉を必死に否定するような真姫の叫びを前に、少女の声は含むような笑い声を浮かべる。

 

わかるわよ。 だって―――」

 

そうして瓦礫の物陰から現れた、声の主。

その姿を目の当たりにした時、真姫は今度こそ言葉を失い、頭が真っ白になった。

――見覚えがある、なんてものじゃない。

小さな身長に、今より少し長く伸ばした赤毛の髪。可愛らしさと品を備えた紫の瞳。

そこにいたのは、幼い頃の――

 

 

「わたしは―――あなただもの」

 

 

 

そう言って『真姫』は、にっこりと微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――いやぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

がばり、と悲鳴と共に起き上がる真姫。

汗を撒き散らし、髪を振り乱しながら起き上がった彼女の視界に入ったのは、自らが腰かけるソファをはじめとした高級感のある家具が整然と並ぶ、普段と変わらぬ自宅のリビングの光景。

呆然としたまま辺りを見回す真姫の前でリビングの扉が開かれる。

そこにいたのは――

 

「あら、真姫ちゃん。帰ってたのね」

 

「……ま、ま……?」

 

自信と同じ髪を持つ女性――真姫の母だった。

 

「……悪い夢でも見ちゃったのかしら? 冷えちゃうからすぐに着替えないと風邪ひいちゃうわよ?」

 

五体満足で健康体そのものな彼女は、乱れた髪で汗に濡れた真姫の姿に心配そうな視線と言葉を掛けながらタオルを渡すと、自らも着替えようとリビングを後にした。

そんないつもの母の姿に、真姫は呆然としたまま呟いた。

 

「……夢、だったの……?」

 

自らが目にした、あの思い出すのもおぞましい光景は全て夢だったのかと。

それだけならばただの夢だとほっと胸を撫で下ろして安堵していたのだろうが、真姫にはどうしてもそう思うことができなかった。

変わり果てた二人の姿、鼻孔で感じた鉄臭い血の匂い、胃の中身が空っぽになっていく嘔吐感、その全てを夢と片付けるには余りにも現実味がありすぎた。

理性では夢で片付けたいのに本能がそれを許さない――そんな相反した感情に、真姫の心はぐちゃぐちゃに掻き乱されていった。

 

 

 

 

――そんな真姫の姿を、『真姫』は鏡の中から邪悪な笑顔で見つめていた。

 

 

 

**

 

 

 

――真姫がμ’sを抜けると言ったあの日から、数日が経った。

あの時の言葉通り、翌日から真姫が練習に参加することはなかった。屋上に来ることはおろか、アイドル研究部の部室に来ることすらもなくなってしまっていた。

真姫が来なくとも、彼女たちは練習を続けていた。だがそれまで真姫が居た立ち位置は誰も埋めることはなく、ぽっかりと空いたままになっていた。

 

まるで彼女たち全員の心を表しているかのように。

 

 

 

「―――もうやだ!! 凛、こんなの耐えられないよ!」

 

そんな中、遂に我慢の限界を迎えたのは凛だった。

人一倍周囲の空気に敏感な彼女のことだ。真姫がいなくなったことにより暗く沈んだ空気に、それを無理矢理取り繕うとした空気の歪みに耐えられなかったのだろう。

癇癪を起した子供のように泣き叫ぶ彼女を宥めながら海未は思う。

いつかこうなるとは思っていた。凛がはじめにこうなっただけで、皆この取り繕ったような暗い空気に限界を感じていたのだ。

それだけ真姫がいなくなったことは、μ’sの心に暗い影を落としていた。

 

「……真姫の様子はどうなのですか?」

 

「うん……あのね、やっぱり相当参っちゃってるみたいで、私たちだけじゃなくてクラスのみんなとも避けるようになっちゃったんだ……」

 

まるで昔の真姫ちゃんに戻っちゃったみたい――という花陽の言葉に、一同の表情に影が差す。自分たちだけではなく、真姫自身もまた今の現状――μ’sを続けられなくなったことに強いストレスを抱いていたのだ。

……それも同然だ。あの日真姫が流した涙を見れば彼女自身が一番納得していないのは明白だ。その上ラブライブに向けてもう一度歩き出そうとした矢先の出来事となれば、精神的なダメージも相当なものだろう。

 

このままでいい筈がない――と海未は思う。

真姫の父親の気持ちもわからなくはない。大事な一人娘が跡継ぎとして成功できるか否かが懸かっている大事な時期だ。時間を無駄にさせたくはないという想いは、同じ跡取り娘だからこそ己の両親からも感じ取っていたし、よくわかる。

だからといって真姫の気持ちを――涙を流すほどにμ’sを続けたかったという想いは、到底見逃すことはできない。

その想いは、ここにいる全員が同じはずだ。

 

やはり会いに行かなければいけない――真姫の父親に。

自分たちの想い、そして真姫自身の想いを伝えるために。彼女と一緒にもう一度夢を追いかけるために。

その事を告げようとしたとき――

 

 

「……それとね、その……私の気のせいかもしれないけど……」

 

花陽の言葉がそれを遮った。

だがその声色に自信はなく、表情も言うべきか言うまいか迷っているようだった。

「大丈夫だから、話してみて」と絵里が優しく促したことで意思が固まったのか、ゆっくりと話し始めた。

 

「……真姫ちゃん、だいぶやつれてるというか……怯えているみたいなの」

 

「無理矢理勉強させられてるんじゃないの? 虐待よ虐待」

 

不機嫌さを隠さないような声色でにこがぼやく。

この中で真姫の父に対して一番悪感情を持っているのは彼女だろう。真姫をμ’sから奪われただけでなく、スクールアイドルを丸々否定されたようなものなのだから。

 

「いえ、それはどうでしょう。仮にも医者の跡継ぎとなるのですから、そのような不養生に繋がるような真似を今からさせるとは思いませんが」

 

「そうだよ、それに今日だって……」

 

 

 

 

 

 

――とある授業の最中。

花陽は授業に身が入らないでいた。教師が話す今度の試験で出るという歴史の解説も、ほとんど耳に入らないでいた。

理由は一つ、真姫のことが気がかりだったのだ。教科書からチラチラと彼女に視線を向けることを止められずにいた。凛も同じ気持ちなのか真姫の様子を窺っているが、彼女の席からは精々後姿しか見えないだろう。

 

では花陽から見えている真姫の姿はどうか。

――真姫は顔を俯かせていた。ノートをとる筈の手は微動だにせず、目元が垂れた前髪で隠れているため視線をどこに向けているのか――そもそも起きているのかどうかすらわからない。

 

「……――、………」

 

疲れてるのかな――そう思い心配そうに眺めていると、何かが聞こえてきた。ぼそぼそと、何か呟くような音だ。

耳を澄ましてみると真姫の方から聞こえているようだった。目を凝らせば口元が僅かに動いているのがわかった。

その姿を訝しげに見つめている中、段々とその呟きは大きくなっていき――

 

「――いや、やめて……わたし、わたしは………!」

 

 

 

 

 

 

「――嫌ぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

絶叫の如き悲鳴をあげ、勢いよく立ち上がったのだった。

顔中に脂汗を浮かべ、艶やかな髪は乱れ、息も絶え絶えで憔悴しきった顔面蒼白の真姫。

教師を含めたクラス中の全員が驚きと共に見つめる中、彼女は呆然とした表情で立ち尽くし、周りを見渡す中でぽつりと呟いた。

 

「………ゆ、め……? また……?」

 

「に、西木野さん……?大丈夫かしら……?」

 

「……すい、ません……大丈夫です、何でもないですから……」

 

そう言って席に着く真姫。

だがその言葉とは裏腹に彼女の震えは止まらず、青白い顔のまま「大丈夫」と呟き続けていた。そんな姿から花陽は目を離すことができず、もはや授業に意識を向けることは全くできなかった。

 

 

 

 

 

 

「……ちょっと、それ、ヤバイなんてもんじゃないでしょ」

 

花陽の話を聞いた面々は、皆一様に青ざめた表情を浮かべていた。

にこの言うように話の中で出てきた真姫の様子はどう考えてもまともな精神状態ではない。事態は、彼女たちの想像以上に深刻だった。

 

「クラスのみんな――私と凛ちゃんも心配したんだけど、「大丈夫」って言うばかりで……」

 

「そのまま帰ってしまったのね?」

 

絵里の言葉にこくんと頷く花陽の目元には涙が浮かんでいた。

この中で一番辛いのは彼女と凛だろう。一番近くにいるのに何もしてやれないという無力感に苛まされているのだから。

それが彼女たちの中で「どうにかしなければ」という想いをより一層強くさせる。

 

 

 

 

 

「―――真姫のお父上に、会いに行きましょう」

 

静かに響いた海未のその言葉に、皆の視線が集まった。

 

「真姫の身に何が起きているのかは正直わかりません。しかし彼女をこのまま一人にしてはおけないことだけははっきりしています。 ……だからせめて、真姫の居場所を――μ’sを取り戻しましょう」

 

「……それ、いいね!」

 

海未の言葉に真っ先に同意する穂乃果。

それからも彼女に続くように、この場にいたμ’sの全員が同意の意を示す。

 

「そうと決まればどこに話せばいいのかな?」

 

「病院はどうかにゃ? 真姫ちゃんのお父さんってお医者さんなんでしょ?」

 

「いえ、仕事中に関係のない電話をするのは迷惑だわ。ここは家の方に話すべきね」

 

 

皆がこれからやるべきことを話し合う。真姫の心を救うために、彼女の笑顔を取り戻すために。――彼女ともう一度、共に夢を追いかけるために。

 

そんな中、希の心にはある懸念が浮かんでいた。

不安と言ってもいいそれを抱えた彼女の脳裏には、昨夜の出来事が思い返されていた――

 

 

 

 

 

 

「おぬしら、最近どんな夢を観たか覚えておるか?」

 

彩牙と共に番犬所に呼び出された希は、オルトスのその第一声に疑問符を浮かべた。

口ぶりから察するに将来の目標や希望――ではなく、寝ている時に観る夢の方だろうか。眠りが浅いと観ることがあるとか、起きた途端に内容が思い出せなくなるとかはよく聞いたことがある。

言われて思い出してみれば、そういえば昨日は何かしらの夢を観たような気がするとぼんやり思った。ほとんど思い出せないが、誰かの胸をわしわしして、それがこの上なく心地良かったということだけは覚えていた。

 

だけど何故いきなりそんなことを言い出すのかと疑問に思う。隣の彩牙もまた同じことを思ったのか、訝しげな視線をオルトスに向けていた。

 

「夢とは不可思議なものでな、全く意味不明な内容かと思えば未来の出来事を予知しておったり、心の深淵に潜む本性を浮かび上がらせたりしておる。人間の中でも御することのできぬ、未来永劫未知の領域だと思うのじゃよ」

 

はあ、とオルトスの話に耳を傾けながら、希は心の中でぼんやりと相槌を打った。

それと同時に気付いたことがある。オルトスは話の本題に入るまでの前置きが長いのだ。その内容も本題に関連したこともあれば、全く無関係のものだったりもする。要は彼女の気分次第で適当に変えているのだ。

彩牙はもう慣れたのか、話半分に聞いているような感じであった。

 

『まわりくどいな、さっさと本題に入ったらどうだ?』

 

「せっかちな指輪め、年寄りに敬意を払おうとは思わんのか」

 

ぼやきつつも気だるげであった姿勢を起こすオルトス。

本題に入るサインだ――そう察した希、彩牙は姿勢を正し、表情を引き締める。

 

「先に言うたように、人間の見る夢とは稀に心の深淵――内なる魔界へと繋がることがある」

 

「内なる魔界……?」と聞き覚えのない単語に首を傾げる希の横で、ザルバがその問いに答える。

それは全ての人間が自らの内に抱える、自分だけの魔界。心の深淵の奥底に潜んでおり、他者はおろか当人自身でさえも知覚することは通常不可能な領域である。

個人によって異なる世界が広がる領域ではあるが一つだけ共通点がある。魔獣たちが住まう魔界――真魔界へと繋がっているのだ。

だが真魔界に繋がっているといっても、ホラーが内なる魔界に出ることはよほど深い縁が結ばれてでもいない限り不可能なのだ。よしんば出られたとしてもそこから人間界に出ることは不可能であるし、魂がその場にいなければ人間を喰うことも憑依することも不可能なのだ。

 

「だが何事にも例外というのは存在しておる。オブジェをゲートにすることができぬ代わりに内なる魔界に侵入し、夢をゲートにするホラーがおるのじゃ」

 

『……なるほど、“アンプゥ”か。そんな反則技ができるのは奴だけだな』

 

 

「そのホラーが現れたと?」

 

「幸いにもまだ憑依はされておらぬようでな。奴は標的にした人間の内なる魔界に潜んだ後は繰り返し悪夢を見せ、魂を弱らせることで憑依できるようになるのじゃ」

 

「……悪趣味だな」

 

反則技――確かにその通りだと希は思う。

自分たちはオブジェに溜まった陰我を浄化することでホラーの出現を防いでいるというのに、そんな反則技を使われては防ぎようがないではないか。

それに悪夢を見せるというのも気に喰わない。ホラーは基本的に人間の命や尊厳を平気で踏みにじる相容れぬ存在ではあるが、件のホラーはじわじわと嬲ることを楽しんでいるようであり、彩牙が吐き捨てる気持ちも理解できた。

 

「とはいえ猶予はないぞ。奴に目をつけられた人間も既に何日か経過して弱っておるじゃろうて。憑依されるまでの間に見つけだし、アンプゥを討滅せよ」

 

『しかし見つけたところでどうするんだ? 奴は内なる魔界にいるんだろ?』

 

それももっともだ。

ザルバ曰く、内なる魔界は文字通り人間の心の深淵に存在しているというではないか。そんなところに潜んでいるとなれば、どうやって侵入すればいいのか見当もつかない。

結界ではあるまいし、心の中に入り込む方法など――

 

「安心せい、手はあるでな」

 

 

 

**

 

 

 

少しばかり日が傾き始めた頃、とある場所にいた彩牙は希からの電話に耳を傾けていた。

彼女の話を聞くその表情は険しく、内容の深刻さを物語っている。

 

「――そうか、西木野さんが……」

 

『花陽ちゃんの話聞いてな、ウチ嫌な予感がして……』

 

希の話を要約するとこうだ。

――昨夜の話に出てきたホラー・アンプゥに、真姫が狙われているかもしれない。

確かに花陽の語った真姫の様子は、ザルバとオルトスの語ったアンプゥの特徴と一致している。もしそれが事実であるのなら真姫の精神は相当追い詰められている状態であり、オルトスの言う通り残された猶予はあまり残されていないようだった。

 

「……皆にこのことは?」

 

『話してへんよ、これ以上不安にさせたくあらへんし』

 

「それに」と希は続ける。

 

『今、真姫ちゃんを連れ戻すためにどうやってパパさんを説得させるか――って話してるところなんよ。 ……ホラーなんかの所為で台無しにさせるわけにはいかへんよ』

 

「……そうだな」

 

真姫を想い、あれこれ話し合う海未の――皆の姿が思い浮かぶ。

友のために困難に立ち向かおうとする彼女たちの想いを、無駄にするわけにはいかない。そのためにも真姫が本当にホラーに狙われているのであれば、何としても救わなくてはいけない。

 

「――わかった、今回の件は俺に任せてくれ。アンプゥの方は俺がケリをつける」

 

『え……!? そんな、ウチも一緒に――』

 

彩牙の言葉に反論する希だが、そういうわけにはいかない。

希にはより大事な役目があるのだから。

 

「知られたくないこともあるだろう。希は、彼女の帰る場所を守ってくれ」

 

『―――っ』

 

希の声が詰まる。

真姫がアンプゥに狙われているのであれば、彼女が知られたくないことを知ることになるかもしれない。

もしそうなれば無事討滅できたとしても希と真姫の関係は壊れてしまうだろう。その反面自分ならば軽蔑されることになってもどうとでもなる。

――こればかりは希にやらせるわけにはいかないのだ。

 

『…………わかった。真姫ちゃんのこと、お願いな』

 

「任せろ。そっちも頑張ってくれ」

 

『ありがとう。 ………ごめんな』

 

己の心情を気遣ってくれたことによる感謝と、彩牙に重荷を負わせてしまう不甲斐なさ。

その相反する感情の籠った言葉を最後に、希からの通話は終わった。

 

 

『ただの嬢ちゃんたち同士の問題かと思ったら、面倒なことになってきやがったな』

 

「だがやることは変わらない。準備を進めるぞ」

 

――そう、たとえどのような展開になろうとも、自分たちのやることは変わらない。いつだってシンプルだ。

そう思いながら、彩牙は己が先程までいた場所――大きな病院を見上げながら、その場を後にした。

 

『世の中何がどう繋がるかわからない――これも因果かね』

 

 

 

 

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