ミッドナイト・ランナー   作:囃子とも

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 1992年、夏。まだ、バブル経済の余韻に浮かれていた頃。

 深夜の首都高速湾岸線、市川パーキングエリア。長距離輸送の大型トラックと、ドライブ帰りのマイカーが、数えられるほどしか停車していない中。

 パーキングエリアの一角は、異様な雰囲気を作っていた。

 十数台のスポーツカーに占拠され、真面な神経なら間違いなく近づく気にはならない。丸で戦場の基地かと思う程、殺伐とした空気が漂う。

 毎週末の深夜。湾岸高速を舞台に、時速250kmオーバーのバトルが繰り広げられていた。遊び半分に命を賭ける、狂気の公道グランプリ。

 走り屋達は敬意と畏怖を込めて、自らを“湾岸ランナー”と名乗った。

 

 

 自動車雑誌編集部でアルバイトする向井拓海は、毎週の様に取材に訊ねていた。最初の内は、先輩編集部員に言われ渋々着いていくだけだった。

 しかし、その走り屋達と触れていく内、その熱狂、その魔力に取り憑かれていった。

 元々、地元ではワルだった拓海にしてみれば、反社会行為を犯す事に大した抵抗は無い。むしろ、その反社会行為に命を賭ける走り屋達に、尊敬の念さえも抱くようになっていた。

 

 毎週の様に、戦場に出向いていれば、自然と顔見知りになって行く人間も多い。

 たびたびギャラリーに出向くヘレンと言う女性も、拓海と自然と会話を交わす仲になっていた。海外出身の彼女もまた湾岸に魅せられた一人だ。

 仕事兼ギャラリーに来ていた拓海は、スチールカメラのフィルムを交換しながら、ヘレンに言葉を投げた。

「……なあ、ヘレン。今日は、何時に無く楽しそうじゃねぇか」

「フフ……。やはりあなたには解るのね」

 もったいぶるヘレンに、拓海は思わず呆れる。

「お前さぁ……。顔に出てるの、自分でわからねぇのか?」

「…………来週なれば解るわ。世界レベルにふさわしいマシンが拝めるわ」

 自信有り気にヘレンは断言した。

 

 その翌週。

 今週はプライベートで拓海が市川パーキングに顔を出すと、度肝を抜かれた。

「……お前……マジか?」

「……ええ。この私にふさわしい、世界レベルのマシンでしょう」

 ピニン・ファリーナがデザインした、深紅に染まるグラマラスなボディ。それほど身長の無いヘレンでも、肘をかけられる低いシルエット。

 アイドリングだけでも響く咆哮は、今宵のパーキングで一番目立っていた。そのマシンの周囲を、走り屋達が興味深々で見つめる。無論、拓海もその一人。

 

 フェラーリ・テスタロッサ。これが、ヘレンの言う世界レベルのアンサーだった。

 

「……どう?」

 得意顔のヘレンは、拓海に回答を求める。

「どうもこうも……答えようがねぇぞ」

 拓海は、開いた口がふさがらないと言った様子だ。

「拓海。一つだけ相談があるのよ。私の横に乗ってくれないかしら?」

「……別にかまわねぇよ。今日は、仕事じゃねぇし」

 二つ返事で了承した。

 

 時刻は1時を少し回った時。

 パーキング内に、数台のマシンのエキゾーストノートが響き出した。

 直6ターボにV6ツインターボ。ロータリーにフラット6ツインターボ。そして、バンク角180度の水平対向12気筒。鋼の野獣達が、雄叫びを上げる。

 テスタロッサの周囲をグルリと一周してから、拓海は助手席に滑り込んだ。

 横長のコクピットは、革張りの内装でイタリアらしく気品に溢れる。しかし、室内になだれ込むアイドリングの音は、対極的にけたたましい。

 ヘレンの右足が、小刻みにアクセルペダルを煽る。リズミカルにフリッピングすると、敏感なほどタコメーターが反応し、ケーニッヒ製のエキゾーストから快音が奏でられる。

 丸いシフトノブを握りしめ、フェラーリ独特のゲート式シフトをファーストギアに入れる。カチン、と金属音が鳴り、鼓動が高ぶる。

 

 丁寧にクラッチを繋ぎ、はやる気持ちを抑える様に、ゆっくりと馬鹿でかい跳ね馬は動き出した。

 

 

 テスタロッサは、2番目に腰を据える。前を行くポルシェのテールランプを拝む。

(……最強のイエローバードね)

 先陣は、ポルシェだがポルシェに非ず。その名を世界中に轟かす、ルーフCTR。イエローバードの異名を持つマシンだ。

(……こりゃ、言葉もねぇな。すげえ迫力だ……)

 右側のナビシートから、拓海は圧倒された。前方に広がる、だだっ広いアスファルトに。そして、迫りくる後ろからのプレッシャーの津波に。

 

 CTRがジワリと加速を始めると、ヘレンもそれに倣う。

 3速に入れてヘレンはアクセルを踏み込む。

 タコメーターは7000rpmを指した。ミュージックと称される、テスタロッサのエキゾーストノートが脳天からつま先までの細胞を刺激する。

(この音、たまんねぇわ……)

 拓海は、酔いしれていた。

 5リッターのNAエンジンは、甲高い咆哮を放ちながら、1600キロオーバーの巨体をグイグイと引っ張り上げる。メーターは220キロを超えた。

 

 しかしだ。

「どうなってるのよ……」

 ヘレンは思わず言葉を溢した。

「……」

 拓海は何も答えない。

 何せ、テスタロッサを嘲笑うかの様に、後続のマシンたちは次々に追い抜いて行く。

 時速は230キロ。スピードメーターはぐんぐん上昇していく。しかし、先行するテールランプの群れはあっという間に離れていく。他のマシンに置いて行かれる跳ね馬。

「……遊ばれてるのかしらね」

「先頭のルーフだけならまだしも……国産チューニングカーにここまでコケにされるとはな……」

 二人の口ぶりは、嘆きに近いものだった。

「……このままじゃ終わらないわ」

 

 ヘレンは、そう呟いた。

 

 

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