オーバーロード ~破滅の少女~   作:タッパ・タッパ

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2016/1/17 『骨も皮もない骸骨』→『肉も皮もない骸骨』に訂正しました。
2016/1/18 ユリの髪型が『シニヨン』となっていたのを『夜会巻き』に訂正しました
2016/3/24 魔法詠唱者のルビが「スペル・キャスター」だったのを「マジック・キャスター」に訂正しました
2016/10/7 会話文の最後に「。」がついていたところがあったので削除しました
 文末に「。」がついていなかったところがありましたので、つけておきました
2016/11/18 「来た」→「着た」、「うがった見方」→「勘ぐった見方」、「言った」→「いった」、「魔方陣」→「魔法陣」、「~来い」→「~こい」、「~行く」→「~いく」 訂正しました


第15話 エ・ランテル それぞれの戦い

 ガチャリ

 

 音を立てて、部屋の中に武器防具を装備した一団が入ってくる。

 全員、すでに疲れ果てた様相だ。

 かなりの広さのある大部屋では、すでに何人もの武装した人間がくたびれた様子で思い思いに体を休めていた。

 

 

 エ・ランテルが晴れることのない霧に包まれてから数日が経った。

 突如、街中に出現したアンデッドの大群に対応は後手後手に回った。

 どうやら、この霧は西側にある墓地から流れてくるらしいが、そこに近づこうにも、大量のアンデッドの群れに阻まれて辿り着けない。

 アンデッド達のいる場所を封鎖しようにも、この霧が立ち込めているところからなら場所を問わず、そこかしこでアンデッドが湧いて出てきており、それがあまりにも広範囲におよぶため、封じ込めによる被害の拡大防止が叶わなかった。

 

 エ・ランテルは三重の城壁に守られた難攻不落の城塞都市である。だが、あくまでその防御は外からの敵に対してである。内側から無限に出現するアンデッドの大群の前に、その城壁は意味をなさなかった。

 

 

 街の人々はこの状況から我が身を守るために右往左往した。

 そして、その行動は大きく分けて4つに別れた。

 1つ目は、自分たちの居住区にバリケードを作ってアンデッドの侵入を防ぐ事。この霧は西側から発生しているため、東側ではあまり霧もかかっていない。アンデッドも霧が立ち込めていない場所には、別の場所から歩いてくることはあっても、突如湧いて出ることはあまりないようなので、東側の地区ではすべての道をバリケードで封鎖し、侵入する者たち、アンデッドも人もすべてを防いでいる。

 2つ目は、街の外に出る事。街から出る際にもアンデッドに襲われる危険はあるが、アンデッドたちが徘徊する街の中にいるよりは、はるかにマシだった。そのまま、別の街に行ける者達はいいが、そうできない者たちもたくさんいる。街の城壁の外には逃げ出した民衆が大量にあふれ、臨時に作られた大きなテントで寝泊まりしている。当然ながら環境は悪く、食料も満足にない。治安も悪くなる一方だという。

 3つ目は、自分の家に立てこもる事。しっかりと扉にカギをかけ、出入り口をふさぎ、自分たちの力だけで家を守り、この異変が終わるのを待つ。一体どれだけの人間がこの選択をし、そしてどれだけの人間が生き残っているかは、今は誰にも把握できない。

 4つ目は、防衛に適した大きな建物に大勢で避難し、即席の防壁を築き、力を合わせて立てこもる事。東地区に逃げ込めず、街の外へ逃げるタイミングも逸した者たちがそうして身を寄せ合っている。このような避難所は現在、エ・ランテル内にいくつもあった。

 

 そして、ここはその一つ。多くの一般市民が逃げ込んでいる建物を取り囲むように、周辺の建物をバリケードで繋げ防御施設とした避難所だ。守るのは街の衛兵だけではなく、冒険者および戦いに長けた者たちが拠点の守備に加わっている。

 

 

「おい! 『3つ』と『4つ』! お前ら、さっさと守備に行ってこい!」

 

 その怒鳴り声に、『4つ』などという呼び名で呼ばれたワーカーの金髪碧眼の男が声をあげる。

 

「おい、俺たちはちょっと前まで守備についてたところだぜ。それと俺たちは『フォーサイト』って名があるんだ」

「はん。だからどうした? 普段、人に迷惑かけてんだから、こういう時くらい役に立てよ。分かったらさっさと行きやがれ」

 

 その男、ミスリル級冒険者『クラルグラ』のリーダー、イグヴァルジは侮蔑の混じった言葉を投げかける。

 

 床に直接座って休んでいた『フォーサイト』のメンバーであるイミーナが、怒りの声を発した。

 

「ちょっと、アンタ。ミスリル級冒険者かなんか知らないけど、なに偉そうに命令してんのよ」

「はん。冒険者になりたくてもなれなかった落ちこぼれだろ。金の為なら何でもするゴミ虫の分際で、人間の言葉を口にするなよ。混ざりもの」

 

 人間と森妖精(エルフ)のハーフであるイミーナを揶揄された瞬間、ヘッケランは立ち上がった。

 

「おい、てめぇ……。今、なんて言った?」

 

 ビキビキと眉間に青筋を立てて睨みつける。

 だが、イグヴァルジもまた幾多の死線を乗り越えてきたミスリル級冒険者。

 

「あん? 言った通りだ、コラ!」

 

 一触即発の空気に場が凍り付く。

 

 

 

 その空気を破ったのは第三者の怒声だった。

 

「あんたら! こんな時に何やってるんだい!」

 

 高齢の老婆がガチャガチャと音を立たせて荷物を運んでくる。

 彼女はリイジー・バレアレ。この街の薬師だ。

 

「この非常事態に随分と余裕があるんだね? 喧嘩するくらい、まだまだ体力に自信があるのかい? それなら、両方とも守備に行って、その無駄な体力を使ってきてくれないかね?」

 

 そう言って、二人をねめつける。

 その視線に、イグヴァルジもヘッケランも目をそらした。

 

 彼ら、衛兵や冒険者たち、戦いに身を置く者たちが彼女に逆らえないのには理由がある。

 彼女自身、第3位階という常人が到達できる最高位の魔法まで使いこなすことが出来、その戦闘力は下手な冒険者などよりはるかに高い。だが、それよりなにより、彼女リイジー・バレアレは、このエ・ランテルにおいて最高の薬師であるためだ。

 人がケガや病気にかかった時は、神官に魔法を使ってもらうか、薬師の作ったポーションで治すかである。特に冒険者を始めとした戦いの場におもむく者にとって、神官が常にそばにいればいいが、当然のことながら、そんな状況にはならないことも多い。回復魔法が使える神官はどこでも貴重であり、また、魔法も無限に使えるわけではない。そこで冒険者にとって、個人で持ち運べていつでも使えるポーションはまさに生命線となる。当然、自分の命がかかるポーションは可能な限り効果の高いものを求める。この街で最も効果の高いポーションを作れるリイジーにケンカを売ることは、そのポーションが手に入らなくなってしまうという事だ。

 

「そら、アンタたちはこんな年寄りが荷物を運んできているのに、ただぼーっと見てるのかい?」

 

 その言葉に、座って休んでいた者達は慌てて立ち上がり、リイジーの持ってきた荷物、箱に入ったポーションを代わりに持って運ぶ。

 今も、戦闘が続く中、ありあわせの材料で可能な限りポーションを作ってくれているのだ。逆らえるはずもなく、またその理由もない。

 

 

 イグヴァルジは唾を吐き捨て、体を休めるために部屋の片隅に行く。クラルグラのメンバーもそれに続く。その際、先頭を行くイグヴァルジに見えないように、軽く手をあげ、すまなさそうに頭を下げていったが。

 

 ヘッケランとイミーナも仲間の下へ戻り、再び腰を下ろす。周囲にいた冒険者たちが気にしないようにと声をかけて(なだ)める。

 

 この避難所において、戦力となるものは貴重だ。

 建物の奥にはかなりの人間がいるが、その中で戦闘が出来る人間となるとまずいない。引退した元衛兵なども駆り出されている。

 まともに戦力になるのは街の衛兵と冒険者。だが、それだけではあまりにも足りないため、フォーサイトらのようなワーカーにまで声がかかり、こうして防衛の任についている。

 普段は冒険者とワーカーというあまり仲の良くない間柄だが、今はお互い肩を並べて戦う仲間だ。その中で諍いなど起こしてほしくないというのが、普通の者達の考えだった。

 

 

 

 それにしても、ついてないことばっかりだ。

 

 ヘッケランは肩を落とす。

 もともとフォーサイトは王国ではなく帝国、それも帝都周辺をホームグラウンドとして活動していた。たまたま、ちょっとカッツェ平野にアンデッドを狩りに行ったら思ったより稼げたので、掘り出し物のアイテムでもないかとそのまま少し足を延ばしてエ・ランテルにやって来たのだ。

 そうして、しばらく滞在していると、この街を拠点にしていないワーカーを探しているという人物が接触してきたので、その依頼を受けに行った。だが、連絡のあった場所に行ったが依頼人はおらず、その後ずっと待ち続けるも結局すっぽかされてしまった。

 ちょっと遅刻しただけだというのに。

 あの時、行くのが遅れたのはイミーナがかわいい声を出していたからであって、それに抵抗できなかったのはしょうがない。後でそのことを言ったら、膝蹴りを食らった。

 そして、もうこの街を出ようと話していたところ、どこからともなく霧が出てきて、この始末。

 

 一応、終わった後の報酬は約束されたが、そもそも生き残れなければ報酬が払われることはない。

 幸い、この避難所の中にはクラルグラのような……というかあそこのリーダーのイグヴァルジとかいう馬鹿のような奴はほとんどいず、他の冒険者や衛兵たちも気を使ってくれている。ここしばらくの戦闘で、自分たちの実力が冒険者で言えばミスリル級に達すると示したためだ。エ・ランテルではミスリル級が最高で、その数も少ない。自分たちが頼りにされるのも当然だろう。それに普通程度には周囲とのコミュニケーションも取っている。

 

 あっちの『スリーアーム』と比べれば。

 

 部屋の隅にいる、先ほどイグヴァルジに『3つ』と言われたワーカーチーム『スリーアーム』の連中を視界の端に収める。

 とにかく、胡散臭く奇妙な連中だ。ワーカーという事だが、その格好は街の外を旅する格好ではない。一人は全身鎧(フルプレート)を着た戦士で、こいつはまあいい。だが、他の二人は貴族のように高価そうな衣服に身を包んだ男とトーガのような大きな布をその身に巻き付けた女だ。何故か3人とも、その防具や衣服に比べて、振るう剣はそこらで手に入れたような並みの代物だったが。

 聞けば、町の外で冒険するのではなく街中での活動がメインだとは言っていたが、町中で人さらいなり、暗殺なりを専門にしているのだろうか? 

 まあ、素性なんてどうでもいい。あいつらが戦っているのを見たが、その実力は間違いなく大したものだ。

 

 だが……。

 

 こうして見ている今も、衛兵がスリーアームらにちょっと話しかけたが、それには全く応えず手を振るようにして追い払う。

 

 あいつらもこの街の人間じゃないらしいが、とにかく人づきあいが嫌らしい。他の冒険者らと協調姿勢をとりたがらない。

 先程、イグヴァルジに難癖つけられた時もあいつらは、全身鎧(フルプレート)の男の表情は分からなかったが、冷笑を顔に浮かべ、逆に見下すような態度をとっていた。

 実際、あの連中の態度に腹を据えかね、またイグヴァルジが怒っていちゃもんをつけ、それをあの連中が嘲笑うという悪循環が続いていた。

 そのせいで避難所の雰囲気がどんどん悪くなっている。

 

 そうして、まるで破裂寸前の風船に囲まれでもしているような空気の中、エ・ランテルの冒険者組合組合長のプルトン・アインザックが苦虫を噛み潰したような顔で現れた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 イグヴァルジは舌打ちをした。

 

 まったく腹の立つことだ。

 こんな時に、貴族の護衛だと。

 

 ちらりと後ろを見やる。

 そこには戦士の一団。皆、衛兵たちとは異なり、武装がしっかりしている。その中央にはより一層武器防具共に高価なものを身に着けている、なんというかいわゆる気品とでもいうようなものを漂わせた男。

 戦士のような恰好をしているが、その身のこなしから見るに大した戦力にはなるまい。装備はいいが、せいぜい街の衛兵と同程度。おそらく貴族としての鍛錬は積んでいるが、実際に生き延びるために地を這って戦った事などないだろう。本人はそれなりの自信があるようだが、イグヴァルジからすれば笑ってしまうようなものだ。

 

 たしか、クロード……なんとかクルベルクとか言っていた。いちいち憶えていないが、その辺は仲間が憶えていてくれるだろうからいいだろう。

 

 こんな時にこんな奴を街の外に逃がさなくてはならないとは。

 

 先ほど、組合長から言われた事を思い出す。

 この避難所に逃げ遅れた貴族とその護衛達がいる。そいつらを街の外まで護衛しろ、と。

 

 こんな状況下で何を言ってるんだと食って掛かったが、どうやら、その貴族はただの人物ではなく、王国でも権力的に上位にあたる人物と関わりがある者らしい。そいつがこのエ・ランテルで死ぬと、あれやこれやと政争の種になるそうだ。

 

 「お前たち、クラルグラを信用して頼む」と言われたが、何故自分たちが選ばれたのかはよく分かる。

 それは一緒に護衛に指名されたのが、避難所の空気を乱す原因のもう一つでもある、あのワーカーチーム、『スリーアーム』の連中だからだ。

 

 本当にこいつらはむかつく連中だった。

 チームワークが必要な非常事態だというのに、まったく他の者と協力をしようとしない。

 確かに強さはあるのだろう。だが、個々に出来ることには限りがある。こういう時は全員で協力すべきだ。そしてミスリル級冒険者である自分たちの事をまとめ役と認め、言う事に従うべきだろう。

 それなのにあいつらは、この俺に従いもせず、敬意すら示さない。それどころか、嘲笑や侮蔑まで向けてきやがる。

 それによその街の人間らしく、この街がどうなろうと知ったことじゃないという態度だ。あいつらがこの任務を聞かされたとき、リーダーらしい優男が言ったのは「やれやれ、ようやくこの街からおさらば出来るぜ」というセリフだった。

 

 イライラしていると、仲間から肩をたたかれた。声を出さずに、大丈夫だと手をあげて応える。

 軽く深呼吸して、心を落ち着かせる。

 苛立ってくると周りが見えなくなるのが、俺の悪い癖だ。何度も注意され、自分でも拙いことは分かっていたため治そうとしたが、なかなか上手くはいかない。

 

 とにかくここ最近は苛ついていた。

 原因は分かっている。

 それは数日前の出来事。

 冒険者組合に現れた銅のプレートを下げた二人組の件だ。

 

 あいつらは、まだ一度も依頼をこなしてもいない新人のくせに、他のミスリル級の連中が受けなかったとはいえ、ミスリル級の依頼を受けようとした挙句、冒険者組合によって決められたランク制すら否定したのだ。内心、イグヴァルジ自身もこのプレートによるランク制は馬鹿らしいとは思っているが、それでも自分は規則に従い一つ一つ昇格試験をこなして上がってきたのだ。それをぽっと出の人間が馬鹿にしたのだ。

 

 イグヴァルジからすれば、今までの自分のしてきた苦労に唾を吐きかけられた思いだった。

 

 その男は見ただけで逸品である事が分かる鎧をその身に纏っていたが、背中にはどう使うんだというような、普通は両手持ちで使うグレートソードを二本も担いでいた。そして連れの女も、目を見張るような美女。

 おそらく、どこかのボンボンが金に飽かせ、吟遊詩人の歌うサーガを夢見て冒険者ごっこでもしようと思ったのだろう。

 

 そう考え、身の程を教えてやろうと思ったのだが――

 

 ――逆に自分の方があっけなく気絶させられてしまった。

 

 

 イグヴァルジは怒り狂ったが、もはやその二人組は、イグヴァルジが気絶している間に依頼を受けて街を出ていってしまった。しかも何故か、まだ若いが高名な薬師ンフィーレア・バレアレの指名依頼を受けてだ。

 数日は街に戻らないらしい。

 つまり、イグヴァルジの雪辱を晴らす機会も数日は訪れないという事だ。

 

 ミスリル級冒険者が銅級、それも昨日冒険者組合に登録したての新人冒険者に気絶させられたという噂は瞬く間に広がった。

 イグヴァルジ自身、自分の力を誇示し横柄に振る舞うことが多く、表立っては言わないが嫌う人間が多かったことと、その銅級冒険者が目立つ外見をしていた事も影響した。

 

 自分に向けられる侮蔑の視線に怒り、気づかう者達の言葉に怒り、そうではない者達の一挙手一投足にまで勘ぐった見方をして怒った。

 

 そうしているうちに霧の異変が起き、苛つきは収まらないまま、避難所での防衛にあたり……こうして、遠ざけられる有様だ。

 

「ところで君たち。まだかかるのかな? 結構歩いた気がするが」

 例のお貴族様が声をかけてきた。

「ええ。あの避難所からだと北西の門が近いんですが、そっちのルートだとアンデッドがたくさんいる墓地の近くを通らなきゃいけないんで、一度南東に向かって富裕層の居住区を三つ目の城壁に沿って抜け、そこから南を目指します」

 気分はささくれ立っているが、貴族に失礼な態度をとっては拙いと考えるだけの分別はある。

「ふむ。そちらは大丈夫なのか?」

「富裕層の人たちは割と早く街を脱出しましたから、あの辺りには人があまりいないんですよ。人がいないってことは、それを襲うアンデッド達もあまりいないってことです」

 

 たぶんな。

 

 胸の中で付け足す。

 今、言ったのはただの憶測に過ぎない。異変が起きてから、避難所を出歩くなんてできなかったのだから。

 避難所の外の状況は魔法詠唱者(マジック・キャスター)が〈伝言(メッセージ)〉で交信して得られたあやふやなものしか分からない。だが、いちいち全部喋って、不安になったこの貴族にあれこれ質問攻めにされるよりはましだろう。

 

 とにかく一刻も早くこの貴族を外に送り出して、自分達はあそこに戻ろう。このままだと、あそこにいた者達から、肝心な時に貴族の護衛のついでに逃げ出していたと噂される可能性がある。先の組合での一件に加えて、そんな悪評が流れでもしたら、十三英雄のような詩人に歌われる英雄となるという自分の夢も露と消える。

 

 (はや)る心を再び深呼吸で落ち着かせ、先を急ぐ。

 

 

 だが、そうして歩いていると――

 

 ――地獄の奥底から聞こえるような咆哮が響いた。

 

 

 その声に皆、足を止める。

 不安そうに顔を見合わせていると、音が聞こえた。 

 何者かが足音を立てて、こちらに向かってくる。

 それもかなりの速さで。

 

「な、なんだ!?」

 

 誰があげたのかは分からないが、悲鳴のような声が聞こえた。

 民家の壁を破壊しながら路地から飛び出てきたのは、見たこともない、まるで悪夢から出てきたような、死の騎士とでも呼ぶような存在だった。

 

 突然現れた強大なアンデッドに皆が凍り付く中、周囲からはガシャンガシャンと大勢が速足で駆ける音が近づいてきた。

 無数のスケルトンたちがイグヴァルジ達を囲むように霧の向こうから姿を見せる。

 

「ひ、ひぃ……」

 

 かすれるような声を口から出し、クロードらは剣を構えた。だが、その剣先はぶるぶると震えている。

 

 この場で、かろうじてだが、戦えそうなのはクラルグラ、それとスリーアームの連中だけか。

 イグヴァルジはそう判断し、ごくりとつばを飲み込む。

 

 誰もが動こうとしない。

 そんな中、「リュースぅ。あなたの今日の役目は死体を手に入れる事なんだからぁ、くれぐれも従者の動死体(スクワイア・ゾンビ)にしないように気を付けてねぇ」と、姿は見えないがどこからか女の声が聞こえた。その声に応えるように、死の騎士が一鳴きする。

 

 それと同時に囲んでいたスケルトンたちが動き始めた。

 

 何とか突破口を開けないかと考えた瞬間――。

 

「今だ! 行くぞ!」

 

 そう叫ぶとスリーアームの三人は、囲みが薄そうなところに突っ込み、包囲からの脱出を試みた。

 

 貴族らを挟んで後ろにいたスリーアームがいなくなると、当然、貴族たちはスケルトンたちと向かい合う事になる。

 情けない悲鳴を上げる貴族たち。もはや足さえも震え、立っているのがやっとという状態だ。

 

「くっ、あの連中。このタイミングで裏切りやがって!」

 イグヴァルジが毒づく。だが、それはクラルグラ全員の思いだ。

 周囲はスケルトンに囲まれ、目の前には見たこともない強大なアンデッド。さらに自分たちにはお荷物までついている。一応戦力になりそうな連中は我が身可愛さに自分たちだけ逃げだそうとしている。

 どう考えても絶望的な状況だ。

 だが、この程度で諦めるわけにはいかない。

 自分は絶対に生きて帰る。それこそ誰かを犠牲にしても。

 

 イグヴァルジは気合を入れるために声を発した。

 

「おう、アンデッドども! 俺はクラルグラのイグヴァルジだ! お前らを倒す男の名前だ、冥土の土産に憶えときな!」

 

 虚勢交じりのイグヴァルジの啖呵。

 

 それに対し――

 

 

 ――その場にいたアンデッド全てが一斉に顔を向けた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 エ・ランテルの一角。

 最奥の3つ目の城壁に近い居住区。この辺りは主にエ・ランテルでも富裕層が居を構えている。

 かつては家の持ち主およびその家族や使用人達が生活し、穏やかな時間が流れていたであろう一帯は、街が霧に包まれ、アンデッドが徘徊するようになってからは無人の地となっていた。住人たちは他の街へと避難し、逃げ出そうとせず自分の家に護衛と共に立てこもった者たちは、すでにアンデッドたちの仲間入りをしていた。

  

 そんな生ける者のいない地で、動く者たちがいた。

 

 多数のスケルトンが一軒の大きな家の中で動いている。外から窓越しに見る限りでは何をやっているのかは分からない。ただ、何かを探しては、手に持ってどこかに歩いていくのは分かる。

 しばらく見ているうちに、やがて、段々と家の中のスケルトンの数が減ってきた。

 家の外に出ていっているのではない。家の門からも、通用口からも、そして窓からも出ていくものは何一つない。それなのに、家の中を動き回るスケルトンの姿は減り続け、やがて一体も見えなくなった。

 

 そうして、静まり返り誰もいなくなった家の扉を開け、一人の女性が歩み出てきた。

 髪を夜会巻きにまとめ、レンズの入っていない眼鏡をかけたメイド。

 

 そのメイドはまっすぐ門の方へと歩き――

 

「失礼ですが、出てきていただけますか?」

 

 と、声をかけた。

 

 

 その声に門の陰に隠れて観察していた三人の人間、スリーアームの面々が姿を現した。

 皆、一様に身体を固くしている。

 

「やあ、お嬢さん。ごきげんよう」

 

 伊達男が声をかけた。

 

「はい。皆様方におかれましても、ご健勝のご様子なによりでございます」

 

 慇懃無礼といったメイドの答えに、伊達男が顔を引きつらせる。

 

「ええっと……こんなところで何をしていたんだい? そうだ。このお屋敷の主に仕えていたメイドだったけど、逃げ遅れていたとか?」

「いえ、違います。主の命によりこの屋敷に伺っておりました」

「ははあ。この異変の前にこの家を訪れたけど、逃げだしたこの家の人間たちに取り残されて、家から出られずにいたって事かな?」

「いえ、違います。私がこの家に派遣されたのはこの霧が発生した後の事です。今から1時間ほど前でしょうか。」

「そ、そうなんだ。……じゃあ、これから帰るのかな?」

「はい。ですが、もう一仕事残っております」

「そうか。じゃあ、邪魔をしちゃ悪いな。それじゃ、俺たちはこれで」

 

 そう言って立ち去ろうとするが、その背に「お待ちください」と声をかけられた。

 

 嫌々ながらという雰囲気を隠しもせずに振り返る。

 

「何かな?」

「はい。たいへん申し訳ありませんが、私への命令には目撃者の始末も含まれておりますので、皆様方にお帰りになられては少々困ります」

 

 言葉を失う男に代わって、トーガを身に纏った女が口を開く。

 

「あのさぁ。お互い会わなかったことにしない? あなたは……何やってたか知らないけど、その家の中でやってた事をきっちり出来る。あたしらはこのまま見なかったことにして街を去る。その方がお互いにとっていいじゃない」

「大変申し訳ありませんが、主の命ですので」

「そこまで仕事熱心にやる事もないと思うけど……」

「とんでもない! 頂いた任務をこなし、主のお役に立つことこそ、この身に受けうる最上の喜びです」

 

 はっきりと強く断言する。その言葉に女も絶句した。

 

「血路を開かねばならん、という事か」

 

 全身鎧(フルプレート)の男が声を発した。普段話さない分、その言葉には重みがあった。

 三人は瞬時に散開し、フォーメーションを組む。そして互いに距離を保ちながら、メイドを取り囲む様にじりじりと間合いを詰めた。

 対するメイドは直立した姿勢を保ったまま、微動だにしない。

 

 

 

「気を付けろ! こいつはボス並みに強いぞ」

「ああ、本気でいくさ」

 

 そう言うと伊達男は腰の剣を投げ捨てた。

 そして、彼本来の主武器であるレイピア。『薔薇の棘(ローズ・ソーン)』を引き抜いた。

 

「挨拶しておこう。俺の名は『千殺』マルムヴィスト」

 

 女は身に纏っていたトーガを脱ぎ捨てる。その下には薄絹を身に纏ったなまめかしい肢体。そして、なぜそんなにあるのか、三日月刀(シミター)を入れた鞘が5本もぶら下げられている。

 

「私は『踊る、三日月刀(シミター)』エドストレーム。そっちの全身鎧(フルプレート)は『空間斬』ペシュリアン」

 

 言われたペシュリアンは腰に下げた剣を一つ鞘ごと捨て、残ったもう一つの剣の柄に手をかける。

 

「お嬢さん。アンタも相当な使い手みたいだ。王国の人間なら八本指の事は知ってるよな? 俺たちはその中でも最強と言われている六腕のうち3人だ。当然、俺たちに何かあれば、アンタとアンタのご主人様にも手が回るぜ。さあ、今のうちに降参してくれるんなら、加減してやってもいいけどな」

 

 自らの正体並びに後ろ盾(バック)を明かすことで、少しでも相手にプレッシャーを与え、動揺させようという思惑だったが、意に反しメイドは何ら動じる気配すら見せなかった。

 

 そして、自らの両手の籠手を胸の前で打ちつける。

 

「私、名前をユリと申します。僭越ながら、主命により目撃者である皆様方を殲滅させていただきます。それでは参ります」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 エ・ランテル西部にある墓地。

 ここでは、今まさに邪悪な儀式が完成しようとしていた。

 

「ふはははは! 素晴らしい。素晴らしいぞ! 負のエネルギーが集まってくるわ」

 

 霊廟前に作られた魔法陣。今そこで、カジット並びにその部下たちが儀式を行っていた。

 

 これこそ『死の螺旋』。

 アンデッドが集まっている所ではさらなるアンデッドが生みだされるという性質を利用し、大量のアンデッドを集めることで、より強力なアンデッドを召喚し、より強力なアンデッドを集めることでさらに強力なアンデッドを召喚し……といったように際限なく強大なアンデッドを生み出し続けていく邪法である。だが、ズーラーノーンにはこの邪法の裏の意味も伝わっている。それは大量のアンデッドを生み続けることで集まった負のエネルギーを己に封じ込めることで、自らをアンデッドに生まれ変わらせるというものである。

 

 今、エ・ランテルはアンデッドを発生させる霧に覆われ、もはや数えることすらできないほどのアンデッドが跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)し、それによって失われた命は数知れず。それらによって生み出された負のエネルギーは膨大なものとなっていた。

 

 カジットが魔法陣の中心に立ち、呪文を唱える。

 部下たちも魔法陣の各位置につき、一心不乱に呪文を唱えていた。

 

 その様子をクレマンティーヌは冷めた瞳で眺めていた。

 そうまでして、アンデッドになってなにか意味があるのか? というのがクレマンティーヌの率直な感想だ。

 カジットは子供の時に死んだ母親を生き返らせたいらしい。だが、いい年をしたカジットがなぜそこまで母親を思うのかが理解できない。クレマンティーヌの心にある家族は憎しみの対象だ。目の前にいたら、その手のスティレットを突き刺してやりたくなりはすれ、けっして愛情とかは感じないだろう。もしかしたら、自分の精神がおかしくなっているためにそういった事を感じないだけで、普通の人間は何年たっても母親を求めるものなのかもしれない。

 まあ、どうでもいいか。

 

 見ているうちに負のエネルギーとやらが、目視出来るほど濃くなってきた。黒い煙のようなものが周辺に渦を巻いている。

 

 一際、カジットの声が大きくなった。

 絶叫のように声をあげ、手にしていた黒いオーブを高く掲げる。

 

 

 その瞬間。

 黒い光。そうとしか言えないような不可思議なものが魔法陣の中を駆け巡った。

 

 

 先ほどまで吹き荒れていた風がピタリとやみ、黒い煙もどこかへ消え去った。

 

 そして、魔法陣の中に立っていたのは――

 

 

「やった! やったぞ! ついに儂はアンデッドに。骸骨魔法師(スケルトン・メイジ)になった!」

 

 そこにいたのは、肉も皮もない骸骨。

 それが先程までカジットが着ていた衣服を身に着け、杖や黒いオーブをその手に持っていた。

 

 死の螺旋の完成である。

 

「おめでとうございます、カジット様」

 

 部下達が駆け寄り、口々に祝いの言葉をかける。

 

それに対して、カジットは――

 

「ああ。ありがとう、お前たち。そうだ。お前たちにも褒美をやろう」

 

 そう言うと黒いオーブを掲げ、魔法を使った。

 

 オーブから飛び出した光が部下の身体へと突き刺さる。苦痛のうめきをあげて、部下が瞬く間にミイラとなった。

 

「カ、カジット様! いったい何を?」

 

 カジットは満足げにうなづき、慌てる部下たちに向き直った。

 

「言った通りだ。褒美だよ。お前たち人間に、アンデッドであるこの儂に生命を捧げさせてやろうというのだ」

 

 笑い声をあげながら、次々と魔法を使う。悲鳴を上げて逃げ惑う部下達。魔法で反撃しようとする者もいたが、カジットの防御魔法にすべて防がれる。

 

 そして、一分も経たないうちに、全ての部下たちがその場に倒れ伏していた。

 

 カジットは空っぽの眼窩を向ける。

 その先にはクレマンティーヌ。

 

「んー? どうしたのかな、カジッちゃん」

「ははは。言わなければ分からんか、クレマンティーヌ? お前にも儂の役に立つ栄誉を与えてやろうという事だ」

「そりゃあ、ごめんこうむるね」

「ふはははは。ひ弱で愚かな人間の意思などどうでもいいわ。目の前に見えている真理にすら気づかぬ愚か者に罰を与えてやろう」

 

「……あのさぁ、カジッちゃん」

 

 クレマンティーヌの声が低くなる。

 

「念願のアンデッドになって調子に乗ってんのかもしれないけど、なりたてアンデッドがあたしに(かな)うとでも思ってんの?」

 

 突然、叩きつける殺気。

 常人ならばそれだけで腰を抜かし悲鳴を上げる程だったが、カジットはそれにも全く動じることはない。

 

「愚かよな、クレマンティーヌ。儂の切り札にも気がつかんか」

 

 その時、音を立ててはるか上空から巨大なものが飛来した。

 地響きを立てて、カジットの両脇に着地する。

 

 スケリトルドラゴン。

 骨で作られた竜の形状をした巨大なアンデッドである。その最大の特徴は魔法への完全防御であり、魔法詠唱者ではないクレマンティーヌにはあまり意味をなさないが、元が骨だけのアンデッドであるため、クレマンティーヌが本来得意とする刺突攻撃が効きにくいという特性がある。そして、その巨体はなかなかの肉体能力を有している。

 それが2体。

 さらにカジットが黒のオーブを掲げると、先ほどカジットが生命を吸い尽くした弟子たちがむくりと起き上がる。生命のない瞳でクレマンティーヌを見つめ、カジットを守るように前へと並んだ。

 

 アンデッドの軍勢に守られ、カジットは宣告した。

 

「さて、人間よ。儂がこの身に生まれ変わった今日という日を祝し、我が糧となるがいい」

 




カジッちゃん。
念願のアンデッドになれたものの、アンデッドになったことによる精神の変化のために、人間を下等な存在としか見れなくなり、クレマンさんと喧嘩になってしまいました。

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