文末に「。」がついていないところがありましたので「。」をつけました
2017/5/31 「来た」→「きた」、「
文末に「。」がついていないところがありましたので「。」をつけました
「いい加減、あの2人の仲を進ませるべきだと思うんですよ」
「あの2人? パットとリーナですか?」
「……誰です、それ?」
「リーナはエ・ランテルで活動している女性の鉄級冒険者ですよ。それでパットは表通りにある商店の店員です。リーナは以前、お金がなくて空腹だった時に、たまたま店先にいたパットから果物をもらったことがきっかけで彼と話すようになり、恋心を抱くようになったらしいです。ですが、自分が明日をもしれない冒険者という立場から告白までには至っていなくてですね。そうしているうちにパットの方に、知り合い経由での見合い話が舞い込んできたみたいで。それが、性格のいい相手だったらまだいいんですが、その紹介される予定の相手は、色々と裏で男をとっかえひっかえしている性悪女らしいんですよ。それで、冒険者たちとしては何とかリーナの恋を応援しようかという話になっていてですね……」
「いや、そんな連中の事なんてどうでもいいですよ。違います。エンリとンフィーレアの事ですよ」
毎度のようにナザリック第9階層の執務室。
そこでアインズとベルは顔を突き合わせ、今後、ナザリックが行うべき計画を討議していた。
「もともとですね。使用制限を無視してどんなマジックアイテムでも使えるとかいう厄介なタレントを持っていて、なおかつ、この世界の薬学に詳しいンフィーレアを囲い込む為に、エンリに恋心抱いてるってのを利用したわけじゃないですか」
「ああ、そうでしたね」
アインズはちょっと遠い目をした。
「それなのに。それなのにですよ。あいつはカルネ村に来てからというもの、とにかく薬の研究の方に熱心で、エンリの方は二の次になってるらしいんですよ。夜とかも、徹夜でひたすら実験と研究ばかりだそうで」
「そんなにも打ち込めるものがあるってすごいですね。私はユグドラシルくらいでしたよ。仕事は生きるためでしたし、リア友も彼女もいませんでしたしね……」
「いや、そういう鬱になる話は置いといてですね。とにかく、ンフィーレアを自発的に私たちの傘下に収めておくにはエンリとの仲を進める必要があるんですよ。あいつの興味のあるものって薬とエンリしかないじゃないですか。薬の研究に集中をするのはいいんですが、薬だけに熱中するのはどうかと思うんですよ。薬に熱中。略して薬中ですよ」
「いや、そんなボケはいりませんので」
「とにかくあの2人はさっさとくっつけてしまいましょう。そもそも、ンフィーレアの方がエンリを好きという思いが強くて、エンリの方は仲のいい友人くらいにしか思ってないみたいなんですから、ンフィーレアの方から強く迫らないと進みませんよ。趣味に気をとられてて、好きな女の子は後回しで放っておくとか。そんなことして放置してたら、そのうち、ぽっと出のルクルットみたいな奴に、エンリはふらっと
ルクルットにものすごい失礼なことを言っている気もしたが、ぎりぎりと歯ぎしりして悔しがるベルの様子に、昔、実体験で何かあったんだろうなと、アインズはその事には深く触れないことにした。ちなみにベルがそこまで切歯扼腕しているのは、実体験は実体験でも、昔やってたゲームで苦労して育てたキャラが変な恋愛イベントで突然いなくなったのを思いおこさせるというしょうもない理由が原因なのだが、そんなことはアインズには知る由もない。
「まあ、確かにそうですね。でも、どうするんです? 以前、アルベドが提案していた、眠らせておいて一つのベッドに全裸で並べておくとかは駄目ですよ」
「そんな事しませんよ。この作戦の肝はンフィーレアの気持ちに気づいていないエンリに恋心を認識させる事です」
「まあ、エンリがその気になれば全ての話はスムーズにいくでしょうね。しかし、それはなかなか難しそうですが」
「大丈夫です。ちゃんと考えてありますよ」
ふっふっふと不敵そうに笑う。
「女性を落とすのにバッチリな、いいやり方があるんですよ」
「ほう? そんなのがあるんですか? いったい、どんな?」
「はい、それは――『壁ドン』です!」
「『カベドン』? ワールドエネミーですか?」
「違います。100年位前、女性の心をときめかせるシチュエーションとして有名になったものです」
「へえ、そんなのがあるんですか」
「たしか、昔、茶釜さんもかっこいい男性にはやられてみたいって言ってましたよ」
「あの茶釜さんですら、そう言う程のものですか。それはすごい」
「ええ。これを使えば、どんだけの鈍感系主人公かよ、と言われそうなエンリといえどもいちころですよ。……
「ベルさん、今、ちっちゃい声で多分って言いませんでした?」
「言ってません。言ってません。そんな事より、純真な少年の為にひとつ私たちで恋の橋渡しをしてやりましょう」
そう言って2人は恋に悩む青少年の為、暇つぶしがてら、エンリ即落とし作戦会議を進めていった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ああ。
もしこの場に神の視点を持つ第三者がいたのならば突っ込んだことだろう。
若く才気あふれるイケメン相手に、非モテおっさん2人が恋愛指南ってどんな冗談だよ、と。
だが、残念ながら、ここにはそんなまともなことを言ってくれる者は存在しなかったのである。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「「「「「ごちそうさまでしたー!」」」」」
声を合わせて、食後の挨拶をする。
そして、皆めいめいに立ち上がり、テーブル上の食器を重ね一カ所に集める。集められた食器は決められた当番の者が洗う。今日はネムとキュウメイ、グーリンダイが担当だ。
そうして、畑仕事の手伝いに行く者、警備に向かう者、村人への戦闘指南に向かう者……、各々の仕事へと向かう。
あわただしく皆が動く中、エンリもまた椅子から立ち上がった。
「じゃあ、後片付けはお願いね」
「まかせて、お姉ちゃん」
ネムが元気よく答える。キュウメイとグーリンダイもまた「任せてください」と返事をした。
「私は今日は家で
その声に、皆ふるふると首を振った。
エンリはうなづくと家へと戻ろうとする。その背にンフィーレアが声をかけた。
「あ、あのさ、エンリ」
「なに、ンフィー?」
「ええっと、ちょっと僕も、……そのエンリの家で作業したいんだけどいいかな?」
「うちで作業?」
なんだろう? とエンリは首を傾げた。
「なにか、ンフィーの家で出来ないことをするの?」
「え? ええっとね……。そ、そう。ちょっと僕の家では出来ないことをしたいんだ」
「なにするの?」
「う、うーんと、その……や、薬品の臭いがね。ほら、僕達に割り振られた家って日常的に薬を作ってるから、そういう臭いがするじゃないか。今度、試してみたいのはちょっと、そういう臭いがあると拙いんだ。だから、エンリの家で……エンリの隣の部屋を貸してほしいんだけど……」
何やら落ち着かない様子で話すンフィーレアに、ますます訳が分からなくなる。
「それって、大丈夫なの? 何か危険だったり、家に臭いがついたりしない?」
普通に話さず、動揺しているところを見ると、なにか言いにくい事でもあるのかと邪推してしまう。
問われたンフィーレアは慌てて否定した。
「そ、そんなことないよ! エンリを危険にさらしたり、迷惑をかけたりはしないよ!」
思わず大きな声を出したンフィーレアに、エンリは驚いて目を丸くした。
先ほどからまったく話が進まない状況に、見かねてネムが助け舟を出す。
「うん。いいよ、ンフィー君。家を使っても。ンフィー君なら変な事とかしないから安心だもんね」
「そ、そうですな。何やるかは分かりやせんが、ンフィーの兄さんなら大丈夫でしょう」
「ええ、そうっすよ」
妹に続き、ゴブリンたちもまた擁護する状況に、まだ疑念は残るもののエンリは「まあ、いいか」と思った。
「うん、じゃあ、いいよ。私は部屋にいるからね」
そう言うと、エンリは自分の家へと足を向けた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その背を見送り、ンフィーレアは大きく深呼吸する。
だが、それでもまだ空気が足りない。
バクバクと高鳴る心臓が、まるでこれからやることを急かしているような気分になる。
ンフィーレアはごくりと生唾を飲み込み、必死で
「本当にやるんですかい? ンフィーの兄さん?」
そうやって気持ちを落ち着けていると、ゴブリン集団の1人、カイジャリが声をかけてきた。
「う、うん。やるよ」
ンフィーレアは決意と共にうなづいた。
「最近、僕は薬づくりの方に集中していて、エンリとは距離を詰めていなかった」
その心の内を吐露する。
「でも、それは言い訳だ。僕は自分の心に向き合うことが出来なくて、逃避として新薬の開発にのめり込んでいただけなんだ。正直な話、僕は怖かったんだ。もしエンリに告白して、そしてもし断られて、2人の関係が壊れることが。エンリが僕に今までとは違った表情を向けることが……。そんなことになるくらいなら、このあいまいな関係でもいいと思っていたんだ。でも……」
きっと前を見据える。金色の髪の間から覗くその目が見つめるものは、はるか遠く。
「でも、このままでは駄目だ。このままでは何も変わらない。僕は関係を変える。僕は……エンリとの関係を! 仲を進める! 僕は……エンリの恋人に……なる!」
皆の前で放たれる、固く心に誓った言葉。
だが、カイジャリの顔に浮かぶのは、相変わらず困惑の表情のままだった。
「いや、そりゃあ、いいんですがね。ンフィーの兄さんと姐さんがくっつきゃあ、そりゃ万々歳でさぁ。ですが、その……助言されたっていう、そのやり方っつうのは……」
その言葉には、気合を入れていた心も思わず及び腰になってしまう。
「う……た、確かに意味は分からないけど、ベルさんから教えてもらったやり方だし……。それに、もしかしたら僕達男にはわからなくても、女性としてはそういうのもいいのかも……」
「いや、私も意味分かんないよぉ……」
これからやる訳の分からない行為について、自分自身を無理矢理納得させるかのごとき言葉だったが、それが耳に入ったネムも思わずつぶやいた。
せっかく心を奮い立たせたのに、なんだかだんだん気持ちが
止めようかな……。
そんな言葉が頭に浮かんでくるが、そんな弱気な考えを頭を振るって追い払う。
「よし! 行ってくるよ」
固く拳を握りしめ、揺るがぬ決意を胸にンフィーレアはエンリの家へと大股で歩いていった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ええっと、これが使えるかな……」
エンリとネム共用の部屋。今そこのベッドの上には数着の服が並べられている。
「うん。これなら少しサイズを合わせればンフィーでも着れるはず」
いま、彼女の手にあるのは男物の服だ。だが、やや大柄な人物のものらしい。男性としては細身なンフィーレアが着るには大きすぎる。
エンリはその手の服をしばし、じっと見つめた後、胸にかき抱いた。
服から漂う懐かしい香りが、彼女の鼻孔をくすぐる。
「父さん……」
いま彼女が手にしているのは、あの襲撃で彼女を守って命を失った父の服だ。
あの時の事は今でも夢に見る。
家々の焼ける匂い。耳に響く悲鳴。下卑た男の笑い声。流れる鮮血の色……。
「はやくいけ!!」というあの時の……エンリが聞いた最後の言葉が今でも耳に残っている。
あの不条理に対する怒りは癒えることなく、じゅくじゅくと化膿し続ける傷口のように彼女のうちで
だが、そんな感情をその身のうちに抱えつつも――自分たちを取り巻く環境は変わっていく。
ゴブリンたちが新しい家族として加わり、村にバレアレ一家が移住し、そしてオーガらも住み着くようになった。
当のエンリもすでにただの一村娘ではない。このカルネ村の村長だ。今はまだ、
彼女の決断次第では、村の者達の命さえも左右することになる。その圧倒的な責任感の重さの前には、エンリ個人の黒い感情など心動かす余地もなく抑えつけられている。
たった一人の気持ちを
ましてや、ただの少女一人の為に。
この服もエンリにとって亡き家族の大切な思い出ではあるが、このまま朽ち果てさせるよりは有効に使った方が良いだろう。
(ごめんなさい。いいよね、お父さん)
そんな気持ちを胸に抱いていると、玄関の扉が開閉する音が耳に入った。
先程、家で作業したいといっていたンフィーレアだろう。
その音を契機に、気持ちを入れ替える。
目の端に溜まっていた涙をぬぐう。
湿っぽいのはこれで終わり。
さあ、自分の仕事をしなくちゃ。
ンフィーは作業着以外の服がないって言ってたから、普段着用の服を……そうね、とりあえず2着あればいいかな? うん。それくらいならば、今日だけで終われるだろう。一から服を作るのでもなく、サイズ合わせをすればいいだけだから。じゃあ、さっさとやってしまおう。
そう意気込み、戸棚から裁縫道具をひっぱり出す。
そうして、
音を立てて、床に落ちる。
「あちゃー」と思い、散らばった糸巻きを拾い集めようとしたとき――。
ドン!
壁が音を立てた。
突然の音に思わず、身体がビクッとした。
そうして身をすくめる事、数秒。
ゆるゆると固まった体を戻す。
なんだろう? 今の音は?
隣から聞こえてきた。
いや、隣の部屋というより壁からだ。
何かが壁にぶつかった?
今、隣の部屋にいるのはンフィーのはずだ。
どうしたんだろう?
耳を澄ませてみるが、隣からは何の物音も聞こえてこない。
なにか、作業するときにぶつけちゃったのかな?
そう思い、床に転がり落ちたものを拾い集め、戸棚をバタンと閉める。
すると――。
ドン! ドン!
再び音がした。
それも今度は2回。
それで気づいた。
この音は、エンリが音を立てたときにンフィーレアが壁を叩いているんだと。
いささか、ムッとするものを憶えたが、隣にいるンフィーレアはよく分からないけれども大切な事をしているんだろう。気がたってしまうのもしょうがないかと思い、出来るだけ音を立てないように作業を始める。
そうして無音のまま、手を動かすことしばし。
作業しつつ耳をそばだてるも、隣からの音は全く聞こえない。
そうしている間に作業に一区切りがつき、ふうと髪をかき上げ、椅子に座り直した時――。
――椅子の足がズズッと床をこすった。
その音にエンリが「あっ」と思う間もなく――。
ドン! ドン! ドン!
その音を聞くやいなや、エンリは立ち上がり、隣へと続く扉を勢いよく押し開けた。
「ちょっと! ンフィー!」
扉をくぐると、そこには壁際でビクリと身を揺らすンフィーレア。
「エ、エンリ……」
エンリは完全に腰が引けているンフィーレアにつかつかと近づくと、すぐそばの椅子に座るように言った。
おとなしく言われるがまま、腰かけるンフィーレア。
そして、立っている自分より頭が下がった彼に、体を曲げるようにして目線を合わせ、腰に手を当てて言った。
「あのね、ンフィー。ンフィーが大切なことをしてるのは分かるよ。ンフィーの作る薬は村の人の役に立ってる。うん、それは認めるよ。でもね、こういうのは駄目でしょ! 音がしたら自分の作業に集中できないからといって、壁をドンドン叩いたりして! そうやって、人に迷惑をかけるのは良くないよ。それにね……」
ぷんぷんと怒り顔でお説教を続けるエンリを前に、ンフィーレアは肩を落としてうなだれるしかなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「駄目じゃないですか」
「あっれー、おっかしいな」
その様子を、例によって〈
鏡に映る姿はどう見てもエンリとンフィーレアの関係が深まったとは言い難い。
「仲良くなるどころか、見るからに険悪ですよ」
「おかしいですね。たしか、『壁ドンとか乙女の夢だよね。もし、イケメンにされたら心ときめく』って茶釜さんも言ってたんですが」
「いやいや、これでときめくってないでしょ。どう考えても、ただの嫌がらせですよ。本当にこれがその『壁ドン』なんですか?」
「ええ、これで合ってるはずですよ。ペロロンチーノさんも言ってましたし。『世間一般には誤解されたものが広まってるが、本当の壁ドンっていうのは隣の部屋とかがうるさいとき、壁をドンと叩いてやる事なんだ』って」
「そうなんですか?」
「ええ。ちなみに昔、ペロロンチーノさんが隣の部屋にいた茶釜さんにやったら、ぶんなぐられたって言ってました」
「駄目じゃん」
「まあ、姉弟なのに恋愛シチュをやったからかなー、と思ってたんですが。もしされたら心ときめくと言いつつも、実際されたら殴りつけるとか、女心は複雑ですね」
やれやれと、椅子の背もたれに身を預ける。
「それでベルさん、これは駄目だったわけですが、他に何か良い案ありませんかね?」
「他にですか。そうですねぇ、……そうだ、『ヤンデレ』っていうのがありましたね」
「一応やる前に聞きますが、どういうのです?」
「えと、大まかには精神的に病むほど人を愛したうえで常軌を逸した行動をとるというヤツで……。そうですね。カルネ村で出来るのっていったら、……エンリをどこかに拉致監禁して、ンフィーレアの事が好きになるまで調教するとか……」
「ただの犯罪じゃないですか! なんですか、それ!?」
「いや、これでも100年位前、21世紀初頭あたりに流行したシチュエーションだそうですよ。ペロロンチーノさんに聞きましたし」
「100年前の人間って頭おかしかったんじゃないですか?」
「その可能性は無きにしも非ずですな」
「とにかく。とにかくですよ。もう一度案を練り直しましょう」
「そうですね」
そう言うと、〈
そして、ただの鏡となった〈
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……それでね、ンフィー。言いたいことがあるのなら、ちゃんと口で言わないと伝わらないよ。私たちは人間なんだから。自分の思いは言葉にして……」
ベルが助言をくれはしたものの、ついさっきまで自分たちの様子を監視していたとは思いもよらないンフィーレアは、言われたとおりにしたのに何が悪かったんだろうと、心の中で自問自答していた。
そうして、
「ンフィー。聞いてるの!」
――と声をかけられた。
慌てて顔をあげると目と鼻の先には、エンリの顔。
ほんのすぐの距離にある、恋する女の子の顔に、ンフィーレアは返事も出来ずに唾をのんだ。
すると、不意にエンリはその顔に浮かんでいた険のある表情を曇らせ、ンフィーレアの顔を覗き込んでいた姿勢を正し、ふうと大きくため息をついた。
そして、ぎゅっとンフィーレアの頭をその胸にかき抱いた。
突然の事に混乱するンフィーレア。
今、彼の頭は優しく少女の腕に抱えられている。
その顔面は丈夫なごわごわとした服越しに、彼女の、同年代の女性と比するとややつつましやかな双丘の感触を感じている。
まったく予期せぬ、そして突如として訪れた幸運事にンフィーレアの思考は千々にちぎれ飛ぶ。心臓が早鐘のように打ち鳴らされる。
落ち着こうと深呼吸しても、その口と鼻の接している所から服越しに感じる少女の汗の匂い、エンリの名誉を考え言いかえるならば甘い匂いが胸いっぱいに広がる。
そんな状況に、いつ果てるとも知れない眩暈にも似た感覚にとらわれ、時間すらも忘れていると、エンリにその肩を掴まれ、その身を離される。
いまだ思考もままならない状況で、呆と見上げるとその額に、エンリの額がくっつけられた。
そうして、彼女の体温を
「ごめんね、ンフィー。ンフィーも大変だったんだよね。ンフィーの故郷のエ・ランテルはなんだかすごいことになっちゃって、それでこっちに移り住むことになって。街の暮らしと、こんな田舎の村じゃ勝手が違って落ち着かないよね。ンフィーも……やっぱりつらい事がたくさんあったんだよね。でも男の子だから、弱音も吐けないで頑張っていたんだよね。ごめんね。気づいてあげられなくて」
エンリは額を離すと、ンフィーレアの両手をやさしく包んだ。
「ンフィー。慣れない環境で大変だと思うよ。でもね、私がいるよ。私だけじゃない。ネムも、ゴブリンさんたちも、それに他の村の人たちだって。困ったことがあったら何でも言って。出来ることは限られてるけど、出来るだけ頑張るよ。だって、ンフィーはこの村の、私の、大切な……家族なんだから」
つたないながらも、ンフィーレアを
「は、ははは……ははははは」
朗らかな笑い声をあげたンフィーレアに、エンリは目をぱちくりとさせる。
「ごめんね。そしてありがとう、エンリ。心配してくれて」
今、ンフィーレアの心からは、早くエンリの気持ちをとらえないとという焦燥や、自分はエンリにはふさわしくないのではないかという卑屈な
「ああ、僕はここにいるよ、エンリ。これからもずっと一緒さ」
ンフィーレアは立ち上がると、エンリの手をあらためて握る。
残念ながら、その手はあまり柔らかくはなく、日々の農作業により固くなっていたのだが、その手から安心するような彼女の体温を感じる。
この温かさをずっと守っていこう。
エンリの傍らで。
そして、それは僕一人だけじゃない。みんなでだ。
先ほどまでと人が変わったような友人の様子に、少々驚きの表情を見せるエンリ。
そんな彼女を顔を見つめ、ンフィーレアは思った。
(そうか、ベルさんはこうなる事を予想していたのか。僕の、一足飛びにエンリと仲を進めなくてはと焦る凝り固まった心を一度打ち砕いて、本当に大切なものに気づかせようとしてくれたのか)
ンフィーレアは憑き物が落ちたような晴れやかな面持ちで上を見上げる。
その視線は空を見上げることなく、薄汚れている木組みの天井で阻まれたが、その心に浮かぶものは自分にとって何が重要か気づくきっかけをくれた恩人である銀の髪を持つ少女の姿であった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
所変わって、再びナザリック第9階層執務室。
ここでは、誤用として広まった『煮詰まった』という言葉がぴったりとくるような有様であった。
2人の横にあるボードにはいくつもの案が書かれては消され、書かれては消され、『役立たずここに眠る』、『羊の呪い。呪ってやる』、『男なら、水鉄砲で勝負しろ』、『オレンジを食べる』といった訳の分からない言葉が羅列されていた。
「あー、もう! ちょっと待った!」
アインズは何もない空中に浮かんだものをかき消すように両手を動かす。
「待ってください! 落ち着いて! もう一度最初から考えてみませんか? エンリとンフィーレアをくっつけるため、もう一歩踏み込ませるだけですよ。あんまり
「ふむ、確かに。そもそも、
「そうですよ。こうですね。恋人同士が仲良くするような……」
そう言ってアインズは恋人同士の甘い逢瀬を頭に浮かべる。
その頭に浮かんだのは、こじゃれた街のオープンカフェ。
太陽がさんさんと照り付ける空の下、そこにエンリとンフィーレアが並んで座っている。そして、ンフィーレアがフォークでケーキをひとかけら切り出し、エンリに「あーん」と言って差し出す。言われたエンリは控えめに口を開いて、そのケーキを食べ、その舌先に感じる甘さに幸せそうな笑みを浮かべる。その表情にンフィーレアもまた微笑み、エンリの頭を撫でてやる。慌てて照れるエンリに「かわいいね」と声をかけた。
そんなアインズらの生きていた頃から一時代は昔のイメージが頭の中に浮かんだ。残念ながら、本人の実体験に基づいたものではなく、本やゲーム、アインズ・ウール・ゴウンのギルドメンバーから聞いた話をもとにした陳腐極まりないものだったが。
「ほら、ベルさん。とてもシンプルに。こう……陽光の降り注ぐ空の下、ンフィーレアがエンリに甘いものを食べさせて、それでエンリが幸せそうな顔をして。そしてンフィーレアはそれを見て、頭を撫でてやったり、かわいいとか言ってやって笑ったりとか、そういうのですよ」
ふむ、とベルは今言われた事を頭の中で想像してみる。
太陽がさんさんと照り付ける空の下。
青々とした緑がまばゆい風薫る季節。海原のようになびく草原を見渡す丘にンフィーレアとエンリはいた。
ンフィーレアはやおらポケットに手を突っ込むと――。
「そら、エンリ。角砂糖だぞ」
そう言って白く輝く立方体を放り投げる。それも二つも。
エンリは目を輝かせると、大きく跳躍して、空中でその角砂糖を口でとらえる。優雅に飛び上がり一つ口に入れた刹那、雷光のように身をくねらせ、残るもう一つもその口にとらえた。
「よーしよし。いい子だ、エンリ」
ンフィーレアは角砂糖の甘さに頬を緩めるエンリの頭を撫でてやる。
次の瞬間、なぜか想像の中のンフィーレアの様子が変わり、その顔が包帯でぐるぐる巻きにされていた。
「ふふふ。昔、ちょいとエンリにじゃれつかれ、さわられただけで、僕の顔面はご覧の通りメチャメチャさ。しかしカワイイやつよ……」
そう言って、誰を相手にしているのかは知らないが、不敵に笑った。
「うーん。……たしかに……愛情かもしれませんが、それでいいんですかね?」
言われたキーワードから脳裏に浮かんだ自分の想像に首をひねるベル。どう考えても、恋愛方面にはならない気もする。
だが、アインズは力強く、確信を込めてうなづいた。
「いえ、ベタでもこういうのがいいんですよ。ひねりは無しで」
「んんー……? ひねりまくってる気も……」
そう言いつつも、ベルはまあいいかと思う。
すでに一度、ベルが考えた『壁ドン』の計画は失敗に終わった。次はアインズの策を試してみるのもいいのではないか?
「ふむ、そうなると……角砂糖が必要になりますね」
「角砂糖?」
ベルのつぶやきに、何の事だろうと頭をひねったアインズだったが、すぐに「ああ、なるほど」と思い至った。
「ええ、そうですね。角砂糖とかあるといいですね」
と、同意した。
アインズの想像の中にある喫茶店のシーン。
その中では、相手の紅茶に砂糖をどれくらい入れるか聞き、そして入れてあげるというシチュエーションもあった。そこで砂糖をスプーンですくわずに、指で角砂糖を一つずつ
(さすが、ベルさん。俺が細かく言わなくても、様々な展開に合わせ、色々な小道具の手配まで考慮してくれるなんて。嫉妬マスク非保持者なだけはあるなあ)
あらかたの仕切りはベルに任せておけば安心だなと、アインズは満足げにうなづいた。
「よし、分かりました。とりあえずはその計画で進めてみましょう。今度こそ、エンリとンフィーレアの仲を進めてみせますよ」
「ええ、やりましょう」
力強くうなづく2人。
ああ。
もしこの場に神の視点を持つ第三者がいたのならば――。
アニメではアインズ様が壁ドンをしてましたね。
パンドラに。