――なんだろう。何か聞こえる……
何かに呼ばれているような……ずっと眠っていたいのに、起きなくちゃいけないような……そんな声が、聞こえるような……
……誰の声……?すごく聞き覚えがあるような……
「――――ぅ……こ、ここは……?」
むくり、と目を覚ました真姫はおぼろげな意識のまま呆然と辺りを見回す。
真っ暗な空間。その中で一つだけポツンとある自分が横たわるベッド。
――そして、その遥か頭上で月のように浮かび上がる真っ白な球体。
殺風景な風景に何故こんな所にいるのかと考えを巡らせた時、激しい頭痛が真姫を襲い始めた。
「うっ……あああああっ……!」
それと同時に、真姫の脳裏に直前の記憶が駆け巡る。
――公園で会った彩牙。
――自分がホラーにゲートとして狙われていること。
――そして、彩牙の手で気絶させられたこと。
「―――っ、なに……なんなのよ……!?」
蘇った記憶と共に完全に覚醒した意識の中、真姫は混乱に支配されていた。
何故彩牙はあんなことをしたのか――わからない。
何故ホラーに狙われるのか――わからない。
そもそもここは一体どこなのか――わからない。
わからないことばかりで自分だけが置いてけぼりにされている現状に、真姫の心は不安と恐怖で締めつけられていた。
『―――あれぇ? 来ちゃったんだ?』
「っ!? だ、誰!?」
突然響き渡る、自分以外の声。
――いや、“自分以外の声”というのは少し語弊があった。
聞き覚えのあるなんてものではない。何故ならその声は、他でもない――
「―――私……?」
暗闇の中から輪郭が形取り、浮かび上がるように現れたモノ。
――水色のドレスに身を包み、赤毛の髪に愛くるしくも知的な笑みを携えた幼い少女。
それは紛れもなく、幼い頃の姿の真姫自身だった。
『そう、わたしは『真姫』。他でもない『わたし』自身だよ』
「え……えっ……!? 何が、何がどうなってるのよ……!」
『あーっ! その顔、覚えてないって顔ね。つれないなぁ、夢の中であんなに会ってるのに』
「夢……? 何を言って……っ!?」
再び、何かを思い出そうとするように真姫を襲う頭痛。
その中でぼんやりと浮かび上がったのは、彼女を苦しめる悪夢の最後に決まって出てくる“何か”。
人の姿をしていたアレの笑顔が、何故か目の前の『真姫』と重なるような気がして――
『……まあいっか。それよりほら、あれを見て!』
そう言って『真姫』が指差した先で、暗闇の中で一つの映像が浮かび上がった。
古い映画のように所々ノイズが走っているその映像に映っていたものは、真姫の心を締めつけるのに十分すぎる代物だった。
『――真姫はえらいな、これなら将来は立派な女医さんになれるぞ』
『……うん、真姫ね、将来はおいしゃさんになるの――』
――よく覚えている。
小学生の頃のピアノの発表会。当時の私よりもお姉さんだった子たちも出ていたコンクールで2位に入賞した日のこと。
あの日の帰り道、私の心はこれ以上ないほどに跳ね上がっていた。お姉さんたちもいた中で2位になれたことがとても誇らしくて、みんなが褒め称えてくれるのが子どもながらも嬉しくて、パパとママの驚く顔を早く見たくて仕方なかった。
すごいねって、自慢の娘だって、抱きしめてくれるのが楽しみで、わくわくしていた。
……でも現実はそうじゃなかった。
パパもママも私がピアノを上手になるとか、コンクールで入賞するとかには興味なかった。
それよりも勉強ができてテストで良い点を取ることが、お医者さんになれるようになることの方に価値を見出していた。
だから私は――賢い真姫ちゃんは、ピアニストになりたいなんて言っちゃいけないんだってわかった。この家で上手く生きていくためには――無駄に傷つかないようにするには、パパとママの望まない夢は持っちゃいけないんだと、そう思った。
『――ひどいよね、パパもママも。『わたし』は褒めてもらいたかったのに』
「―――っ!」
過去の映像に意識を奪われていた真姫の耳元で、『真姫』が囁く。
慰めるようなその声色自体は優しいはずなのに、肝が冷えるような形容し難い“何か”に真姫は心臓を鷲掴みにされるような感覚を抱いた。
『でも『わたし』は賢いから泣いたりしなくて、パパとママが喜ぶように我慢したんだよね。それからもずっと、パパとママが望む賢い真姫ちゃんでいるように、我慢して我慢して……
我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して――』
『――ぜんぶ壊したくなったんだよね』
「っ! ち、ちがっ……私は――!」
『違わないよ?『わたし』のことならなーんでも知ってるんだから。パパやママのことを憎んでいたことも、我慢して良い子を演じていたこともぜーんぶ』
『――だから、せめて夢の中でめちゃくちゃに壊したかったんでしょ?』
真姫の脳裏に、最初に見た悪夢の光景が蘇る。
荒れ果てた自宅、その中で原形を留めない姿に変わり果てた両親。
――あれらが全て、自分が望んだもの……?
『……いいんだよ。我慢しなくていいの』
震える真姫の頬に手を添えた『真姫』が語りかける。
その声はこれまで聞いたどのものよりも優しく、慈愛に満ちた声だった。
『『わたし』がずっと我慢してきたのも、頑張ってきたのも知ってるんだもの。素直になって、溜め込んでいたものを吐き出しちゃおう?』
「……すなおに……やりたいこと……」
『真姫』が語りかける度、その言葉の一つ一つが真姫の心に沁み渡っていく。
その感覚がこの上なく心地良く、どうしてこんなに優しくふわふわした声に最初は覚えていたんだろうと、靄がかかったような感覚に思考が埋め尽くされていく。
――『真姫』の瞳が妖しく輝いていたことに気付かないまま。
『わたしと一緒になって今までやれなかったこと――夢でしかできなかったことをやるの。『わたし』を縛るものを全部壊しちゃって、優しい世界を作るのよ』
「いっしょに……ぜんぶ……」
『そうすれば『わたし』はもう我慢しなくていいの、素直になってやりたいことをやれるんだよ』
『――さあ、一つになって、終わらないパーティを始めましょ?』
くすくすと嗤う『真姫』の囁き――悪魔の囁きが、真姫の思考を――心を塗り潰していく。
昏く澱んでいて、その一方できらきらふわふわと夢心地のようなモノに包まれていく中で、これから『真姫』と一体となって壊していくものに想いを馳せる。
両親、家、病院、ピアノ、音楽、学校、友――
――共に笑い、悩み、苦しみ、時には対立もした、かけがえのない友。
自分の“想い”を引き出させてくれた、何よりも大切な八人の少女たち――
――真姫ちゃん!――
「――――駄目っ!!」
靄のかかっていた思考が一気に晴れ、真姫自身の意識が覚醒する。
ばちん、と弾ける感覚と共に『真姫』の浸食が遮断され、肩をぎゅっと抱きしめながら真姫は自分がやろうとしていたことに心身を震わせていた。
「駄目……それだけは駄目……!」
『―――どうして?』
そんな真姫を、『真姫』は呆然と見つめながらそう呟いた。
――いや、呆然、と評するには語弊があった。『真姫』の表情には何の感情も浮かんでいなかった。驚愕も、戸惑いも、怒りも何もない、能面が張り付いたような無表情そのものだった。
『わたしと一つになればもう我慢しなくて良かったんだよ? 『わたし』を縛るものを全部壊して素直になれるところだったのに……どうして拒むの?』
「……違う! 私が望んでいるのは――!」
――バリィンッッ!!
息絶え絶えながらも真姫が自分の真意を吐露しようとした時――世界が割れた。
ガラスの割れる音と共にこの世界――内なる魔界に開いた穴。その穴から一つの影が躍り出て、瞬く間に駆け抜けてその手に握る刃を『真姫』に向けて躊躇いなく振り下ろす。
それを前にした『真姫』は腕を真っ黒な異形の影へと変貌させ、振り下ろされた刃を受け止める。がきん、と想像から離れた音と共に火花が飛び散り、この世界への闖入者の姿を照らしだす。
「――ようやく見つけたぞ。 貴様がアンプゥか!」
『ッ、魔戒騎士……!?』
――魔戒騎士・村雨彩牙の姿を。
『『わたし』の記憶の残滓がたくさんいたのに、この心の深淵に辿り着けるはずが……!』
「その答えなら簡単だ。その記憶の残滓とやらが湧いてくる所を辿っていったんだからな」
とはいえ、流石に容易にとはいかなかった。
無限に湧き続けるのかと思うほど大量のマネキン――記憶の残滓を前に迂闊に手を出すことができなかったのだから無傷では済まなかったのだ。決して無視はできない負傷と痛みが彩牙の身体――魂を蝕んでいた。
――しかしこの剣を握る手を緩ませることも、意志が挫けることもない。それどころかこの世界に巣食う魔獣を必ず討つという信念となり、漲る力となったのだ。
魔戒剣を振るい、『真姫』の触腕が打ち払われる。そうしてがら空きとなった幼い身体に蹴りが叩き込まれ、真姫の下から引き離された。
――彩牙の蹴りに躊躇と呼べるものは存在していなかった。たとえ可憐な幼い少女の姿をしていたとしても、それが知人の姿を模っていたものだとしても、それは狡猾な魔獣が己を騙るために着込んだ化けの皮であり、彼女に対する侮辱でしかないからだ。
「――遅くなって、すまなかった」
「……彩牙、さん………」
呆然と見上げる真姫の視線を背中で受け止めながら、彩牙の視線は動かない。
その先には真っ黒な影の触腕を蠢かせながら、可憐な顔を憎悪と怒りで歪ませた『真姫』――彼女の皮を被った魔獣の姿があった。
『なんで邪魔するの!? 『わたし』を解放してあげようとしたのに、わたしと一つになれば周りからのしがらみに縛られて苦しむことはなくなるのに!』
「なんだ、そんなことか。 ――西木野さん」
「え?」と呆気にとられたように呟く真姫の視線を浴びながら、彩牙は語る。
「ここに来るまでの間、すまないが君の過去を覗き見する形になった。 ……だから、奴が言っていたことも全て知っている」
「………」
「その上でさっき言おうとしていたことを……君の想いを奴に――君自身にぶつけてやれ」
「私の、想い……」
真姫の胸の内に、先程形になりかけた想いが再び浮かび上がる。
先程は意識が動転していたこともあり、しっかりとした形になることも、はっきりとした言葉にすることもできずにいた。
だが今なら。冷静になり、自分を見つめ直す余裕が生まれた今ならば、その想いを――自分の望みをはっきりとした形にすることができる。
深く息を吸い、吐き、頬を叩き、表情を引き締めた真姫は自らの脚で立ち上がり、遠く『真姫』を見据えて立ち向かった。
「……私はね、パパとママには苛々してたわよ。いつも勉強のことばっかりだし、将来の夢は決めつけるし、高校だって元々はUTXにしようと思ってたのにほとんど無理矢理音ノ木坂にさせられたんだもの。 ……俗物って思ったことだってあるわ」
「でも、でもね……憎いなんて思ったことは一度もないわ。望んでいた言葉が貰えなかったとしても、私の意志を縛るものであっても……頭を撫でてくれたパパの手は、ママの笑顔は、私のことを心から想ってくれたものだもの!」
「私は――そんなパパとママが大好きなんだから!!」
軽蔑と尊敬、怒りと愛情。
相反する感情を抱える彼女のことを笑うものなど、どこにいるだろうか。
その矛盾を受け入れ、抱えることこそが――人間らしさと言えるのだから。
「それとね、散々人のことわかってるようなこと言ってたけど……私がいつそんなこと頼んだのよ!散々気持ち悪い夢を見させておいて、パパとママにμ’sのみんな――私の友達を壊そうなんて、そんなの絶対に許さないんだから! ――あなたなんてお呼びじゃないのよ!!」
「――というわけだ。 人の心を土足で踏み躙る下衆にはご退場願おうか!」
真姫の想いを――怒りを乗せた魔戒剣を振るい、駆け出す彩牙。
彼と、真姫の想いが籠められた叫びを前にした『真姫』はその愛くるしい表情が見る影もないほど憎悪で歪ませて――まるで獣のような相貌に変え、片腕だけでなく両腕を影の触腕へと変貌させて駆け抜ける彩牙へと振るった。
『――どうして逆らうの!! わたしを呼び寄せたのは『わたし』だったのに!』
顔に向かって振るわれる触腕を、彩牙は半身捻り、魔戒剣で受け流すように受け止める。刃と触腕の間で火花が散り、そこから更に身体を捻って受け流していた触腕を斬り落とす。
その隙を縫うように足下を狙った触腕を、今度は床を蹴って躱す。着地と同時に通り過ぎた触腕に魔戒剣を床に縫い付けるように突き刺し、そのまま足を止めずに突き進んで触腕を二つに裂き、適当なところで両断する。
『すべてが夢だったらよかった――そんな『わたし』の陰我がわたしを呼んだ!!』
『真姫』の両足が両腕と同じように触腕と化し、襲い掛かる。
彩牙は足を止めぬまま、踊り狂う二本の触腕と斬り結んでいく。やがて触腕同士が交差した瞬間を見逃さず、魔戒剣で二本纏めて刺し貫いてそのまま両断した。
『だからわたしが夢にしてあげようと――悪夢に包んであげて、わたしが生まれるための
遂には頭部を除いた『真姫』の全てが不定形の影となり、その全身から無数の触腕が伸びて彩牙に襲い掛かる。視界を埋め尽くすほどの触腕を前に彩牙の脚は止まり、そのまま降り注ぐ触腕の中へと呑み込まれていった。
彩牙を呑み込み、真っ黒な壁となった触腕を――自らの勝利の象徴を前に『真姫』の表情は愉悦に歪む。
――しかし、それが続いたのは一瞬だった。
黒い壁の中に違う色が現れた。金色の線が一筋、二筋と、まるで裂くように浮かび始めたのだ。
まさか、と『真姫』が思った時には既に遅かった。
壁を斬り裂き、その中から飛び出してきたのは黄金の鎧に身を包んだ彩牙――黄金騎士ガロだった。
驚愕に包まれて固まる『真姫』を前に、ガロは咆哮と共に牙狼剣を振るう。
『真姫』の首が跳ね飛ばされ、床に落ちると同時に影の身体の崩壊が始まる。
驚愕に染まった表情のまま固まった『真姫』の首――どうしてこうなったのか、最期の瞬間まで理解できなかったということを語っていた。
『――お前は、彼女の心を甘く見過ぎたんだ』
その呟きを最後に首の崩壊も始まり、あっという間に崩れ去っていった。
そうして『真姫』――ホラー『アンプゥ』はこの世界から追放されたのだった。
――そして世界は暗転する。
**
「――わかりません」
真姫がスクールアイドルを続ける意味があるのか――
静かに、それでいて有無を言わせぬ圧が籠められた真姫の父の言葉に対してμ’sの皆が――それこそ穂乃果までもが押し黙った中、その沈黙を破る声が響き渡った。
――海未だ。
全員からの視線を浴びる中すっと立ち上がった彼女は、真姫の父をまっすぐに見据える。値踏みするような鋭い眼差しを正面から受けながら、小さく息を吐いて心に立った波風を落ち着かせる。
「――改めてお目にかかります。 園田家の娘、園田海未と申します」
真姫の父の目が細くなる。
海未の家――園田家はこの辺りでは名の知れた家だ。武道に舞踊――各々の界隈でも数々の功績を挙げてきた紛れもない名家だ。
その跡取りである彼女が家の名を名乗った――その意図が、真姫の父の意識を向けた。
「私も真姫――真姫さんと同じように家の跡取りとして育てられ、私もそのつもりで日々稽古に励んでいます。 ……それでも、このままでいいのか、用意されたレールに沿って歩くだけで本当にいいのかと――思い悩むことは少なくありません」
「……」
「親に不満があるわけでも、逆らいたいわけでもありません。……上手く言えないけど、立派な跡取りになる夢と、それとは違う自分の可能性を追いかけたい夢――矛盾していますけど、そんな想いが私の中にはあるんです」
「……真姫も同じだと、そう言いたいのかね?」
「はい」と頷く海未。
他のメンバーたちも同じように頷く中、海未は胸に段々と熱が灯っていくのを感じた。
「知人にも親の跡を継いだ方がいて、彼らはその選択を後悔していませんでした。……他に選択肢があったとしても必ずその道を選ぶと、そうも言っていました」
海未の心に、同居人たる彼の姿が浮かび上がる。
彼も海未と同じだ。親から継いだものがあって、その道を歩むことを選んでいる。記憶を失っているのに、他にも選択肢はあったのかもしれないのに――それこそ光に満ちた、もっと安らかな道を選んでも良かった筈なのに。
「私は彼らの様にはなれませんし、まだどれか一つかなんて決められません。どれもが大切で、きっと真姫さんも同じ想いで、だから―――」
つぅ、と頬を流れる涙を感じた。
「――私たちに時間をください」
頭を下げる海未を、静かに見据える真姫の父。
そんな彼女に倣うように他のメンバーたちも立ち上がり、同じように頭を下げる。
「一人でも欠けたら駄目なんです。 みんな大事だから、自分の心に嘘をつきたくないから、ちゃんと行動したいだけなんです」
「もう二度と諦めたくないから――後悔したくないから!」
**
「―――起きたか」
目を覚ました真姫を出迎えたのは、彩牙のその一言だった。
身体を起こし、手を、腕を、脚を、顔を、身体のあちこちをペタペタと触る。秋の公園で眠っていたにも拘らず、意外なことに肌寒さは感じなかった。
辺りを見回し、目に入った時計から気を失ってからそれほど経っていないことを悟る。
――そして、眠っていた間に起きた出来事に想いが巡る。
「……『アレ』は、夢だったの?」
「ああ、だが現実でもある。 君の中にホラーが潜んでいたことも、君を苦しめていたことも、討滅されたことも。……君の過去を覗き見したことも、全て」
「そう……」
言われて思い出す。
あの世界――彩牙曰く真姫の心の中では、彼女の過去の記憶が浮かび上がっていた。
真姫が目にしたのは映像の形であったが、彩牙も何か別の形で目にしたのだろうと思い至る。つまりは過去のアレやコレ、下手すれば誰にも話したことのないことまで見られた可能性も――
「――すまなかった」
そんなことを考えていると、不意に彩牙が頭を下げた。
突然のことに目を丸くする真姫の前で、彼は頭を下げたまま微動だにしない。
「ホラーを討つためとはいえ心の中に土足で踏み入り、あまつさえ過去を覗き見した。 ……俺も奴と同罪だ」
「………」
「許してほしいなどとは言わない。望むのならどんな罰でも受けるつもりだ」
真姫は過去の記憶を覗かれた。
本来ならば己の中に秘めておくべきものを、どんなに心を許した相手でも勝手に覗くことなど到底許されないものを、不可抗力であったとはいえ見られてしまった。
他者の心に土足で踏み入る――彼自身の言う通り、やっていることはホラーと同じだった。
そして、それに対する真姫の答えは――
「顔を上げて。 ――私ね、やっぱりあなたのこと嫌いみたい」
「……」
「人のこと気絶させて、勝手に過去を覗いて――それを一方的に謝って罰は受けるだなんて、身勝手なんだもの」
――言葉に反して、真姫の口調と心は穏やかだった。
怒りも湧き上がることはなかった。そのことを不思議に思いつつも、心のどこかで納得している自分もいる。
それはきっと――
「あなたが全部悪いみたいなこと言って、黙ってればいいのに……ホント、馬鹿みたいに真面目で――そっくりなんだから」
それはきっと、彩牙の意志が一つのものに集約されているから。
ホラーを討ち、人々を守る――そのシンプルな考えが、彼の全ての行動原理になっている。そのためならば例えこの身がどんなに穢れようと――背中に指を差されようが構わない。
犯した罪に対しての罰は甘んじて受けるのだと――どこまでも真面目で、まっすぐだったのだ。
そんな姿が真姫の大事な友に――海未と重なった。思えば彼女も同じくらい真面目で、目の前のものから目を逸らさず、まっすぐに立ち向かう人だった。
だからかもしれない。彩牙個人のことは嫌いでも、彼を憎んだり排除したいという気持ちにはならなかった。
「罰が欲しいっていうなら言ってあげるわ」
そして罰を受けるというのなら、彼に告げることはこれしかなかった。
「――私や海未……みんなのことを、これからもずっと守り抜いて。そしてあなた自身も死なないで、生きること」
「――海未のこと悲しませたら、今度こそ絶対に許さないんだから」
「――わかった。約束する」
そう語る彩牙の表情が本当に海未そっくりで、真姫は思わず顔が綻んだ。
「――そういえば今日、海未たちが西木野さんの父上に直談判すると言っていたな。君とスクールアイドルを続けることを許してほしい、と」
「…………えっ? え、えっ!? はあっ!?」
――故に、突然放たれたその言葉に理解が追いつかず、真姫の思考は混乱で埋め尽くされた。
「ちょうど今頃から会う約束をしてたと言っていたな。 ……急げば間に合うんじゃないか?」
「え、いやっ!ちょっ!? ~~もうっ!!そういうことは早く言いなさいよ!!」
そうとわかればじっとしてはいられない。
マイペースな彩牙に憤りつつも、真姫は急いで我が家に向けて走り始めた。
両親と――そして、μ’sの皆が待っているであろうあの場所へ。
「――がんばれ」
「―――そんなの、言われるまでもないわよ!!」
――ありがとう。
**
『――私たちに、時間をください』
『一人でも欠けたら駄目なんです。 みんな大事だから、自分の心に嘘をつきたくないから、ちゃんと行動したいだけなんです』
『もう二度と諦めたくないから――後悔したくないから!』
「――っ……!」
急いで家に帰ったら、リビングから話し声が聞こえていた。
ドアの前で耳を澄ませているとパパの声と、海未や穂乃果に絵里――μ’sのみんなの声がした。――本当に、みんな来てくれていた。みんなが私のために――私とスクールアイドルを続けたくて、パパと直接話してくれている。それを思い知る度に、涙が止まらなくなる。
――そっか、こうすればよかったんだ。「勉強できてるんだからいいでしょ」とか捻くれたポーズをするんじゃなくて、彩牙さんも言ってたように素直な気持ちをありのままぶつければよかったんだ。
「……真姫ちゃん」
ふと横を見ると、小声で話しかけてきたママがいた。
……そういえば、ママは最初からスクールアイドルをすることに反対してなかった。
昔はパパと同じように勉強の方が大事だなんて言ってたけど、最近はあまりそんな言葉は聞いてなかった。……どんな心境の変化があったのかはわからないけど、少なくとも今のママは私が選んだ意志を大事にしてくれてるみたいだった。
――がんばってね。
ママの口がそう動いたのを見て、決意が固まった。
ドアを思いっきり開けて、リビングの中に躍り出る。パパの、みんなの驚いたような視線が私に一斉に集まった。……こうして注目も浴びると少し気恥しいな、なんて少し呑気な考えも過った。
その中で海未が一番早く気を取り直して――
「真姫………μ’sを続けたいですか?」
――うん。
みんなが伝えてくれた想いを、私もちゃんと言葉にしなくちゃ。
私は、パパの下に駆け寄って――
「パパ!お願い! 私、どうしてもμ’sを続けたい!勉強だってちゃんとします!医学部だって絶対受かってみせるから! お願いだから………」
「――私、μ’sを続けたいの……!」
――足にしがみついている形になってるから、パパの表情はわからない。
正直、パパがこれからなんて言うのか、考えるのは怖い。
でも後悔はない。私の素直な気持ちをちゃんとパパに伝えることができたんだもの。
「……真姫」
――パパの声。
静かで抑揚がなくて、怒ってるのかどうかもわからない。
でも恐れちゃダメ。――ううん、恐れる必要なんてないんだ。
「思えば今まで、ここまでして何かをやりたいと言ったことはなかったな。 ――私は、ピアノにしろアイドルにしろ、将来に不必要なものをやる意味はないと考えていたが……お前を見て、この子たちを見て、それは間違っていたのかもしれないな」
「パパ……?」
「好きなことに全力で、夢中になって取り組む――確かに、私にもそういう時期はあった。 私には音楽のことはわからないが、お前たちが本気だということはよくわかったよ」
「っ! それじゃあ――!」
穂乃果の――みんなの表情が、華が咲いたように綻んだ。
それって、つまり――
「だがお前の言う通り、勉強を疎かにしないことだ。医大に必ず入ると約束できるなら――私からはもう何も言わないよ」
「……! うん、うん!約束する! だって私は――パパとママの娘なんだもの!!」
――パパが満足そうにこくりと頷いた。
パパに認めてもらえたことが嬉しくて、涙が止まらなくなって。そうしたら「真姫ちゃん!!」って叫んで穂乃果がぶつかるように抱き着いて来て、そうしたらみんな続くようにして私の下に集まってきた。
「よかったね!」、「ほっとしたわ」、「当然よね」――みんな思い思いの言葉で喜んでて、それがまた一段と嬉しくて自然と笑顔になっちゃう。海未が一歩下がった場所から目線を向けて微笑んで、それがまた嬉しかった。
「真姫」
そうしてみんなにもみくちゃにされてる間に、パパはリビングの入り口まで移動していた。
ドアノブを片手に振り返ったパパは、滅多に見ない穏やかな笑みを浮かべて――
「――いい友達を持ったな」
「―――! うん!」
*
『――スクールアイドルという活動しているようなのですが……先生の娘さんも参加している、とか』
『……ふむ、確かに事実だが――アレにはもう必要のないことだ。続ける意味はもうないだろう』
『どうでしょうか。 少なくとも彼女たちは諦めていないようですが』
『……続けることを認めさせろとでも言うのかね?』
『――まさか。俺はそんなことを言える立場じゃありませんよ』
『――ただ、彼女たちが話をしたいと申し出てきた時はそれに応じて、話を聞いてほしいのです。認めるかどうかはそれから決めていただければいい』
『私がそれに応える義務があるのかね? それにその子らも、私に会いに来るとは限らないのではないか?』
『勿論、どうするかは先生に任せます。認めないというのであれば、それは彼女たちの熱意がその程度のものだったということです。 ……しかし――』
『友が待っているのだから――彼女たちは必ず来ます』
――そして現在。
ドア越しに聞こえる娘とその友の和気藹々とした話し声を背に、彼はぽつりと呟いた。
「……本当に、いい友達を持ったな」
**
――その日の夜、園田家。
夕食を終え、後片付けをしていた彩牙と海未。二手に分かれて手際よく、黙々と作業を進めていく――なんてことはなく、その日の出来事などを話題に会話を弾ませながら行うことが主流になっていた。
そんな彼らの今日の話題は他でもない、真姫がμ’sに復帰したことにあった。
「――そうか、西木野さんは戻ってこれたんだな」
「ええ。『みんなのおかげ』って、照れくさそうに話してました」
「私たちも泣いちゃってたんですけどね」と少し照れ気味で話す海未。そんな彼女に泡を綺麗に流した皿を手渡しながら、彩牙は思いを馳せる。
――正直に言ってほっとしていた。彼にできることはあくまでホラーの討滅のみであり、彼女たちの問題解決は自分の領分ではないことは重々承知であったが、それはそれで心配だったのだ。多少の根回しはしていたとはいえ、結局のところ上手くいくかどうかは彼女たち自身に懸かっていたので無事に解決して一安心だった。
その気持ちが表に現れ、小さくホッと息を吐いたことに彩牙自身は気づいていない。
海未はそんな彩牙を横目に水気を拭き取った皿をことりと脇に置き、ふと、その話題の中で出てきたあるフレーズを思い出した。
そしてなんとなしに、口を開いてみた。
「そういえば真姫のお父上と話した時、将来の夢についてお話ししたんです。 ――といっても私自身、まだどれか一つを選べるようになれてはいないんですけどね」
「夢、か――」
「それで思ったんですけど――彩牙くんの夢って、なんですか?」
――問われて、彩牙は言葉に詰まった。それでも食器洗いの手を止めなかったのは、戦いに身を置くが故の癖なのだろう。
この家に来たばかりの頃は今が精一杯で考える余裕もなかったし、魔戒騎士であることを思い出してからは人を守ることが全てで、夢についてなど考えたこともなかった。
改めて考えてみる――魔戒騎士としてホラーから人々を守る――というのは生き方であり、己に課した使命だ。夢、と言われるとどうもしっくりこなかった。
それでは自分の夢とは何なのか――?心の片隅に何かが引っ掛かっているような感覚はするのだが、それは記憶を失う前に抱いた夢なのか、そもそも一体何なのか彩牙にもわからなかった。
「――わからない。考えたこともなかったからな」
「そうですか……でも、彩牙くんならいつかきっと見つけられると信じてます。その時は私にも教えてくださいね」
「――そうだな、その時は楽しみにしててくれ」
そこでふと、彩牙は思った。
彼もまた、海未と同じようになんとなしに口を開く。
「……そういえば、海未の夢はなんなんだ? さっきはいくつかあるみたいなことを言ってたが」
「私のは……そうですね――」
立派な跡取りになる夢、アイドルの高みを目指す夢――
そこまで考えて、ふと頭の中に新しい映像が過る。いつだったか穂乃果の部屋で読んだ漫画のワンシーン、数奇な運命に翻弄された主人公とヒロインが苦難の果てに再会して愛を誓い合う場面。当時は恥ずかしくなってそこで読むのをやめてしまったが――何故か今になってそのシーンが鮮明に浮かび上がり、ヒロインの姿が自分に置き換わっている。
そして主人公の姿は―――
「な、なっ、ななぁっ……!? ち、ちがっ!わたっ、私は――!!」
「ど、どうした!?」
突然顔を真っ赤にして小刻みに震え、壊れたラジオのように支離滅裂な言葉を発し始めた海未。震える手から零れ落ちた皿を慌てて受け止め、豹変した彼女を困惑の表情で見つめる彩牙。
そんな二人の様子をテーブルの上から眺めていた、魔導輪から一言。
『……青いな』
***
健やかな少年に成長した彼は、剣を手にしていた。
父の跡取りとして、立派な魔戒騎士となるためだ。その実現のために彼は日々鍛錬に励んだ。
どれだけ厳しい修行を課せられても彼は泣き言一つ吐かなかった。それは自分への期待や愛情の裏返しであることを、聡明な彼は理解していたからだ。
そしてそれに応えるように、彼は才覚を伸ばし、周りからも一目置かれる存在へとなっていった。
そうして修行を続けたある日のこと。
様々な偶然が重なって魔導筆を手に取ったとき、高度な術を発動させた。彼には騎士としての才能だけでなく、法師としての才能も宿っていたことが発覚したのだ。
その後、「軽い気持ちで手を出しても中途半端な技になるだけだ」という周囲の反対を押し切り、彼は魔戒騎士であると同時に魔戒法師でもあるという道を選ぶのだった。
全ては人々を守るために。
その為に必要な力は一つでも多い方がいいと、そう信じて。
***
ザルバ「因果応報という言葉を知っているか?」
ザルバ「善き行いは善き結果に、悪しき行いは悪しき結果になって自分に返ってくるという意味だな」
ザルバ「だが善き行いをしたからといって、必ずしも報われるとは限らないぜ?」
ザルバ「次回『応報』!」
ザルバ「それは本当に善き行いか?」
魔戒指南
・ ホラー『アンプゥ』
内なる魔界を経由して人間の夢をゲートにするホラー。直接魔界から現れて人間に憑依することができず、憑依先に悪夢を繰り返し見せることで精神を弱らせ、夢と現実の区別ができなくなったタイミングで憑依する。
真姫に狙いを定め、悪夢を見せて彼女の精神を追い詰めていった。
憑依される前に倒すには、標的にされた人間の夢の中に入りこまなければいけない。