オーバーロード ~破滅の少女~   作:タッパ・タッパ

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2016/4/25 ナパームの漢字が「獄炎」になっていたのを「焼夷」に訂正しました
2016/10/9 ルビで小書き文字が通常サイズの文字になっていたところを訂正しました
 段落頭で一字下げしていないところがありましたので修正しました
2017/5/18 「目に写る」→「目に映る」、「シャドウデーモン」→「シャドウデーモン」、「体制」→「態勢」、「持って」→「以て」、「力づく」→「力ずく」、「超え」→「越え」 訂正しました


第32話 救援――そして蜥蜴人デビュー

 眼下を流れていく緑の樹海。

 耳元で音を立てる風の音。

 目に映るすべてが瞬く間に後ろへと流れていく。

 

 その想像を絶する光景と体験に、蜥蜴人(リザードマン)の中でも勇者として知られるザリュースですら、幼子(おさなご)のように身をすくめたくなるのを必死にこらえるだけで精いっぱいだった。

 

 そっと、頭を動かすことなく視線を自分を抱えている人物。カルネ村で出会った桁外れの強さを持つ魔法詠唱者(マジック・キャスター)アインズ・ウール・ゴウンへと向ける。

 だが、その視線の先にある顔は奇妙な仮面に包まれ、その表情をうかがい知ることは出来なかった。

 

 いったい何者なのだろうか? その仮面の下の素顔はどうなっているのか? そもそも、人間なのだろうか? という疑問が次々とわいてくる。

 

 そんなザリュースの視線に気づいているのか、気づいていないのか、仮面の魔法詠唱者(マジック・キャスター)はその指をあげた。

 

「〈連鎖する竜雷(チェイン・ドラゴン・ライトニング)〉」

 

 アインズが魔法を唱えると同時に、その指先からほとばしった(いかづち)が、今まさに不用意に空を飛ぶ獲物をその(あぎと)にかけようと飛び上がった魔獣を、2体同時に打ち据えた。

 断末魔の悲鳴を上げる(いとま)すらなく炭の塊となった、ザリュースですら倒すのは困難であろう翼のある魔獣は、眼下に広がる緑の波に沈んでいく。

 

 あれほどの魔獣をたった一撃の魔法で撃ち滅ぼす。

 しかも、先ほどカルネ村を出てから、それこそ片手の指では数えられぬほど、その偉大な魔法を幾度も行使している。

 更に言うなら、飛行の魔法を維持し、片手にザリュースを抱えたままだ。

 

 いったいこの方の底はどれほどのものなのか?

 

 ザリュースはつい先程、まだ、その両脚が地面を踏みしめていたころ、カルネ村で手合わせした時のことを思い返した。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 話し合いの最中に突然現れた謎のローブの人物。

 

 「自分に任せろ」と言い放ったものの、その場の誰もが困惑の表情を浮かべ、なんと言っていいか分からず口をつぐむ中、金髪を目元まで伸ばした男――ザリュースの目にはおそらくオスではないかと見えた……いや、メスかもしれない――がとりなすように口を開いた。

 

「そ、そうですね。ゴウン様なら全てを任せても安心ですね。ねっ、エンリ?」

「え? え、ええ……うん……」

 

 いまいち反応の鈍いエンリの様子に、ンフィーレアは他の人物、元村長に声をかけた。

 

「ゴウン様の力は知ってらっしゃいますよね? どう思います? ゴウン様なら、この問題も解決できると思いませんか?」

「む? ああ、……そうだな。ゴウン様であれば、このような大事(だいじ)も解決できるかもしれん」

「ええ、そうですよ!」

 

 なぜだか必死な様子でンフィーレアは声をあげた。

 

「偉大な魔導の奥義を極められたアインズ・ウール・ゴウン様なら、見事解決してくださるでしょう。本当にありがとうございます、ゴウン様」

 

 そう言って頭を深く下げる。

 その最大限の敬意を払う(さま)に、アインズは落ち着いた口調で声をかけた。

 

「ああ、もちろんだとも。皆よ、何も心配することは無い。すべてはこの私、アインズ・ウール・ゴウンの手にゆだねるがいい」

 

 その言葉は、圧倒的な自信に裏付けられた強者然としたもの。先程の少々うろたえたような口調は、聞いた側の気のせいだったのであろう。

 

 だが、ザリュースは判断をつけかねていた。

 なにせ、事は自分たち蜥蜴人(リザードマン)を含めたトブの大森林、いやそれだけにとどまらず、全世界規模の危機かもしれないのだ。周りの者達はその力を認めているようだが、彼本人はこの人物の実力を計りかねていた。

 

 未だ胡乱(うろん)な表情を浮かべるザリュース――蜥蜴人(リザードマン)の表情は分かりかねるが――の視線に気づいたのか、アインズは自らの力を見せようではないかと言った。

 

 

 皆が家の外へと移動する。

 

 そこでアインズはザリュースとの手合わせを提案した。

 そして、「では、木剣を2つ持ってきてくれないか?」と言った。

 

 その言葉に誰もが耳を疑った。

 アインズは誰が見ても、100人中100人が魔法詠唱者(マジック・キャスター)と分かる服装をしている。

 そんな人物が、武器で戦うのか?

 

 その場にいた者の中で2人だけ動じることのなかった人物、ナザリックからの使いであるシズと、両手剣を二刀流で使いまわす偉大な戦士モモン=アインズと知っているンフィーレアが近くの小屋から剣の練習用である木剣を持ってきた。

 

 木剣を片手に持ち、バランスを確かめているアインズから距離を置いて、ザリュースはこの人物を見極めようと目を凝らした。

 

 そして、二人の中ほどに立ったンフィーレアの合図によって戦いが始まった。

 

 まずは様子見とザリュースが牽制の打撃を放つが、それをアインズはその場から動くことなく、木剣で受け止めた。

 ならばと、力を込めた打撃を放つも、それに対しても同様にアインズの足元を崩すには至らなかった。

 

 続いて、アインズが攻撃に移った。

 それは魔法詠唱者(マジック・キャスター)が放つものとは思えなかった。

 

 受けるだけでも困難な重い打撃が幾重にも降り注ぐ。

 しばらくその攻撃に耐えていると、今度は硬軟織り交ぜた攻撃へと戦闘スタイルを変化させた。軽い打撃かと思えば重く、重い打撃かと思えば軽く、素早い一撃が来たかと思えば次の攻撃は遅く、遅い打撃が来たかと思えば次の攻撃は素早く。

 その多彩な攻撃に翻弄されるばかりだった。

 

 ザリュースの戦士としての観察眼では、アインズの評価は訓練された猛獣であった。

 戦士としての技量は、基本的なものは習得しているものの、あくまでその程度。だが、その内包する膂力(りょりょく)や反射神経は圧倒的だった。

 現にザリュースは、アインズの荒れ狂う暴風のような攻撃にさらされ、まるで嵐の中に投げ出された小舟のような有様で、防御に徹するのがやっとであった。

 

 しばらくそうしていた後、アインズは「そろそろ頃合いかな?」とつぶやいた。

 横なぎの一撃を放つ。

 ザリュースはそれをしっかと受けたが、アインズの打撃はそこで止まらなかった。受けた木剣ごと、ザリュースを弾き飛ばしたのだ。

 思いもよらぬ事に、思わず後ろに倒れるザリュース。

 その姿にアインズは木剣から離した左手を向けた。

 

「〈二重化・焼夷(ツインマジック・ナパーム)〉」

 

 尻餅をついたザリュースのすぐ両脇、そこに天まで上るような炎が噴きあがった。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

 

 

 

 あの時、最後に放たれた業火。

 あれをその身に受けただけで、鱗に覆われた頑強なはずの体はたやすく消し炭と化していたであろう。

 

 あれほどの近接戦闘能力を誇りながら、なおかつ、圧倒的なまでの魔法を容易に行使できる。

 その実力のほどはいかほどのものか?

 

 その時のことを思い返すだけで、ザリュースの身に震えが走った。

 

 

 その身を腕に抱く者、当のアインズは抱える蜥蜴人(リザードマン)の震えに気がついた。

 

「どうした?」

 

 その声に、慌てて言った。

 

「いえ、このような上空から森を見たことは初めてなので、目印となる物を見逃さぬよう目を凝らしておりました」

 

 その言葉は嘘ではない。

 地から足が離れるという経験は初めてだ。

 ましてや、今いるのは何の足場もなく、魔法の加護が無くなればそのまま大地に落下し、為す術もなく死ぬしかないという高所である。心胆まで蝕む本能的な恐怖に目がくらむ思いだ。

 

 そんな体験だけで浮足立っているところに加えて、ザリュースがこれまで生きてきた上でも想像を絶する速度での移動である。

 ザリュースは一度だけ馬に乗ったことがある。その時も、その風を切る感覚に目を丸くしたものだ。だが、今感じているものは、その時のものとは比べ物にならない。

 それに森の中を歩いたときに木立を下から見上げる景色と、鳥のように天空から樹木を下に見る景色とでは全く異なる。ましてや、トブの大森林は一面を覆う緑濃い樹木の屋根によって大地に日すらささないところも多くある。いったい、自分が歩いてきた陰鬱な景色は、どこの地点の事だったのか、把握するだけでも大難事であった。

 

 ちゃんと迷うことなく道しるべを見つけ、案内出来るのか? 

 緊張に身を固くするザリュースをその手に抱えながら、アインズは〈伝言(メッセージ)〉を飛ばした。

 

《もしもし、ベルさん。どうです? ちゃんと追えてますか?》

 

 即座に返信があった。

 

《はいはい。それぐらいの速度ならなんとか大丈夫ですよ。でも、それ以上だとちょっと辛いかも》

《了解です。では今より気持ち速度を抑える程度で維持しますね》

 

 そう言って、本当にわずかばかり速度を緩めて、アインズは飛び続けた。

 自分には認識できないが、はるか遠く、ナザリックよりベルが〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉で追跡し続けてくれていることを予感して。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 この降ってわいた蜥蜴人(リザードマン)達からの救援要請に対し、手を貸すべきと言い出したのは、ベルである。

 シズ経由でンフィーレアからもたらされた情報。

 これを例によって執務室で検討した結果、自分たちが動いた方が良いと判断したのだ。

 

 

 ベルが語った利点は2つ。

 

 

 1つは現地勢の戦力の確保。

 

 現在のナザリックは動かせる人員に限りがある。

 他のプレイヤーがいる可能性を考えると、顔バレの危険性があるため、限られた者たち以外は自由に動かせないという制約がある。そのため、ユグドラシル時代からナザリックに属している者以外のナザリックの配下がどうしても欲しかった。

 

 それと、ナザリックの者達に被害を出したくないというのもある。

 現地勢との一般的なレベル差の違いから、ナザリックの雑魚モンスターでさえ危害を与えられる可能性は少ないようだが、確実という訳ではない。現にPOPモンスターながら、これくらいなら大丈夫だろうと思っていたシャドウデーモンが、イビルアイという冒険者に撃破されるという事態が起きている。復活や再召喚等にかかる手間や費用は大したものではないが、それでも可能な限り、そのようなことは避けたいというのが本音だ。

 

 そして、ナザリックがこの地を支配するための人員確保という面もある。

 はっきり言ってナザリックは強い。この前会ったツアーや漆黒聖典のような警戒しなくてはならない相手はいるだろうが、現地の者達と()して個々の戦闘力でも群を抜き、そしてそれらが数百数千にもおよぶ軍勢でいるのだ。まだ調査段階だが、おそらく戦争にでもなれば、どこの国だろうと亡ぼせるだろうと思われる。

 だが、それはあくまで敵が目に見える形で存在する場合だ。直接的に敵対するのではなく、誰が敵か分からぬよう民衆という海を泳ぎ続けられた場合、人民の動向、治安に目を光らせる必要がある。

 そうなると、途端にナザリック勢だけでは不安が出てくる。

 ナザリックの戦力は、直接的な火消戦力としては有能でも、各地に張り付けて治安維持を担う能力は低いとベルは判断している。

 それに、この世界は広大だ。仮にナザリックの全戦力を均等に各地に配置したとすると、とんでもなくスカスカな密度で配置することになってしまう。そうなれば、各個撃破の恐れも出る。

 やはり、人員としての数は大事となる。

 それもこの世界に適応した者が。

 そういった意味では出来れば人間が良いのだが、この際、亜人である蜥蜴人(リザードマン)でもいいから、とにかく頭数を増やしておきたい。問題がありそうなら、投入しないでおけばいいだけだし、いざというときの予備があれば何かと便利だ。それに大して維持費もかかりそうにもない。

 

 

 2つ目はプレイヤーの調査である。

 

 先のアウラ、マーレが戦闘した相手、その残されていた装備により、プレイヤーに対しての警戒が必要となった。

 だが、現状、調べた範囲では何ら手掛かりがない。漆黒聖典の属していた法国が怪しいが、かと言って、いきなり手を突っ込むというのも危険すぎる。栗を探そうと目をつむって手を突っ込んだ先が藁の中ならいいが、囲炉裏の中である可能性もある。

 

 そこで魔法詠唱者(マジック・キャスター)アインズ・ウール・ゴウンである。

 この名はすでにカルネ村を助けた時に使っていたし、特に問題はないだろう。

 仮にプレイヤーがいた場合、これが『アインズ・ウール・ゴウン』のモモンガだったら問答無用で攻撃される可能性はあるが、あくまで謎の魔法詠唱者(マジック・キャスター)アインズ・ウール・ゴウンである。かの悪名高きDQNギルド『アインズ・ウール・ゴウン』と同じ名を名乗るこの人物は何者だと調査から入るだろう。

 もしかしたら、この見知らぬ世界で手を組もうと提案してくるかもしれない。

 まあ、それは虫のいい考えとしても、なんらかの形で接触してくる可能性が高いと思われる。

 

 そこで、窮地に陥っていた人を助けたという実績のある、アインズ・ウール・ゴウンを名乗る人物を表に出して動かしてみる。

 動かす場所は、先の者達と接触したトブの大森林。

 

 はっきり言って、虎児を得るために虎穴に入るような行為であり、危険極まりないものだ。

 この案を説明した時には、聞いた守護者一同、皆一斉に反対したものだ。

 アインズとベルの予想通り。

 だが、その反対を押し切ってでも、アインズは自らが行くことにこだわった。

 

 当初、ベルはさすがに危険だからと宝物殿のパンドラを代わりに行かせることを提案したのだが、アレを表に出すくらいなら自分が行くからそれだけは止めてくれと、チカチカと時折緑色に光りながらも、絨毯の上をごろごろと転がり、のたうち回る骸骨が非常に鬱陶(うっとう)しく、仕方なしに首を縦に振ったのだ。

 

 その代わりとして、万が一の時は即座に守護者らが投入できるようにと、移動用の〈転移門(ゲート)〉を自力で使えるシャルティアのみならず、各階層守護者に〈転移門(ゲート)〉の巻物(スクロール)を持たせたうえで、〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉を操作しているベルの後ろに待機させている。

 

 そうしてアインズが大森林上空を飛行中の間も、遠く離れたナザリックから常に〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビユーイング)〉での――マジックアイテム越しではあるが――目視による警戒を行っているところである。

 

 さすがにずっと監視されているのはあまり良い心地ではないだろうが、それくらいはアインズも我慢してほしい。

 現にベルも、鏡に映る映像――ザリュースの身体をアインズが抱えて飛ぶ姿――の為に、後ろの方から歯ぎしりの音がステレオで聞こえ続けることに、我慢しているのだから。

 

 本当はカルネ村に行った時も一緒にいたアルベドを護衛としてつけた方がよかったのだが、同行させ、仮にプレイヤーらと接触に成功した際、向こうが対等の立場で話でもしたら、激怒しだし交渉を決裂させる恐れがあったので、こうして予備戦力として控えさせておいた。

 やや即応防御には不安は残るが、アインズにはカルネ村で同席していたシズをつけている。

 

 

《それで、ベルさん。例の物は?》

《ええ、心配しなくても、ちゃんと今も装備してます。何かあった時は即座に駆けつけますよ》

 

 念を押してきたアインズに〈伝言(メッセージ)〉を返し、ベルは自分の腰の後ろに装着したものを手で撫で、確認した。

 

 ワールドアイテム〈山河社稷図〉。

 

 パンドラではなくアインズ自らがおもむくことに、ベルが同意したのに訳がある。

 

 相手は強さも規模も知れない強者、そして自分たちと同格の相手であるプレイヤーの可能性もある。とてもではないが甘く見ることは出来ない相手だ。 

 だが、他のプレイヤーらに対して、自分たちナザリックが圧倒的に優位な点が一つある。

 それはワールドアイテムである。

 

 ユグドラシルにおいて、全部で200ものワールドアイテムがあったと言われていた。だが、それらは入手条件が非常に難しく、保有数一位の『アインズ・ウール・ゴウン』に次ぐギルドですら3個程度でしかない。

 だが、この『アインズ・ウール・ゴウン』の拠点であるナザリックには、11ものワールドアイテムが存在しているのだ。

 

 ワールドアイテムの効果は桁が違う。使い方さえ間違えなければ、どのような戦力差があろうと容易にひっくり返せる。また、ワールドアイテムを保有する者には、基本的には、ワールドアイテムの効果が及ばないという副次効果まである。

 

 もし、アインズがプレイヤーと接触し、それが敵対的なものであったのならば、即座に〈転移門(ゲート)〉を使って移動し、ベルが〈山河社稷図〉を使い相手を隔離する。もしくは、アルベドが〈真なる無(ギンヌンガガプ)〉を打ち込む。その後は状況に応じて、ナザリックに退避するか、守護者を始めとしたナザリックの戦力が投入される手はずとなっている。

 

 考えうる限りの万全の態勢であった。

 

 

 ベルは〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビユーイング)〉を操作しながら、椅子に座り直した。腰の後ろに下げた〈山河社稷図〉が背もたれに引っ掛かり、座りにくいことこの上ない。

 

 ふと、この〈山河社稷図〉をとりに宝物殿に行った時のことを思い返した。 

 財宝が所狭しと詰まれた間の先、武器庫を抜け、ワールドアイテムが保管されている最奥へとつながる霊廟手前の部屋で出会った、アインズが手ずから作ったNPC、パンドラズ・アクターの事を。

 

 一緒に行ったアインズは会いたくないとごねたため、入り口で待つアインズにリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを渡して一人で奥に行ったのだが、なぜだか最初はギルメンの1人、タブラ・スマラグディナの姿をしており、一瞬ドキッとさせられた。

 その後、本来の姿に戻ったのだが、その芝居がかったオーバーアクションは、なるほどアインズが人の目に触れるところに出したくないと考えるのもうなづける話だった。

 

 だが、ベルはその時のパンドラを思い返すと同時に、つい先ほどのカルネ村でのアインズを思い返す。

 当然、あの時の姿は〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉で、ベルはしっかりと見ていたし、話した内容もシズ経由で耳にしていた。

 

 皆の前で自分に任せろと堂々とポーズをつけて言い放ち、そして盛大に滑ったあの姿。

 

 なんとなくパンドラに似ている気がした。

 

 ナザリックのNPCは、その作成者であるギルメンに比較的近似する傾向にあるようだ。

 ウルベルトとデミウルゴスしかり。たっち・みーとセバスしかり。

 そう考えると、アインズとパンドラが似ていてもおかしくはない。

 アインズは中二病を卒業したと思っているが、あくまで外面を考え理性で封印しただけで、本質はいまだ似通っているのかもしれない。

 自分が忘れてしまいたいただの黒歴史ではなく、すでに捨てさったと思っている性質だが、実は今でもそこはかとなくかっこいいと思っている、その内心を鏡のように見せつけられるという事が、アインズがパンドラを忌避する最大の原因なのかもしれない。

 

  

 そんなことを考えながらも〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉を操作していると、鏡面の端に映るシズが動きを見せた。 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 タン!

 

 乾いた音が響いた。

 下に向いていた頭を驚いて振り返らせたザリュースの目に飛び込んできたのは、先ほどの村からついてきたアインズの使いであるシズとかいう――おそらく人間が、奇妙な鈍色に光る金属の筒を眼前から胸元に下ろす姿。すかさず視線を動かすと遥か前方で、眼窩を撃ち抜かれ、錐揉みしながら鮮血を撒き散らして落ちていく、蝙蝠の羽を持った獅子の姿があった。

 

 その姿を目で追っていると、その視界の端にきらりと光るものが移った。

 目を凝らすと、果てがないかと思われた緑の絨毯、その向こうにそれは青く輝いていた。高く昇った日の光が風に揺られる湖面にキラキラと反射している。

 

「あれです! 湖です!」

 

 ザリュースが叫んだ。

 そちらへ向け、蜥蜴人(リザードマン)を抱えた魔法詠唱者(マジック・キャスター)、そして眼帯をした人間――おそらく――のメイドは速度をあげた。

 

 

 樹海の端がみるみる近づいてくる。

 やがて広大な湖面が3人の前に姿を見せた。

 目にも鮮やかな水の青と森の緑、それが太陽の光の下、美しく輝いている。

 このような美しい大自然をリアルでは記録映像の中でしか見たことがないアインズにとって、思わず時間を忘れて見とれていたくなるような光景だったが、その間も目を凝らしていたザリュースは一点を指さした。

 

「あちらです! あちらに〈鋭き尻尾(レイザー・テール)〉の村があるはずです!」

 

 ザリュースの指さす方へ、再び速度を上げる。

 

 そうして湖岸の湿地帯に沿って飛んでいくと、見渡す限り水面から伸びる丈の長い草ばかりだったところに、なにか背の高いものがあった。最初はただの木が風に揺れているのかと思ったが、近寄るうちにそうではないものだと分かった。

 

「あれは……『落とし子』!」

 

 遥か上空から見下ろすと、湿地の一角に集落のようなものがある。水面から突き出た木の杭の上に建てられたいくつもの家。それらは周りに幾重にも木の柵や泥の壁に囲まれており、厳重に守りを固められていた。

 だが、今、その守りは崩壊しつつある。

 数体の『落とし子』がその巨体を以て、力ずくで柵や壁を打ち破っている。幾人もの蜥蜴人(リザードマン)が手にした武器、原始的な槍やこん棒で叩きつけるが、それらはあまり効いているとも思えない。

 よく見ると、守り手の中には蜥蜴人(リザードマン)以外の者達も交じっている。ゴブリンやオーガ、トロールなどもおり、それらが手にしている金属製武器は、それなりにだが効果がありそうだ。

 瞬間、光が走ったかと思うと、『落とし子』の身体に空飛ぶ炎が叩きつけられた。〈火球(ファイヤーボール)〉の魔法だ。その射手はと見ると老人の上半身に蛇の身体という化け物が、巧みに魔法を操っていた。

 

「おお、リュラリュース! 助けに来てくれていたのか」

 

 ザリュースが思わず、声を出した。

 あれがザリュースの語った話に出てきたナーガ、リュラリュースなのだろう。

 

 あいつは世界を滅ぼす魔樹についての情報を持っていたはずだから、死んでもらっては困るな。アインズはそう考え、今もこちらを見ているはずのベルに〈伝言(メッセージ)〉で相談した。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「怯むんじゃねぇ! 押し返せ!」

 

 ゼンベルが叫ぶ。

 その手のハルバードが力ずくで触手の一本に叩きつけられる。手ごたえはあったものの、その頑強な樹皮に覆われた枝を切断するには至らない。

 

「ちっ。固てぇな」

 

 痺れそうになる腕をかかえ、ゼンベルは毒づいた。

 そもそも、ゼンベルの得意は槍ではなく、モンクとしての武技を身に着けた素手である。だが、この『落とし子』とかいう巨大な植物系モンスターには打撃より斬撃の方が効果があるため、昔、ドワーフに貰ったこのハルバードを使用しているのである。

 

「ゼンベル! 出過ぎるな!」

 

 後ろからシャースーリューが走り寄り、薙ぎ払うように振り払われた枝に対し、手にした両手剣を叩きつけた。その力によってよろけはしたものの、軌道をそらすことには成功した。

 その隙に二人は後ろに下がる。

 

「きりがねえな、こりゃ」

「仕方があるまい。今はまだ防御に徹するのだ。あいつらの活動時間は数時間程度。その間耐えれば、撤退していく」

「しかしよ。そうやって追い払っても、また来るんだろ。どうするんだ?」

「今、俺の弟が森の外に助力を求めに行っている。必ずや、良い知らせを持って帰ってきてくれるはずだ。それまで待つのだ」

「弟か……。今の〈凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)〉の持ち主なんだよな。戦ってみてぇな」

 

 こんな時にも、そうつぶやくゼンベルに、シャースーリューはやれやれという顔をした。

 

「それは帰ってきた後での話だな。今はこいつらを押し返すぞ!」

  

 駆けだす〈緑爪(グリーン・クロー)〉の族長に、「おう!」と〈竜牙(ドラゴン・タスク)〉の族長が続いた。

 

 蜥蜴人(リザードマン)達は苦戦を強いられていた。

 地の利を得た戦いながらも、及び腰にならざるを得なかった。

 決して蜥蜴人(リザードマン)たちが臆病だからという訳ではない。彼らの強靭な肉体と勇猛な精神は、並の人間の戦士をはるかに上回る。そして、その数も十分にいた。

 だが、問題となったのはその手にある武器だった。

 通常、蜥蜴人(リザードマン)が手にするのは、石や木で作った槍や石斧のような原始的な武器だ。だが、今、襲ってきている魔樹の落とし子は樹木系の怪物(モンスター)である。その身に最もよく効くのは、斧のような鋭利な刃物による斬撃や火などの攻撃である。蜥蜴人(リザードマン)の持つ武器では、いまいち効果があげられていなかった。

 

 そういう意味では、援軍としてやって来ていたリュラリュース率いる森の亜人達の方が効率的であった。リュラリュースの放つ炎の魔法、そして単純な力なら蜥蜴人(リザードマン)をも上回るオーガやトロールの手から繰り出される戦斧――錆の浮いた物ではあるが――の一撃は落とし子に対して成果を上げていた。

 

 だが、それでなんとか1体2体倒してもきりがない。

 たとえ倒しても、しばらく後に落とし子は再び生み出される。森の奥深くにいる本体である魔樹そのものを倒さないことには、いつかは押しつぶされる事になる。

 

 

 この戦いを終わらせるには、決め手となる圧倒的な戦力がどうしても必要なのであった。

 

 

 

 その時、轟音が響いた。

 

 空気そのものが生き物となったかのような、音の振動。

 それが辺り一帯に響いた。

 

 その場にいた誰もが――それは落とし子まで――突然の事に戸惑い混乱するなか、いち早く異変に気付いた者達がいる。

 蜥蜴人(リザードマン)は他の種族より、はるかに広い視界を持つ。その視界が上空から飛来する赤い塊を捉えた。

 

 

 遥か天空を駆ける流れ星。

 

 今、それが、この大地へと降り注いできたのだ。

 

 

 それを目にした者達は皆、驚愕のあまり硬直した。その場を逃げ出すという当然の行動すら出来ぬ間に、見る見るうちにその塊が視界を埋め尽くす。

 

 

 そして、その流星は狙いたがわず――『落とし子』たちの頭上に叩きつけられた。

 

 燃え盛る隕石に打たれたその巨躯は、一瞬のうちに打ち砕かれた。

 

 

 誰もが声すらなかった。 

 

 たった今まで、絶望的な戦いを繰り広げ、何とか時間を稼ぐことで精一杯、防戦に徹する事しかできなかった強大な相手が、瞬く間にすべて打ち倒されたのだから。

 

 神の仕業と考えるより他にない光景に、ただ、呆然と立ち尽くすほかなかった。

 

 

 再び広い視界を持つ蜥蜴人(リザードマン)たちが、いち早く気が付いた。

 上空からゆっくりと降りてくる人影を。

 

 皆、固唾をのんで見守った。

 

 やがて、その者達は微かな水音を立てて湿地へと降り立った。

 奇妙な仮面をつけ、漆黒のローブで全身を包んだ魔法詠唱者(マジック・キャスター)

 不思議な金属の筒を抱えた、おそらく人間の女。

 そして、最後の1人。魔法詠唱者(マジック・キャスター)に抱えられ、今、ようやく地に足をつけた人物は……。

 

「ザリュース! ザリュースではないか!」

 

 シャースーリューの驚きの声。

 それを聞き、ザリュースは喜びの声をあげた。

 

「おお、兄者! まだ無事だったか!」

 

 共に駆け寄り、互いの無事に安堵する2人。

 その様子に、遠巻きにしていた他の者達も近寄ってきた。

 

「おう。そいつがお前の弟で〈凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)〉の持ち主か」

「ああ、こいつがザリュース。俺の弟だ。ザリュース。こっちはゼンベル。〈竜牙(ドラゴン・タスク)〉の族長だ」

「おう、よろしくな! お前のうわさは聞いてるぜ。後でちいっと腕試ししような」

「ああ、後でな」

 

 そう言って、ザリュースは目線を動かした。

 

「む? リュラリュースはどこに行った? さっきまでいたようだったが」

 

 つられて皆も辺りを見回したが、先ほどまでいたはずのその巨体はどこにも見当たらない。

 

 そんな中、アインズはその指をあげた。

 何もない空間を指さす。

 

「そこだ」

 

 皆が目を向けるが、そこには誰もいない。

 ……と、思った刹那、何もない虚空から溶けだすように、そのナーガの姿が現れた。

 

「ほう? 儂の透明化を見破るか。先の魔法もお主の仕業じゃろう。お主は一体何者なのじゃ?」

 

 今度は皆の視線が一斉にアインズに集まる。

 

 

 蜥蜴人(リザードマン)の村上空にたどり着いてみたら、すでに戦闘が始まっている状況にどうすべきか、アインズはベルと相談したのだが、ちょうどいいので派手な魔法で『落とし子』を倒して注目を引き付け、アインズの名を知らしめるのがいいのではないかという結論になった。

 

 先ず、落とし子を倒すのに適した、派手な魔法は何がいいか?

 ベルからは即死系の目立たない魔法は使わないようにと釘を刺されていた。〈現断(リアリティ・スラッシュ)〉とかもいいかと思ったのだが、とにかく派手さを優先させるべきと考え、〈隕石召喚(メテオフォール)〉を三重化して、まとめて一掃するというやり方をとった。

 

 結果、狙い通り、皆の注目を集めることに成功した。 

 では、次だ。

 

(……やっぱり、はったりかますために、少し芝居がかった言い方の方が良いかな……?)

 

 一瞬、カルネ村での失敗が頭によぎったが、これが最善手と自分に言い聞かせる。

 アインズは考えながら自分の気を奮い立たせるために、他の者達に気づかれぬ程度に微かにうなづき、こぶしを握る。

 

(……よし!)

 

 

 寄せられる視線による圧力を感じながらも、アインズは臆することなく一歩前に出た。

 そして――。

 

 

「聞くがよい!」

 

 ――バッと袖を払うように片手を振るった。

 

「我こそは、この世の魔導の奥義を極めつくした存在。虚空を越え、世界の深淵の縁まで覗き込み、そしてこの地へとたどり着きし叡智の具現化! 我が名を知る者には我を讃えることを許可しよう。我が名を知らぬ者は己が無知を恥じるがよい!」

 

 両手を胸の前で重ね、そして振り払うように大きく広げた。

 

「我が名は……アインズ・ウール・ゴウン!!」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 その光景を、はるか遠くナザリックでは〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉を通して目にし、共にいるシズから〈伝言(メッセージ)〉を介して聞いたアルベドが代弁する内容を聞き――そこにいる誰しもがその身を震わせていた。

 

 感極まるあまり。

 

 

 自らが忠誠を誓う主の、かくも偉大な姿。

 かくも堂々たる態度。

 かくも素晴らしき口上。

 

 

 〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉の鏡面には、自分たちの常識を超えた強大な魔法、そしてそれを使った人物の威厳ある姿に、その場でひれ伏す蜥蜴人(リザードマン)やゴブリンたちの姿も多く映し出されている。

 

 守護者たちは自分がその地に居合わせぬ不幸を呪い、たまさか同行を認められたシズには嫉妬にも似た感情がこみ上げてくるのを抑えられなかった。

 

 

 一方、その(さま)を目にしながらベルは思った。

 

(やっぱり、アインズさんとパンドラって似てるなー)

 

 後でアインズに言おうかと思ったが、言ったら際限なくチカチカ光り続けそうだったので、言わないでおくことにした。

 守護者達も喜んでるみたいだし、本人の精神状態を無駄に追い詰めることもないだろうと思った。

 

 

 


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