オーバーロード ~破滅の少女~   作:タッパ・タッパ

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2016/5/19 「夢にも思いもしていない」 → 「夢想だにしていない」 訂正しました。
2016/5/19 レエブン侯やブルムラシュー侯の「侯」の字が「候」になっていたので訂正しました。
2016/7/30 「及びとあらば」→「お呼びとあらば」 訂正しました
2016/10/9 「瞬く間にすべてが」→「瞬く間に他も含めたそのすべてが」 訂正しました
2016/12/1 「再考」→「再興」 訂正しました
2017/5/31 「暖かい」→「温かい」、「危険性」→「危険」、「シャドーデーモン」→「シャドウデーモン」、「元」→「下」、「来た」→「きた」、「言った」→「いった」、「無碍」→「無下」、「変わろう」→「代わろう」、「非情に」→「非常に」 訂正しました


第六章 幕間
第36話 ラナーの思惑


「そう。教えてくれてありがとう、クライム」

 

 ラナーは音もたてずに、カップを下に置いた。

 

「心配しなくても大丈夫。もちろん、賛成よ。ラキュースの提案は王国、そして皆のためを思って考えてくれたものだという事は分かっているわ。私の力ではうまく出来るか分からないけど、何とかして見せるわ」

 

 そう言って、黄金と言われたその美貌に笑顔を浮かべ、本来ならば身分さ(ゆえ)に許されないであろう同じ卓についている、自らに仕える忠実な騎士にうなづいた。

 

 そのまさにパッと花が咲いたという表現が似合うような笑顔を向けられ、クライムは思わず頬を紅潮させて笑みを浮かべ、安堵の息を吐いた。

 つい数時間ほど前、街の宿屋で蒼の薔薇やガゼフと会談した際にラキュースから頼まれた件。蒼の薔薇のメンバーであるティアを調査の為にエ・ランテルに派遣した(のち)、万が一、王都に緊急で戻らなければならない事態等に陥った際に、第三王女であるラナーの権威を使用してもよいかといういささか無茶な頼みだったのだが、ラナーはなんら悩むことなく快諾した。

 

 クライムからして、心優しく聡明な自分の主が否定の意を示すという事は考えられなかったが、その提案を受け入れることはラナー当人にとって不利益をもたらすことにもつながる。もちろん、それをやらなければ、また違った不利益をもたらすことになるという事は重々分かってはいたが、そのようなことを主に言わなけばならなかったという事実は、彼の心を鉛のように重くした。

 

 視線を下げるクライム。その手にそっとラナーは手を重ねた。

 

「っ! ラナー様」

「ありがとう、クライム。私の事を心配してくれたのね。嬉しいわ」

 

 声を詰まらせる彼に、ラナーは安心させるように微笑んだ。

 

 

 その後、手を握られたことで固くなるクライムは、「今日はもう遅いでしょうから」とぎこちない所作で部屋を退室していった。

 

 

 扉が閉まり、クライムが立ち去る足音に、名残惜しそうに耳を澄ませていたラナー。

 

 それが完全に消え去った後、その表情が一変した。

 見る者全てが美しさに目をよせるその顔から、太陽のような笑みが消えた。そして、冷たい能面のような表情で、卓上の保温瓶(ウォーム・ボトル)から温かい紅茶を自ら注ぎ、砂糖をドボドボと入れてかき混ぜた。

 

 なにも、不快な事があったという訳ではない。

 今現在、室内には誰も他の人間はいない。自らに仕えるメイドたちも、そして彼女にとって最も大切なクライムも。

 誰も見ている者がいないため、わざわざ顔に浮かべていた『笑み』を止めただけだ。

 

 ラナーは学習していた。

 『笑み』をその顔に浮かべることによる他人の受け取りようの変化。見かけだけながら、その場に適した表情を表に出すという社交性を身に着けていた。

 昆虫が擬態するように、人間社会で生きていくうえでの(すべ)として。

 

 まったく表情を動かさず、カップを口元に持っていく。

 明らかに入れ過ぎた糖分が舌から脳へとめぐり、今、クライムから聞いた話、およびこれまであちらこちらから漏れ聞いた断片的な情報から、確実性の高いと思われる推測をはじき出す。

 

 

 

 そうして、どれほどの時が経ったろうか、身じろぎ一つせず思考の海に沈んでいた頭を復帰させる。

 手にした紅茶はすでに完全に冷めきり、カップの底でどろどろの軟体と化した砂糖をスプーンですくい、口に運ぶ。

 

 すぐ脇のテーブルに置かれたハンドベルを鳴らす。

 呼ばれて部屋に入ってきたメイドに、紅茶の代わりと一つの指示を出した。

 「レエブン侯を呼んでくるように」、と。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 すでに少々遅い時間ながら、ほどなくして、彼はやって来た。

 

 長身痩躯で金髪をオールバックでぴしりと固めた人物。どことなく人をだまし喰らう狡猾な蛇を思い起こさせる気配を身に纏った男。

 

 彼こそはリ・エスティーゼ王国の六大貴族にして、王派閥、貴族派閥、どちらにも属さず、己が利益のためならば誰とでも手を結ぶ狡猾な男として知られるエリアル・ブラント・デイル・レエブン、その人である。

 

 彼はいつも通り、謁見にも使えるかという最高級の衣装を、それが当然であるかのように着こなし、優雅に礼をした。

 

「これは殿下。何やら私に御用とか? もちろん、殿下のお呼びとあらば、いついかなる時でも馳せ参ずる所存でございますが……」

「レエブン侯」

 

 貴族としての辞令の口上を(さえぎ)り、ラナーは即座に本題に入る。

 

「今日、侯に来ていただいたのは、侯の知恵、そして力を借りたいためです」

 

 その言葉に、レエブン侯はその切れ長の瞳をさらに細めた。

 

「ふむ。私たちの関係が他の者に知られる危険を冒してでも、という事ですか?」

「ええ、下手をしたら、少々拙いことになるかもしれない。そんな気がするのです」

「なるほど、殿下がそう判断したのでしたら、そうなのでしょう。お伺い致します」

 

 レエブン侯は深い理由も聞かずに単刀直入に言うと、丸テーブルに並べられた椅子に腰かける。

 彼を案内して来たメイドはすでに退室しているため、ラナーが手ずから紅茶を注ぎ、その対面へと腰かける。

 そして、クライムを通して聞かされた、蒼の薔薇の面々と王国戦士長ガゼフ・ストロノーフの会談の内容を逐一説明した。

 

 

 彼、レエブン侯と王国の第三王女ラナーは、秘密裏にではあるが、協力関係にある。

 互いの利益という点で、互いの能力を認め、胸襟を開いて話をする間柄だ。

 

 ラナーは、第三王女という地位にありながら、政治的な力というものを一切保有していなかった。

 あまりにも優れた知性を持つ彼女は、一般人の思考は理解出来なかった。年を重ねることにより、ある程度は人の心を読むことを憶え、演技することを学習したものの、人心掌握という点に関しては劣っていた。

 また、あいにく第三王女という立場のため、彼女自身専属の力を増やすことは、いらぬ憶測、邪推を呼び、余計な政争に巻き込まれる恐れがあった。

 その為、彼女は直属の部下というものをほとんど、クライム程度しか持たず、政治的に無風の状態の下に自らを置いている。そのおかげで、現在のように彼女の愛するクライムとの仲を邪魔されることなく過ごすことが出来ており、それで十分満足していた。

 しかし、最近の様々な情勢の変化を前に、このクライムとの幸せな空間を守るため、物事を動かす力の必要性を感じていた。

 

 対するレエブン侯としても、その優れた能力を若いころから発揮し、王国のあらゆるところにコネクションを繋げていた。そして、一見、派閥争いで揺れる王国上層部において、利益の為ならばどちらにも組する蝙蝠と見せかけ、その実、王派閥の為にその才を振るっていた。

 だが、六大貴族の彼をもってしても、振るえるその力には限界があり、また様々な案件を考え、処理するにあたって、自分と同様に様々なことを見通せる知性の持ち主を求めていた。

 

 

 そんな二人は互いの利害の一致から手を組むようになり、他の者には知られぬよう会談を行い、様々な案件に関して知恵を出し合うなど、極秘裏に親交を深めていた。

 

 そういう意味からすると、こうしてある程度遅い時間にラナーがレエブン侯を私室に招き入れるという事は、口さがない者達から彼らの関係がばれる危険性をはらむ行為といえる。しかし、それを押してでも、ラナーはレエブン侯との(すみ)やかなすり合わせが重要であると判断している証左でもあった。

 

 

 

「なるほど。そのような事があったのですか」

 

 一通り、説明を聞いた後、レエブン侯は紅茶を一口啜った。

 

「それらの情報はすでにつかんでいましたか?」

「ある程度は。ですが、初耳のものもいくつかありますね。まったく、ガゼフ殿もちゃんと報告してくだされば、こちらももっと早く動けたのですが」

 

 そう言って、苦笑する。

 

 ガゼフが最も危惧したのは、自分が行った報告が貴族派閥、その中でも彼、レエブン侯の耳に入る事である。それを聞いて、アインズ・ウール・ゴウン一行やカルネ村におかしなことをしでかさないかと懸念したためだ。

 

 信義を大切にするガゼフは、派閥間をふらふらと渡り歩くレエブン侯を嫌悪しており、王国における貴族政治の最も悪辣なる典型だと思っている。

 まさか彼こそが、王派閥の影のまとめ役であるとは夢想だにしていない。

 もちろん、そう思われる様にレエブン侯が動いているのであり、また王の直属といえるガゼフが彼を毛嫌いする事によって、レエブン侯は貴族派閥からの信頼を得ることが出来ているのであるが。

 

 

 

「まあ、それはいいとして情報を整理しましょう」

 

 そう言うと、あらためて分かっている事、関連付けられると思われる注視すべき事を口に出して羅列する。

 

 情報としては大きなものは5つ。

 

 1つ、王国戦士長ガゼフが、カルネ村で出会ったアインズ・ウール・ゴウン一行。

 2つ、エ・ランテルでのズーラーノーンの騒ぎ。

 3つ、エ・ランテルにおいて、元八本指である六腕の者たちまで参加した新たなる闇組織の構築。

 4つ、エ・ランテルに現れた冒険者モモンたち。

 そして5つ、王都にシャドウデーモンという強大な魔物が侵入しようとしていた事。

 

 まず、目につくのはエ・ランテルでの出来事が5つの内3つを占めている事。カルネ村もエ・ランテルからほど近い為、それも含めると8割がエ・ランテル近郊で起きた件と言える。

 もちろん、王国の人間であるという以上、王国内の情報が多く集まるため、近隣の帝国や法国でも何かあった可能性はあるのだが。

 

 そして、これら5つは、ここ最近のごく短期間で起こった出来事という事があげられる。まったくの偶然という事も考えられるが、少なくとも、複数の事柄は関連しているとして推測してみる。

 

 

 

 1つ目のカルネ村での一件。

 たまたま現れた魔法詠唱者(マジック・キャスター)の一行が村を助け、そして、ガゼフまで助けて法国の六色聖典の一つである陽光聖典すら押しのけた。

 陽光聖典が呼び出した天使軍すら一撃の下に滅ぼし、強大なアンデッドの大群まで召喚するような魔法詠唱者(マジック・キャスター)

 仲間は近隣諸国最強の王国戦士長ガゼフ・ストロノーフと戦える少女。

 

「ふむ。彼らの素性や目的の考察は後にするとして、まず、彼らを起点として考えてみましょうか」

 

 何故かというと、その他の事についても関連付けることが出来るからである。

 

 

 2つ目であるエ・ランテルで起きたズーラーノーンの騒ぎ。

 

「殿下はこれに、そのアインズ・ウール・ゴウンも何らかの形で絡んでいると考えておいでですね?」

 ラナーはコクリとうなづく。

 

 その根拠はデスナイトだ。

 

 イビルアイによると、デスナイトはそれこそ数十年に一度程度しか現れないような、非常に強力ながらも珍しいアンデッドらしい。

 そのようなアンデッドを召喚できる魔法詠唱者(マジック・キャスター)がエ・ランテル近郊の村に現れる。

 その直後、未確定情報ながら、騒乱のさなかにエ・ランテルでも同様のアンデッドが出現する。

 とてもではないが、偶然とは思えない。

 

「そのアインズ・ウール・ゴウンですが、もしやズーラーノーンの者なのでしょうか?」

「何とも言えませんが、あり得ないわけでもないと思います」

  

 それは騒ぎに乗じて、エ・ランテル中の財貨が盗み出されたこと。

 3つ目にも関係するが、その際に奪われた資金がその後に起きているエ・ランテルの闇社会乗っ取りに使用されていると推測されることからだ。

 

 その騒ぎの当時、エ・ランテルは溢れ出るアンデッドにより地獄絵図だったという。

 街中にあふれかえるアンデッドの群れ。誰もが命からがら逃げだすことに奔走し、逃走することすら叶わなかったものは一つ所に身を寄せて、その身を守る事だけに集中していた。

 そんな生者を憎むアンデッドだらけの中、一体だれが略奪を行えるというのか。

 

 可能なのは、アンデッドに襲われない者しかあり得ない。

 すなわち同じアンデッド、もしくはアンデッドを操れるものだ。

 デスナイトという桁外れなアンデッドを召喚できるアインズならば、十分可能であろう。

 

 まあ、直接関係はない可能性も十分考えられる。首謀者はズーラーノーンでも、あくまでそれに便乗しただけという可能性だ。

 もし関係があるならば、首謀者がズーラーノーンであるという情報は残さず、別の身代わりとなる存在を用意するだろうし。 

 

 だが、どちらにせよ、まったく無関係という事はあるまい。

 

 

 そして3つ目の闇社会乗っ取りの件。

 

「ふむ。それについては私のところにも情報が入っております。エ・ランテルの裏社会を牛耳ろうとしているギラード商会についてですな。八本指の中で抜きんでた戦闘力を持ち、『六腕』といわれていた者達、このうち3人がギラード商会の上役として君臨しているという話です。しかし……」

「しかし?」

「しかし、どうやら、その3人のさらに上に何らかの者がいるようです。はっきりとその素性は確かめられていないのですが、『ボス』とだけ呼ばれる正体不明の人物が」

「そのボスというのは他人の目をそらすためのスケープゴートで、実際はその3人の合議制という可能性は?」

「ないとは言えませんが、可能性は低いかと」

「では、その『ボス』がゴウンの手の者であると思いますか?」

「否定できませんな」

 

 

 そして4つ目であるが、その騒ぎを解決した冒険者モモンとアインズの関係もまた疑わしい。

 

 これは先に蒼の薔薇らが検討した事、カルネ村でアインズが法国の人間から奪った希少アイテム、威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)を召喚できる魔封じの水晶を、モモンがエ・ランテルで使用したことによるものだ。

 

「たしか、彼女たちの予想ではゴウンの供をしていたアルベドがモモンではないか? という事でしたが」

「いえ、おそらくそれはないでしょうね」

 

 一応、同じ格好をすることでガゼフもしくは王国が接触することを期待している、という解釈もできるが、それなら名前を偽る必要はない。アルベドという名で活動すればいいだけだ。

 だが、同一人物であるかはさておき、関係があるのは確かだろう。その理由は彼女たちの予想のとおり、希少アイテムの一致のためだ。

 

 

 5つ目の王都にシャドウデーモンという強力な魔物が侵入しようとしていた事。

 

「これに関しては、ゴウンとの関連性は、はっきりとは判断しかねますな。しかし、ゴウンが関わっている可能性も低くはない」

 

 デスナイトが召喚できるアインズなら、それよりは劣るとみられるシャドウデーモンを召喚できてもおかしくはない。だが、アインズに対抗するなんらかの存在が、王国領エ・ランテルに居を置くアインズに対するために、王都の情報を得ようとしているということもあり得るかもしれない。そもそも、まったく無関係である可能性もある。

 とにかく、難度90という強力な怪物(モンスター)がなんらかの目的を持ち、王都に侵入しようとしたことは間違いないだろう。もし、1、2体程度ならどこかから流れてきたはぐれ悪魔という事も考えられるだろうが、5体ものそんなに強力な悪魔が一時(いちどき)に現れるというのは何者かの指示があったと考えるのが妥当だ。

 

「これが別々のタイミングでしたら、こうまで確信は持てなかったのですが、桁違いのアンデッドを召喚できる魔法詠唱者(マジック・キャスター)が王国領内に現れたのと時を同じくして、同じ王国の王都に強力な悪魔が出現したというのは、偶然とは思えません」

 

 ラナーの言葉にレエブン侯は首を縦に振った。

 

 

 

 レエブン侯は「はぁ……」と大きく息を吐き、その額をおさえた。

「ふぅむ。これは……。もしこれらの推測が正しいとなると……」

「ええ。かなり拙いことになりますね」

 

 これらのことを考えると、もしラナーの予想が当たっていた場合ではあるが、魔法詠唱者(マジック・キャスター)アインズ・ウール・ゴウンは、すでにかなりの手を広げていることになる。

 

 

 すなわち、エ・ランテルでズーラーノーンに協力して都市が滅びかけるほどの騒ぎを起こし、その隙に都市中の金目の物を強奪。

 そして、自分の息のかかった冒険者モモンを使い、実行犯の息の根を止め口封じをし、窮地に陥った民衆を助けたモモンは英雄としてエ・ランテル住民の支持を得る。

 その後、騒ぎの最中に奪った金を湯水のように使い都市の暗部をねじ伏せ、エ・ランテルという都市の表も裏も意のままに支配する。

 

 

 恐ろしいまでの傍若無人ぶり、かつあまりにも行動が早すぎる。

 アインズがカルネ村に現れてから、まだそんなに時が経っていない。

 それなのに、軍事的の面からしても、交易の面からしても重要拠点であるエ・ランテルを骨までがっちり喰らいこんでいる。

 ラナー、そしてレエブン侯をして、そら恐ろしくさせるほどだ。

 

 

 

 だが、先にこれらの事実を話し合ったガゼフや青の薔薇らは、アインズによるそのような裏の策略の可能性をまったく考えていないようだった。

 

 その原因は、カルネ村で直接アインズと会い、話したガゼフの評価によるものだ。

 

 アインズが善人であるという前提が頭にあるため、エ・ランテルを救った冒険者モモンとは繋げられても、エ・ランテルで起きた負の側面とは関連付けて考えてはいないのだろう。

 

 確かにアインズはガゼフと話した時に、困っている人を助けるのは当然と言ったり、報酬の話は後回しで人を助けようとはしたようだ。それらの事から推察するならば、まともな、それも善人寄りの倫理観念を持っていると言ってもいいかもしれない。

 

 

 しかし――。

 

「しかし、だからと言って、他の者もそうだとは限りませんな」

「ええ。アインズ・ウール・ゴウン個人以外の者、彼の周辺の者達も良識を持つ人物であるとは断定できません」

 

 そう。つまり、彼らはアインズを取り巻く者達、彼個人の背後になんらかの組織がある可能性を考えていない。

 

 

 ラナーがアインズはなんらかの組織を持っていると考えるのには理由がある。

 カルネ村に現れたアインズ一行、召喚された怪物(モンスター)であると推測できるデスナイトを除いた、残りの3人の事だ。

  

 まず、話に聞く分には――あくまでガゼフが見聞きし感じたものをクライムを通して聞いているので齟齬は生じるかもしれないが――彼らの間には明確な上下関係が存在する。

 

 アインズとベルが上位者で、アルベドが下位者だ。

 

 理由の一つとして、アインズは少女ベルの事を『さん』付けで呼び、ベルもまたアインズの事を『さん』付けで呼んでいたそうだ。対して、たまたまガゼフの耳に入った彼ら同士の内々の会話では、アインズとベルはアルベドを呼び捨てにし、アルベドの方は2人の事を『様』で呼んでいたらしい。

 

 次に、謎の魔法詠唱者(マジック・キャスター)アインズと少女ベルの関係はどのようなものなのだろう?

 二人の間ではアインズの方がおそらく上だ。会話では主導権を握り、行動の決定権を有している。ベルの方はあくまでそのフォロー及び提案する立場に回っている。だが、そこにアルベド程の明確な立ち位置の違いはない気がする。

 そこまで考えたところで、ラナーの頭に浮かんだのは冒険者達のような関係。友人であるラキュースを始めとする蒼の薔薇。彼らはもちろん主従などという関係には無い。対等な立場として方針を話し合うが、その決定はリーダーであるラキュースが行う。

 アインズとベルの間柄を考えるに、これが一番的確な気がする。

 

 その2人よりアルベドの方が下なのは、そこに自分とクライムのような主従関係があると考えられる。

 そして、彼らの下になるものがアルベドだけとは限らないのだ。

 

 アインズがそこで最高の存在かは分からない。

 だが、少なくとも、かなりの上位者であることは間違いなさそうだ。

 そのアインズが善良な存在だったからと言って、同じ組織に属する者も善良とは限らない。むしろ、そんなアインズを補佐するために、裏で情け容赦ない行動をとる可能性もある。

 

 また、組織が一枚岩ではない可能性も考えられる。

 

 王国が良い例だ。

 ラナーの父にして現王ランポッサ三世は温厚な人物ではある。

 決して甘いという訳でもなく時には非情な決断もするが、その誠実は善良であると断言してもいい。

 しかしだからといって、王国に属する者全てがそうだとは限らない。胸の内にたたえる様々な欲望から、あるいは自分から良かれと思って、独自の行動をとることが多々ある。多々あるどころではない。多すぎるほどだ。

 

 

「つまり、そのゴウンなる魔法詠唱者(マジック・キャスター)らの行動を考える際には、複数の視点や目的が介在する可能性がある、と考えるべきだと?」

「ええ。たった一つの線がつながるものではなく、無数の狙いや目的が絡み合ったものと考えるべきでしょうね。その上で、本当の真意を考えるべきかと」

 

 

 もう一度、原点に戻り、カルネ村でのアインズ一行について考える。

 

 聞けば聞くほど奇妙な一行である。

 まず、全身を隠した魔法詠唱者(マジック・キャスター)に全身を鎧で隠した戦士、それと奇妙な服を着た少女の3人組。

 

 魔法詠唱者(マジック・キャスター)であるアインズは、デスナイトという伝説クラスのアンデッドを同時に7体召喚するという行為まで行えるという。イビルアイの話では、それだけで王都を壊滅させられるかもしれないほどの戦力らしい。

 

 そもそも、そのデスナイトという強大な、イビルアイに言わせれば伝説クラスのアンデッドを操る人間とはいったい何者なのだろう?

 

 

 とかく奇妙なのは、アインズとアルベドが全身を衣服や鎧で身を包み、一切、その肌を見せようとすらしなかったことだ。

 ガゼフにはデスナイトを制御するため仮面を外すわけにはいかないと言っていたようだが、そんなものは虚言であろう。それにアインズの仮面を外すわけにいかないのなら、一時的にでも手甲の方を外したり、アルベドの方の兜を外す事も出来たはずだ。

 僅かながらでも素顔をさらすなどした相手と、完全に仮面をかぶったままの相手では、どちらが信用されるかは言うまでもない。

 だが、彼らはそのような事は一切しなかった。

 

 なぜか?

 外すわけにはいかなかったから?

 見せると拙い理由が?

 

「考えられるのは、どこかの御尋ね者だったからでしょうか? もしくは著名人だったとか?」

  

 誰にも正体を知られることなく活動する必要があった? カルネ村を救ったのは偶然、通りかかったから。そして、見て見ぬ振りが出来なかったからとか。

 

「しかし、そう考えた場合も、何故ベルという少女だけが素顔をさらしていたのかが気になりますな」

 

 確かに。

 彼女は他の2人と違って姿も現したままだ。

 なぜ、彼女だけが素顔を現しているのか?

 

 

 ベルだけが顔を隠していない理由……。

 

 

「……すでに変装していたから?」

 

 

 どうやって?

 

 魔術によってだ。

 

 

 魔法詠唱者(マジック・キャスター)アインズ・ウール・ゴウンは天使の群れをたった一つの魔法で吹き飛ばし、また、デスナイトという桁外れの存在をたやすく召喚するような存在なのだ。通常の常識の範囲内で考えるべきではない。

 それにイビルアイの話によると、魔法の中には肉体を変化させる魔法というものがあるらしい。

 それがどれほどのものか、位階はいくらか、効果時間はどのくらいか、どれほどの変化をもたらされるか、魔法に詳しくないラナーには分からない。

 だが、とにかく方法自体はあるらしい。

 

「魔法ですか? 私はそちらにあまり詳しくはありませんが、もしかしたらそういう魔法もあるやもしれませんが……。少々飛躍のし過ぎでは?」

「いえ、すでにデスナイトという伝説のアンデッドを召喚できる魔法詠唱者(マジック・キャスター)がいるという時点で、通常の常識的な考えの通じない相手と思われます。それに、そう考えるとつじつまが合うのです」

 

 

 ガゼフは言っていた。

 ベルという少女はずば抜けた身体能力を保有しているが、戦い方に妙な点があった。小柄な体に見合わぬ、体格に優れた重戦士のような戦い方をしていた。おそらく、彼女に剣を教えた者が巨漢戦士だったため、そのようなちぐはぐな戦法を身に着けたのだろうと。

 

 だが、そうではないとしたら?

 

「どういうことですか?」

「つまり、小柄な少女が巨漢の重装戦士の戦い方を身に着けているのではなく、巨漢の重装戦士が小柄な少女の姿をとっていたとするならば……ということです」

 

 

 突拍子もない話のようだが、そう考えると説明がつく。

 なぜ、一見たおやかで戦闘経験などなさそうな少女が、近隣諸国で最強と謳われる王国戦士長ガゼフ・ストロノーフと闘えたのか。

 

「ガゼフ殿の話では、その圧倒的な膂力は戦士として鍛えている自分すらも上回るほどだったという事でしたな。そして、ガゼフ殿との戦闘の際、そのベルという少女は自らの肉体能力を確かめるようなそぶりを見せていた。とくに自分が振るう武器、その間合いの目測を幾度も誤り、空振りしていた、と」

「はい。それは自分の肉体能力そのままに、本来の体格とは異なる姿になっていたためではないでしょうか?」

 

 なるほど、と腕を組んでレエブン侯は考え込む。確かにそう考えると、つじつまは合う。

 そして、ふと思った。

 

「それにしても、幻覚程度ならまだしも、そのような肉体変化の魔法など聞いたこともありませんでした。そんな魔法を知っているイビルアイ殿はいったい何者なのですかね? 先ほども、王都に侵入したシャドウデーモンとかいうアダマンタイト級冒険者に匹敵する悪魔を一人ですべて倒したと聞きましたし、その例のデスナイトとやらにも勝てると言ったのでしょう?」

「ああ、彼女は国堕としですから」

 

 何でもないような口調。

 その内容をレエブン侯の脳が理解するのには、数秒の時がかかった。

 

「…………は?」

 

「ですから、国堕としですよ。200年前、魔神が暴れていたころに、たった一人で一国を滅ぼしたという吸血鬼(ヴァンパイア)です」

「……い、いや、ちょっと待ってください! なんですか、それは!?」

「なんですかと言われても、そうですとしか言いようがありませんが」

 

 その受け答えに、さすがのレエブン侯もあんぐりと口を開けたまま固まってしまった。

 凍り付いて動かない彼を前に、ラナーは優雅に紅茶を口にする。

 数分の後、ようやく麻痺の魔法が解けた様に大きく息を吐いた。

 

「そ、そうですか。国堕としですか……。……一応聞きますが、嘘ではないのですよね?」

「嘘でも冗談でもないですよ」

 

 グビリと喉を鳴らした。

 もう驚愕のあまり、なんと言っていいかも分からない。

 十三英雄の時代の人物。おとぎ話の中の存在。子供の時分、良い子にしていないと国堕としにさらわれるよ、とか言われていたものが自分のすぐそばにいたとは……。

 まあ、逆に考えれば、そんな存在がこの王都におり、そして人間の、自分たちの味方でいてくれるという事は実にありがたい。人知れず潜入しようとしたシャドウデーモンを倒したように、彼女がいる限り、この王都は怪物(モンスター)からは絶対に安全だと言える。

 

 

 レエブン侯はそんなことより、目下の問題の方が大事と思考を戻した。

 

「と、とにかく色々考えてきましたが、あまりにも情報が少なすぎますね。ほぼすべてが推測でしかありません」

「そうですな。やはり調査が必要になりますね」

 

 とにかく、なんとしても調べなければならない所がある。

 

 

 城塞都市エ・ランテル。

 そしてその近郊。

 

 

 そここそが、現在、アインズ・ウール・ゴウンの手が回った者や、その思惑が集中する場所。

 今のエ・ランテルを調査することで、何かが分かるだろう。

 

 そう考えると、ティアのエ・ランテル行きは最良の選択と思える。

 ティアは忍者として、そういった情報収集などの諜報にも長けている。1人のみでの行動という事になるが、ある意味、万能型ともいえる職業(クラス)の忍者ならば、十分にこなせるだろう。

 もちろん、相手が強大なことは予想出来るから、とにかく無理はせず、尻尾を掴んでも敵対しない事は言い含めておく必要があるだろうが。

 

「すみませんが侯、ティアの件ですが……」

「はい、分かっておりますよ。エ・ランテルへ行った彼女のバックアップは私の手の者にさせましょう。殿下の威光はいざというときのみに限るべきでしょうから。ふむ、そうですな。後でラキュース殿に、私のところに行くよう伝えておいてもらえますか?」

「はい。ティアのエ・ランテル行きの件でどうするか私が悩んでいるという話を侯が小耳に挟み、協力を提案してきた。そのことを私はラキュースに伝える。そして、今回の件でいろいろ手を貸してくれるよう、彼女が侯のところにおもむき請願する。蒼の薔薇に恩を売っておきたいと考えた侯はその頼みを聞き入れる、という筋書きですね」

「ええ。そうしておかないと、何故私が手を貸すのかという話になり、私と殿下の関係を探られてしまいますから。まあ、形式的な物ですが」

 

 

 ラナーは満足げにうなづくと、レエブン侯と今後の計画を練る。

 

「そのゴウン一行が初めて現れた地、カルネ村についても調べられますか? もっと詳しい情報などを集められれば」

「それは、少々難しいかと。なにぶん辺境の村のようですから、街のように人に紛れて噂話を集めるという訳にもいきませんし。それに、そういうところでは、住人はすべて家族のような存在ですからな。こっそりと話を聞こうにも、すぐに村中に知れ渡るでしょう。考えつくのは行商人などを使って、買いに来た村人から直接、どうどうと話を聞くくらいですか」

「では、すみませんが、そちらもお願いできますか?」

「はい。やれやれ、さすがに手が足りなくなりそうですな。それと、時間的な余裕もあるのか心配になります。殿下の予想ではエ・ランテルの騒ぎにもゴウンは絡んでいる可能性があるという事でしたから、あのように性急な手を打たれたとしたら」

「いえ、それについてはまだ時間はあると思いますよ」

 

 そう言ったラナーを、レエブン侯は不思議そうに見つめた。

 

 ラナーがそう判断した理由は王都に忍び込もうとしていたシャドウデーモンである。

 あらためて考えてみると、やはりそのシャドウデーモンはアインズに関連していると考えて間違いなさそうだ。

 そう考えると――。

 

「隠密に長けたシャドウデーモンを王都に潜り込ませようとする目的はなんでしょうか?」

「あくまで王都の情報収集が目的という訳ですか?」

「おそらくは」

 

 ラナーはこっくりとうなづいた。

 

「諜報に向いた怪物(モンスター)を送り込んできたという事は、いきなり荒っぽいことをするのではなく、まず王都の情報を調べ上げるのが狙いだと思います。おそらくは、この王都を裏から蝕もうと考えているのでは?」

「そうなると……。ふむ。肝心の情報がいまだつかめていないという事で、まだ、こちらが手を打てる時間はありますな」

 

 ただ、それがどれほどの時間かは分かりらない。

 情報収集が目的だったと思われるシャドウデーモンは、イビルアイによってすべて滅ぼされた。配下の者を潜伏させることに失敗したという事は、向こうも気づいているはず。

 ならば予想される対応は3つ。

 

 一時的に、王都での情報収集は控える。

 怪物(モンスター)を使わず、人間の間者を送り込む。

 そして、より強大な怪物(モンスター)、もしくは多くのシャドウデーモンを送り込む。

 

「少なくとも、いきなりデスナイトを王都にぶつけてみるなどという実に効果的な事はやらないみたいですわね。それだけで、王国は崩壊の引き金にもなりかねませんが」

 

 冗談めかして言われたラナーの言葉に、レエブン侯は笑えない冗談だと唸り声をあげた。

 

「とにかく、今のところは、王都で情報を集めようとする人間に目を配っておきましょう。とくに、ここ最近でやって来た人間に関して。それと、やはりエ・ランテルですね。ギラード商会の事も、より重点的に調べさせましょう。それと、冒険者モモンについても早急に」

「そうですね。……いっそのこと、そのモモンという人物に接触してみては?」

「ふむ。彼は冒険者らしいですからね。なんらかの依頼という形をとれば可能でしょうし、もしくはこちらの息のかかった冒険者やワーカーを彼と一緒の依頼につけて、友誼を計るとか」

「良いと思いますよ。今現在、ほぼ確実にゴウンとつながりがあると推測され、居場所も分かっている人物はそのモモンしかいないわけですから、慎重かつ丁重な扱いが必要ですね。それと、もしベルやアルベドという名前の人物と接触が出来たら、そちらも注意が必要ですね」

「そうですね。やはり、最大限急ぐ必要がありますね。そのゴウンの方は時間はあるかもしれませんが、もう一つの方の準備もそろそろ必要になりますから」

「もう一つ?」

「いつもの、帝国のですよ」

 

 その答えに、ラナーは「ああ」と納得した。

 

 今、現在、隣り合うリ・エスティーゼ王国とバハルス帝国は定期的に戦争を繰り返している。

 その際、戦場となるのが、エ・ランテルの東にある平原である。

 当然、近郊が戦場になるという事でエ・ランテルは大騒ぎになるし、レエブン侯自身もそちらの準備に忙殺される。そうなれば、エ・ランテルおよび近傍でのんびり調査などしていられない。

 謎の魔法詠唱者(マジック・キャスター)アインズ・ウール・ゴウンより、目の前の帝国の方がはるかに危険度は高い。

 

 この戦争に駆り出される兵士や、彼らを運用する予算だけでも王国の財政を逼迫し続け、おそらく、あと数年も続けていれば、王国は戦わずして敗れると一部の知見ある者はすでに気がついている。 

 だが、こんな滅亡の危機にあっても、王国は一枚板にはなれず、いまだに派閥争いで国力を削り続けている。火にかけた水鍋の中のカエルのごとき有様だ。

 

 

 

 一つの組織の中に派閥がある事自体は、けっして悪いものではない。

 その持ちえる潜在力を一つにつぎ込めないという欠点はあるが、逆に組織の中の多様性にもつながる。全ての力を一つに注ぎこめばそれは強固にはなれど、一敗地にまみれでもしたら、瞬く間に他も含めたそのすべてが失われる事態に陥る。その点、派閥があれば、どれか一つの派閥が失敗しても、他の派閥がそれを補う事も可能となる。

 

 例えば、王国の六大貴族の中でもブルムラシュー侯は秘かに帝国とつながっている。

 もし、仮に戦争で王国が帝国に敗れ、現在の均衡が崩れるようなことがあれば、ブルムラシュー侯はすぐさま帝国への臣下の礼を表すだろう。

 そして、王国貴族のブルムラシュー侯ではなく、帝国貴族のブルムラシュー侯になるだろう。

 そうなった時には、いかに中央集権制の帝国といえど、彼を無下(むげ)には出来はしまい。

 もし、かつての陣営を裏切ってまで味方になった者を冷遇しようものなら、以降、帝国に内通しようとする者はいなくなるだろう。

 その為、ある程度、高い地位と裁量を約束しなければならない。抜け目のないバハルス帝国の皇帝ジルクニフの事だから、約束したうえで少しずつ、その内部に息のかかった者を浸透させ、骨抜きにはするだろうが。

 とにかく、統治する者の頭を下げる相手が変わるだけで、そこに住む者達は変わることは無い。

 そうしてブルムラシュー侯は帝国貴族として過ごしながらも、もし皇帝の死などで帝国の力が弱まるようなことがあれば、今度は帝国に反旗を翻し、自らの血筋の正当性でも訴え再び王国を再興するなどするだろう。

 そうして、歴史は続いていく。

 リ・エスティーゼ王国という一国家が無くなろうと、それは長い歴史の一幕に過ぎない。たとえ、為政者が代わろうと、そこには変わらず人の営みがあり、生き続ける者がいるのだ。

 完全に他種族に占領されたり、徹底的な民族浄化でもされない限り、歴史が終わることは無い。

 今、行われている王国と帝国の紛争も、あくまで人間の支配地域内で行われている、コップの中の嵐でしかないのだから。

 

 

 

 だが、かといって、そのコップの中の嵐に巻き込まれる当人たちにとっては、たまったものではない。

 今、話している2人、ラナーとレエブン侯にとっては、王国が潰れるというのは非常に困る事態であり、なんとしても回避せねばならないという認識で一致していた。

 

 ラナーにとって最も重要なのは愛するクライムと一緒にいることである。

 正直、王国などなくなろうがどうでもいい。

 だが、ラナーは王女という地位にある。王国が無くなり帝国に支配された場合、彼女に待っているのは二つに一つ。

 王国領の支配をしやすくするための施策の一つとして、血を混ぜるという目的のために帝国の貴族と政略結婚させられる。もしくは、後顧の憂いを立つため、現王の血筋の者を絶やすという名目で、その首を飛ばされるか。

 とにかく、王国が帝国に敗れるという事態は避けなければいけないのであった。

 

 レエブン侯にしてもそれは同じである。

 彼の目的というか願いは、彼の愛息子に現在の自分の領地を完全な形で残すというもの。

 王国は貴族の権限が非常に大きい。特に六大貴族となればなおさらである。それが故に、王の抑えが聞かぬほどの派閥争いが起こっているのではあるが。

 だが、対する帝国は、皇帝の下に権力を集中させるという政策を行っている。皇帝にとって利用価値のない者や信用のできない者は、何代も続いた貴族であろうともその権限を剥ぎ取られてしまっている。

 そんな帝国の支配下にはいろうものならば、現在と比べ、息子に継がせる領地、権限ははるかに目減りするのは目に見えている。

 そのため、レエブン侯としては何とか現状を維持しつつ、王国の崩壊を食い止めるという難題に挑む。

 

 レエブン侯は、ロケットに入れていた彼の愛する妻と息子の姿絵を見て、「はぁ」と息を吐いた。

 

 すべては愛する息子の為。

 その為に、彼はまるで砂で楼閣を作り続けるようなことに、けっしてめげることなく励んでいた。

 

 

 その様子を見て、ラナーが何気なく口を開いた。

 

「おや、息子さんですか。確か5歳になるんでしたね。たいそう、かわいく……」

 

 王女として身に着けた社交辞令により、特に意識することなくそこまで口にだしたところで、しまったと口をつぐんだ。

 彼女が意識して会話に上らせないようにしていた事だったのだが、長い時間、思考を巡らせ討議していた疲労もあり、ついうっかり言葉にしてしまった。

 

 そして、もちろんレエブン侯もその言葉を聞き逃さなかった。

 

「ええ、もちろんですとも!」

 

 突然、別人のように声を大きくした。

 

「うちのリーたんはかわいくてですね、それはもう天使といわんばかり! いえ、ただ天使というだけではあのかわいさは表現できませんな。まさに天上のもの。きっとあと10年もすれば、世の女性は皆放っておかないのは自明の理でしょうな。そして、また、あの子には天才の片鱗があります! なぜかというと……」

 

 滔々と語り続けるレエブン侯。

 普段は非常に理性的な彼だが、こと息子の事になると人が変わったようになる。

 

 その端正にして可憐な顔を引きつらせるラナーという、およそこの世のだれも見たことのない姿を前にしながらも、レエブン侯は愛息子のかわいさ、素晴らしさをいつ果てるともなく語り続けた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「はあぁ」

 

 非常に珍しく、疲れた様子を隠そうともせず、ラナーはすっかり冷めきった紅茶をすすった。

 

 あの後、レエブン侯は「もう我慢できない! リーたんに会いたい!」と叫ぶと、部屋を出ていってしまった。

 まあ、すでに急いで話すことは済んだから、別にいいのだが。

 

 とりあえず、急いでやるべきことは情報収集だ。まったく戦力も思考体形も分からない相手とは、戦端も開けないし、交渉も出来ない。

 そのうえで対応を検討して、可能ならば接触したい。

 おそらく、アインズの持ちえる戦力は桁が違う。カルネ村で召喚してみせたというデスナイト7体だけが奥の手という事はあるまい。

 

 先んじて接触し、こちら側に引き込む。

 もし、それがだめでも好印象は与えておきたい。

 

 その為にも、アインズに関係する者達の情報は少しでも手に入れておきたい。

 おそらくは善良な性質と思考を持つであろう魔法詠唱者(マジック・キャスター)アインズ・ウール・ゴウン。

 エ・ランテルで冒険者として活動している、おそらくアインズの関係者であるモモン。

 モモンとの同一人物も疑われるアルベド。

 王国戦士長ガゼフ・ストロノーフとも互角に戦えるほどの腕前を持つ少女ベル。 

 

 とくにベルという少女に関しては、先ほどの推察のように、魔法やマジックアイテムで姿を変えていて、見た目通りの少女ではない可能性もあるのだから。

 

 

 しかし――。

 

 先ほどラナーはレエブン侯を前にそう語ったものの、この説は少々穴があると思っている。

 

 仮にベルが魔法によって姿を変えているのならば、なぜその魔法を自身、アインズ・ウール・ゴウンに使わなかったかという疑問が出てくる。

 

 そのような魔法を習得しており、仮にベルに使用したのならば、自分にも使えばいいのだ。

 そうすれば姿を隠すことで疑われる心配もない。

 

 もし先ほどの推測通り、大柄な戦士の肉体を小柄な少女の肉体にまで変えられるのならば、どんな姿にだってなれるという事だ。たとえ、アインズ・ウール・ゴウンの元の姿がどのようなものであろうと、種族まで変わることが出来るかは分からないが、同じ人間にならばあらゆるタイプの姿へと変化できるはず。

 

 

 

 ……同じ人間?

 

 ラナーは、はたと思い至った。

 

 ……そもそも、本当に人間なのだろうか?

 

 

 アインズ・ウール・ゴウンの本当の姿は誰も見ていない。

 完全にその肉体は仮面やローブなどで覆い隠されていた。

 人間以外、別の種族である可能性もあるではないか。

 

 先ほどの考察はアインズが人間であることを前提にしたものだった。仮にアインズが人間外の他種族でなおかつ肉体を他の種族――この場合人間にまで――に変化させる魔法を習得していないと仮定するならば、それもあり得ると考えられる。

 

 この辺りの近隣諸国では、人間以外の種族は尊重されているとはとてもではないが言い難い。

 森の奥に住むエルフは、森林に近いところに住む人間とはそれなりに付き合いがあったりする。また、ドワーフはその技術から取引相手としては見られており比較的友好関係にあるとはいえるものの、それでも人間の街に住めるほどではない。特にスレイン法国では完全に人権などは与えられず、奴隷とされるなどしている。

 

 その為、異種族であれば姿を隠してもおかしくはない。

 

 

 だが……。

 

 だが、異種族――亜人種ならばまだよい。

 

 ――例えばアンデッドであったのなら。

 

 

 アインズはズーラーノーンと協調した可能性がある。

 そして、仮にズーラーノーンに所属する者、もしくはズーラーノーンと接触できる者ならば、アンデッドであってもおかしくはない。

 実際、エ・ランテルでの異変を起こしたズーラーノーンは、アンデッドの魔法詠唱者(マジック・キャスター)であったらしい。

 決して否定はできない。

 

 また、アインズはデスナイトという伝説のアンデッドをたやすく召喚できるという。それは蒼の薔薇のイビルアイをして驚愕させるほどの凄まじい御業。また、他の話を聞く分にも、()の者がつかう魔法は一般の者達、魔術師ギルドでも高位の者達が使えるものとは、まったく桁が違うそうだ。

 イビルアイと比べても、彼女をはるかにしのぐほどの魔術の使い手。

 200年の時を生きる伝説の吸血鬼(ヴァンパイア)すらも上回る魔法を習得するのには、一体どれだけの歳月を費やすだろうか?

 少なくとも、人の寿命のうちでは収まるまい。

 だが、永遠の命を持つアンデッドならば……。

 

 まさか、天使たちをまとめて滅ぼすような強大な魔法を行使し、王都すら滅ぼせるほどの戦力をたやすく召喚できる魔法詠唱者(マジック・キャスター)アインズ・ウール・ゴウンの正体はアンデッド……?

 

 

 

 そこまで考えたところで、ラナーはかぶりを振った。

 

 いや、それはさすがに飛躍が過ぎる。

 妄想といっていいレベルだ。根拠となるものに乏しすぎる。

 

 一度、思考を止め、頭に浮かんできた最悪の想像を思考の片隅に追いやった。

 

 

 ガゼフがあって話したところによれば、かの魔法詠唱者(マジック・キャスター)は善なる心根を持っていたという話ではないか。

 そんな人物が生命ある者を憎むアンデッドというのは、とうていあり得ない。

 

 

 だが――。

 

 ――あり得ないと分かっていても、その考えはラナーの胸のうちに(おり)のように沈み、いつまでも離れる事はなかった。

 

 

 

 

 




 ラナーとレエブン侯の会談はWEB版の方が好きです。
 書籍だと、デミの入れ知恵もあってか、ラナーが完璧すぎるので。

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