ミッドナイト・ランナー   作:囃子とも

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 拓海のバイト先は、とある自動車雑誌の編集部だ。と言っても取り扱う内容は、チューニングやストリートレースの取材など。アンダーグランド的な代物ばかり。

 しかも、大した学歴も無い拓海は精々小間使いにされる程度。時給は悪くは無いが、休みは不定期で深夜まで使いっ走りにさせられる事も多々ある。

 午後から、拓海はなれないワープロと格闘している最中だった。編集部の電話が鳴り響いた。

「……はい、O誌編集部です。……向井なら、自分ですが……」

 電話の内容に、拓海の目の色は変わった。

「解りました。では、今晩落ち合いましょう……」

 そう答え、電話を切った。

 

 夜。指定された、都内のカフェバーへ拓海は向かった。

 都心の一等地、路上のコインパーキングに停車する高級車の群れ。小汚いソアラを停車させると、逆に目立ってしまう。

 高層ビルの二階に店舗を構えるカフェバーは、古ぼけたジーンズとよれよれになったSTPのロゴの入ったTシャツでは、余りにも不釣り合いな店内だった。

「こちらですよ、向井さん」

 拓海を見つけ、約束の人物は手招きをした。その周囲には何人かの取り巻きも居る。

「どうもです、高峯さん」

 そう会釈をしながら、拓海はその人物の対面の椅子に座った。

 

 高峯のあ。湾岸で最強を誇るCTRの乗り手。言わば女王だ。

「一体、こんな店に呼び出して、何のつもりですか?」

 拓海は、少し睨みつける様にのあと視線を交わらせる。

 拓海自身、のあと取材を交えて、会話した事は何度も有る。ただ、拓海自身は高峯のあの事をあまり好きにはなれなかった。

「……あなたの姿を最近パーキングで見かけないから、少し気になったのよ。

 それに……テスタロッサの姿を見たのも一回きりだから……ね」

 のあは、不敵に笑みを浮かべる。

「……その点は、黙秘させて貰ますよ。こっちにも、色々有るんで」

 拓海は、鋭い視線のままのあから目を離さない。

「……ふふ。そんなに怖い顔しないで。可愛い顔が台無しよ?」

「そりゃどうも、ご丁寧に……」

 温和な笑みを見せるのあ。彼女からは、ある種の余裕が滲み出ていた。

 

 高峯のあは、高峯グループと言う大企業のお嬢さんで、若くして実業家という地位を得ている。簡単に言えば、金持ちだ。

 そうでなければ、若くして高級外車を乗り回す事が出来る訳が無い。勝ち組の余裕とも言える、ある種の余裕。

 言わば金の生み出す特有のオーラが、彼女には有った。

 拓海は、それが好きになれなかった理由だ。単なる嫉妬と言えばそれまでだが、金持ちの道楽で湾岸の女王に君臨する事の理不尽さが、どうしても割り切れなかった。

 

「ついでに、紹介しておくわ。こっちは、私のCTRをチューニングしてくれている、相川千夏よ」

「相川千夏です。よろしく」

 そう言いながら右手を差し出してきたので、拓海は握り返した。

「向井拓海です。こちらこそよろしく」

 拓海の顔付きは、まだ固い。

 

 何よりも気になった事は、チューニングと。のあは、確かにそう言った。

「……あのCTRは、チューニングされているって訳ですか?」

 拓海はストレートに聞きただす。

「ええ。と言っても、元々の性能が高いですからね。それ程、いじっている訳ではありませんよ。

 強いて言うなら、湾岸線の路面に合わせたサスペンションのリセッティングと、耐久性の向上ですね」

 千夏は眼鏡をクイッと上げながら答えた。

「へぇ……」

 生返事しか出ない拓海を見かね、のあからある提案を出した。

「よかったら、CTRの横に乗ってみますか?」

 拓海にしてみれば、思いがけない提案だった。黙ったままの拓海を横目に、のあは言葉を続ける。

「色々チューニングの方向性も迷ってきた所だし。何よりも、雑誌編集部の専門家に意見を求めるのも、良い方法だと思わない?」

 そうとまで言ってきた。

(……専門家ねぇ)

 そこまで言われ、拓海は鼻で笑い飛ばしたい気分だった。所詮は、雑誌編集部で使いっ走りされている程度の人間。しかも、留美にテスタロッサを見て貰っている短期間で、如何に自分が無知だったかを思い知らされたばかりだ。

 とは言え、専門家と言われてそこまで悪い気もしなかった。

「ええ。是非、乗せて頂きたい所ですね」

 そう伝えた。

「では、湾岸に向かいましょうか……。千夏は、911ターボで着いて来てくれる?」

 のあの顔付きが、少しだけ引き締まった。

「わかりました。後ろから付いていきます」

 千夏はそう答えた。

 

 ソアラはコインパーキングに置きざりにしたまま、拓海はビルの地下駐車場へ連れられて行った。

 一角に陣取る、黄色い怪鳥。一見は930のカレラとそこまで大差が無い。その大人しい外装が、逆に不気味さを醸し出す。

 

 

 ドイツのルーフ社の名を世界中に知らしめたのは、1987年の事。

 アメリカのロード&トラック誌の企画で、スーパースポーツカーの最高速をテストすると言う企画だった。

 フェラーリ・288GTO、ポルシェ・959、そしてランボルギーニ・カウンタック等。名だたるスーパーカーを差し置いて、最高速339kmという途轍もない記録を叩き出した。当時、323kmの最速記録を保持していたフェラーリ・F40を、16kmも上回る数値だった。

 その後、ドイツのアウトモーター&シュポルト誌で、イタリアのナルドに有るテストコースで342kmをマークしたことはあまりにも有名だ。

 カタログデータは469psの1200kgと記載されているが、日本のベストモータリング誌において、シャシーダイナモで最高出力を測定した所、500psを超えていたというデータも有る。

 

 余談だが、ルーフ社はポルシェのチューニングメーカーと勘違いしている人が多いが、正式に認可を受けたドイツの自動車メーカーである。

 ポルシェしかチューニングせず、ポルシェのコンプリートカーしか販売しない。ポルシェ本社からも、そのチューニング技術には絶大な信頼を置かれているのである。

 

 オリジナルのCTRは、世界でたったの28台しかない。その貴重な1台の助手席に座った。スパルタンな内装は、911カレラRSと大差はないが、幾つか装着されている追加メーターが目を惹いた。

 CTRはゆっくりと動きだし、夜の街へと繰り出す。

 何気なくODOメーターの数値を見ると、拓海は思わず声を出していた。

「……これ、まだ7000キロしか走って無いのか?」

「ええ。街乗りはしないので……」

 のあの回答。言い換えれば、湾岸以外は走っていないのか。

 CTRの後ろは、千夏の乗る白いポルシェ911ターボ。しかも、昨年出たばかりの964型の最新モデルだ。

「……」

 拓海は黙ってシートの感触を確かめる。

 レカロ製のフルバケットシートに、4点ハーネス。室内に張り巡らされたロールケージ。内装だけでも、生半可な仕様では無い事は明らかだ。

 二台のマシンは、首都高速環状線へと上る。

 道路の継ぎ目を拾うと、車体が跳ねる。かなり固いサスペンションに違いないが、その跳ねは一発で収まる。ショックアブソーバーやスプリングも、相当に吟味してからセットアップしているのだろう。

 都心環状から羽田線を経由して、東海JCTから湾岸線上りへ。この流れなら、目的地は市川パーキングへのルートだ。

 CTRは、タイヤもエンジンも、良い具合に温まっている。

 

 湾岸線に合流し、のあは3回ハザードを光らせる。千夏に向けて、ペースを上げるサインを出した。

 シフトを2速に落とし、アクセルを踏み込んだ瞬間だ。

「……!?」

 スロットルと同時に、強大なトルクでマシンを加速させる。

 体感した事の無い縦Gで、拓海の全身から血の気が引いていく。ブーストメーターが、ピークの位置でビリビリと震える。そこまでしか、見る事が出来なかった。

 3速にシフトアップ。一瞬だけ加速が止まったかと思えば、再び強烈な加速が襲ってくる。丸で奈落の底に突き落とされている様だった。

(……なんだこりゃ!?)

 だだっ広い筈の湾岸線が、狭く見える。CTRの加速Gは、明らかに常軌を脱している。

 周囲をみる余裕など丸で無い。拓海にしてみれば、これは拷問と同じだった。悲鳴を上げられない程の恐ろしい加速力を、このCTRは秘めていた。

 ただクリップを必死に掴み取り、目一杯の力で両足を踏ん張らせる。

 そして、4速。再び何処までも加速していく。空気を切り裂く流麗なボディと、天井知らずの強大なパワー。

(……なんだこのバケモノは!?)

 それしか、表現が出てこなかった。

 

 CTRのバックミラーには、すでに911ターボの姿は写っていない。

 ハイビームでアスファルトを照らして、右車線を全開で突っ切って行く。

 全開加速の最中、追い越し車線に大型トラックがはみ出そうになっていた。

「……っ!!」

 のあの右足が、蹴っ飛ばす勢いでブレーキペダルを踏み抜いた。内臓が飛び出ると思う程の減速Gが、拓海の体に圧し掛かる。更にCTRは、トラックに向けてパッシングを浴びせる。

 トラックが仰け反る様に、元の車線へ戻る。前が開けば、再びアクセルを踏み抜く。気の遠くなる様な加速Gが、再び拓海の体をバケットシートに押し付ける。

 目を見開いたまま、歯を食いしばって、拓海はひたすら念じた。

(早く終われ早く終われ早く終われ……)

 最高時速など、ついぞ見る余裕は無かった。

 

 市川パーキングに到着した頃には、拓海はヘトヘトになっていた。

 縁石にへたり込む拓海を尻目に、のあと千夏は打ち合わせをしていた。

「6200回転より上だとブーストは1,0まで落ちるわね。それに排気温度は950度まで上がったわ。

 中間域の加速は速くなってるけれど、やっぱり高速域で全体的に伸びなくなってる」

「そうなると、エキゾースト系をもう少し口径を広くするか。或いは、吸気インテークの取り回し形状も見直さないといけませんね。インラークーラーの容量も、そろそろ限界に近いかもしれません」

「……恐らくこれ以上のブーストをかければ、デトネーションを起こしてしまうでしょうね。一度、燃料系も見直すべきだわ」

 この会話で、拓海は悟った。

 

 高峯のあは、只の金持ちでは無い。道楽ついでで、湾岸を走るにしては本格的すぎる。

 自ら豊富な知識を蓄え、優秀なメカニックと協力し、湾岸でルーフCTRの限界を一層引き上げているのだ。

「……なあ、一つ聞かせてくれ」

「何かしら?」

「あのCTRの最高速は、何キロだ?」

「そうね……メーター読みで325キkm。誤差を考えても、恐らくは310kmは出てる筈よ」

「……そうかい」

 拓海は、極力冷静を装っていたが、間違いなく隠しきれていない。

 

 拓海がアパートに帰ると、時刻は早朝5時近くだった。強烈な眠気と疲労感で、体の節々が酷く痛む。

 女王のCTRに同乗し、あらゆる事を思い知らされた。

 最高速310kmという数値もそうだが、何よりもあの加速力はテスタロッサと比べ物にならない。200km以上でもあの加速をするという事は、前に出た所で追い抜かれる事は明白だ。

 中間域の加速力が速いという事は、トップスピードに達するまで時間がかからないという事。間違いなく、テスタロッサがトップスピードに達した頃には、CTRは見えなくなっている。

 目の前が暗く感じるのは、決して疲れているからだけでは無い。

「……?」

 留守番電話のランプが赤く点滅している。

 ボタンを押すと、スピーカーから音声が流れでる。声の主は、留美からだ。

『……もしもし? 帰ってきたら、一度店に顔を出して。テスタロッサのミッションがダメになったわ。

 だけどいい報告もあるわ』

 その声は心なしか嬉しそうだった。

 二時間程度仮眠を取ってから、拓海は留美の元へ車を走らせた。

 

 

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