オーバーロード ~破滅の少女~   作:タッパ・タッパ

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2016/6/16 「西の蛇」→「西の魔蛇」 訂正しました
2016/10/9 「非情に」→「非常に」 訂正しました


第41話 幕間―1

「では、ちょっと行ってきます」

 

 そう声をかけると、店の奥から「すまない、頼む!」と声が響いてきた。

 その声を背に、彼女『マイコ』は後ろ手に裏口の扉をしめ、店を後にした。

 

 後ろ手に扉を閉めるなど、ナザリックでは絶対に許されない行為であり、彼女としても抵抗のあるものであったが、この街で暮らす一般人としてそれが自然であるのならばと、そういう行為を行う事も我慢できた。

 

 そして、『マイコ』ことナザリックのプレアデスの1人、ユリ・アルファは道を急ぐ。

 

 

 すでに西の空高くは紫の色に染まりかけている。

 今の時間でも少々遅すぎるくらいだ。急がねば、店が閉まってしまうだろう。

 今日のおすすめにしようと大量にウサギ肉を仕入れたのに、一緒に煮込む野菜が無ければしまらないものになる。そうならないよう事態は急を要する。

 ――まさか、昼に届いた食材の中にビートが無かったことに今になって気づくなんて。

 まあ、恐妻家の料理長は奥さんである女将さんにこっぴどく叱られていたから、自分まで責めるつもりはないが。

 とにかく急がなくては。

 

 とかく真面目な性格のユリは、思わず自分の身体能力を十全に発揮して、店まで一気に駆け抜けてしまいそうになる。だが、そんな(はや)る気持ちを抑え、あくまで普通の人間として許容される範囲の速度で道を駆けた。

 

 ユリが『マイコ』として、このリ・エスティーゼ王国の王都に潜入してから、幾許(いくばく)かの時が経っていた。決して長い時間とは言えないが、彼女の目を見張るような美しさ、そして何事にもひたむきに取り組むその姿に、街の皆は親しみを持ち接していた。

 

 いま、彼女は自身の持つコックの職業(クラス)を生かし、街の食堂で働きながら、この地の情報を集めている。

 彼女の主からは、あくまで情報収集が最優先であり、可能な限り目立たぬよう、特に彼女自身の強さが悟られぬようにと厳命されて送り込まれていた。

 

 その為、細心の注意を払い、普通の町娘に扮して行動している。

 その姿も普段とは違い、巻き上げていた髪は下ろして、首筋辺りで結ってまとめている。服装もやや厚手で丈夫な、くすんだ茶系の上着とロングスカートに、紺色のエプロン。そして、最大の特徴であるメガネも外している。

 彼女としては、自らの創造主たる『やまいこ』が選んだ姿と異なる格好をするのは不本意なものであったが、最後まで残られた至高の御方アインズのお役に立つためならば、このような姿を取る事も問題ではない。

 

 ただ、一つ問題があるとするならば、もともとプレアデスを含めたナザリックのメイドたちはすべて――様々なタイプに別れてはいるが――美しい容貌として作られているため、彼女もその美貌(びぼう)が常連客を始めとした者達に評判となり、非常に目立ってしまう結果となっている。

 店に来た男に告白を受けたり、時にはいきなり求婚までされて、面倒なことになるのもしばしばだった。

 

 とにかく、彼女は道を急ぐ。

 急いで食材を買いに行かねば。

 偽装のためとはいえ、コックとして働いておきながら、客に満足いく食事を出せませんでしたというのは、律儀な性格の彼女からして耐えがたい行為だ。

 

 

 ユリは少し近道をすることにした。

 通りから少し外れ、狭い路地を早足で進む。

 

 ――ここを抜ければ、商店街に早くつく。

 

 入り組んだ建物がまるでのしかかるようにひしめく周囲は、まだ日は落ちていないにもかかわらず薄暗い。すえた臭いが彼女の鼻をつくが、それは我慢する。

 そうして歩いていくと、道の少し先で扉が開いたままになっており、その隙間から屋内の明かりが漏れているのが見えた。そして、そのわずかな光に照らされ、道端に大きな布袋が転がっているのも。

 

 ユリは特に気にすることもなく、その脇を通り過ぎる。

 いや、通り過ぎようとしたとき、何かがその身を引き留めた。

 

 

 足下に目をやると、爪も皮膚もボロボロとなった手が彼女のロングスカートの端を掴んでいた。

 

 路上に転がされた布袋からは、半裸の女性の上半身が力なくまろび出ている。その女性の手であった。髪は栄養失調からかバサバサであり、その顔や身体にはつい今しがたまで受けていたであろう暴行の痕がまざまざと残されている。

 

 そんな姿を見て、ユリは眉根をしかめる。

 だが、そうして立ち止まった彼女にドスのきいた声が投げかけられた。

 

「おう、嬢ちゃん。何見てんだ!」

 

 開いた戸口から現れたのは、いかにも暴力を生業(なりわい)としているであろう雰囲気を纏った男だった。

 男は舌打ちをすると、顎をしゃくった。

 

「失せな。今なら、無事に帰してやるよ。かわいい顔に傷つかねえうちに行きな」

 

 男の声に、ユリは一つ息を吐いて――。

 

 

 

 ――一歩、後ろに下がった。

 

 力なくつかんでいたその手が、ユリのスカートから滑り落ちる。

 

 

 そして、ユリは振り返ることなく細い路地を進んでいった。

 

 

 あの場で男を叩きのめすことは簡単だった。

 彼女の目から見て、あの男は大した強さではない。それこそ、手を抜いた状態でも一撃で昏倒、本気になれば即死すら楽にさせられるだろう。

 

 だが――。

 だが、そうする理由がない。

 

 ユリはナザリック地下大墳墓では珍しく、そのカルマ値が高く、属性(アライメント)も善に傾いている存在である。

 そんな彼女にとって、今見た光景はいささか気分を害するものであり、死にかけていた女性に対しては哀れみの感情を抱いていた。

 出来るならば、助けてやりたいとも思った。

 

 しかし、ユリが王都に来ている理由は人助けなどではない。

 あくまでナザリックの為の情報収集であり、可能な限り目立たぬようにと指示されている。やむを得ないと判断した場合には自衛の行動を取る事は許可されていたが、それ以外に関しては出来るだけ、荒事に首を突っ込まないようにと言われている。

 

 彼女の事は気の毒に思うが、見ず知らずの人間の為に、自分の感情に任せて行動し、至高の御方から言い渡された任務に支障をきたすわけにはいかない。

 

 ――もし、あの方だったらどうするだろうか?

 と、一瞬、同じプレアデスの妹であるナーベラルと共に帝国に行っているはずの人物を頭に浮かべた。

 

 ――いや、セバス様も同じ判断を下すはず。アインズ様のご命令の遂行こそ最優先される事柄なのだから。

 

 ユリは軽く頭を振って、先ほど見た光景を脳裏から振り払うと、その足を速めて歩いて行った。

 

 ――すこし時間を取られてしまった。

 急いで買って戻らないと。

 

 そうして、彼女の姿は日の傾きかけた、入り組んだ路地の向こうに消えていった。

 

 

 

 その後、急いだユリの働きによって、野菜の買い付けは無事に終わり、夜のかき入れ時までに料理の仕込みは間に合った。だが、肝心のワインが底をついていたのに後になってから気がつき、その日、店ではアルコールはエールのみの営業となった。

 料理長は奥さんに頭をおたま(・・・)で散々叩かれたらしい。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「やっ。よく来たね、お疲れさま」

 

 明るくはつらつとした少女の声が、良く晴れた森の湖畔に響く。

 その声に対し――。

 

「ははあっ! アウラ様、御無沙汰しておりました」

 

 老人の上半身に下半身が蛇という異形の姿を持つ怪物(モンスター)リュラリュースが頭を下げた。

 自分たちより圧倒的な強者であり、支配者であるナーガが頭を下げたことに、人間の数倍もの巨大な体躯を持つオーガや逆に小柄なゴブリンらもそれに倣って、この小さなダークエルフの少女に頭を下げる。

 

 その姿に満足げにうなづいて、アウラはそばの岩に腰掛け言った。

 

「うん。じゃあ、今回の報告を聞こうか」

 

 

 

 ここはトブの大森林。その南部にある名もなき湖のほとり。

 池というよりは大きく、ぎりぎり湖と呼べる程度の大きさだが、冷たいせせらぎの注がれる水中には、日の光をその背に反射させる川魚が悠々と泳いでいる。

 その湖岸、山側の斜面には水面近くにぽかりと洞窟が口を開けている。

 一見、岸辺(きしべ)に生えた大木の根に隠れている自然の鍾乳洞と思いきや、その内部は石造りの地下神殿となっている。

 

 

 この地下施設は、かつてベルが万が一の際に備え、課金アイテムを使って作ったナザリックのダミーダンジョンである。

 

 当初は何か正式に名前を付けようかという話もあり、アインズとベルであれこれ討議していたのだが、どうせナザリックの者しかその名を呼ばないのだからダミーでよいのでは、というシズからの進言を受け、結果として湖畔のダミーダンジョンとだけ呼ばれるようになった。

 

 そして、あくまで目的はナザリック本体の場所を隠蔽(いんぺい)するための囮である事から、基本的に――ナザリック内に直接転移する場合を除けば――このダミーがナザリックへの窓口として利用されていた。

 

 

 例えば、今のように、リュラリュースとの会合場所とするなど。

 

 

 前回のザイトルクワエの一件以来、リュラリュースはナザリックの旗下に入り、トブの大森林南部をまとめ上げている。

 アゼルリシア山脈南側の外周を囲むように広がるトブの大森林。その森の中でも中央に位置する南部地帯ではもともと、東の巨人グと西の魔蛇リュラリュース、そして南側に位置する森の賢王とで三つどもえの縄張り争いをしていた。

 しかし、ここ最近において、グは謎のアンデッドに倒され、森の賢王はハムスケと名を変えて冒険者モモンと共に行き、その均衡は失われた。

 

 そして偉大な魔法詠唱者(マジック・キャスター)アインズ・ウール・ゴウン率いるナザリックの配下となったリュラリュースが、空白地帯となった南部全域を治めることになったのだ。

 

 ナザリックが背後にいるとはいえ――いざというときは力を貸してくれるだろうが、そもそも下手に頼み事などしたら、役に立たないやつと判断され、リュラリュース自身も消されてしまう可能性が多分にある。そうなったら、リュラリュースに待つのは破滅しかない。

 アインズの戦いをその目で見、また実際に戦った事もある身としては、もはや常識の範疇では語る事の出来ない桁外れの強さを誇る魔法詠唱者(マジック・キャスター)、そしてそれに率いられた怪物(モンスター)の軍勢など、勝つ目算など全く立たない。

 リュラリュースとしてはとにかく、可能な限り自分の有用性を見せ、興味を持ってもらうしか命を長らえる(すべ)はないのだ。

 その為に、必死でナザリックから下される指令をこなしていた。

 

 支配地域を広め、配下を増やし、様々なサンプルとなる物品を集め、トブの大森林内への侵入者を監視し、縄張りに異常がないか調べ、そしてそれらを報告する。

 

 

 そんなリュラリュースとの定期会合の場所に選ばれたのが、このダミーダンジョン入り口である。

 

 本来はリュラリュースが〈伝言(メッセージ)〉を使えれば問題はなかったのだが、残念ながらこのナーガは〈伝言(メッセージ)〉は習得していなかった。

 一応、緊急時の連絡用に〈伝言(メッセージ)〉の巻物(スクロール)は渡してはいる。だが、あくまでそれは緊急用。そう簡単に使うなと命令している。

 デミウルゴスの活躍により量産が可能になったとはいえ、まだまだ、巻物(スクロール)はそうほいほい無駄遣い出来るようなものではないし、リュラリュースが巻物(スクロール)を大量に渡してもいいくらい有用な者かはいまだ判断中であった。

 

 そこで、定期的にこのダミーダンジョンがある湖畔で落ち合い、その間の成果や発見、調査結果の報告を受けるという形をとっている。

 

 今も、森の中で採取してきた各種薬草や、アゼルリシア山脈の麓で採れる鉱石などをオーガがその背から下ろし、それをスケルトンやエルダーリッチらが受け取り、洞窟内へと運んでいく。それらは洞窟内の一カ所に集められ、後にナザリックへと送られ検査されることになる。

 

 

「それで、どう? 順調?」

 

 そういった作業をしり目に、アウラはリュラリュースに声をかける。

 

「はい。特に問題はございませぬ。かつて、グの配下であった者達はほとんどが我が傘下に収まりました。そして、そのことを知り、近隣に住んでいるゴブリンなどの種族も次々とわしに恭順の意を示しております」

「うん。一応聞くけど、そいつらにはナザリックの事は?」

「はい。仰せの通り、広くは語っておりません。ナザリックの事を知っているのは今日ここに来た者達を始めとした、昔から我が配下にいた者達のみ。新たに加わった者達は、単純にわしの下に降った形になっております」

 

 その答えに、アウラは「ん」とうなづいた。

 内心はあまり面白くはないのだが。

 

 

 本来であれば、そいつらにもナザリックの偉大さを教え込み、アインズを讃える言葉を語らせたかったのだが、それはベルから止められていた。

 

 なんでも、そのような連中にまで名を広めると、この地に隠れ潜んでいる自分たちの存在が外に漏れ出てしまう危険性があるからだとか。

 今現在、ナザリックのことは隠匿している状態であり、その存在を(おおやけ)にはしていない。

 それはこの地に潜む強者に警戒しているためであり、調査が完全に済み、脅威となりえる者達を排除するまでは、可能な限り姿を隠して行動するというのが、現在のナザリックの行動方針であった。

 

 

 だが、アウラからすれば、それは心配のし過ぎではないかと思う。

 

 

 実際にトブの大森林内でツアーという人間や、法国の人間と戦った身としては、どう考えても、ナザリックが恐れるような者達ではないと感じられた。

 確かにツアーは結構な強さを持っていた。だが、守護者クラスならば数人、それほどまではいかずとも高レベルの者達が数十人、もしくはアウラ自身の配下の者達で一斉にかかれば、そう苦労することなく討ち取ることは十分に可能だと思えた。

 法国の方も、あの謎の洗脳には注意が必要だが、所詮その程度。あの時戦った人間たちは、アウラからすれば十把ひとからげの雑魚でしかなかったし、唯一、彼女の鞭の一撃を防いだ男も、他よりは少しやるというくらいで、敵として立ちはだかれるなどというものではなかった。いわば、毒虫を退治する際には、その毒に刺されぬよう気をつけなければならないが、かといってその虫を対等の戦闘相手とはみなさないのと同じだ。

 

 

 ――どう考えても、ナザリックの戦力に敵うとは思えない。そこまで慎重に行動する必要があるのだろうか? ベルは弱気にすぎるのではないか? 至高の御方が作り上げたこのナザリックを過小評価しているのではないか?

 

 そんな疑念が頭をよぎるが、彼女たちの支配者であるアインズはそんなベルの案に賛同している。

 アインズがよいと言ったものに、彼女が反論できるはずもない。

 

 アウラは自分の考えを胸の内に押し込めた。

 

 

 ――ベル様か……。

 アウラは銀髪の少女の姿を思い浮かべる。

 

 ベル。

 至高なる御方ベルモット・ハーフ・アンド・ハーフ様の御息女。現在はナザリックにおいて、アインズに次ぐ地位についている。

 守護者にも匹敵するほどの強さを持っているようだが、その力は振るうことなく、主にナザリック外において現地の者達相手の組織運営など、知略に関する方面で活躍している。

 また、ナザリックの活動方針の決定に関しても、よくアインズと2人で秘密の討議を行っているようだ。

 

 

 その事を思い浮かべたときに、なにかアウラは胸にちくり(・・・)としたものを感じた。

 

 ベルはアインズと話すときは普段と違う口調で話す。他の者と話すときは子供っぽい口調なのに、アインズに対しては敬語ながら砕けた口調だ。

 そして、アインズもまた、皆に対しては支配者然とした威厳ある口調だが、ベルに対してだけ、同様に砕けた口調で話している。

 

 アインズにとって、ベルは心安い存在なのだろう。

 他のナザリックの者達よりも。

 

 アウラ・ベラ・フィオーラよりも。

 

 

 アウラは胸を押さえた。

 なにか分からないが、胸の奥に違和感を感じた。毒無効のアイテムを外した状態で酒を鯨飲(げいいん)した次の日のような、なにやら身体の奥から湧き上がってくるようなモヤモヤしたもの。それが何なのか判断つきかねるが、とにかく、何かが自分の心のうちに澱のようにたまっていくような、実に嫌悪感を覚える不快な感じ……。

 

 

「どうなさいましたか?」

 

 リュラリュースの呼び声に我に帰った。

 視線をあげると、心配そうなリュラリュース、それとエルダーリッチ達が視界に入った。

 どうやら思わず顔に出してしまっていたらしい。

 

 彼らに「なんでもない。ちょっと考え事をしてただけだから」と伝え、気を取り直す。

 ――とにかく今は、このアインズから命じられた仕事をしっかりこなそう。

 そう考え、どこまで確認したかなと思い返す。

 

「ええっと、それで、トブの大森林内に侵入しようとした不審人物とかは?」

「とりあえず、わしの知りえる限りではおりませぬな。冒険者たちは森の外周部辺りを訪れておりますが、まあ、薬草取りでしょう。たまにエ・ランテルのある方面から冒険者がある程度、森の奥深く入り込み、何やら調査している風ですが、例の魔樹がいた辺りやあの時、人間の死体が転がっていた付近には近づいてはおりませぬ。それ(ゆえ)、そちらに関してはご命令通り、わしの配下となった者達には、監視だけに(とど)めて手は出さぬよう伝えております。まあ、配下となっていない怪物(モンスター)らが襲い掛かったりはしているようですが」

「うん。それでいいよ。せっかく集めたこっちの戦力が減らないようにするのが大事だし。でも、魔樹のいた辺りまで近づこうとしている人間がいたら、〈伝言(メッセージ)〉の巻物(スクロール)を使ってもいいから教えてね。それと――」

 

 言いかけた刹那、ばっとアウラがその顔を上に向けた。

 なんだろうと、つられて近くの者達も上を見上げる。

 

 そこには一羽の鳥が空を舞っていた。

 

「あれは……クリムゾンオウルですな」

 

 リュラリュースの言葉に、アウラはすぐに関心を無くした。

 クリムゾンオウルは、ナザリック基準では、対して強いわけでも珍しいわけでもない。わざわざ捕まえてペットにするほどの価値も、殺してその羽をとるほどの価値もない。

 

「えーと、話を戻すけど、特に警戒しなきゃいけない人間がエ・ランテルに来たみたいだから、そいつには近寄らないように。戦闘も駄目だよ。そいつの特徴はね……」

 

 もはや、アウラの心から上空を旋回するフクロウの事は消え失せていた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 トブの大森林の外周部にあたる切り立った岩場。

 そこでは森の中から流れてくる水が滝となり、眼下の滝つぼへ流れ落ちている。

 

 そんな川岸の崖に突き出した岩に一人の男が立っている。

 

 優し気な甘い顔立ちに、しなやかな身体、肩口で切りそろえられた美しい金髪と、演劇の舞台にでもあがれば人気が殺到するであろう人物である。

 

 その人物は目をつむり、岩の上に立ち尽くしていたが、やがて、その左腕を肩の高さまで上げた。

 その前腕に、風を切って飛び降りてきた巨大なフクロウ――クリムゾンオウルが、その鉤爪で主を傷つけないようにして留まる。

 

 そして、男はゆっくりとその目を開いた。

 

「やはり……あの洞窟こそが、ダークエルフの隠れ潜んでいたねぐらという事ですか」

 

 そうつぶやくと、男――漆黒聖典第五席次クワイエッセ・ハゼイア・クインティアは、腕のクリムゾンオウルを帰還させ、身を隠すようにその場を後にした。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「では、そろそろ失礼させてもらいますよ」

「はい、本日はありがとうございました。では、モーリッツ様、お気をつけて」

 

 戸口で深く頭を下げる家令の男に見送られ、灯りに煌めく高価な衣装に身をまとった老人が、宴が行われていた館を後にする。

 その髪も髭もすっかり白くなってしまっていたが、お付きの者が用意した降車台をふみ、馬車へと乗り込むその足取りは、加齢による衰えなどみじんも感じさせなかった。

 老人が車内に姿を消し、他のお付きの者達も続いて乗り込むと、4頭立ての豪奢な馬車は石畳の敷かれた帝都の道を静かに歩き出した。

 

 

 

 高級な馬車らしくサスペンションがよく効いているため、眠気を誘うような揺れに包まれる車内。3人ずつが座れる椅子が前後にしつらえられており、今、そこには4人の人物が座っていた。

 

「ふう。かえって、このような真似事は疲れるものですな」

 

 先ほど、『モーリッツ様』と呼ばれた老人、ナザリック地下大墳墓の執事セバス・チャンはその身にまとう、普段の執事服とは異なる金や銀、宝石などで装飾された紫色の服の裾を引っ張り、若干着崩していた襟首を直した。

 普段から執事服を身に着けているセバスからすると、服というものはピタリと着こなしていないと、どうにも落ち着かない。

 

「お疲れさまです。セバス様。でも、服はすこしばかり乱していた方がいいんですよ。いつものぴしりとしたもんじゃなくって」

「ふむ。そうでしょうか?」

「ええ。セバス様が扮しているのは、没落しかけの貴族が商売を始めてそれなりの商人になって、そしてすでに家督を譲った老人という設定ですから。ちょっと成金趣味っぽい方がそれらしいんですよ。それにちゃんとした社交界に出るのならともかく、あくまで、それなりの連中と交流を深めるんですから、少しばかり隙を見せていたほうが親しみとか持たれやすいですし」

 

 セバスの向かいに座った護衛の人物、中性的な美貌を持ち、腰にレイピアを下げた男がやや砕けた口調の敬語で答えた。

 

 男の名はルベリナ。

 元は八本指の警備部門に属していたが、元六腕であるマルムヴィストら経由で引き抜いた男だ。

 今、彼を始めとした十数人の者達が、半ば引退した商人という設定であるセバスの護衛という名目で、帝都に送り込まれていた。

 

 

 もともと情報収集の為に帝都へと向かったセバスとナーベラルは、ナーベラルが商人の娘、そしてセバスはその家に仕える執事という役柄を演じていた。

 だが、少々問題が生じた。

 ナーベラルがあまりにも人間に対して敵意をむき出しにしていたためである。

 父である商人に甘やかされ、他者に対して傲慢さを持つ娘という設定だったため、多少はいいかと思っていたのだが、さすがに出会った人間相手にろくに会話もせず、口を開いたと思ったらナメクジだの、ガガンボだのと言いはなってしまい、さすがにこれは度を越していると、役割変更を余儀なくされた。

 その為に現在は、セバスが王国の没落しかけた貴族の三男が商売に活路を見出し、それなりに成功した後、そちらは息子に譲って悠々自適な生活を送る老人。そしてナーベラルはその親戚筋の娘で、社会勉強のために旅に同行させられているという設定になっている。

 ただ、さすがにその設定で二人旅だと、明らかに不自然なため、八本指から引き抜いた者達を共の者としてつけたのだ。

 

 ちなみに今日、ナーベラルは現在帝都での活動拠点として借りている家で、他の護衛役の者達とお留守番である。

 

「ふむ。そう言えば、私の現在の名前はセバス・デイル・モーリッツでしたか。没落している設定とはいえ、適当に名乗って大丈夫なのでしょうか?」

「ああ、大丈夫ですよ。一応、そのモーリッツ家ってのは実在の王国貴族ですし」

 

 ルベリナの答えに、セバスは眉をひそめた。

 

「なればこそ、調べられた場合、拙いのでは?」

 

 懸念を伝えるセバスだが、彼は何でもない事のように答える。

 

「いやー、その家ってのは一応領地はあるものの、王城とかにも入れないような辺境の三流貴族なんですよ。その上、貧しい土地なのに子供だけはたくさんいるんで、嫡子を残して下の連中は何かで身を立てなきゃいけないっていう家でしてね。そんな家なんで、領地の無いような傍流もたくさんいますし、そいつら全員の身元を洗うなんて出来っこないんですよ。それに……」

 

 ルベリナは片手の親指と人差し指をつけて輪を作る。

 

「これを少し払いさえすれば、本家の方も見て見ぬふりをする約束なんですよ。八本指でどうしても適当な貴族位が必要なときにやってたやり方でしてね。それも昔っから。まあ、最近はわざわざそんな偽装しなくても本当の、それも中央の貴族を使えるんで、めったにはやらなくなった手なんですけどね」

 

 それを聞いて、セバスは「ふむ」とうなづく。

 ――あまりそう言った不正の内情や方法を聞かされるのは好きではないが、主から与えられた任務遂行の為になるならば、自分の好みに関わらず知識として持っておいた方がいいだろう。

 

 

 そうして、しばらく馬車に揺られながら、色々と法の網をすり抜けるやり口を耳にしていると――。

 

「む? 止めなさい!」

 

 セバスが不意に声をあげた。

 その声に、車内に同席していた男が、外の御者に馬車を止めるよう伝える。

 

「どうしたんですか?」

 

 ルベリナの問い。

 それに対しセバスは顔を外へ向け、耳を澄ませながら答える。

 

「今、悲鳴が聞こえました。それも子供の」

 

 その言葉にセバスを除いた車内の者達は顔を見合わせる。

 彼らは今、速度を出してなかったとは言えども、走っている馬車の中にいたのだ。彼らの耳には自身の話声と、木製の馬車がきしむ音、馬蹄が石畳を叩く音しか聞き取れなかった。

 だが、セバスは「やはり、聞こえました」と言い残すと扉を開け、馬車から単身、疾風(はやて)のように飛び出して行った。

 

 

 

 闇に包まれた路地を駆ける。

 道を進むうちに子供……少女の声と争う男、それも複数の声が聞こえてくる。

 

 ほどなくして、路地の角を曲がったところ、そこで揉み合う少女と4人の男が目に入った。

 男たちの手から逃れんと必死でもがく少女の口元には、布があてがわれている。段々と、少女の動きが緩慢になってきたところを見ると、なんらかの薬品をしみこませてあるようだ。

 少女は「やだ」、「おうちへ帰る」、「たすけて」などと口にしたものの、やがてその体から力が抜けていく。

 そして、意識を失い倒れたところを男たちに抱え上げられた。

 

 

「待ちなさい」

 

 その声に男たちが振り返る。

 男たちの目に入ったのは、やや高級そうな仕立てのいい衣服に身を包んだ老人。

 だが、その身に纏っているのは、高級そうとはいってもそれなり程度のものであり、本当に上流階級の人間が着るような上品なものではなく、どちらかと言えば成り上がりの金持ちがその威を見せつけるために着るような、いささか品の無い代物であった。

 その為、男たちは成金の老人がおかしな正義感を振りかざし、止めに入ったと考えた。

 

「爺さん。ここで見たことは忘れな」

「関係ないことに首突っ込んでも、(ろく)な事にはならないぜ」

「そうだぜ。長生きしたいんならな」

 

 

 口々にそう(はや)し立てる。

 だが、その言葉にセバスはやれやれと首を振り、更に前へと進み出た。

 

「詳しい事情は存じ上げませんが、どうやらその少女の意に反してどこかへ連れて行こうという御様子。申し訳ありませんが見逃すというわけにはまいりません」

 

 その異様に丁寧ながら、はっきりとした意思のこもった言葉に、男たちは鼻白んだ。

 そして少女を脇に置き、獲物を取り出す。

 

 男たちには強力なバックがある。もし殺人を犯しても、それを容易に揉み消せるほどの。なれば、口封じをすることに躊躇はない。むしろ、目撃されたからと少女を置いて帰ったら、自分たちの方が命を危うくするだろう。

 

 武器を構え、包囲するように間合いを詰める男たち。

 だが、セバスは何らひるむことなく対峙する。

 

 

 勝負はあっけなくついた。

 一人の男が背後から襲い掛かかったが、その男を視界に収めることなく、後方に蹴りを繰り出し、続いて剣を振り上げ飛びかかって来た男の腹に拳を叩きこむ。釣られる様に踏み出した男の首筋に軽い手刀の一撃を浴びせた。

 一瞬のうちに3人の男が地面に崩れ落ちる。思わず足がすくんだ最後の1人だけが、その場に立ちつくしていた。

 

 男は震える足を止めることも出来ずに、その手の短剣がこの老人から身を守ってくれる唯一のよすがと両手で握りしめた。

 

「失せなさい。まだ、自分の足で歩けるうちに」

 セバスはそう言うと、路地の奥を指さす。

 

 男は一歩、二歩後ずさりすると、後ろを振り向き、脱兎のごとく逃げ出した。

 

 もはや、そんな男の事など気にもとめずに少女の下へかがみこんだセバスの耳に、「こひゅっ」という微かな音が届いた。

 肺腑からあがった空気が咽喉から漏れ、かすれ声となった。そんな音。

 

 肩越しに振りむくと――。

 

 ――先ほど逃げ出した男が、ルベリナの持つレイピアに首を突き刺されていた。

 

 

 首を串刺しにされていても、その男からはほとんど血が吹き出してはいない。僅かに彼のレイピア〈心臓貫き(ハート・ペネトレート)〉を血が伝うだけだ。正確に血管と血管の隙間を狙い、かつ身動きが取れないよう刺し貫いたのであろう。

 

「セバス様ー。駄目ですよ、こういう奴らを逃がしちゃー」

 

 串刺しにされその身を痙攣させる男の許に、先ほど同じ馬車に乗っていた男達が駆け寄る。そして男に手にした厚手の布をかぶせる。その布が男の体を覆い尽くす直前、ルベリナはレイピアを引き抜き――瞬間、手首を翻し、男の首筋を切り裂いた。水気が厚手の布に降りかかるくぐもった音がする。どうと男が倒れるが、吹き出る鮮血はその布の内を濡らすにとどまった。

 

 ルベリナはレイピアについたわずかの血をハンカチで拭いながら言う。

 

「この手の連中は、放っておくと後から色々といちゃもんつけてきますからねー。理由や口実なんてのは、その気になれば、いくらでも作れるものですし。だから、目撃者は残しちゃあ駄目ですよ。殺すか、もしくは逆らう気なんて二度と起きないようにさせとかないと」

 

 セバスとしてはもはや戦う気の無くなった相手を殺すのには抵抗があった。だが、こう言った裏の事に関しては、長年それをこなしてきたルベリナに一日の長がある。彼のいう事も一理あるなと思い、口に出しかけていた反論の言葉を飲み込んだ。

 

「それと、あんまり一人で動くのは勘弁してくださいよ。一応、私らは護衛って形になってるんですから」

 

 ルベリナを始めとした男たちは、セバスの下に派遣された時点で、その実力を見せつけられている。とてもではないが、逆立ちしても自分たちが叶う相手ではないというのは、散々その身に覚え込まされていた。

 自分たちが護衛という役ではあるが、護られるはずのセバスが危険な目に遭うという心配は全くない。むしろ自分たちこそが降りかかる危険に対し、セバスらの足を引っ張らないように気をつけなければいけないという有様なのであるが、とにかくそういう偽装をしている以上、体裁は整えておかなくてはならない。

 それに短い付き合いながら、このセバス、及びナーベラルはいまいち普通の社会常識に疎いところがある事に気がついていた。不自然な行動や言動が度々(たびたび)あり、そのフォローをする事もまたよくあった。

 今回も一人で行ったセバスに何かあるのではと、急いで追いかけてきたところ、いかにもガラの悪そうな男らと戦闘になっており、あまつさえそのうち一人をそのまま逃がそうとしていたので、慌てて始末したのだ。

 

 ルベリナについて来た男たちが、倒れ伏している男たちに猿ぐつわをかませ、手足を縛って、先ほどの死体と共に馬車へと運んでいく。

 なんども同じことを繰り返したことがあるであろう、手慣れた手つきだった。

 その意味するところにセバスは少々胸に抱く思いがあったが、些末な事と気を取り直し、倒れている少女に目を向けた。

 

 少女はいまだ意識を取り戻さない。

 だが顔色は良く、また息も乱れていない所から、命に別状はないと判断した。

 

「んー? セバス様。この子は……」

 

 セバスが抱え上げた少女を覗き込むルベリナ。

 

「この子は……貴族かもしれませんね」

 

 言われて、胸元の少女にもう一度視線を落とす。

 

「ほら、手とかきれいですし、服とかも少しほつれはあるものの、上質のものですよ。とてもじゃないですけど、その辺のガキをてきとうに攫ったってわけじゃあ、なさそうですね」

「ふむ。貴族ですか……」

「どうします? 厄介ごとに巻き込まれるかもしれませんから、このまま、ここに放っておくってのも手ですよ」

「無論、助けますよ。このままにしてはおけないでしょう」

「んーと、じゃあ、家に送り届けますか。攫われた娘を無事に送り返してきたって事で、そのお貴族様と顔を繋げられるでしょうし」

 

 その提案には首肯した。

 この娘の親がどれほどの相手かは分からないが、貴族と既知の間柄になる事は、セバスがこの街に来た目的とも重なる。

 

「そうですね。そうしましょうか」

「まあ、この子を人質にとって、脅迫するって手もありますけどねー」

 

 冗談めかして軽口をたたくルベリナの声を聞き流し、セバスは少女を優しく抱きかかえる。

 短い付き合いながらも、セバスの性格を分かっていたルベリナは、無視される形となった事に気を悪くすることもなく続けた。

 

「はーい。じゃあ、とにかく、一度馬車に戻りましょうか。……っと、目が覚めたみたいですよ」

 

 セバスの胸の中で、少女が身じろぎする。

 その白い手が、桃色の頬をこすった。

 

「気がつきましたか? 自分の名前は言えますか?」

 

 少女の耳に届く見知らぬ男性の声。

 だが、その声に逃げ出した自分を追って来た男たちの者とは違う、優しく暖かなものを感じ、少女は朦朧とする意識の中、自分の名を答えた。

 

 

「……クーデリカ……」

 

 

 


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