翌日。ソアラを、何時もの整備工場に向けて走らせる。ハンドルを握るのは拓海で、助手席には真奈美が座る。
「……乗り心地があまり良くないね」
真奈美は、押し殺すように笑う。
「中古で買ったショックに、バネも解体屋で拾ってきた奴だから、こんなもんですよ。車高さえ落ちれば、何でも良かったんで」
拓海は、自慢げに答えた。ソアラの性能アップなど、本人にとっては左程重要でも無い様だ。
談笑を交えながら整備工場に到着すると、時刻は昼前だった。
「こんにちわー」
シャッターを潜ると、いつも通り留美が車の整備に勤しんでいた。ヘレンも、工場に来ているおり、隅に転がる廃タイヤの上に腰を据える。
カローラのエンジンルームを覗き込んでいた留美は、シャッターの方へ振り向く。
「いらっしゃい。……そちらの方は?」
留美は、真奈美を見つめる。
「外車屋の店員の木場さんです」
「……木場真奈美です。よろしく」
そう言いながら、真奈美は名刺を差し出した。
対面に体を向け、留美は名刺を受取った。
「和久井留美です。こちらこそ、よろしく」
真奈美の差し出した左手を、留美はガッチリと握り返した。
「……折角なんだから、何処かで食事しながら話しない?
腹が減っては戦が出来ぬ。日本では昔からそう言うんでしょ?」
廃タイヤから立ち上がって、ヘレンはそう提案した。
「……そうね」
留美は、柱にかかっている時計をチラリと見た。
工場から歩いて5分のファミレスで、4人は昼食を共にする。昼時だけあって、店内は込み合っていたが、幸いにもテーブル席は空いていた。
昼食を取りながらの会話の内容は、もっぱらテスタロッサの事ばかりだった。
「……IMSA、ね」
拓海からそのワードを聞き、留美は顔付きを変えた。
「レース専用って事なら、エンジンパワーも相当に上げられそうじゃない?」
追従するように、ヘレンが言った。
「……確かに、それなら高回転高出力に耐えられそうね」
留美は、あごに手を当てながら思案する。
「何よりも、メーカーに保障されている部品であれば、耐久性にも保証はある。IMSA仕様であれば、500マイルも24時間も走る事を考えて設計しているからね。
あのルーフCTRの厄介なのは、最高速が速いだけでも中間加速が速いだけでも無い。何より、毎週の様に湾岸線を全開で走っても、トラブルが起きないという事だ。
マックススピードだけなら、原田君のFCや東郷君のフェアレディZも引けを取っていない。勿論、私のコルベットもね。
ただ、全開時間が長ければ長い程、エンジンにかかる負担は大きい。CTRと並んだ所で、気が付いたらエンジンブローしている。そんな事は、日常茶飯事だからな……」
真奈美の助言は的確だった。湾岸トップランナーの一人だけ有り、高峯のあが駆るCTRに、何度も苦汁を舐めさせられている経験から来ているに違いない。
「……湾岸で、5速で全開にするのは2分位かしら?」
「一般車も居るから、そこまでは無理だろう。精々、1分が限度だ」
そう聞くと、留美は更に脳細胞を回転させる。
「……市川パーキングをスタートにして、その先は何処まで走るの?」
「そのまま湾岸を下って、大井ジャンクションの先に有る、上を横切っている大井埠頭の連絡道路があるんだ。あれが、ゴールの目印さ。
その後は、横羽に乗ってクールダウンして大師パーキングに停まったり、そのまま大井南インターで降りたり様々だね。
もっとも、そこに着く前までに、リタイアしている事も多々あるけれどね……」
「というと、おおよそ20キロ弱……。海老名SAから東京料金所までの距離と、良く似てるわね」
「そうなるね。このルートを、約6分で走るのが一つの目安になるんだ」
「平均時速にして、200km以上。だけど、それは一般車を避ける事や、ブレーキングも加味されるから……重要なのは、200kmオーバーでの追い越し加速と言う訳ね」
「……その通りだ」
留美と真奈美の会話を、黙って聞く拓海とヘレン。もっとも、どれ位理解しているのかと言う点は、若干疑問だが。
「……そうなると、やはりCTR以上のパワーをNAで出す事は難しいわね」
「仮に、ターボ化したとしても、テスタロッサとCTRには400kgの重量差があるからね。これだけ差があると、スラロームの時の動きに大きく差が出るな」
「ただ、テスタロッサの空力なら、トップエンドの伸びはポルシェよりも格段に良いわ。中間域の加速さえ向上すれば、国産チューニングカーやCTRに喰らい付ける筈よ」
「NAのままで、中間加速をあげる……。そうなると……」
真奈美は、真剣な顔つきで思考を張り巡らせる。
「……一つ提案がある」
三人は、一斉に真奈美に視線を向ける。
「NAのまま、中間加速を飛躍的に向上させる手段は、確かにある」
真奈美の言葉に、ヘレンはニヤリと笑う。
「ただし……資金も跳ね上がるし、テスタロッサに装着した前例が無い。
それでも、やるかい?」
その言葉に、ヘレンはあっさりと答える。
「……やるわ。当然じゃない」
根拠は無いが、ヘレンの顔には自信が満ち溢れていた。
「解った。一度手配してみるよ」
真奈美は、そう答えた。
「……随分、協力的なのね」
留美は、真奈美にそう言う。今日会ったばかりの割には、随分と有益な情報ばかり与えている。
「ま、こっちも商売だからね。それに……」
「それに?」
「テスタロッサで湾岸を攻める何て馬鹿げた事を、本気で取り組む。そういうバカが、私は好きなんだ。
実際、他の国産チューニングカーに乗ってる連中は、外車は高いだけで速く無い。そういう認識で居るだろう。
だけど、そいつらをテスタロッサという格好番長で、ぶっちぎったら面白いじゃないか」
真奈美は、笑みを見せながらそう答えた。
「……そうね。もし、テスタロッサでCTRをぶち抜いたら、銀座か六本木でお祝いしなきゃね」
留美も、自然と笑みを作っていた。
「……姉御」
拓海は、ジッと留美を見つめる。
「部品の手配……お願いします」
ヘレンは、二人に向けて頭を下げた。
それから、テスタロッサは工場でモディファイする事となった。
エンジン関係は、IMSA仕様の512BBのパーツを流用し、パワーと耐久性を向上させる事に決まった。
肝心の部品の方は、真奈美が留学していた頃の知り合いが、一通りのスペアパーツを持っていたので、頼み込んで売って貰う事ができた。
ただ、空輸で一ヶ月以上かかるという事で、先にボディから手を付ける事に。
テスタロッサの基本骨格は、365GT4/BBから受け継いでいる、伝統的なパイプフレームモノコックだ。
パイプフレームとは、ジャングルジムの様に構成したフレームに、ボディの外装を被せるだけの構造になっている。NASCARのストックカー等、レーシングカーに採用されている構造と同じ物だ。
しかし、テスタロッサの場合は元々のフレームが弱い為、これが巨大なエンジンとミッションを支えるには、あまりにも役不足だった。ハリボテと形容しても、差支えが無い程の代物だ。
各パイプごとに、三角の鉄板を当てて溶接。更に、アンダーフロア板の継ぎ目も、鉄板を追加して溶接補強。
路面からの力をダイレクトに受ける、サスペンションのアッパーマウントやアームの付け根には、鉄板を何重にも重ね、入念かつ丁寧な補強を施す。
その上に、耐熱塗料を塗って、錆び止めの対策も抜かりない。その仕上がりは、陶芸品の様に美しかった。
サスペンションは、最終的にクアンタム製の車高調整式を組み、ゴム製のブッシュは全て新品に打ち変えた。
ブレーキはモノブロックのCカー用のブレンボ製キャリパーで、フロントが6ポットでリアが4ポット。ブレーキホースもステンメッシュの物にグレードアップ。マスターシリンダーも、そっくりCカーの物を流用した。
ボディと足回り関係が一通り完了し、ようやくエンジンと駆動系の部品が揃った。
IMSA用の強化パーツに加えて、強化クラッチ、ミッションのギア、パッキン、ベアリング一式。いずれも、新品。更には、テスタロッサの整備マニュアルも、真奈美が用意してくれた。
材料が全て揃った所で、今度はエンジンとミッションに手を加える。
ミッションは、完全なオーバーホールとなった。
歯車を一つ一つ丁寧に組みつけていき、ベアリングやゴムシールも新品に交換。組み上がったミッションに、ファイナルギアとデファレンシャルギアを合体させる。
トランスアクスルが終われば、最後は要のエンジンだ。
一度エンジンの全ての部品をバラし、そこから取り寄せたIMSA用のレーシングパーツを組みつけていく。
カム、ピストン、コンロッド、バルブ等。どんな高価なパーツも、組み方一つで台無しになる。留美は、馬鹿でかいエンジンを慎重に組み上げていく。その手付きは、職人技そのものだ。
4942ccという大きな排気量は、発熱も半端無くでかい。当然、ラジエーターも大容量化して、ホースもシリコン製の軽く丈夫な物にグレードアップ。オイルクーラーも装着して、オーバーヒート対策は抜かりない。
F113Bは、ノーマルでドライサンプ式を採用している為、オイルポンプも強化品にグレードアップ。
クラッチはボークアンドベックのツインプレート。圧着力の高いレーシングクラッチだが、ジャダーも大きく踏力も重たい。街乗りは確実に犠牲になるが、ヘレンは問題無いと言い切った。
ハイコンプレッション仕様の水平対向12気筒。滅多にお目にかかれないそのエンジンは、どんな旋律を奏でるのか。拓海の興味は、尽きなかった。
ほぼ、オーバーホールとも言える内容だった。このテスタロッサに、どれ程の時間と費用を費やしたのか。深夜までコツコツと作業して、チューニングを積み重ねていく。
たびたび、真奈美が差し入れを持って顔を出した。真奈美も、このテスタロッサが何処まで速くなるのか、興味深々だった。
ヘレンは元々やっていたモデルの仕事以外にも、深夜のバーのウエイトレスも務めた。アルバイトを掛け持ちしながら、テスタロッサの部品代を捻出した。それでも、焼け石に水程度にしかならない。
例え夜遅くまで仕事しても、留美の工場に顔を見せに来た。
当然ながら、睡眠時間など三時間取れるかどうか。
そこまでの想い。それは執念か。或いはプライドか。
拓海は、ヘレンに内緒でタイヤとホイールを1セット用意した。
OZレーシングの512TR用で、フロントが9Jの18インチ、リアが11Jの18インチ。タイヤサイズは、フロント235/45ZR18、リアが295/35ZR18インチと言う、超極太のポテンザだ。
タイヤとホイールだけで、負けて貰って60万円もした。確実に、ソアラよりも高額に違いない。
ただ、ヘレンを支援するなら、行動で示したくなっただけだ。
ヘレンに向けて、拓海は「出世払いで良いぞ」とだけ伝えた。
ただ、車が好きで、走るのが好きで、とにかく速く走りたい。その気持ちだけが、彼女達を突き動かしていた。
口先だけの結束ではない。共に、湾岸最速という目標を抱き、その見果てぬ夢の為に投資を惜しまなかっただけ。
明け方がすっかり冷え込むようになった。
紅葉のシーズンは終り、慌ただしく一年の終わりが見えてきた頃。
朝日を浴びて、小鳥のさえずりが聞こえる中。
「……セルを回して」
留美は、ドライバーズシートに座るヘレンに言った。
ヘレンは、無言で頷く。
イグニッションオン。セルモーターが、高圧縮のピストンに負けまいと、クランクシャフトを回していく。
少し長めのクランキング。ヘレンは、一瞬だけアクセルを煽った。
ズゴーン、とエンジンに火が入った。
乾いたエキゾーストノートが、解体屋街に響き渡る。アイドリングだけでも、全身がしびれる。血液が沸騰し、細胞の一つ一つが漲る。
ミュージック。最高の楽器。
フェラーリのエキゾーストを、自動車評論家がそう評した。拓海は、その意味がようやく理解出来た気がした。
「完成したわね」
「……ええ」
留美とヘレンは、がっちりと握手を交わした。
それを見た拓海は、何故だか無性に泣きそうな気分だった。