オーバーロード ~破滅の少女~   作:タッパ・タッパ

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2016/8/26 章に侵入者編と入れたため、タイトルから「侵入者編」を取りました
2016/8/26 「シャドーデーモン」 → 「シャドウデーモン」 訂正しました
2016/10/9 短杖にちゃんと「ワンド」のルビがついていなかったところがあったので訂正しました


第45話 分断

 〈永続光(コンティニュアル・ライト)〉のかけられた短杖(ワンド)を前にかざす。

 石造りの地下道は、沈鬱な雰囲気を漂わせる闇の中、ゆっくりと下へと続いている。

 

 その明かりに照らされた通路を進むアインズに〈伝言(メッセージ)〉が届いた。

 

《もしもし、アインズさん。そっちの調子はどうですか?》

《どうも、ベルさん。こちらは変わらずですよ》

 

 スリットの隙間から、歩みを合わせる同行者たちの姿を眺める。

 皆、顔に緊張と警戒の色をたたえつつも、そこはさすがに慣れたもの。特に気負いすぎるような様子もなく、隊列を維持しつつゆっくりと進んでいく。

 

《そうですか。それなんですがね。そろそろ、強制イベントでもあっていい頃だと思いませんか?》

《こっちとしては早く来てほしいところですけどね。いい加減、ただ進むのも飽きてきましたし。そちらから、そう言うって事は何か使えそうなのありました?》

《ええ、トブの大森林を捜索していた悪魔たちが見つけてきましたよ。マンティコアを》

《そう言えば、トブの大森林上空を飛んでた時に、それっぽいのに襲い掛かられた記憶がありますね》

《そうなんですか? まあ、それはいいとして、天然ものが3匹ですからね。ナザリックの仲間を襲いたがらないってのも無いですし、自演にはばっちりですよ》

《自演というのは聞こえが悪いですね》

《おっと、失礼。演出でした》

 

 そう言って、魔法の回線上で2人は笑いあった。

 

《でも、マンティコアの襲撃だけだとどうですかね? マンティコア1体はミスリル級程度の実力があるパーティ―なら倒せますから、それだけでは……》

《ええ、そうですね。ですから、その襲撃と同時にですね。転移のマジックアイテムを使って、それぞれチームごとに迷宮内に散らしてやろうかと》

《転移アイテムですか? ユグドラシル時代ならともかく、この世界ではとんでもないレベルのアイテムらしいんで、不自然じゃないですかね》

《なに、大丈夫ですよ。ほら、この迷宮って、ダークエルフによって遥か古代に作られたって事になってたはずでしょ?》

《ああ、そう言ってましたね》

《ですから、現代ではありえないそんな魔法の品があってもおかしくはないですよね》

《確かに、そうですね。それで転移アイテムを使うのはいいんですが、具体的にはどうやって?》

《トラップ系のを使います。それなら効果範囲広いですし》

《トラップですか? いや、それだと、またティアに見つかって避けられたり解除されたりするのでは?》

 

 アインズの脳裏に、ここまで迷宮内に仕掛けておいたトラップを片っ端から解除された苦い記憶がよみがえる。

 

《まあ、それは使い方次第ですよ。怪物(モンスター)にそれを持たせた上で突っ込ませて、巻き込む形で問答無用で飛ばしてしまいます》

《うーん……。しかし、それでも近づく前に倒されたら意味ないですよね。特に、その……またティアは手裏剣とか遠距離攻撃も出来るみたいですし》

《そのためのマンティコア3体ですよ。そいつらに暴れさせて注意を引き付けた上で、奇襲をかけます。それとティアに関してはちょっと考えが。ルプスレギナにですね……》

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「ふむ、これは……」

 

 その空間に足を踏み入れた者達は皆、思わず上を見上げた。

 かなりの広さを持った円形の一室。しかし、その天井はこれまでの部屋と異なり、見通せぬほど高い。

 頭上に明かりを掲げるも、そのはるか上にわだかまる闇の奥までは照らし出すことは出来ない。まるで石造りの塔の内側である。

 室内を探索する彼らの足元で砕けた石片が音を立てた。

 

「ここは螺旋階段でもあったのでしょうか?」

 

 つぶやくその手が触れられた先、規則正しく積まれた石積みの壁面には、(いにしえ)の昔はそこに石板が埋め込まれ、足の踏み板となっていたであろう痕跡が螺旋状に上へと続いていた。

 

 

 誰もが、この地に刻まれた長い時の流れを感じる中、この場にいる者達の中でアインズとルプスレギナだけが、それはただ単に最初からそういう設定で作られたものであり、上に行くには登攀するか〈飛行(フライ)〉の魔法を使えという意味でしかないという事を知っていた。

 

 

 はるか頭上には横穴はあっても、そこへ行くための階段は崩れ去っており、自分たちでは到達は不可能と悟った一行は、入って来た入り口の他、広間に3つある通路のうち、どれを選ぶべきか頭を悩ませていた。

 

 

 結局のところ、特に判断材料もないことから、棒を倒して適当に選んだ一つに入ろうという事で話がまとまりかけた時――不意に風切り音が耳に届いた。

 

 驚きとともに顔をあげる。その音の正体に皆がとっさに壁際に飛びのいた。

 部屋の中央に土煙を撒き散らしながら舞い降りてきたのは3体の、ライオンの身体に蝙蝠の翼、そして毒蛇の尾を持つ魔獣、マンティコアであった。

 

「マンティコアか。気をつけろ。固まるな。魔法攻撃を食らうぞ」

 

 アインズがそう指示するより早く、他の者達は適度な距離を開けて散開し、突然襲ってきた魔獣にも慌てず対峙した。漆黒の剣だけは、一度固まった後、アインズの声に慌てて動いた様子だったが。

 

 

 そうして、突然現れた魔獣と人間たちはにらみ合いつつ、じりじりと移動してポジションを変え、中央に陣取る魔獣を半包囲で囲むように陣形を整える。

 

 その時、機先を制するように1体のマンティコアが、身を乗り出し吠えかかった。

 

 それに合わせてティアが、手裏剣を投げる。

 その狙いは魔獣本体ではなく、床に放り投げられた短杖(ワンド)によって照らしだされた、壁面の黒い影。

 石壁に映し出された影に、その鋼の切っ先が突き刺さると同時に、魔獣の動きがとまった。

 

 

 忍の持つ忍術、《影縫い》

 影に刃を突き立てることによって、抵抗に失敗した者の動きを制限する技である。

 

 

 あまり長くは押しとどめておけないが、今、この場の拮抗が大きく崩れたのは明白であった。

 そして、この場にいるのは、その隙を逃すような者達ではない。

 ……『漆黒の剣』以外は。

 

 アインズが動く。

 狙いは身動きが取れなくなったマンティコア。

 その切っ先を首筋めがけて振り下ろす

 

 ――と、思いきや、力で剣閃を強引に変え、そちらを牽制しようと動いたもう一体に大剣を叩きつけた。

 

 しかし、さすがはそれなりに高レベルの魔獣であるマンティコア。

 オーガなどならば、一撃で一刀両断されるところであったが、その刃は皮を切り裂き、肉をえぐったものの、骨を断ち切るところまではいかなかった。

 苦痛の唸りをあげながらも、獣の生命力はまるで減じたところを感じさせず、その戦意は衰えを見せるどころか、ますますもって荒れ狂った。

 

 魂まで凍らせるように、牙をむき出し威嚇の吠え声をあげるその姿めがけ、アインズは足元の石くれを蹴り飛ばした。

 石くれと言っても、それは一抱えもありそうな巨大な塊。それが凄まじい速度で飛び、狙い(あやま)たず、魔獣の額に直撃した。

 いかに強大といえど、たまらず(ひる)んだ声をあげるマンティコア。

 その様子をただ見ているだけのアインズではない。

 (つぶて)を蹴り飛ばすと同時に、宙に身をひるがえしており、次の瞬間、全体重をかけてその大剣を振り下ろした。

 

 その一撃は、金の(たてがみ)ごと、獅子のそっ首を切り落とした。

 

 

 他の一体が、仲間を殺した漆黒の全身鎧(フルプレート)に向けて、負の衝撃波を幾重にも放つが、直前、ルプスレギナが唱えたなんらかの魔法の守りによるものか、その邪悪な力が鎧の奥にある身体に痛痒(つうよう)を与えた様子はなかった。

 突如、その衝撃波の連打がかき消え、苦悶の叫び声があがる。

 マンティコアの猛々しい獣性をみなぎらせる獅子の顔、その片目をティアの手裏剣がとらえていた。

 

 その攻防の隙に、パルパトラ率いるワーカーチームは、ティアの《影縫い》によって身動きが取れなくなっている一体に狙いを定めて執拗に攻撃し、その背に生える蝙蝠の翼を半ば切断し、重傷を負わせることに成功していた。

 

 

 そんな中、『天武』もまた動いた。

 エルヤーはその天才的と称される剣を振るう。

 鋼の刃が、魔法の明かりの中、その軌跡を閃かせ――。

 

 

 

 ――ティアの背を切り裂いた。

 

 

 

 誰もが驚愕に目を見開く中、ティアががっくりと膝をつく。

 背後から袈裟切りに斬りつけられたその背には、ピンク色の肉が脈動する所が見えるほどの深い傷が口を開け、吹き出す鮮血は見る見るうちに石床に血だまりを作っていく。

 今すぐ治癒しなければ生命の危機であることは明白であった。

 

「な、何をやってるんですか、あなたは!?」

 

 ニニャが叫ぶ。

 彼――?――は道中見てきた、エルヤーの仲間であるエルフ女性に対する扱いに、かつて貴族に奪われていった自らの姉の姿を見て取り、義憤に胸を燃やしていた。

 

 だが、言われた男は動揺することなく薄笑いを浮かべる。

 

「さて? ちょうどいい頃合いですね。冒険者モモンおよび『蒼の薔薇』のティア、それとおまけの連中はダンジョン内で魔獣に遭遇し、命を落とした。そんな筋書きさえあれば十分でしょう。パルパトラ、あなたもさっさとそいつらを始末してください」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 その言葉にパルパトラは顔をひきつらせた。

 

 ――この男……こんな時になんということを言うんじゃ……。

 

 冒険者とワーカー。

 立場は違えど、怪物(モンスター)の脅威にさらされたときには、共に手を携え協力するのが不文律とされている。少なくとも建前上は。

 それをこのエルヤーは怪物(モンスター)を目の前にしておきながら、仲間である冒険者に手をかけた。

 それも背後から斬りつけるという、最悪のやり方でだ。

 

 しかも、相手はアダマンタイト級冒険者。

 もし、この話が広まったら、ただではすむまい。それはエルヤー達『天武』だけにとどまらず、パルパトラたちも巻き込まれることは間違いない。

 今、エルヤーは最初からの筋書き通りと言った体で、パルパトラに声をかけたのだから。

 

 ――それも、狙っての事か? 態度を決めかねていた、わしの退路を塞ぐために。

 

 このエルヤーの行為とその台詞を広まらせずに隠蔽するには一緒に来た冒険者たち、『漆黒』のモモンとルプー、ティア、そして『漆黒の剣』の面々、全てを殺して口封じするしかない。

 確かに当初予定はモモンのみの暗殺であったが、こうして全員で動いている状況では、彼ひとりを秘かに暗殺するのは不可能に近い。その為、この場にいる学者に雇われたワーカー以外の者達、冒険者組をすべてまとめて始末するというのは悪い手ではない。

 

 任務達成のみを考えるのならば。

 

 

 しかし――。

 

 パルパトラはちらりとその視線を彼の雇い主、学者のエッセとボーマに走らせた。

 

 ――しかし、それは危険だ。

 冒険者たちをすべて殺し、モモン暗殺の任務を達成したとして、それで終わるとは限らない。

 この学者を名乗る2人は油断ならない。今回全ての事の口封じをするために、自分たちワーカー組もまた殺される危険性を秘めている。

 どうやらエルヤー自身は己の腕を過信しているのか、その可能性は考えていないようだが。

 

 ――どうすればいい? どう立ち回るのが、一番いい?

 

 

 考えたのはわずかな時間のみ。

 数秒のことながら、必死で思考を巡らせたパルパトラが選んだ行動は――。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

 

 

 

 他の冒険者たちから猜疑の目を向けられていた老人、パルパトラは首を左右に振り、モモンの後方へと足を進めた。

 そこで油断なく、手にした槍先をエルヤーの方へと向ける。

 リーダーである彼がそうしたことにより、彼の仲間たちもまた、その背後で陣形を整え武器を構えた。

 

 その様子にエルヤーは不快気に顔を歪ませ、エッセと名乗る学者は微かに目を細めた。

 

 

 

 手負いの魔獣が怒りの咆哮をあげる。

 その雄たけびが反響する石室内で、互いに刃を向け、にらみ合う人間たち。

 

 

 そんな彼らの頭上から、また新たな音が近づいて来た。

 

 鳥の羽ばたく音ではない、カチャカチャと骨の打ち鳴らされる音。

 見上げた者達の目に飛び込んできたのは、円筒状の光すら届かぬ虚空の闇の中から現れた白い飛来物。骨のハゲワシ(ボーン・ヴァルチャー)の群れであった。

 そいつらははるか頭上で一回転したかと思うと、水に飛び込むカワセミのように、翼を折りたたみ一直線に降下してきた。

 その様はまるで、幾本もの投げ槍が狭い空間に降り注いできたかのよう。

 

 だが、幾人かの目には、その飛来するアンデッドの足がなにかを掴んでいるのが見て取れた。

 なにか、それは危険であると直感の働くものを。

 

 

 

 痛む身体を動かし、ティアが飛来するアンデッドたちを撃ち落とそうと手裏剣を構える。

 

 ――だが、

 

「危ないっす!」

 

 その体にルプスレギナが抱きつき、上から降り注ぐ危険から彼女をかばおうと、その身を自らの身体で覆い隠す。

 ティアは抱きつかれた事による苦痛と、計らずもルプスレギナによって自分の行動を邪魔された事に口をゆがめた。

 

 

 瞬間、アインズも動いた。

 彼の扮するところであるモモンの任務は学者たちの護衛である。学者のエッセとボーマをかばおうと、そちらに飛んだ。

 それを見て、標的であるモモンを逃すものかとエルヤーもまた距離を詰める。

 

 

 様々な思惑が重なり、結果、遠距離攻撃で撃墜されることなく、骨のハゲワシ(ボーン・ヴァルチャー)達は距離を詰めた。

 そして、その足で掴んでいたマジックアイテム、転移の宝石を発動させる。

 

 

 一瞬の光が次々と閃いた。

 

 ほんの数秒の後、その場には傷ついた2匹のマンティコアのみが、怒りをぶつける相手もなく、ただ吠え声をあげるのみであった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「……っ(つう)……」

 

 ティアがその身に走る感覚に、思わず呻き声をあげる。

 膝に手を当て、気合の声とともに立ち上がった。

 

 すでにルプスレギナの回復魔法によって背中の傷はふさがっているが、それでも血を失いすぎた。寒気を伴う倦怠感が、その小さな体を襲う。

 

「申し訳ないっす。もっと高位の回復魔法を使えれば良かったんすが……」

「いや、仕方がない。命があるだけ儲けもの」

 

 しょんぼりとした雰囲気で言うルプスレギナに、慰めの言葉をかける。

 エルヤーに切られた傷はかなり深く、それをふさいだだけでもそれなりの技量が必要であり、この上、更に失血による体調不良まで治すのは彼女の鬼リーダー、ラキュースでも無ければ難しい。

 

「それより、ここはどこだろう? まさか、私たち2人の愛の巣?」

 

 辺りを見回しながら言う言葉にも力がない。

 いつものおかしな冗談すらも、まったくキレがないほどだ。

 

「さあ? なんか光ったと思ったら、ここにいましたから、転移か何かでは?」

「転移? まさか、そんな凄い魔法のアイテムが……」

 

 信じられない思いであるが、周囲の様子を見るに、あながちないとも言いきれない。

 

 今、彼女たちがいるのは、先ほどまでの石造りの部屋と回廊などという場所ではない。壁や天井にヒカリゴケが生えている洞窟の中である。あの場所から、どうやってここまで移動したのか、それも大けがを負った自分が、という事を考えるとやはり魔法による転移という推察は的を射ている気がする。

 

「それにしても他の皆は?」

「さあ、気がついたら私たち二人だけだったんで。もしかしたら別々に転移させられたのかも」

 

 答えたルプスレギナが、再び落ち込んだ様子を見せる。もし頭に犬耳でも生えていたら、その耳をうなだれさせるくらいに。

 

「申し訳ないっすー……。あの時、私がティアさんをかばおうとしなければ、ティアさんは何とか出来ていたっすよね?」

 

 確かにその通りだ。

 あの時、ルプスレギナが余計な事をしなければ、手負いとはいえアダマンタイト級冒険者、ティアの手裏剣によって骨のハゲワシ(ボーン・ヴァルチャー)達は近づく前に撃ち落とされていただろう。そうだったならば、あのアンデッド達が持っていた転移のマジックアイテムを発動させることも出来ず、こんな状況には陥ってはいなかっただろう。

 

 だが、悪手だったとはいえ、あの時にルプスレギナの取ったとっさの判断は責められるものではない。

 彼女とは昔からのチームでもなく、今回の探索で初めてともに行動することになった間柄である。当然ながら、互いの能力は十全に知りえているという訳でもなく、その連携にずれが生じても仕方がない。

 それに彼女は重傷を負ったティアを守ろうとその身をはったのであり、その自己犠牲をも厭わぬ精神には、ティアとして何も言えなかった。

 それに、目を見張るような美女であるルプスレギナに抱きつかれたのは役得でもあったし。

 

 

 

 コツコツコツ。

 

 その時、音が聞こえた。

 誰かが洞窟の奥、暗闇の向こうから歩いてくる。

 

 ティアは慌てて、ルプスレギナをその背にかばう。いまだ、力は入らないが手にした刀を構える。とにかく今はルプスレギナと2人、協力して他のメンバーと合流せねば。

 

 腰を落として身構える彼女の前に、その足音の主が姿を現した。

 

 

 現れたのは男性である。

 南方で着用する者がいるスーツという衣服を身に着け、丸眼鏡をかけた人物。

 その口元は笑みを形作られているが、それは決して親しみなどではなく、人をだまし傷つけることを喜びに思うもののそれである。

 そして、何よりティアの目に飛び込んできたのは、その腰の後ろ。

 銀の輝きを放つ硬質な尾が伸びていた。

 

 

 悪魔。

 

 およそこの地における邪悪さの象徴であり、殺戮と破壊、そして人間の堕落に喜びを見出す存在である。

 

 ティアが警戒心を強めたのは、その姿が人間に近しいものであったからである。

 一概にすべてそうだという訳ではないが、低級の悪魔ほど黒い肌に蝙蝠の翼という人間離れした姿形を持っており、人間に類似したものは高位の悪魔である事が多いというのは、イビルアイから聞いたことがある。

 

 

 ごくり。

 ティアが生唾を飲む音が、他に音もない洞窟内に響いた。

 対峙しているだけで、思わず冷や汗が滴る。

 

 

 だが、警戒を強め勇み立つティアに対し、現れた悪魔は何ら気負うことなく距離を詰め優しく話しかけた。

 

「やあ、初めましてお嬢さん。さて、本来であれば自己紹介するところですが、少々時間がもったいないのでそれは省略させていただきましょう。なに、ちょっとあなたを招待するだけですとも」

「……初対面で名乗らない人にはぺろぺろキャンディーをもらってもついていくなと、ウチの鬼保護者から言われている」

 

 その言葉に、悪魔は大仰に嘆いて見せた。

 

「ああ、なんという事でしょう。己が身が危険に巻き込まれるのを警戒するあまり、信じる心を失くしてしまうとは。人を信じられない人間ほど、哀れで悲しい存在はないというのに」

「誰も信じない人間は愚かだけど、誰でも信じる人間はもっと愚か。あなたは信じられない側」

「おっと、それは心外ですね。私ほど誠意溢れる者はいないと自負しておりますが」

「人を見る目はあるつもり」

「そうですか。ですが私は人ではなく悪魔ですので。あなたは悪魔を見る目はございますか?」

 

 そうにこやかに笑う。

 その笑みに、ティアの背に戦慄が走った。

 思わず早くなる呼吸を整え、思考を巡らせる。何としてもこの場から、せめて後ろのルプーだけでも逃がさなくてはならない。

 

「まあ、おしゃべりはこの辺にしておきましょうか。では、始めてください」

 

 その言葉にティアは身を固くし、何が来るかと目の前の悪魔の一挙手一投足に目をくばる。

 

 

 だが、衝撃は前からではなく、後ろから。

 彼女の後頭部に走った。

 

「とあ」

 

 軽やかな声とともに、ティアの視界が大きくぶれ、あまりの衝撃に意識が一瞬朦朧とする。

 訳が分からず、驚きとともに膝をついて振り返ると、美しい褐色肌を持つ赤毛の女神官がその手の武器を振り下ろしていた。

 

「ありゃ? 気絶しないっすねー」

「やれやれ。上手く一撃で仕留めてあげないといけませんよ」

「はい、すみませんっす。デミウルゴス様。いやあ、人間って力加減を間違えると、簡単に死んじゃうもんっすからねぇ」

 

 呑気な感のあるルプスレギナの言葉に、デミウルゴスは渋い顔をした。

 

「ルプー。先ほど私は彼女に名を名乗らなかったのですよ。あなたが私の名前を言ってしまってはダメでしょう」

「あ、それは申し訳ないっす」

 

 

 目の前で繰り広げられる会話を、ティアは信じられない思いで見つめていた。

 

 ――この悪魔と、ルプーという女神官は旧知の間柄のようだ。

 一体いつからだ? 最初からか? それとも、ここに転移したときか? いや、そもそも、彼女は本物のルプーなのか?

 

 混乱するティアに、再びデミウルゴスが目を向ける。

 

「おっと、主賓を放っておいてはいけませんでしたね。これは失礼を。まあ、落ち着いて。気を楽にして、『体の力を抜きなさい』」

 

 その言葉が発せられた瞬間、ティアの全身から力が抜けた。

 一体何をされたのかも理解できないまま、地面に転がる。

 

「さて、今度こそ、ちゃんと気絶させてくださいよ。力加減を誤って殺してしまうと、蘇生させる手間がかかりますからね」

「はいはい、今度こそ任せてくださいっす」

「そういう訳ですので、ティアさん。あなたは何の心配することもなく気を失って構いませんよ。あなたから少々情報を聞き出したいだけですので。ああ、ご心配なく、あなたが私たちに情報を漏らしたことは誰にも教えませんとも。そして、あなたが良心の呵責に悩む必要性すらありません。私たちに情報を教えたという記憶自体も消してしまいますので」

 

 悪魔の宣言に背筋が凍った。

 自分の記憶すらも、勝手に書き換えるという。それが本当に出来るかどうかは分からないが、不快極まりないものであることは間違いない。

 必死で起き上がろうとするも、長年共に厳しい修行を続けてきたはずの彼女の身体は、主である彼女に反抗するかのように、ピクリとも動こうとはしない。

 

「じゃあ、ちょっと痛いけど我慢してくださいね。チャー、シュー、メン!」

 

 陽気なルプスレギナの声とともに、聞こえる風切り音。

 強い衝撃と共に、ティアの意識は闇の中に沈んでいった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「よし! 上手くかかりました!」

「うむ。ては、皆の者! せーので一息に引くそ」

 

 パルパトラの声に、手の中のロープを握りしめ、皆が頷く。

 そして、掛け声とともに力を込めて一気に引っ張った。

 彼らの手にしているロープの先、輪を作ってひっかけられていた宝箱には、あらかじめ別のロープが上部に括りつけられている。下端に結わえられたロープが引っ張られることにより、狙い通り宝箱は音を立ててひっくり返った。

 おそらく中には重量のあるものが複数はいっていたのであろう。逆さになった宝箱はその半円筒状の上部を下に、ゆっくりと重心を移動させて前後に動く。

 その様子をパルパトラ率いるワーカーチームと『漆黒の剣』は、部屋の外から壁に身を隠すようにして見つめていた。

 

 大きかった揺れが段々と小さくなり、やがてその動きがとまった。

 それを見届けてから、なおもいくばくかの時間を待って後、ようやくパルパトラが動いた。

 口元を布で覆い、慎重に宝箱に近づく。その槍先で宝箱をつついた。

 最初は恐る恐る、段々と力強く。

 そして、それでも何も起こらないのを確認し、戸口に立つ仲間たちに合図を送った。皆がぞろぞろと室内に入ってくる。

 誰もがまだ、布で口元を覆い隠していた。

 

 パルパトラが目配せをすると、彼のチームの1人が宝箱に近づいた。

 そして、そのひっくり返った箱の底面、木板を取り出したナイフで削り始める。

 

 その後、しばらくの間、刃物が木を削る音だけが辺りに響く。他の者達は周囲に警戒の目を向けるが、彼らの目にとまるようなものはない。

 

 やがて、突き立てていたナイフの感触が変わった。ついに中まで貫通したのだ。

 彼は瞬時に距離をとる。弾かれるように他の者達もまた同様に部屋の外まで走って避難した。

 

 待つこと、しばし。

 そして、なにも起こらないことを確認すると、再び室内に戻ってくる。

 再度、宝箱に取りつくと、慎重に底の穴を広げていく。そうしていくうちに穴は広がり、大人の腕が突っ込めるほどにまでなった。

 その穴から器具を挿入し、中のものをゆっくりと掻き出す。

 宝箱の中にあったものは王国金貨であった。一掻きごとに、美しい金色を放つ金属片が床に煌めいていく。

 すべて取り出してみると、そこには金色の小山が出来ていた。見るだけで思わず、ため息が出るほどだ。

 

「やりましたね、パルパトラさん」

「ふう。いささか手間であったか、この金色の輝きを見れば、苦労が報われる気がするのう」

「はい。……ですが、その前のロープを張ったり、引っ張ったりの行動はいくらなんでも警戒のしすぎではないでしょうか?」

「警戒しすきくらいでちょうどええんしゃ。兵士の鍛錬に関しては、『訓練で流した汗の分、実戦で流れる血が減る』と言うしゃろ。それと同じで、警戒した時間の分たけ、わしらの寿命が延びるんしゃよ」

 

 ペテルは「そんなものでしょうか」と言い、床に転がる金貨を一枚、何気なく手にとる。

 それを横目で見ていたパルパトラは――。

 

「それに触るな!」

 

 ――と、警戒の声をあげた。

 

 

 突然の大声にペテルが目を丸くするうちに、その手から金貨が零れ落ちた。他の者が向けたいぶかし気な視線の中、ペテルは自らの手を押さえ、苦痛に顔を歪める。その指先は紫色に染まり、それが見る見るうちに広がっていく。

 

「毒しゃ! 解毒剤を!」

 

 その叫びに『漆黒の剣』の面々が狼狽(うろた)える中、ワーカーの1人がすぐに腰の袋から小瓶を取り出し、ペテルの手にかけた。一瞬、焼けつくような痺れが走った後、その手の痛みが潮が引くように消え去った。

 

 不思議そうに手を握ったり開いたりしているペテルにパルパトラが言う。

 

「金貨に毒が塗ってあったんしゃよ。それを素手で触ったんて、今みたいになったんしゃ。この手のものは下手に触ってはいかん」

「そうなんですか!? では、せっかく手に入れましたけど、この金貨は捨てるしか……」

「いや、毒さえ飛ばしてしまえばええんしゃ。素手で触らんようにして持って帰って、鍋にでも入れて火にかけるんしゃよ。そうすれば毒は飛ぶ」

「なるほど。パルパトラさんの知見には頭が下がります」

 

 傍らで聞いていたニニャが関心の声をあげた。

 

「なに、こういう稼業しゃ、色々古文書とかも調べてのう。昔、口だけ賢者と呼ばれたミノタウロスが書き残したという触れ込みの、トラップを書き記した本の中に、今あったような一節があったんじゃ」

「そんな物まで調べられてるんですか!?」

「『知は力なり。無知は罪なり』という言葉もあるしの。自分の命は一つだけしゃ。一見、無駄な警戒に思えるかもしれんし、時には手に入るはずのものを手に入れられず損することもあるしゃろう。しゃが、それで自分の命が買えたと思えば安いもんしゃ」

 

 自分たちがこの世に生を受ける前から危険な冒険の世界に身を置いていた、偉大な先達の実体験を伴う叡智に感嘆のため息をついた。

 

 

 そうして、金貨の山を直接触らぬよう注意しながら布袋に詰める作業に取り掛かる。今、この場にいる者達で頭割すると、結構な金額になる。本来、実力面などからいって『漆黒の剣』の分は減らされるはずなのに、この老人は彼らに関しても均等に分割することを約束してくれていた。

 ペテルはハッと、先ほどかけてくれた毒消しの代金の事に思い当たった。決して安い額ではない。

 だが、それに関しても別に金はとらないと、パルパトラは言った。

 

「一緒に迷宮に潜っておる仲間同士しゃ。別に気にせんでええ。その代わり、おぬしらも儂らか危険にさらされたときは助けてくれよ」

 

 自分たちより圧倒的に強者ながら、傲慢なところを欠片も見せず、共に行動する者達に気を配るその姿勢に、『漆黒の剣』の面々は敬意の瞳を向けた。

 

 

 

 そのキラキラとした瞳を向けられ、パルパトラは思った。

 

 ――こいつら、ちょろいのう。

 

 

 

 パルパトラがこんなにまで足手まといともいえる『漆黒の剣』相手に親身になって話したり、手持ちのポーションを使っているのに代金も請求しないというのは、もちろん打算あっての事だ。

 

 

 彼の目的は生存する事である。

 

 冒険者モモンの暗殺という依頼を断る事も出来ぬまま、迷宮に入ってしまい、二進(にっち)三進(さっち)もいかなくなった。どうにか事を収めてここから脱出せねばならない。

 

 モモンは暗殺など出来ぬほど強い。だが、逃げようとすれば、あの学者たちに殺されるだろう。いや、下手にモモンを殺してしまえば、口封じに消される可能性すらある。

 そこで、パルパトラとしてはまずはモモンの強さを見極めてから、隙を見てモモンに暗殺依頼の件を話してしまおうかとも考えた。

 だが、迷宮に入った一行は分かれる事もなく、ともに行動し続け、モモンと個別に接触する機会もなかった。

 そうこうしているうちに、現れたマンティコアとの戦いの際、一緒に暗殺依頼を持ち掛けられたエルヤーが、他の者の前でパルパトラに始末しろと言ってしまったのだ。

 

 それには泡をくった。

 それまでの道中でモモンの強さは分かってはいたが、彼が学者連中より強いかは分からない。一か八かの賭けなどする気もなく、どうすれば勝ち馬に乗れるか頭をひねっていたところだった。そんな時に自分の立場を示さなければいけなくなったのだ。

 

 そしてパルパトラが選んだのは、武器を構え、モモンの背後に位置するという事。

 別に直接、学者やエルヤーらに直接敵対するわけでもなく、威圧の雰囲気を出すだけである。

 

 もし、モモンら冒険者側が彼らを圧倒するならばそれで良し。

 逆にモモンらの情勢が不利と見たならば、彼を背後から攻撃し、自分たちはモモン側についたふりをして隙を窺っていたとでも言うつもりであった。

 

 だが、幸か不幸か、その後すぐに謎の怪物(モンスター)の襲撃、そしてなんらかの転移の魔法によって彼らは散り散りとなった。

 そして、気がついたらモモンや学者らは傍にはおらず、この『漆黒の剣』達が共にいたのだ。

 

 

 モモンや学者らがどうなったかも気になるが、パルパトラとしては今のうちに、彼らの信を取り付けておきたかった。

 なにせ、エルヤーがああも堂々と彼らも始末しろと口に出したのだ。

 出来るだけ恩を売って、あれはエルヤーだけの暴走であり、自分たちは関係ないという事を証言してもらわなくてはならない。

 その為、今回の宝箱から得た大量の金貨であるが、これもこの場にいる者達で均等に頭割する気であると言った。もちろん、強さや功績で言えば、パルパトラらのチームが多く取ってもいいのだが、気前よく報酬を分けることで、さらに彼らの印象を良くしておこうという魂胆である。

 

 

 それにしてもと、パルパトラは考える。

 迷宮に入った一団はあの転移によってばらばらになったようだが、彼らが合流する前に決着をつけていてくれないだろうか。

 上手くそうなっていれば、どちらに取り入るか分かり易くていいのだが。

 もし分かれている間にモモンが学者たちを倒していた場合、『漆黒の剣』に良くしていたのがプラスになるだろう。なんなら、暗殺に協力しろと脅されていたと言ってもいい。エルヤーの言葉に首を横に振ったのは、その場にいた者達全員が見ていたのだから、パルパトラが乗り気ではなかったことは明らかと思われるだろう。

 逆に、もし学者たちがモモン暗殺に成功していた場合は、さっさとこの『漆黒の剣』連中を殺して取り繕うつもりだ。その場合は危険だが、エ・ランテルに帰る途中で脱走するしかあるまい。

 

 比べて考えてみると、やはりモモン生存の方が都合がいい気がする。

 パルパトラは神などに祈りはしないが、もし上手くモモンが生き残り、学者が死んでしまっていたら、この後、一週間は酒を断つと心の中で願掛けをして祈った。

 

 

 そう考えていると、金貨を袋に詰め終わったようだ。仲間がずっしりと重い金貨を詰めた袋を担ぎ上げた際、袋の口から一枚が零れ落ちた。

 それは硬質な音とともに数度跳ね、そしてころころと転がり、パルパトラの濡れたような緑に輝く装甲靴(サバトン)へと当たって止まる。

 

 彼は何気なく、素手では触らぬようボロ布を使い、それをつまみあげ――。

 

 ――そこでピタリと動きを止めた。

 

 

 落とした金貨を拾おうと、こちらにやって来た彼の仲間が、老人の異様な様子に足を止めた。

 誰もがどうしたんだろうと疑念に思う中、パルパトラは金貨から目をあげ言った。

 

「お前ら、その金貨を下ろせ」

 

 突然の台詞に誰もが、虚を突かれる中、パルパトラはずっしりと重い袋を奪い、それを放り投げた。ざらざらと黄金色の物体が石畳の上に零れ落ちる。

 

「ど、どうしたんですか?」

 

 驚愕に目を見開きながら、ニニャが老人に声をかける。

 彼は口元を歪ませて言った。

 

「この迷宮は遥か古代、この地に住んでいたダークエルフの遺跡という話しゃったな」

「え? ええ、そう聞いてますけど……」

「昔、トブの大森林はダークエルフの支配下しゃったそうな。しかし、ある時、強大な怪物(モンスター)が現れ、森を追われたと聞く。その怪物(モンスター)とやらがどこから現れた、どんな怪物(モンスター)なのかは知る由もないかの。しゃが、少なくともそれは数百年は昔の事。魔神が暴れたという十三英雄の時代よりは前の事は確かしゃな」

 

 パルパトラの口から語られる話に、ニニャはきょとんとした。一体、それがどうしたのだろう?

 

「遥か古代の遺跡ならば、先ほど儂らが引っかかった怪物(モンスター)が持っていた転移のマジックアイテムがあるのも納得できるの」

「はい。そうですね」

「そんな古代遺跡に、これかあるのか?」

 

 つま先で、チャリと金貨の山をつつく。

 なおも理解できないニニャに、パルパトラはため息を一つつき、もう一度ボロ布で転がる金貨を一枚摘みあげた。

 

「見てみい。気つかんか?」

「何をです? これは……普通の王国金貨ですよね?」

「そうしゃ、エ・ランテルを始めとした王国内で流通しておる、ごくごく普通の王国金貨しゃ」

「?」

「分からんかの? では、一つ聞くがリ・エスティーゼ王国が出来たのは何時(いつ)しゃ?」

「え? それはたしか十三英雄の時代、200年位前で……!?」

「そういう事しゃ」

 

 パルパトラはようやく我が意を得たりとうなづいた。

 

「少なくとも200年以上は前の古代遺跡の中に、なんで200年内に出来た国の金貨があるんしゃ。おかしいしゃろ? それに、先ほどの毒もしゃな。普通、接触タイプの毒っちゅうもんは永いこと空気に触れておると効果を失っていくもんしゃ。それが、そこのもんが触れた途端、すぐに効果があらわれおった。時代的にあるはずのない金貨、それにまったく劣化していない接触毒、それと迷宮内に普通はおらんはずのサーベルウルフがいたこともそうしゃの」

 

 パルパトラは一同を見回して言う。

 

「この迷宮は明らかに古代遺跡ではないわい。つい最近、たれかが手を加えたもんしゃ」

 

 床に転がる袋からあふれる金貨の山を顎で指す。

 

「この金貨。そして、さっきの宝箱もしゃな。何者かが迷宮に入ることを予期して用意されたものしゃな。つまり、今、儂らがこうして宝を漁っているのも誰かの想定の範囲内というわけしゃ」

 

 その言葉に、誰もが思わず辺りを見回した。

 その目に動くものは見当たらなかったものの、誰かに見張られているのではという感覚がついて回り、その背がじっとりと濡れていくのを感じた。

 

「で、でも……エ・ランテル周辺でダークエルフの目撃例がありますから、つい最近、彼女らが集めたのでは……」

「だったら、なおさらしゃ。この迷宮に入ってすくの所にエルダーリッチとかがいたしゃろ。普通に迷宮に入ったら、あいつに攻撃されてしまうわい。しかし、この金貨を運び込んた者はあいつに襲われることなく、迷宮内、それも奥まで運び込んておる。つまり、この迷宮を管理している者達はエルダーリッチと敵対しておらん。そもそも、エルダーリッチが入り口にいることがおかしい。普通は迷宮の主でもおかしくないはずしゃからな。おそらくは番人として、真っ先に侵入者の迎撃に当たらせておったんしゃろう。つまり、この迷宮の管理をしている者は、そんなアンデッドですら配下として使えるほとの実力者っちゅうことしゃな」

 

 そう言って、もう一度深くうなづいた。

 

「そういう訳しゃからな。この迷宮の中のもんには手を出さん方がええ。下手に欲をかいて持って行こうとしようものなら、今も見張っているかもしれん何者かにちょっかい出されかねんわい」

 

 そう言うと彼は何も持たずに踵を返した。

 今の目的は迷宮からの脱出、ただ一つ。

 ただでさえ、モモン暗殺の件に対する対応で薄氷を踏むような事に巻き込まれているのに、この上さらに、この迷宮の主から狙われる様な事は、わずかな可能性でも避けたい。

 万難の危険を排して、命を大事にするというのがパルパトラのやり方だ。

 彼の仲間はその後に続く。これまで、そういったこの老人のやり方についてくることで命を長らえてきた者達だ。その判断には信を置いている。

 そうして、残された『漆黒の剣』の面々もそれぞれ顔を見合わせたものの、皆、首を縦に振るとパルパトラの後を追って走って行った。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 そして、誰もいなくなった室内。

 床に転がる金貨の山の傍らに伸びた影。それがむくりとその身を起こした。

 のっぺりとした頭部に冒涜的な印象をうかがわせる黄色い目を爛々と輝かせた悪魔は〈伝言(メッセージ)〉を使った。

 

《ベル様。()の者達は宝箱の金貨をすべて放棄し、脱出を図っておりますが、いかがしましょう?》

《うーん。そうだねぇ……》

 

 ナザリック第9階層の執務室において〈伝言(メッセージ)〉を受け取ったベルは、椅子の上に置かれたビロードのクッションに腰掛け、床に届かぬその足をぶらぶらとさせながら考え込んだ。

 彼女の目の前にあるテーブルには、皆が潜っているダミーダンジョンの地図が何階層分も置かれており、そのいくつかの場所には仕掛けたトラップを示すチップや、侵入している者達の現在地を示す色分けされた針が突き刺さっている。

 その内の二つ、灰色の針と小豆色の針を見つめる。

 

 しばらく考えた末、洞窟内のシャドウデーモンに〈伝言(メッセージ)〉を返した。

 

《いや、そいつらはいいや。おかしなことをしない限りは、そのまま、外に出してしまってもいいよ。冒険者モモンの名声の為にも、生き残りはいた方がいいし。まあ、そいつらがダンジョン内に用意した金貨や宝石を大量に持って行こうとしたんなら、殺して奪い返すところだけど、全部おいてったっていうんなら、わざわざ手を出さなくてもいいや》

(かしこ)まりました》

 

 そうして〈伝言(メッセージ)〉が切れる。

 ベルは今語った方針を他の者に伝えると、サイドテーブルに置いていた紅茶のカップを手にとり、ずずーっと音を立てて啜った。行儀悪いことこの上ないが、今この場にいる者達は、皆それぞれの作業に忙しく、(たしな)める者はいなかった。

 

 そして、机上の地図を見やる。

 そこにあるいくつかの針を眺める。

 こうしている今も、室内に控えている蟲人たちが、監視している怪物(モンスター)達からの情報をもとにリアルタイムで、それぞれを示すコマを移動させ、その動きを表している。そして、それをもとにアルベドが、ダンジョン内に展開させているナザリックの(しもべ)たちに順次、的確な指示を出していく。

 マンティコアを送った際に、なんだかよく分からない仲間割れのようなものがあったみたいだが、とりあえず、こちらの思惑通り、数チームに分断できたようだ。

 

 

 そんな中、今、見逃すことを決めた『漆黒の剣』とパルパトラらを示す針は順調に出口を目指している。

 先程示した方針に沿って、出口へ続く道以外は前もって連絡された(しもべ)達が順次、石壁で一時的に塞いでいくというやり方で誘導しているからなのだが。

 

 そしてもう一つ。赤い針と茶色い針は、無事にデミウルゴスを示すチップと重なっている。あちらは心配することは無いだろう。すでに赤い針は倒されている。

 

 最後に、ベルは地図の一角。

 最奥部に近い一室、地下神殿の祭壇に刺された3つの針。

 白い針、藍色の針、そして漆黒の針に目をやった。

 

  


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