オーバーロード ~破滅の少女~   作:タッパ・タッパ

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 なんと今回、久しぶりにベルが主役です。

2016/8/3 「食べ追えると」→「食べ終えると」 訂正しました
2017/2/15 「数敵」→「数滴」 訂正しました
2017/5/31 「張られて」→「貼られて」、「見せる」→「みせる」、「押さえきれなかった」→「抑えきれなかった」、「話声」→「話し声」、「例え」→「たとえ」、「できるに」→「できるように」、「数件分」→「数軒分」 訂正しました


第38話 ボーイ・ミーツ・? -1

 女性の声が耳に届いた。

 

(うん?)

 

 扉の向こうから聞こえてきた声に、アインズは机上の書類に向けていた視線をあげる。 

 耳を澄ませてみると、何やら部屋の前で警護をしている者に、慌てて取次ぎを頼んでいる声が聞こえてくる。

 

(今のはソリュシャンの声か? なんだか、凄く慌てているようだが……。ソリュシャンがここまで慌てるとは珍しいな。一体何があったんだ?)

 

 疑問に思い、室内に控えていたメイド――シクススに、ソリュシャンを通すよう命じる。

 

 彼女が外へ行き、警護の者に話を通すと、ソリュシャンが執務室の中へと入ってくる。

 やや急ぎ足で。

 アインズの傍らに控えていたアルベドが片眉をピクリと跳ね上げた。

 

 そしてガッと、音を立てるほど勢いよく、アインズの前で片膝をつく。

 

「アインズ様! お騒がせして申し訳ありません! 火急の用にて失礼いたします!」

 

 息せき切ってやって来たソリュシャンの様子になにがあったかと、非礼を詫びる言葉を遮り、先を促す。

 

「よい。お前の様子から察するに、急ぎで知らせねばならぬ用なのであろう。非礼を咎めはせぬ。聞かせるがよい」

「はい、アインズ様。ベル様なのですが」

「ベルさんがどうした?」

「ベル様が、一人でナザリック外にお出になられました!」

「……なに?」

 

 その答えは、いささか意表をつかれた。

 

 ベルはとにかく慎重に行動するタイプだ。とにかく虎穴にいらずんば虎児を得ずとばかりに突撃するタイプではない。常に先々の事を考え、失敗に備える。一つの失敗をした時の為に予備策を。二つの失敗をした時の為に、二つの予備策を。とにかく、念には念を入れ、いくつも次善策をこうじ、警戒するような人間だ。

 そんな人間が突然一人でナザリックの外に?

 それも自分に何も言わずに?

 

 アインズは不吉な胸騒ぎを感じた。

 無くなったはずの心臓が早鐘を打つような、幻肢とも思えるような感覚を覚えた。

 

「何か聞いているか?」

 

 念のため、アルベドに問うてみるが、彼女は無言で首を振る。シクススもまたプルプルと首を振った。

 

 ソリュシャンに目をやるが、……当然、知っていようはずもない。知っているのなら、こんなにも慌てて報告しに来る必要もないのだから。

 その時、ソリュシャンが手にしていた封筒を差し出した。

 

「アインズ様。恐れながら、これがベル様の私室に」

 

 膝をついたまま差し出された封筒。合図するとシクススが受け取り、アインズの前まで持ってくる。

 

 やや青みがかった白い封筒、その表には、「ソリュシャンへ、この封筒をアインズさんへ渡すように」と書かれた薄緑色の付箋が貼られている。

 

 一体どうしたんだろう? 何か重大な事が、それも緊急であったのだろうか? 

 緊張のあまり震えそうになる指先を何とか抑え、封を開ける。中には数枚の便箋が折りたたまれ入っていた。

 はたして何が書いてあるのだろうか? 急いで中を見て確かめたいという気持ちと、中を見る事で不穏な事実を突き付けられたくないという気持ちが拮抗する。

 相反する気持ちに心の天秤が揺れ動くが、意を決してそれを開いた。

 

 薄桃色の便箋、その一枚目にはこう書かれていた。

 

 

 

   『働きたくないでござる』

 

 

 

(あの人は……)

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「ああぁぁーー」

 

 ベルはソファーに寝っ転がったまま、グーッと伸びをする。

 勢い良く手を下ろすと、下に敷かれた柔らかなクッションによって身体がフヨンフヨンと跳ねた。

 

 今度は体を半回転させ、うつ伏せになり、また両手両足を突っ張らせて背をそらすように伸びをする。

 

「いっやぁ、人生メリハリが必要だよね。働いてばっかりじゃなくって、たまには休まなきゃ」

「俺はいま働いてるところなんですけどね」

 

 先ほどから同じ室内で、ごそごそと動いたり、何か喋ったりするベルに気をちらされながらも、机に向かって書類を片づけていたマルムヴィストがぼやく。

 

 

 ここは城塞都市エ・ランテルに居を構える、今各勢力から注目の的にして話題沸騰中のギラード商会。

 その中の最も奥まった部屋。まさしく、商会のトップたるものが過ごす絢爛豪華な部屋である。

 あまりに絢爛豪華過ぎて、普通の人間が入ったのならば、部屋中に荒れ狂う毒々しい色の奔流と成金趣味による下品かつ悪趣味極まりない装飾に、開いた口が塞がらないこと間違いなしの空間だ。ギラード商会の元トップ、ギラードが集めた装飾品の数々は、あまり芸術に興味もなく、詳しくもないベルの目には派手で鬱陶しいなと思う程度だったが、芸術及びファッションのセンスがあるマルムヴィストには、もうこの部屋にいるだけでウンザリさせられるという、ある意味(たくみ)の部屋であった。

 

「それにしても、ボス。今日はソリュシャンさんは一緒じゃないんですか?」

「いや……今日は休暇だし……自主的な」

「……自主的って、サボりですか? 後で怒られますよ」

「怒られるのは仕方がない。全ては俺の選択だ。だが……だが、俺はそんな未来しかないと分かっていても、必死であがいてみせる。今日という日を、必死で生きねばならないんだ」

「サボりを無駄にかっこよく言われても……。それに心配してるんじゃないですか?」

 

 その言葉には思わず、ウッとうなって言葉を失う。

 

「いや、大丈夫だよ、……たぶん。それに一応、置手紙は置いて来たし」

 

 私室の机の上には、アインズに届けるようにと付箋(ふせん)をつけて、ちゃんと書置きをしておいた。

 エ・ランテルに行ってくる旨と、危険なことに首を突っ込むことは無いから心配する必要はないと書いておいたので、まあ、大丈夫だろう。

 

 帰ったら、怒られるくらいで。

 

 

 今回の行動が、仕方ないでは済まされない程のものであることはベルも重々承知している。ザイトルクワエ戦が終わり、外への警戒は引き下げたとはいえ、まだ他の強者についての調査は完全には済んではいないのだ。

 軽率のそしりを受けても、しょうがない行為だ。

 

 だが、どうしても、どこかに行きたいという衝動は抑えきれなかった。

 

 

 それはここ最近の働きぶりにある。

 

 もともとは、ベルはギルド『アインズ・ウール・ゴウン』に所属する至高の41人の娘という設定であり、あくまでギルメンへの見習い期間とでも言えるような扱いを受けていた。それに現地での橋頭保を作るという名目でカルネ村の運営に関わり、頻繁にナザリック外部へおもむくなど、わりと自由な身分であった。

 対して、当初のアインズは常にナザリック地下大墳墓主人としてのロールプレイを続けねばならず、精神的に参ってしまっていた。

 

 その為、新たな情報収集に気晴らしもかねて、アインズがモモンとしてエ・ランテルで冒険者として活動し、ベルはカルネ村やエ・ランテルでの活動をしつつも、ナザリック内での仕事を肩代わりすることになったのである。

 

 だが、段々とその比重が変化してきた。

 

 アインズは、冒険者モモンとしてエ・ランテルで確固とした地位を築いていった。

 それ自体は良いのだが、そちらに時間をとられて、ナザリックに戻る時間がどんどん減っていったのである。

 

 対してベルの方はというと、最初はエ・ランテルでの情報網の構築や、裏社会の掌握など、悪のフィクサーっぽくて楽しかったのだが、段々とそれも飽きてきてしまった。

 情報と言っても、そうそう刺激的な情報などはなく、ただ誰と誰の関係がどうなったとかゴシップのようなものが多かった(それも人心掌握としては重要な物ではあるが)し、裏社会の掌握も最初は見せしめでどこかを襲撃するなどしていたものの、軌道に乗るにつれ、傘下に降った者達が彼らだけでうまく回すようになり、もうベルの手をすっかり離れてしまっていた。

 そして、カルネ村の方でも結局、農業関係には手は出せなかったし、進めていた防壁建築も終わってしまい、することが無くなっていったのだ。

 結果、ベルはたまに視察としてカルネ村やエ・ランテルのギラード商会に行く他は、ひたすらナザリックで書類整理するしかなかったのである。

 

 来る日も来る日もあげられてくる書類に目を通し、各地に配備しているナザリックおよび自分たちに組する者達の現状を確認して、次なる指示を出す日々。

 

 そんな毎日に嫌気がさしてしまっていた。

 

 特に、この前、蜥蜴人(リザードマン)の村へ救援に行った際の事。

 ザイトルクワエという高レベルキャラの存在が予期されたことを受け、ナザリックの者達を総動員して厳戒態勢を敷き、そいつとの戦闘及び漁夫の利を狙うかもしれない他勢力の襲撃に備え、万全の態勢を整えた。

 整えたにもかかわらず――大したことも無かった。

 結局のところ、大山鳴動して鼠一匹の言葉の通り、ザイトルクワエはただ単に80レベル程度のモンスターにすぎなかったし、警戒していた他勢力の存在など影すらも見えなかった。

 なんだかもう気をはっていたのが馬鹿らしくなるほどだった。転ばぬ先の杖という事で、注意を払いはしていたものの何事もなく済んだというのは良い事ではあると頭ではわかっていたが、それでも、無益な労力をはらったという印象がぬぐえなかった。

 

 なんだか、もう色々なことが面倒くさいな。

 

 ふと自室に一人でいたとき、脳裏に浮かんだ言葉。

 そんな考えに取りつかれたとき、衝動的に手紙だけを残し、ナザリックを抜けだしてきてしまったのだ。

 

 

 今、落ち着いて考えてみると、自分のこの行動は拙いという事はよく分かる。

 残してきた者達に心配もかけるだろうし、怒りもするだろうという事は十二分に分かってはいる。

 分かってはいるのだが……。

 

 

「まあ、やってしまったものは仕方がないわな。最悪、後で土下座でもすればいいだろ」

 

 もう、その胸の内にあるのは、どうせ後で怒られるのなら、今日は出来るだけ遊んでやろうという諦めと開き直りの心持ちであった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 かつり。

 

 足音が建物内に響いた。

 

 騒々しいとまではいわないが、あちらこちらで話し声の絶えない屋内、その全ての者が、そのたった一人の足音を耳に止めたわけではない。

 だが、入り口付近にいた者がその音に振り向いて言葉をなくし、その様子に気づいたまた別の者が振り返っては黙り込みと、まるで一斉に潮が引いたかのように冒険者組合の建物から音が消えていった。

 

 無音の空間に、彼女の足音だけが響く。

 

 彼女からすれば、自分の足音を消すことなど、息をするくらい簡単な事なのだが、戦いの場に身を置く者達からすると、足音を消して近づかれることは不快と判断されることも多い。

 もちろん、たとえ不快に思うものがいようとも、彼女にわざわざ喧嘩を売ろうものなどこの場にいるはずもない。

 だが、彼女がここに来たのは別に争いに来た訳ではない。

 そのため、他者への一応の礼儀としてわざと靴音高く歩いた。

 

 まるでバジリスクに睨まれたかの如く、身じろぎ一つする者すらいない中、彼女は受付へと歩み寄る。

 受付の女性職員と、彼女が入ってくるまで話し込んでいた冒険者が、よろよろとよろめくように後ずさり、場を譲った。

 

 受付嬢の前、カウンター越しに彼女が立つ。

 静寂の中、ごくりと喉を鳴らす受付嬢の目は、目の前に立つ小柄な女性、その首から下げられた冒険者のプレートに注がれている。

 

 その女性は首からプレートを外すと、それを受付嬢に差し出し、「組合長に会いたい」と告げた。

 

 受付嬢は震える手でプレートを受け取り、その裏に書かれている文字を確認すると、緊張に上ずった声をあげた。

 

「は、はい! 直ちに! ようこそおいで下さいました。蒼の薔薇のティア様!」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ガタン、ゴトン。

 

 馬が歩みを進めるたびに、車輪が路面の石を踏み、馬車が揺れる。ちゃんとした街道とはいえ、帝国側のものとは大違いだ。

 

 揺れる馬車の重さに耐えつつも、それを曳く立派な体躯の馬は少しずつ丘を登っていく。

 

「あの丘を越えれば、エ・ランテルが見えるぞ。アレックス」

 

 馬車の手綱をにぎる髭面の男が隣に座る少年に言った。

 「へぇ、そうなんですか」と明るく答える少年。

 長い黒髪を結い上げて後頭部でまとめ、くすんだ銀色のバレッタで留めている、一見すると女性にも見える線の細さだ。とてもではないが荒事などは出来そうにもないが、その実、行商人らしい緩やかな布地の服の上から、厚手の布を巻き付けるようにして隠されたその身体は、戦う者として鍛え上げられたものである。

 

「よし、あと一息だ。がんばれ」

 

 隊商の誰かがそう口にする。

 旅に加わったもの全てが、あの立派な城塞が目に入るのを今か今かと心待ちにしている。

 

 やがて、黒毛の馬は重い荷を曳きながらも、坂を登り切った。

 

 やや小高くなった丘から見渡せるのは、瑞々(みずみず)しい緑に輝く草原。緑の中を貫く茶色い大地が露出した曲がりくねる道、そして、その先にある誰をも寄せ付けぬような暗灰色の城壁。

 

 城塞都市エ・ランテルである。

 

 それを見た隊商の者達は、思わず控えめながら歓声をあげた。

 

 街道周辺は比較的治安がいいとはいえ、旅する者は野盗や忌まわしい怪物(モンスター)の襲撃に警戒しなくてはならない。その旅を終え、目的地が見えたという事は、もはやほぼ身の危険は去ったという事だ。まさか、都市の目と鼻の先で襲撃を企てる者などいない。

 

 皆、そのような襲撃が無かったことに安堵の息を吐いた。

 

 

 ――そういう演技をした。

 

 この場にいる者達、今はごくごく一般的な隊商に偽装している彼らが本気を出したならば、例え、野盗だろうが怪物(モンスター)の群れだろうが、たやすく打ち勝てる。生き残りすら許さず、完全な殲滅も可能だろう。

 だが、あくまで一般的な隊商としては襲撃を恐れるものである。今、こうしているうちにも、どこに目があるか分からない。そのため、このように普通の隊商の振る舞いを真似てみせる必要があった。

 

 それに、そもそも出来るだけ、そのような戦闘は避けたかった。

 いかに労を払おうとも、その痕跡を完全に消し去るのは容易ではない。盗賊などの心得のあるものならば、戦闘の痕を発見されてしまう恐れもある。

 そうなった場合、何者が襲撃者を返り討ちにしたのかという話になり、巡り巡って自分たちの素性がばれてしまう恐れもあるのだ。

 彼らがスレイン法国の秘密部隊という素性が。

 

 

 そう、彼らはただの隊商ではなく、スレイン法国が他国へ人員を派遣する際に隠れ蓑として利用する偽装部隊である。

 

 実際に商人として活動するかたわら、旅する者達に紛れ、多種多様な人や物を他国に秘かに送り届け、また法国へと移送するのが目的だ。

 

 その移送するものは多岐にわたる。

 法国から追われ捕らえられた罪人だったり、世界を揺るがせかねないマジックアイテムだったり、一国をも転覆させることも可能な戦闘員だったり。

 

 無論、街道を使わず、街にもよらずに秘かに活動する場合もある。

 だが、領地を治める王国、帝国とも、そこに仕える人間はけっして木石ではない。いかに訓練された者達だとしても、それが多勢であるのならば、完全に目撃されずに動くのは困難極まりないものであり、発見されれば、その目的が露見してしまう危険性をもはらんでいる。

 その為、こうして正規のルートを通って、多くの人と共に行動した方が、木の葉を隠すには森の中という事でかえって目立たず動けるのだ。

 

「じゃあ、行くか。さっさと街に入っちまおう」

 

 このキャラバンのリーダー格である、少年の隣に座っていた髭面の男が皆に声をかける。

 その声に、皆も声をあげる。ゴールが目の前に見えれば、やる気も上がるというものだ。

 

 彼らは全員がスレイン法国の人間であるが、一つの部門に所属している人間という訳ではない。

 この商人としての顔も持つ移送を専門とした部隊専属の者達の他は各種組織、部門からその時々に応じて、様々な人間が配備されては、目的地に着いた途端いなくなる。そして、またその地で別の場所へ向かう者達がキャラバンに加わるという訳だ。

 誰がどこの部署の者なのかは、はるか遠い本国において手配をする者以外、誰も把握していない。あくまで移動する際だけの同行者であるし、互いに知らなければ万が一にも情報が漏えいする心配がないだろうという判断からである。

 

 その為、髭面の男に言われて、街へ持ち込む売り物のリストを荷物の中から探しているアレックスと呼ばれた黒髪の少年の正体もまた、共に旅してきた数十名の中でも、本人含め数人しか知りえなかった。

 

 彼の正体が、法国でもごくわずかのものにしか存在をも知られていない六色聖典の一角である漆黒聖典、その第一席次であり、またその漆黒聖典の隊長であるという事実は。

 

 

(エ・ランテルか……。この街ならば、トブの大森林とも近い。森に異変が起きているならば、噂レベルでもなにか流れているはずだ。それにここは冒険者モモンの拠点。なんとか情報を掴みたい。それと、クワイエッセ、ボーマルシェから現況報告を受けなくてはな)

 

 これからの事を考えつつも、(たらい)の下に挟まっていた書類を見つけてひっぱり出し、彼は少年らしい笑顔を顔に張りつけ、男に手渡した。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「いやぁ。まあ、たまにはいいんじゃないですか? 羽を伸ばすことも必要ですって」

 

 マルムヴィストは上機嫌で追従(ついしょう)の言葉を口にし、でっぷりと太った男がにたり(・・・)と不気味に笑う様が彫刻された金の杯を(あお)った。

 器は、いかにも悪趣味極まりないが、その中身はまさに絶品。

 酒を満たした杯をくゆらせると、ヒースの甘い香りが鼻をくすぐる。そして、口に含んだ瞬間、舌先にシロップのような甘さを感じさせるものの、それが口いっぱいに広がると甘さは瞬く間に消え、プラムのような香りを併せ持つナッツを思わせる味わいへと変わる。そして、それを喉奥に飲み干せば、口腔に残るのはコーヒーのようなかすかな苦み。それとともに心地よい香ばしさが後を引き、ついついもう一口、杯が進んでしまう。

 

 マルムヴィストは卓上にある瓶から手酌(てじゃく)で杯に酒を注ぐと、再びそれを口にした。

 ベルもまた、同様に酒を(あお)る。

 

 この酒はベルが持ってきた物である。

 昔、とあるアイテムを作る際の原料としてこの酒がかなりの量必要になった。その為、各種原料を集めてこの酒を大量に作り、それを素材としたのだが、その時の残りをそのままアイテムボックスにしまい込んでいたのだ。

 ゲームであるユグドラシル時代、酒はただの状態変化などを引き起こすアイテムでしかなく、飲んでも味覚すら感じられなかった。だが、ゲームではなく現実となった今なら味が分かるかもと思いひっぱり出して飲んでみたら、これが実にうまかった。その素晴らしさは、漂う香りをかいだだけで、近くにいたマルムヴィストが仕事をほっぽりだして、こうして酒盛りを始める程だ。

 

「まあ、仕事なんて後でいいですよ」

 

 こんなことを言い出す始末である。

 血の香りを漂わせる裏社会の人間ながら、伊達男然として華美(かび)な服装に身を包み、優雅なしぐさに気を使い、また古今東西の美食にも精通しているマルムヴィストですら虜にするほどの美酒。この出会いだけでも、ベルの下に降ってよかったと思ってしまう程の一品であった。

 

「そもそも、お前って書類整理なんて出来るの?」

「そりゃ出来ますよ。こう見えて昔は、色々部下とかの手配とか指導とかしてきたんですから」

「へえ、そうなんだ」

「そうですよ。例えば、どっかを襲うってなったら、探索に長けた奴を何人、戦闘に長けた奴を何人、それと並み程度の仕事が出来る奴――つまり、頭数要員を何人とかって、計画を立てる。手に入る儲けの予想を立てて、その内どれだけを使って、どれだけの技能を持つ奴を集めるか決める。それによって一人一人リストからアップしていって、各人の都合を合わせて、チームを作る。そして、そいつらを引き合わせた上で全員理解できるように――つまり馬鹿でもわかるように噛み砕いて計画を伝える。その計画に必要なものを用意する。実際に使う武器や道具だけじゃなく、そいつらがしばらくどっかに張り付くなり、潜伏するなりするんなら、それに合わせて食料を始めとした生活必需品を手配する……っていうように、とにかく人を動かすって事は、付随するもんが山のようにあるもんですから」

「ふぅん。なんだか、武闘派っていうから、ただ強けりゃいい脳筋かと思ってた」

「そんなのはボス……いや、元ボスくらいですよ」

 

 その言葉に、マルムヴィストらから聞かされた、八本指の構成についての情報を脳の奥から引っ張り出す。

 

(ええっと元ボス、そいつを含む八本指に属する六腕の残り3人か……。どうせならそいつらも欲しいよなぁ)

 

 ベルはそんなことを思った。

 別に是が非でも欲しいわけではない。ちょっとしたおまけでも、それが大したものではないと分かっていても、つい集めたくなってしまうような感覚だ。使える使えないは置いておいても、せっかくだから一セットコンプしてしまいたい。

 そう言えば……。

 

「そういや、今日はペシュリアンとエドストレームは?」

「今日は外を回ってますよ。なんだかんだで、やっぱり自分たちの目で見なきゃいけないこともありますからね。とくに、こう言っちゃなんですが、裏の人間ってまともな連中じゃありませんから、ちょっと目をはなしてると、さぼったり、私腹を肥やしたり、裏切ったりってのはするもんですからね」

「なるほどねー。……でもさぁ、マルちゃんや」

「……俺の事ですか、ボス?」

「他にいないじゃん」

「そんな面白い呼び方、生まれて初めてされましたよ!」

「まあ、それはさておき」

「なんですかい?」

「いや、エドストレームって普段からあんな格好してるんだね。戦う時だけじゃなくて」

「ああ、目立たないようにする時は、上にトーガみたいなのとかふわっとしたの羽織りますが、基本的にあのまんまですよ」

「あの格好のままうろつくのって、露出狂一歩手前レベルじゃん」

 

 その言葉に、思わずマルムヴィストが口に含んだ酒を噴き出す。ベルは慌てて、しぶきを避けた。

 

「ゲホッ、ゲホッ。……まあ、あいつの戦闘スタイルに関しちゃ、特に固い防具とか必要ありませんしね。それに、こういった商売じゃ目立つのも必要なんですよ。とくに俺たちみたいな武力が売りの者はですね。……まあ、それでも、あんな格好必要あるのかよっては思いますが」

「だよねー」

「はっはっは。いっそ、ボスもお揃いであんな服を着てみたらどうですかい?」

「この体形で、あんな服着て誰が喜ぶんだ? 幼女好きにしか需要ないだろ? ロリコン喜ばせてどうするんだ?」

「竜王国中心に活動しているクリスタル・ティアっていうアダマンタイト級冒険者チームの『閃烈』セラブレイトはロリコンらしいですから、ボスが肌さらせばイチコロでこっちに引き込めると思いますよ」

「そんなの引き込みたくないなぁ」

「まあ、今日の服、そのままでもいいとは思いますがね」

 

 そう言って、目の前の見た目だけ美少女を見やる。

 普段の男物のスーツ姿とは違う、ひらひらとしたフリルのついたドレス、いわゆるゴスロリ服に分類される紫色を基調とした女性ものの服。透き通るような銀髪と相まって、まるで整えられた人形のような、神秘的な美しさを醸し出している。

 ただ、その幾重にも折り重なるフリルのついたロングスカートをはだけさせ、片膝にもう片方の足首をのせるように足を組み、その膝に肘をつきながらやさぐれた表情で酒を呷るその姿は、色々と台無しである。

 

 ベルが今着ている服は、一見シャルティアが着ていそうな代物ではあるが、実はアウラからの借り物である。エ・ランテルに行くにあたって、見つからないように普段とは違う服を着ていこうと思ったものの、私物の中には普通の服などというものがなかったため、昔撮ったぶくぶく茶釜のスクショ数枚でアウラから借りたのである。

 そのワードローブを見たときは、その数の多さとセンスに、さすが茶釜さんだなと感心したものだ。

 まあ、たくさんある服の片隅には、スクール水着まであったりしたのだが。

 それも、紺色のものと白色のものの2種類。

 それを見たときもさすが茶釜さんだなと感心した。

 

 ちなみに、その時一緒にマーレのワードローブも見たのだが、そこにアウラのものとまったく同じ形のスクール水着があったことは忘れておこう。

 それもアウラのものと同じく、紺色のものと白色のものの2種類あったことは忘れておこう。

 

 

「正直、動きにくいなぁ、これ。よく世の女の子はこんなもの着れるよなぁ」

「ボスも女の子なんですから、いつもの男物だけじゃなくって、身なりには気を付けた方が良いと思いますが。好きな男とか出来ても、そいつに振り向かれませんよ」

「男とかに振り向かれたくないし」

「うん? もしかして、ボスって女の方が好きってやつですかい? まったく、蒼の薔薇のあの忍者じゃあるまいし……。うーん、こう言っちゃなんですが、そりゃあ、思春期特有ってやつだと思いますよ。まあ、ボスくらいの年頃だと異性に対して警戒心っていうか、敵意みたいの持ったりするもんですが、もう少し大きくなったらまた気持ちも変わりますよ。それに身体つきだって、変わってきますし」

「身体なぁ……。いや、変わらんと思うが」

 

 マルムヴィストも、ベルの背後にはナザリック地下大墳墓があり、数々の異形の怪物(モンスター)達を率いているのは知ってはいるが、さすがにベル本人もまたアンデッドであり、また中身が男であることまでは想像だにしていない。

 

「いやいや、あと数年もすりゃ、ボスだって背も伸びますよ。それにほら、そのブラもつける必要もない胸とかも、そのうち大きくなるでしょう。たぶん」

 

 そう言って、自らの主のまったいらな胸を指さし、ケラケラと笑う。

 常に慇懃な振る舞いをするマルムヴィストにしては、ずいぶんと砕けた物言いだ。

 もしこの場にソリュシャンがいて、今の言葉を耳に入れでもしていたら、マウントポジションで泣くまで殴られるだろう。

 

 こうまで、彼が緩い態度をとるのは、すでにかなり酔いが回っているからである。

 ベルが持ってきたこの酒だが、口当たりはいいものの、実はかなりアルコール分が高い。それを2人はかぱかぱと空けているのである。

 同じアンデッドでもベルは骨だけのアインズと違い、飲食自体は不要ではあっても、その行為自体はできるタイプであるため、味覚を感じることが出来る。その為、こうして飲酒を楽しんではいるのだが、そもそもアンデッドの特性としてベルには毒無効の特殊能力(スキル)があるのだ。いくら飲んでも、酔いはしないのである。

 それに対し、普通の人間であるマルムヴィストは、当然たくさん飲めば酔っぱらう。

 少女の姿をしたベルが速いペースで杯を空けていくのにつられて、ついつい自分も飲んでしまい、知らず知らずのうちにもうかなりの分量を飲み干していた。

 

「……と」

 

 空になったグラスに注ごうと、酒瓶をひっくり返したところで、その口からはもう数滴しかしたたり落ちない事に気づく。

 未練気に向かいの少女の顔を見やると、ベルは自分の杯を一息に空け、勢いをつけて立ち上がった。

 

「まあ、この酒はまだあるけど、どうせなら食べるものも欲しいな。よし、街に出よう」

 

 まだこの酒があるという言葉に、マルムヴィストは顔に喜色を浮かべ、僅かばかりの残りを飲み干すと、部屋を出ていく小さな主に続いた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

(こんなものかな)

 

 彼、漆黒聖典第一席次にして漆黒聖典の隊長であり、キャラバンではアレックスと呼ばれていた少年は心のうちでつぶやいた。

 

 一応、街に潜入するときの身分は、キャラバンの商人見習いである。たしか、隊商のリーダーの親友であった人物の息子という設定だったか。その為、将来、キャラバンを任せられるよう目をかけられ、鍛えられているというという事になっている。

 まあ、人を使うための訓練と思えば、どうという事はないのだが、面倒であることに変わりはない。

 新たな街にやって来た隊商としての仕事に少し時間をとられてしまった。

 彼としては、あくまでこの身分は任務の為のアンダーカバーであり、他国の諜報機関の目を誤魔化せればいいのだから、そこまできっちりやる事もないのだが、そもそも、このキャラバンを率いていた髭面の男も、彼――仮名アレックスの正体などは知らない。法国の関係者だとは思っているが、まさか、風のうわさに聞く漆黒聖典の人間だとは思いもしていない。その為、通常の潜伏者と同じく扱ったのだ。まあ、その方がいくらかでも目立たないからいいのだが。

 

(さて、どうしようかな)

 

 行き交う人々の話声や客の呼び込みでにぎわう活気あふれる通りを、彼は今一人で歩いている。

 

 エ・ランテルで接触する予定の者達との約束までは、結構な時間が空いてしまっていた。

 それは予定外という程でもないのだが、法国からエ・ランテルまで、何事もなく着いてしまったからである。

 大抵は何らかのトラブル、野盗の襲撃や突然の荒天などで時間をとられてしまうものであり、それを見越して少し余裕を持った行程だったのだが、今回は道中、とくに何事もなくすんなりと旅をつづけることが出来た。

 その為、予定よりも幾分早く到着してしまい、今、慌てて報告する人員を呼び寄せたり、報告書を作成したりと裏では大忙しである。 

 とりあえず、夜までには準備が整うという話だったから、それまではどこかで時間を潰さなくてはならない。

 

「こんなに時間が空いたのも久しぶりだな」

 

 彼はひとり呟いた。

 漆黒聖典の隊長である彼の日常はとにかく忙しい。自分や他の者の訓練、様々な報告の取りまとめやそれに対する指示、時には上層部との会議にまで出席しなくてはならないこともある。

 まして、最近は陽光聖典や漆黒聖典、更には巫女姫にまでと、立て続けに甚大な被害が出ており、その穴埋めもあって目が回るような忙しさだった。

 これもすべて人間種の存続の為とは分かってはいるが、それでも弱音も吐きたくなる。

 

 また、これまでは婉曲に言われるだけだった結婚話も最近は露骨に言われるようになった。

 彼は法国でも数少ない神人であるため、その血を残すことが重要とされている。

 特に六色聖典の戦力低下を受けて、とにかく早く結婚しろ、子供を作れとひたすら言われ続けていた。

 

 本来、忙しいはずの彼が法国を離れてエ・ランテルまでおもむき、近郊での活動報告を受けるという事になったのも、旅の途中で誰か嫁となる人間を見つけることを期待してのものである。

 もし、気に入った女性がいたら、その者を法国に迎え入れるのに待遇や金に糸目は着けない、説得や脅迫、何なら拉致にいたるまであらゆる手段をとってもいい、法国としても全面的にバックアップする、とまで言われて送り出されていた。

 さすがに、彼個人としてはそんなことで犯罪行為まではする気はないが。

 

 しかし、実際問題、結婚と言われてもいまいちピンと来ない。

 彼はまだ若いし、これまで法国の、そして人間種のために任務と訓練の毎日であった事もあり、色恋沙汰というのは縁遠いものであった。燃え上がるような恋に胸を焦がすと言われても、たかが恋愛でそんなに心が動くものなのか、と思うより他はなかった。

 それに、もし仮に自分と結婚したら、その相手は法国の監視を受けることは間違いない。愛する、というのは未だよく分からなかったが、好きになった相手がいたとして、その人物が籠の中の鳥として生活する羽目になるのは気の毒に思える。

 結局のところ、そのうち法国の上層部が見繕った身分なり、実力なりが高い者と見合いで結婚することになるのだろうという事を(ばく)と考えていた。

 

「さて、そんな先の事よりは今の事だな。とりあえずは腹ごしらえをしよう」 

 

 現在の彼は、漆黒聖典として活動するときに使用する年齢を偽装するための魔法の仮面は着けていない。年相応である10代半ば、そして、その顔立ちからさらに幼く見られてしまう。その為、行けるところは限られてしまう。

 一人でどこかの飲食店に入ったら、少々奇異にみられるだろうし、下手をしたら、金を持っている少年だとして、おかしな連中に絡まれるかもしれない。たとえ絡まれても、そんな連中歯牙にもかけない実力はあるのだが、とりあえずは潜伏している身分であるため、あまり目立つことも避けたい。

 とはいえ、この空腹はどこかで何とかしたい。

 朝、軽い保存食を口にはしたものの、やはり旅の途中で口にする保存食よりは、街での温かい食事の方がいい。

 特に、通りの両側にあるいくつもの店先からは、胃袋を刺激する匂いが漂ってくる。

 

 ちゃんとした店に入るのではなく買い食いならばそんなに目立ちもしないか、と考えた。

 「うん、そうだ」と自分の理性に対し、その食欲を満たすための判断を正当化する言い訳をする。

 

 とにかく、どれか適当に一つ、口にするか。

 

 そう思い、辺りを見回すと、多くの商店が立ち並ぶ中にある一つの店が目についた。

 串に突き刺した巨大な肉を焼き、それを刃物で薄くそぎ落とし、ソースや野菜とともに柔らかいパンの切れ目に挟んだものを売っている。

 それは法国でも見たことがあり、彼も知っていた。たしかケラウサンドだ。手ごろな味と値段、それにボリュームで、市井(しせい)の者達だけではなく、ひそかに上級職の者達の間にすら人気だった。

 

 それにしようと、人ごみの中をすり抜けて歩く。よく訓練されたその体は、ひしめく人波を、誰にもぶつかることなく、移動する。

 

 店先にたどり着き、日に焼けた顔に口ひげを蓄えた店主に声をかけた。

 

「ケラウサンド1つ」「ケバブサンド2つ」

 

 ほぼ同時に横からかけられた声に驚いて振りむくと――。

 

 

 ――心臓が止まったような気がした。

 

 

 そこにいたのは一人の少女。

 銀そのものから削りだしたような、太陽の光を星屑のようにきらめかせる長い銀髪。

 幼いながらも整った顔立ちは、神殿にある絵画の世界から飛び出してきたかのよう。

 その小柄な体は、フリルが幾重にもつけられた紫色を基調としたドレスに包まれ、その袖先から延びる手は、白磁という例えそのもののように一点のくすみもなく白い。

 

 そんな彼女が振り向いた。

 

 彼の鼻孔を甘い花の香りがくすぐった。

 

 彼女の赤みがかった瞳。

 それが彼をとらえる。

 

 その視線に彼の心臓がドクンと高鳴った。

 

 今まで、様々な人物と出会ったが、こんな目の持ち主は見たことがなかった。

 

 彼女の目は彼に向けられていた。

 向けられていたが、その視線はまたはるか遠くをも見つめていた。

 

 目の前の彼を見つつも、目の前の彼以外のものを見つめる不思議なその瞳。

 そのまなざしを受け、彼はその胸を湧き上がるものを感じていた。

 

 燃えるような恋。

 今、それが彼の胸を焦がしだしていた。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

(……おい、ついてくるんだけど……)

(……そうみたいですねぇ……)

 

 ベルとマルムヴィストは人通りの多い表通りから、路地を抜け、裏通りへと入って行った。

 さすがに、この辺りまで来ると人影もまばらなのだが、そんな彼らの後ろ、家数軒分は離れたところを、先ほどの髪を後ろでまとめた行商人風の少年が付いてきていた。

 

(あれ、なんなんだ?)

(さぁて、ボスの知り合いとかじゃないんですか?)

(知らないよ。さっき、店先であったばかりだ)

 

 小声でやり合いながら、ベルはしばらく前、ギラード商会を出たところから思い返す。

 

 

 

 

「おおー。人がたくさんいるなぁ」

 

 あふれる人込みを前に、ベルは思わずつぶやいた。

 

 ベルはこの地に来てから、昼のにぎわう街中に出たことは無かった。

 もともと人ごみが嫌いだったので、わざわざそんなところに行きたくないというのもあったのだが、そもそも行く機会がなかった。

 ベルが訪れた人の住むところというのは、辺境の村であるカルネ村、それとエ・ランテルでも、ギラード商会内と、襲撃する家屋くらいしか出歩いたことがない。〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビユーイング)〉であちこち見て回りはしたが、やはり画面上で見るのと実際に行ってみるのとでは全く違う。

 特に今回はナザリックのお目付け役もいない――一応マルムヴィストはいるが――完全に自由な状態である。

 この世界に来てからの初めての事柄に、ベルはいささか興奮していた。

 気分は新しいフリーワールドゲームを始めたようなものである。さて、何をしようかと、胸が高鳴った。

 

 そこで何をしに外に出てきたのかを思い返した。

 

「そうだな。まずは腹ごしらえしようか。何かいいところある?」

 

 マルムヴィストに尋ねる。

 「ふーむ」と顎に手を当てて考えた末、「この近くにケラウサンド出してる店がありますから、それとかいいんじゃないですか?」と言った。

 ケラウサンドが何かは分からないが、とくに行きたい場所があるでもないし、マルムヴィストの言う通り、その店に行ってみることにした。

 

 その店はすぐに見つかった。

「ここがケラウサンドの店ですよ」

 

 マルムヴィストに指し(しめ)される一つの店舗。

 そこで売られているものは昔、友人との会話の中で聞いた通りのものだった。

 

(そうだ。たしかこれってケバブサンドだ。ペロロンチーノさんがよく言ってた、昔あった食べ物だ)

 

 ベルはかつての友人が語っていた中に、ケバブサンドという食べ物の話があったことを思い出した。

 そう、はるか昔の事。まだ、外を歩くのにマスクも必要なく、普通の人間の寿命が平均80歳くらいまであり、自然由来の食べ物を庶民にいたるまで口にできていた夢の時代の食べ物。

 

 その鼻をくすぐる臭いと過去の思い出に、ベルは我慢できなくなり、即座にその店へと歩み寄る。

 

 そして、値段も確認せずに店の男に注文しようとしたところ――。

 

「ケラウサンド1つ」「ケバブサンド2つ」

 

 ――隣にいた少年と注文の声がかぶってしまった。

 

 

 少年の方を振り向くと――どうした事か、少年は呆けたような視線をベルに向けている。

 

 注文しようとしたところで声が重なったから驚いたのかな? そう思い、「先に注文したって事でいいよ」と順番を譲ったら、突然慌てだして、「い、いや、そっちが……」と言い出したので、じゃあ、さっさとと思い、ケバブサンドを2つ頼み受け取ると1つはマルムヴィストにやって、自分はもう1つに齧りつく。

 その間も、その少年は驚いたような唖然とした顔でこちらを見つめていた。

 

 さすがにじろじろ見られるのも気分がわるいので、食べ終えると早々にその場から退散した。

 

 

 

 そうして、人通りの少ない通りに移動したにもかかわらず――いまだにその少年は自分を追跡している。

 いったい、なんなんだろう?

 

(どう思う?)

(さて? 俺達の素性を確かめようとしてるんでは?)

(その割には追跡がちぐはぐなんだよな)

(なんだか、突然見えなくなったかと思うと、今度は素人(しろうと)のようにふらふらついてきたりしてますね)

 

 その足取りから見るに、かなりの追跡技術を持っているのは確かなようだ。確かなのだが、それほどの技術をもちながら、それを持続して後をつけるわけでもない。巧みに、死角から死角へと足音も立てずに動いたかと思うと、今度は一般人のようにふらふらと歩いたりもする。

 

 ……故意にやっているのだろうか? それとも敢えて挑発し、こちらに何らかの手を出させる腹積もりなのだろうか?

 

(狙いは俺か?)

(おそらくは。裏の人間でしょうね。ときどき見せる、あの足運びは訓練してないと出来ませんし。たぶん、うちには面と向かって歯向かうことが出来ないんで、人質でも取りたいのでは?)

 

 なるほどと思った。

 急速に勢力を拡大するギラード商会に反発する気持ちを抱きつつも、元六腕のうち3人を擁するギラード商会そのものに直接仕掛けるのはどうしても無理がある。そこで、元六腕の1人、マルムヴィストが連れている少女――すなわちベルを攫って、人質として交渉するなり、腹いせに嬲りものにするなりしたいのだろう。

 

(仕掛けてくるなら、人通りの少ない方がこっちもやりやすいか。それに、本当のただの一般人なら、治安の悪い方に行ったら、そのうちいなくなるだろうし)

 

 謎の追跡者に対して、明確な判断をしかねたまま、2人はどんどん人通りの少ない場所に歩みを進めていった。

 

 

 その時、不意に一人の男が路地裏から飛び出してきた。

 背を丸め、何か一抱え程度の袋をその胸に抱えた男。

 

 あわやベルとぶつかる――かと思いきや、ベルはすっと男を回避する。

 突然、目の前から少女が消えた様に見えた男は、そのまま誰にもぶつかることなく、勢いのまま地べたに倒れ伏した。男の抱えていた袋詰めのものが割れる音がした。

 

 そのまま立ち去ろうとしたベルに、後から来た男達が絡む。

 

「おうおう、ちょっと待てや。お前、俺の兄弟にぶつかっておきながら、そのまま逃げる気はないよな」

「ああっ。大切な壺が粉々だ! どうしよう」

「こりゃあ、ひでぇ。直しようがねぇなぁ」

 

 別にぶつかりもしていないのに騒ぎ立てる男たちに、冷めた視線を向けるベルとマルムヴィスト。その前で、チンピラたちの三文芝居が続いていく。

 

 つまり、これはよく話に聞く、当たり屋ってヤツか。

 マルムヴィストに視線を向けると、首を縦に振る。

 どうやら、マルムヴィストの顔すら知らないチンピラが、裏通りに入り込んだ人間をカモにしようとしたらしい。たしかに見た目だけで言えば、ベルもマルムヴィストもいかにも金持ちに見える。

 

(さて、どうしようかな?)

 

 こいつらを叩きのめすのは簡単だ。ぶちのめした後でマルムヴィストの名前を出して脅しかければいい。それで終わりだ。

 だが、問題は追跡している少年の方。

 目撃者がいると、気軽には戦えない。下手に暴れると、衛兵に通報される恐れもある。

 まあ、仮にされても揉み消すことは出来るからなんとでもなるが、面倒なことになるのは変わりはない。

 特にこの少年の素性が知れない。

 金や暴力で誤魔化そうにも、もし高い地位の人間の息子だったりしたら、藪をつついて蛇を出すことにもなりかねない。そもそも、この連中とグルの可能性もある。

 

 この場をどう処理すべきか頭を悩ませているうちに、チンピラ連中の寸劇は終わったらしい。見るからにガラの悪そうな顔つきの男が、ベルに顔を近づけてきた。

 

「おう、嬢ちゃん。弁償してくれるんだろうな」

 

 さすがにイラッとした。

 せっかくの自主休暇を台無しに仕掛けている男に腹が立ち、殺してしまおうかと思った刹那――。

 

「そこまでにしろ!」

 

 ――そう声がした。

 

 

 振り返ると、そこにはあの少年。

 

「お前たち、か弱い女性を相手に恥ずかしくはないのか?」

 

 まるで、お芝居のようなセリフを吐くと、男たちの前に立ちふさがる。

 

「なんだ、お前?」

 

 男がベルの前に立った少年の胸ぐらに手を伸ばす。

 

 

 ズン!

 

 

 男が空を舞った。 

 大柄な、それこそ雄牛を想像させるような筋骨隆々とした男が、自分の胸ほどもない小柄な少年に投げ飛ばされ、壁へと激突した。

 一瞬、呆気にとられたチンピラたちであったが、「てめぇ!」とまた、ひねりの無い言葉を口にして、刃物を取り出す。

 

 

 だが――。

 

「ぐあっ!」

 

 男がナイフを取り落とし、手を押さえて(うずくま)った。

 ちゃりんと音を立てて、銅貨が地面に落ちる。

 

「誰だ!」

 

 男たちが辺りを見回す。

 

「あ、あそこだ!」

 

 チンピラの1人が付近の屋根の上を指さす。

 その指の先にいたのは、陽光を背に立つ、変わった衣装――露出の多い忍者装束を着た一人の女性。

 その胸元にはアダマンタイトのプレートがきらめいている。

 

「私はすべての女性の味方。罪なき美少女を、その毒牙にかけんとする悪漢ども。お前らの悪事は、この私が許さない」

 

 

 

 

「……なんだよ、この茶番」

 

 ベルの目の前には、屋根の上に腕を組んで立つ女性。その女性に「ちくしょう、降りてきやがれ!」とありきたりな言葉を叫び、こぶしを振り上げるチンピラたち。男たちの方を向きつつも、ベルの様子をちらちらと覗き見る少年。

 

 せっかくの休日なのに、おかしな厄介ごとに巻き込まれた己の不運を呪い、ベルは頭を掻きながら嘆息した。

 

 

 

 




 うおぉ……、1話で終わりませんでした。

 ついに10巻が発売されましたね。
 手に入れたものの、まだ挿絵くらいしか見れてないんですが。漆黒聖典の隊長、ずっと彼とか隊長とか言い続けるのも大変なので、名前とかあったらいいなぁ。

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