2016/8/26 章に侵入者編と入れたため、タイトルから「侵入者編」を取りました
2017/5/7 「木偶の棒」→「木偶の坊」、「屍収集家と最前へ」→「屍収集家が最前へ」、「英雄象」→「英雄像」 訂正しました
「ぬうっ!」
エルヤーは思うようにいかぬ事に対し、苛立ちの声をあげて飛びのいた。
彼の目の前では、漆黒の
その様はエルヤーにとって、卓越した剣士である自分を侮辱しているとしか思えない仕草であった。
邪教の聖域とでもいう神殿。
そこはこれまで通って来た地下迷宮の内部とは思えぬ空間。
手にした灯りではその端の闇までは追い払えぬほど広大な一室。天井は鳥をも飛べるであろう程高く、左右には奇怪な文様が描かれた、大人が両の手を回して何とか届くほどの太さの石柱が無数に立ち並んでいた。だが見える範囲でも、そのうちの幾本かは根元から崩れ落ち、この場がはるかな時の流れの前に屈服し、荒廃の波に襲われた様子を漂わせていた。
その最奥部には、階段状に高くなったその上に鎮座する怪しげな祭壇。そしてその向こうには朽ちかけてなお、見るもの全てに醜悪さを感じさせる奇怪な石像が
だが、エルヤーの意識はそんな過去の遺物には見向きもしなかった。
彼の目の前には、暗殺依頼の対象である冒険者モモンがただ一人いるのみである。
その仲間である女神官ルプーやその力によって従えられた魔獣ハムスケ、及び、共に迷宮に潜った冒険者であるティア、『漆黒の剣』らはこの場にいない。雇い主である学者らや裏切り者のパルパトラらもいなかった。
今、この場にいるのは自分と自分のエルフ奴隷ども、そして、この漆黒の鎧に身を包んだ木偶の坊のみである。
まさに抹殺の絶好の機会である。
出来る事ならば、自分がこの男を倒す所を他の者にも見せてやりたかったが、それは我慢するよりほかにない。あまり望み過ぎても罰が当たるというものだ。一人でいる今のうちに、さっさと始末してしまおう。
うかうかしていると、他の邪魔者たちと合流してしまい、千載一遇の機会を逃してしまう事になるかもしれない。
エルヤーはそう判断すると、瞬時に〈能力向上〉を使い、モモンに対し躍りかかった。
だが、このモモンという男は一筋縄にはいかない存在であった。
最大の難題は、その鉄壁の防御であった。
全身を包むその
通常、切断や貫通は不可能にしても、鎧越しに攻撃を当てればその衝撃はその中、着ている人間へと伝わる。メイスなどの打撃武器ほど効果的ではないが、それでも剣で切りかかるという事は金属の塊を叩きつけているのと同じことだ。普通の人間ならば、何度も何度も受け続ければ、その衝撃によろめきもするだろう。
しかし、この男は動きを見るに、そんな鎧越しの攻撃になんら痛痒を感じている様子はなかった。
まあ、その程度ならば、鍛えあげた戦士の中には耐えきれる者もいてもおかしくはない。
それくらいはエルヤーとしても想定内である。
ならばと、今度は鎧の継ぎ目に狙いを定めた。
金属という固いものを身に纏い、そして動く関係上、どうしても固い防具と防具の間には境目が存在する。
もちろん、鎧を作る者、鎧を着る者にとってそこが弱点であることはよく理解している。そのため、そこに覆いをつける、金属部が重なり合うようにする、鎧の下にチェインメイルなどを着るなど、各種対策を施し、その不利を補っている。
だが、いかにそのような対策をしたとしても、頑丈な金属板である鎧の真正面より弱くなるのは、必然であり自明の理である。
エルヤーはそこを狙い、攻撃を仕掛けているのであるが……。
足音を響かせて突っ込んでくるモモンの突撃に合わせて、再びエルヤーの剣が閃く。
その振り下ろされる大剣を持つ腕の付け根、返す刀で肘の内側、そして身をひるがえして突進をさらりとかわし、すり抜けざまに
だが――。
――それら、板金鎧ではカバーしきれない弱点に対する斬撃、たとえチェインメイルで守られているとしても金属による痛打をされているはずなのに、モモンは負傷どころか、痛みをこらえる様子すらなく、平然と動き回っている。
逆にエルヤーの手には、まるで鉄床を叩いたかのごとき痺れが残る有様だ。
――いったい、こいつは何者なんだ?
エルヤーは額を流れる汗をぬぐった。
エルヤーは天才的な剣士であり、今となっては彼と渡り合える相手など数えるほどしかいない。そして、どちらかと言えば短時間で敵を仕留める戦いこそが彼のスタイルであり、あまり長時間にわたって剣を交え、鎬を削る戦闘というものは不得手ではある。だが、あくまで得意ではないというだけであって、これまでもそのような
だが、そんなエルヤーでさえ息を荒くし、その身に纏う衣服が水でもかぶったように湿り気を帯びるような状況に対して、目の前の男は息一つきらした様子もない。
常人ならば着て動くことさえ困難と思われる重量を持つであろう漆黒の
だが、この男はそんな装備でエルヤーとの命がけの戦闘を長時間にわたってこなしておきながら、まったく疲労の色を見せず、その無尽蔵とも思える体力は依然、底が見えなかった。
モモンの戦士としての動きは、エルヤーからして
多少はフェイントを使ったり、足さばきも工夫はしてはいるものの、それはお粗末と言えるレベルのもの。すこし戦士としての戦い方を真似てみた一般人。素人の生兵法といえる程度のものだ。
だが、その圧倒的なまでの膂力から
躱すことは容易い。
だが鉄壁の防御に阻まれ、こちらの攻撃が通らない。
また、その身に宿す超人的な持久力により、その動きが鈍る様子も見えない。
今はまだ、力任せのモモンの攻撃をひらりひらりと躱しているが、このままではいずれエルヤーは疲労で動きが鈍り、その恐るべき剣閃に捕らえられることは間違いない。
まるで悪夢の中での戦闘のようだった。
もはや、同じ人間を相手にしているとは思えない。
まるで石や鉄で出来たゴーレムを相手にしているかのような錯覚に襲われた。
――もしや、あの
そうして、エルヤーが口内に苦いものを感じ始めた時――。
――突然、モモンは後ろに飛びのき、その動きを止めた。
邪教の聖堂の最奥部。気が遠くなるほど古の昔、かつておぞましい儀式が行われていたであろう祭壇を背に、漆黒の戦士が仁王立ちで立ち尽くした。
ついに疲労で動けなくなったかと内心安堵しつつも、それはフェイクで自分が好機と見て必殺の一撃を放ったところにカウンターを入れようとする罠ではないかという思いもまた胸中をかすめた。
その為、エルヤーは距離をとりつつ、数度大きく深呼吸することで、自分の呼吸を整えるにとどめた。後ろに控える奴隷のエルフたちに、切れかけた補助魔法を重ねがけさせる。
「うーむ。やはり当たらんな」
だが、そんなエルヤーの行動には特に注意も払わず、その男はつぶやいた。
「これでも、以前より戦い方は身に着けたつもりなんだがな。やはり命を懸けない模擬戦とは違うな」
戦いの場、命のやり取りをする場にいるとも思えない、のんびりとした声。
この自分を前にして、そして剣を交えておきながらの呑気な声に、エルヤーの胸に怒りがともる。
「ふふん。子供ではないのですから、そんな幼稚な攻撃など当たるはずもないでしょう。今まで、よっぽど、弱者相手に威勢をはってきたのですね」
エルヤーは嘲笑した。
だが、それにもモモンは怒ることなく、肩をすくめるだけだった。
「まあ、やはりある程度は付け焼刃で何とかなっても本職の、それもそれなりの腕前の戦士相手での実践では誤魔化しも出来んか」
そういうと、片方の大剣は構えるでもなく無造作に肩に担ぎあげ、もう片方の大剣は床へと放り捨てた。重い金属が石畳の上に落ちるずしりとした音が響く。
「……ほう、今までは本気を出していなかったとでも?」
「いや、それなりに真面目にやっていたつもりさ。……戦士としてはな」
その言葉にエルヤーが眉を顰める前で、彼は剣を手放し空いた、その黒い籠手に覆われた手を肩の高さまで上げた。
「さて、出来るだけ手の内は隠しておきたかったが、いい加減あまり時間をかけていると、そちらのギャラリーたちも飽きてしまうだろう。お前とは終わらせるとしようか」
ギャラリーという言葉にエルヤーは自分の後ろにいる奴隷のエルフたちに一瞬目を向けた。だが漆黒の兜、その奥の顔は分からないが、視線が向いているであろうその先には誰もおらず、ただ聖堂の闇だけが広がっている。
エルヤーが奇妙に思う中、モモンの手が横に払われた。
すると、それが合図だったかの如く、モモンの目の前、エルヤーとの間の空間に闇が生まれた。
エルヤーが目を見開く前で、闇は渦を為し、一点に収束していく。
そして、それが一瞬握りこぶしほどになったかと思うと、次の瞬間、はじける様に広がった。
その場にいた者達は我が目を疑った。
つい先ほどまでその場にいなかった存在。
音すらなくそこに現れたのは1体のアンデッド。
長年危険な世界に身を置いて来たエルヤー、人間よりはるかに長い時を生きるエルフたちですら名前も知らぬ異形のアンデッド。
全身を
誰がたてたかは知らないが、ごくりと生唾を飲む音が、死の気配が充満した邪教の神殿内に響いた。
誰もが身動き一つすら怯える空気の中、この場にそぐわぬ、何でもない事を告げるような声が耳に届く。
「さて、じゃあ、お前の相手はこいつに任せようか」
モモンの声に、そいつが動く。
包帯のアンデッドが足を前に進め、エルヤーとの距離を詰める。
そいつの身体から繋がる鎖の先、頭蓋骨が奏でる叫びがより一層、その声を増した。
そのおぞましさと肌に感じる危険にエルヤーは一歩後ずさった。
「な、何なんだ? その化け物は!?」
「ん? 知らないのか? こいつは
それなりと言ったモモンの言葉だが、そのアンデッドから感ずる気配は、凄まじいの一言に尽きる。こうして対峙しているだけで、全身を包んでいた不快な汗の熱が冷めていくのを感じる。
「では、我が
自らの創造主の言葉に、その異形のアンデッドは雄牛の断末魔のような声をあげた。
そして、邪神を奉ずる冒涜的な空気を漂わせる神殿内に重い足音を響かせながら、全身の血が凍りつく思いにとらわれていたエルヤーに襲い掛かった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その戦いは熾烈を極めた。
先ほどまでのモモンとの戦いとは比べ物にならない。
「はあっ、はあっ!」
もはや、エルヤーは自分の息が切れているのを隠すことすら出来ない。
格好を取り繕うどころか、死なぬためにはなりふり構っていられず、大きく肩で息をして酸素を取り込む。
「ぬうっ!」
エルヤーは振り廻された剛腕を、身を低くして避ける。
本来ならば、そんな大振りの攻撃など、避けると同時にカウンターの一撃を叩きこむところだが、エルヤーはそのまま後ろに身を投げ出し、石床の上を転がって距離をとった。
普段の彼であれば、そんな無様な行為など絶対に忌避するところであるが、生命の危険の前にそんなことは言ってはいられない。
事実、彼が身をひるがえした場所は、数舜の時を置いて、金属の
エルヤーはこのアンデッドの攻撃に攻めあぐねるどころか防戦一方であった。とにかく必死で、その攻撃を避けるだけで精いっぱいである。
この
素手の一撃を食らえば、それだけで致命傷。だが、そちらに気を取られるあまり鎖の攻撃を受ければ、身動きが取れなくなったところに本命の攻撃を食らう。
重い一撃だけに気をつければいいモモンとは、その戦い難さは比べ物にならない。
とにかく、エルヤーに今、出来ることは避け続ける事しかできなかった。
だが、それで事態が好転するとは思えない。
何せ相手は疲労などないアンデッドだ。
どうにかして、この情勢をひっくり返さなくては、拙いことになるのはエルヤーの方である。
憎しみのこもった彼の目が、離れた場所で戦いを眺める、漆黒の鎧に身を包んだ、このアンデッドの召喚主へと向けられる。
もし、モモンが決着のつかないエルヤーと
この距離からでも、〈
遠くからちょっかいを仕掛けることで頭に血が昇り、直接攻撃を仕掛けてくるような馬鹿ならやる価値はあるが、さすがにモモン相手ではそんな手は通用するとは思えず、ただ、自分の手の内をさらす悪手としか考えられなかった。
そうしてエルヤーがこの状況を打開させる良手が思いつかないうちにも、このアンデッドは自らの身体につながる鎖を縦横無尽に振り回す。
空を切り裂き振り回されるその鉤先がついに、後ろに飛びのいたエルヤーのそのふくらはぎをとらえた。
激痛に身を
鉤先を外す暇などなくエルヤーの、重装戦士ほどではないがそれでも戦士として鍛え上げられ、常人よりは重い目方の肉体が軽々と宙に浮く。
その体は一直線に薄汚れた包帯に巻かれたアンデッドの
その体がくの字になって、再び空を飛んだ。
放物線を描いて固い花崗岩の床に、その身が叩きつけられる。
だが、一撃で骨が砕け、内臓が破裂するかという拳を受けておきながら、エルヤーは血を吐きつつも立ち上がった。
その理由は、とめどなく足から流れる鮮血。
彼は、空中で自らの足の肉を剣でえぐり、鎖によって引き寄せられる力を弱めた上で、振りぬかれる拳をその剣で受け止め、致命的な一撃となるのを防いだのだ。
一瞬で瀕死となるのを避けた代わり、その代償として足に大けがを負ったわけであるが――。
「おい、お前たち! 何をやっている! 早く回復をしろ、クズども!」
慌ててかけられたエルフたちからの魔法により、その流れ出る血は瞬く間に止まり、欠けた肉が見る見るうちに膨れ上がり、元へと戻った。
そうして、再びエルヤーが立ち上がるのを見たモモンは――。
「なるほど。これでは切りがないな。では、こう言うのはどうだ?」
そう言うと、再び、その手を横に振るう。
すると、先ほどと同様。彼の目の前に渦巻く闇が生まれる。
だが、先ほどとは異なり、その数は1つではなく、なんと6つ。
そして、その闇が収まった先に現れたのは3体の
その姿に瞠目するより早く、
エルヤーは、それを横っ跳びに回避する。
それにより、エルヤーと彼のエルフたちとの間が離れた。
それこそが、向こうの狙いであった。
「やれ」
モモンの言葉とともに、1体のエルダーリッチが〈
目標はエルヤーではなく、後ろのエルフたち。
突然自分たちが狙われた事に、驚いて飛びのき、その身を寄せ合うエルフたち。
そこへ、残りの2体のエルダーリッチが〈
彼女らの足元めがけて放たれた〈
他の一体も加わり立て続けに連打された〈
その様を為す術もなく見ているしかなかったエルヤーは、顔を歪ませ言った。
「やれやれ、弱いものから狙うとは。戦士として恥ずかしくはないのですか?」
「直接戦力ではなく補助要因から狙うのは、戦術の基本だろう?」
平然と言うモモンに憎々し気な視線を向けるも、戦いの
エルフたちという補助、回復要因がいない今、エルヤーの勝ちはほぼ失われたとみていい。
「奴隷とはいえ、彼女らは私の仲間でしてね。仇はとらせてもらいますよ」
そう言いつつも彼の頭は今、自分がいかにしてこの場から逃げるかという事しか考えていなかった。
エルフの奴隷など高い買い物ではあるが、あくまで替えのきくものでしかない。自分の命とは比べ物にもならない。
その様子を察知したのか
エルヤーはまた横へと飛んで躱す。
飛びのいたその足元に転がるのは、彼が大枚はたいたもののなれの果て。
彼は何の躊躇もせず、その焼死体を前面へと蹴り飛ばした。その死体によって視界をふさがれるなりして、一瞬でもこちらへの反応が遅れるなら儲けもの。
彼は蹴り飛ばすと同時に後ろを振り向き、一か八かこの聖堂から逃げ出すことを選んだ。
だが、振り向いた彼の目の前には、予想だにしていなかった姿。
トレンチコートを身に纏い、笑うような仮面をつけた異形の存在がそこにいた。
「……え?」
呆気にとられる彼の腹部に熱いものが走った。
下を見ると、そいつの手、刃物となっているその指先がエルヤーの腹部に収まっている。
その熱が痛みへと変わり、悲鳴の声をあげようとした瞬間――。
「がああぁっ!」
その背がのけぞった。
いつの間にやら近寄った
そして、
鉄の鉤に肉はおろか、骨までひっかけられているエルヤーは、そのアンデッドの歩く震動に、これまで彼が発したことのないような、肺腑から漏れ出るような悲鳴を上げた。
「やれやれ、油断大敵だな。私がアンデッドを出現させられるのは、私のすぐ目の前だけだと何故思った?」
そんなモモンの嘲り声も、背中の激痛の前に憎まれ口をたたくことすら出来なかった。
やがて、そいつが到達したのは邪教の祭壇前。
そこには奈落が口を開けていた。
おそらく往時は、想像するだに吐き気がするような残忍な方法で生命を散らされた生贄を、ここから捨て去っていたのであろう、井戸のような縦穴があった。
そのアンデッドはエルヤーに繋がれた鎖の反対側に今、息絶えたばかりの奴隷エルフの死体をひっかけた。
そして、エルフの亡骸を抱え上げると生贄を捨てる縦穴へ、そのもはや美しかった生前の面影も想像することが出来ぬほど醜くひきつった死体を放り投げた。
その背の肉をえぐる鉄鉤にかかる重みに、エルヤーの身体が引きずられる。
彼女らの肉体は焼け焦げたことで本来の重さではなくなっているのだが、踏ん張ろうにも臓腑や骨にかかる激痛に踏みとどまる事さえできない。
一気に後ろに引きずられ、縦穴を囲むようにある、人の腰ほどの高さの
必死で縁を後ろ手に掴み、落下を防ぐ。
3人分の死体の重みが、その背に食い込む鉄鉤にかかり、彼は再び悲鳴を上げた。
痛みに耐え、必死で体を起こそうとするも、その顔をアンデッドたちの骨の手が抑えつける。
エルヤーの周りを囲む異形のアンデッドたち。そして、死後の地にて生前の行いを裁く査問官のごとく、
「さて、エルヤーよ。質問がある」
モモンの声に、エルヤーは彼がたとえどんな相手にも、ついぞ向けたこともない怯えの混じった目を向けた。
「聞きたいことは、お前の目的だ。何故、私を狙った?」
エルヤーは苦痛と恐怖に耐えつつ言った。
「そ、その前にこの体勢から戻せ。さもなくば話さんぞ」
エルヤーの悲鳴が神殿内に
「エルヤーよ。私は駆け引きなどを今更する気もないのだよ。理解してくれたかね?」
必死の形相で、エルヤーは何度もうなづき言った。
「わ、私は雇われたんだ。あの学者たちに。最初はダークエルフの古代遺跡の捜索という事で、そして道中でお前を暗殺しろと」
「ほう、何故だ? なぜ、その学者たちは私を暗殺しようとしたのだ?」
「そ、それは……」
その問いには言葉に詰まった。
そんなものは彼の知る由もない。知らないものは答えようがない。
だが、このまま知らないと素直に答えてしまっては、自分の利用価値がないとして殺されるのではないかと思い、答えることを逡巡した。
意を決して言葉を紡ごうとした刹那、モモンはなんでもない事のように言った。
「まあ、いいか。それなら、そこにいる当人たちに聞けばいい事だ」
その言葉に、疑念を感じるより早く――。
――
長年にわたって剣を振り続け、厚い皮膚とタコだらけになったその手。彼の剣士として栄光に満ち溢れた、その道を築きあげてきた誇りとなる手が、卵の殻を潰すより容易く叩き潰された。
砕けた手では石を掴むことは出来ず、ついにエルヤーは自分の体重を支えることが出来なくなり、縦穴の奥底、見通すことすら出来ぬ暗黒の奈落へと、悲鳴と共に落ちていった。
数秒の浮遊感の後に、その体が水音と共に冷たいものに包まれた。
おそらく、地下迷宮の下に広がる水路へと落下したのであろう。
「まあ、そのエルフたちとは死がその仲を分かつまでどころか、死してなお一緒なのだから寂しくはないだろう」
そんなモモンの声は、地の奥底で水流に流されていくエルヤーの耳には届かなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
そんなワーカーの末路には気も留めず、アインズは顔を真正面に向けた。
邪教の聖堂の奥、祭壇への
目の前で繰り広げられていたエルヤーと
「さて、前座は終わった。そろそろ、出てきてもいいのでは?」
そんな彼の前に、広大な聖堂を包む闇の奥から2人の人物が姿を現した。
藍色と臙脂色のローブに身を包んだ人物。
依頼主である学者、エッセとボーマである。
彼らは悠々とした足取りで、祭壇前の明かりの下へと歩み出てきた。
「おや、私たちが潜んでいたことはご存じだったのですか?」
「ああ、最初からな。当初は、エルヤーが勝手な裏切りをした可能性もあり、お前たちが姿を隠しているのはおかしな争いに巻き込まれないようにするためかとも考えたが、……闇の中に潜んでいる様子はどう見ても怯えて姿を隠しているようには思えなくてな」
「ほう、光の届かぬところに身を潜めていたのですが、それをも見抜いていたとは。暗闇を見通すまマジックアイテムでも持っているのですか?」
「さてな? 語る必要があるかね?」
アインズが作成したアンデッドたちが彼の前へと陣を組む。
そんな化け物どもを眺めて、クワイエッセが感心したように声を出した。
「ほう、大したものですね。ずいぶんと忠実にして、忠誠心溢れているようだ。それにしても、いったいそれらを呼び出したのはどうやったのですか? 魔法とは思えませんでしたが、タレントですか?」
「タネを教えるとでも?」
そう返され、クワイエッセはその端正な顔に苦笑を浮かべる。
「随分と質問が多いが、こちらからも聞かせてもらっていいかな? いったいお前らは何者だ? 先ほどの件、エルヤーの独断ではないだろう? おそらくお前がワーカーを雇って、こちらへの噛ませ犬にしたといったところか。狙いはなんだ? ティアを襲ったが、彼女が今回ついてくることになったのは急遽の事だ。それにお前は私を指名依頼したな。狙いは私の暗殺か?」
その問いには、クワイエッセは答えない。
あいにくと冥土の土産などと言って、情報を漏らしたりなどする気もない。死人に口なしと言っても、撃ち損じる可能性はあるし、そもそも死者も生き返る可能性があるのだ。
「さて、おしゃべりはこのくらいにしましょうか。申し訳ありませんが、
その言葉とともに、クワイエッセの傍らに黒い穴が出現する。
そこから這いずり出てきたのは、巨大にして人間に原初の恐怖を思い起こさせる爬虫類。ギガントバジリスクであった。
それも1体ではない。
続けてさらに2体。
計3体もの鱗に包まれた巨体がこの場に姿を現した。
さらにはそれ以外にも、巨大な
眼前に現れた危険に対し、しかしアインズは恐怖することは無かった。
興味深げな視線を投げかける。
「ほう、見たこともない
「ええ、そうですよ。しかし、珍しいと言えば、私よりあなたの方だと思いますがね」
「む?」
「そうでしょう? 私はあくまで普通に生息する魔獣を操るだけにしかすぎません。しかし、モモンさん、あなたは人間の敵であるアンデッドを自在に操っている。いやいや、ひとかたならぬ御仁ですね」
クワイエッセの目が鋭くなった。
「実に恐るべき、そして危険な力ですね。モモンさん、あなたの本当の力は死霊使い……いや、アンデッド使いという事ですか」
アインズの前に立つアンデッド達に視線を巡らせる。
「その本当の力を隠すためのフェイクとして、凄まじい肉体能力により大剣を派手に二刀流で振り回して見せ、他人の目をそちらに引き付けていたという事でしょうか? 見る限り、戦士としての技量はなさそうでしたし」
その物言いにアインズは苦笑した。
「やれやれ、分かる者には分かるものだな」
「ええ、普通であれば、両手にそれぞれ武器を持ったとしても、それを使いこなせなければやる意味がありませんから。そんなことをするくらいなら片手だけに持った方が有効ですしね」
「ふむ」
クワイエッセが言った言葉。
それがアインズの脳裏に引っ掛かった。どこかで聞いたような……。
「ん……。そうだ。そうだな。両手にそれぞれ武器を持つくらいなら、片手で振るった方がいい。たしかクレマンティーヌにも同じようなことを言われたな……」
かつて出会った女戦士を思い返し、アインズは何の気なく、ぽつりとつぶやいた。
「! クレマンティーヌ……!?」
クワイエッセはふいに出されたその名に動揺し、うっかりそれを口にしてしまった。
しまったと思った。
モモンが現れたのはエ・ランテルでのズーラーノーン騒ぎのわずか前、王都での任務を終えた彼の妹は法国に帰る途中、しばし帰還が遅れた。
エ・ランテルでその騒ぎに巻き込まれたという事だが、そう言えば漆黒聖典の隊長に問われたとき、彼女はモモンとは少し話したと言っていた。どんなことを話したのか、どんな出会いをしていたのかは聞いていなかったが、知った仲であるのは聞き及んでいたはずなのに、予期せぬタイミングで出された妹の名に思わず反応してしまった。
クワイエッセが迂闊にも発した言葉。それをアインズは聞き逃さなかった。そして驚きに耳を疑った。
――ただ、なんとなく頭に浮かんだこと。かつて出会った事のあるクレマンティーヌの名前を出しただけで、なぜこいつはこんなにも動揺したのだ?
アインズは思考を巡らせる。そして、いくつか仮定を考え、それを分かっている根拠及び確度の高い推論で否定していき……そして、一つの結論を出した。
「そうか、そういう事か。……お前らはズーラーノーンの手の者か」
そう、彼らがズーラーノーンの配下の者だとするならば納得がいく。
エ・ランテルでズーラーノーンの
しかし、そんなアインズの言葉に、クワイエッセらも、またさらに驚いていた。
彼らはモモンの正体こそズーラーノーンの人間ではと、疑っていたのだ。
ズーラーノーンの人間であれば、最初から事の全容は分かっている。実際に騒ぎを起こす直前のタイミングで街に現れておき、自分たちで事件を起こし、そして解決して見せる。言うなればマッチポンプだ。それにより、偽装となる英雄像を作り上げ、同時に事件解決という形で本来の目的をカムフラージュする事が出来る。
いま、彼が見せたアンデッドの召喚能力を見れば、話に聞いた大騒ぎを起こすことは十分可能と思われた。
――もしや、自分がズーラーノーンの人間であるから、逆にこちらから疑いの言葉をかけられる前に、こちらに向かってズーラーノーンではないかと嫌疑をかけたのか? それとも、本当にズーラーノーンとは関係のない人間?
クワイエッセは混乱する思考を抱えつつも、相手の真意を見抜こうと、その兜の奥にあるであろう瞳をじっと見据えた。
「構えよ」
どれほどの時間睨み合ったか。アインズの発した言葉に、彼の率いるアンデッド群は武器を構えた。
それを見て、クワイエッセもまた、配下の魔獣たちに戦闘準備を指示した。
アインズはさらにアンデッドを召喚する。
対するクワイエッセもさらに狼や蛇、クリムゾンオウルなどの魔獣たちを召喚した。
「お前たちの素性、ぜひとも知りたくなったよ。捕まえてから、情報を吐かせるとしよう」
「私たちもですよ。ですが、私はあなたを捕まえようとは思いません。その強大なアンデッドを召喚する力、あまりにも危険です。ここで排除させていただきます」
仄暗い明かりに照らされる広大にして忌まわしい邪教の神殿内。
一触即発の空気の中、にらみ合う異形の2軍団。
振り下ろされる手と共に、今、2つの軍勢が力と力でぶつかり合った。