戦女神×魔導巧殻 ~転生せし黄昏の魔神~ 作:Hermes_0724
クレーマーは眠ることが出来なかった。レイナ・グルップの生存を知った時、思わず涙を浮かべた。明日、十一年ぶりに顔を会せることになる。「よくぞ生きていて下さった・・・」素直にそう喜んだ後で、クレーマーは不安に思った。
(私は、どのような顔をして嬢に会えば良いのだ・・・)
十一年前、当時八歳であったレイナ嬢は、自分がメルキア国の武将であったことは知らない。あの悲劇は、新参の武将が暴走したことが原因だ。だが、メルキア国の名で攻め込んだ以上、メルキア国の責任なのだ。そして自分は、今やその国の軍事を預かる身である。大兄弟子は理解をしてくれたが、事情を知らない者には「裏切り者」と思われても仕方がない。そして恨みの矛先は、自分に対してだけではないだろう。主君ルドルフに対しても、激しい怨恨を抱いているはずだ。万一の時は、何としても主君を護らなければならない・・・
『レイナ嬢・・・早まった真似だけは、して下さるな・・・』
暗闇の中で呟いた。
バーニエの街から一里(約四km)の小高い丘が、話し合いに指定した場所である。ディアンは、レイナとグラティナを連れて、徒歩でその場に向かっていた。
『なぜ、馬を使わないのだ?』
グラティナの問いかけに、ディアンは笑って答えた。
『今回は座を用意してもらった。馬上での話し合いじゃない。オレたちは街の代表、つまり民衆の代表だ。徒歩で行った方が、それらしく見えるだろう?』
実際の理由は違う。ルドルフを斬ったら即、戦争になるだろう。その時はディアンは魔神化してメルキア軍を極大純粋魔術で全滅させるつもりだった。自分の馬を巻き込みたくなかっただけである。だがその理由は、グラティナにする必要はないと思っていた。
だが、指定の場所に着いたディアンたちが目にしたものは、思っていたものとは違う光景であった。目の前には三千名の兵士が完全武装で整列をしている。馬に乗った三人の男が出てきた。中央の男は白馬に乗っている。ディアンは舌打ちを堪えて進み出た。
『バーニエを代表し、三名で罷り越しました。私の名はディアン・ケヒト。こちらに控えているのは・・・』
『我が名はグラティナ・ワッケンバイン、バーニエの街の警備隊長だ』
『私の名はレイナ・グルップ、剣聖ドミニク・グルップの一女だ』
ディアンたちから見て、中央の男と右側の男が、馬上からレイナを見つめる。左側の男が馬を進めてきた。
『わざわざ徒歩でお越しいただき、有難うございます。私はメルキア国宰相ベルジニオ・プラダと申します』
『メルキア国万騎将、アウグスト・クレーマーです』
『私が、ルドルフ・フィズ=メルキアーナだ』
それぞれが名乗り終わったところで、ディアンが切り出した。
『さて、挨拶も終わったので、早速話し合いといきたいところですが、これは一体、どういうことですかな・・・?』
『どういうことか、と仰いますと?』
『我々は、対等に話し合いをする座を用意して欲しいとお願いをしたはずです。そちらも、それを受諾された。にも関わらず、貴殿たちは馬上で我々を見下ろしている。座も用意されていないようだ。どういうことか、とお尋ねしているのです』
プラダが笑みを浮かべながら、返答した。
『対等と仰られましても、実際には、バーニエは我が軍に攻められており、対等な立場とは言えないでしょう。あなた方から持ちかけられた交渉を受諾しただけでも、こちらとしては譲歩をしたつもりです。本来であれば、この場で降伏をしなければ、即、攻め込むところなのですぞ?』
これは外交である。プラダは既に、バーニエは降伏するつもりであることを見越していた。話し合いの場といっても、実際は降伏の申し出なのである。となれば、今後のためにも「どちらが勝者か」を明確にする必要がある。そのため敢えて、座を用意せず、馬上からの返答という形式を取ろうとしていたのだ。ディアンの問い掛けも、外交上の形式的なもので、普通であればこれで終わりのはずであった。だが今回は相手が悪かった。ディアンの気配が変わり始める。
『・・・譲歩・・・だと?』
ディアンの躰を覆っていた魔力が消え、魔神の気配が溢れ出る。凄まじい「魔の気配」に空気が歪む。プラダの笑みが凍った。
≪・・・勘違いをするなよ?譲歩をしてやっているのはこちらの方だ。オレがその気になれば、貴様ら全員を一瞬で肉片にすることだって出来るんだぞ・・・≫
プラダの乗った馬が逃げ出そうと暴れる。それは他の将兵たちの馬も同様であった。クレーマーは、目の前の男の変容に驚きながらも、主君を護ろうと動く。ルドルフはさすがに、動揺を見せてはいない。
『・・・まさか・・・魔神なのか・・・』
額に汗を滲ませたクレーマーが、ディアンを見下ろしながら呟いた。彼の戦歴の中にも、魔神と戦った経験は無い。
≪・・・一刻だけ待ってやる。すぐに座を用意しろ。命が惜しかったらな・・・≫
『わ、解りました。すぐに用意しますっ!』
プラダは、慌ててディアンの言葉に応答した。ディアンの変容には、グラティナも驚いていた。レイナは何事も無いように涼しい顔をしている。
(人間ではないと言っていたが・・・まさか、魔神だったとは・・・)
プラダが兵士たちに、座の用意を命じたため、ディアンからは魔神の気配が消えていた。
座を用意する間に、クレーマーはレイナに話しかけたかった。積もる話は幾らでもある。だがそれは許されなかった。彼女はいま、バーニエを代表する使者であり、自分は交渉相手なのだ。私的な理由で声を掛けるわけにはいかない。
(嬢は生きておられた。お話をする機会は、今後もあるだろう・・・)
想像通りに、いや想像以上に美しく成長した師父の一人娘をクレーマーは眩しそうに見た。
幕舎が張られ、三席ずつ向かい合うように椅子が並べられた。丁重に通されたディアンたちを、ルドルフたちが立って出迎えた。着座を進められ、ディアンたちが座る。続いて、ルドルフたちが座った。客人を出迎える礼儀に沿った対応である。ルドルフが口を開いた。
『先ほどは、大変失礼をした。どうかお許し願いたい。また戦場ゆえ、茶の持て成しも出来ぬこと、重ねてお詫び申し上げる』
『お気になさらずに。こちらこそ、いささか興奮してしまったこと、お詫びします』
謝罪という形で、双方の挨拶が済み、話し合いが始まった。プラダが口火を切る。
『さて、ケヒト殿・・・ 御三名がお越し下さった理由としては、一昨日に御提示させて頂いた降伏条件について、と認識しておりますが、それで宜しいでしょうか?こちらとしても、御要望をお聴きする準備はあります』
『ディアンで結構です。降伏の条件は、そちらが提示されたもので構いません。街の役人たちも、それで了承しています。我々がこの座をお願いしたのは、ルドルフ・フィズ=メルキアーナ殿、あなたに会って、話をしたかったからです』
『私と話しを?』
『そうです。こちらにいるレイナ・グルップは、グルップ村という村の出身者です。十一年前、あなた方メルキア国が村を焼き、村人の多くが死んだと聞いています。彼女はそのことで、メルキア国、そしてあなたを大変に恨んでいます。私は彼女から話を聞いた上で、あなたにも話を聞きたいと思ったのです・・・』
『レイナ嬢・・・それは・・・』
発言しようとしたクレーマーをルドルフが止めた。ルドルフは鎮痛な表情で語る。
『十一年前の、あの事件は全て私の責任です。責められても、恨まれても、仕方のないことです・・・』
『殿・・・』
レイナはルドルフを睨みながら、手を握りしめた。ディアンはその様子を見ながら、話を続けた。
『なるほど、解りました・・・ メルキアーナ殿にお尋ねしたい。あなたは何故、戦をされるのですか?』
それは十一年前に、剣聖ドミニク・グルップがした問い掛けと同じであった・・・
「あなたは何故、戦をされるのですか?」
ディアンの問い掛けに対し、ルドルフは瞑目し、そして応えた。
『もう、二十五年も前の話になります。一人のドワーフが、我が家を訪ねてきました。北のケレース地方に住んでいたそうですが、人間の戦に巻き込まれ、住処を追われたそうです。南に行けば、闇夜の眷属たちがいる。そこに行って新しい住処を作りたいと言っていました。数日、我が家に滞在し、そして南へと去っていきました。たった一人で南に向かう彼の後姿を見ながら、私は思いました。何故、住み慣れた土地を追われなければならなかったのか?彼は何も悪くないのに・・・ 私は思いました。それは、戦があるからだ。戦が、彼を追いやってしまったのだと・・・ 戦を無くすにはどうしたら良いか、私は考えました。考え続け、誰かがこの地を統一し、平和を創ることなのだと思い至ったのです』
『戦無き世を創る為に、あえて戦をする・・・私にはそう聞こえていますが?』
『そうです。戦無き世を創るには、現状を変えていくしかない。話し合いでまとまるのならば、それに越したことはありません。だが現実は違う。人は皆、我が身を可愛く思うもの。小さな集落の権力者という立場を守る為に、戦をするのが人間です。現状を変えるためには、敢えて剣を手にしなければならない時もあるのです』
『それは「戦無き世を創る」という、あなたの個人的な欲求を他者に押し付けているのではありませんか?』
『否定はしません。私の夢が正しいなどと自己正当化するつもりもありません。だが、戦の無い世を創れば、多くの人が幸福になるのです』
『だが実際に、その実現の過程において、グルップ村での悲劇のようなことが起きている。彼女のような憎しみを持つ者が生まれています。あなたが戦を続ければ、これからもこうした憎しみは生まれてくるでしょう。多くの人を幸福にするために、多くの人を不幸にしているのではありませんか?』
『だがその不幸は、報われない不幸ではないっ!』
ルドルフは決然と声を上げた。
『確かに、戦を続ければ多くの血が流れ、それと同量の憎しみを生んでいくだろう。だが私は、その憎しみを全て背負う覚悟で、戦を続ける。戦い続け、地を統一していけば、やがて平和が訪れるのだっ!』
『将来の平和のためならば、多くの犠牲を出すことも辞さない、と仰るか?』
『そうだ。これからも多くの者から私は憎まれるだろう。煉獄に焼かれる覚悟は既にできている。だが誰かが、未来の平和を創る為に立たなければならない。恨みも、怒りも、憎しみも・・・その全てを背負い、それでもなお歩み続ける者がいなければ、この地には永遠に平和が来ない。私一代では実現できないかもしれない。だが私の志を継ぐ者たちが、私の歩みを繋ぎ続ける。そして、いつの日か必ずこの地に、「人が人を殺さずに済む時代」が来るっ!』
ディアンは瞑目した。ルドルフは言葉を続けた。
『ドミニク・グルップ殿の娘よ・・・あの事件は私にとっても痛恨であった。言い訳はしない。私を恨むのであれば、その剣で私を斬れ・・・』
『・・・くっ・・・』
レイナが立ち上がった。剣の柄に手を掛ける。だが剣は抜かない。クレーマーが護ろうとするのをルドルフが止めた。立ち上がり、レイナの前に進み出る。
『いま語った通り、私はこれからも戦を続ける。グルップ村の悲劇のようなことが、将来無いとは約束できない。だが私は、その犠牲を決して忘れない。あなたの恨みも、他の多くの恨みも背負い、私はこれからも戦い続ける。それが許せないのであれば、私を斬って構わん・・・』
剣に手を掛けたまま、レイナはルドルフを睨み続ける。柄に掛かった手は震え、瞳には涙を浮かべている。
私は混乱していた。十一年間、恨み続けた仇が目の前にいる。この男を斬る為に生きてきたのだ。今なら簡単に斬ることが出来る。それなのに、私は剣を抜くことが出来ない。何故だ?何故・・・
何故、私の心はこんなに震えているのだ・・・
震える私をディアンが止めてくれた。
『レイナ、座れ・・・お前の負けだ・・・』
まるで糸が切れたように、私は座った。隣に座っているディアンが、眼を閉じながら呟いた。口元には笑みが浮かんでいる。
『・・・運命を切り開く力・・・か・・・』
私にはそう聞こえた・・・
ルドルフが着座する。クレーマーは汗をぬぐった。ディアンが口を開いた。
『メルキアーナ殿、数々の無礼な質問に丁寧にお応え下さったこと、心より感謝を申し上げる。バーニエはメルキア国に降伏します。条件は、一昨日に御提示いただいた三つの条件で結構です。既に開城の用意も出来ておりますので、本日中には御入城頂くことが出来るでしょう。ただ、最後に三つばかりお願いがあります』
『なんでしょうか?』
プラダが問い掛けた。外交交渉は自分の役目だからだ。
『一つ、バーニエの役人、および民衆の生命と財産は、これを完全に保証すること。横にいるグラティナ・ワッケンバインも含めてです。これを今一度、確認させて頂きたい』
『もちろんです。必ず、とお約束を致します』
『二つ、私とレイナは、これから行商人と共に、貴国の首都インヴィディアに訪れるつもりです。普通の人間として訪れます。そこでお願いしたい。メルキア国の法を犯さない限り、私たちへの関与は一切しないこと、これをお約束願いたい』
『・・・行商人?あなたが、行商人と一緒にインヴィディアを訪ねてくると仰るのですか?』
『人に紛れて、各地を旅するのが好きなんですよ』
プラダの疑問に、ディアンが肩を竦めて応えた。何と変わった魔神なのだと思いながら、プラダが返答した。
『そ、そういうことであれば、了解しました。我が国の法を守って頂く限り、我が国はあなた方に、一切関与は致しません』
『有難うございます。では最後のお願いとして、メルキアーナ殿に・・・』
ディアンの気配が一変した。再び、魔神の貌が現れる。
≪オレにあれだけの啖呵を切ったのだ。信じる道を途中で諦めるようなことがあれば、その時はオレがメルキアを滅ぼす・・・忘れるなよ・・・≫
『承知ッ!』
ルドルフが胸を張って応えた。ディアンは再び人に戻ると、笑顔を見せた。
『では、三点のお願いも了解を頂きましたし、話し合いはこれにて終わりということで、宜しいでしょうか?』
ディアンが一座を見る。確認をした上で、頷いた。
『それでは、失礼を致します。レイナ、グラティナ、帰ろうか・・・』
六名が立ち上がる。一礼をし、ディアンたちは幕舎を出た。
ルドルフは丘を下りていく三名の後姿を見ていた。思わずため息が出る。クレーマーが気遣う。
『殿、お疲れではありませんか?』
『・・・恐ろしい交渉相手だった・・・』
『はい・・・まさか、魔神が出てくるとは思いませんでした・・・』
『あの男が本気になれば、我々は間違いなく全滅していた。助けられたのは、我々の方だったのかも知れん・・・』
ルドルフは、空を見上げて呟いた。
『グルップ殿、あなたの言葉は正しい。言葉こそ、最も強い力を持っているのだな・・・』
空は、何事も無く平和であった・・・