オーバーロード ~破滅の少女~   作:タッパ・タッパ

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 次は少し短めになるかもと言ったな。
 あれは嘘だ。


2016/8/4 「至ることろには」→「至るところには」 訂正しました
2017/5/18 「例え」→「たとえ」、「脛骨」→「頚椎」、「賞賛」→「称賛」、「別れて」→「分かれて」、「行った」→「いった」、「体形」→「体系」 訂正しました



第34話 救援――決戦

 木々と蔓植物からなる緑の海の中を一行は歩く。

 

 道は細く曲がりくねり、下生えが足首に絡みつき、灌木が歩みを邪魔する。森の中で生きるリュラリュースやオーガ、トロール、それにゴブリンたちにとっては獣道など石畳で舗装された道路を歩むも同然であったが、深い森を歩いたことのない蜥蜴人(リザードマン)達は特に難渋していた。

 

 空を覆う枝葉の隙間からわずかに漏れる日の光に目を細め、リュラリュースがつぶやいた。

 

「ううむ。やはり、この辺りにまで影響が及んでおるな」

 

 その声に、蜥蜴人(リザードマン)とは違い、疲労がないうえ、移動阻害に耐性があるため、特に苦労もなく森の中を歩いていたアインズが尋ねた。

 

「どうしたのだ?」

「はい。普段ならば森の中は生命溢れる場所のはずなのに、この付近には鳥や動物たちが一匹たりともおりませぬ」

「ふむ」

 

 言われてみれば、先ほどから鳥の鳴き声一つ聞こえない。

 魔樹を恐れて逃げたのか。それとも、食べられたのか。どちらにせよ、通常の森とは違うという事だ。

 周囲で動くのは、彼らを除けば、風に揺れる草木と身にまとわりつく羽虫たちだけだった。

 

 やがて、ふいに視界が広がった。

 森の中にぽかりと空いた空き地。丈の低い草が生い茂る中、高い木はあちらこちらにまばらに生えているだけだった。

 アインズは続く者達を振り返り、彼らの様子から、この辺りで小休止を取らせようかと考える。

 その時、再びリュラリュースが声を漏らした。

 

「うぬ。あれは……」

 

 リュラリュースの視線の先には、地に倒れ伏し、枯れ果てた大樹があった。

 

「あれは長き時の果て、その身にドライアードが宿るようになった樹木でしてな。わしに魔樹の話を聞かせてくれたのは、その者なのです。魔樹の手が彼の者に及ばぬうちに討伐を成功させたいと思っておったのですが、間に合わなかったようですな……」

 

 それを聞いて、ベルはソリュシャンの中で渋面を作った。

 そのドライアードには、ザイトルクワエの名を付けた者についてなど、聞きたいことが山ほどあったというのに。

 

 ギリギリと不機嫌そうに歯を鳴らしつつも、アインズに〈伝言(メッセージ)〉を送った。

 

《アインズさん。この開けたところの奥、森との境界付近に、さっき言ったのがありますよ》

 

 それを聞いて、アインズは視線を巡らす。

 やがて、緑の下生えの上に黒い塊と鈍色(にびいろ)の輝きを見つけた。

 

 蜥蜴人(リザードマン)達には休憩を指示しつつ、アインズはそちらに近づいた。

 歩み寄り、他の者を巻き込まないように気を付けて〈絶望のオーラ〉を使うと、それに(たか)っていた黒蠅が一斉に飛び立った。

 そこには先にベルから報告があったもの、バラバラに食い散らかされたという表現以外しようのない人間だったとおぼしき死体が無造作に散らばっていた。

 

 

「ふむ」

 

 仮面の顎に手を当て、しばし考える。 

 

 ほぼ肉片の状態の為、正確には分からないが、おそらく10人まではいかないだろう。

 見た感じだが、装備は統一されていない。

 戦士や魔法使いなど、各職業に分かれていると思われる。

 しかし、中でも気になったのは……。

 

 その辺に転がる首や上半身を調べてみる。

 服が汚れるからと、慌ててソリュシャンがその役を引き継いだ。

 

 だが、いくら調べてもない。

 

《こいつらは何者なんでしょうね。装備の統一性の無さからいって、どこかの軍隊とかではなさそうですが》

《冒険者とかでは?》

 

 だが、アインズはそのベルの考えに異を唱えた。

 

《いえ。それは考えにくいと思います。ここにある死体ですが、どれも冒険者のプレートを下げていません》

 

 そう。

 そこに転がる死体の首にはどれにも、冒険者ならば必ず保有している、首から下げるプレートが無いのである。

 もちろん殺されたうえにバラバラにされているため、首から外れ、その辺に落ちた可能性もあるが、それを考慮しても周囲にはそのようなものは見当たらない。殺してプレートを奪った後で死体だけばらまいたというのも考えづらい。

 

《ああ、なるほど。じゃあ、ワーカーですかね?》

 

 なるほど、冒険者崩れであるワーカーならば、冒険者に近い装備をしながらも、冒険者のプレートは保有していない。

 そう考えるのが妥当と思われた。

 

 だが、死体の持ち物を調べていたソリュシャンが「妙ですわね」とつぶやいた。

 

「何が妙なの?」

 

 一人の人間から異なる声が聞こえ、さらに問答するという奇妙な事になりながらも、ソリュシャンは尋ねたベルに答えた。

 

「はい、ベル様。目を引くような物が全くないのです」

「? それがどうしたの?」

「普通、どんなものであれなんらかの素性を探る一端となるものがあるものですが、彼らはそのような物を一切保有しておりません。ごくごく普通のありふれた武器、道具、装備のみで、特徴立ったものは何一つ。また、付近に散乱している彼らの持ち物、これらをいくら探しても、身元や所属につながるようなものが全く見当たりません」

「どこにも所属していないから、そういうものを持ってないとかじゃなくて?」

「いえ、たとえそうだとしても普通は多かれ少なかれ、何らかの痕跡はあるものですわ。むしろすべて消すことこそ難しいものです」

「……つまり、敢えて素性を消した者達って事か」

 

 つぶやくと同時に、アインズに〈伝言(メッセージ)〉を送る。

 

《普通人間が入り込まないような森の奥に素性を隠した一団ってどう思います?》

《怪しいですね。リュラリュースの話を聞く限りでは、この辺りに遺跡とかは無いみたいですし。そもそも、人が来る理由が考えられません》

《うーん。……そう言えば、魔樹のどこかに万病に効くとかいう薬草が生えてるって言ってましたね。それを採りに来たという線は?》

《ああ、そういうのもありましたね。ですが、素性を隠す理由が謎のままですね。仮にワーカーで、どこかから秘かに依頼を受けたとしても、依頼先を隠すならともかく、彼ら自身の身バレする物を持ち物から完全排除する理由にはならないと思います》

《たしかにそうですねぇ。殺し屋とかならいざ知らず》

 

 頭を悩ませつつ、とりあえずザリュースとリュラリュースを呼び、散らばった死体を見せてみる。

 2人の見解は、その状況から、おそらく『落とし子』に食い殺されたものだろうというものだった。

 

《つまり、なんらかの理由で素性を隠した人間達が、普段人間の入らないトブの大森林の奥まで侵入し、魔樹の『落とし子』に襲われて全滅したという事ですか》

《全滅したとは限らないのでは? 逃げた者もいるかもしれません》

 

 その言葉にハッとしてアインズは確認の問いをした。

 

《ベルさん。この辺りの監視は?》

《ばっちりですよ。今も、この周囲には隠密及び索敵に長けた者達を配置してます。今のところ、警戒に引っ掛かったものはありませんよ》

 

 その答えに、ひとまず安堵する。

 

《しかし、そろそろ頃合いかもしれませんね》

《?》

 

 ベルの言葉に頭をひねるアインズ。

 何の事だろうと問いただそうとした矢先――周囲に異様な気配が膨れ上がった。

 

 突然、周辺の森がその様相を変えたことに休憩をとっていた蜥蜴人(リザードマン)達も気がつき、武器を手に立ち上がる。

 

 広場に面する森の中、木立の向こうを何かが動いている気配がする。

 明確な敵意を持った何かが。

 

 やがて、樹木の枝葉を突き破り、体にまとわりつく蔓草をたやすく引きちぎりながら飛び出してきたのは巨大な、雄牛をも上回る堂々たる体躯を持った虎であった。

 それが5匹。

 広場を囲むように、唸り声をあげながら姿を現した。

 

「な! これはトブ・グレーター・タイガー! なぜ、こんなところに!」

 

 驚いて叫ぶリュラリュースに、アインズは「こいつらを知っているのか?」と尋ねた。

 

「はい。こやつらは見ての通り、大型の虎でございます。特に変わった能力は持ってはいないものの、虎の敏捷性に加え、その巨大な体躯による膂力、タフネスなどは恐るべきものがあります。しかし、名に『トブ』とついてはいるものの、現在はトブの大森林ではなくアゼルリシア山脈の方に生息域を移した種族のはず。それが何故こんなところにいるのか? しかも、こやつらは普段、子育てのわずかな時を除いては群れを作らず、単体で暮らすはずなのですが、何故にこうして群れで襲ってくるのか? まったく分かりませぬな」

 

 説明を受ける間にも、黄色地に黒の縞を持つ野獣はこちらを品定めするように、一定の距離を保ちつつ、アインズらの周囲を円を描くように回る。

 それに合わせて円の内側になる蜥蜴人(リザードマン)達も、いつ襲いかかられてもいいように武器を向けながら、油断なく陣形を動かす。

 

 そんな緊迫した空気の中、一人の人物が前へと踏みでた。

 黒い全身鎧(フルプレート)に身を包んだ戦士。

 アルベドである。

 

「アインズ様、ここは私にお任せを。このアルベド、アインズ様には指一本たりとも触れさせません。この後の魔樹戦に備え、アインズ様は魔力を温存しておいてくださいませ」

 

 その言葉にはじかれる様に、シャースーリューも声をあげた。

 

「皆よ! 蜥蜴人(リザードマン)の戦士たちよ! 我らも行くぞ! ゴウン様にこのようなところで魔力を使わせることなどない! この魔獣どもを打ち倒し、決戦に向けての露払いをせよ!」

 

 その声に、武器を手にした蜥蜴人(リザードマン)達、リュラリュース並びにトロールやオーガ達が一斉にときの声をあげ、巨虎へと襲い掛かった。

 

 

 

 円の中心部、戦いには参加せずその(さま)を観察していたアインズは、すぐそばで自分と同様に立っているだけの満腹バージョンソリュシャンの中にいるベルに〈伝言(メッセージ)〉を送った。

 

《ベルさん。これは怪しいかもしれませんね》

 

 やや早口で続ける。

 

《先程、ベルさんは周囲の張り巡らせた警戒網に引っ掛かったものはいないと言ってましたね。しかし、こいつらは私たちの目の前に現れた。つまり、その警戒網をすり抜けてきたという事です。見たところ、あくまでただの大きな虎にしか過ぎないこいつらが、ナザリックの者の目を誤魔化せるほど隠密能力に長けているとは思えません。それに奴らの身体から、妙な魔力の流れを感じます。あれは何らかの魔法の影響下にあると思われます。こちらの殲滅か威力偵察か、その目的までは分かりませんが、我々にぶつけるために何らかの者があの虎を用意したのは明らかです。注意してください!》

 

 周囲に鋭い目を向けるアインズ。わずかに腰を落とし、いつでも動けるように身構える。それに対して、ベルは落ち着いた様子で〈伝言(メッセージ)〉を返した。

 

《そんなに気をはらなくてもいいですよ、アインズさん》

《ベルさん、何を言ってるんですか? ナザリックの者達ですら気づかない内に兵力を送り込んできたんですよ。それこそプレイヤーとかの可能性もあるじゃないですか》

《いえ、大丈夫ですよ。これ、ウチの仕込みですし》

 

 その言葉に思わず――当の人物はソリュシャンの中にいるため直接見ることは叶わないのだが――アインズは振り返った。

 

《……え?》

 

《いえね。ほら、出発するときにアインズさん、みんなの前で演説して、それで蜥蜴人(リザードマン)達もやる気になってたじゃないですか。そんなに意気込んでるのに、ただ何もやることないまま村に帰るってのもなんだなあと思いまして。実際、蜥蜴人(リザードマン)達ってあんまり強くないですから、その魔樹がどれほどの強さでも大して役に立ちそうにありませんし。ましてや、プレイヤーとかがいたら、言わずもがな。それで、何もないままより少しは盛り上げてやろうと、遠くで捕まえてきた虎に凶暴化の魔法をかけて、そして、ぎりぎり蜥蜴人(リザードマン)達達でも勝てるくらいに魔法で強化して、けしかけたんですよ。ほら、アルベドがアインズさんを守ると言い出せば、蜥蜴人(リザードマン)達も我も我もと言い出すと思って》

 

《……えーと、……つまりやらせ(・・・)ですか?》

《演出ですよ》

 

 襲撃の内情を知ってしまい、何とも言えない気持ちになりながら、アインズは周囲で繰り広げられる蜥蜴人(リザードマン)達の決死の戦いを眺めていた。 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「うおおぉぉっ!」

 

 ゼンベルが雄たけびをあげ貫手(ぬきて)を繰り出す。〈アイアン・ナチュラル・ウェポン〉によって硬度を増した爪が、虎の右目に突き立った。

 だが、その目の奥、脳まで達させることは出来なかった。止めを刺すには至らない。

 

 虎はその痛みにより増した凶暴性で、その前腕の鋭い爪を振り回す。〈ナチュラル・スキン〉を使用した強固な鱗でさえも、その荒ぶる猛攻の前に瞬く間に血しぶきをあげて切り刻まれていく。しかし、それでも骨を断つには至っていない。

 ゼンベルは回し蹴りを放ち、その反動を利用して距離をとった。

 

 虎がその蹴りにより体勢を崩した瞬間を狙い、視力を失った右側からシャースーリューが(おど)りかかった。全体重をかけ、両手剣を振り下ろす。

 その刃が、虎の分厚い筋肉に包まれた首筋深くに食いこむ。

 剣を握るシャースーリューの手には、頚椎まで達した感触があった。

 

 その攻撃にはさすがの大虎も苦痛に身をよじる。

 襲撃者に対し、威嚇の吠え声をあげた。

 だが、片目を失い、見えぬ側に立つ相手を視界に収めようと身体をくねらせた事により、柔らかな胴がわずかな瞬間ながら無防備にさらされた。

 

 ゼンベルは全身の力をばねに身体ごと突進し、必殺の貫手を繰り出す。

 激しい衝撃と共に、身体と身体がぶつかり合う。

 ゼンベルの突き出した腕は狙いたがわず、その胴に突き立った。虎の肉体の奥深くまで、その異様に発達した右腕が刺し貫いた。そして、その爪先は正確に虎の心臓を貫いていた。

 

 ズンと音を立てて、彼らに襲い掛かってきた最後のトブ・グレーター・タイガーが地に転がる。

 ゼンベルはその手で虎の心臓をえぐり取り、それを天高く掲げ、雄たけびをあげた。

 

 周囲の者達もまた、彼を讃える様に武器を突き上げ、歓声をあげる。

 

 

 

 熱気あふれる中、アインズは鮮血溢れる拳を振り上げていたゼンベルへと近づいた。

 

「見事だ、ゼンベルよ。此度(こたび)のお前の戦いぶり、蜥蜴人(リザードマン)だけではなく、トブの大森林に生きる者の中で永く讃えられるであろう」

 

 偉大な魔術の使い手からの称賛の言葉に、周囲の者達、蜥蜴人(リザードマン)だけでなくオーガやトロール達も熱賛(ねっさん)を浴びせた。

 

 盛り上がる彼らの輪から外れ、アインズは〈伝言(メッセージ)〉を飛ばした。

 

《……これでいいんですかね?》

《ええ、ばっちりですよ。特に役に立ちはしないでしょうが、皆の士気は上がりましたし。後はゼンベルら、族長クラスの忠誠を引きつけとけばいいでしょう》

《そうですか……》

 

 アインズは、いまだ興奮冷めやらぬ彼らの様子を、わずかな(あわ)れみを込めて見つめていた。

 彼らが命がけで行った誇りある戦い、それがナザリックが用意した籠の中での出来事に過ぎないと知ったらどう思うだろうかと、哀憐(あいれん)にも似た気持ちが胸の内に湧いてくる。

 

《ですが、やはり、この機会にも仕掛けてきませんね。もしかしたら、この後も何もないかも》

《あれ? もしかして、虎たちをけしかけると同時に、この機に乗じて何かする者がいないか調べてました?》

《はい。ちょっとした揺さぶりのつもりだったんですが、その間、動きは無しです》

 

 なるほど。蜥蜴人(リザードマン)達の活躍の場を作るという目的の他に、監視しているかもしれない強者への『釣り』という、ちゃんとした目的もあったのだ。アインズの考えの及ばないところにまで思考を巡らせ、様々な策を先を見通しめぐらすベルに、この人に任せていれば安心だという思いが胸に落ちた。

 

 

 一通り、戦いの興奮が落ち着いた所で、こちらの負った被害を確認する。

 怪我を負ったものはかなりの人数にのぼる。いや、むしろ戦いに参加したもので無傷の者などはいない。

 

 ――アルベド以外は。

 

 皆、多かれ少なかれ負傷しているが、幸いにも死者は出ていなかった。

 

 ――死なない程度にアルベドとシズが、それとなくカバーしたからだが。

 

 とにかく、軽い傷には応急手当てを済ませ、傷が重いものには祭司の力を使える者達が、その力を振るった。

 それにより、結果的に戦闘不能となった者はおらず、このまま行軍が可能であった。

 

 ――その程度で収まるように色々と加減、調整したからだが。

 

 

 

 そうして、一部の者の思惑はどうあれ、世界を滅ぼす魔樹との最終決戦に向け、一同は気を新たにし、森の最深部へと足を進めていった。

 

 

 

《この先ですよ》

 

 ベルからの〈伝言(メッセージ)〉を受け、行く手を阻む藪を手で払うと、そこには周囲一帯の木々が完全に枯れ果てた異質な情景が広がっていた。

 森の中にまれにある開けた場所とは訳が違う、見渡す限りの広大な空間が、黄色と茶色の枯れ草色で埋め尽くされている。見ると、『落とし子』達が十数体、空き地の中央部に固まっている。今のところは、姿を現したこちらに対し、反応する様子はない。

 

 一同、みずみずしい生命の息吹溢れる木立の中から、生きる者の気配のない地へと抜け出た。

 枯れて乾いた草木を踏みしめながら、その武器を構え、注意深く陣形をくんだまま、じりじりと距離を詰める。

 

 やがて、歩く誰かの足がべきりと地にある朽木(くちき)をへし折った。『落とし子』の枝がピクリと動く。

 まるでスイッチが入ったように、一斉にその身を揺らしだした。大地深くに差し込まれていた根が地中から引き抜かれ、枯草の上を踏みしめる。そうして、自分たちの領域に向こうから足を踏み入れてきた愚か者たちを、自分たちの養分にしようと行動を開始した。

 

 そうして、激しい戦いが繰り広げられるかと思われたが、アインズとしてはこいつらはザイトルクワエと戦う前の邪魔者でしかない。

 さっさと、三重化した〈隕石召喚(メテオフォール)〉を何度か唱え、『落とし子』達をすべて吹き飛ばしてしまった。

 

 あらためて、眼前で振るわれた強力無比な魔法に、誰もが言葉もない中、辺り一帯が震動し始めた。

 踏みしめている大地が揺れるという事態に誰もが驚き、転ばぬようその身を低くして耐える中、アインズやアルベドらは何ら動じることなく、そのような些末(さまつ)な脅かしは無駄とばかりに超然(ちょうぜん)と立っていた。

 その堂々たる姿に蜥蜴人(リザードマン)達はさらなる畏敬を抱いたのだが、そうしていると、枯れた大地の中央、朽ち果てた木々の破片を辺りに撒き散らし、ついに世界を滅ぼすと言われる魔樹がその姿を現した。

 

 

 『落とし子』にも似た外見だが、その巨体は比べ物にもならない。

 まさに天をも突くような巨大な大樹。

 そして、周囲に縦横無尽に振り回される、その触手。太さは人間が直立したよりもあり、また、その長さはゆうに数百メートルに達するであろう。

 

 その姿を見ただけで、誰もが絶望を顔に浮かべるであろう異様。

 だが、そんな怪物を前にアインズらは呑気に話していた。

 

「これがザイトルクワエとやらか」

「たしか、頭付近に薬草が生えてるといっておりました」

「頭付近……あれか? なにか(こぶ)みたいなでっぱりのところに苔のようなものが生えているな」

「せっかくですから、採取しておきましょうか?」

「うむ。そうだな。せっかくだから、採っておくか」

 

 魔樹にどれだけの知恵があるのかは分からないが、後ろの者達と異なり、自らを恐れる事もない様子の人間たちに苛立ったようだ。

 その触手の一本が大きくしなり、アインズめがけて振り下ろされる。

 

 

「〈時間停止(タイム・ストップ)〉」

 

 

 その瞬間、全てが動きを止めた。

 森の中を駆け巡る風。撒き散らされた木片。大地から吹き上がった土煙。

 周囲にいる蜥蜴人(リザードマン)達は、恐れ(おのの)いた表情のまま凍り付いている。

 そして、今まさにアインズの頭上に振り下ろされんとする魔樹の触手も。

 

「さて、アウラよ。こいつの力はどれほどのものだ?」

 

 止まった時の中で何事もないようにアインズは振り返り、声をかけた。

 

「はい、アインズ様。少々お待ちください。……三つ色違いですのでレベル80から85くらいだと思われます。特化しているのは体力で測定外です」

「そんなものか。目を引くのは体力が測定外という点くらいで、それくらいのレベルの奴なら、対監視の何かを持っていてもおかしくはないな。……どうした、シャルティア?」

 

 ソリュシャンの中から聞こえる微かなうめき声に、アインズは尋ねた。

 

「は、はい、アインズ様。その……動きにくいんでありんす」

「ん?」

 

 アインズは首をひねる。よく見ると、中の者達が姿勢を変えるたびにぶよぶよと(うごめ)いていたソリュシャンの身体が、ピクリともしようとしない。

 

「あー。もしかして、プレアデスって時間対策アイテム持ってないんじゃ……」

 

 ベルの声に視線を巡らせると、そこではシズも同様に凍り付いたように動きを止めている。まあ、シズの場合、普段が普段なのでイマイチ分かりづらいが。

 

「ふむ、なるほど。止まった時間の中ではダメージ等は受けない。そして、身体の内側から体形を変える程、力を加えて押す行為も攻撃の一種とみなされるため、柔らかいはずのソリュシャンの身体が姿を変えず、固く硬直しているという訳か」

「き、きついんでありんす」

「ちょっと、我慢しなさいよ」

 

 ソリュシャンの中から聞こえる声を耳に、自分の推測に得心がいったとうなづくアインズ。

 そこへ横からアルベドが声をかけた。

 

「アインズ様」

「なんだ、アルベド?」

「恐れ多くもアインズ様に対し、攻撃を仕掛けようなどと不敬の極みを行わんとする、この腐れ樹木ですが」

「そういう表現はとりあえずいいから、どうした?」

「触手が動いております」

「なに?」

 

 言われて見上げると、時間が止まっているはずなのに、今まさに叩きつけられんとする宙にある触手がブルブルと震えている。

 やがて、唐突に(さえぎ)るものが無くなったように、その巨大な枝が振り下ろされた。

 

 それを間に入ったアルベドが手にした盾ではじき返す。

 止まった時の中ではいかな攻撃もダメージを与えることは叶わないため、防がなくてもよいのだが、たとえ影響がなくても、あのような下賤な者の手が至高の御方に触れるのは許せなかったのだ。

 

「ほう。完全ではないが、時間対策は有しているようだな」

 

 感心したように言うアインズ。

 そうしている内に魔法の効果時間が切れ、止まった時が再び動き出す。 

 身を切るような静寂の世界から、音の奔流が連なる現実へと戻ってきた。

 

 身動きできるようになった蜥蜴人(リザードマン)達は、驚きに目を見張った。

 彼らからすれば、止まった時の中で振るわれ、そしてアルベドによって弾かれた一撃は己の認識の範囲外での事であり、魔樹の触手が自分たちの目にもとまらぬ速さで振るわれたと思ったのだ。

 

 魔樹が振るった触手を引き戻さんとする刹那、再びアインズが〈時間停止(タイム・ストップ)〉を使った。

 そして、再び作戦タイムである。

 

《それでベルさん。周囲の様子はどうですか?》

《周辺の(しもべ)たちからの報告では、異常なし。物理的に、そして魔法的にも監視している者はいないみたいですね。ニグレドの監視にも何も引っ掛かりません》

《何もなし、ですか?》

《はい。それ以外、この付近にいる他の者とかもまったく存在しません》

《……つまり、こいつはただ単にそれなりの強さを持つ奴だったという事ですか?》

《おそらくは。まあ、目覚めたのが偶然か、それとも誰かの何らかの意思によるものかは分かりませんがね。どっちにしろ、こいつに関しては、もう辿れるものもないみたいですね》

 

 それを聞かされ、とたんに興味も失せた。

 気をはっていたのが馬鹿馬鹿しく思えた。

 要は、ただ単になんらかの理由で体力が多いだけのレベル85の怪物(モンスター)だったというだけらしい。

 

《じゃあ、さっさと倒してしまいましょうか》

 

 そう提案し、蜥蜴人(リザードマン)達の手前、どうやって派手目に倒そうかと思案していると、ベルから〈伝言(メッセージ)〉が届いた。

 

《あ、ちょっと待ってください。どうせですから……》

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「〈スマイト・フロスト・バーン〉! レイザーエッジ・羅刹!」

 

 コキュートスの放った一撃が、ザイトルクワエの触手を切り落とす。

 痛覚はあるのか、その巨体をよじる魔樹。

 その身めがけてコキュートスは銀の残光を(ひるがえ)し、一息に飛びかかった。

 

 アインズによってこの場に召喚された2足歩行の蟲人コキュートスの凄まじい戦いぶりに、見ている蜥蜴人(リザードマン)達は喚声(かんせい)をあげた。

 

 

 

 ザイトルクワエの始末をコキュートスを任せようというのはベルの提案である。

 

 コキュートスはこの地に来てからずっと、ナザリック防衛の任を担ってきた。

 もちろん、ナザリックそのものを守る事は最も重要であり、その役目は決して他に劣るものではない。

 だが、他の者達がナザリックの外に出て様々な成果を上げる中、コキュートスは目立った成果をあげてはいないのだ。これまでナザリックに侵入した者はなく、その剣がナザリックの為に振るわれることも無かった。侵入者がいないという事は良い事ではあるのだが、それでも、アインズらのお役に立ったという実感が欲しいと望んでいた。

 

 バーにやって来た時、そんな事を一人つぶやいていたと、偶々同じタイミングで同席していたらしいエクレアから聞いていたベルは、今回がいい機会だと思った。

 

 コキュートスの外見は非常に目立つため、下手にナザリック外で戦わせるわけにはいかない。どこに目があるか分かったものではない。それに、例の1500人からなるナザリック討伐隊の時にも姿を見られている。プレイヤーが見たならば、気づく可能性もある。

 だが、今この魔樹周辺には厳重なまでの監視体制が取られ、その様子を監視している者は確実にいない。

 今こそが、コキュートスを活躍させても大丈夫な万全の時であった。

 

 

 コキュートスには、あまり簡単にザイトルクワエに止めを刺さないよう言いふくめてある。

 ベルの目的は、あくまで現地勢の兵員の確保である。

 アインズに言ったのと同じく、蜥蜴人(リザードマン)達を支配するために、その強さを見せつける必要がある。

 その為、瞬殺ではなく、ある程度魅せる戦いがいい。

 

 蜥蜴人(リザードマン)達の様子を(うかが)っていると、思惑通り、コキュートスの戦いは受けがいい。

 アインズの凄まじい魔法も崇敬を集めていたが、やはり蜥蜴人(リザードマン)達としては魔法よりも、肉体を使った白兵戦の方が好みのようだ。

 

 見ているうちにも、幾重にも振り払われる触手の猛攻をくぐり抜け、本体に攻撃を加えては、近づいたその身を捕捉される前にさっと退(しりぞ)く。

 そのたびに蜥蜴人(リザードマン)達から、感嘆の声が上がる。

 

 同じように、〈転移門(ゲート)〉での輸送以外にいまいち働く機会のないシャルティアは、アインズの御前で繰り広げられるコキュートスの戦い、その活躍ぶりを目の当たりにし悔しそうにしていたが。

 

「サテ、ソロソロ頃合イダロウカ」

 

 コキュートスはつぶやくと、自らの剣『斬神刀皇』を深く構える。

 

 皆の視線が一転に集まる中、高らかに声をはりあげた。

 

「スキル発動。〈アチャラナータ〉! 三毒ヲ斬リ払エ、倶利伽羅剣!」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 半球状の闇が〈鋭き尻尾(レイザー・テール)〉の集落、その入り口に音もなく出現した。

 

 村の前に現れた謎の物体。しかし、それはかの偉大な魔法詠唱者(マジック・キャスター)が魔樹の下へと行く際に生み出したものと同等のものである事は一目で分かった。

 

 すぐさま村中に知らせが走り、集まった者達が見つめる先で、そこからあの仮面の魔術師が現れた。その後には、先に見た黒い鎧の人物や眼帯をした人間、そして、銀色に輝く巨体を持つ2足歩行する蟲のような者、奇妙に膨れ上がった体を持つ肥満女が出現する。

 

 やがて、それに続くように彼らの族長たちを始めとした、遠征に参加した戦士たちも姿を現した。 

 誰もが緊張に固唾をのむ中、居合わす者達に対し、シャースーリューが高らかに宣言した。

 

 『世界を滅ぼす魔樹は退治された』、と。

 

 その場が歓声に包まれた。

 

 

 

 帰ってきた戦士たちを囲み、どんな戦いをしたのか問い、そして彼らが生きて戻ってきたことを喜ぶ蜥蜴人(リザードマン)達。

 

 その様子をアインズらは少し離れた所で見ていた。

 

《まあ、今回の件ですが、こんな感じで良かったですかね》

《ええ。当初の目的の一つであった、現地勢の兵員確保は達せそうです。彼らの間ではコキュートスはもはや神格化されていますから、コキュートスの命令ならば何でも聞くでしょう》

《これからどのようにするんです?》

《ええ、コキュートスを前に出して、蜥蜴人(リザードマン)達の政治に介入しましょう。まあ、あまり複雑な政治体系はないでしょうしね。強者を重んじる性格みたいですから、より強い戦士を育成するとか言えば、人手は借りられるでしょう》

《実際に戦士として鍛えるんですか?》

《ええ。ナザリックにあるレベリングアイテムを貸し出したり、条件によってはクラスチェンジアイテムを試してみてもいいでしょう。下手な相手で実験してみるわけにもいきませんし》

《レベリングアイテムですか……。彼らって、鍛え続ければ私たちのようにレベル100に達するのでしょうか?》

《それも調査研究の対象ですよ。もし、それが可能ならば、それに対するなんらかの手筈(てはず)なりを考えなければなりませんね》

《ふむ。なるほど。そういった情報はいち早く調べなければなりませんね》

《ええ。もし、仮にこの地にプレイヤーがいたとした場合、一体いつからいて、どんな情報までを掴んでいるかがとても重要になります。とにかく、この世界はゲームの仕様が通用するとかいう訳の分からない世界ですし》

《こちらが知らない世界法則を、向こうが先んじて知った上でなんらかの形でこちらに対して使用するとかいう事態になると、思わぬ窮地に陥る可能性もあるということですか》

《そういう事です》

 

 そうして、ふとアイテムボックスに手を入れる。

 取り出したのは先程コキュートスが切り取った魔樹の(こぶ)状の突起。そこに生える苔を眺めた。

 

《これって、本当に万病に効くんですかね?》

《さあ? この世界の人間、あくまで低レベルキャラ基準ですから、なんとも。効果は限定的な可能性もあります。帰ったら、誰かに鑑定させてみましょう》

《そうですね》

 

 視線をあげると、まだ蜥蜴人(リザードマン)達はその生還を祝い、盛り上がっている。

 

「とりあえずは、今のところ、これ以上ここですることもないか。コキュートスを遣わせるのは、日を置いてからでいいだろうしな」

「ヌ? 何カ私ニ新タナオ役目ヲ?」

 

 問うコキュートスに、先ほど〈伝言(メッセージ)〉で相談した蜥蜴人(リザードマン)の支配計画を語る。

 その説明に、コキュートスはわずかに狼狽し身を揺らせた。

 

「ム……。無論、コノコキュートス、ナザリックノ為デシタラドノヨウナ任モ受ケルツモリデハアリマスガ、討伐ナドデハナク支配、統治トナルト私ニハ少々難シイカト……」

「なに。心配することは無い。お前には象徴として前に出てもらうだけだ。先の戦いで蜥蜴人(リザードマン)達の崇敬を集めていたからな。逆らおうとする者はおるまい。それに、細かなことはナザリック内の、誰かそういう事が得意な者をつけるつもりだ」

 

 アインズの言葉に、いまだ困惑した様子を見せていたものの、やがて「ゴ命令ノママニ」と膝をついた。

 その様子にうむとうなづいた後、そう言えばとベルに〈伝言(メッセージ)〉を送った。

 

《そう言えば、プレイヤーとか強者の情報は手に入りませんでしたね。それと、結局、あの人間の死体は何だったんでしょうね?》

《うーん。現状では分かりませんね。ですが、例の素性が消されていた件から考えるに、なんらかの組織が秘密裏に何かをしようとしていたといったところでしょうかね》

《何らかの組織、そして謎の理由ですか》

《ええ、とにかく言えることは、情報が少なすぎて今のところは何とも言えないってことですね》

《これからも調査や警戒は必要って事ですね》

《はい。面倒ですがね。一応、これから何かあるかもしれませんから、ザイトルクワエがいた辺りには少しだけ監視は残しておきましょう》

《まあ、そんなところですかね》

 

 アインズは〈伝言(メッセージ)〉を切ると、自分に視線を向けている周囲の者達に目をやった。

 

「さて、帰るとするか。我らのナザリックへ」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

 

 

 

 ややその身を細めた月が、わずかなさざ波を立てる湖の上に浮かんでいる。

 集落の至るところには篝火(かがりび)が焚かれ、その炎に赤く照らされた蜥蜴人(リザードマン)達が陽気な声をあげていた。

 

 広場の中央には、この湖に住まう蜥蜴人(リザードマン)達に伝わる四秘宝の一つ『酒の大壺』がどんと置かれており、そこから幾人もの蜥蜴人(リザードマン)達が入れ代わり立ち代わり、手にした椀で酒を汲み出している。

 

 彼らの酒の肴は、今日の魔樹討伐での出来事。

 いまだかつて誰も体験したことがないような、今でもわが目を疑うような光景を遠征に参加した者達は語った。

 

 雄牛のような巨大な虎の群れとの死闘。

 偉大なる魔法詠唱者(マジック・キャスター)の魔法によって、あの『落とし子』十数体が瞬く間に壊滅した様子。

 そして、魔樹とコキュートスという蟲人の戦い。

 

 かつて、世界を滅ぼすとまで言われた魔樹は、圧倒的な強さを誇るコキュートスの剣技の前に、再生不可能なほど切り刻まれ、その欠片一つに至るまで凍りつかされた。

 もう二度と、かの怪物が近隣を脅かすことはあるまい。

 

 そのことが語られると、聞いていた聴衆たちは歓喜の声をあげた。

 

 

 

 ゼンベルは、がばとその椀に注がれた酒を飲み干す。

 

「おう、それでよ。その虎がシャースーリューの方を向いた瞬間を、俺は見逃さなかった。その一瞬の隙をついて、虎の身体に貫手を叩きこみ、その心臓を抉り出したんだ」

 

 「おお」と聞いていた者達が声をあげる。

 すでに酒宴は三々五々、小さな集団ごとに分かれて酒を飲みながら思い思いに語り合う場となっていた。

 

 この場にいるのは蜥蜴人(リザードマン)達のみ。アインズら及びリュラリュースらはいない。

 あの後、アインズらはその魔法を使い、どこかにあるという自分たちの拠点に帰っていった。

 リュラリュース達もまた、自分たちのねぐらへと旅立った。本来、リュラリュースらは同盟の締結におもむいたのであり、そのまま魔樹討伐まで行くなどということは考えてもいなかった。その為、すぐにでも仲間の下へ取って返し、魔樹の脅威が去ったことを伝えたいと言い、この場を後にしたのだ。

 

 そうして、ゼンベルが再び酒を汲みに行くと、シャースーリューもまた壺のところへとやって来た。

 

「おお、ゼンベルよ。飲んでいるか?」

「ああ、たっぷりとな。……お前の方は少し飲み過ぎじゃないのか? 足元がよろめいてるぞ」

「なに、多少は魔法で何とかなる」

「おいおい。そんなことに魔法を使うのかよ。まあ、こんな時だから、たっぷりと飲みたいって気分は分かるがよ」

「うむ。警戒は必要だが、心身ともに休む時には休まねばな。それより、俺の弟……ザリュースを知らんか? あいつめ、酒を汲んでくると言ったまま、戻ってこんのだ」

「ん。……あー、なるほどな。まあ、それについちゃ、詮索はしねぇ方が良いな」

「なんだ? 知っているのか?」

「まあ、いいじゃねえか。向こうで呑もうぜ。部族間の戦争の時に活躍したっていう、お前の話も聞いてみてぇ」

「おう。いいとも。まあ、長い話だ。酒が無くては始まらん」

 

 そう言うと、大壺から酒を汲み、2人は肩を組んで歩いていった。

 

 

 

 そんな盛り上がっている宴席から離れたところ。

 喧騒の音も遠く、静謐な空気がそこには漂っていた。

 

 黄色い月は湖の真上。風に揺れる水面にキラキラとその光を反射させている。

 

 そんな光景をザリュースとクルシュは2人で眺めていた。

 

 二人とも言葉はない。

 ただ、互いがそこにいるだけで満ち足りた気分になる。

 

 どれくらいそうしていただろうか、やがてザリュースが口を開いた。

 

「俺は恋など出来ぬと思っていたよ。旅人となり、世界を知った身として、はたして普通に生きる蜥蜴人(リザードマン)のメスと(つがい)となって、相手を幸せにできるのかという考えが常に頭の先にあってな。だが……」

 

 そして隣に腰掛ける、かつてザリュース自身がアゼルリシア山脈に積もる雪と例えた白い身体を持つ蜥蜴人(リザードマン)、クルシュに目をやった。

 

「だが、お前を見たとき、そんな考えなど吹き飛んでしまった。ただ、俺の頭の中はこのメスと添い遂げたいという事で一杯になってしまったのだ」

 

 それを聞いたクルシュは優しく微笑んだ。

 

「ええ。私も誰かと(つがい)になる事など考えられなかったわ。このアルビノの身。陽光の下を自由に歩くこともかなわないこの身体を見て、私に求愛する者などいるとは思えなかった」

 

 その笑顔は、旅人として各地を回り、普通の蜥蜴人(リザードマン)なら見ることもかなわなかったような光景を多く目にしてきたザリュースにして、今まで見たものの中で最も美しかった。

 

 今回の騒乱で多くの被害が出た。

 〈小さい牙(スモール・ファング)〉は部族を形作れず、〈緑爪(グリーン・クロー)〉に吸収される形になった。その〈緑爪(グリーン・クロー)〉もまた多くの被害を出し、そしてザリュースにとって家族といってもいいほどの存在であったロロロを失った。

 

 皆の負った傷は深い。

 だが、命ある限り、その営みは続いていく。

 家族や仲間を失った悲しみは時とともに癒え、やがて新たな家族や仲間を手に入れた喜びを手にすることだろう。

 

「クルシュ。俺はここに誓おう。おれはこの命ある限り、お前を、そして蜥蜴人(リザードマン)達を守ると」

「ええ。ザリュース。その時は私も隣に」

 

 いつしか腰かける2人の尻尾が絡み合っていった。

 

 今、このとき、誰も2人を邪魔する者はいない。

 ゼンベルには絶対に近づくなと、きつく言い含めてある。

 

 やがて、月明かりに照らされる中、二つの影が一つになった。

 

 

 

 

 天まで届けとばかりに燃え盛る篝火の明かりの下、蜥蜴人(リザードマン)達の饗宴の声がトブの大森林にいつ果てるともなくこだましていた。

 

 

 

 だが、彼らは気がついていなかった。

 

 

 こうして酒を酌み交わし、勝利と安寧を祝い騒ぐ、その姿。

 

 それを、今、この瞬間も――見ている存在がいることを。

 

 

 

 そして――。

 

 

 

 

 

 ――自分たちの命運が明日の日の出を待たずに尽きることを。

 

 

 

 

 

 

 


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