牙狼〈GARO〉 -女神ノ調べ-   作:らいどる

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すいません、長らくお待たせしました。
なかなか思うように筆が進まず、ここまでかかってしまいました。

別にシンゴジが面白すぎて筆が止まってしまったとか、そんなことはアリマセンヨ?
あー・・・・ゴジラこわい




第9話  合宿

 

 

 

 

 

 

 

「海未さん、みなさんとお泊りに行くのは明日でしたかしら?」

 

「はい。海の近くに真姫の家が持つ別荘があるそうですので、そこにお邪魔することに」

 

「あら、それでしたら今度西木野さんのお宅にお礼に行かなければいけませんね」

 

――園田家、その一室。

そこには座卓を囲んで一同で夕食をとる、海未をはじめとした園田一家と彩牙の姿があった。白いご飯にお味噌汁、焼き魚や和え物などの和食で彩られた食卓が、日舞の家元且つ武道の家でもある園田家らしい色を表していた。

 

さて、今この場で話題となっているのが、明日に控えたμ’sの合宿だ。

海未をはじめとしたμ’sの面々で真姫の家が持つ別荘に数日間泊まり込むことになっているのだ。

 

元々は学校の屋上が修理で暫く使えなくなったからその代わりに――という理由だったのだが、ついでに新曲のPVも撮ってしまおうという話になり、海未もここ2、3日は合宿の支度と日舞や武道の稽古の合間に歌詞作りに専念し、完成に近づけていた。

以前ことりに水着が映えるような夏らしい歌詞を作ってほしいと頼まれたこともあり、今回の海辺での合宿は正にベストタイミングとも言えた。

 

そんなわけで明日から数日間、海未は留守することになるのだが――

 

「………」

 

「海未さんが留守の間に彩牙さんには………どうかしたのですか?彩牙さん」

 

「彩牙くん……?」

 

夕食を取り始めてから――いや、それよりも前からずっと押し黙っていた彩牙にその場の全員が意識を向けた。

しかめっ面――とまではいかないが、どこか険しい表情を浮かべていた。

 

その表情を見た海未は、何かあったのだろうかと思った。

先日のレギオンとの戦い以来、彩牙がホラー狩りに出かけた様子はなかったし、今朝の稽古の時だって普段と何一つ変わらない様子だった。

となると日中に何かがあったということになる。またコテツと諍いを起こした――とも思ったが、それだったらもっと殺気を放たんとする勢いで険しい表情を浮かべているはずだ。

そんなことを考えていると、意を決したかのように彩牙が口を開いた。

 

「……すみません、先生、奥様。急な話ですが俺も明日から数日、留守にしなくてはいけないのです」

 

「……ずいぶんと急ですね」

 

驚いたような、それでいて静かな海未の母の声。

声にこそ出していないが驚いたのは海未も同じだった。

彩牙がこうして急な用事を入れてくるなど初めて見たからだ。これが穂乃果だったら「またですか」とか「穂乃果は仕方ありませんね」と返すようなところなのだが、当然のごとく彩牙は穂乃果ではない。

それ故に不思議だった。

 

「それで、どのような御用なのですか?」

 

「……申し訳ありません、お答えできません」

 

海未の母の問いに対して真っ向からそう答える彩牙に、彼女は困ったような表情を浮かべた。

こちらからの問いかけにこうも黙秘を貫こうとする姿など、見たことがなかったからだ。

そして海未はそんな彩牙の姿に、ある懸念を浮かべていた。

その懸念について考えていた時だ。

 

 

「……彩牙」

 

「はい、先生」

 

彩牙と同じように沈黙を保っていた海未の父が、口を開いた。

一見すれば射止めているように見える視線を向けられても尚、彩牙は臆することなくその視線を真っ向から受け止める。

 

「その用というのはどうしても話せないか」

 

「はい。ですが何としてもやり遂げねばならないことです」

 

「……何が何でも、か?」

 

「……はい」

 

静かに、そして有無を言わせないような言葉と共に見つめ合う彩牙と海未の父。

どれくらいそうしていたあろうか。数秒であるはずなのに何分間もそうしているかのような錯覚を海未が抱いた中、海未の父が再び口を開いた。

 

「……わかった。そこまで言うのならその用事、何としても果たしてくるといい」

 

「ありがとうございます。急な申し立てにもかかわらず……」

 

「その代わり、戻ってきたら忙しくなりますよ」

 

「はい。謹んでお受けいたします」

 

海未の両親からの許しを得て、深々と頭を下げる彩牙。

そんな彩牙の姿を見て、海未は自分が抱いた懸念が真実味を帯びていくのを感じた。

彩牙がここまで頑なに自分の意志を通そうとする理由など、一つしか考えられなかった。

即ち――ホラーが現れたのだと。

 

 

 

 

 

 

 

 

(……どうやら、大手を振って出られそうだな)

 

(ああ、いきなり話を聞いた時には驚いたが)

 

一方で彩牙は海未の両親から突然の留守に許しをもらえたことに安堵していた。それと同時に申し訳なさも抱いていた。

それも当然だ。「明日から理由は話せないけど数日間留守にします」など普通だったら許してもらえるわけがない。手伝いをしている居候の身であるのなら尚更だ。

それ故に、許しをくれた海未の両親には申し訳なさの他に言い表しきれない感謝の意も抱いていた。

 

そもそも何故、このようなことになったのか。

その理由は今日の昼、彩牙が番犬所に呼び出された時にあった――

 

 

 

**

 

 

 

――時間は遡り、昼。虹の番犬所。

 

 

「……他の管轄へ、ですか?」

 

「さよう。海の管轄、お主には明日からそこに向かってホラーを討滅してもらうぞ」

 

オルトスに呼び出され、番犬所に訪れた彩牙を迎えたのは彼女のその言葉だった。

 

『何故小僧が行く必要がある?その管轄の騎士や法師に任せればいいんじゃないのか?』

 

ザルバの言うことも最もだ。

本来それぞれの管轄にはその地を担当する騎士や法師がいるのだ。

管轄内で出現したホラーはその管轄の騎士や法師が討滅するのが当然であり、他所の騎士や法師が手を出すことは余計な軋轢を生むことになりかねないのだが――

 

「ちと手強いホラーが現れてな、その管轄の騎士が討滅に向かったのじゃが返り討ちにあって喰われてしまったのじゃ」

 

「なっ……!」

 

オルトスがさらっと放った言葉に、彩牙は驚きを隠せずにいた。

彼女が言うことが真実ならば今、その海の管轄には騎士がおらず、ホラーが我が物顔で跋扈している状態となる。そんなもの到底見過ごせる状況ではない。

だがそれで合点がいった。自分がその管轄に向かう理由とは――

 

『小僧に後始末をつけさせようってわけか』

 

「うむ。後任の騎士が決まるまでにお主にそのホラーを討滅してもらう」

 

つまりは“喰われた騎士の代わりにホラーを倒せ”ということだ。

何ともシンプルでわかりやすい理由だと、彩牙は思った。

 

「……大和さんとコテツは?」

 

「大和は元老院に出ておってな、灰塵騎士にはお主の留守を務めてもらう。なんじゃ、不安かの?」

 

「……いいえ、やれます!」

 

――そう、不安などない。

他の管轄だろうと、騎士を返り討ちにしたホラーであろうと関係ない。自分のやるべきことは何一つ変わらない。

ホラーがいる。その地に住む人々の命が脅かされようとしている。ならばホラーを狩る。人々を守る。

それが自分の使命なのだから。

 

そんな彩牙の毅然とした態度に気分を良くしたのか、オルトスは含みのある笑みを浮かべた。

 

 

「……良い返事じゃ。それでは、お主に討滅してもらうホラーについてじゃが――」

 

 

 

**

 

 

 

今日はいい日だ。

だって今日は、パパとママがずっと一緒に居てくれる。

パパもママも普段はお仕事が忙しくて、中々一緒にはいられない。誰もいないリビングで、一人でご飯を食べることもあった。

お友達もできないから遊びに行くこともなく、寂しかった。

 

でも今日は違う。

今日は私の誕生日だから。今日だけはパパもママも必ずお仕事を休んで一緒に居てくれる。

だから私は誕生日が大好き。プレゼントを貰えることよりも、ケーキが食べられることよりも、パパとママが一緒に居てくれることが嬉しいから。

 

「あらあら、ほっぺにクリームが付いちゃってるわよ」

 

そう言ってママは私のほっぺに付いていたケーキの生クリームを掬い取って私の口元に運んだ。ママの指にぱくっと食いついて、クリームを舐めとる。

えへへ、ふわふわして美味しい。

クリームを口に運んでくれたママも、それを見守るパパも、優しく微笑んでる。それを見た私も嬉しくなって、ついつい笑顔を浮かべちゃう。

 

今、そんな私の懐にはパパとママがプレゼントしてくれたタロットカードがある。

最近占いに嵌りだして、ただ占ってもらうよりも自分で占ってみたいって勉強していたらプレゼントしてくれたの。

それも見たことないデザインだったから「どこの?」って聞いたら、なんと特注で作ってもらったカードだった!

 

世界に一つだけのカードだねって言われて、なんだかすごく嬉しくなっちゃった。

あまりに嬉しくて、後でパパとママを占ってあげようって思ってたら、パパが後ろに何かを隠すようにして近づいてきた。

 

「実はね、今日はもう一つプレゼントがあるんだよ」

 

「ほんと!?」

 

そう言ってパパが差し出したのは綺麗なラッピングがされた箱だった。

ラッピングを丁寧にはがしてその下の箱を開けると、そこには一本の筆があった。

私はその筆を見た瞬間、なんだか心奪われたような感覚を覚えた。

軸には三日月の模様があしらわれていて、筆先の毛はキラキラ光ってるような感じがしてすっごく綺麗で、吸い込まれそうな気がしたんだもん。

思わず夢中になって見つめていると、パパが私の頭の上にポンと手を置いた。

 

「それはね、お守りだよ」

 

「お守り?」

 

「ええ。怖いものから守ってくれる、とっても大事なお守りよ」

 

そう言われて私はもう一度その筆を見つめた。

……確かに、この筆を持ってるとほっとするような、暖かくなるような……ううん、勇気が湧いてくるような気がする。

この筆があればどんなところでも――お化けが沢山いるような場所でも勇気を持って進める、そんな気がした。

 

「それともう一つ。この筆を使ったおまじないを教えてあげるよ」

 

「おまじない?」

 

「そうよ。怖いものから大切なものを守れるおまじない」

 

そう言ってパパとママは筆を手にした仕草をして、不思議な動きを見せた。

不思議な……でもなんだかすごく綺麗に見える、舞のような動き。

私は、その動きから目を離せなくて……――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――ジリリリリリリリリ!

 

「………あ」

 

……耳に響き渡る目覚ましの音。カーテンの隙間から漏れる日差し。

薄暗い、見慣れた天井。そこは小さい頃パパとママ……ううん、お父さんとお母さんと一緒に暮らしてた頃の家じゃなくて、ウチが一人暮らししているマンションの一室。

目覚まし時計をカチッと止めて、カーテンを開けると部屋が一気に明るくなる。それと同時にウチ――東條希も一気に目が覚める。

よく寝たなぁと思うと同時に、ふと思う。

 

「随分懐かしい夢やったなぁ……」

 

あれはウチがまだ小学生くらいの頃の誕生日の夢だった。あの日のことは今でもよく覚えている。

今でもずっと使っているお気に入りのタロットカードとお守りをプレゼントしてもらった日だから。ウチの昔からの相棒たちと初めて会った日だから。

そんなことを考えながら、ウチはゆったりとしたパジャマから着替え始める。

 

着替えた後、タロットカードの横に大事に置いてあった筆――お守りを手に取る。そうすると今日も一日がんばろうって勇気が湧いてくる。

それと同時に、ウチはふと思う。なんであの日の夢を見たんだろう?

確かにあの日は大事な、それでいて大好きな日だった。でも今まであの日のことを夢で見ることなんてなかった。勿論、最後まで見れなかったけど“おまじない”のことだって。

 

でもあの日のことを夢に見ることなんて一度もなかった。

……このあいだ久々にお父さんとお母さんに電話したからかな?

それとも――

 

「……っと、そうだ。早く準備せんとあかんね」

 

ウチとしたことがうっかり忘れるところだった。

いつもより早く設定された目覚まし時計。今日はμ’sの皆で真姫ちゃん家の別荘に合宿に行く日。

荷物の準備は昨夜のうちに済ませておいたとはいえ、しっかり早起きして身だしなみを整えておくに越したことはないからね。年頃の女の子やし。

でも穂乃果ちゃんなんかはちょっと寝過ごして大慌てするんやろうな。そんな光景が簡単に想像できて、思わずくすっと笑っちゃう。

 

さて、お守りをちゃんとバッグに入れて。

朝ごはん食べて、身だしなみを整えたらウチも駅に向かわんとね。

 

 

 

**

 

 

 

――東京駅・その一角

 

「みんな、おはようさん!」

 

「あら、おはよう希」

 

「おはようございます、希先輩」

 

「おはよう花陽ちゃん。うふ、今日もわしわしし甲斐のありそうなお胸さんやね♪」

 

「か、からかわないでください……」

 

やって来た希を出迎えたのは、穂乃果と海未とことりを除いたμ’sメンバーだった。

希のセクハラまがいの言葉に照れるようにさっと胸を庇う花陽の反応に、希は悪戯っぽい笑みを浮かべながら「可愛い反応やなぁ」という感想を抱いた。

そんなやりとりに仕方ないと言わんばかりの表情を浮かべる絵里と真姫に対し、にこと凛は過去のトラウマを思い出したのか無意識に胸を庇うような姿勢をとったが、それは隅に置いておこう。

 

ちらり、と希はμ’sメンバーを見回す。それと同時に物足りなさも感じた。

彼女も気づいたのだ。まだメンバーが揃ってないことに。

穂乃果をはじめとした二年生組がまだ来ていないことに。

 

「穂乃果ちゃんたちはまだ来てへんの?」

 

「そうね、まだ時間はあるから大丈夫だけど……」

 

時計を見ながらやや不安そうな表情で答える絵里。

そんな彼女の言葉に相槌を打つかのように、にこが口を開いた。

 

「どうせ穂乃果が寝坊してるってオチじゃないの?」

 

「それは……――」

 

――ありえない。と真姫は言い切れなかった。

あの普段からズボラなところのある穂乃果のことだ。うっかり目覚ましのセットを忘れてぐっすり――なんて光景が容易に浮かんだのだ。

そんな苦笑いしか浮かばないようなことを全員が考えていた、その時だった。

 

 

「おーい、みんなー!!」

 

「あ、穂乃果ちゃんたち来たみたいやね」

 

手を大きく振った穂乃果を筆頭に海未とことりの二年生組――幼馴染三人組がやって来た。

慌てた様子もなく、いつもと変わらぬ元気一杯な穂乃果の姿に予想が外れたと思うと同時に、外れてよかったと安堵していた。

合宿の言い出しっぺが寝坊して遅刻なんて光景にならずに――

 

「おはよう三人とも、誰も遅刻しなかったみたいでよかったわ」

 

「………そう、思いますか?」

 

「え」

 

――ならず……に。

含みのあるような返答をする海未。

思わず呆けたような呟きを発した絵里の目の前には、苦笑いを浮かべることりとジト目を浮かべる海未、その視線の先で冷や汗をかきながら固まった笑顔で明後日の方向を見つめる穂乃果の姿があった。

……まさか――二年生組を除いたメンバー全員の脳裏に“ある予感”が浮かんだ時、それに応えるように困ったような笑顔のことりが口を開いた。

 

「えーっとね……穂乃果ちゃん、どうやら目覚ましを予定より遅い時間にセットしちゃってたみたいで……」

 

「もしやと思って様子を見に窺ったら案の定でした」

 

「……ご、ごめんなさい。でもホラ!無事に遅刻せずに来れたわけだし――」

 

「私とことりが様子を見に来なかったら?」

 

「………遅刻してました、ハイ」

 

ぐぅの音も出ないと言わんばかりに気まずそうにうなだれる穂乃果。

そんな穂乃果の姿に事実は小説よりも奇なりというのか、色んな意味で期待を裏切らない人間だとメンバーの誰もが思った。

穂乃果らしいと言えば穂乃果らしいのだが。

 

「……と、とにかく!みんな揃ったことだししゅっぱ――」

 

「あ、ちょっと待って!」

 

気を取り直して号令をかけようとした穂乃果に、絵里が待ったをかけた。

穂乃果をはじめとした皆が不思議そうに絵里を見つめる中、希だけがにこやかな笑顔で絵里を見つめていた。そして絵里も自信満々の笑顔を希に向ける。

 

この合宿が決まった時、二人はある提案を考えていた。

それはμ’sの結束をより深めるために必要なこと。戸惑い、すぐには適応できない者も出るかもしれないが避けては通れない道。

そして何よりも――無意識にできているであろう壁を、取り払いたいと思ったから。

 

「出発する前にみんなに提案があるのだけど、いいかしら?」

 

「提案……ですか?」

 

「ええ。あのね――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――先輩禁止、してみない?」

 

 

 

**

 

 

 

「……」

 

『どうした小僧、ぼーっと窓なんて眺めて』

 

「いや、綺麗な海だなと思ってさ」

 

『ふむ。魔界道が使えなかったのは残念だったがこれはこれで悪くないかもな』

 

「だろ?」

 

――某県、沿岸地域。

その地を走る乗客もまばらな電車の中に、彩牙の姿はあった。

海の管轄にてホラーの討伐を命じられた彼は今、電車に揺れられて海の管轄へと向かっていた。本来ならば管轄と管轄の間を繋ぐ魔界道を使えばあっという間に辿りつくことができるのだが、生憎と今の時期は道が閉じており、こうして電車で向かっていた。

だがこうして景色を心に噛みしめながら目的地へ旅するのも悪くない。少なくとも心に余裕を持つことができると彩牙は思った。

 

『それにしても海か』

 

「なんだよ?」

 

『いやなに、真っ先に“うみ”について言うとはな。それほどぞっこんってことか?』

 

「なっ……!う、海未のことは関係ないだろ!」

 

『おいおい、俺様はあの嬢ちゃんのことだとは一言も言ってないぜ?』

 

「ぐっ……!」

 

からかうかのようなザルバの言葉に思わず詰まる彩牙。

……確かに、ザルバの指摘は図星だった。海を見て同じ名前である海未のことを――それこそ海のように落ち着きがあり、麗しい心を持つ彼女のことを想ったのは事実だ。

だがぞっこんというのは違うはずだ。海未はあくまで守りたい人であって、ザルバの言うようなことはない。

そうではない……はずだ。

 

『だがな、あまり思い入れするんじゃないぞ。返り血を浴びている以上、いつ何が起こるかわからんからな』

 

「……わかっている」

 

『だといいがな。お前はどうも深入りしすぎるところがあるからな』

 

「……」

 

ザルバの言葉に思い当たるふしがないわけでもなかった。

先日のコテツとの一件。あの時は剣を交えた後にコテツのことをほぼ完全に敵としてみなしていた。

海未たちの言葉やコテツ自身に魔戒騎士としての意志を感じたからこそ敵意は収まったが、もしそれらがなければ彩牙はずっとコテツのことを敵として見ていただろう。

それは彩牙の未熟な点。記憶がないことを抜きにしても、直していかなければならないところだった。

 

 

『――次は、○○駅、○○駅です。お降りの方はお忘れ物のございませんよう――』

 

『……っと、どうやら着いたようだな』

 

「ああ、行こうか」

 

電車内に響き渡るアナウンス。

目的地が近づいたことを知らせるそれを受け、それまでの考えを中断して彩牙は腰を上げた。

考えねばならないところはある。だが今は目の前の指令をこなさなければ――

 

 

 

「……そういえば、隣の車両が少し騒がしくなかったか?」

 

『さあな。邪気も感じなかったし、大したことないだろう』

 

「それもそうだな」

 

 

 

 

 

 

彩牙が降りたのは、木々に囲まれた中にポツンと建った駅だった。

先程の電車以上にまばらな人。一見すると寂れていると錯覚しそうなその光景も、自然に溶け込み調和した駅という“味”を出していた。

夏の日差しと木々の間から微かに覗く海に反射された輝きが彩牙を出迎えた。

 

「ここが海の管轄か」

 

『ああ。こっちの番犬所にはすでに話を通しているようだし、早速向かうとするか』

 

「そうだな。“奴”を探しに――」

 

――と、彩牙が足を踏み出そうとした時だった。

とすん、と背中にぶつかる感触。まるで人のような重みのある感触に何かと思い振り返ると、そこには確かに人がいた。

よほど慌てていたのか、または浮かれ過ぎていたのか定かではないが、周りが見えずにそのまま彩牙にぶつかってしまったのだろう。“オレンジ色のサイドテール”を揺らし、いたたと言わんばかりに頭を抱えていた。

 

「大丈夫ですか?」

 

「いたた……ご、ごめんなさい!彩牙くん怪我なかった?」

 

「いや、高坂さんが無事ならそれで――」

 

「……」

 

「……」

 

沈黙。

互いの顔を見合わせ、自分たちが口にした相手の名前と、目の前にいる相手の姿を呆然としたまま目に焼き付ける彩牙と“穂乃果”。

一秒、二秒と針の音と共に経過していく時間。その音と同時に彩牙と穂乃果の表情も呆けたようなそれから驚愕に包まれたものへと徐々に変化していった。

そして表情が驚愕一色に染まった時、二人はほぼ同時に互いを指さし、衝動に駆られるままに叫んだ。

 

 

「「な、なんでここに!?」」

 

見事なまでにハモった叫び。

何故こんなところにいるのかと考える間もなく、駅の中から聞こえてくる少女たちの話し声。

――そう、彩牙は思い出した。今日、自分以外にも遠出をする少女たちがいたことを。

そしてここに穂乃果がいる。つまりそれが意味することは――

 

 

「穂乃果!急に走り出すと危ない……って、え!?」

 

「あれ、彩牙くん?」

 

彩牙の予感は的中した。予期していた分、穂乃果と出くわした時よりも衝撃は抑えることができた。

穂乃果を追ってきたのであろう、海未とことり。彼女たちもまた彩牙がいることに驚きを隠せずにいた。

彼女たちが現れれば後の展開はもう容易に予想できた。次々と駅の中から現れてくるμ’sメンバー。その誰もが彩牙を目にして驚愕に染まっていた。

あまりにも予想通りの反応に、彩牙はもう苦笑いを浮かべずにはいられなかった。

 

 

「あれま、彩牙くんこんなところで奇遇やな?」

 

「それはこっちの台詞だよ。……もしかして、海未が言ってた合宿先って言うのは」

 

「ええ。この辺りに真姫の別荘があるらしいの」

 

「そうだったのか……」

 

絵里の言葉に、彩牙は偶然の悪戯を感じずにはいられなかった。

まさかμ’sの合宿が行われる真姫の別荘が海の管轄内にあるとは夢にも思わなかった。

これは今回の指令、より一層気合を入れて取り組まねばならないと彩牙が思ったとき、不思議そうな表情を浮かべたことりが尋ねた。

 

「それで、彩牙くんはどうしてここに?」

 

「まさか、にこ達のことをストーキングしたなんて言わないわよね!?」

 

「そんなのあるわけないでしょ」

 

「ははは……俺はちょっと探し物があってね。ほら、あの海のあたりに」

 

「………え?あそこに?」

 

ホラーのことを適当にはぐらかし、目的地である海の方向に指を向けた時、いの一番に反応したのは真姫だった。

今回の合宿で使う別荘の持ち主である真姫。その彼女が真っ先に反応したことに、彩牙は恐る恐る彼女の方を向いた。

偶然の一致とはここまで重なるものなのかと、そう思いながら。

 

「……まさかとは思うが、西木野さん」

 

「ちょうどあの辺りよ、うちの別荘があるの」

 

――もし神というものがいるのなら、どこまで運命の悪戯が好きなのだろうか。彩牙はそう思わずにはいられなかった。

もはやここまで偶然が一致すると思わず頭を抱えざるを得ない。そんな彼の心の内など知らずか、ピンと何か閃いたような表情を浮かべた穂乃果が口を開いた。

 

「ねえ彩牙くん、泊まるところって決まってるの?」

 

「え? いや、どこか適当な宿を探そうと……」

 

「――だったら、私に良い考えがあるよ!」

 

「……穂乃果、まさかとは思いますが」

 

ふっふっふと言わんばかりに笑みを浮かべる穂乃果。

そんな猪突猛進な幼馴染が言わんとしていることを予想した海未は、頭を抱えずにはいられなかった。

 

 

 

**

 

 

 

「――ほら、ここよ」

 

駅からバスに揺られていき、降りたバス停から少し歩いたところ。

道路を挟んで砂浜を目前にしたそこに、真姫の家が所有する別荘はあった。

手入れが行き通っているのだろう、小奇麗な庭が広がる最早豪邸と呼んでも差し支えのない別荘に、真姫以外の全員が感嘆としたような表情に呆けたような息を漏らしていた。

 

「すごいよ真姫ちゃん!さすがお金持ち!」

 

「こんなおっきな別荘、初めてだにゃー!」

 

「そう?これくらい普通でしょ?」

 

称えるような穂乃果と凛の言葉に少し照れくさくなったのか、わずかに顔を赤く染める真姫。

そんな彼女を案内も兼ねて先導にして、はしゃぐようにして別荘の中へと足を踏み入れていく穂乃果と凛。彼女たちを皮切りにして次々と続いて足を踏み入れていくメンバーたち。にこは何故か悔しがるような表情を浮かべていたが、それは隅に置いておこう。

そうして別荘の前に残ったのが海未、ことり、絵里、そして希だけになった時、彼女たちは後ろを振り向いた。

道中で一緒になった、もう一人の連れに向かって。

 

 

 

「……本当に俺が一緒に居ていいのか?」

 

「大丈夫だよ。もうここまで来ちゃったんだもん」

 

「彩牙くん、荷物の方は大丈夫ですか?」

 

「無理して持たなくてもいいんよ?」

 

「突然お邪魔するんだ、これくらいはしないと」

 

バッグなどの沢山の荷物を肩から下げ、抱える彩牙の姿がそこにはあった。

事の発端は駅で彩牙と彼女たちが出くわした時だ。あの時、穂乃果は彩牙に真姫の別荘に一緒に泊まろうと提案したのだ。

無論、μ’sのメンバーの多くと彩牙は反対した。年頃の女子だけの合宿に一人生徒でも何でもない、“メンバーの一人の同居人”であるだけの男が混じるなど普通に考えてありえないことだ。

彩牙自身も適当な宿を探すつもりだったし、折角の彼女たちの合宿に部外者である自分が割って入るのはあまりにも申し訳がなさすぎると思った。

 

その旨を伝えて申し出を断り、去ろうとした彩牙を引き留めたのは意外にも真姫だった。

彼女曰くこの時期は海水浴客などが多く、宿は殆ど埋まっているらしいのだ。そのことを知っていたが故に、本質的には世話焼きな真姫は引き留めずにはいられなかった。

それでどうするのかと問いだしたところ、彩牙は野宿でもすると答えたのだが、そこで彼を止めたのが海未だった。

 

まるで聞き分けのない子供に言い聞かせるかのように、「彩牙くん一人だけに野宿させるわけにはいきません」と怒った様子の海未。

そんな彼女に続くように絵里も、「そんなことをさせるくらいなら一緒に居た方がいいわ」と語気を強めて詰め寄った。

 

偶然巡り合ったとはいえ、知り合いを一人だけ野宿させるというのは彼女たちには受け入れられなかったのだろう。まるで説教のように言い詰められ、結局折れたのは彩牙だった。

仮に野宿を押し通そうとすれば、こうなった海未はきっと彩牙を探し回るだろう。それほどの気迫が感じられた。

 

そうして今、彩牙も真姫の別荘に泊めてもらう形となり、ここにいた。

バッグなどの荷物は「突然泊めてもらうわけだから」と彩牙が彼女たちから預かり、荷物持ちしていたものだった。

 

「ごめんなさいね、重かったでしょう?こんなに沢山持たせちゃって」

 

「これくらい平気さ。なんならみんなの荷物全部預かっててもよかったのに」

 

「ふふ、お世辞が上手ね。ありがとう」

 

微笑みを浮かべながら、彩牙から自分の荷物を受け取る絵里。

そんな彼女に続き、海未、ことり、希も自分の荷物を受け取っていく。

 

「それじゃ、荷物を置いたら早速着替えましょうか」

 

「そうですね、絵里せんぱ……あっ」

 

「き・ん・し……って言ったでしょ?」

 

「……すみません、絵里」

 

何気ない、海未と絵里の会話。

それを横で見ていた彩牙は、今まで抱いていた違和感に気が付いた。

駅で皆に会ってからここまで感じていた違和感。それは下級生が上級生のことを先輩付けで呼んでいなかったことだった。

 

「気が付いた?先輩禁止にしたんよ」

 

「禁止?」

 

「そう、みんながもっと仲良くなれるように。なー、ことりちゃん♪」

 

「うん、希ちゃん♪」

 

朗らかな笑顔で互いの名を呼び合う希とことり。

そんな仲の良い彼女たちの姿を目にし、希の言葉に納得する彩牙。確かに先輩呼びが無くなったことで先輩後輩の垣根がなくなり、これまでよりも親身になっているように感じられた。

そんなことを考えていた彩牙に、悪戯っぽい笑みを浮かべた希が語りかける。

 

「なんなら彩牙くんも好きに呼んでいいんよ。ほら、苗字呼びなんて他人行儀みたいなことせんでええんよ♪」

 

「ははは……別に他人行儀なんてつもりはないけど、遠慮しておくよ。“それ”は東條さんたちだけのものなんだからさ」

 

「あら、つれないなあ」

 

部外者の自分までμ’s内の決め事にあやかっても仕方がない――そう言外に含ませてやんわりと断り、別荘の中へと歩いていく彩牙。

そんな彩牙の姿を少し寂しそうな笑顔で見つめる希に、同じような表情を浮かべた絵里が語りかける。

 

「仕方ないわよ。彩牙さんもちょっと気まずいところがあるのだろうし」

 

「んー……そうかもしれへんけどなあ」

 

誘われ、それしか手がなかったとはいえ、いくら顔見知りであっても仲間内での合宿――それも同年代の女子の集まりに加わるというのは非常に気まずいところがあるのだろうと、絵里は思った。

かつてμ’sを――スクールアイドルをやりたいという気持ちに素直になれなかった時の自分のように。

 

「それでもお友達なんやし、ちゃんと名前で呼んでほしいなぁ……」

 

「……そうね」

 

少し、壁を作られている――

希は、彩牙にそんな思いを抱いていた。

 

 

 

**

 

 

 

「りょ、料理人!?」

 

「……そんなに驚くこと?」

 

「驚くよ~普通はいないもん」

 

別荘のキッチンに響き渡る、にことことりの驚きに満ちた声。

荷物を運び終えた彼女たちは今、真姫に別荘の中を案内してもらっていたのだが、キッチンで真姫が言い放った言葉に驚きを隠せずにいた。

それもそのはず、真姫が言うには家族でここに来た時には専属の料理人に調理してもらっているというのだ。

 

――そう、料理人、コックだ。しかもそれは別荘に限った話ではなく、普段家にいるときからそうだというのだ。

自分たちとあまりに違う真姫の暮らしぶりに感嘆とすることり。彼女は彼女で一学校の理事長の一人娘という十分にお嬢様として通じる立場であるのだが、料理は主に自分や母親がするものであって料理人を雇うなどという発想はないのだ。

そうしてにこに同意を求めることりだが、当のにこは胸を張っているようで――

 

「へ、へぇ~真姫ちゃん家もそうなんだー。にこも同じだから自分で料理とかしたことなくて~」

 

「へぇー……にこちゃんもそうなんだー……」

 

そう自慢げに語るにこだが、その表情は無理をしているかのように引きつり、冷や汗も浮かべていたが、ことりはそれに気づかない。

怪訝そうな表情でそれを見つめる真姫だけが、何となくにこの言葉の真意を察していた。

――と、その時だ。

 

「……っと、ここが厨房か」

 

「あ、彩牙くん」

 

彼女たちと同じように荷物を運び入れ、別荘の中を探索していた彩牙がキッチンに現れたのだ。

普段見知っている園田家の和風に満ちた厨房とは正反対の、西洋風のキッチンを物珍しそうに見回していく。

 

「……そうだ、折角だからご飯は俺が作ろうか?」

 

「えっ? そんな、悪いよ」

 

「いや、みんなは練習をしておきたいだろ?疲れた体に無理をさせるのもよくないと思ってさ」

 

自分が食事を作ることを提案する彩牙。彼からしてみれば突然お邪魔することになったのだから何か手伝いをしておきたかったのだろう。

そこまでやってもらうことに申し訳なさを覚え、断ろうとすることりだが、構わないと言うような姿勢の彩牙。

そしてそんな彩牙の意見に同調する者がいた。

 

「別にいいんじゃない?本人がやりたいって言うなら」

 

にこだ。

彩牙の意志を尊重するかのように言っているが、実はその裏ではつい先程自分が言ったことをそのまま真にできるという算段がある――とは、誰が気付いただろうか。

少なくとそれに気づかなかったことりは悩むそぶりを見せ、ゆっくりと口を開いた。

 

「ん~……それじゃあ、手伝いでもいいからお願いしようかな……?」

 

「ああ、それじゃあ今日の夕食は――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――彩牙くんっっ!!」

 

承諾を貰い、今夜の献立を考えようとした彩牙の前に鬼気迫るような表情を浮かべた海未が駆け寄ってきた。――いや、駆け寄るなどという生易しい表現ではない。彼女のそれは辺りに地響きでも起こるかのような勢いだった。

あまりにも緊迫した様子の海未に呆然としたことりたち三人をよそに、海未は彩牙の肩をがっちりと掴み、鬼気迫る表情で彩牙を見つめる。

しかしそれも束の間、その直後に海未はにこやかな笑顔を浮かべる。

――彩牙の肩を掴む手の力を緩めないまま。

 

「ど、どうしたんだ?海未」

 

「食事の方は大丈夫ですから、彩牙くんは掃除や大きな道具の出し入れをお願いしてもいいですか?何分力仕事が必要ですので」

 

「あ、ああ。それは構わないけどそれなら料理も一緒に――」

 

「いえいえ、昔から台所は男子禁制とも言いますし、こちらは私たちに任せて彩牙くんはそちらの方をお願いします」

 

「いやしかし、普段家でも手伝ってるし――」

 

「お・ね・が・い・し・ま・す」

 

「はい」

 

有無を言わせない迫力に満ちた海未の言葉。

それに圧倒された彩牙は流されるままに頷くしかなかった。

 

「それでは彩牙くんはあちらの方で荷物の整理をお願いしていいですか?」

 

「あ、ああ」

 

海未に圧倒されたまま、キッチンを後にする彩牙。

やけに哀愁漂うその後ろ姿を非常に安堵した様子で見つめる海未に、ことりが恐る恐る声をかけた。

 

「う、海未ちゃん……?どうしたの?」

 

「そうよ、折角料理してくれるって言ってたのに」

 

やや恨みがましく言うにこだが、海未はそれに応えない。

それどころか神妙な表情で三人を見つめていた。

 

「……いけないのです」

 

「え?」

 

「彩牙くんに、料理をさせてはいけないのです」

 

「ど、どういうこと?」

 

張り詰めたような表情で語る海未に、呆気にとられたように尋ねる真姫。

その表情を崩さないまま、海未は語り始める。

 

「……彩牙くんが家の手伝いをしてくれていることは知ってますよね?」

 

「う、うん」

 

「それである日、彩牙くんがご飯を作ることになったのですが――」

 

「……まさか……」

 

語る海未の表情、先程の彩牙を必死に止める様子。

それらを思い出し、真姫は自分の中である予想を立てた。

そしてその予想が正解だと裏付けるかのように、遠くを見つめる海未はどこか達観したような――儚い笑みを浮かべた。

 

「……食材への冒涜とは、正にあのことを言うのですね」

 

その一言だけで、ことりたち三人にははっきりと伝わった。

――村雨彩牙は、壊滅的に料理が下手なのだと。

 

「ですから、厨房では彩牙くんには精々皿洗いか米とぎだけをさせてください。無事に帰りたいのならば絶対に料理をさせてはいけませんよ!」

 

「「「はい!」」」

 

海未からの忠告を断る理由など、三人にはもう微塵もなかった。

 

 

 

**

 

 

 

「これが、合宿の練習メニューです!」

 

そう高らかに、元気いっぱいに叫ぶ海未の前には“一部を除いて”練習着に身を包んだμ’sメンバーの姿があった。練習のために合宿に来たのだから、それも当然だ。

……当然なの……だが、皆が皆、顔が引きつり、苦笑いを浮かべる者や明らかにげんなりしている者がいるなど、どこからどうみても歓迎ムードではなかった。

 

理由は今、海未が提案した練習メニューだ。

目の前には海未が作って来たのであろう、円グラフにスケジュールが書き込まれた練習メニューが張ってあったのだが、その内容が問題だった。

ダンスレッスン、遠泳10km、ランニング10km、etc……

あまりにもタイト且つハードなスケジュールに皆、完全に引いていた。

 

「最近、基礎体力が落ちていると思っていたんです。折角ですからここでみっちり!」

 

「そ、それはそうだけどこれは流石に……」

 

生き生きとした海未にやんわりと考え直すように言葉をかける絵里だが、これまでにないくらい瞳を輝かせている海未には届きそうにない。

そんな中また一人、海未に異議を唱える少女が現れた。

 

「ていうか海は!? 海水浴は!?」

 

「そうにゃ!海未ちゃん、海で泳がせてあげるって約束したはずにゃ!」

 

穂乃果だ。彼女に追従するように凛も異議を口にする。

しかし彼女たちが身につけているのは他のメンバーたちと同じ練習着ではなかった。健康的な肌を覗かせる面積が広い装い――そう、水着だ。

「私たち、練習より海で遊びたいです」と言わんばかりに水着を纏っていたのだ。

そんな彼女たちの抗議を前にしても、海未はあっけからんと答える。

 

「ええ、ですから書いてあるではないですか。遠泳10kmと」

 

「違うから! そんなんできるわけないでしょ!」

 

どこかズレたような返答をする海未に、すかさずにこのツッコミが入る。

……穂乃果や凛と同じように、水着を纏っていたにこ――が。

そんなにこの切羽詰まったような突っ込みを受けても尚、海未は輝く笑顔を崩さない。

 

「大丈夫です!熱いハートがあれば!」

 

瞳を輝かせながらそう語る海未に、彼女を除いたメンバーは皆困惑と危機感を隠せない。

常日頃から武道の鍛錬を重ねている海未からすればこれくらいは可能なことなのかもしれないが、彼女以外にとってはそうではない。バテて筋肉痛――などまだいい方だ。

だが完全に鍛錬スイッチがオンになっていた海未には、その思いは届かない。

 

誰か、この危機的状況をひっくり返せるような者は――“ヒーロー”はいないのか。

そんな彼女たちの願いが通じたのか、現れたのは――

 

 

「……ん? みんなどうしたんだ?」

 

彩牙だった。

穂乃果や凛に頼まれていたのかビーチパラソルやチェアを抱えている彼が、困惑する彼女たちを不思議そうに見つめていた。

救いが現れた――!そう心に抱いた穂乃果は即座に彩牙に話を振った。

 

「彩牙くんからも何か言ってよ!こんな練習メニューできるわけないって!」

 

「? ……これは……」

 

穂乃果に促され、張り出された練習メニューを見つめる彩牙。

真剣な表情でメニューを見つめる彩牙の姿を、穂乃果、凛、そしてにこは希望に満ちた表情で見つめる。

自分たちの声は届かなくても、共に暮らし、常日頃から一緒に稽古をしているという彩牙の言葉ならば、きっと海未の考えを改めることができるだろう。

穂乃果たち水着装備の三人ほどではないにしろ、その場にいたメンバー全員がそんな希望を抱いていた。

そして、そんな彼女たちの祈りが届いたのか、真剣な表情の彩牙が口を開いた。

 

「……海未、この練習メニューだけど――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――ちょっと物足りないんじゃないか?」

 

ピシリ、という音が聞こえるかのように固まるμ’sメンバー。

そしてそれに反するように、海未の表情は更なる輝きを増していく。

 

「彩牙くんもそう思いましたか! 私も昨夜作ってからここに来るまでずっと考えてたんです。みなさんならばもっと質の高い練習ができるのではないかと」

 

「ああ。例えば……ランニングもただ走るだけじゃなく、水瓶の中身が一杯になるまで川の間を往復する、なんてどうだろうか?」

 

「なるほど!脚力や体力と一緒に動きながらのバランス感覚も鍛えようということですか! でしたら私もこのような案が……」

 

特訓談議で盛り上がっていく彩牙と海未を、他のメンバーたちはより引きつった表情で見つめ、特に穂乃果たち水着三人組は絶望に満ちた表情を浮かべていた。

そして海未を除いたメンバー全員が同時にこう思った。

 

――この二人に任せていたら確実に死人が出る。

 

「こ、こうなったら……!」

 

「やるしかないわね」

 

決意を秘めた表情で頷き合う穂乃果とにこ。

“後でどうなろうと”知ったことか。このままではあのメニューを更に凶悪にした練習という名の拷問まがいの苦行をやらされる。それだけは御免だった。

今一度、約一名を除いたメンバーの心が一つになった。

 

 

 

 

 

 

 

「……よし、それじゃあこんな感じでいくか」

 

「はい! みなさん、お待たせしまし……た……?」

 

特訓談議も一段落し、新たに生まれ変わってしまった練習メニューを手に、待たせていたメンバーたちに振り返った海未。しかしその瞬間、彼女の表情は呆気にとられたようなものに変化した。

振り返った先にいたのは苦笑いを浮かべる絵里と希、そして真姫の姿だけがあった。

他のメンバーはどこに行ったのか?辺りを見回すと、その答えはすぐに見つかった。

 

海だ。

一体いつの間に着替えたというのか、水着姿のことりと花陽も加えて海で遊んでいたのだ。

練習――少なくとも本人にとっては――を始めようとした海未としては困惑するより他なかった。

 

「あ、あなたたち!練習はどうしたのですか、ちょっと!」

 

「まあまあ、落ち着いて海未」

 

「絵里!しかしですね……」

 

困惑する海未を、穏やかな表情でなだめる絵里。

異議を唱えようする海未に対し、優しく言い聞かせるように語りかけていく。

 

「μ’sはこれまで部活の側面も強かったし、こうやってみんなで遊ぶのも大事だと思うの。先輩後輩の垣根をとるためにも、ね」

 

「それは、そうかもしれませんが……」

 

「それにほら、見て」

 

絵里が指さす先には、笑顔を浮かべ、海で楽しくはしゃぎまわる穂乃果たちの姿。

その中で海未たちに向けて「早くおいでよ!」と言わんばかりに手を振る穂乃果の姿に、海未の中にある思いが湧きあがる。

 

「一緒に混ざりたいって、思うでしょ?」

 

「……そうですね」

 

はにかむように微笑みを浮かべる海未。

確かに練習は大事だ。それは絵里もよく分かっている。

だけど練習だけでは得られないものがあるのも確かなのだ。それを得るために、絵里は海未に手を差し伸べる。

 

「さあ、私たちも行きましょう!」

 

「はい!」

 

その手を、海未は迷うことなく取った。

先輩――いや、仲間の、友達の手を――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ。それとさっき作った練習メニューは生徒会長の権限で処分ね♪」

 

「ええっ!?そ、そんな……」

 

「駄目、なのか……?」

 

無慈悲(?)な絵里の勧告に驚き、愕然とする海未と彩牙。

特に彩牙のそれは心あらずというような状態だった。

 

「駄目に決まってるじゃない、あんなのやったら身体壊すわよ」

 

「そう、なのか……」

 

「あらら、彩牙くん元気だそうな?」

 

「……駄目、なのか……」

 

「どれだけやりたかったのよ……」

 

 

 

 

 

 

それから数分後。

真姫の別荘の前のビーチでは、すっかり海水浴を楽しむμ’sの姿があった。

水着に身を包んだ彼女たちは水かけ、スイカ割り、ビーチバレー等々、思い思いの方法で海を満喫する。ちなみに彼女たちの着る水着は、以前ことりが買ったものにアレンジを加えたものであり、彼女の強い要望で身に着けたものであった。

そうして水着を纏って遊ぶ姿を新曲のPVに使うのか、希がハンドカメラで納めていく。

そんな彼女たちの姿を、彩牙は穏やかな表情で見つめていた。

 

「楽しそうだな」

 

『なんだ、混ざりたいのか?』

 

「……いや、俺はいいさ。こっちでさ」

 

彼女たちが楽しそうでも、自分も混ざりたいとは思わなかった。

無論、彼女たちと一緒に居るのが嫌というわけではない。だが自分がいるべき場所は彼女たちと同じ立場ではなくその外側――彼女たちの暮らしを守る側なのだと、そう思っていた。

そんなことを考えながら、彩牙はちらりと横に視線を向けた。

 

「……それで、西木野さんはみんなと一緒に遊ばないのか?」

 

「私はいいわよ、ここで」

 

そこには他のメンバーに混ざらず一人、パラソルの下でチェアに座りながら本を読む真姫の姿があった。

他のメンバーと遊ばないというのは彩牙と一緒だが、時々ちらりとμ’sメンバーの様子を窺っている姿から、彩牙とはどうも違う理由のようだった。

そう、単純に素直になりきれていないかのような――

 

「それよりもさっきから何してるの? ビーチを汚すような真似だけはやめてよね」

 

眉間に僅かに皺を寄せながらそう語る真姫。

というのも彼女からすれば当然で、目の前にいる彩牙はさっきから札のようなものが巻き付いた瓶のような何かを砂浜に埋め込んでいるのだ。

それも一か所だけではない、ビーチのあちらこちらにだ。真姫にはゴミのような何かにしか見えないそれを、彩牙はやけに真剣な表情で埋め込んでいた。

 

「ああ、別に捨てているとか、海を汚すようなものじゃない。用が済んだらちゃんと全部回収するから安心してくれ」

 

「ふぅん……それならいいのだけど」

 

その言葉に、真姫は半信半疑で頷いた。

嘘はついていないようだが結局のところ、彩牙が埋めている“それ”が何なのかわからないうちは無邪気に信じることができずにいた。

そんな真姫の考えは露知らず、全てを埋め終えた彩牙は一息つき、ザルバに思念を送る。

 

(こんなところか?)

 

(ああ、後は夜を待つだけだぜ)

 

(……砂浜、か……)

 

何を思いついたのか、足下に広がる砂浜を見つめ、ポンポンと踏みしめる。

ゴミがほとんどない、サラサラとした白い砂が彩牙の足を覆っていく。下手に体重をかければバランスを崩しそうな砂だった。

 

(ザルバ、少し鍛錬に付き合ってくれないか?)

 

(ん?……まあいいだろう)

 

そうして適当な長さの木の枝を拾い上げ、精神を統一するように瞳を閉じ、深く息を吸い、吐いていく。

そんな彩牙の姿を、真姫は怪訝な表情で見つめる。ザルバの瞳が一瞬光ったのには気づかない。

 

「彩牙さん……?」

 

「……」

 

不思議そうに尋ねる真姫の声にも彩牙は答えない。いや――聞こえない。

今、彼の意識は陽光輝き波の音が響くビーチではなく、一片の光もない無音の闇の中にいた。

意識を集中し、研ぎ澄ませていく中、闇の中に変化が現れた。

ホラーだ。闇の中から溶け出すように、一匹、また一匹と素体ホラーが現れていく。闇の中であるにも拘らず、その姿形ははっきりと見えていた。

 

そうして現れた四体の素体ホラーが、彩牙に襲い掛かる。

そして彩牙が持つ木の枝は、“彼の意識の中では”魔戒剣となっていた。

まず一体のホラーが彩牙の下に到達し、爪を振るう。彩牙はその爪を避け、魔戒剣でホラーを薙ぎ払う。斬り裂かれたホラーはたちまち闇へと還っていった。

 

次に、二体のホラーが同時に襲いかかる。そのうち一体が牙を剥き出しにし、彩牙の肉に喰らいつかんと躍りかかった。

そのホラーの顔面に横薙ぎに振るわれた彩牙の蹴りが叩き込まれる。横っ面に蹴りを叩き込まれてよろめくホラー。

それと同時にもう一体が尻尾を振るい、彩牙の足を薙ぎ払おうとする。しかし彩牙は身体を横に回転させながら飛び跳ねて避け、回転の勢いを利用して尻尾を振るったホラーを斬り裂き、つい今しがた蹴り倒したホラーに魔戒剣を深々と突き刺した。

 

残るは一体。

しかし着地した瞬間砂に足をとられ、バランスを崩してよろめく。

その隙を見逃さなかったホラーは彩牙の身体を貫かんと、槍のように爪を突き出してきた。

目の前に迫る、ホラーの貫手。しかしそれを前にしても、彩牙は姿勢を直そうとしなかった。

彩牙は逆に姿勢を崩し、倒れこむ勢いを利用して魔戒剣を振るい、ホラーの足を斬り裂いた。

足を失い、前のめりに倒れこむホラー。その口目掛け、魔戒剣が突き出された。

 

頭を貫かれ、消滅していくホラー。

ホラーがすべて消滅すると同時に、彩牙の意識も無音の闇から陽光輝くビーチに――現実へと引き戻されていく。

 

 

 

「ふう……助かったよ、ザルバ」

 

『……それはいいがな、周りを見ろ』

 

鍛錬を終え、一息つく彩牙に呆れたようなザルバの声がかけられる。

何かと思い見回すと、そこには遊びの手を止め、呆然とした表情で彩牙を見つめるμ’sメンバーの姿があった。チェアに腰かけていた真姫も手にしていた本に目もくれず、同じような表情で彩牙を見つめていた。

 

「すごーい……空中でくるくる回ってたよ……」

 

「イメージトレーニング……かしら?それにしても剣道って凄い動きをするのね……」

 

「それはちょっと違うようなー……」

 

「……海未ってあんなのと毎朝稽古してんの?」

 

「いえ、流石にあそこまでは」

 

「彩牙さんすごいにゃー!凛も負けてられないにゃ!」

 

「凛ちゃん、砂浜じゃ危ないよぉ」

 

見惚れる者、呆気にとられる者、瞳を輝かせる者とその反応は様々だが、共通していることが一つあった。

彩牙はこの場の全員の注目を浴びている――つまりは、目立ち過ぎであった。魔戒騎士であるにもかかわらず、だ。

 

『場所はいいが、時を選ぶべきだったな』

 

ザルバの言葉と自分の浅はかさに、彩牙はばつのわるそうな表情を浮かべるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

その中で一人、希だけが何とも言えないような表情で彩牙を見つめていた。

先の彩牙の姿――正確には表情が彼女には気がかりだった。

あの時、彩牙は目を瞑っていた。だが眉が、口元が、その表情がとても鋭いものに……まるで何かと戦っているような、そんな風に見えた。

そして同時に思い出す。メイド喫茶の時、A-RISEのライブの時、あの時も彩牙は似たような表情を覗かせていた。

あの表情は一体何を意味しているのか――そんな疑問が、希の中でどんどん膨れ上がっていった。

 

 

 

**

 

 

 

 

「綺麗な夕陽やねえ」

 

「そうだな。西木野さん、スーパーまであとどれくらいかな?」

 

「ここまで来ればあと少しよ」

 

夕陽が優しく照らす、海沿いの街道。

その道を歩く三人の少年少女――希と真姫、そして彩牙の姿があった。

 

海水浴を終え、別荘の中に戻った時だった。

夕飯の食材の買い出しをすることになったのだが、別荘から一番近いスーパーがバスの通らない場所にある上、歩きだと結構時間のかかる場所だったのだ。

そこで唯一店の場所を知っている真姫が買い出しに行くと名乗り出たのだが、そこで人数が人数なため大荷物になるだろうという希と、女の子二人だけで出歩かせるのは危ないということで彩牙も名乗り出たのだった。

 

そうしてスーパーに向かっているのだが、真姫の言う通り結構遠いというのは本当だったらしく、今ではすっかり夕焼けになっていた。

 

「それで、なんでそんなコートなんて持ってきたの?」

 

「ああ、いくら夏でも夜は冷えるだろうと思ってさ」

 

「いくらなんでもそこまで冷えないでしょ……」

 

「かもな」

 

――かもなって……。

あっけからんとそう語る彩牙に真姫は呆れた。

自分で言っておいて、一体何を考えているというのか。彩牙の考えが、真姫にはわからなかった。

 

「……」

 

「……ん~?真姫ちゃんどうしたん?ウチのことじいっと見つめて」

 

「……ねえ、なんでそんなに私に構うの?」

 

考えがわからないと言えば、もう一人いた。

希だ。

真姫は普段から、希が何を考えているのかわからなかった。いきなり人の胸を揉みしだいたりしておちゃらけたような顔を見せたと思いきや、時折神妙な表情で核心を突いたようなこと言う。

ころころ変わるその表情の意図が読み取れず、二人きりでいるというのが苦手だった。そういう意味では彩牙がいてよかったのかもしれない。

 

「……ほっとけないから、かな。真姫ちゃんみたいに素直になれない子、知ってるから」

 

「……なにそれ」

 

まただ。

神妙な、それでいて穏やかな表情で語る希。

嫌いというわけでは決してない。だが自分の心の内が覗かれているような――素直になりきれないという自覚しているところのある部分が露にされているような気がした。

真姫は、それがとてもむずかゆく感じた。

 

「ま、たまにはちょっと無理してみるのもいいと思うよ、合宿やし♪」

 

朗らかな笑みでそう語る希の背中を、真姫は考え込むような表情で見つめていた。

――思うところはあった。物怖じせずに進んでスキンシップをとる凛や穂乃果のことを、羨ましいと思うところはあった。自分もあんな風に進んで仲良くしてみたいと憧れを抱いたことも事実だ。

 

「……ちょっとの無理、か……」

 

いきなりは無理かもしれない。

だけど少しずつ、やってみるのもいいかもしれない。

真姫は、自分の中で小さな勇気が生まれるのを微かに感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

真姫がそう思っていた一方で、希は先を歩く彩牙の背中を陰のある表情で見つめていた。

真姫に語った、素直になれない子。あれは自分のことも言っていた。

転校続きで友達もできず、他人に対してすっかり臆病になってしまっていた内気な女の子。それがかつての自分だった。

――いや、今もその本質は変わっていないのかもしれない。お姉さんらしく振舞ってはいるけれど、その心の底を打ち明けられたのはμ’sでも絵里以外にいなかった。

 

それは彩牙に対しても同じだった。

これまで彩牙に抱いた疑問を、彼本人に――一回は勇気を出したが――尋ねることができずにいた。

その気になれば尋ねられるような場面はいくらでもあった。でも尋ねることができずにいた。

何もかも壊れてしまいそうな――そんな予感が、不安が、希を支配していた。

 

――真姫ちゃんのこと、偉そうに言えへんね。

 

ばつが悪そうにそう考えた時、先を歩いていた彩牙が振り返り、希たちに呼びかけた。

 

「――二人とも、早くしないと日が暮れちゃうぞ?」

 

「はーい、今行くねー!」

 

「もう、そんな焦ることないでしょ」

 

ぱたぱたと駆けて行く希と真姫。

きっと、今はまだ知らなくてもいいことなのかもしれない。

きっと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今は、まだ。

 

 

 

**

 

 

 

「やっぱり合宿といったらカレーやね♪ みんな喜んでくれるかなあ?」

 

「喜ぶさ。よし、ここは一つ俺が腕を振るって――」

 

「米とぎの方をお願い」

 

「いやしかし――」

 

「お ね が い」

 

「……はい」

 

スーパーでカレーの材料をはじめとした諸々を買い込んだ彩牙、希、真姫の三人。

やはり予想していた通り帰りの荷物が大量になり、男手である彩牙が一番多く持っていたが、それでも三人で分けてようやくといった量になっていた。

 

彼らがスーパーから出たころには陽が沈みかけ、薄暗くなっていた。

別荘への帰路についている間にもどんどん暗くなっていき、中ほどですっかり暗くなった。所々にある街灯のみがおぼろげに照らし、人や車の通りがほとんどない道を三人で歩いていく。

虫や蛙の鳴き声だけが辺りに響く中、希が悪戯そうな笑みを浮かべた。

 

「それにしても雰囲気あるなあ、なんだかお化けさんが出そうやね♪」

 

「そんなのいるわけないでしょ、いたって困るし」

 

「もう、真姫ちゃんはロマンがないなあ。ここは一つウチが出会った白い狸さんの話を……」

 

(お化けならまだ可愛いもんだがな)

 

(かもな)

 

交わされていく、何気ない穏やかな会話。

そんな中、希と真姫の足が、視線がある一点に止まった。

 

「……女の人?」

 

道沿いに生えている木の根元。

そこに一人の女性がこちらに背を向け、蹲っていたのだ。

時折震えているように見えるその様子に、具合でも悪いのかと思った希と真姫は女性の下へと駆け寄っていく。

彩牙が止める間もなく。

 

 

「大丈夫ですか?どこか具合悪いんですか?」

 

「救急車呼びましょうか?ここならそうかからない筈だから……」

 

希と真姫が呼びかけるが、女性は震えたままで答えない。

返事ができない程具合が悪いのかもしれない。救急車を呼んだ方がいいと彼女たちが思った時、女性の方から何かぼそりと聞こえ始めた。

 

 

「………か………った……」

 

「え……?すいません、もう一度言ってくれますか?」

 

途切れ途切れ且つか細い女性の呟きに、思わず聞き返す希。

聞き耳を立てて女性の言葉を待っていると、徐々に何を言っているのか聞き取れるようになった。

 

 

「ぉ……か……へ……」

 

「……なか……へっ………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おなか、へった」

 

思わず顔を見合わせる二人。

聴き間違いでなければこの女性は確かに言った。「お腹減った」と。

具合が悪いわけでなかったことに拍子を抜かれたと同時に、大事にならなくてよかったと胸を撫で下ろした。

 

「ええと……少し歩いたところにスーパーがありますから、そこで買ってきたらどうですか?」

 

「歩けない程でしたら何か食べます? すぐ食べられそうなやつあったかなあ……」

 

 

 

 

「おいしそう」

 

女性が、感情の籠っていない声で呟く。

 

「……あ、何か欲しいものあったんですか?どれが――」

 

 

 

 

 

 

 

「おいしそうな、こたち」

 

 

 

「――え……?」

 

――ぞくり

背筋が凍るような悪寒を、希は感じた。真姫も同じだったようで、呆然と、そして微かに怯えた様子で女性を見つめていた。

 

「おんなのこ、にく、やわらかくて、すき」

 

「何、言って―――!?」

 

驚愕に包まれる、希と真姫の表情。そしてそれは驚愕から徐々に恐怖に染まったものになる。

振り返った女性の顔、それは人間と呼べるものではなかった。瞳はぎょろぎょろと動き、口は大きく裂けて獣のような生臭い息と共に覗く鋭い牙をもった、まさに悪鬼と呼んでも過言ではない顔をしていた。

 

しかもそれだけでは終わらなかった。

彼女たちの目の前で、振り返った女性の首がごきごきと音を鳴らしながら文字通り回転し、首が、身体が、どんどん捻じれ、まるで蔓のようにぐるぐる巻きになっていく。回り続ける首は不気味な笑顔を浮かべ、それが希と真姫から正常な思考を奪っていく。

やがて女性の頭が、最早原形を留めなくなった身体がどんどん青色に変色し、溶けあうように崩れ、新たな形へと変わっていく。

 

「……なに、これ……」

 

そこにいたのは人間ではなかった。

怪物だ。

透明感のある水色の身体に赤い瞳が覗く無機質な仮面を持った、人型の怪物がいた。

あまりにも現実離れしたその光景に、希と真姫はただ茫然とし、そして恐怖に包まれ動けずにいた。

恐怖に支配された二人に、怪物の指から伸びる鋭利な爪が向けられ――

 

「――ハアッ!」

 

『ギイッ!?』

 

手にしていた白いコートを纏った彩牙がその間に飛び込み、魔戒剣で怪物を斬り裂いた。

斬り裂かれ、よろめきながら後ろに退く怪物。それを前に油断なく構える彩牙の姿に、希と真姫は困惑の表情を浮かべる。

 

「さ、彩牙くん……?」

 

「逃げるんだ、今すぐに!」

 

怒鳴るように言うと同時に、怪物が再び爪を振るって襲い掛かり、反射的に腕で庇う彼女たちを前に魔戒剣で爪を受け止める彩牙。

怪物の爪と魔戒剣が擦れ合い、火花を散らしていく。

 

「ザルバ!まさかこいつが――!?」

 

『違う、“奴”ではない!こいつの名はゲメルスだ!』

 

怪物――ホラー・ゲメルスは無機質だと思われていたその瞳をいやらしそうに歪ませる。

嗤っているのだ。彩牙を、その後ろで恐怖と困惑に見た表情で見つめる希と真姫――餌のことを。

 

「な、なによこれ……何がどうなってるの!?」

 

「下がってるんだ、早く!」

 

ゲルメスの爪を斬り払い、再び後退させる彩牙。

そして頭上に魔戒剣で円を描くと同時に駆け出し、その身体に黄金の鎧が――ガロの鎧が纏われていく。

黄金の狼となった彩牙の姿に、今一度、希と真姫の表情が驚愕に包まれる。

 

「まさかあれって、都市伝説の……!」

 

「彩牙くんが……黄金の狼……!?」

 

驚愕に満ちた二人の視線を浴びながら、ガロはゲメルス目掛け一直線に駆けて行く。

ゲメルスの眼前まで到達すると同時に跳び上がり、全体重をかけて牙狼剣を振り下ろす。

振り下ろされた牙狼剣は、受け止めようとしたゲメルスの腕を容易く両断した。

 

『ギィィィィッ!』

 

肘から下を失い、たじろぐゲメルス。失った腕の断面からは血ではなく、ゲル状の肉がボトボトと零れ落ちる。見るものすべてに生理的嫌悪感を抱かせるその光景に、希と真姫は顔を強張らせた。

そしてガロは、再びゲメルスに斬りかかっていく。

 

振るわれていく牙狼剣をゲメルスは片腕だけで辛うじて弾き、避けていく。

時折その鋭利な爪を振るっていくが、ガロの鎧を成すソウルメタルを貫くことは叶わず、虚しく弾かれていく。

ゲメルスを圧倒していくガロ――彩牙の姿を、希と真姫は逃げることも忘れ、呆然と見つめていた。

 

「なによ、これ……こんなことが本当にあるって言うの……?」

 

「……」

 

何か知っているとは思っていた。何か隠しているとは思っていた。

でもこんな……こんなあまりにも血生臭く、現実離れしているものだとは思わなかった。

物語の中に出てきそうなおぞましい怪物に、それと戦う黄金の騎士。まるで質の悪い夢を見ているようだと、そうであることを願った。

しかしその願いはかなわない。これはまごうことなき現実なのだと目が、耳が、肌が、五感全てが告げていく。

そう、これは現実なのだ。

 

 

 

『ウオォォォォォォッ!』

 

『ギ、ガッ!』

 

牙狼剣と爪が振るわれる中、遂にそれは起こった。

横薙ぎに振るわれた牙狼剣が、がら空きとなったゲメルスの胴体を的確に捉えたのだ。

ガロはそのまま渾身の力を籠めて牙狼剣を振るい、ゲメルスの身体を両断した。

上半身と下半身に分かれ、崩れ落ちていくゲメルス。倒した、と思ったその時だった。

 

『グゥオオオオオオッ!』

 

『なにっ!?』

 

上半身だけとなったゲメルスが、再びガロに襲い掛かって来たのだ。

切断面はゲル状の肉が固まり、まるで触手のような足へと変化していた。

振るわれた爪を弾くガロだが、衝撃はそれだけでは終わらなかった。

 

『―――――!』

 

『くっ、なんだと!?』

 

背中に走る衝撃。

振り返るとそこには、切断されたゲメルスの下半身が意志を持っているかのように起き上がり、切断面が変化した触腕を振るっていたのだ。

上半身と下半身――二体のゲメルスに囲まれたガロ。

 

『核だ!核を潰さない限りキリがないぞ!』

 

ザルバの言葉に従い、目を凝らしていくガロ。

その間にも振るわれるゲメルスの攻撃を捌きながら、核を探していく。

そしてその視線は、ある一点で止まった。

 

――あれか!

 

ゲメルスの上半身、その胸部。ちょうど人間の心臓と同じ位置に、それはあった。

ゲル状の肉の中にうっすらと浮かび上がる、鼓動を打つ心臓のような器官。

それこそがゲメルスの核であった。

核の位置がわかればこっちのものだと、上半身に向かって飛びかかり、牙狼剣を振るうガロ。

しかしその間に下半身が割り込んで牙狼剣を受け止め、その肉で絡みついて離さない。

 

ゲメルスの下半身によって剣が捉われ、動きを封じられたガロ。

この機を逃さんと、残されたゲメルスの上半身は襲い掛かった。

 

 

 

 

 

 

 

――戦いを見つめていた、希たちに向かって。

 

「――え?」

 

『逃げろっ!!』

 

片腕と触手のような足を使い、這いずるように迫るゲメルス。

突然自分たちに牙を向ける怪物の姿に思考が追いつかない中、響き渡るガロの叫びにはっと我に返る二人。

そして瞬時に脳裏に浮かび上がる、生きたまま怪物に喰われる自分たちの姿。

 

――逃げなければ!

 

そうして逃げようとした、その時だった。

 

「――きゃっ!」

 

「真姫ちゃん!?」

 

「あ、足が……!」

 

真姫は動かない。――いや、動けなかった。

足下に視線を移すと、そこには先ほどガロに切断されたゲメルスの腕が真姫の足首を掴み、逃げられないようにしていたのだ。

すぐさま腕を足から離そうとするが、あまりの力の強さにビクともしない。

 

「離れて! 真姫ちゃんから離れ――!」

 

ゲメルスの腕を真姫の足から離そうと四苦八苦する希の言葉が不意に途切れる。その理由は彼女の視線の先にあった。

その腕の持ち主――ゲメルスが、彼女たちの目と鼻の先まで迫っていたのだ。

希たちに向かって飛びかかるゲメルス。牙狼剣を捉えていた下半身を斬り払い、彼女たちを守らんと駆け出すガロ。

しかしその間の距離は空いてしまっており、間に合うのは不可能に近かった。

 

飛び跳ね、頭から飛び込むように希と足を拘束された真姫目掛けて襲い掛かるゲメルス。

その頭頂部が円形の口に変化し、びっしりと並ぶ牙が覗く。

自分たちに降りかかる“死”に希の、真姫の顔が絶望に染まっていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――おまじないを教えてあげるよ。

 

――おまじない?

 

――ええ。怖いものから大切なものを守れるおまじない。

 

 

 

不意に、そして唐突に希の脳裏に浮かび上がった。昔の誕生日の思い出。

その日にお守りと一緒に両親から教えてもらった、おまじない。

気づいた時には、希は真姫の前に――ゲメルスから庇うように立っていた。

まるで白昼夢でも見ているかのようにぼんやりとした表情を浮かべる希に、真姫は呆然と呟いた。

 

「のぞ み?」

 

聞こえていないのか、その呟きに希は応えない。

希は無意識に手提げカバンから毛筆――お守りを取り出した。

その筆先をゲメルスに突き出すように向けると淡く光り始め、すうっと円を描くように動かしていく。

するとその軌跡に三日月のような光の陣が現れ、希はその陣を今一度、お守りの筆先で突き出した。

次の瞬間――

 

 

『ギギイッ!?』

 

希の前に光の防壁が現れ、襲い掛かるゲメルスの身体を弾いたのだ。

体勢を立て直し、防壁を破ろうと何度爪を振るうゲメルスだが、淡い紫色の輝きを放つその防壁はビクともしない。

そしてそれは――時間を稼ぐには十分すぎた。

 

『ウオォォォォォッ!』

 

『ギガガガッ!』

 

ゲメルスの下まで到達したガロがその上半身のみの身体を鷲掴み、渾身の力を籠めて地面に叩きつけた。

仰向けに倒れ、起き上がろうとするゲメルス。だがそれは既に遅く、その赤い瞳に最後に映ったのはゲメルスの核目掛けて真っ直ぐに振り下ろされる、牙狼剣の剣先だった。

 

『■■■■■―――――!!』

 

核を貫かれ、おぞましい断末魔を上げながら消滅していくゲメルス。

本体たる核が消滅したことでガロに駆け出そうとしていた下半身も、真姫の足を拘束していた腕も、霧散するように消滅していった。

そうしてその場に、夜の静寂が戻ったのだった。

 

 

深く息を吐き、呆然とする真姫に振り返るガロ。

その鎧が一際強く輝くと宙に溶けるように消えていき、こちらを見つめる彩牙の姿が露になる。

聞きたいことはあった。あの怪物は、黄金の鎧は何なのか。

だが真姫の意識はそれらよりも、今自分の隣にいる希に向けられていた。

 

 

「…………あ、あれ?ウチ、今何を……」

 

ガロの鎧が解除されると同時に我に返る希。

今、無意識のうちに自分が行っていたことに戸惑いを隠せず、困惑した表情で手にしているお守りを、そして自分自身を見つめていた。そこにはいつもの余裕のある様子や皆を見守る姉のような雰囲気は、ない。

普通の人間とは全く違う、希の行動。疑問に満ちた表情で彩牙と真姫が見つめる中、驚きに満ちたある言葉が響き渡る。

 

『こいつは驚いた……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 お嬢ちゃん、魔戒法師だったのか』

 

「まかい……ほうし……?」

 

ザルバの言葉を呆然と反芻する希。

その場に吹く潮風が希の持つお守り――魔導筆の筆先をざわざわと揺らした。

 

 

 

***

 

 

 

希「自分に眠っていた未知なる力」

 

希「それに気づいた時、人は新たな一歩を進もうとする」

 

希「でも中には、余計に閉じこもっちゃう人もおるんよ……」

 

 

希「次回、『法師』」

 

 

 

希「ウチの場合? それはね……」

 

 

 

 







本日の魔戒指南は休業になります


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