オーバーロード ~破滅の少女~   作:タッパ・タッパ

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2016/6/25 「ウレイレカ」 → 「ウレイリカ」 訂正しました
2016/10/9 「器」に「うつわ」とルビを付けました


第42話 幕間―2

 ザッ。

 

 濃緑の下生えと、焦げ茶色を通り越してもはや黒色に近くなった朽ち木を装甲靴(サバトン)が踏みしめる。その黒い足元から逃れる様に、砕けた樹木から茶色や緑の虫達がちょろちょろと這い出ていった。

 

 木々や(つる)草がうっそうと生い茂り、葉の多い灌木が足元を邪魔する樹林の中を数人の人影が行く。

 

 数人?

 いや、数人の人物と、一体の巨大な魔獣だ。

 

 彼らは、頭上を覆う緑の屋根の隙間から降り注ぐ陽光をその身に受けながら、無言のまま歩く。

 

 やがて、一人先頭を歩く者が、足を止めた。

 手をあげ、後続の者達に止まるよう指示する。

 後ろから見るその人物の尻はわずかに丸みを帯び、またその胸は革鎧に覆われ分かりづらいが、本当にかすかにだが膨らみを帯びている。

 先頭を行く人物は女性だった。それだけではない。彼女の耳先、その先端には特徴的な尖りがある。

 彼女はエルフ……いやハーフエルフであった。

 

 しばし、先方の状況を確認した後、後ろの仲間たちに安全だと合図を送る。

 

 警戒を緩め、ガチャガチャという金属鎧の音を響かせながら、皆が木々の切れ目、森の中に出来たちょっとした広場へと足を踏み入れる。

 辺りを見回し、一人の男が息を吐いた。

 

「ここらですこし小休止しませんか?」

 

 金髪を短く刈り込んだ戦士風の男――ヘッケランが提案する。

 その言葉に、モモンは首肯した。

 

 

 

 ここはアゼルリシア山脈の南端、トブの大森林の南部中央地帯である。

 いま、その森の中をワーカーチーム『フォーサイト』と冒険者チーム『漆黒』が共同で調査を行っていた。

 彼らの目的は、この森にいるかもしれないダークエルフの捜索である。

 

 

「ふう」

 

 疲れた息を吐いて、丈の短い草に覆われた広場に転がっていた石にアルシェが腰かける。

 ワーカーとして経験は積んでいるため、並みの者達よりはるかに体力はあるが、いつ木々の合間から槍が突き出されるか、いつ茂みの奥から魔獣が襲い掛かってくるかと気をはりながら行軍するのは、やはり精神的に疲弊する。

 すぐそばでロバーデイクも革袋を取り出し、口の中をわずかに湿らせた。

 

「モモンさんもいかがですか?」

 

 革袋を持ち上げて見せるが、漆黒の兜は横に振られた。

 

「ああ、ありがとう。しかし、私は宗教上の理由で、人前では飲食はできないのでね」

 

 いちいち命を奪った日はとか、4人以上ではとか、あれこれ条件を言うのも面倒なので、最近通している言い訳を口にするアインズ。

 その声に、「おっと、そうでした。これは失礼」と差し出した革袋を戻す。

 

「あ、じゃあ。私がもらっていいっすかー?」

 

 ビッと手をあげる美しい赤毛の女神官。

 モモンの仲間ルプーである。

 「ええ、どうぞ」と差し出された革袋を受け取ると、中の水をごくごくと喉を鳴らして飲んだ。

 

「ぷはー。生き返るっす」

 

 袋から口を離し、大きく息を吐く。

 その際にこぼれた水が顎から喉へと滴り落ち、その隆起に沿って褐色の肌を流れていく様は、何やら(なま)めかしいものを感じさせた。

 

 一瞬、見とれたロバーデイクは慌ててその目をそらす。

 そのそらした先にはヘッケランがいた。

 にやにやとした表情を顔に浮かべたヘッケランが。

 

 がしっと体をぶつける様に肩を組む。

 

「なんだよ。なんだか、女に興味ないみたいな顔してたけど、やっぱり男だなぁ」

「い、いや、待ってください、ヘッケラン。彼女に対して失礼でしょうが」

「隠すこたねえって。男なら、やっぱ見ちまうよな」

 

 肩越しに見る、その赤毛の女神官はその美貌もさることながら、チェインメイル越しにも肉感的な身体つきが見て取れ、太陽が照るようなという表現がぴったりとくるような明るさを振りまいている。

 あれをいい女と言わない者は、男女問わず、よっぽどの偏屈者以外いないだろう。

 

「で? なによ、告白とかは?」

「や、止めてくださいよ。そういうのではありませんって」

「いやー、ロバーにも春が来たか。こりゃあ、仲間として応援してやらないとな」

 

 普段ロバーデイクにはイミーナとの仲を冷やかされているため、ここぞとばかりにからかうヘッケラン。対して、ロバーデイクは防戦一方だ。

 

「ですから、そういうのではありませんよ。それに彼女にはモモンさんがいるじゃないですか」

「やっぱりあの2人って、そういう関係なのかな?」

「そうではないですか? ハムスケさんが加わる前、エ・ランテルに来た時から2人だったと聞きますし」

「いや、諦めるのは早いぜ。男と女に大事なのは一緒にいた『時間』じゃない。大切なのは、一緒にいてお互い胸の奥から燃え上がってくるような『気持ち』だ」

 

 いつもなら、「ほう、それはイミーナとの経験談ですか?」と返すところだが、今のロバーデイクにはそんな返しをする余裕もない。

 「ですから……」と困り顔で話を収めようとするロバーデイクと、「いいからいいから」と悪乗りするヘッケラン。

 そんな馬鹿話を続ける男たちの頭を、ハーフエルフは後ろからひっぱたいた。

 

「アンタら。いくら、この辺には怪物(モンスター)がいないからって、気を抜きすぎ。いつ襲われてもおかしくない森の中なんだから、少しは警戒しなさいよ」

 

 疲れをとるために干した果実を齧りながら、あきれた声を出すイミーナ。

 

「まあ、あまりに気を抜きすぎるは駄目だが、多少はリラックスしていた方がいいだろう」

 

 そんなフォーサイトの面々に、モモンに扮するアインズが声をかける。

 

「それに、なにか危険が近づいたら、ハムスケが気づくだろうしな」

「はいでござるよ、殿。それがしの見たところ、周囲には何もいないでござる。この辺は安全でござるよ」

 

 モフモフしながら答えるハムスケ。アインズの目には可愛らしいとしか思えない行為だが、この世界の者達――ナザリックの者達もなようだが――偉大で雄々しい姿と見えるらしい。ハムスケの自信満々の言葉と態度に、アルシェはうなづいた。

 

「ハムスケさんがそういうんだから、きっと大丈夫。でも、あんまり羽目を外し過ぎないで」

 

 言われた男2人は肩身が狭く、その辺に腰を下ろしてイミーナから貰った干し果実を齧る。

 その実は甘酸っぱかった。

 

 

 

 しばし、そうして疲れをいやす。

 アンデッドであるアインズは疲れなどないのだが、辺りに広がる自然の風景は、リアルでは全く縁のなかったもの。この世界に来てからけっこうな時が経つが、いまだにいくら見ていても飽きなかった。

 そして、ルプスレギナもまた疲れなど感じさせず、あれこれ喋ったり、ハムスケとじゃれあったりと、せわしなく動き回っていた。疲労無効のアイテムを装備しているからだが。

 彼女から水の入った革袋を返されたロバーデイクがそれに口をつけようとしたところで、「そこ、ルプーさんが口つけたとこだな」とヘッケランに言われ、年甲斐もなく凍り付いたり、言ったヘッケランをイミーナが再度ひっぱたいたり、アルシェが騒がないようにと再び注意したりとするなどという一幕もあった。

 

 

 

「それにしても、見つかるかねぇ」

「うーん。正直難しいと思いますね。あれから時間もたっていますし、その間、手掛かりはないようですしね」

「ちょっと。アンタらがそう言わないでよ。実際にダークエルフを見たのって、アンタたちともう一人だけなんだから」

 

 渋い顔で話し合うヘッケランとロバーデイク。それにイミーナが声をかける。

 

「だってよ、イミーナ。そもそもエ・ランテルの冒険者達だって、これまでずっとトブの大森林でダークエルフなんて見たことなかったんだろ? それをちょっと探したくらいで見つけろったって無理な話だろうが」

「そうですねぇ。私たちが会ったと言っても、本当に数分、二言三言(ふたことみこと)話したくらいですしね」

「そもそも、ダークエルフというのが見間違いという線はない?」

 

 アルシェの確認の言葉だが、それには首を振った。

 

「いや、さすがにそれはねえよ。……まあ、暗くてエルフを見間違えた可能性はあるかもしれないけどな」

「いえ、あれはたしかに普通のエルフの肌の色とは違いましたね」

「うーん。ダークエルフの姉妹(・・)ねえ……。モモンさんは何か心当たりはない?」

 

 少し離れたところで周囲を警戒するふりをして彼らの会話に耳を澄ませていたアインズは、不意にイミーナから話を振られ、少々狼狽(うろた)えた。

 

「ん……いや、私はもともとこの辺りの人間ではないのでな。それは何とも……」

「ああ、そっか。俺たちがエ・ランテルに来て、そのすぐ後くらいにこの街に来て、冒険者になったんでしたっけ」

「ああ。だから、あまりこの辺りの事については詳しくは分からないな」

 

 そう言って、誤魔化した。

 アインズは彼らフォーサイトに聞いたダークエルフの容姿から、彼らが会ったダークエルフはアウラとマーレであることは気がついていた。それは双子からの報告とも合致する。

 だが、彼らをアウラとマーレに会わせてやるわけにはいかない。

 

 

 今回、フォーサイト並びにアインズら『漆黒』が冒険者組合から依頼されたのは、ダークエルフの姉妹(・・)の捜索である。

 なんでも、しばらく前にアウラとマーレが捕まえてきた野盗達、『死を撒く剣団』の討伐を冒険者たちが請け負っていたのだそうだ。その際、2人が野盗たちを全て捕獲し、ナザリックに送ったのちに彼らのアジトから出てきたところで、このヘッケランとロバーデイク、それと鉄級冒険者と出会ったらしい。その後、冒険者たちがアジトに突入するも、そこに『死を撒く剣団』は一人もいなかったため、そいつらを知るであろう唯一の手掛かりと思われるダークエルフの姉妹(・・)を街近郊の安全確認のためという事で、結構な期間にわたって捜索している。

 

 最初は、ヘッケランとロバーデイクとともに、アウラとマーレに会ったもう一人の冒険者がいる鉄級のチームに依頼したらしいが、彼らは捜索中に全員帰らぬ人となった。

 その後、幾度かトブの大森林内に捜索の冒険者を送り込むも、誰一人手掛かりとなるものはつかめなかった。

 そして最後の希望として、実際にダークエルフと遭遇した人物が所属する、冒険者で言えばミスリル級にも匹敵するワーカーチーム『フォーサイト』と、現在エ・ランテルで最高にして唯一のオリハルコン級冒険者チーム『漆黒』が合同で送り込まれたのだ。

 

 およそ、現在のエ・ランテルにおいては最高と言える戦力であり、これまでのものよりも、はるかにトブの大森林の奥深くまで侵入しての捜索である。

 これで見つからなければ、もはや諦めるしかないであろうという布陣だ。

 

 

 しかし、そのような状況であっても、アインズとしては会わせるわけにはいかないのである。

 

 冒険者組合としては、その野盗とダークエルフの関係を知りたいと思っているのだろう。もしかしたら、両者は繋がっているのではと考えているかもしれない。街の人間としては、野盗とダークエルフが協力関係にあるかもなどという一見、荒唐無稽ながらも不安を呼び起こす説は明確に否定しておかねばならないのであろう。

 だが、その不安を解消するには実際にダークエルフと会って話をさせる事、つまりアウラ、マーレと接触させなくてはならない。ナザリックには双子の他にダークエルフは存在しない。この地にもダークエルフは住んでいるだろうが、今のところ、ナザリックとしてはどこにいるのか把握していない。すなわち、会うのは2人以外にはいないのだ。

 しかし、接触するにしても、ただ会ってそれだけではすむまい。街の人間と会い、自分たちは野盗と関係ないと言って、はい終わりとはいかないだろう。どこに住んでいるのか? 仲間はどれだけいるのか? 等々、根掘り葉掘り聞かれることは間違いない。

 そして、それらの説明を納得させるためには、説得力のあるもの、例えばそれらしい集落などを見せる必要がある。

 さすがにそのような(うつわ)を作るのは論外であった。ただそれだけの偽装の為に、ダークエルフが住んでいそうな場所を作成するのは骨が折れるなどというレベルではない。費用対効果を考えると、ほぼ無駄と言える。

 そんなことをするくらいならば、捜索したが見つからなかったという事で、依頼の未達成を選んだ方がマシだった。

 

 そもそも今回の依頼自体、冒険者組合としてもあまり期待はしていない様子だった。

 おそらく、エ・ランテルにおける最高戦力を投入したが、それでも発見できなかったという形にして、もうこの件にけり(・・)をつけたいのであろう。きっと彼らが街に帰ったら、『死を撒く剣団』並びに謎のダークエルフ達は、すでにこの近郊を離れた事が確認されたという事が発表される算段にでもなっているはずだ。

 いうなれば、街の行政まで加わることになった事柄を終わらせるための形式的なものともいえる。

 

 

 そういう訳で、現在は徒労ともいえる捜索活動を延々続けている。

 捜索ルートに関しては前もってフォーサイトや冒険者組合の組合長アインザックと討議してある。その際、例のダミーダンジョンや、魔樹がいた付近には近づかないようなルートを設定した。そして、その内容はナザリックに伝えられ、この付近を支配させているリュラリュースに、自分たちが通る日はそのルート上に配下の者達を近づかせないよう命じてある。 

 一応、リュラリュースの配下になっていないゴブリンたちや、知性の無い蟲系モンスターに襲われる可能性はあるものの、基本的に安全な森の中を散策しているようなものである。警戒しながら歩いているフォーサイトの面々には悪いが、アインズとしては呑気に森林浴気分であった。

 

 

 ただ、今回の依頼で少し気になったのが――。

 

「それにしても、少々気になったのだが」

「どうしたんですか?」

「いや。今回のダークエルフ捜索の依頼だが、ずいぶんと急だったと思ってな。なにせ、突然言われたかと思ったら、その日のうちに打ち合わせをして、次の日に出発という形の強行軍だったからな」

「あ、ああ……そうですか……」

 

 バツが悪そうに額を掻くヘッケラン。

 

「おや、なにか知っているのか?」

「まあ、知っているというかなんというか。……実は俺たち、エ・ランテルを出ようかと思いまして」

「ほう?」

「もともと俺たちはバハルス帝国の帝都をホームタウンにして活動していたんですが、カッツェ平野でのアンデッド狩りのついでにエ・ランテルに来て、その時、あのアンデッド騒ぎに巻き込まれたんですよ。その後、街の冒険者が減ったって事で、俺たちにも結構いい仕事を廻してくれてたんで、しばらくこの街にいついていたんですがね。いいかげん、そろそろ帰ろうかと」

「なるほど。それを冒険者組合に告げたところ、例のダークエルフを目撃したあなた方が街を離れてしまう前に捜索を頼もうと、このような急ぎの依頼になったという事かな?」

「ええ、おそらくは。モモンさんにはちょっと迷惑をかけてしまったかもしれませんが」

「いやいや、迷惑などと言う必要はないとも。依頼を受けて、それをこなすのが冒険者だからな」

 

 かつての営業経験から、恩を着せることなく、何でもない事のようにとりなすアインズ。これで借りを作ったと考えないような相手であればまた別のやり口を考えなければいけなかったが、その態度にフォーサイトの面々は、これだけの強者でありながら傲慢な態度を凝るでもなく実に謙虚な人だと、さらに好感を抱いた。

 

「ははは。俺たちは向こうでは歌う林檎亭って所を定宿にしてるんですよ。ぜひ帝都に来たときは寄ってください。帝都を案内しますよ」

「ああ、いつか帝都に行った時はお願いしよう。そう言えば、私は行ったことが無いのだが、そもそも帝都とはどんな街なんだ?」

「えーと、そうですねぇ。やはりエ・ランテルとの違いは……」

 

 そうして、聞き役であるアインズに対し、あれこれと帝都の事を話すヘッケランやイミーナ、それにフォローを入れるロバーデイク。

 

 彼らの話す内容に、アルシェもまた帝都にある実家の事を思い出していた。今から帰っても借金の返済には間に合うはずだが、また新たな金を借りていないだろうかと不安がよぎる。いくらあの家にお金を入れても、砂に水を撒くようなものだ。どうやっても事態は好転しないだろう。

 いい加減、もう家を見捨てるべきかもしれない。もう十分に育ててもらった恩は返した。十分すぎるほどだ。帝国に帰ったら、この『フォーサイト』のパーティーをどうするかの話し合いがもたれるだろう。最悪、パーティー解散の可能性もある。そうなった場合、上手く新たな仲間を見つけられるかは分からない。これまでのように金を稼ぎ続けることは出来ないかもしれない。いや、ほぼ不可能だろう。

 彼らと知り合い仲間になったのは全くの偶然だが、彼らは最高のチームであったと言える。気が合う事ももちろんだが、彼らは手に入れた報酬でアルシェ自身の装備を良いものにしないことを問題とはしなかった。共にいる仲間が一人だけ劣った装備でいることは、巡り巡って自分の命にもかかわる事だ。事情は詮索されるだろうし、かたくなな態度をとり続けていればパーティーから外されてもおかしくはない。だが、彼らは何も言わないでいてくれた。そんな彼らの厚意に甘えていたが、いつまでもそういう訳にもいかないだろうし、別のパーティーに行ってもそうなるとは限らない。

 

 幸いな事に、しばらくエ・ランテルで稼いだことで、まとまった額の金を貯めることが出来た。

 これくらいあれば、現段階での借金の返済、実家の使用人たちの給金と退職金、それと妹たちとの新たな生活をする頭金にはなるだろう。

 

 ――そう、妹たち。

 ウレイリカとクーデリカ

 天使のようにという形容がふさわしい、可愛らしい双子の妹たちの姿を思い浮かべる。没落したとはいえ貴族として暮らしてきたあの2人には、新たな生活はすこし不自由をさせるかもしれない。だが、先が見えないあの家で過ごさせるよりはましだと思える。

 

 

 帝都に帰る際には、2人に何かちょっとしたお土産でも買って行ってあげようかとアルシェが思い浮かべていた時――。

 

 

 

 ――空間が歪んだ。

 

 

 

 思い思いに腰を下ろし、話に花を咲かせていた彼らの眼前で、一瞬、景色がひび割れたかのようにずれ、またすぐ元に戻る。

 

 

 突然の事態にもかかわらず、さすがに危険と隣り合わせの生活をしている彼らは、瞬時に立ち上がり、武器を構えて警戒態勢を整える。

 背を合わせる様にして、360度周囲の森に警戒の目を向ける輪の中に加わりつつも、初めて見た現象に油断なき注意の目をむける他の者らと異なり、アインズにとってあの光景は既知のものだった。

 

 

 ――今のは魔法による監視。そして、それに対して俺の攻勢防壁が発動したか。

 ……たしかカルネ村で陽光聖典と戦った時も同様の事があったな……。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 数台の馬車が村の広場にとまり、その荷台から地面に敷いた布の上にいくつもの商品が並べられている。

 その周りには、落ちた食べ物に群がるアリのごとく、カルネ村の住人たちが普段の作業を中断し集まって来ていた。

 

 基本的に辺境の集落は自給自足の生活を送っている。

 だが、どうしても、自分たちだけでは賄う事が難しいものもある。

 例えば、刃物などの金物である。これらはさすがによほどの条件に恵まれた地でもなければ自分たちで生産することが難しく、今回のような行商の者達から購入するのが一般的である。

 また、品物の売却もである。

 薬草など採取から時間が経ってはいけないものは、多少の危険はあっても近郊のエ・ランテルまで売りに行くのだが、毛皮などのように時間をおいても大丈夫なものは、わざわざ持って行かずに行商の人間が来た時に売ってしまう。

 カルネ村のような一寒村(かんそん)にはなかなか行商の人間も訪れることは無い。

 その為、売買の機会を逃してはなるものかと、商人が村に来た際には毎回にぎやかな騒ぎになるのだが、それが今回は規模が違った。どういう訳か、普段なら馬車が1台も来れば十分なところ、今回は3台もの馬車が来たのだ。当然、購入できるものも増える。村人たちは皆、品定めに余念がなかった。

 

 

 カルネ村の新しき村長であるエンリも、とりあえず入用なものの購入が終わり、ほっと一息ついていた。

 そこへ近づく者達がいた。

 

「やあ、エンリさん」

「あ、ペテルさん。それにダインさん、ニニャさん、どうも」

 

 エンリにとっては見知った顔だった。

 以前、まだンフィーレアがエ・ランテルに住んでいたころ、彼を護衛してきた冒険者だ。今日は隊商の護衛として、やって来たのだ。

 

「おや、今日はンフィーレアさんは?」

「作業が一区切りしてから来るって言ってました。自分の欲しいものは他の村の人と競合するようなものじゃないから、遅れても大丈夫だって」

「うむ、確かに薬師であるンフィーレア氏にとって必要なものは、普通の人が購入するものとは違うであろうからな」

 

 そして、エンリは3人に向き直り、深く頭を下げた。

 

「それにしても、行商の人が来るっていうのを前もって教えてくれてありがとうございます。本当に助かりました」

「いや、前回の事がありましたから。そのまま村に来たら、色々と面倒な事になるかと思いまして」

 

 ニニャの言葉通り、前回、彼らがカルネ村を訪れた際には、武装した人間が近づいてきたことに警戒したゴブリンたちによって待ち伏せされ、周囲を囲まれてしまうという羽目に陥ってしまった。特にペテルなどは完全に引っ掛かり、彼らの人質になってしまったという苦い経験をした。

 だが、その時にそのゴブリンたちは村の人間、村娘であるエンリの配下であり、むやみに人間に敵対するような存在ではないという事を知った。

 

 その知識があったため、ゴブリンたちが守るカルネ村にいきなり行商人たちを連れていき、先だっての時と同様に一悶着あっては拙いと、村の少し手前で皆に休憩を提案し、その間にルクルットが一足先に隊商の到着を知らせに村へと足を運んだのだ。

 そのおかげで、村にいたゴブリンやオーガ、新たな住人である蜥蜴人(リザードマン)達は一時的に姿を隠すことが出来た。

 もし、彼らが村にいるところが隊商にばれた場合、下手をしたら討伐隊が組まれていた可能性だってある。

 

 その為、そんな事態を引き起こさずに済んでエンリは胸をなでおろし、また機転を利かせてくれた『漆黒の剣』の皆には感謝の気持ちで一杯であった。

 

 

 そうして、賑わいを見せる即席の売店の様子を眺める。

 

「それにしても、なんで今回はこんなに品物が多いんですかね? いつもならこんなにはないのに」

 

 それについてはペテルもまた、首をひねるしかなかった。

 

「うーん。それは俺も分からないな。なぜだか、カルネ村に行きたいって隊商が2つほどあって」

 

 ――カルネ村に来る理由? こんな村に? 何かあるだろうか?

 ――もしかして、エ・ランテルでも有名だったンフィー達、バレアレ一家が移住してきたからだろうか?

 

 そう考えていると当の本人、ンフィーレア・バレアレがこちらにやって来た。

 

「やあ、エンリ。どうも、皆さん。お久しぶりです」

 

 そう挨拶をする。

 微妙に体がふらついている感じがするが。

 

「ちょっと、ンフィー。もしかして、また寝てないの?」

「ああ、大丈夫だよ。しばらく寝てないけど、眠気がとれる薬を使ってるから」

「いや、駄目だよ、そんなの」

「体は替えがききませんからね。休む時はしっかり休んでおかないと」

「うむ、ンフィーレア氏。あまり日常的に薬で体の調子を整えるのは控えるべきだと思うのである」

「そうですよ。薬の専門家であるンフィーレアさんにこう言うのも『シャカに戦法(・・)を説く』という南方のことわざ通りかもしれませんが、日常的に使いすぎると、薬の効果があることに体が慣れてしまいますから、薬無しになった時に身体がおかしくなってしまいますよ」

 

 エンリの言葉に、ペテルとダイン、ニニャも賛同する。

 さすがに4対1では分が悪いものを感じて、ンフィーレアは頭を掻いた。

 

「う、うん。まあ、出来るだけ控えようとは思うよ」

「本当にお願いよ。リイジーさんも気をつけてないと、睡眠はおろか食事までとろうとしないし」

 

 

 そう話していると、「お姉ちゃーん」という声が聞こえた。

 振り向くと、妹であるネムと、普段と違い緊張した様子のルクルット、それに奇妙な服を着た女性がこちらに歩いて来た。

 その女性を目にした途端、ペテル、ダイン、ニニャに緊張が走った。背筋を伸ばし、息をのむ。

 

 誰なんだろうと疑問に思っていると、彼女の胸にネムが走り込んできた。その服を掴み、興奮した様子で話す。

 

「あのね、お姉ちゃん。ティアさんって凄いんだよ。こうね、家の屋根にぴょんって飛び上がったり、パッと姿が消えたり」

「フフフ。これくらい(しのび)ならば当然の事」

 

 ドヤ顔を浮かべ胸を張るティア。その首下(くびもと)でアダマンタイトのプレートが揺れる。

 エンリは『しのび』というのが何なのか分からなかったが、とりあえず挨拶した。

 

「初めまして、私はエンリ・エモット。ええっと、今はこの村の村長をしています」

「私は蒼の薔薇のティア。人は呼ぶ美顔戦士(ビューティ)

「はい。ビューティさん」

「そこはギャグだから、スルーしてほしい」

「はぁ……」

 

 初対面からいまいち距離感がつかめない相手に少々困惑したが、そばにきたルクルットから彼女はアダマンタイト級冒険者だと耳打ちされる。言われてもその意味が分からなかったのだが、その顔色を察知したンフィーレアから、冒険者の中でも最高ランクの人だと言われ、目を丸くした。

 

 ――この自分とそれほど年も離れていなさそうな女性が、そんな凄い人なんだろうか。……確かにこんな露出の多い服は自分には無理だが。

 上半身は首元の襟巻と胸元を覆う金属の部分鎧のみであり、肩やおなかは丸見えである。また身動きするたびに、どんな意味があるのか分からないが、脇や前が大きく開いたブカブカの短跨(たんこ)の隙間から肌色が覗き、同性であるエンリをして不安になる格好だ。

 

 ちらちらと自分を横目で見るエンリの視線には気づいており、こういった純朴そうな村娘もいいなと思うティアであったが、その前にお仕事お仕事と気を引き締めた。

 ンフィーレアという少年が、自分も買い物に行くと言い、ネムという少女を連れて、彼女のそばを離れたところを狙い、それとなく話しかけてみる。

 

「それにしても、この村の壁は凄い。よく作った」

 

 そう言って、遠くを見る。

 今、村の周囲には頑丈な、城壁と言っても差し支えないほどの強固な防壁が築かれていた。村に入るときに見たが、外側には空堀と水堀が張り巡らされ、村に入るには跳ね橋を通らなければならない。

 その城壁は少々不思議なものだった。ティアが良く知る石積みの城壁の他、石組の上に漆喰で塗り固められた白い壁がある様式――南方ではそういったものもあると聞く――の城壁が組み合わされていた。それ以外にも、あちこちに何に使うのかもわからない奇妙な石造りらしき塔のような砦のような建築物があった。

 それは塹壕を組み合わせたべトン要塞やら、地雷原と鉄条網の先に機銃座を構えた陣地やら、あまつさえ単分子ワイヤーと高速振動空中魚雷の張り巡らされた光子戦防壁などという代物まで、ベルが気の向くままに築きあげたものであったが、アインズから時代設定がおかしすぎて人目につくと叱られ、泣く泣く取り壊した残骸である。だが、それが作り上げられる過程を見ていないティアを始めとした他の者にとっては、それらは奇怪な古代遺跡としか思えなかった。以前、カルネ村に来たことがある漆黒の剣は、前来た時もあんなのはあったっけ、と首をひねったが。

 

 それはともかくとして、この村を囲む防壁は普通の村人だけの力で作れるものとは思えなかった。

 ティアは村の中を歩いてみて、奇妙な事に気がついた。

 足跡である。

 村のあちこちに家畜のものとも思えぬ不思議な足跡がいくつもあることを、ニンジャであるティアの目は見抜いた。人間よりはるかに巨大な足跡や、何か太いものを引きずったような奇妙な跡。それも古いものではない。真新しいと言ってもいいものだ。だが、見て回った限り、そんな足跡をつけるようなものは無かった。一体、何がこの村内をうろついていたのであろうか?

 そいつが壁の建築に関わっているのだろうか?

 あの謎の遺跡らしきものといい、この村は何なのだろう?

 

 疑問に思うティアに、エンリは微笑みながら答えた。

 

「ええ、ゴウン様のお力を借りて、ベル様が主に作られたんですよ」

 

 その名前に、ティアの目が一瞬鋭くなった。

 

 

 ベル。

 この前、エ・ランテルで出会った少女。

 

 エ・ランテルではギラード商会というところが裏社会で勢力を伸ばし、八本指の中でも戦闘力では最強である六腕といわれたうちの3人がそちらに寝返ったと言われている。その3人のうちの1人、『千殺』マルムヴィストと一緒にいた少女。彼を護衛と呼んでいたところから、どういう関係かは分からないが、上位者であることは間違いないだろう。

 そして、カルネ村を救った魔法詠唱者(マジック・キャスター)アインズ・ウール・ゴウンの仲間の一人の可能性もある。

 この前はアレックスという少年の邪魔により、その素性を詳しく知ることは出来なかったが、このカルネ村の村長であるというエンリという少女は彼らの事を知っているようだ。彼女から、少しでも多くの情報を聞き出さねばとティアは考えた。

 

 

「そのゴウン様というのは?」

「はい。村を救ってくださった偉大な魔法詠唱者(マジック・キャスター)様なんですよ」

「そうなんだ。冒険者として強い人間には興味がある。出来れば、その人の話を聞きたい」

「ええ! もちろんですとも!」

 

 突然、声を張り上げたエンリにティアが、そして漆黒の剣の面々もまた呆気にとられ、目を丸くした。

 

 

 エンリとしては、アインズの話はぜひとも語りたいことだった。

 

 ――ゴウン様は凄い魔法を使えるうえに、とても心優しいアンデッドだ。あの方が本当はアンデッドであることは口止めされているから言う気はないが、それを差し引いても、ゴウン様の人となりを少しでも多くの人に知ってもらいたい。本当に慈悲深き御方だという事があまねく世間に知れ渡れば、その正体がアンデッドだと明かしても、皆も受け入れてくれるかもしれない。

 このティアと名乗る女性は、冒険者として最高のアダマンタイト級の人らしいし、今日は行商の人たちも村に来ている。ここで話せば、ゴウン様の名声が旅から旅の生活をしている隊商の人たちによって、あちこちに広まる事になるだろう。

 

 そう考えると、責任は重大だ。

 彼女の言葉次第で、世界中に流れる噂が決まるのだから。

 

 エンリはぎゅっと拳を握りしめ、フンスと鼻息荒く、気合を入れた。

 その気合の入れように、ティアは思わず一歩下がった。

 

「ええっと、どこから話せばいいのか……。そうですね、じゃあ、私が騎士風の男に襲われ、あわや命を奪われかねないといった時に、颯爽と現れたのがゴウン様でして……」

 

 息せき切って言葉を紡ぐエンリ。

 その様に、やや引き気味ながら、ティアと漆黒の剣の面々は耳を傾けていった。

 

 

 

「おい、ちょっとこっち頼む」

 

 そばにいた少年に声をかけ、隊商の男は自分の代わりに商品の金額計算を任せた。そうして、自分は紙と羽ペンを手に、馬車に並べられている商品を見て回りながら、時折うなづきつつペンを動かす。

 しかし、そのペン先が書くものは売り物の商品についてではなく、まったく別のもの。今、カルネ村の村長であるエンリという少女が冒険者たちに向かって、魔法詠唱者(マジック・キャスター)アインズ・ウール・ゴウンについて語っている、その内容であった。

 

 ――ふむ。アインズ・ウール・ゴウンについての情報がこうも容易く手に入るとは……。ティア殿も聞いておられるが、俺の方でも情報をまとめてレエブン侯に報告せねばな。

 

 男は悟られぬよう、エンリの言葉に耳を傾け、そのペンを走らせていった。

 

 

 

「どうしたんだい?」

 

 毛皮を買い取りで持ち込んだ村の男が、交渉の途中で突然、言葉を発しなくなった商人に不思議そうに声をかけた。

 

「ん? ああ、すまんね。ちょっと、この毛皮をどこで売ったらいいか、考え込んでしまったよ」

 

 そう言って、顎髭をしごく。

 その言葉に村の男は笑みを返し、「じゃあ、もう買ってくれる気になったのかい?」と尋ね、男は「さて、どうしようかね?」ととぼけて見せた。

 2人は会話しているが、その実、もはやこの毛皮を買う事は決まっている。後は、どれだけの金額で買うか、そのつり上げ交渉中だった。交渉と言っても、あまり常識外れの値をつけると、互いに次回以降の商売に困る。売る方としては、隊商に買ってもらわなくてはエ・ランテルまで足を運ばなくてはならないし、買う方としても、直接、エ・ランテルなどに持ち込まれると、その分卸値が安くなり、自分のところで売るものの値段を下げなくてはいけなくなる。

 だから、実際は値段交渉と言っても、酒一杯分の値段をどうこうする程度であり、生活圏の違う者と会話をするという娯楽の一種でもあった。

 

 そんな話の途中だったが、商人の男はつい気をとられてしまった。

 それは、村長エンリが語りだした魔法詠唱者(マジック・キャスター)アインズ・ウール・ゴウンの話の為である。

 

 ――アインズ・ウール・ゴウン……。ではこの村で陽光聖典がその魔法詠唱者(マジック・キャスター)に倒されたという、アレックスが持ってきた情報は確かだったのか……。これは、是が非でも聞いた内容を法国に伝えねば。

 

 商人に偽装している法国の男は毛皮の話をしつつも、マジックアイテムによって増した聴力で、エンリの言葉を一言一句聞き逃すまいと耳をすませた。

 

 

 

「ええっと、それでですね。ゴウン様がおっしゃったんですよ。『悪為すものに慈悲はない』って。そうして魔法を唱えたらですね。もう凄い火が村を襲ってきた騎士達を包んだんです。どのくらい凄いかっていうと、もう辺り一面、ええっと畑二つ分くらいですかね。それくらいの所から、こう火柱が天高く上がったらしいんですよ。実際には村の広場にある樹の高さくらいだって、ゴードンさんが言ってました。ああ、そうだ、えーと、私が見たわけではなくて、これはゴードンさんから聞いた話なんですけどね。その時、私は別の場所にいたので。ゴードンさんっていうのは一家4人でビートとか作ってるお家で……」

 

 唾を飛ばすような勢いで熱心に話すエンリ。

 対して、聞いている方は困り果てていた。

 

 エンリはとにかくアインズの偉業を伝えようと意気込んでいるのだが、その意気込みが完全に空回りしてしまっている。

 説明下手の人間がよくやる失敗。他人に話をする際、誤解が生じないように正確に伝えようとするあまり、枝葉末節にいたるまで微に入り細にわたって説明してしまい、肝心の本筋がさっぱり分からなくなってしまっている。

 聞いた話を頭の中で整理しようとしているティアたちは、次から次へと繰り出される無駄と言えるような注釈の多さに混乱してしまっていた。

 馬車の中では商人の男が、車内にはそれほど品物はないはずなのに、商品をチェックしている紙はすでに3枚目に突入していた。

 向こうで毛皮の商談をしている顎髭の男は幾度となく黙り込み、話をしている村人から調子でも悪いのかとその体を気遣われていた。

 

 

 結局、その後、エンリの話は買い物を終えたンフィーレアとネムが返ってくるまで続いた。

 エンリはまだまだ話したがっていたが、買ったものを運んで食事の準備をしないとというネムに引っ張られてエンリは家へと去って行った。

 他の村人達からだいたいの顛末を聞いていたンフィーレアが代わって説明したところ、5分ほどで話は終わった。

 聞いていた者達には徒労感だけが残った。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 そこは荘厳としか言いようのない光景だった。

 周囲に立ち並ぶ石柱、足元の床、はるか高い天井、中央に段上になっている祭壇。すべてが磨き抜かれた大理石で作られており、灯される燭台の炎が黒光りする石の表面に幾重にも反射していた。

 

 いま、その室内には幾人もの兵士の姿があった。

 鎧兜を身に着け、剣や矛を構える兵士たち。だが、いささか奇妙とも思える点があった。その場にいた者達は皆女性である。

 彼女らは神殿衛兵と呼ばれる。スレイン法国において最も重要とされる神殿の最奥、巫女姫と呼ばれる存在が関わる場所を守るための兵士たちであった。

 

 彼女らに守られながら、純白の神官服に身を包んだ者達が作業を続ける。

 今回、この場において行われるのは通常の大儀式と呼ばれるものではない。通常のものに加え、いくつもの魔法やマジックアイテムを組み合わせた複雑な儀式となる予定である。

 その一端が、いま、祭壇の上に座る少女である。

 薄絹に身を包み、布で目を隠すという、普通の巫女姫と呼ばれる存在に似た格好をしているが、幼さの残る彼女の目隠しの下からは今も赤いものが滴り落ち、へらへらと歪むその口元からはよだれが(ぬぐ)われることなく垂れ流し続けられている。

 

 

 しばらく前の事、この神殿である儀式が行われた。

 王国戦士長ガゼフ・ストロノーフ暗殺の任を帯びてこの地を立った、陽光聖典隊長ニグン・グリッド・ルーイン。彼には定期的な監視が行われており、その日もまた、魔法がつかわれた。

 だが、その時に起こったのは、魔法によってはるか遠き地で起きている光景が空中に映し出されるといういつものものではなく、死をもたらす大爆発であった。

 

 その爆発により、神殿内にいた衛兵や儀式の補助をする神官たちの多くが亡くなった。

 だが何より痛手だったのは土の巫女姫本人が死亡した事であった。

 

 他の者達とて一朝一夕にそろえられる存在ではなく、重大な損害であったのだが、その中でも巫女姫という存在は別格である。彼女たちは叡者の額冠と呼ばれるマジックアイテムの適合者であり、その割合は100万人に1人という非常に稀有(けう)な存在だ。一国家全てにおいて、その意思が統一されているスレイン法国においても適合者を見つけるのは至難の業といえる。

 そんな人間が謎の爆発によって命を落としたのである。

 

 また、それに続くように、その時監視するはずだった陽光聖典が全滅、大魔法が込められた魔封じの水晶の紛失、漆黒聖典の壊滅といった凶事が法国には続いた。

 

 そしてなにより、漆黒聖典のカイレが装備していたアイテム、『ケイ・セケ・コゥク』が失われるという前代未聞の事態にまで陥ったのだ。

 

 このことにスレイン法国上層部は揺れ動いた。

 この地において怪物(モンスター)から人間を守ってくださった六大神。かの神たちの残した遺産の中でも最重要とされるアイテム。その内の一つが『ケイ・セケ・コゥク』である。

 なんとしても探し出し、取り戻さなくてはならない。

 どれだけの被害を、どれだけの犠牲を払っても。

 どれだけ、非人道的と後ろ指をさされるような行為をしようとも。

 

 

 その結果が、いま、祭壇の上にいる少女だ。

 法国、いや近隣諸国中から探し出され、半ば攫われるようにして連れてこられ、今回の儀式の為だけにその目を縫いつぶされた。僅かな慈悲としては、彼女の精神は麻薬による深い陶酔の中にあり、自身の現状にすら気づいていない事か。

 

 本来は100万人に1人しか適合者がいないマジックアイテム。

 少女は僅かに適正ありと判断されたものの、巫女姫として選ばれるほど完全なる適正は保有していない。魔法の発動を行った途端、額冠のもたらす負荷に耐えきれず即座に絶命するだろう。

 だが、スレイン法国、その宝物庫の奥深くにある六大神が残した遺産の中には、様々なこの地の常識を覆すようなアイテムが存在する。

 例えば、魔法やアイテムなどによる肉体への効果をわずかに遅らせるものなど。

 本来は敵に対して使用し、その者にかけられた支援魔法の効果が及ぶのをわずかに遅らせるためのものだが、これを使用すれば、叡者の額冠によって命を失うまでの時間を稼ぐことが出来るだろう。

 ほんの数秒だが。

 

 だが、そのほんの数秒がなんとしても欲しかった。

 

 遠く離れた場所から、この神殿内の事を魔法で見ている者達にとっては。

 

 

 今、儀式の準備が行われている室内の様子は、魔法によって別の場所で映し出されている。

 そこには12人の人間がいた。

 土、火、水、風、そして光と闇の神官長、そして彼らの上に立つ最高神官長。そして、スレイン法国における国家としての各機関の(おさ)達である。

 

 先だっての土の巫女姫による監視の際は、なんらかの手段によって、監視をしようとしたこちら側が攻撃を受けた。その轍を踏まえ、今回は土の神殿において魔法を使い、その様子を別の魔法によって他の場所で映し出すようにしていた。これにより、もし前回と同様に爆発が起きても、被害は土の神殿内のみにとどまり、魔法によって遠隔地より見ている神官長たちには被害を出さずに済むと考えられた。

 今も、叡者の額冠を頭に巻き虚ろに笑う少女の周囲、少し離れたところには少女と同様の薄絹をまとった女達が囲むように集まっているが、その前には強固な魔法のかかったタワーシールドを前にかかげた衛兵達が位置している。

 これも、あの爆発が起こった場合、その被害は魔法の発動体となる少女のみとして、魔力供給する者達までは及ぼさないようにするための備えである。

 

 

 やがて、すべての準備が整ったようだ。

 神官長たちのいる室内に映し出された映像の中で、一人の神官が手をあげる。その意を受け、〈伝言(メッセージ)〉で儀式を行うよう伝える。

 

 それを受け取ったであろう映像の中の人物が首を縦に振り、儀式が始まった。

 彼らのいる部屋に届くのは映像のみであり、音までは分からないのだが、神殿で何の魔法が使われるかは皆承知している。

 

 

 第6位階魔法〈物体発見(ロケート・オブジェクト)

 

 この魔法を法国が使用できることは秘中の秘である。

 他国はおろか、法国の人間、特に現役の漆黒聖典に対しては。

 

 漆黒聖典は六大神、また他の『ぷれいやー』が残した装備やアイテムなどを身に着けている。その装備の価値は計り知れない。

 万が一にも、そうしたアイテムを持ち逃げされては困るのだ。

 その為、もしそういったアイテムを持ったまま逃亡した際、すぐ見つけられるよう〈物体発見(ロケート・オブジェクト)〉の使用の能否(のうひ)は伏せられている。まあ、実際はうすうす感づいている者もいるようだが、それはそれでやっても無駄だという抑止力となる。

 

 そして今日、この魔法を使って探すのは失われた法国の至宝『ケイ・セケ・コゥク』である。

 

 

 やがて神殿内に光が満ちる。段上にいる少女に、周囲の者達から魔力が集まる。

 その光が一瞬まばゆくなったかと思うと、魔法が発動した。

 

 少女の頭上に、映像が映し出された。

 

 

 

 

 

 映像の中の神殿内では後始末が行われている。

 怪我をしたものの治癒。吹き飛んだ装飾品の片づけ。爆発によって四散した少女の遺体の回収。

 

 それらの光景を映しだす魔法の持続を終了する。

 神官長たちがいる室内に、〈永続光(コンティニュアル・ライト)〉の魔法がかけられた明かりが灯される。

 

 その場にいる者達の顔を見回し、最高神官長が口を開いた。

 

「皆よ、見たな。あの光景」

 

 その場にいた誰もが、しっかと首を縦に振った。

 

 先ほどの光景。

 〈物体発見(ロケート・オブジェクト)〉の魔法により、六大神の残した遺産『ケイ・セケ・コゥク』を持つ者が特定され、その者の姿が映し出された。

 

 映像が中空に映ったほんの一瞬後に大爆発が起き、巫女姫の代理として連れてきた少女は死亡、周囲にいた者達もまた、魔法のかかった盾で身を守っていたとはいえ少なくない被害を出した。

 

 だが、そんな多大な犠牲を払ってでも、やった甲斐はあった。

 

 

 

 あの時、わずか一秒ほどしか映ることのなかった映像。

 

 森の中にいると思しき数人の男女と一匹の強大な魔獣が映し出された。

 誰もが武器や鎧で武装しており、また装備も各人によってバラバラであった事から、おそらく冒険者かワーカーと思われる。

 

 その中でも一人、一際目を引く人物がいた。

 その者は最近一地域で話題となっている人物であり、また法国でも目をつけていた人物であった。

 

 漆黒の全身鎧(フルプレート)を身に纏い、両手持ちの大剣を2本背中に背負う男。

 冒険者モモン。

 壊滅した陽光聖典の部隊の隊長であるニグンが所持していた物と同一の物であると(おぼ)しき魔封じの水晶を使用した人物。

 

 もし、これが別々のところにいたのならば偶然ともいえるだろうが、そんな要注意人物ともいえる男が、今回、多大な犠牲を払ってまで行った魔法によって映しだされた映像の中にいたことは、偶然とは到底思えない。

 

 

 最高神官長は深くうなづき、その場にいるスレイン法国における最高執行機関の者達に向かい、強く断言した。

 

「六大神の残された遺産『ケイ・セケ・コゥク』を持っておるのは、冒険者モモンだ! 間違いない!」

 

 

 




 間違ってますよ、最高神官長。




没ネタ

「私は蒼の薔薇のティア。ちなみに蒼の薔薇には私とそっくり同じ姉妹が1人いる。プリティなティアちゃんが2人。略してふたりはプリティアと呼んでほしい」



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