オーバーロード ~破滅の少女~   作:タッパ・タッパ

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2016/6/30 会話文なのに1字下げしていた箇所があったので、訂正しました。
2016/9/8 攫われたのルビが「さわ」になっていたところを「さら」に訂正しました
2016/10/9 会話文の最後に「。」をつけていたところがあったので削除しました


第七章 侵入者編
第43話 蠢動


「ふう」

 

 扉を閉め、邸内に入ったことで息を吐くセバス。

 この館は帝都アーウィンタールに潜伏するうえでの仮の宿りでしかなく、本来の住居であるナザリック地下大墳墓とは比ぶベくもないが、やはり自分たちの拠点へと戻ってきたという安心感はある。

 

 着崩している自分の身なりを普段の習慣で整えつつ、それなりの館でありながら、なんら装飾品の一つも飾られることなく空虚な印象を与える廊下を歩き、そしてリビングへとたどり着いた。

 

 そこには羅紗布の敷かれたソファーの上に身を投げ出し、テーブルの上に足をあげている男がいた。

 その男の手にあるグラスの中の液体が黄金色である事を見咎め、セバスはわずかに眉をひそめる。

 

「日のあるうちからアルコールとは感心しませんね、ルベリナ」

 

 言われたルベリナは、組んだ足をぶらぶらと揺らしながら答えた。

 

「いやー、勘弁してくださいよ、セバス様。私も情報収拾に街中を歩き回って、ようやく帰ってきたところなんですからー」

 

 ルベリナの向かいのソファーに腰を下ろす。

 そのセバスの前に、「どうぞ」と杯が置かれた。

 

 部屋の脇に控える男の用意してくれた杯を口につけると、良質の茶葉の苦みと柑橘類の酸味を感じた。外に出ていたことで少々汗ばみ火照った体に染み渡るようだ。おそらく、一度熱湯で入れた紅茶を冷却の魔法のかかったデキャンターで冷まし、そしてレモンの果汁でも絞ったのであろう。

 

(この男は、確か貴族向けの娼館に用心棒として派遣されていた男でしたか。さすがにこういった気配りも身に着けているようですね。貴族への対応に慣れているからと、貴族あがりの商人という演技をすることになったこちらに応援としてつけてくださったのは、さすがはアインズ様と言うより他にありませんね)

 

 

 そうして、のどの渇きを潤していると、コツコツと床を叩く音がする。

 

「おかえりなさいませ。セバス様」

 

 目をむけると、裕福な商人の娘という設定の為いつものメイド服ではないが、黄色いドレスを身に着けたナーベラルが居間に入って来た。

 無表情ながら端正な顔立ちだが、今、そのこめかみには青筋が浮かびかけている。

 

 その歩み寄る足が、普段と違い少々遅い。

 ふと見ると、フリルのついたスカートの後ろ、腰のあたりにしがみつくようにしてついて来た人影がある。

 

「おかえりなさい。セバスさま」

「ええ、ただいま。クーデリカ」

 

 そう微笑みかけると、クーデリカは照れたように笑い、ナーベラルのスカートの影に顔を隠した。

 ナーベラルが険のこもった眼で目くばせすると、館に詰めていた、ルベリナらと同様に元八本指の女が「さあ、クーデリカ。あっちへ行ってましょうね」と少女を抱きかかえる。クーデリカは「やー」と抵抗するものの、そのまま二人は部屋を出て行いった。

 

 

「あははー。ナーベラルさん、ずいぶんと懐かれてるみたいじゃないですか」

 

 ケラケラと笑うルベリナを一瞥し、チッと聞こえる様に舌打ちをするナーベラル。

 

「別にヤブカに懐かれても嬉しくないわ」

「いーじゃないですか。将来、子供が出来たときの練習って事で。いいお母さんになるんじゃないですか?」

 

 フンと鼻を鳴らして、テーブルに載せているルベリナの足を叩く。床に下ろしたその前を通り、形のいい尻をビロードのクッション上に据えた。

 

「それで、ルベリナ。どうでした?」

 

 セバスは本題に入った。

 問われたルベリナは手にした杯を眼前まで一度持ち上げ、口に運ぶ。

 

「ええ。やっぱり、あの子はフルト家の娘に間違いないですよ」

 

 その答えに、セバスは思案気(しあんげ)顎髭(あごひげ)を撫でた。

 

「その割には、家に連れて行った時、随分とおかしな行動でしたが」

 

 そう、セバスらはすでにあの少女、クーデリカを彼女の家だというフルト家に連れて行っていたのだ。

 

 

 

 フルト家というのは高級住宅街の一角にあった。屋敷は風格を感じさせる立派な造りをしていたが、最近はずっと手入れをしていなかったのであろう、あちこちに痛みが生じているのが見て取れた。

 とにかく、家人を呼んだところ、中から執事と(おぼ)しき老人が出てきた。

 彼にこの家の娘を見つけたので連れてきた旨を告げ、クーデリカの事を抱え上げて見せると、老執事がその皺の深い顔に浮かべていた、この世の終わりのような沈鬱な表情が一転、驚き、そして喜びへと変わった。

 「どうぞ、中へ」と家の中へ招き入れると、彼は慌てた足取りで主人を呼びに行った。

 通された応接間で、これで一安心、と安堵の息をついていると、やがて足音高く館の主人がやって来た。仕立てのいい服を身に纏った人物。見るからに貴族といった男だ。だが、セバスの目からするとその服の袖や裾に若干汚れが見て取れたが。

 男は胡散臭げな様子でこちらに視線を向け――そしてクーデリカを見た瞬間、激しく動揺した。

 驚愕、困惑、そしてうしろめたさの混じった恐怖が、わずかの間にその顔をよぎった。

 そして男が行ったのは、愛する我が子への抱擁でも、心配し心を痛めていたという優しい言葉でもなかった。

 

「誰だ、そいつは! うちにはそんな娘はおらん!」

 

 いきなり怒鳴りつけられ、クーデリカは目を丸くし「おとうさま……」とつぶやいたが、男はそれには目もくれず、彼女の横にいたセバスに視線を移し、「お前もさっさと帰れ!」と言い放つと、荒々しく部屋を出て行った。

 突然の事態に狼狽(うろた)えた執事の男は、自らの主に「旦那様! お嬢様を見つけ、お連れしていただいたというのに何を……」とその後を追いかけていった。

 部屋の中には思わぬ状況に戸惑うセバスと、服の袖で涙をぬぐい嗚咽(おえつ)の声を漏らすクーデリカだけが残された。

 

 

 

 

 あの時の様子を思い浮かべ、眉を(しか)めて「うむむ」と唸り声をあげるセバス。

 

「あの子の家、フルト家ですが、行ってみて気づきませんでしたか?」

「ふむ? そうですな。ある程度、見栄えは取り繕っているようですが、あちこちに手を加えられず放置するまま荒れている様子が見て取れましたね」

「ええ、あの家って帝国では典型的な、現在の皇帝である鮮血帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスによって、貴族位を剥奪された家ってヤツですよ。それなのにいまだに貴族生活にしがみついてるって手合いです。とーぜん、もう貴族じゃないんで、金にも困ってますな」

「貴族じゃないけど貴族風を吹かせているから、素性のしれない見知らぬ人物にたいして感謝の意を表したくない。だから、本当は娘なのに知らないふりをしたという事かしら? それと謝礼のお金を払うのも、金欠の身では困るからとか?」

 

 ナーベラルの言葉に、ルベリナは皮肉気に口元をゆがめた。

 

「いやー、もうもっと事は進んでしまっているようですね。金欠なんてレベルじゃないですよ、あの家は。もう借金まみれですよ。実際の金もないのに、貴族としての格とやらを気にして、借金してでも芸術品だの調度品だのを買いあさっていたみたいで」

 

 口の端をゆがめたルベリナに負けないほど、嘲笑の表情を浮かべるナーベラル。

 

「身の程を知らない愚か者は、ただのガガンボより滑稽ね。しかし、よくそれほどお金を貸す相手がいたものね。貸しても後でそれを取りたてられなければ意味ないでしょうに」

「ああ、それまではその家の娘がワーカーとして働いて、金を稼いで返していたらしいんで。危険ですが、実力さえあればワーカーは稼げる職業ですからねー。なんでもその娘は、昔は帝国の魔法学院にいて、その当時で第2位階魔法、今じゃ第3位階魔法すら使いこなす秀才だったって話です」

 

 第2位階や第3位階というあまりに低次元の話に、第8位階魔法を使えるナーベラルは鼻で笑った。

 

「まあ、今まではその娘が、そうやって欠けた器に水を注ぎ続けるようなことをしていたらしいんですけどね」

「それがうまくいかなくなったと?」

「はい。先日、金を稼ぐために仲間と一緒にカッツェ平野にいったらしいんですが、その後、エ・ランテルに行ったみたいですね。そこで運悪く、例のアンデッド騒ぎに巻き込まれて死んだとかで」

「なるほど、お金を持ってくる人間がいないのに、あいも変わらずお金を湯水のように使い続けていたという事ね。……その娘が死んだというのは確かなの?」

「ホントのところは音信不通らしいです。でも帝都を出る際、実家にいつ頃返ってくるって告げていたのに、それを大分過ぎても帰ってこないんで、ほぼ死んだのは間違いなさそうですな。それで、そこの当主が少し慌てて知り合いの貴族に金策の話をしたら、その貴族も金欠気味で借金しているような奴だったんで、そいつ経由で金を借りている奴の耳にまで届いてですね。もう金を貸しても帰って来る見込みがないって事がばれて、家じゅうにあるもので取り立てられてるって状態みたいですね」

 

 それを聞いても、セバスはまだ腑に落ちなかった。

 

「ふむ。それは分かりました。ですが、なぜ(さら)われた娘を知らないと言っていたですか?」

「まー、はっきり言うと。あの娘は攫われていなかったって事です」

「?」

「つまり、借金のかた(・・)に家じゅうの金になりそうなものは売られた。それでも、足りなかったんで、他に価値のあるものを売ったって訳ですよ」

「……それがあの子ですか?」

「ええ、あの家には子供が3人。一番上が、エ・ランテルに行って死亡。その下が双子の娘。双子なんですから1人いなくなっても、もう1人を使えば家は存続させられますから。そうして売られていった商品ですが、そういうのを欲しいって奴がすぐに見つかって、無事に売買成立。そして、そっちに引き渡されたところで隙を見て逃げ出すも、すぐに追手に見つかって連れ戻されそうになったところを、引退した商人の老人がたまさか通りかかったって事です」

 

 セバスは――彼を知る者にとって非常に珍しい事ではあったが――やや不機嫌そうな表情を浮かべ、その指先でテーブルをいらだたしげに叩いた。

 

「借金のかた(・・)にあの娘を連れて行ってどうするつもりだったのでしょうか」

「んー? そりゃあ、女ですからね。使い道はいくらでも。ゆっくり育てるなり、使いつぶすなり。いやー、さすがにちゃんとした年にならない女ってのは、普通の男は食指が動かないもんですが、お貴族様ってのはいろんな趣味がありましてね。そういうのが好きだとか言って、もう金と権力にあかして、領地の娘を攫って来たり、高い金を払ってでも買い付けたり。王国とかでも、表向きは禁止されてるのに、それが結構な金になってですね……っ!?」

 

 目の前の老人が思わず発した怒気。ルベリナ本人に対してではなく、そのような組織や貴族たちに対してのものであったが、それにさらされルベリナは二の句が継げなくなった。

 自分達に対してではないと理解はしていても、セバスが振りまいた殺気に肝を冷やしつつ、ナーベラルは話をそらすように言った。

 

「っ……随分と、詳しく情報を手に入れてきたみたいだけど、お金は足りたかしら?」

「え、ええ……、そっちは大丈夫です……。こっちに来る際に持ってきた分だけで間に合いましたよ」

「ほう」

 

 聞くだけで不快な事実に思わず殺気だってしまい、その場にいた者達――ナーベラルとルベリナは冷や汗を流す程度で済んだものの、周囲に控えている人間たちは(おこり)のように身体を震わせていた――を怯えさせてしまった事に気がついたセバスは、一つ深呼吸して落ち着きを取り戻した。

 

「今回の調査に関しても、あちらこちら回って来たのでしょう? 私たちに預けられたお金はアインズ様から活動資金として渡されたもの。必要であればいくらでも使用していいとの旨を受けていますし、不足しそうなら追加を要請するようにと指示を受けています。資金がかからないのはいいのですが、本当に大丈夫なのですか」

「ええ、大丈夫ですよ。蛇の道は蛇ってことで、裏の社会には色々と伝手(つて)がありますし。()はそれほど使ってません」

「そうですか。それはそれでいいのですが、必要でしたら言ってください」

 

 セバスとルベリナの会話を聞いていたナーベラルは、わずかに身じろぎした。

 彼女はルベリナがどうやって向こうの人間に報酬を支払っているのか知っている。

 

 ルベリナは『ライラの粉末』と呼ばれる麻薬を流しているのだ。

 

 

 かつて『ライラの粉末』を始めとした麻薬は、王国の裏を取り仕切る犯罪組織『八本指』によって組織的に生産されていた。特に『ライラの粉末』に関しては禁断症状が弱いという事から、他の薬物と比べても、その取り締まりは厳しくはされておらず、また利益目当ての貴族をもがっちり取り込んで売りさばいていた。

 その流通は王国内だけにとどまらず、隣国であるバハルス帝国を始めとした周辺諸国にまで流れ込み、もはや外交問題になるほどの規模にまで達していたほどだ。

 

 だが、ある時、そんな情勢が変わった。

 

 王国領と帝国領、そして法国領との境にあり、交易の中心地でもあったエ・ランテルにおいて、新たに起こった闇組織が街の裏社会を支配し、エ・ランテルから八本指の勢力を追い出してしまったのだ。

 

 エ・ランテルは周辺諸国への陸路の(かなめ)である。そこが大々的に使えなくなったため、王国から他国への輸出が一転して困難となった。取りうる手といえば、遠回りな海路を使う。もしくはその新興組織の目を盗むように輸送するしかなかった。それもその組織に奪われる危険性をさらされながら細々としたものでだ。

 

 麻薬が自国に流れ込まなくなったことに、周辺国の上層部は安堵したものの、それに困った者達もいる。

 

 まずは当の八本指だ。

 彼らは原料となる草を、それを栽培をする村まで作って行ってきたのだ。少なくない経費まで使って行ってきた事業だが、それが他国への販売ルートに乗せられないとなると困ったことになる。実際、すでに在庫がダブついてきており、王国内では値崩れし始めている。

 そして、それによって王国内ではさらに麻薬が蔓延することになり、王国上層部の頭を悩ませることになってきている。

 だが、最も困ったのは周辺国の常用者である。

 『ライラの粉末』は禁断症状は薄いとはいえ中毒性はある。吸引することによる多幸感と陶酔感の快楽は、一度味わえば病みつきになる。

 だが、吸いたくても物がないのだ。

 麻薬というものは、物が無いから、じゃあいいやと簡単に言えるようなものではない。むしろ無いからこそ、どうしても手に入れたくなるものだ。

 その為、現在、周辺国では『ライラの粉末』の値が急上昇しており、末端価格においてはかつての十倍以上という有様であった。

 

 そんな『ライラの粉末』であるが、ルベリナは帝都に来る際、ある程度の量を秘かに持ち込んでいた。

 八本指は、かつてほどの規模ではないが、今でも交易の荷物に隠してエ・ランテル経由で他国に流している。それらはある程度はエ・ランテルを通る際、ギラード商会の息のかかった者に没収される事になる。実際はそこでも賄賂を多く積めば、彼らも見て見ぬふりをするのだが。そしてその賄賂分、さらに末端での売買価格が上がる結果となるのだが。

 とにかく、その没収した『ライラの粉末』を、他国での価格上昇に目を付けたベルは、交渉事に利用できるとみてルベリナに渡していた。

 そしてベルの期待通り、元八本指であるルベリナは帝都では品薄である『ライラの粉末』を、金貨よりも有効に活用していた。

 

 ただ、このことはセバスには知らされてはいなかった。

 ルベリナたちが暗躍する際の資金源に疑問を持ち、ナーベラルが問いただしたところ、実にあっさり『ライラの粉末』を賄賂代わりに使っていることを白状した。そして、このことはセバスには言わなくていいと、ベルから指示されていたとも。

 驚いたナーベラルが直接ベルに〈伝言(メッセージ)〉で確認したところ、その通りである旨が告げられた。

 

 

 その事にナーベラルは心を千々(ちぢ)にかき乱された。

 

 別に麻薬を流すことに罪悪感があるのではない。

 共にナザリックに仕え、直接の上司であるセバスにそのような隠し事をしなければならないことにである。

 

 ベルとしては、セバスはあまり麻薬云々などといった話は好まないだろうから、わざわざその事を教えて心悩ませることもないかというただの配慮のつもりであり、深く考えもしないで言った事であったが、ナーベラルからすれば重大事であった。

 属性が悪に偏っており、人間を下に見る者が多いナザリックにおいて、セバスは数少ない善の属性を持つ者であり、ナザリック外の人間に対しても慈悲の心を持って接する事はもちろん知っている。

 だが、例えそのセバスといえど、目的の為とあらば非情に徹するであろう。もともと、プレアデスを始めとしたナザリックの者達は、自分たちを創造された至高の御方のお考えによって性格に違いはあれど、同じ目的意識を持っていたはずだ。ナザリックに仕える者として、最優先すべきはナザリックの利益であり、その際には己が意思や感情を封印し、行動することは当然である。そこに揺らぎや躊躇(ためら)いなど生じるはずもない。

 

 

 だが、ベルはそのセバスには秘密にしておけと命じた。

 プレアデスらの上司にして、階層守護者にも匹敵する地位と力を持つセバスに対して。

 

 

 ――本当にいいのだろうか? 

 

 これまで、ナーベラルは命令に従う以外の事は考えたことは無かった。上位者からの命令は絶対である。特に至高の御方からの命令ならば、死すらもいとわない。

 

 だが、今回ナーベラルの心に迷いが出たのは、それがアインズからの指示ではなく、ベルからの指示だったためである。

 絶対の忠誠を誓う至高の御方からの命令なら、なんら疑問を持つ余地はなかったであろう。

 だが、それよりは忠誠が一段劣るベルからの指示だったため、そこに出来るはずのない余地が生まれたのだ。

 

 ナーベラルの胸の内に、言葉にもならないような小さな種火が灯る。その火は懊悩の熱を持って心の中でくすぶり続けていた。我慢できないほどではないが焦燥を感じさせる、これまで感じたことすら無いような感覚に戸惑いを覚えていた。

 

 ――あとでベル様と一緒にいることが多いソリュシャンに相談してみようか?

 

 

 一人、心の内で煩悶し続けていたナーベラルだが、ルベリナの発した言葉に、思考の海を漂っていた意識を取り戻した。 

 

「……ですがね。あの娘ですが、早めに手放した方がいいと思いますよ」

 

「ふむ。ルベリナ、あなたがそう判断した理由は何ですか? 子供が苦手だから手放したいなどという理由ではないでしょうが」

 

 セバスの問いに、ポリポリと頭を掻いて言った。

 

「いえね。ほら、さっきも言ったでしょう? あの娘は借金のかたに売られて、そして、さらに売り飛ばされた先から逃げ出したところだったって。その売却先がちょっと気になりましてね」

「危険な相手なのですか?」

「いや、ちょっと調べてみたんですが分かりませんでした。まー、もっと派手に動いていいなら分かるかもしれませんけどね。でもまあ、とにかく、ちょっとやそっとじゃ分からないって事は、結構やばい相手な可能性があるんですよ」

「ふむ」

「いっそのこと、上の人たちに相談して援軍を送ってもらって、もっと大々的に動くってのも手かもしれませんよ。どうにも、その売った連中の態度が妙なんですよね。隠し方が必死過ぎて。下手すれば帝国の、それも結構上の方の人間まで絡んでくる可能性もあります。手をこまねいておいてぼや(・・)が大火事にでもなったら、目も当てられませんよ」

 

 危険な世界に生きてきた者の直感に基づく警戒心に満ちたルベリナの言葉だが、それにセバスは首を横に振った。

 

「いえ。それには及びません」

 

 この場にいる皆を見回し、力を込めて告げる。

 

「今回の一件ですが、この程度の些事(さじ)は私たちで対処せよという意味なのでしょう」

 

 セバスのこの発言の理由。

 それは、アインズらからはクーデリカに関する指示がないためである。

 

 

 セバスは今回の一件、クーデリカの保護ならびにその後の顛末については定期報告において、すでに報告してあった。

 

 最初、セバスは今回の事を報告すべきか悩んだ。

 攫われそうだったクーデリカを保護した事。そして家に連れて行ってやったら、なぜかその家から拒絶された事。仕方がないので、彼女を自分たちのいる館に連れて帰った事。

 本来ならば報告せねばならない事ではあり、そうするのが正しいとは分かっていたが、そのまま報告することはためらわれた。

 クーデリカが館にいることによるメリットは特に思いつかなかった。対して、人間の少女がいることで情報収取という任務に差しさわりの出る可能性もあった。また、新たな厄介ごとにつながる可能性も考えられた。

 

 至高の御方の意向ならびにナザリックの益となる事こそが最優先されるべきものであり、それに反するものは排除せねばならない。

 だが、そうは分かってはいても、たっち・みーによって創造され、その性質を受け継いでいるセバスにとって、ひ弱でよるべ(・・・)の無いこの少女を処分してしまうというのは、どうしても受け入れがたいものであった。

 

 悩み続けるセバスに対して、ルベリナが忠言した。

 クーデリカの事は報告としてはあげておくべきだと。だが、はっきりと書き記すのではなく、遠回しに婉曲な書き方にとどめておけばいいと。

 

 その言に対してセバスは眉をひそめた。

 執事として、主に対する報告に曖昧で不明瞭な記載をするのは納得できなかった。それに彼の仕えているのは聡明かつ知性溢れるアインズと至高の御方の御息女であるベルである。そのような欺瞞(ぎまん)などすぐに見抜いてしまう事は自明の理であった。

 

 だが、ルベリナは続けた。

 そういう頭のいい人なら、そういった誤魔化しなどすぐに気づくだろう。そして気づいたうえで、なぜ自らに忠実な配下がそんな書き方をしたのかと頭をめぐらせ、やがてそう書かざるをえなかった、その胸の内を察してくれるだろう。その上で各種情勢を(かんが)みて、状況が許すのならば、見て見ぬふりをしてくれるはずだと。

 

 その答えにセバスは苦悩したものの、ままよとばかりにクーデリカの事を小さな注釈で書き記した報告をあげた。そしていつ主の怒りが落ちるかと不安の日々を過ごしていたのであるが、意に反しアインズらからの反応はなかった。

 その後も、定期報告のたびに彼女の事を遠回しにさらりと書くのであるが、それに対しても新たな指示は一切なかった。アインズから直接〈伝言(メッセージ)〉で進捗を説明する機会もあったが、その時もアインズは何も言わなかった。

 

 事ここに至って、セバスは確信した。これはアインズとベルが、クーデリカを助けたいと願うセバスの胸中を(おもんばか)ってくれたのだろう。 

 そして、この件は帝都に派遣されている自分たちを信用して、すべて任せるという証左であろう。

 

 

 その自らの主から向けられた絶対の信頼を感じ取り、セバスは感激に身が震える思いであった。

 

 

「まあ、遠回しに書いたんで、そのことに気がつかなかったって可能性もありますけどねー」

「フフン。そんな事、天と地がひっくり返ろうともあり得ないわね」

 

 ルベリナの軽口を、ナーベラルは鼻で笑った。

 そして、先ほどの迷いを振り払うかのごとく、強く言い放った。

 

「私たちがお仕えしているのはまさにこの世のすべてすら見通す智謀と叡智に満ち溢れた方なのよ! その御方がまさか、部下に調査を命じ、報告を上げさせておきながら、自分が忙しいからとそれにろくに目を通しもせず流し読みだけですませて、パッと見、特段目立つような変わったことも書いてないからそのままでいいかなどと、物事を現状維持のまま放置するような、愚鈍かつ愚昧の極みとしか言いようのない判断を下すミドリムシのような事をするはずなどないわ!」

「ミドリムシって虫じゃないですよね?」

「やかましいわよ!」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「――と、このような事でございます」

「ふむ。なるほど。つまり、トブの大森林の少なくとも帝国に隣接している地域では、異常は発見できなかったか」

 

 自らの抱く皇帝の言葉に、報告した若き文官は額に汗を浮かべながら深く頭を下げる。

 そして、バハルス帝国の最高指導者、鮮血帝ジルクニフは居並ぶ者達を見回した。

 

 窓一つない部屋。〈永続光(コンティニュアル・ライト)〉の明かりに照らしだされたいくつもの顔。

 いま、ここに集められている者達は、すべてジルクニフ自身が集めた最も信義にあふれ有能な者達。誰もが、この帝国の為ならば命を捨てることもいとわぬ忠義の者達である。

 そんな彼らの視線を一身に集め、彼は口を開いた。

 

「では南部付近、エ・ランテル側はどうだ? たしかダークエルフが目撃されているとかいう報告があったな」

 

 その問いに、菫色のローブを着た男が答える。

 

「はい。エ・ランテルの冒険者組合が、ダークエルフの捜索という事で冒険者たちをトブの大森林南部に送り込んで調査しておりました。ですが二桁に近い回数、調査隊を送ったものの目立った成果は上げられず、じきに捜索は終了となりそうです」

「なんら異常と判断されるような、普段と違ったものは見つけられなかったと?」

「はい。その通りでございます」

 

 その答えにジルクニフは僅かに目を閉じ考え込んだ。

 

「結局のところ、法国がトブの大森林内で何かしているかもってのは心配のし過ぎだったんじゃないですかい?」

「全部、私の杞憂だったというなら、それはそれで全ては丸く収まっていいのだがな」

 

 ジルクニフはため息交じりに返す。

 

「しかし、ワーカーに偽装させた我が帝国の精鋭部隊は戻ってきませんでしたよ」

「そりゃあ、トブの大森林内の怪物(モンスタ―)にやられたんじゃないか? 精鋭部隊ったって、人間なんだ。あの森の中にはそれより強いのなんてうじゃうじゃいるだろ」

 

 ニンブルとバジウッドの会話を聞いていたジルクニフは、傍らのフールーダに目をやった。

 何を聞きたいのか悟った、この偉大な魔法詠唱者(マジック・キャスター)は静かに口を開いた。

 

「ふむ。同行させおりました魔法詠唱者(マジック・キャスター)からは、何やら数体の樹木の怪物(モンスター)に襲われたという〈伝言(メッセージ)〉による報告が最後にありました。まあ、〈伝言(メッセージ)〉はあまり信用のできる魔法ではありませんが、仮に報告が事実だったとした場合、狂ったトレントなどに襲われたのでは?」

「トレントか……可能性はあるが。他に心当たりは?」

「他ですと、トブの大森林には伝説がございます。森のどこかに魔樹の竜王なる存在が封印されている。それを恐れるが故、森にはドラゴンたちですら近づかぬと。その魔樹の竜王とやらがどれほどの力を持っているか、どのような存在なのかは分かりませぬが、はるか長い周期ながら活動が活発になる時期があり、その時に縄張りに入った者は命がないと言われております。……ですが、もし本当に魔樹の竜王が目覚めた場合、事はトブの大森林だけにとどまらず世界を滅ぼしかねない大騒動になるでしょうから、これはないでしょうな」

 

「ふうむ。まあいい。とりあえず、トブの大森林については警戒を一旦(いったん)下げても構うまい」

 

 これまで帝国は、トブの大森林内におけるスレイン法国の策動を警戒していた。

 多くの法国の兵士が森の中に入っていった事。法国の関係者、もしかしたら六色聖典の人間ではと警戒されている冒険者モモンが、森の賢王と呼ばれる怪物(モンスター)を従えている事などから、トブの大森林内において、なんらかの動きがあるのではと推測し調査を続けてきた。

 だが、東側の帝国に接する地域では何ら異常はなかったものの、南部、エ・ランテルにほど近い辺りを捜索していた帝国の兵士と魔法詠唱者(マジック・キャスター)からなる精鋭部隊は、謎の怪物(モンスター)に襲われ、全滅の()き目に遭ってしまった。

 その為、南部地域に関してはちょうどエ・ランテルの冒険者組合が森の調査を始めたこともあり、帝国としてそれ以上兵は出さずに、冒険者が集めてきた情報を収集する方向にシフトさせた。

 

 だが、そうした調査でも、ダークエルフの姉妹(・・)が目撃されていたらしいと言う他は、何ら目立つ情報はなかった。

 ここ最近の帝国はトブの大森林での調査を重要事項とし、その持てるリソースを割り振って来たが、帝国としてはそれ以外にもさまざま調べねばならぬことや動かねばならないことが山ほどある。

 いつまでも、結果の出ない調査に力を注いでいてはいられない。

 

 ジルクニフは、トブの大森林での調査に対する優先順位を下げることを決めた。

 皆の前でそれを宣言する。

 

 その時、口を開いた者がいた。

 

「申し訳ありません。一つ、ご報告したき件が」

 

 ジルクニフは顔を巡らせ、居並ぶ者達の中から、言葉を発した者を見つけた。

 

「なんだ、ロウネ?」

「はい。トブの大森林の調査に関してなのですが」

 

 文官の中では、最も皇帝の信が厚いロウネ・ヴァミリオンは言葉をつづけた。

 

「帝国の貴族――元貴族なのですが。その者がとある学者に金を出し、トブの大森林内で古代遺跡の調査をさせようとしているようです」

 

 その場にいた者達は、皆一様に首をひねった。

 なぜ、そのような些末なことをロウネともあろうものが、このような場で報告するのだろうか?

 

「その貴族は、2人の学者の為に護衛としてワーカーらを雇いいれ、そして彼らはエ・ランテルまで移動し、そこでさらに冒険者を雇うつもりのようです。エ・ランテルにおける最高の冒険者『漆黒』のモモンを」

 

 その言葉を聞き、そこにいた者達の間にどよめきが起こった。

 

 冒険者チーム『漆黒』

 しばらく前に、ふらりとエ・ランテルに来たかと思うと、瞬く間に頭角を現し、ごくわずかな時間でオリハルコンまで上り詰めたチーム。

 そして帝国、いや、この会合においては法国の息がかかった人間ではないかとも推察される人物だ。

 

 帝国が気にかけていたトブの大森林での調査。そして、同行させるのがそのモモン。

 到底偶然とは思えない。

 

 ジルクニフは腕組みをして聞いた。

 

「それで、その学者に金をやった元貴族とやらは?」

「はい。フルト家です」

 

 その言葉には皆、きょとんとした。

 特に耳にしたこともない家だ。

 

「フルト家は、陛下の施策によって貴族位を追われた家でございます。当然そんな学者のパトロンになれるような資金などなく、それどころか、自分たちの生活すらおぼつかないような有様の家です」

 

 ジルクニフは面白がって先を促した。

 

「ほう。それではそんな生活にも困るほどの金欠の者が、どうやって学者に金を出し、ワーカーや冒険者を雇う金を手に入れたのかな?」

「とある人物から、……というか、その学者本人からだそうですよ。その学者からはフルト家が金を出したことにしてくれと」

「随分と気前がいいではないか。その学者とやらは。いっそのこと、我が帝国に依頼してくれればいいものを」

 

 笑みを交えた皇帝の言葉に、その場にいた者は皆笑い声をあげた。

 だが、ジルクニフはすぐに真顔に戻って聞いた。

 

「それで? わざわざこの場で言うという事は、すでに尻尾をとらえてあるのであろう?」

「はい、陛下。その学者の正体ですが――フルト家に対しては帝国上層部の者と偽装してあるようですが――実際のところは法国の人間のようです」

 

 他の者達が驚きに息をのむ中、その答えを予期していたジルクニフは、フンと鼻を鳴らした。

 

「付け加えさせていただきますと、彼らが雇うワーカー。その者らには、さらなる秘密の依頼が課せられるようです。冒険者モモンの暗殺という依頼が」

 

 それにはさすがにジルクニフもピクリと眉を動かした。

 

「……確かか?」

「はい。そのフルト家でワーカーに繋ぎをとる役の者からの情報です」

「ふむ。……どう思う?」

「十中八九、我々に情報が漏れることを想定しての事でしょうな。こう言っては何ですが、かの国が本気で足跡を消そうとした場合、我が帝国の諜報機関でも捉えるのは少々困難といえるでしょう。それが赤子の手をひねるより容易く調べがついたのですから」

 

「いや、待ってくだせえ」

 バジウッドが頭を掻きながら口を挟む。

 

「そのモモンって奴は法国の、それも六色聖典かもって奴でしょう? そいつを法国の人間が暗殺しようとするんですか?」

「さてな。法国の人間かもというのが間違いだったか、法国を裏切ったので粛清されるのか、そもそもモモン暗殺という情報自体ブラフの可能性もあるな」

「ですが、法国が冒険者モモン暗殺の情報を、わざわざ俺たち、帝国に流すのは何かの意味があるんですかい?」

「まずカギとなるのは、そのモモン暗殺というのが本気かどうかだな。本気ではなかった場合、あくまで法国として始末しようとしているという態度を見せる事で、我々に対し、法国はモモンとつながっていない、無関係であるというジェスチャーになる」

「本気だった場合は?」

「帝国は今回のモモン暗殺に手出しするなという意思表示だろうな」

 

 

 言ってジルクニフは、皆の前を悠々と歩き、水差しから果実水を杯に一杯注いで飲み干した。本当はワインが欲しかったが、今、自分の頭を酒精で鈍らせるわけにはいくまい。

 それを見ていたバジウッドが、皆を代表する形で彼に聞いた。

 

「で、どうします?」

 

 その声に視線を向けず、手にした象牙の杯を眺めていたジルクニフが言った。

 

「そのワーカーとやらはすでに雇われているのか?」

「いえ、まだです」

 と、ロウネ。

 おそらく、彼がジルクニフの耳に入れるまではと引き伸ばさせているのだろう。

 

「では、先にこちらでワーカーに声をかけ、そいつらをフルト家で雇わせろ」

「手を出すんですかい? 何なら、ワーカーに命令しなくても、その法国の手先って学者を捕まえて、情報を吐かせましょうか?」

「不要だ。それにワーカーにもそんな命令をするつもりはない。そういう事をされないように、こちらに情報を流したのだろうからな。モモンという敵か味方かもわからん奴の為に、法国と事を起こす気はない」

「じゃあ、先にワーカーに声をかける理由ってのは?」

「なに、特段何かさせるわけではない。そちらに仕事で雇われて普段通り依頼をこなす。そして、事の顛末などをあとでこちらに報告させるだけだ。後手に回るが、その程度なら法国側も織り込み済みだろうよ。(しゃく)にはさわるがな」

「しかし、一応学者の護衛って事ですが、帝国のワーカーが王国の冒険者を王国領内で暗殺するってのは拙かないですか?」

「わざわざ、こちらに法国が絡んでいると情報を流しているんだ。目立たぬようにやるつもりなんだろう。例えば、トブの大森林に連れ出し、怪物(モンスター)に襲われて戦死したように見せかけるとかな。さすがに王国領内での暗殺は拙いが、トブの大森林は人間の領域ではない。エ・ランテル近郊とはいえ、微妙に王国領ともいえんしな。それに仮に王国と帝国の問題になったとしても、その学者のパトロンという体をとっているフルト家に責任を押し付ければいいではないか? 貴族でもない、ただの一般人の独断であるとな。実際、我々が絡んではいないから嘘という訳でもない。まあ、多少は王国との仲は悪くはなるかもしれんが、法国に貸しを一つ作れると思えば安いものだ」

 

 主の決断に、その場にいた者は頭を下げ、了承の意を示した。

 

 

 

「それにしても」

 

 ふとジルクニフは声を漏らした。

 

「その情報は、フルト家でワーカーを雇う者から手に入れたといったな。そんな落ちぶれた家にも間諜を潜り込ませていたのか?」

「いえ、その話を当主から聞かされた者がこちらに接触を取ってきました」

「ほう。どんな奴だ?」

「ジャイムスという名の、その家に仕える執事でございます」

 

 辺りから失笑が漏れる。

 

「本来、執事ってぇのは、何があろうとその家の当主に忠実なもんだろう。そんな奴まで、沈む船から逃げ出そうとするような有様なのかい?」

「もう、ほとほと、愛想が尽きたそうで。なんでも、そのフルト家の当主が金に困って、幼い我が子を借金のかた(・・)に売り飛ばしたことを知って、もはやついていけないと決断したそうです」

「やれやれ、元貴族の窮状(きゅうじょう)には心が痛むよ」

 

 その原因を作った当のジルクニフの言葉に、周りの者からは笑いが起こった。

 

「全くですな。そのフルト家は陛下の施策で貴族ではなくなったものの、その後も変わらず貴族のような生活を続けていたようです。借金をしてでも、高価な芸術品などを買いあさるなど。それまでは帝国魔法学院にも在籍していたアルシェという長女がワーカーとなり、必死で家の為に金を稼いでいたそうなのですが、つい先日、もはやその娘が金を持ってくることが出来なくなったと判断した高利貸しにより借金をとりたてられ、その結果、幼い双子の娘の片方まで売り飛ばしたそうです」

 

「ぬ? 待て。今、帝国の魔法学院に在籍していたアルシェといったな。そして、その家がフルト……。もしや、そのワーカーをしていた長女というのはアルシェ・イーブ・リイル・フルトか?」

「はい。さようでございます」

 

 突然、話の中に出てきた名に反応したフールーダに、ジルクニフはいささか驚いた。

 

「知っているのか、じい」

「はい。憶えております」

 

 フールーダは深い皺の刻まれた顔を縦に振った。白いあごひげを撫でながら語る。

 

「アルシェ・イーブ・リイル・フルト。帝国魔法学院の生徒でも、若くして第2位階魔法を習得し、そのうち第3位階魔法にまで手をかけるのではないかと思っていた天才ですな。また、魔法の才だけではなく、目視した相手の魔法の力を見極めるというタレントを保有しておりました。いずれ、もっと高き(いただき)に立てるかと期待しておったのですが、ある時、何かの理由で学院を止めてしまいました。その時は愚かな事をと失望したものですが……。そのような才あるものが、実家の金稼ぎの為などというくだらぬことで命を落とすとは……」

 

 口惜しさと憤りの色をにじませるフールーダ。

 だが、それにロウネは言葉を返した。

 

「いえ、そのアルシェという者は死んではおりません」

「ぬ?」

 

 その答えにはフールーダも虚をつかれた。

 

「どういうことだ? ワーカーをして金を稼いでいたアルシェが死んだから、もはや彼女が稼ぐ金がその家に入ってこなくなったという話ではないのか?」

「エ・ランテルに行っている諜報員からの情報ですが、そのアルシェという娘は、現在もそちらでワーカーとして活動しております。アルシェが所属している『フォーサイト』というワーカーチームは、普段は帝都を中心に活動しているようですが、しばらく前にカッツェ平野のアンデッド狩りにおもむき、その後、エ・ランテルに向かった際、そこでズーラーノーンの引き起こしたアンデッド騒ぎに巻き込まれました。その騒ぎを生き延びた後、そのままそちらで長期にわたって活動しているようです。エ・ランテルでは冒険者が減少した分、代わりにワーカーを雇い入れるなどしており、彼らにとっては好待遇で金が稼げる場となっておりますので。ただ――」

 

 皆がロウネに顔を向け続きを促す。

 

「ただ、その事はフルト家の者は知らず、すぐに帰ってくると思っていたのにいつまでも戻ってこない事から、死んでしまったと勘違いしたようですな。それで慌てた当主が金策に走った結果、それが高利貸しの耳に入り、借金を取りたてられる羽目になったと」

 

 ロウネの口から語られる実に馬鹿馬鹿しい顛末に、その場にいた誰もが嗤笑(ししょう)を顔に浮かべた。

 本人は貴族位を剥奪されるほど無能であり、それでも娘の才に寄りかかって生きながらえてきたのに、早とちりで勝手に動いて、更に事態を悪化させたのだ。

 

「ははは。そんな奴から貴族の位を取り上げた私には先見の明があるだろう。お前ら、私を褒め称えてもいいぞ」

 

 その言葉に再度、どっと笑いが起きる。

 

「なるほど。そんな奴なら万が一、今回の事で王国との関係が悪化したとして、その全責任を取らせても、帝国としてはなんら惜しくもないな」

「法国も考えたものですな」

「ああ、まったくだ。さて、皆よ。とにかく、その件に関して帝国としては、現段階ではあくまで情報収集と様子見だ。送り出すワーカーを見繕っておけ。それと、エ・ランテルに潜り込ませている連中にはその事を伝えて、そいつらがエ・ランテルについた際には一度接触しておくことと、冒険者関連の情報には注視しておくように通達しておくように」

「ははっ!」

「うむ。さて、では次の件だが、例の邪教集団の方は……」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ――おや?

 

 

 門をくぐり、冒険者組合に足を踏み入れたアインズ扮するところのモモンは気がついた。組合内の空気がいつもと少し違う、張り詰めたものなっていることに。

 

 フルヘルムを動かすことなく、視線を巡らせると――その原因がいた。

 

 建物内の奥、普段冒険者たちがあれこれ雑談したり、情報交換をしたりなど、とくに秘密という訳でもないような内容を話すことができるようテーブルと椅子が複数設けられている一角があるのだが、そこに二桁ほどの人影があった。

 

 もはやエ・ランテルの冒険者たちの顔は覚えきったアインズである。だが、その一団は冒険者のような装備と雰囲気を醸し出しているが、アインズには見覚えのない者達であった。

 一瞬、よそから来た冒険者かなと思ったものの、彼らの首元を見てその素性は知れた。

 

 首に冒険者のプレートがない。

 彼らはワーカーだ。

 

 

 実は他の街から来たワーカーがエ・ランテルの冒険者組合を訪れるというのは、これまでにもあった。

 このエ・ランテルは、先日のズーラーノーンが引き起こしたアンデッド騒ぎの際に、戦える者達の被害が多く出た。その犠牲者の中には兵士だけではなく、冒険者もまた多く含まれており、結果、エ・ランテル近郊で怪物(モンスター)退治をする者が減少してしまったのだ。その不足分を補うため、エ・ランテルの冒険者組合はワーカーとして活動していた者達を冒険者として転向させたり、また彼らに依頼を廻したりなどの措置を行ってしのいでいた。

 その話を聞いた他の街のワーカーたちが、自分たちもその優遇措置のおこぼれをあずかれるのではないかとエ・ランテルを訪れることがままあった。

 

 だが、あくまで冒険者組合がそのような対応をしたのは――この前エ・ランテルを離れたフォーサイトのように――アンデッド騒ぎの際、ともに街を守るために戦ったワーカーのみであり、それ以降に来た者達は対象外とされた。

 危険な時に背中を預けて戦った仲間は、例えワーカーといえど信用できるが、報酬目当てに寄って来ただけの者達は信用が置けなかった。

 そうした事情が知れると、やって来たワーカーたちはまたさっさと元の街に戻って行ってしまった。

 

 

 ――おそらく、またその手合いの者が来たのだろう。

 

 そう判断すると、アインズはそれ以上気にすることは無く、受付嬢の下へと足を運んだ。

 

「依頼は片づけてきた。新たな依頼はあるか?」

「は、はい。モモンさん。その……実は指名依頼が入っております」

「ほう?」

 

 緊張した様子の受付嬢に続きを促そうとしたところ、後ろから声がかけられた。

 

「おお、あなたが噂のモモンさんですか?」

 

 視線を巡らせると、先程のワーカーらしき集団と共にいた藍色のローブに身を包んだ人物が近づいて来た。

 深くかぶったフードに隠されているが、肩まで伸ばしたつややかな金髪に、陽光の下にさらしたならば世の女性たちが放っておかないであろう甘い顔をした若い男。

 

 彼は微笑みを浮かべて、丁寧に頭を下げた。

 

 

「私はエッセと申します。古代遺跡の研究をしている市井の学者でございまして。実はトブの大森林内にあるというダークエルフの遺跡の調査におもむくつもりなのですが、護衛としてあなた方を雇いたいと思っております」

 

 

 

 




 ようやく触れられましたが、ザイトルクワエ戦の前に見つけた人間の死体は、帝国のワーカーに偽装した調査隊です。トブの大森林内で法国が何かしているのではないかと素性を隠し、調べに入ったところ、たまたま『落とし子』に襲われて全滅しました。


 書いてから、ルベリナがミドリムシを知っているのかという事に気がつきました。
 きっとルベリナがミドリムシを知っていたのは、八本指が麻薬などを研究する際にミドリムシだの、クロレラだの、ビフィ〇ス菌だの、血がさらさらするブレスレットだの、波〇水だのも調べていたからでしょう。

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