ミッドナイト・ランナー   作:囃子とも

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 湾岸線で走り屋達が最高速を競い合う様になったのは、ごく自然な成り行きだった。

 

 70年代から80年代初頭にかけて。東名高速を舞台にして、走り屋達が最高速を競い合っていたと言うルーツが有る。現在では東名レースと呼ばれる、違法競争行為だ。

 当時はポルシェターボやパンテーラ等のスーパーカー。トランザムやコルベット等のアメリカンスポーツカー。そして、SA22型RX-7やS130型フェアレディZを改造した国産チューニングカー達がしのぎを削っていた。

 

 80年代に入り、チューニングカーを取り扱う雑誌の企画で、最高速トライアルと言う企画が始まった。茨城県谷田部の自動車性能試験所において、チューニングされたマシンでの最高速に挑戦するという企画だ。

 日本のチューナー達は、夢の大台である300キロを目指した。

 特にターボチャージャーの搭載がポピュラーとなってから、最高速はとどまる事無く跳ねあがって行った。

 いつしか最高速300キロを超える様になってから、国産車のチューニングカーは凄まじい勢いで進化を続けていく。

 

 伝統の日産L28、トヨタの主力戦艦7M、唯一無二のマツダ13B等。チューナー達は、得意のエンジンを極限までチューンナップしていった。

 この頃になると、高価な外国産スポーツカーと国産チューニングカーの立場は逆転していた。

 

 その谷田部への試験場として、長い直線と広い道を持つ首都高速湾岸線は、格好の舞台だった。

 夜な夜な、チューニングカーを仕上げる為に湾岸をぶっ飛ばす。

 気が付けば、湾岸を走る為に皆チューニングカーを仕上げる様になっていた……。

 

 そして、1989年の秋。BNR32スカイラインGT-Rの登場。

 グループAレースで勝つ為に生まれたこのマシンは、チューナーにとっても走り屋にとっても、大きな衝撃をもたらしていた。

 軽くいじれば、400馬力を絞り出す強靭なRB26DETT。これまでの常識を覆すトルクスプリット4WDシステム、アテーサET-S。

 それまで首都高で優位を保ってきた、フェアレディZ、スープラ、RX-7を過去の物へしてしまった……。

 

 

 拓海は、湾岸を時折突っ走る程度だ。本気でやっている連中とタメを張れるような、気合いも根性も金も無い。

 愛車のMZ20ソアラで、ベストは精々220キロ程度。競争ごっこで、後ろから眺めるのが関の山。

 ただ、遅くとも湾岸ランナーの端くれになった事は、拓海にとっては大きな一歩だった。

 

 湾岸に通っていく内に、ギャラリーに訪れるヘレンとは、妙にウマが合った。

 ヘレン曰く、一番古い記憶で覚えているのは、横須賀ベース(横須賀米軍基地)の中だったそうだ。何を隠そう、拓海も横須賀で若気を至っていた。些細な事から、ヘレンとは奇妙な連帯感が生まれた。

 

 時々、湾岸ランナー達のケツ持ち代わりでソアラを走らす時は、ヘレンが隣に乗るようになった。

 ラリーの様にコ・ドライバーの役目は果たさない。ヘレンが「全開で走りなさい!!」と捲し立てれば、拓海は「とっくに全開だバカ!!」と罵る。

 強いて言えば、喋る重しが乗っかっている様な物。それを差し引いても、殆どノーマルの7M-GTUで、着いていける訳が無いのだが。

 

 それは兎も角として、二人はスピードの持つ魔力に魅せられていった。

 

 

「ヘレンは、車買わないのか?」

 拓海はたびたびヘレンに聞く。

「いずれ買うわ。世界レベルにふさわしいマシンをね」

 そう返すのが、ヘレンの口癖だった。何を根拠に世界レベルと口走るのか、拓海には理解出来なかった。

 

 そして、購入したのがフェラーリテスタロッサ。1984年に発表された、フェラーリのフラッグシップモデルだ。しかも、89年の後期モデルで走行距離は2万キロを少し切る程度。3年落ちで、程度としては悪く無い。

 

 カタログでは、290キロと謳われている。

 が、その初陣は散々な結果だ。

 

 最高速342キロと言われるルーフCTRや、桁違いのスペックを誇るR32GT-R相手ならいざ知らず。谷田部で270キロ前後の国産チューニングカーにも置いてきぼりを喰らう始末。

 雪辱を果たすべく、ヘレンはテスタロッサで湾岸を極める決意を固める。

 

 とは言え、テスタロッサをこれ以上どうやって速くするのか。

 そもそも購入するだけで、貯金の全てを注ぎ込んだ上に、相当な額の借金も抱えてるに違いない。

 この跳ね馬で、最強の怪鳥に立ち向かう術は有るのか。答えは見えてこない。

 拓海は、古い先輩に知恵を借りる事にした。

 

 

 和久井留美という、拓海の大先輩にあたる人物だ。

 元々、横須賀で最大のレディースチームで特攻隊長を務めていた彼女は、当時の抗争で幾度と無く暴れ回った。勿論、警察の御厄介に何度もなった。

 現在は足を洗って、下町の自動車整備工場で働いている。

 しかし、留美は非常に研究熱心で勉強家の一面を持っていた。族時代から、バイクや車の整備やチューニングを独学で勉強しており、留美のいじったマシンは速いと評判だった。

 

 自動車の整備関係の書籍は勿論。自動車工学の専門書に、レーシングカーを取り扱う雑誌等も読み漁っていたそうだ。当時の後輩連中や顔見知りなどが、留美に整備やチューンナップを頼む事も有る。建前上は仕事と称して、引き受ける事も多い。

 拓海は現役の頃、バイクのチューンナップを留美に頼んだ事もあるが、同じ単車でも別物に変身を遂げていた事を良く覚えていた。

 

 だからこそ、留美に頼む事にしたのだ。

 

 

 コミゴミとした解体屋街の風景にマッチしないド派手なテスタロッサで、留美の勤務する整備工場に到着した。小汚い整備工場で、裏手には廃車の山が詰まれている。

「……ここなの?」

「ああ。あたしの大先輩が、ここで働いてんだ」

 そう言い放ち、拓海はテスタロッサから降りた。そして、ボロボロのシャッターを潜ると、留美はタウンエースのオイルを交換していた。

「ちわっす、向井です」

 拓海の挨拶に気が付いた様で、留美は視線だけ向けた。

「……少し待ってて」

 そう言うと、留美は視線をタウンエースに戻した。

 

 ものの数分で作業を終わらせ、留美とヘレンの視線が交わる。

「これが、電話で言ってた車ね?」

「そうっす」

 留美は切れ長の瞳をグッと細めて、食い入る様に真紅のマシンを見つめた。

「……お話にならないわね。チューニング以前の問題よ」

 バッサリと切り捨てた。

「……どういう事よ?」

 ヘレンは食い下がる。

「……こんなにアライメントが滅茶苦茶じゃ、試乗する気も起きないわね」

 留美の言葉に、拓海もヘレンもキョトンとした顔で固まっていた。

「あなた、行きつけの車屋とか無いの?」

「無いわ。この車も、知り合いの伝手で売って貰ったのよ」

「……呆れたわね」

 大きな溜息を吐き出してから、留美は次の指示を出した。

「だったら、ディーラーで整備マニュアルを貰ってきて頂戴。アライメントは、知り合いに頼む事にするわ」

 そう告げた。

 

 二日後。ヘレンと拓海は数十枚のコピー用紙を持って、再び留美の元へやって来た。

 中身はエンジン、サスペンション、ギアボックス、内装に至るまでの説明書を印刷した物だ。書いてあるイタリア語は、ヘレンが訳せるので問題は無い。

 ディーラーで、オーナーズマニュアルをコピーさせて貰ったらしいが、整備マニュアルは見せても貰えなかった。

「ま、そんな物よね」

 と、留美は淡々としていた。

 

 留美は、コピーされた用紙を一枚一枚丁寧に見ていく。

「……ストロークは有るけど、かなりキャンバー変化が大きわね。トーも直進安定性を最優先しているわね。リアヘビーだから、こうでもしないと真っ直ぐ走らないんでしょうね……」

 拓海とヘレンには、なんの暗号なのか解らなかった。ポカーンとした二人を見て、留美はまたも呆れ顔を作っていた。

「アライメントと言うのはね。タイヤの向いている方向の事を言うのよ。

 キャンバーはタイヤを前後方向から見た角度の事。トーは進行方向に向いているタイヤの角度の事。キャスターは、タイヤを軸にしたサスペンションの角度の事を言うわ。

 テスタロッサの左右のタイヤを、良く見てごらんなさい」

 留美に言われ、テスタロッサのリアタイヤ周りを良く見てみると、心なしか左右で微妙に角度が違っている気がした。

「……右と左でちょっと、ずれてる気がする」

 拓海は感じた事をそのまま言う。

「見た目で解るレベルなら、相当にずれてるわ。本来、ゼロコンマ何ミリで揃える物なのよ。1度単位で狂っていたら、完全に欠陥よ」

 留美は、そう解説した。

「そんな物も有るのね」

 あっけらかんとしたヘレンに、留美は何も言わなかった。

 今度は、留美はボールペンで広告の裏に手書きの地図を書き、その下にアライメントの最大値と最小値を書き写した。拓海にそれを渡し、一言。

「そこに頼んでおいたわ。今から行けば、夕方までには出来上がるでしょう」

 そう言われ、ヘレンと拓海はそのタイヤショップに向かった。

 

 そして、テスタロッサはそのショップでアライメント、及びホイールバランスの測定を行った。

 留美が一発で見抜いた通り、テスタロッサのアライメントは全て規定値を超えており、全てのタイヤが別の方向を向いていた。ここでアライメントを規定値に調整して貰い、さらにホイールバランスも取り直した。

 留美の工場に戻る頃には、日はかなり傾いていた。

 すっかり暗くなり、営業時間が終わってから、テスタロッサはガレージ内に収まった。

 

 留美の行ったのは、オイルと冷却水の点検と交換、エアーエレメントの清掃、プラグの点検、点火時期の調整、ファンベルトの張りの調整、ブレーキの摩耗のチェック、タイヤの溝の点検。

 基本的なメンテナンスをテキパキとこなす。

 

 全ての点検と整備を終え、留美は言った。

「車は生きてるのよ」

「……生きてる?」

 拓海はそう聞き返す。

「ええ……どんな車もバイクもね。

 人間だって、病気になったら病院に行って薬を貰うでしょ?

 それと同じ事よ。このテスタロッサは、買ってからロクに整備もせずに乗りっぱなしだったんでしょうね。

 このまま乗りつづければ、この車は死んでいたはずよ」

 そう断言した。

 拓海とヘレンの聞いたのは、歌声では無く悲鳴だっただろうか。

「チューニングする上で一番大事なのは、元の性能を知る事なのよ。ましてや、この手のスポーツカーはとても繊細に出来ているの。

 この整備内容だったら、間違いなく元の性能の七割も出ていないわ」

「……」

 ぐうの音も出ない拓海とヘレン。如何に自分達が無知だったかを、思い知らされた瞬間だった。

 

 

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