テスタロッサがミッションブローした事から、一度エンジンを下ろしてチューニングも同時にするべきだと、留美からの提案が出た。
「本当はもっと後回しにすべきと考えていたんだけど、ここでエンジンを下ろすのなら、全ての作業を行った方が効率良いわ」
と、留美の弁。
馬鹿でかいボディは、リジットジャックに乗せられ、リア周りの部品は殆ど取り外されていた。当然、エンジンとミッションが一体のユニットは、車体から分離している。
5リッターの水平対向12気筒エンジンは、改めてみると巨大だと、拓海は感じた。
「……色々と私なりに、ティーポF113Bユニットの事を調べてみたわ」
湾曲したインテークマニホールドを右の人差し指で突っつきながら、留美はそう言った。
「……最高出力だけを求めるなら、ターボ化が一番速くなるわね。
テスタロッサベースのケーニッヒコンペティションは、ツインターボ仕様で700psを発生している。
ただ、おすすめは出来ないわね」
「それは何故?」
ヘレンは、留美に聞き返す。
「一番の問題は、耐久性が苦しくなるわね。ターボは、ただ付けるだけって訳にはいかないもの。燃調もベストなセッティングを見つけなければパワーは出ない上に、吸排気の取り回しは、全て作り直す事になる。
当然、無暗にパワーを上げれば、他の部品が悲鳴を上げるわ。エンジン内部のクランクやコンロッドは勿論。駆動系のトラブルも走る度に起きる。そんな事を、何度も繰り返せる資金は無いでしょう。
ケーニッヒのコンプリートマシン自体が、エンジンの部品の全てが強化品。他にも、足回りや駆動系、ボディに至るまで全てを改造している。
そこまでやると、部品代と時間だけで豪邸を建てられるわ」
「……って事は、どうするの?」
ヘレンは難しそうな顔を作った。
「エンジン関係は、もう少し調べるわ。ただ、それ以上に他も厄介なのよ」
留美の視線は、エンジンの降りたテスタロッサのフレームに向けられた。
「……テスタロッサの問題は、エンジンが重くて重心が高い。その割に、フレームの剛性が不足しているのよ。
一度ボディがよじれてから、サスペンションがバンプ(沈み込む)する。シャシー全体に余計な動きが出るから、ドライバーがタイヤのグリップ限界を掴み取れない。前に200kmで、簡単に横向いたでしょう? ああいう事よ。
タイヤの限界を掴めない様じゃ、湾岸を攻める事は出来ない……」
「……ボディ補強からって事か」
拓海の言葉に、留美は頷く。
「メインフレームにポイントを押さえて補強を加えるわ。当然フレームの剛性を上げるなら、足回りも強化しなければならない。
サスペンションも強化品に変えて、ブッシュ類は全部新品に取り換える。強化品が有ればベストだけれどね……。
ブレーキは、F40用かCカー用のブレンボは欲しい所ね。タイヤサイズも17インチにして、タイヤをロープロファイル化する……。
エンジンパワーも必要だけど、パワーを受け止められるボディやサスペンションも必要になる。つまり……トータルバランスが問われるのよ
次々と飛び出す、計画。
「……一体幾らかかるんだ?」
「……部品代だけでも、GT-Rが買えるかもしれないわ」
留美の回答に、拓海は絶句した。
「……いくらでも注ぎ込むわよ」
ヘレンは、相変わらず強気の姿勢を崩さなかった。
2日後の明け方。
拓海は仕事で、谷田部の自動車性能試験所に来ていた。1週5,5キロのオーバルコースで、最大傾斜45度のバンクを持つテストコース。
自動車メーカーが新型車両のテストで走らせる事も多いが、チューニングカーの最高速トライアルの聖地としても知られる。
当初の設計限界速度はたったの190kmに過ぎなかったが、現在のチューニングカーの最高速は320kmを超えている。
集まったチューニングカーを、一台一台ファインダーに収める拓海。
「精が出るね。拓海君」
「どもです、真奈美さん」
声をかけてきたのは、木場真奈美。老舗の輸入車専門店で広報を担当している女性だが、湾岸ランナーという顔を持ち合わせている。大学時代にアメリカへ留学していた頃、ドラッグレースにのめり込む余り、中退したという逸話を持つ。
本日の最高速アタックには、真奈美の愛車である87年式のC4コルベットZ51を谷田部に持ち込んできた。
「どうですか、コルベットの仕上がりは?」
「ま、相変わらずだな。エンジンを換えてから、大分煮詰まっては来ているが……バンクの走行だけはテストのやり様がないからな。
結果は、神のみぞ知るって所だ」
真奈美は、そう答えた。
傾斜のあるバンクを全開で走る事は、強い横Gが長時間かかり続ける。横Gがかかり続ける間は、燃料や潤滑油が横に偏ってエンジンを壊しかねない。当然、ボディ、足回り、駆動系、タイヤ。これらの負担も大きい。
「……今日は何馬力でアタックしますか?」
拓海に聞かれ、真奈美は少し考える素振りを見せる。
「……ま、ウソ800馬力って事で頼むよ」
そうおどけて見せた。
コルベットに搭載される、L98ユニット。5,7リッターV8のOHVで、スモールブロックの通称で通っているエンジンだ。
1960年代に誕生し、数多くのアメリカンスポーツカーに搭載され続け、長く愛され続けているエンジンだ。年代ごとに様々な改良を受け、進化し続けている。
NHRAのドラッグマシンやNASCAR等、レース専用エンジンのベースにも使用されている。アメリカでは、最もポピュラーなチューニングベースのエンジンと言っても過言では無い。
かの有名なキャラウェイコルベット・スレッジハンマーは、スモールブロックエンジンにターボで武装し900ps以上を叩き出すモンスターぶりを発揮している。
ノーマルでは250psに満たない古典的なOHVエンジンだが、真奈美のそれは本場のナスカーやドラッグマシンで使用されるパーツをふんだんに使い、国産のターボエンジンに負けないだけのパワーを絞り出している。
大排気量が生み出す強大なトルクを生かした中間加速は、湾岸でも一、二を争う。250kmまでなら、CTRに匹敵するクラスだ。本人は言わないが、最低でも500psは固いと拓海は睨んでいる。
「所で、一つだけ聞きたい事が有るんだが……いいかい?」
改まった様子で、真奈美はそう聞いて来た。
「何でしょう?」
「……以前、一度だけ湾岸に来ていた、テスタロッサの事だけど。最近、湾岸で見かけないのでね……。少し気になっているんだ」
真奈美は、テスタロッサの事を良く覚えていた。
「……それだったら、ミッションが壊れて修理中ですよ。流石にあの手だと、修理代も高くて……」
「ふふ……確かにそうだな」
真奈美は引きつった笑いを浮かべた。真奈美も湾岸では珍しい外車乗りだけあって、テスタロッサの動向が気になっていたらしい。
「……真奈美さん。例えばですけど、テスタロッサでパワーを上げようと思ったら、どんな方法が有りますか?」
拓海は、それとなく聞いているつもりだが、眼つきは鋭くなっている。
聞かれた真奈美は、あごに手を当てて少し考える。記憶の中から、思い当たる知識を引っ張り出す。
「テスタロッサをパワーアップか……。
難しい所だな。例を挙げれば、ケーニッヒのターボチューンがあるが、間違いなくドライブシャフトがねじ切れるだろうな……。
NAのままなら……IMSA仕様のパーツを組んでみればどうだろう」
「イムサ……?」
「インターナショナル・モーター・スポーツ・アメリカンの頭文字を取った略称さ。クラス的には、丁度ルマンの参戦車両と同格にカテゴライズされるレースだ」
「へぇ。じゃあ、日産が優勝したデイトナ24時間なんかもIMSAになるって事?」
「その通りだ。ちなみに、ルマンで優勝した787Bも、IMSAのレギュレーションで制作されてるのさ」
真奈美から聞いた豆知識に、拓海はウンウンと頷いた。
「じゃあ、テスタロッサのIMSA仕様が有るんだ……」
「いや、無いよ」
「あり……?」
真奈美の回答に、拓海の首は反射的に斜めに傾いた。
「その変わり、テスタロッサの前身である、512BBはIMSAやルマンに参戦したレース仕様が存在するんだ。
何十台か制作されて、プライベーターが駆っていたらしいね。勿論、リアルタイムで見た訳じゃ無いけれど……」
「512BBって、テスタロッサとエンジンは一緒でしたっけ?」
「若干モディファイはしているけど、基本設計は同じだった筈だ。……詳しくは覚えていないがね」
真奈美の記憶が、当てになるのなら有力な情報をゲットした事になる。
「……参考にさせて貰います」
したり顔で笑う拓海は、軽く頭を垂れた。
その仕草を見て、真奈美は思いがけない提案を出した。
「君達が良ければ、一度テスタロッサを見せては貰えないかな?」
「……テスタロッサを、ですか?」
拓海は、少し思考を張り巡らせる。
「警戒する事はないよ。別に、どうこうするつもりは無いさ。
これでも、輸入車専門店の店員なんだ。それなりには、あの手の車は気になる物だよ」
そう言われ、拓海は容量の少ない脳細胞をフル回転させ、色々な打算をした。
(……まぁ、真奈美さんは輸入車の専門店で働いてる。
この先、色々パーツが必要になるなら……手を借りる事も有るかもしれねぇ。ここで、手を貸してもらう様にするのは、決して悪い事じゃないよな……)
頭の中ではじき出した結論。
「……そうですね。専門店の人に見て貰う事も、重要ですからね。よろしくお願いします」
真奈美へ向け、そう答えた。