2016/10/9 ルビで小書き文字が通常サイズの文字になっていたところを訂正しました
文末に「。」がついていないところがあったのでつけました
2017/5/18 「沸いて来た」→「湧いてきた」、「攻勢防壁」→「攻性防壁」、「行った」→「いった」、「来た」→「きた」 訂正しました
「はぁ? あの
予想だにしなかった報告。
幸い、この場が自分とベル、2人しかいない執務室であったから良かったものの、ナザリックの支配者としての演技も忘れ、思わずアインズは驚愕の叫びをあげてしまった。
アインズが驚くことは予想の
「はい。昨夜……まあ、数時間前ですね。今、ちょうど外では夜が明けたところですから。あの
「……それで、生存者は?」
「
その言葉に、アインズはやたらと広い肩を落とした。
「そう……ですか。あの
「まったくです。惜しかったですね。戦力の増強、レベリング実験、クラスチェンジ実験等、試してみたいことは山ほどあったんですが……」
ベルはそう語る。
そもそも、
だが――。
「まあ、仕方ないですね」
――と、明るく言った。
その様子に、無理をしているのだろうと、アインズはかえって悲しく思った。
悲嘆の姿を、友であるアインズにすら見せずに気丈に振る舞うその
その心中を思うと、そんな結果を作り出した何者かに対する怒りが、ふつふつとその胸に湧いてきた。
「それでベルさん。その
だが、それに対するベルの答えは、淡々としたものだった。
「さて、なんとも。生存者も残さないように、とにかく徹底的にやったようだという事だけしか」
おや? と、アインズは思った。
まだ、調べている最中なのだろうか?
「ん? 手掛かりとかはなかったんですか?」
胸に浮かんだ当然の疑問。
それを尋ねてみたのだが、それに対するベルからの答えは――。
「いえ、とにかく我々の目的を達するには
――と、いうものだった。
はてな、とアインズは首をひねる。
なぜ、ベルはそんなに簡単に犯人捜しをあきらめたのだろうか?
ベルからの話によると、襲撃はほんの数時間前。
ならば、今からでも調査すればよいではないか? 探せば、必ず手掛かりはあるはず。
確かに、犯人を見つけたからといって、
帰ってこないのではあるのだが……。
……かと言って、これを放置しておく理由にはならない。
仮にそのままにしておいた場合、第2、第3の事件が起きる可能性がある。この後も同じようにナザリックの支配権を広げたときに、ナザリックへ恭順の意を示した者達が同様に壊滅させられる恐れがあるのだ。それこそ、今、ベルが言ったリュラリュースの方が、次に狙われる可能性もある。
そうならない為にも、対策を講じる必要があるではないか。
犯人を捜し、それを叩きつぶす。
それがどう考えても最善の手であり、先々を見通したうえでの転ばぬ先の杖だろう。
それなのに、それをしようとしない? ギルメンの中でも慎重派に分類されていたベルが?
いや、慎重派だからだろうか? 敵を叩くことを躊躇しているという事なのか?
……敵を叩く……。
ふむ。
今、自分は敵を見つけたら叩き潰すと考えていた。この世界の者の力量的には、未だ強者に関して調査中とはいえ、ナザリックの戦力を持ちえれば、それは十分に可能だろう。およそ、この地の者達は、ナザリック勢と比べれば圧倒的に低レベルの者達ばかりだ。
先のエクレアの件により、この世界にも警戒しなければならない者がいることは分かった。
なるほど、注意は必要だろう。
だが、それはあくまで注意である。言うなれば毒のある虫の対する注意のようなものだ。
毒の一刺しには警戒は必要でも、こちらに対する本質的な脅威にはなりえない。
現段階においてアインズとベル、2人で話し合った結果の現状認識はそうだった。
その上で、警戒しつつもわざと隙を見せて相手をおびき出し、姿を現したところを叩き潰すというのが基本方針だったはずだ。
しかし――。
しかし、相手がそう簡単に叩き潰せない存在だったとしたら、どうなるだろう?
そう、こちらが容易には勝てないほどの相手。
下手に手出しをするのが拙い相手だとしたら、手を出すこと自体を控えるだろう。
今回の件に関するベルの奇妙な態度は、犯人が容易には手を出してはいけない相手だと分かっているから?
そうなのか?
「ベルさん。……この件について、これ以上調べないつもりですか?」
「え? ……ええ。もう過ぎてしまったことですからね。こぼれたミルクを嘆いても無駄です。終わりでいいでしょう。それより、帝国の事なんですがね……」
やはり。
ベルは
おそらく、ベルはもう犯人に繋がる、なんらかの証拠や手がかりとなるものを掴んでいるのだろう。
犯人について、ベルはすでに確信を得ている。
だが、ベルは確信を得たうえで、その犯人とアインズを接触させたくないと望んでいる?
アインズに事の真相を伝えまいと考えている?
どうしてだ?
向こうが強者だから?
いや、どうやらそれはないだろう。
もし強者の影があるならば、容易に手を出せない相手ならば、なおさら急いで対策を練らねばならない。アインズに秘密にしておく理由がない。
何か別の理由から秘密にしている?
いったい、自分に真相を明かそうとしない理由とは、犯人との接触を阻もうとする理由とはなんだろう?
自分の名が向こうに知られると拙いのだろうか?
いや、そうだとしても、自分に秘密にする理由にならない。
そもそも、この地においてアインズ・ウール・ゴウンの名を前に出して行動したことはほとんどない。カルネ村と、今回滅んだ
アインズ・ウール・ゴウンの名前が出る事への警戒は除外して考えてよさそうだ。
同様に、アインズがアンデッドであることが知られると拙い相手というのも除外していいだろう。
確かに仮に接触するにしても、アンデッドの姿を持つ自分が出ていっては交渉すらままならない事は理解できる。
この地においては、アンデッドは生者を憎み敵対する存在であって、友好や共存を望めるような存在ではない。その点、外見は人間のベルならば、その見た目が子供とはいえ折衝は出来るだろう。
だがそうだとしても、先のものと同じく、自分に秘密にする理由がないのだ。
では逆に向こうに知られるのが拙いのではなく、自分、アインズが知ると拙い相手という可能性はどうだろう?
落ち着いて一つ一つ考えてみる。
まずはアインズがその者と接触した時に、冷静ではいられないような相手。
考えられるのは、アインズが大切に思っているナザリックの者に傷をつけた存在。
エクレアを洗脳した法国の人間、それとアウラ、マーレと戦ったツアーという者か?
そいつらと
交渉の問答無用な決裂を避けるという意味では、ベルが現段階でアインズに知らせないということもあり得るか。
次に考えられるのは、逆にアインズにとって親しい相手だったらという線だ。
ナザリックとしての計画である
――無理に真相を白日の下にさらさず、ベルだけの胸の内にとどめておこうと思うかもしれない。
仮にそうだとした場合、考えられるのは……。
……冒険者か?
人間世界では
しかし、エ・ランテルには冒険者はミスリル程度までしかいない。とりあえず見た感じ、ミスリル程度では、あの
だが、どこか他の都市からやって来た高位冒険者という線も考えられるか。他地区からやって来た冒険者と、この付近に土地勘のあるエ・ランテルの冒険者が共同で当たったとか?
アインズはエ・ランテルにおいてモモンと名乗り冒険者として活動している。当然ながら、街に顔見知りも多い。その中の誰かが関わっているのだろうか? もしくは、直接知っている『漆黒の剣』あたりがかかわっているのだろうか? それか、まだ、はっきりと知り合いかどうかは分からなくとも、犯人の冒険者がモモンと知り合いの可能性を考慮して、現段階では自分に秘密にしているとか?
他にはカルネ村であったガゼフ・ストロノーフか?
確か、彼は王国に仕える戦士長だったな。
トブの大森林は王国に接しており、森の中から
国として森林内に潜む
そうなった時、彼が先頭に立ってもおかしくはないな。
あとは……そうだな。カルネ村の人間たちという線もあるか?
うーむ。しかし、これは考えにくいだろう。エンリにはゴブリンやオーガたちという配下はいるが、あいつらを使っても、
……いや、待て。カルネ村にはそれだけではなく、デスナイトのリュースや土木作業用に貸し出したストーンゴーレムらがいる。あいつらにも戦わせれば
カルネ村での動きはナザリックに報告がくるはずだが、今回の件に関してアインズにベル、それに守護者ら一同は対ザイトルクワエ戦に注力し、そちらの対応に気をとられていた。その為、カルネ村からの報告が後回しにされ、それを後になって知ったベルが慌てて口止めしたとか?
とりあえずは、考えられるのはそんなところか。
他にも、可能性だけで言うなら、なんらかの周辺組織が関わっているとかも考えられるか。
例えばトブの大森林には王国の他にも帝国も面しているし、エ・ランテルでの件で知ったズーラーノーンとかいう死霊術をメインとした怪しげな結社とかも。
それらについてはあまり情報がないため、ベルが自分に秘密にする理由自体思いつかないが、逆に情報がないという事は、なんらかの理由がそこに存在し、その為に隠しているとしてもおかしくはない。
あの森の中に転がっていた謎の死体と関連性があるのかも……?
……うーん。
しかし、そこまで考え出すと、すべてが犯人の可能性があるな。それこそ、悪魔の証明に近い。
もう一度、事態を整理してみよう。
今、自分は、
では角度を変えて、
ふむ。
まずは戦力だな。
あの
それに、それなりに数もいる。『落とし子』の襲撃による被害を受けていたとはいえ、戦える者だけでも4桁に迫ろうかという程はいたはずだ。
それら全てを壊滅させるのは容易ではない。よっぽどの戦力差があったという事が考えられる。
完全に包囲殲滅するだけの軍勢としての戦力を保有しているか、もしくは単体ならおよそ70~80レベルくらいはある存在でもなければ無理だろう。
次に場所だ。
トブの大森林自体、人間が足を踏み入れるところではない。せいぜい、外周部付近で狩りをしたり、薬草をとる程度だ。およそ、森林内を移動するだけでも容易なことではない。
そんな森の奥深くにある村。
ザリュースの話では、他種族の者が集落を訪れること自体めったに、というか、まず無い事なのだとか。
そんな存在自体がほとんど知られていない集落を襲う相手とは?
それに襲撃されたのは昨晩の事だという。
自分たちナザリックの者達が
アインズ本人は対監視の攻性防壁を保有しており、また一緒にいたアルベドを始めとした守護者たちならば、魔法以外の方法で監視している存在がいたら気づくことが出来るだろう。そして、アインズらがザイトルクワエ討伐におもむき不在だった間は、たしかベルが湖の対岸にイグヴァらを配置して、周辺の監視をさせていたはずだ。
それらの事から考えると襲撃犯がその近辺に現れたのは、アインズらがザイトルクワエ戦終了後、
ベルの話によると壊滅は数時間前という事だから、およそ9時間程度の空白期間がある。
偶然か? それとも、なんらかの手段、
そして、最大の疑問。
なぜ
その真意までは、今判別することは出来ないが、少なくとも、明確に殲滅を狙ってのことと考えて間違いはない。偶発的な発見、遭遇から戦闘にいたったとは思えない。
そう考えた理由は、
ベルは襲撃状況について、生存者0といっていた。
普通、戦闘で相手を打ち負かしても、必ず敗残兵は出るものだ。それに非戦闘員の者達は戦士たちが敗北したのを知ったら逃げ出すだろう。湿地にある集落の周囲は森である。いかに
それなのに、生き残りが一人もいないという事は、最初から逃走経路を潰したうえでの襲撃とみるのが妥当だ。
ふむ。
これらの事から、つまり犯人は――。
1.
2.ほとんどの者が知りえない
3.ナザリックの者がその地を去ってから、攻撃を開始した。偶然か狙ってかは分からないが、もし故意だったものだった場合、ナザリックの戦力を知っていた可能性が大きい。
4.
そして――
5.おそらく誰が犯人か確信を抱いているベルが、アインズには言いたくないような相手である。
――これらの条件を満たす存在という事になる。
……む……?
これらの条件を並べ考えてみると、何か脳裏に引っ掛かるものを感じた。
古い言い方を使うなら、魚の骨がのどに引っ掛かったとでもいうような、何か言葉にならないような感覚。
自分の記憶の奥底に漂う何かに、犯人につながるヒントとなるものがあるのだろうか?
今までの記憶を思い返してみる。
この世界に転移してからの事を。
〈
その後、やって来たガゼフらとともに、法国の陽光聖典とかいう奴らを倒した事。
エ・ランテルで冒険者となり、ンフィーレアや『漆黒の剣』と薬草取りに出かけた事。
その後、戻ったエ・ランテルでのアンデッド騒ぎを解決した事。
アウラとマーレを野盗狩りに出したら、法国の漆黒聖典やツアーという人物と戦闘になり、エクレアが謎の攻撃で洗脳された事。
そして、助けを求めに来たザリュースの頼みを聞き、
……ん?
待てよ。
そう言えば……。
アインズは思い起こす。
今、脳裏に浮かんだものを。
――あの時の記憶を。
……そう。
…………そうだ。
確かにそうだ!
あいつならば――先にあげた5つの条件全てを満たすじゃないか。
アインズはその仮定をもとに、すべての事象を頭の中で組み立て考えてみる。
すると、全てのピースがこれ以上ないほどにかっきりと合った。
考えれば考える程、正にそうとしか思えない。
その事はアインズの心の内で、疑念からはっきり確信へと変わった。
「ベルさん」
アインズは目の前に座る少女に声をかける。
ベルは何だろうと目線をあげ、続く言葉を待った。
ナザリックの支配者にふさわしいといえる豪奢な造りの椅子に座り直し、およそこの世の物ではない素材でできた黒い机の上で指を組み、アインズは言った。
「ベルさん。今回の
その言葉に、ベルは困惑の顔を向けた。
「いや、アインズさん。その事はもういいじゃないですか」
ああ、確かにその通りだ。
すでに過ぎた事。
今更、言っても
今、こうして事実をはっきりさせることは、ただの自己満足にすぎないかもしれない。
だが、それでもはっきりさせておきたかった。
今回の結末、悲劇を引き起こした者について。
アインズは知っておかなければならないのだ。
このような悲劇を繰り返さないためにも。
そのためにアインズは、一足早く、事の真相にすでに行き当たっているであろうベルに確認の言葉をかける。
「ベルさん、今回の事ですが……」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ベルさん、今回の事ですが……」
アインズは居住まいを正し、ベルを正面から見た。
そして、口に出す事に
「ベルさん、たしか……
「……」
「……」
「………………」
「………………」
「………………………………………………」
「………………………………………………」
「………………………………………………………………………………………………てへぺろ」
「やっぱりですか」
アインズは呆れたような声を出した。
「いやー、ついうっかり」
ベルは誤魔化すように笑いながら、頭を掻いた。
「ザイトルクワエのところに行く時に俺たちの周りにいた連中には、ザイトルクワエを倒した後、あの辺りの監視を一部の者に命じて、残りはナザリックに戻したんですがね。
そう。
そうなのだ。
このザイトルクワエ騒動が罠だったときのことを考え、ベルが念のため
彼らなら、条件にすべて合致するのだ。
1つ目、
最初から、万が一の際に
2つ目、
ザリュースに案内されて集落に来たアインズらの情報をもとに配備したのだから当然だ。
3つ目、ナザリックの者達がその場を去ってから行動を開始した。
これはザイトルクワエ戦の後、アインズらがすぐに
4つ目、最初から殲滅を目的として戦闘を行った。
イグヴァらの任務は万が一の際の口封じ。最初から生存者を一切出さないように準備、計画されていたのだから。
そして、最後の5つ目、ベルが犯人の事をアインズに知らせたくなかった理由。
自分の命令で部隊を配備しておいたのに、そのことをすっかり忘れていて、それで
「湿地とか森の中とか移動しましたから、なんだか湿気でべたべたしているような気分がしまして。ナザリックに帰ってきてから、風呂に入って、着替えをして、ようやくさっぱりした気分になって、ソファーでゴロゴロしながらジャーキー齧ってたらですね。急に〈
「びっくりしたのはこっちですよ。一体何が起こったのかと思ったじゃないですか」
「待ってください! イグヴァを責めないでやってください。あいつはちゃんと指示を守っただけなんです!」
「そんなの分かってますよ。悪いの全部、ベルさんでしょ」
「いやぁ、すみません」
「まあ、過ぎた事ですし、もう仕方ないですけどね」
「やれやれ」と、胸のつかえが下りたとばかりに安堵の息を吐き、アインズは椅子の背もたれ深くに身を預ける。
ベルは机の上に置かれた菓子皿から、かりんとうを一つ手にとり、がじがじと噛み砕いた。
「それで、これからどうしましょうか?
「その現地の配下に関しては、さっきも言った通り、リュラリュースらで代用できるでしょう。いっそ、ザイトルクワエもいなくなったことですし、あいつにトブの大森林を支配させましょうか?」
「それは良いですね。そうすれば実験材料には事欠かないでしょうし」
「それと
「ええ、そうです。確かにもう在庫切れ状態でした。……そう言えば、人間の死体だと〈アンデッド作成〉を使っても中位アンデッドの弱い奴までしか作れかったんですよねぇ。人間じゃなくて
「ふむ、その可能性はありますね。せっかくですから、有効活用しましょう。MOTTAINAIの精神ですよ」
そこまで行ったところで、「ん?」とベルは何かを思いついたように視線を虚空に向けた。口の中いっぱいに放り込んでいた物をごくりと飲み込む。
どうしたんだろうと見つめるアインズに、ベルは食べ差しのかりんとうをくるくると回し言った。
「そうだ。たしか
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
重い瞼を開くと、光が飛び込んできた。
目を刺すようなという形容がぴったりとくるような、痛みすら感じさせる光。
その刺激に耐えて目を見開くと、ゆっくりとその目が眩しさに慣れていった。
そして、初めてそこが室内であることに気がついた。
木製ながら
かすかにカルネ村で見た人間の家を思い起こさせたが、これはあの村のものとは比ぶベくもない程の立派でしっかりとした造りだ。
ザリュースは鉛が詰まったような体を動かす。まるで二日酔いにも似た、だが、今まで経験したことのないような強烈な
天井付近の光源からは陽光とも違った白い光。森の人のところで見たことがある魔法の光が、辺りを包み込んでいた。
そこに一人の人物がいた。
漆黒のローブに身を包み、泣いているような奇妙な仮面をつけた人物。
その御仁は、なにか奇妙な
「こ、こ
声を出そうにも、なにやら上手く舌が回らない。
ザリュースは身体にのしかかる重石を押しのけるかのように力を込めて、その半身を起こした。
「気がついたか」
仮面の
「ぁ……ぁー、あー、ゴホン。ご、ゴウン様? ここはどこなのですか?」
何度か声を出し、咳ばらいをして、アインズに問いかける。
それに対し、アインズは満足そうにうなづき、手の
「憶えていないのか? どこまで記憶がある?」
その問い自体を不思議に思いながらも、
その瞬間、ザリュースは思わず飛び起きようとして、力の入らぬその身は板張りの床の上に叩きつけられた。
「あ、あいつが……。あのアンデッドが……村を!」
脳裏に浮かんできたのは、あの絶望。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
日は落ちたというのに、辺りは紅蓮の明かりで照らし出されていた。
夜の闇を照らすのは家々の燃える炎。
そして、嫌な臭いを発して燃え盛る
少し離れた湖岸から、集落に燃え盛る光を見たザリュースはクルシュと共に、急いで戻ってきた。
そこで見た光景。
『落とし子』の襲撃から守りきったはずの村は燃え、辺り一帯が阿鼻叫喚の声で埋め尽くされ、そして、虐殺された
轟音が耳に響く。
見ると、嫌らしい黄色い膿を思わせる光をその身に纏う
別に目を向けると、その巨体を薄汚れた包帯で包んだ怪人が、その身に突き刺さる
その光景に呆然とする刹那――直感が走った。
考えるより先に飛びのくと、つい先ほどまでザリュースがいた空間を、空を切り裂く電光が走り抜けた。
その魔法が飛んできた先に目をやると、そこにいたのは骨に皮が張り付いたような生理的嫌悪感をもたらす身体を、豪華なローブで身を包んだ邪悪なアンデッド。
そのアンデッドは、眼窩の奥の光を揺らめかせながら告げた。
「ひ弱な者達よ。偉大なる御方に逆らわんとする
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
絶叫した。
恐怖と絶望、そして怒りに。
あのイグヴァと名乗る
「……っはぁ!」
深く水の中を潜っていた後のように、一息に呼吸をした。咽喉が傷むほど、空気が急速に肺に出入りする。
息を整えながら、自らの身体を見まわす。
自分は死んだはずではないのか? なぜ、生きている?
疑問に思うザリュースに、アインズは答えてやった。
「ザリュースよ。お前は一度、死んだのだ」
「な……!?」
「一度、死んで我が魔術の奥義によって生き返ったのだよ」
驚いて、己が両掌を見つめる。そこに焼け焦げた痕などない。
「ま、まさか……。一体、どうやって……。私の為に大儀式を行ったのですか?」
「いや、これくらい私一人の力で出来る事だとも」
伝説でしか聞いたことのない、
驚きのあまり、その仮面をぼうとみつめていたが、どうしても聞きたいことを思い出した。
「む、村はどうなったのですか?」
「壊滅した。私が異変に気づき、村を訪れたときにはすでに終わった後だった」
「……生き残ったものは……?」
「誰もいない」
その答えに、ガンと鈍器で殴られたようにその身が震えた。
「ゴ、ゴウン様の、その偉大な魔法で、私のように皆を生き返らせることは出来ないのですか?」
「いや、止めておいた方が良いだろうな」
アインズはその仮面に包まれた顔を振った。
「蘇生の魔法で復活するには対象者の生命力が重要になる。
冷静に告げられたその答えはあまりにも残酷だった。
湖の
そして、彼らを復活させることは出来ない。
ザリュースはよろめく足で立ち上がり、崩れ落ちそうになる膝を必死で動かし、部屋の扉を開け、外へと転がり落ちた。
ガッと固い大地にその身が落ちた。
苦痛のうめきと共に顔をあげると、そこは〈
そこにいつの間にやら建てられていた、木製の家屋からザリュースは飛び出したのであった。
空は目も冴える様に青く、湖は普段通りのよそおいで、湖面にさざ波を浮かべていた。
だが、ザリュースの視線の先にあるのは、そんな美しい景色ではない。
死体。
死体。
死体。
目の前に広がる土の上。それこそ見渡す限り、湖岸を埋め尽くすように
年老いた
年若い
祭司らしき
鍛えられた戦士と
年端もいかない幼い
………………。
…………。
……。
そこにはただ『死』があった。
ただ、物言わぬ、身じろぎ一つせぬ、ただ土にかえるのを待つだけの『死』が。
「……あ……」
ザリュースの咽喉が音を発する。
「……あああ……」
その意思と切り離されたザリュースの咽喉が音を発する。
「…………ああああぁぁぁぁぁ!」
その震える音はやがて絶叫となって、周囲にほとばしった。
ザリュースの手には、腰に下げていた武器。
その刃先を大地に叩きつける。
幾度も。
幾度も。
誓った。
守ると誓った。
この湖の
そして、愛したメス。クルシュを。
誓ったのだ。
それなのに……。
それなのに……俺は……。
俺は……。
俺は何をした……?
何が出来た?
何も出来なかった。
何も出来ず、皆がアンデッドの軍団に蹂躙されるのを止めることも出来なかった!
なにが英雄だ!
なにが〈
英雄ならば部族の、
……だが……俺は……。
ただ、刈り取られる草のように……。
ただ、屠殺される家畜のように……。
圧倒的な力の前に、不条理に荒れ狂う運命に蹂躙される弱者のように、ただ為す術もなく殺されただけだった。
こんな……。
こんな時なのに……。
全ての
どうして、世界はいつもと変わらぬままなのだぁっ!!
ザッ。
地に叩きつけていた〈
不意に持ち上げる力さえ失ったように、ザリュースの手がピクリとも動かなくなる。
その場には、ただ風によって湖面が作る波の音だけがちゃぷちゃぷと響いていた。
どれだけの時が経ったか、ザリュースは大地に突き立った〈
濁った瞳が刃先を見つめる。
そして、その能力を解放する。
刀身に白い霜のようなものが
ゆっくりと〈
そして、力を込めて胸に突き立てようとした刹那――。
「ザリュース!」
叫び声とともに、彼に抱きついてきた者がいる。
かつて彼に山脈に残る雪のようと形容された白い肌をもつ
クルシュ・ルール―であった。
そのたおやかな腕をザリュースの身体に巻き付け、その手を必死に止めようとする。
ザリュースとしては、死んだと思っていた彼女の出現に驚き戸惑うばかりであった。
だが、少し冷静さを取り戻して考える。
ゴウン様は言っていたではないか。
『すでに
クルシュは正確には族長ではないが、族長代理である。
族長に準ずる立場と考えていい。
あくまで〈
ザリュースはまだ信じられない気持ちで、抱きつくクルシュの体温を感じていた。
「クルシュ……」
「ザリュース、……良かった……」
二人は言葉もなく抱き合った。
「クルシュ……村が……」
「ええ、もう何も言わないで……今はじっとしていて」
「いや、駄目だ」
ザリュースは立ち上がろうとした。
「すぐにでも行かなくては。そうだ、あいつを倒さなくては。あのイグヴァという
だが、クルシュは首を振った。
「もう、いないわ」
「……なに?」
「もうあのイグヴァという
「……あ……」
そんな……
……まさか、そんな……。
仇を討つ事も出来ないのか?
すでに果たすべき仇すら、この世にいないのか……?
俺はゴウン様により、再び生を与えられた。
だが、守るべき民もなく、倒すべき敵ももういない。
俺は……。
俺は何をすればいいのだ……?
生きる目的を失い、力なく膝をつくザリュース。
「ザリュース。聞いて」
そんな彼に向けて、クルシュは口を開いた。
「湖の
その冷徹な現実を告げる言葉に思わず身を震わせる。
「でもね、ザリュース。まだ完全に滅びたわけではないの。まだ私たちがいるわ。私たちは
肩に落ちる滴。
クルシュの涙があたたかい。
ザリュースは何も言わず、ただ彼女を抱きしめていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ザリュースは足を止め、振り返った。
小高い丘の上からは、湖全てとは言わないが、自分が暮らしていた〈
そこには、まだ破壊された跡が生々しく残っているが、数年も放っておけば、かつてそこに集落があったと知っている者でなければ分からぬ場所となるだろう。そして、二桁もの年数がたてば、そこはただの湖岸の湿地でしかなくなる。全ては大いなる自然の下へと帰ることだろう。
立ち止まったザリュースを他の六つの目が見つめる。
湖を離れる
彼と共に行くのは、クルシュ、ゼンベル、そして兄であるシャースーリューである。
ゴウン様の魔法に耐えられる生命力を持つ
これからザリュースらが目指すのは、トブの大森林の果て。森の先にある異種族が手を取り合って暮らす場所、カルネ村である。
彼らの身の振り方については、議論があった。リュラリュースらの許へ身を寄せるという案もあったが、森の中に慣れない
ザリュースの目には、傾きかけた太陽に照らされるひょうたん型の湖が映る。
今、ここにいる人数だけでは種族を維持することは出来ない。
だが、この世界のどこかには、自分たちと同じような
彼らとともに、新たな部族を作る。
そして、いつかまた、この湖に戻ってくる。
ザリュースは新たな誓いを胸に刻み、僅かな時ながら待たせてしまっていた旅の仲間の先へ行き、森の中へと歩いていった。
長き時を離れる故郷を振り返ることなく。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「いっやぁ。世の中、なかなか上手くいかないものですね」
「ちょっとは反省してくださいよ」
という訳で、犯人はヤスでした。
「ある日、家の網戸にカブトムシがとまっていた。虫籠に入れてスイカの皮をあげたら、それを食べている。何となく愛着がわいたから明日にでも虫用ゼリーでも買って来てやろうかなと思っていたら、うっかり虫籠を置いた部屋で蚊取り線香を焚いてしまい、カブトムシが死んでしまっていた。あー、残念」
くらいの感覚です。