ミッドナイト・ランナー   作:囃子とも

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 新参者のテスタロッサが勝ったと言う話は、湾岸ランナー達の大きな話題となった。瞬く間に噂は広がり、ヘレンとテスタロッサは注目の的になっていた。

 

 そして翌週。再び、湾岸へ。

 今度は、美世のRX-7と夏樹のGT-R、そしてアヤのスープラを交えて、4台の勝負となった。

 テスタロッサが終始トップを取り、初っ端から全開でぶっちぎった。ヘレンは、細かな駆け引きは一切しなかった。スタートからゴールまで、ただひたすら踏み抜いただけ。

 その結果は、他に5秒以上の差をつけて圧倒的な勝利をものにした。他を寄せ付けない、横綱相撲の走りだった。

 まぐれ勝ちは、何度も続かない。

 そうなれば、必然的に女王への挑戦権を得る事となった。最強の怪鳥に挑むのは、赤い跳ね馬。

 両雄が、湾岸で激突する日は近いと、誰もが思っていた。

 

 

 当然、その噂は高峯のあの耳にも届いていた。

 そんな最中で、拓海は取材でのあの元を訪ねる事になった。

若くして、高峯のあは高級外車を何台か保有している。自宅のガレージに並ぶBMWM5にメルセデスベンツE190等、庶民には縁の無い高級セダン。

 のあが最近お気に入りなのは、ジャガーのXJSのクーペ。5,4リッターV12搭載のモデルで、優雅に走るのにハマっているそうだ。

 自動車雑誌編集部員としての取材は、滞りなく終わった。

「……今日はありがとうございました。お蔭で、良い記事が書けそうです」

 拓海はそう伝える。

「それは、何よりですよ。だけど……あなたが聞きたい事は、まだ有るんでしょう?」

 のあの言葉に、拓海の顔付きは固くなった。

「……派手に走ってるそうね。彼女のテスタロッサ……随分と噂になってるわ」

 そう言いながら、のあはニヤリと笑みを見せた。

「そりゃそうでしょう。最近、どっかの誰かが湾岸に来ないお蔭でね。

 そのまま、フェードアウトなんて真似……しないよな?」

 拓海の言葉に、のあはフッと息を漏らした。

「……生憎ね。まだ、CTRは仕上がってないのよ。

 先日部品が来たから、もうすぐ出来上がるわ。良かったら見てみる?」

 自信に満ちていた。のあは、例えフェラーリでもGT-Rでも、勝てるつもりなのだろうか。

 

 ジャガーXJSで乗り付けたのは、高峯自動車。高峯グループの事業の一つで、外国車の販売や整備を行っている。

 とても車屋とは思えない綺麗な作りで、留美の勤める車屋とは似ても似つかない。

 豪華なショールームには今年出たばかりのポルシェ968のカブリオレと、数年前までグループCを戦っていたポルシェ956Cが展示してあった。

「……こちらよ」

 のあに案内されるがまま、ガレージの奥へと入っていく。

 

 ガレージの中で、ルーフCTRはリフトに乗せられていた。

 CTRの近くで、黙々と作業を進めるのは、以前紹介された相川千夏だ。

「へぇ……今度は何の工事を?」

 拓海はルーフの下回りを覗き見ながら、のあに聞く。

「ミッションを変更したわ。ルーフ社とZFが共同開発した、6速ミッションよ。今まで5速のままだったから、相当に効果が有る筈よ」

「……6速ねぇ。ミッションが壊れたついでって事ですかい?」

「残念ながら、外れよ」

 拓海の回答に、のあはそう告げた。

「……6速にギアを増やす事で、ギア比全体をクロスさせる事ができるのよ。

 例えば300kmまでの速度を出す時。5で割るより6で割った方が、一つのギアの加速力を上げる事が出来るという理屈になるわね。

 つまり、300kmまでの到達時間が速くすると言うのが、ミッションを交換する狙いなのよ。

 ちなみに、ロード&トラック誌で339kmをマークした時は5速仕様で、ドイツのアウトモーター&シュポルト誌で342kmは6速仕様だったのよ」

 千夏は、拓海へ向けてそう解説した。

「恐らく、トップエンドの伸びはフェアレディZ以上でしょうね。だったら、追い付かれる前に逃げ切るだけ。

 あなたも、一度味わってるもの。わかるでしょ?」

 のあは、そう宣告した。

 

 拓海は、CTRの加速力を思い出す。否、体に刻み込まれたと言った方が正しいだろう。

(……あの時以上の加速をするって事なのか)

 その恐れにも似た感覚が蘇った時、テスタロッサはCTRに勝てるのか、と一瞬だけ疑ってしまった。

「……とは言っても、新品のパーツなのよね。慣らしがあるから、まともに攻めるのは一ヶ月くらい後かしらね。

 ……少しの間は、いい気分に浸れるんじゃないかしら」

 のあが、そう言った時。その視線は、冷たく研ぎ澄まされていた。

 

 

「……高峯さん。一つだけ、聞かせてくれ。あんたは、何故湾岸を走るんだ?

 あんた程の人間なら、何不自由なく育ってきたんだろう?

 金だって不自由してないし、仕事も充実してる。まして、あんた位の美人だったら、男だって選びたい放題だろ。遊び半分で命を賭ける様なリスクを、わざわざ背負う必要が有るのか?」

 拓海は、そう聞いた。以前から、少し気になっていた事だった。

「何故かしらね……。

 確かに、私は恵まれた環境で育ってきたわ。子供の時から何も不自由していないし、その気になれば手に入れられない物は無いでしょう。

 だけどね……あなた達の様な湾岸ランナーと、根底は同じなのよ。

 視界が狭くなるほどのハイスピードで走るスリル。頭の中では、もう止めろって声と、もっと速く走れって声が混ざり合ってる。体が熱くなってるけれど、背筋は震えてる。

 そして、全身が震えあがる様な恐怖を、気持ちで凌駕したとき……生きてる実感を得る。

 その一瞬は、セックスするより何百倍も気持ちいいのよ」

 のあはそう答えた時、実に楽しそうだった。リスクを冒す事で、快感を得ているのか。

「……あたしもあんたと変わらないんだろうな。その気持ちは、あたしも……いや。あたし達も良く解るよ」

 拓海もその気持ちは良く解る。だからこそ、そう言葉を漏らした。

 

 少しの沈黙。千夏が、ガチャガチャと作業する音だけが、ガレージの中に響いた。

「彼女に伝えてくれるかしら……。首を洗って待っていなさいってね」

 のあは、そう伝える。拓海は、黙って首を縦に振るだけだった。

 

 

 仕事を終え、何時もの様に留美の整備工場に立ち寄る。特にテスタロッサをいじる必要は無いし、仕事で手伝える様な事も無い。

 ただ、何か月も立ち寄っているので、半ば日課になっていた。

「……こんちわ」

 シャッターを潜り、工場を覗く。何時もの様に、整備に勤しむ留美がそこに居た。

「いらっしゃい。少し待ってて……」

 何時もの様に留美が出迎えてくれる。

 ガレージの隅に積まれた廃タイヤに腰を下ろして、留美の作業をただ見つめる。一通りの作業が片付く頃には、日はすっかり落ちていた。

「……随分と暗い顔してるわね」

 拓海の表情から察したのか、留美はそう声をかける。

「ええ……まぁ。

 高峯のあを取材してきましてね。あちらさんは、随分とテスタロッサを意識してるみたいっすよ。

 今、CTRを6速ミッションに換えてる事を、わざわざ教えてくれたっす……」

 少しうんざりした様に、拓海はそう言った。

「……そう。6速仕様ねぇ……。

 あえて教えるのなら、余程自信が有るんでしょうね」

 留美は、ふぅと息を吐き出した。

「ところで、姉御。“アレ”は間に合うのか?」

「今日の昼に届いたって連絡が入ったわ。今日の内に、真奈美とヘレンが持ってくる予定よ。これで、カードは揃ったわね」

 留美は、ニヤリと笑った。

 

 予告通り、真奈美とヘレンは閉店間際に工場にやって来た。普段ならコルベットで来るところだが、今日は営業用のカローラバンに荷物を積んで到着した。

「またせたわね。これ、夕飯よ」

 ヘレンは、コンビニ袋を差し出しながら、カローラから降りてきた。

「おお、ナイスじゃねーか」

 真っ先に、拓海がコンビニ袋を受け取った。

「ご苦労様。所で、“アレ”は?」

「ああ。トランクに積んで来たよ」

 留美に向けて、真奈美は伝えた。

 

 満を持してカローラのリアハッチを開けると、対CTR用の秘密兵器とご対面だ。

 段ボールに包まれたホースや、金具に付属品。そして、このパーツのメインと言える、一見消火器にも見えてしまうボンベ。

「……これが“ナイトロオキサイドシステム”か」

 拓海は、マジマジと見ながら呟いた。

「フェラーリにナイトロチューンを組み合わせるのは、恐らく世界で初めてだろうな」

 真奈美は、したり顔で言った。

 

 ナイトロオキサイドシステム。元々は航空機用の技術だったが、アメリカのドラッグレース用に転用されたチューニングだ。

 瞬発的なパワーを出すには最高の物と言える。

 

 ナイトロオキサイドとは、日本語で亜酸化窒素化の事を言う。

 簡単に言ってしまえば、ボンベの中に酸素の塊が入っており、それをインテークパイプ内に直接噴射するというシステムだ。

 

 このシステムの大きなメリットは二つ。

 一つ目は、酸素の供給量が増える為、必然的に燃焼効率が大幅に上がる事。より多くの燃料を効率良く燃やせるという事は、パワーが飛躍的に向上する。

 二つ目は、亜酸化窒素の気化熱によって、吸入温度を下げる事が出来る。温度が低ければ空気の密度は高くなるので、これも燃焼効率の向上に繋がる。更に、副産物としてエンジン全体の冷却にも効果が出るのだ。

 理論上ナイトロシステム使用中ならば、1,5倍のパワーは上乗せ出来ると言われる。フルチューンのNAエンジンで、更にパワーを稼ぎ出すのはナイトロ以外の方法は無いだろう。

 

 ただし、パワーを持続するのは1分から2分だけ。ボンベの中のナイトロオキサイドが切れてしまえば、元のパワーに戻ってしまう。

 瞬発的な使い方しか出来無い為、使い所を見極めるのは難しい。下手に使いすぎれば、最後の直線でナイトロが切れてしまう事も考えられる。

「……とりあえず、食事を取ってから取り回しを考えましょう」

 留美は、そう言ってカローラのハッチを、一旦閉じた。

 

 食事休憩を終えて、早速4人がかりでテスタロッサにナイトロを搭載する作業に取り掛かった。

 ナイトロのボンベの搭載位置は、助手席の足元に取り付けた。フロントのトランクも考えられたが、ボンベのバルブを緩めなければならない為、車内がベストと結論付けた。

 圧力を安定させる為、ボンベヒーターを取り付け、プレッシャーゲージも装着。ナイトロ噴射のスイッチは、ステアリングの右側に赤いミサイルボタンを装備した。

 インテークパイプ周辺のフューエルホースに並んで、ナイトロ用の細いステンメッシュホースが、各気筒ごとに並んだ。

 ナイトロ用のノズルとインジェクターが並ぶ様に併設し、スロットルバルブからインテークバルブまでに、亜酸化窒素とガソリンが混ざり合って、燃焼室に混合気が送り込まれる。ドライショットと呼ばれる設置方法に決定した。

 フューエルパイプにノズルを噛ませ、ガソリンとナイトロを直接混合させるウエットショットと言う噴射方法に比べ、ドライショットの方はインジェクターからの噴射量に限界有る為、ウエットショットに比べてパワーは劣る。

 しかし、テスタロッサの場合は機械式のインジェクションになる。その為、エンジンの回転数をセンサーで感知して、インジェクターが燃料の噴射量をはじき出している。

 流入空気量を感知して燃料噴射量を決める電子式のインジェクターに比べ、機械式の方は細かく燃料の制御をする事が出来ない。レース等で使われるモーテック製のコンピューター等を使う事も考えたが、水平対向12気筒でのセッティングは前例が皆無だ。

 セッティングの時間や、ナイトロの搭載量を考えた末、ドライショットの方がメリットが多いと結論付けた。

 

 それでも、ナイトロ噴射の際に燃調に難が出ると考えた留美は、助手席に乗り込みナイトロ噴射時は燃調コントローラーを自ら制御すると言う作戦を考え付いた。

 セッティングを攻めすぎて爆発力が上がりすぎれば、レーシング用鍛造ピストンと言えど、熱でピストンが溶けてしまうデトネーションが起きてしまう。

 電子制御式のインジェクションならば、コンピューターの改造で対応出来るのだが、古典的な機械式インジェクションのテスタロッサでは致し方無い事だった。

 全てを取り付けた後は、最適な燃調を見つける為にセッティングしなければならない。

 

 3日後。仕上げは真奈美の輸入車専門店で、シャシーダイナモを借りて、仕上げの燃調セッティングを行った。

 ヘレンが自ら乗り込んで、助手席で留美が最適なセットを探り出す。

 ナイトロの噴射量と燃調コントローラーのダイアルを、A/F計とにらめっこしながら調整していく。少しずつ燃料を薄くし、ナイトロの噴射量を増やしていく。

 何度か目のトライ。

「……回して頂戴」

 留美に言われ、ヘレンは頷く。

 テスタロッサの極太のリアタイヤが、シャシーダイナモのローラーを蹴っ飛ばす。

 3速、4速とシフトアップ。そして、5速全開。F113Bがけたたましく唸りを上げ、計測器の針がグングン上昇していく。側で見守る拓海は両耳を手で押さえるが、それでも鼓膜がビリビリと震える。

 トップエンドまで回りきった時、計測機を見ていた真奈美は目を見開いていた。

「……どうかしら?」

「生憎だが、測定しきれていない……600ps以上だ。恐らく、650psは出ていると思う……」

 留美に聞かれ、真奈美はそう答える。

「グループAのGT-Rと、同じレベルかよ……」

 桁違いのパワーを手に入れたテスタロッサに、拓海は驚愕を通り越していた。

「……世界レベルにふさわしくなったわね」

 ヘレンは、得意げに答えた。

「とは言え、この噴射量だと使えるのは2回だけね。一回でも使うタイミングを間違えれば、勝機はないわね。

 本番では、私がそのタイミングを見極めるわ」

 留美はそう言いながら、ダイアルにマーキングを付けた。

「……頼むわよ、留美」

「ええ。任せて」

 留美は、テスタロッサの助手席から降り立った。

 

 

 

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