ミッドナイト・ランナー   作:囃子とも

12 / 14
12

 11月上旬、水曜日。日が落ちれば、随分と冷え込むようになった。天候は雲一つないが、都会の夜空に星は浮いていない。

 平日の市川パーキングの深夜は、週末とは比べ物にならないほど、静まり返っていた。

 高峯のあに指定されたこの日。時刻は天辺を過ぎた頃に、ヘレンと留美は、テスタロッサで。拓海は真奈美を乗せてソアラで。市川パーキングに辿り着いた。

 パーキングで待ち構えて居る2台のポルシェ。ルーフCTRイエローバードと、964型のポルシェターボ。

(……相川千夏は、着いて来ただけだろうな。しっかし……この面子じゃ、あたしのソアラがみすぼらしく見えるぞ……)

 高級車の群れに、少し嫉妬する拓海だった。

 

 わざとらしく、CTRの隣に停車したテスタロッサ。乾いたフラット12の排気音が、静かなパーキングに響き渡る。そして、ソアラも隣に陣取った。

 マシンから降りると、高峰のあ、相川千夏の両名が出迎える。

「……ようこそ。最終ステージへ」

 のあは、おどけた様に言うが、冷たい視線のまま4人を見ていた。

「……ふふ。良い夜になりそうね」

 含み笑いを見せながら、ヘレンはのあと視線を交錯させた。

「まともに、挨拶するのは初めてね。高峯のあです」

「……ヘレンと呼んで頂戴」

 互いの自己紹介は、簡素だ。そんな能書きは必要ない。

 今ここで、お互いの波長を感じられるから。百の言葉を交わすよりも、きっと確かだと解るから。

「……行きましょうか」

「ええ」

 のあの言葉に、ヘレンは頷いた。

 

 

 2台の猛獣が、雄叫びを上げる。

 ツインターボのフラット6と、NAの水平対向12気筒。

 ドイツの英雄と、イタリアの誇り。世界を引っ張り続けてきた、スーパースポーツの両雄が、湾岸線を舞台に火花を散らす。

 

 CTRがゆっくりと動き出すと、テスタロッサもそれにならった。

「……行ったわね」

 千夏は、遠ざかる赤いテールを眺めながら呟いた。

「追いかけないのか?」

「10分後には、私のポケベルに連絡が入る筈よ。それを過ぎたとしたら……巡航速度で追いかけるわ」

 拓海の問いに答えた千夏は、どこか不安を隠せていない様だった。

「……今は信じようじゃないか。彼女達をね」

 真奈美は、願いを込めてそう言った。

 

 3,4リッターのフラット6に二つのターボチャージャーを組み合わせ、カタログデータは469psと記載されているが、実測では500psを超えるモンスター。加えて、CTRの重量はテスタロッサよりも400kg近く軽量な車体。

 3速全開。ヘレンの視界から、見る見る内にテールランプが離れていく。

 しかし、ヘレンは意外と冷静だった。

(……初めての時よりも、ついていけるわ)

 道の先を見据え、4速へシフトアップ。一度ドロップしたタコメーターが、旋律と共に上昇していく。

 200kmを超え、風を切り裂く音が一層大きくなる。テスタロッサは、ひたすら前へ前へ走ろうとする。

 走る事を宿命とする跳ね馬は、より速くとドライバーを攻め立てる様だった。

「……ディズニーコーナーを抜けてから、一回目を使うわ」

「オーケー……」

 留美の指示に、ヘレンは答えた。

 

 長く右旋回する、ディズニーコーナー。

 RRという古典的なレイアウトは、リア2本のタイヤに6割強の重量が乗っかる分、強力なトラクション性能を発揮する。

 しかし、2272mmのショートホイールベースかつ、トレッドの狭い930ボディの場合、長く旋回するコーナーでの安定感に難が有る。旋回中にリアタイヤが、ほんの僅かでもグリップを失えば、一気にテールが滑りコントロールは不可能になる。

 

 のあは、5速のままブレーキング。きっちり210kmまで落とし、ヒールアンドトゥを使って4速へシフトダウン。フロントに荷重を乗せて、ゆっくりとステアリングを切る。

 進入から、一定の舵角とブーストが落ち切らない程度のスロットル開度で、丁寧にクリッピングポイントを舐める。

 立ち上がりもアクセルは焦らない。ゆっくりとアクセルを入れて、少しづつリアに荷重を乗せていく。

 トラクションに優れるポルシェは、基本に忠実なスローインファストアウトを徹底する事で、もっとも速く走らせるマシンなのだ。

 立ち上がって全開。のあは、右車線にマシンを寄せてから、ミラーでテスタロッサのヘッドライトを確認した。

(……コーナーで詰められてる)

 その差は、縮まっていた。

 

 CTRに比べ、二回り以上に恰幅の大きいテスタロッサ。ノーマルボディの剛性不足を解消する事で、ワイドトレッドとロングホイールベースの利点を生かせる。つまり、より高速域の安定感を身に付ける事が出来たのだ。

 ストレートに入り、テスタロッサはCTRの後方を捕える。そして、5速へシフトアップ。

「……一回目。行くわよ!!」

 ナビシートの留美が声を張り上げた。燃調コントローラーのダイアルを捻った。

 同時に、ヘレンはステアリングのミサイルボタンを押して、ナイトロ噴射。

「……ッ!!」

 5速5500rpmまでドロップしたF113Bが、唸りを上げながらスピードを乗せていく。

 650psと真奈美が伝えた、最高出力。その加速Gで、ヘレンと留美の体はシートに押し付けられる。

 これまで、体感した事が無い位凄まじい力だった。以前が片手で押されてる位の感覚だったとすれば、今は両手両足を使って思いっきり押し出されている程、感じられる加速度が違う。

 急激に視界が狭く感じられる中、ヘレンはステアリングを握り、ルーフのテールランプを見据え続けた。

 

 CTRが6速へシフトアップ。しかし、ミラーに反射するする光が、グングンと迫り来ている。

(……近づいてくる!?)

 NAでありながら、ツインターボを凌ぐ加速力をみせるテスタロッサに、のあは初めて動揺を見せる。

(何故なの!?)

 相手のカラクリが解らない以上、のあには手の打ちようが無い。

 

 辰巳ジャンクションを、270kmで通過。ここでテスタロッサが、CTRのスリップストリームに入った。同時にナイトロのスイッチをオフ。

 280km。ヘレンは、ギリギリまでスリップを効かせて、速度を乗せる。

 290km。CTRの左に出て、テスタロッサが横に並んだ。

 300km。高周波と化した風切音を切り裂く様に、12気筒のNAのエキゾーストノートが、湾岸の闇夜に響き渡る。

(……仕方ないわ)

 のあは、アクセルを緩めて、一度テスタロッサを先行させる。

 

 今度は、テスタロッサの背後にCTRが喰らい付く。

 しかし、この時点では、のあが考えていた展開とかなり異なっていた。

(最高速の伸びはともかく、CTR以上の中間加速を見せたわ……。音を聞く限り、NAで間違いない筈なのに……)

 ぴったりと後ろに張り付いて、テスタロッサの動きの一つ一つを見極める。

(ま、いいわ……)

 まだ手は有るとばかりに、ヘレンを追い立てる。百戦錬磨の女王たる由縁は、最高速の速さもさることながら、いかなる状況でも冷静さを失わない事につきる。

(……一般車を、上手くかわせるのかしらね)

 のあは、じっくりと獲物を狙うハンターの様に、テスタロッサの一挙手一投足を見逃さない。

 

 赤いテールランプの群れが見えた。300kmから、一旦減速して速度は220km程度まで下がる。

 100kmで走る障害物を、縫う様に追い抜いて行く2台。テスタロッサの真後ろにぴったりと喰らい付いたまま、CTRが追いかける。

「……ッ」

 ヘレンは、チラチラとミラーで後ろを見る。

 走りの熟練度と言う部分では、ヘレンは未熟だ。

 以前のバトルでは、他のトップランナーを真正面から押し切れたとはいえ、駆け引きに関して言えばヘレンは素人同然。

 こういった接戦では、弱さを露呈する。

「……」

 ヘレンは、またもミラーを見た。出来る限り、CTRの動きをうかがっている。

 後ろに迫りくる、女王のプレッシャーは、並大抵では無い。

「大丈夫よ。……マシンを信じて走りなさい!!」

 留美は、ゲキを飛ばした。

「…………」

 ヘレンは何も答えない。

「……フェラーリが好きなんでしょ!? 世界レベルにふさわしいマシン何でしょ!? だったら……トップエンドまで踏み抜きなさい!!」

 そこまで言われ、ヘレンの口元が僅かに緩んだ。

「……ええ。任せなさい!!」

 そう答えた時、ヘレンはミラーを見るのを止めていた。

 

 有明ジャンクションを通過。

 まだ一般車は消えない。残すは、東京湾トンネルと、その先の左コーナー。

(……左コーナー先で、1,5までブーストを上げる。そうすれば、抜ける……)

 のあは、右手でコンソールボックスから生える、機械式ブーストコントローラーのダイアルの位置を確認。勝負所はそこしかないと見据えていた。

 

 それは、テスタロッサも同じだった。

「左コーナーを抜けたら、二回目を使うわよ」

「……オーケー!!」

 燃調コントローラーのダイアルに、留美の左手が伸びた。

 東京湾トンネルを抜け、左コーナーへ差し掛かる。

 230kmでの左旋回。一番左車線を走るトラックを追い抜けば、一般車は居ない。

 

 コーナーを立ち上がると同時に、一般車の姿が途絶えた。水銀灯とアスファルトだけが立ち並ぶ、ストレートがそこに広がった。

 

 オールクリア。

 

 テスタロッサがナイトロを噴射すると同時に、CTRもブーストを上げて勝負をかける。

(……6速へ!!)

 CTRは、左コーナーを5速で立ち上がり、6速へシフトアップ。

 一回分のシフトで、ゼロコンマ何秒だけ、ブーストの立ち上がりが遅れた。その一瞬のラグで、テスタロッサが半車身だけリードを奪った。

 5速のままコーナをクリアしたヘレン。アクセルを踏みつけ、目一杯の燃料と亜酸化窒素と空気を、燃焼室に送り込む。

 爆発した排気ガスが、12本のエキゾーストマニホールドを叩いて、ソプラノのミュージックを奏でる。

 

 流麗なボディは、風圧に負けじと加速を続ける。

 

 250km。

 

 260km。

 

 スピードメーターもタコメーターも、グイグイと上昇を続ける。

 

 270km。

 

 280km。

 

 大井ジャンクションを通過。

 

 僅かだが、CTRはジリジリと離されていく。

(……速い)

 のあは、ちらりと追加メーターで、エンジンのコンディションを確認。

(油温も油圧も問題無い……。ただ、排気温度が上がってるわ……ブーストも1,3までタレてる……)

 中速域でトルクの出るツインターボの特性は、200kmオーバーの速度域で強力な加速力を生み出すが、高回転域での伸びはテスタロッサに比べ少し劣っていた。

 エンジン特性の差が、ここで出てしまった。

 

 290km。

 

 295km。

 

 テスタロッサがジリジリとリードを奪う。黄色い怪鳥が、初めて後塵を拝んだ瞬間だった。

 

 300km。

 

 305km。

 

 ヘレンが叫んだ。

「……見えたわ!!」

 高速道路上を横切る、大井ふ頭の連絡道路。

 湾岸ランナー達が決めた、チェッカーフラッグだ。

 

 5速、8200rpm。時速310km以上。

 

 防音壁に響いた甲高いエキゾーストノートは、紛れも無く勝利の雄叫びだったに違いない。

 

 

 市川パーキングに待機する三人。テスタロッサとCTRを見送って、きっかり10分経ってからだ。

 千夏の持つポケベルのアラームが鳴り響いた時、まずは安堵の息を吐き出した。

(長い10分だったぜ……)

 拓海は、真っ先にそう思った。このまま連絡が無ければ、万が一の事態さえも考えられたのだから、無理も無いだろう。

「……彼女からは何と?」

 真奈美が聞くと、千夏は何も答えずに、ただポケベルに送られたメッセージを見せた。

 

“マケタ”

 

 そのメッセージを見た時、拓海と真奈美は反射的にハイタッチを交していた。

 

 2台は大井南ジャンクションを降りて、海浜公園の近くに車を停めた。のあは、先に公衆電話を使ってポケベルでメッセージを送った。

 無事だという事だけ報告し、のあは再びヘレン達と対峙する。

「テスタロッサの……あの加速力は一体、どんな秘密が隠されているの?

 あの音は、NAのままの筈よね?

 いくら5リッターだからと言って、あそこまでの加速力を生み出すのは、不可能なはずよ……」

 のあは、捲し立てる様な口調でテスタロッサの秘密を聞きただした。

「……ナイトロオキサイドシステムよ」

「……ドラッグレースで使うあれの事?」

「そうよ。勿論、一晩で使い切ったけれどね。NAでターボを上回る加速力を身に付けるには、ナイトロ以外に考えられなかったわ」

 留美に言われ、のあはフッと笑みを見せた。

「……呆れたわね。今日一晩だけ速ければ良いって事だったの?」

「そうなるわ……ね? ヘレン?」

「ええ、そうよ」

 話を振られ、ヘレンは得意顔を見せた。

「……今日の所は、私の負けね。だけど……また走りましょう。

 まだ、私は降りる気は無いから……」

 そう言い残し、のあはCTRに乗り込んだ。

 空冷フラット6のエキゾーストを木霊させて、夜の街へと消えて行った。

「……私達も帰りましょうか」

「……そうね」

 そして、テスタロッサに乗り込んだ。

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。