2016/3/31 「プルトン・アインザックエ・ランテルの~」→「プルトン・アインザック。エ・ランテルの~」 訂正しました
2016/5/21 「返ってくるくらいなら」→「帰ってくるくらいなら」 訂正しました
2016/10/7 「漆黒の件」→「漆黒の剣」 訂正しました
「―」が誤ってついているところがありましたので削除しました
会話文の最後に「。」がついていたところがあったので削除しました
文末に「。」がついていなかったところがありましたので、つけておきました
2016/11/27 「~来た」→「~きた」、「そう意味」→「そういう意味」、→「例え」→「たとえ」、「言う」→「いう」、「呼んだ」→「読んだ」、「機転を効かせ」→「機転を利かせ」、「沸いて」→「湧いて」 訂正しました
「畜生! アンデッドども、とっととくたばりやがれ!」
ヘッケランが叫ぶ。
振るったメイスが壁を登ろうとしていたスケルトンの首を打ち砕いた。
身を乗り出したヘッケランの身体を掴もうと、周りのスケルトンたちが手を伸ばす。
イミーナの放った矢とアルシェの放った魔法の矢がその頭を貫いた。
ロバーデイクがヘッケランの身体を引き戻し、飛びかかってきたアンデッドたちをモーニングスターで叩き落とす。
フォーサイトは避難所の周りに作られた、民家を利用した防壁の上で、壁をよじ登り中へ侵入しようとするアンデッドの群れと戦っていた。
基本的にアンデッドの群れはただ単調に襲ってくるだけなので、ミスリル級冒険者と同程度の実力を持つフォーサイトにとって撃退は困難な事ではない。
だが、それが圧倒的な数の暴力による、来る日も来る日も繰り返される連戦、波状攻撃となると話が変わってくる。
すでに武器を振るう腕は重くなり、放つ矢も尽きかけている。唱える魔法も、一度に多数を殲滅することのできる魔力消費の激しいものではなく、一体一体わずかずつでも確実に数を減らせ魔力消費が少なく済むものを使用している。
ヘッケランの腹が鳴った。
すでに食料も節約しなければならないほど、備蓄が少なくなってきてしまっている。
一応、ここに立てこもる際に周辺から食料をあるだけかき集めたが、あくまで可能な限りという程度でしかなかった。
しかも、避難している人間はかなりの数に上る。当然、消費は多くなる。
守備に回っている人間には優先的に配られてはいたが、それも減らされてきた。魔術師組合の人間も多数いるので、中には食料を出す魔法を使える者もいるのだが、そちらに回す魔力があるなら防壁の防衛を優先させなくてはならない。
あと何日持つか……?
それまでに救助は間に合うか……?
絶望的な思考に飲まれながらも戦い続けていた、その時――
音が聞こえた。
もうここ数日ですっかり耳にこびりついたスケルトン達の立てる乾いた音の合間に聞こえる、何か雷のような激しい音。暴風雨の夜に家の壁や屋根が立てるような、いつ果てるとも知れない切れ目のない音。
それが少しずつ大きくなってくる。
音の正体が、こちらに近づいてくる。
ヘッケランは壁の上で目を凝らした。
厚い霧に覆われた通りの向こうから、何かがこちらに向かってくる。
通りを埋め尽くすアンデッドの群れを吹き飛ばしながら、この避難所めがけて近づいてくる。
それは、漆黒の
その後ろには見たこともないような強大な魔獣。遠目でもわかる美しい赤毛の女神官。そして、こちらはただ走ってその背を追いかけているだけだが数人の冒険者達。
その一団は瞬く間に防壁の手前までたどり着いた。
そこで漆黒の戦士は両手の剣を大きく振るい、巨大な魔獣がその爪と尻尾で薙ぎ払い、周囲の敵を一掃する。続いて追いついてきた者達に「ルプー、アンデッド退散を!」と命ずると、女神官がウォーハンマーを両手で握り祈りをささげた。
そしてウォーハンマーを突き上げ、発動させた瞬間――
――その場にいたすべてのアンデッドが消滅した。
その光景に言葉もなかった。
その力は圧倒的だった。
一体一体は弱いと言える程度の相手であっても、あれだけの数を瞬く間に殲滅したのだ。
戦いの中に身を置き、程度の差はあれども強さを追い求める者たちにとって、その姿は憧れそのもの。
防壁の上にいた者たちは誰もが言葉もなくして、ただ茫然とその姿を眺めていた。
やがて、漆黒の戦士はこちらを見上げると、膝を曲げた。
――そして飛び上がった。
金属製の
そして壁の内側へ、体重を感じさせない動きで着地する。
全員の眼がそちらへ釘付けになる中、外からは「え、ええーっ!」「いや、ちょっと待……」「ルプーちゃん、抱きしめてくれるのは嬉しいけど、それは……」「ぬわーっ!」「きゃーっ!」という声と共に先ほど少し遅れて走ってきていた冒険者たちが、同様に空を飛んできた。こちらは自分で飛んだというより、何かで放り投げられたという感だが。
その者達を、漆黒の戦士は地面に落ちる前に首根っこを掴んで体を回転させ、怪我の無いよう地面におろしていった。
次に「ちょ、ちょっと待ってほしいでござるよ。それがしはー……」という声と共に強大な魔獣も空を飛んできた。そちらは漆黒の戦士も受け止めはせず、地面にべちゃりと落ちた。
続いて、赤毛の女神官も漆黒の戦士と同様ジャンプしてきた。
突然、現れた一団に皆、声もない。
現れたその者が凄い人物だとよく知られている人間なら反応も違っただろう。
だが、漆黒の
だが、その場にいた者達の中で、冒険者たちだけは気づいていた。
こいつは先日、ミスリル級冒険者クラルグラのイグヴァルジを
沈黙の中、奥の建物から出てきた人物が声をあげた。
「ンフィーレア! ンフィーレアじゃないか。お前、無事だったのかい?」
リイジーは作りかけのポーションを手にしたまま、走り寄った。
空中に放り投げられたショックで地面にへたり込んでいたンフィーレアは、その声に立ち上がり祖母へと近寄る。
「お前、よく無事で。どうやって、ここに? いや、安全なエ・ランテルの外にいたはずなのに、なんでわざわざ中へ」
「うん、おばあちゃん。モモンさん達が連れてきてくれたんだ」
そう言って振り返る。漆黒の戦士は軽く頭を下げ、会釈した。
「そうかい。それはよかった。……いや、よかったのかねぇ。こんな状況のところに帰ってくるのは」
リイジーの顔が曇る。
孫が無事だったのは嬉しい。再会できたことも。だが、この絶望的な状況の場所に帰ってくるくらいなら、最後に一目会えなくても、街の外にいてくれた方が良かったのかもしれない。
その表情を見て、ンフィーレアは言葉を紡ぐ。
「大丈夫だよ、おばあちゃん」
「ん? どういうことだい?」
リイジーは孫の顔を見返す。
「モモンさんがこの異変を解決してくれる。そう約束してくれたんだ」
いったい、孫はどうしたんだろう? 不思議に思うリイジーにンフィーレアは真面目な顔で言葉を続ける。
「おばあちゃん。僕は……この件が無事に終わったら、カルネ村に行こうと思うんだ」
「? カルネ村にはたまに行ってるじゃないか」
「ああ、ええと、そういう意味じゃなくてね……。その……カルネ村に移り住もうと思ってるんだ」
その答えにリイジーは目を丸くした。
「お前、何を言ってるんだい? カルネ村に移り住む? なぜ、そんなことを……」
驚きの色を隠せないリイジーだったが、色々原因を考えるうちに、一つの答えを思いついた。
「ふむ、あのエンリという娘の事かい?」
その答えにンフィーレアは顔を赤くする。
「う……うん、そうだよ」
「そうかい」
はっきりと言ったンフィーレアにリイジーは微笑んだ。孫がカルネ村のエンリの事を気に入ってるのはうすうす気づいてはいた。まさか、ここまで本気だとは思っていなかったが。リイジーとしてもンフィーレアが幸せになるのに反対するわけではない。
だが……。
「しかし、お前、薬師としての仕事はどうするんだい? たしかにカルネ村でも薬は作れる。あそこで採れる薬草も多い。でも、薬や錬金術には様々な材料がいる。カルネ村で採れる薬草だけでは無理だ。物が集まるエ・ランテルならそれらはたやすく手に入る。新しい薬とかの情報もだ。あの村ではそういう事は望めないだろう」
カルネ村に行けば、好きな女性との幸せな生活は手に入るかもしれない。
しかし、その代わり、薬師としての未来は失われてしまう可能性が高い。
こう言っては親類であるための贔屓目かもしれないが、孫のンフィーレアは才能があると思う。まだ若くリイジーからしてみればまだまだ未熟だが、その腕、知識はなかなかのものだ。それが、カルネ村に行ったら、その才能も成長する機会がないまま枯れ落ちてしまうかもしれない。
そうリイジーは危惧したが、それに対してンフィーレアは驚くことを口にした。
「おばあちゃん。例のポーションの件なんだけど……。もし、僕がカルネ村に行くっていうんなら、それが原因で薬師としての生活に不便が起きないように、モモンさんがあのポーションについての知識や情報を教えてくれるって……」
そう小声でささやく。
その言葉にリイジーは目を丸くした。
知識とは力であり財産でもある。薬学を学んでいる者にとって、あの赤いポーションは喉から手が出るほど欲しい代物だ。それこそ、その製法の知識を得るためならば、手段を選ばないだろう。
状況によっては、リイジーですら。
それほどのものを赤の他人の為に、ほぼタダ同然で投げ捨てるように分け与えてくれるとはどういう事だろう?
リイジーはあらためて、
「あんた、一体何を考えているんだい? あんたは……一体何者なんだい?」
その問いに男はちらりと視線を走らせた。
「私はモモン。困っている人を助ける旅の者さ」
リイジーは考え込んだ。
そして――うなづいた。
「……分かったよ、ンフィーレア。カルネ村に移り住もうじゃないか。私も一緒に行くよ」
「おばあちゃん……」
「でもね、それはとにかく、ここから助かってからの話さ。今の状況は分かっているのかい?」
「うん。門の外にいた人たちに聞いたから」
「そうかい。じゃあ、どうするね? 逃げようにも、たとえモモンさんの力を借りたとしても、難しいだろうよ。ここにいる人間は私らのような人間だけじゃなく、戦う事も出来ない普通の人もたくさんいるんだ。そうそう逃げられっこないよ」
「問題はない」
話を聞いていたモモンが口を挟んだ。
「どうする気だい?」
「なに。この霧は西の墓地から流れてくるのだろう? なら、墓地に行ってその原因を突き止め、霧が出ないようにすればいい」
事もなげに言った。
その答えにリイジーは絶句する。
その言葉に息をのんだのは彼女だけではない。
騒ぎを聞きつけ、建物から出てきた冒険者組合長プルトン・アインザックと魔術師組合長テオ・ラケシルの二人もだ。
「たしか……、君はモモンと言ったかな?」
冒険者の組合長であるアインザックにとって、ミスリル級を叩きのめした銅級という存在は当然耳に入っていた。
「はい、そうです。……失礼ですが、あなたは?」
「私はプルトン・アインザック。エ・ランテルの冒険者組合の組合長をしている。こっちのラケシルは魔術師組合の組合長だ」
「そうでしたか。これは失礼な真似をして申し訳ありません」
特に躊躇もなく頭を下げる。
アインザックにとって、これは少々意外だった。
普通、冒険者は自分の腕一つで世界を渡り歩いてるという自負がある。いざというとき頼りになるのは自分、そして仲間たちのみ。そうした血気盛んさと他への警戒心の強さを常に張り巡らせている。そんな彼らにとって、頭を下げ謝罪の意思を示すというのは、他者に舐められる危険性があるため、極力避けることが多い。
「いや、知らんのだから仕方がないさ。それより、今、君が言っていたことだが……」
「墓地に行って、この霧を止めるという事ですか?」
「ああ、そうだ。……出来るのかね? 本当に?」
「はい。無論です」
再び言い切るモモンにアインザックは言葉を繋げることが出来ない。代わりにラケシルが尋ねた。
「ず、ずいぶんと自信があるようだね。しかし、先ほど、君たちが倒したアンデッドたちはあくまで一群にしか過ぎないのだよ。外はそれこそ数え切れないほどのアンデッドがたむろしているんだ」
「それが、この私、モモンにとって何か問題だとでも?」
圧倒的な自信。傲慢と言ってもいいほどだが、その声には確かな実力に裏付けされた確信があるようだった。
「いや、待て待て」
再びアインザックが話を代わる。
「仮に君の実力が確かなものであり、この辺りのアンデッドをものともしない程の力を持つとしても、今は動かない方がいい。すでに我々の方でも周辺の都市に救援を要請している。いずれ、援軍が来るだろう。解決に動くのはそれを待ってからの方がいい。君にはここの防衛を助けてもらいたい」
「ふむ。しかし、その救援とはいつ来るのですかな?」
「いや、それは分からんが、数日中には来ると思う……」
「では、重ねて聞きますが、この避難所はあと何日ほど持ちこたえられますか? 備蓄はあと何日分ありますか?」
「う、ぬぅ……」
「時間が経てば経つほど不利になる。それを分かったうえで守りを固めろとおっしゃるので?」
「し、しかし、今、この避難所では戦力が足りない。君という戦力が減少した場合、ここを守り切れない可能性もある」
「なるほど。つまり、ここを守ることが出来ればいいのですね?」
「あ、ああ、そうだが」
「何か、考えがあるのかね?」
ラケシルも尋ねた。
「切り札があります」
そう言って、モモンが懐に手を入れた時――
「敵襲ー! また敵が来たぞー!」
声が上がった。
防壁の上に立つ衛兵が声を張りあげていた。
その男は声をあげながら怯えるように後ずさりし、数メートルはある防壁の内側へ転がり落ちてきた。
苦悶のうめき声をあげる男の遥か上から、巨大な影が差した。
防壁の上端をはるかに超える異様な姿。
無数の死体が集まってできた巨大なアンデッド、
その場にいた者たちは恐怖した。
目の前にそびえる圧倒的な死と絶望にただ悲鳴を上げて、我先に逃げ惑う事しかできなかった。
だが、そんな中で、モモンは動じることなく懐に入れていた手を出した。
その手には水晶が握られている。
それを目にしたラケシルは時も場合も忘れて声を出した。
「そ、それは! 稀覯本で読んだことがある……法国には至宝と呼ばれる強大な力があるマジックアイテムがある、と。それはその中の一つ……魔封じの水晶!」
モモンはちらりと目を向け、
「ええ、その通りです」
そう答えた瞬間、水晶が砕け散った。
ラケシルが嘆きの悲鳴を上げるのと時を同じくして――光が輝いた。
それはもう何日も霧に包まれ
数え切れないほどの光り輝く翼が集まり塊となっていた。そして、その中から笏を持つ手だけが伸びている。
辺りは白く染め上げられ、微かな芳香が鼻孔をくすぐる。まるで、不死の者たちに汚染されていた空気が清浄なものへと浄化されていくように。
「ば、ばかな……これは、まさか。
呆然と口にするラケシル。
今まで幾多の文献、資料を読んだが、その中でも僅かな記述しかなかった伝説の存在。200年前の十三英雄の時代、暴れまわっていた魔神の一体をたった一騎で倒したという最高位の天使。それをまさか、この目で見ることがあるとは思いもしていなかった。
「
漆黒の戦士の命令を受け、
次の瞬間。光の柱が落ちてきた。
第7位階魔法〈
人間では到達しえない究極の魔法。
それが
あまりの眩しさに皆が目を覆った。
そして、再びその目を開けたとき、そこにはアンデッドの影も形もなかった。
もはや言葉もない。
絶望の中に現れた至高善の存在。
誰もが声もなかった。ただ、身じろぎすらせず、その神聖なる異形の姿を眺めていた。
避難所にいた者達も、外の騒ぎを聞きつけ固く閉ざしていた窓を開いた。そして、目の前にいる神の御使いを目にした。人々は誰ともなく膝をつき、両手を組んで祈りを捧げた。
その光景を背に、モモンはアインザックに声をかけた。
「あの
唖然としていたアインザックは、それでようやくモモンの意図が分かった。
「こ、ここを守るためにアレを召喚したというのか。……し、しかし、あいつを連れていかなくていいのか?」
「問題ありませんとも」
当然のように答える。
まさか、これを超える切り札があるというのか?
もはや、アインザックには何も言えなかった。
墓地へ向かおうと防壁へ歩み寄った時、
「モ、モモンさん!」
声が聞こえた。
振り向くと、ニニャがこちらをじっと見ている。
声をかけたものの、なんと言ったらいいか迷ったそぶりを見せた後、
「ご、ご武運を!」
そう声を発した。
モモンはうなづくと、
「ええ、では行ってきます。すまないが、漆黒の剣の皆さんはここを守っていてください。行くぞ、ルプー! ハムスケ!」
そう言うと、再び跳躍し、塀の外へと消えていった。
ルプーは同様に飛び立ち、ハムスケは塀を登るための階段を駆けのぼり、視界から消えていった。
あとに残された者たちはただ、その背を見送ったまま、呆然とたたずんでいた。
「あの人は一体……」
「モモンと言ったか。あんな人が銅のプレートとか嘘だよ……」
「……俺たちは伝説を目にしたのかもな……漆黒の戦士……いや、漆黒の英雄だ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
三人、モモンとルプー、それに一人に数えていいか分からないがハムスケは、しばらく走った後、急に道の脇、塀に囲まれた民家の庭に入って立ち止まった。
ハムスケは何故止まったのか不思議そうにモモンを見つめている。
その視線を流し、モモンは〈
《もしもし、ベルさん。聞こえますか》
わずかな時間待った後、返信が聞こえた。
《はい。聞こえますよ》
《あ、忙しかったですか?》
《ああ、すみません。あちこちから〈
《大変ですね。では、手短に。まず、エ・ランテル内に入り、ンフィーレアの祖母であるリイジーのいる避難所に行きました。そこで例の、陽光聖典から手に入れた魔封じの水晶を使って、
《そうですか。どうでした?
《ええ、上手くいきましたよ。兵士たちも冒険者たちも、みんな吃驚してました》
《ああ、やっぱり、この世界ではあれってかなり強いって印象なんですね。あ、それと、ンフィーレアの件は上手くいき……》
《どうしました?》
《すみません。ちょっと、問題が……ええと、少し待っていてもらえます?》
《あ、はい。こっちは大丈夫ですよ》
そう言って〈
ルプスレギナとハムスケには休憩をとるように伝える。ルプスレギナはともかく、ハムスケは首をひねっていたが、主の命令という事で身体を休めることにした。
僅かの間だが、気の休まる時間だ。
アンデッドであるアインズに疲労はないが、心を休める時間は必要だ。
これまでの行動を再確認する。
思い返すのは、やはり先ほどまでの事だ。
正直、もうばっちりだろう。
もう、自分で自分を褒めてあげたいくらいだよ。
あそこにいたお偉いさんたち、たしか冒険者組合の組合長のアインザックと魔術師組合のこれまた組合長のラケシルだっけ? この二人との話し合いも上手くいったな。
あまり傲慢と思われない程度に、強者としての態度を示す。どのくらいのさじ加減でやればいいかはよく分からなかったけど、案ずるより産むが易しってヤツだ。
それにあの陽光聖典が持ってた魔封じの水晶。
正直、微妙すぎて使い道ないかなぁと思ってたけど、この世界では結構レアなアイテムみたいだったなぁ。それに召喚された
それとンフィーレアの件も上手くいった。
もう、文句の付けどころがないくらい。
ンフィーレアがエンリに恋心を抱いているって報告があったから、うちで囲い込むのに、ナザリックの影響力の強いカルネ村に住んでいるエンリとの仲を進めてやろうっていう方針は正解だった。
俺がこの案を言った時、ベルさん驚いてたからなぁ。「ホントにいいんですか?」って。
いや、俺だって、他人の恋路を邪魔しようとは思わないよ。
嫉妬マスクは持ってるけどさ。
せいぜい、デートでもしてたら嫉妬マスク被って何かしてやろうと思うくらいで……。まあ、エンリを始めとした村の人たちにはあの仮面の姿見られてるから、それはやらないけど。
ベルさんは、なにか誰かの命の危険とかを演出したうえで、まともな判断が出来ない状態を作ってから、「お前の全てを差し出せ」なんて無茶な取引を持ち掛けるとかした方がいいって言ってたけど。そっちは上手くいきそうな気がしないんだよなぁ。
かと言って、アルベドが提案した、二人を気絶させたうえで裸にして同じベッドに寝かせておく、とかいう案は絶対に反対するつもりだったけどさ。
やっぱり、前準備として、ンフィーレアに恋愛の話をしておいたのが良かったよなぁ。
エ・ランテルに入る前、それを話した時のことを思い返す。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
城塞都市エ・ランテル。
数日ぶりに帰ってきた街の姿にンフィーレア、そして漆黒の剣の面々はただ唖然とした表情を浮かべていた。
城壁越しに見えるエ・ランテルの上空には厚い霧がかかり、ときおり中から大量の人間のうめき声のようなものが響いてくる。城壁の外には数え切れないほどの人間がたむろし、ありあわせの材料でテントやバラックを作り、それが無分別に組みあい、重なり合ってスラム街を形成している。嘆きの声はとどまる事を知らず、怒声や悲鳴まで聞こえてくる。
いったい何事かと思い、付近にいた人間に聞いてみたところ、数日前に突如霧が発生しはじめたこと、その奥から大量のアンデッドが襲ってきたこと、どうやら発生地点は墓地らしいがアンデッドが多くて誰も近づけないこと、もはや城壁の中はアンデッドだらけなこと、中には逃げ遅れ取り残された者も多数いることなどが分かった。
ンフィーレアも漆黒の剣の面々も、このエ・ランテルの人間だ。
生まれ故郷ではない者もいるが、少し前まで暮らしていた街だ。様々な人がいた。いい人間もいれば、中には悪い人間もいた。だが、みんなを助けたい、何とかしたいという気持ちがある。
だが、彼らは迷う。
いったいどうすればいいんだと。
だが、彼らは分かっている。
自分たちには街を救えるほどの力がないことを。
だが、彼らは思いあたった。
この事態を何とかできるかもしれない人物の存在を。
虫のいい願いだと話分かっていたが、問わずにはいられなかった。
「モモンさん……。モモンさんなら、この異変を解決できますか?」
その問いに彼はちらりと視線を向け、「ああ、出来るだろう」と、答えた。
普通の人間ならばそんな言葉は信用できなかったろう。
だが、彼らの胸には確信があった。
この人ならば、あの偉大な剣技を操るこの人ならば、強大な森の賢王すらねじ伏せたこの人ならば、この街を救う事も可能なのだろう。
ンフィーレアは思いつめた表情で言った。
「モモンさん、お願いです。この街を、エ・ランテルを救ってください」
「なるほど。だが、条件がある」
ごくりとつばを飲み込み、ンフィーレアは続く言葉を待った。
「それは……君が自分の心に向き合う事だ」
突然の言葉に意表をつかれた。てっきり金銭やマジックアイテム、それもンフィーレアが払いきれるか分からないくらいのものを要求されるものだとばかり思っていたからだ。
そんなンフィーレアにモモンが向き直った。
「エンリ・エモット」
ンフィーレアの顔が一瞬で赤くなった。
「君はあの娘の事をどう思っているのかな?」
「い、いや、それは! モ、モモンさん!」
「私には幼馴染がいた」
モモンは大きく息を吐き、語りだした。
「彼女は家も近く、年も同じで幼い時から一緒だった。いつも共にいるのが当然だった。だが、私はやがて大きくなり夢を持つようになった。この手で多くの人を救いたいと思うようになった。それで、薬……や、薬師の友人を……護衛して世界を旅してまわったんだ」
「薬師の友人……、もしかして、あのポーションはその方の!?」
「……ぅえ? ……あ、ああ、そうだ。そう、彼の置き土産だ。……っと、まあ、そんな訳で、そこはいいとして。そうしてあちこちを旅してまわる生活をしていて、いつの間にか彼女とはたまに故郷に帰った時しか会わないようになってしまっていたんだ。それでも、私は二人の関係はこれからも何ら変わりなく続くと思っていたんだ。あの時までは」
モモンは皆に背を向け、視線をエ・ランテルに向けた。
「その頃、原因不明の伝染病があった。感染する者は少ないものの、感染が分かった時にはもう手の打ちようがなく、数か月ほどで息絶えるという厄介な病だった。私は……友人とその病気の治療法を探して歩いた。その治療法を見つけることが自分に与えられた使命なんだと思っていたよ。どこかの誰かが感染して命を落とすから、それを自分が救ってやるんだとね。そう、私はあの病気をただの自分が乗り越えるべき壁程度に考えていた。彼女が感染していることに気がつくまでは」
聞いていた皆が、はっと息を飲んだ。
「気がついた時はもう手遅れだった。彼女は余命3か月と診断された。まさか自分の近しい人間がその被害にあうとは思いもしていなかった。限られた時間で必死に治療法を探したが、そんなに都合よく急に見つかるはずもなかった。私はなすすべもなくその手を握るしかできなかったよ。彼女のやせた手を握った時、なぜ私は今まで彼女のそばにいてやらなかったんだ、なぜ手を伸ばせば触れられる所にいたのに何もしてやれなかったんだ、と自分を責めたよ。そして、彼女が亡くなった後、彼女のこ……彼女の事はいつも胸の内から離れなかった……」
肩越しに一瞬だけ、ンフィーレアに視線を向けた。
「君にはそんな思いをさせたくはない。何もなくても上手くいくかもしれない。だが、君の手の届かない所にいるうちに、彼女に何かあるかもしれない。後で後悔するよりは手の届く所にいてやるといい」
「モモンさん……」
言葉もなかった。
この偉大な人は、胸の内にそんな重い十字架を背負い続けていたのか。
「お聞きしても良いかな、モモン氏。その後、薬師のご友人はどうなったのであるか? もしや、この前、話されていたお仲間の御一人なのであるか?」
「え? ……えーと、そう……いや、違う、違うさ。その後、薬師の友人は不慮の事故で亡くなりましてね。一人になった所を聖騎士に助けてもらったのですよ。……そして、私は、せめてこの手の届く範囲の者だけでも救おうと力を身につけたのですよ」
「そ、そうだったんですか。そうして研鑽を積んだ結果、あれほどの魔法を習得されたのですか……」
「え? 魔法?」
ペテルが疑問を口にした。
何の事だろう? ルプーさんはともかく、モモンさんは戦士だから、魔法なんて使えないはずだが。
モモンの背がびくりと動き、言ったンフィーレアは盛大に慌てた。
「い、いや……魔法、そう、魔法の知識の事ですよ! 魔法そのものじゃなく。モモンさんは戦士なのに色々な魔法の知識を習得されていたり、マジックアイテムにも詳しかったので!」
「ああ、なるほど。旅の途中もモモンさんはよく魔法の事を聞いていましたからね」
ポンとニニャが手を打った。
「あれほどの戦士でありながら、並々ならぬ知識欲だと思っていました」
「あ、ああ、そういう訳なのですよ。知識は大切ですからね」
とっさにニニャの言葉に乗った。そして、そのまま話をそらした。
エ・ランテルという大きな街で名が知れ渡っているほどの地位や立場を捨ててカルネ村に行くのは、さすがに色々と困る事もあるし、薬師としての研究もそのままでは出来なくなるだろう。そこで、モモンは、カルネ村に行った場合に援助、すなわち例の赤いポーションの作成を始めとした薬学の知識を提供することを約束した。
その提案にンフィーレアは息をのんだ。「そ、そんな……本当にいいんですか!?」と息せき切って訊ねてきたが、昔の友人の薬師から受け継いだものを君に託したいというと、ンフィーレアはうつむいて立ちつくし――そして承諾した。
そうして、先ほど城壁の周りにいる者にリイジーが避難している場所を聞いたという事にして、街の中へと入っていった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
うん。
我ながら、上手くいった。
色々ボロは出かけたものの、まあ、何とかなったってことで。
結果が良ければ、それでいいだろう。
もう皆、話に飲まれていたもんなぁ。
やっぱり、いつの時代設定でも、こういう話はうけるなぁ。
いやぁ、まさか――
――ペロロンチーノさんに薦められてやったエロゲが役に立つ日が来るとは思わなかった。
あの作品泣けたからなぁ。
自分が薬学を学んで世界の人を助けようと世界を回っていたら、メインヒロインの幼馴染が治療方法も感染ルートも未だ不明な伝染病にかかってしまって、あと3か月の命と宣告される。そこで初めて二人は自分たちの思いに気がつき、思いを遂げる。その後、彼女との間に生まれた娘を育てるため、地元で喫茶店を始め平和で幸福な日々を送るも、その娘が母親と同じ病気にかかってしまい、あと数か月の命しかなくなってしまう。諦めきれない主人公は、かつての研究のライバルに頼み込み、治療法の研究施設を貸してもらう。一刻一刻、娘の命の炎が消えていくなか、必死で研究に没頭した結果、まったくの偶然から治療薬を作ることに成功する、というストーリーだった。
病気になった外国の女の子とか、患者の姉とか、他の女の子もいたけど、やっぱり幼馴染のあの子が一番良いな。
今、思い出してもまだ泣けてくる。
まあ、今は涙は流れないけどな。
カルネ村に行ったとき、ソリュシャンが機転を利かせ、ンフィーレアとエンリの話を隠れて聞き耳を立てていたのは、まさにナイス判断だと言わざるを得ない。後で褒めておいてやろう。
ンフィーレアが薬師で、昔からのなじみのエンリが好きということから、あのゲームのストーリーが頭に浮かんだのだが、まさに大成功だった。
そんなことを考えていると、再び〈
《もしもし、アインズさん。聞こえますか?》
《はい。よく聞こえていますよ》
《やあ、先ほどはすみません。ちょっとしたトラブルがありまして》
《不測の事態は仕方がないですよ》
《いやいや、色々想定していたつもりですが、結構あれこれありますね。ええと、それでさっき何を話してましたっけ? ……ああ、そうだ。ンフィーレアの説得。あれ、どうなりました?》
《ええ、もうばっちりですよ。こっちに感謝の言葉を述べて、完全に心酔している様子でした》
《おお、凄いじゃないですか。アインズさんの案、大成功でしたね。一体どうやったんです?》
アインズは上機嫌でさきほどのやり取りを話した。
《ん? その設定って……》
《どうしました?》
《それって、……確かなんとかシーズンとかいうエロゲのストーリーじゃなかったでしたっけ?》
《え? ……し、知ってました?》
《ええ。昔、ペロロンチーノさんが薦めてたヤツですよね》
うぉ……。
そうだ。
良作なんだから、俺以外にも勧めていて当然じゃないか。
……いや、なんというか。
……最初から元ネタありって言ってから説明したんならともかく、自慢げに語った後でそれ元ネタありだろってバレるのって、なんだかすごく気恥ずかしいな。
《え、ええ。そうです……。私、ペロロンチーノさんから薦められてプレイしまして》
《あはは。とにかく一度これやってみろって、そりゃもう熱心に薦めてましたからね。あの時だって、もうペロロンチーノさん、一見まともそうだがやればやるほどおかしな設定だらけのネタゲーだって、笑いをこらえきれずに吹き出しながら言ってましたし》
《……ぇ?》
《ネットでもさんざん叩かれてましたよ。『原因不明の伝染病患者とやるのって自分も感染する可能性あるだろ(笑)』とか、『余命3か月なはずなのに、いつの間に妊娠出産したんだよ(笑)』とか、『ずっと最先端の医療現場離れてた奴が、突然職場に戻って、今まで誰も出来なかったのに、たった数か月で治療法見つけるのかよ(笑)』とか》
「ぐはぁっ!」
突然、声を発したアインズに、ルプスレギナとハムスケは驚いて振り向いた。
《ん? 今、一瞬、〈
《……いえ、気のせいでしょう》
《そうですか? まあ、元がネタ満載でもうまく説得できればいいでしょう》
《ええ、そうですね。そうですよね》
《ははは。でも、もし元ネタ知ってる人がその場にいて聞きでもしてたら、『エロゲで人生語っちゃう男の人って……』、なーんて言われてかもしれませんね》
「ノオオウゥゥッ!!」
突然、頭を抱えて身悶えたアインズに、ルプスレギナとハムスケは目を丸くした。
《あれ? やっぱり、また〈
《いえ、気のせいでしょう》
あまりに精神が振れ過ぎて、強制沈静したアインズはなんとか平然を装って言葉を返した。
《それより、今後の事ですが》
《ええ、そうですね。ええと、まず、この件の首謀者はズーラーノーンという死霊術を使う魔法詠唱者です。なんでも、アンデッドがたくさんいると別のアンデッドが湧いてくる習性を利用し、街をアンデッドだらけにして大量の負のエネルギーを集め、自分もアンデッドになるってのが目的みたいです》
《ふむ。なるほど。場所は墓地で間違いないですか?》
《ええ、墓地です。例の、この霧を出している装置は墓地の中央付近にある霊廟にあります》
《そこに行って、そいつらを倒して装置を回収すればいいんですね?》
《ええ、そうです……っ!》
《どうしました? また、なにか?》
《ええ、ちょっと気になるのがありまして。すみませんが、俺が〈
《分かりました》
《あと、現在、エ・ランテル内には野良の他に、ナザリックのアンデッドもたくさん潜入しているんですが、とりあえず、アインズさんを見かけたら逃げるようには言ってあります。まあ、目撃者とかがいた場合、倒してもいいですが、もったいないので出来れば戦わずにお願いします》
《ええ。私もナザリックの者達は滅ぼしたくはないですよ》
《それと何かあったら、俺、もしくはアルベドに〈
そうして、〈
そのままほどなく待つと、人間大の影が滑るように道からアインズらの下へやって来た。
《至高なる御方、アインズ・ウール・ゴウン様。シャドウデーモン、ラの3番、御身の前に》
《うむ。道案内頼むぞ》
《ははっ。お任せください。現在ベル様の指示により、シャドウデーモン、ラの9番が墓地に先行しており、現地に着き次第、報告の〈
さすがベルさん。その辺は抜かりがない。
《うむ。では行くぞ。先行せよ》
そして、ルプスレギナらに出発を告げ、先を行く影を追っていった。
走る彼らの姿を見て、襲ってくるアンデッドは蹴散らし、距離を置くように逃げるアンデッドは相手にしなかった。
群がるアンデッドを鎧袖一触に蹴散らしながら、道を急ぐアインズの心にあったのは、一つの事。
(俺の好きだったあのゲーム……駄ゲーだったのか……)
微妙に落ち込みながらも先を進むと、やがて、エ・ランテルの西側地区。高さ4メートルにもなる強固な壁に囲まれた箇所。目的の墓地が見えてきた。
思ったより長くなってしまいましたので
ユリVS六腕の三人、クレマンティーヌVSカジッちゃんのアンデッド軍団は次回に