オーバーロード ~破滅の少女~   作:タッパ・タッパ

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第48話 顛末

 地の奥底にある忘れられた邪神を祀る神殿。

 その場には今、生命の炎など欠片もない。

 

 今、そこで蠢くものは、地獄の底にて燃え続ける(おき)にも似た赤い二つの忌まわしい目をぎらつかせる、漆黒の衣服を身に纏ったアンデッド。

 

 アインズは、自らを不快にさせた者達――確か学者だったか――の死体を見下ろし、さらなる子羊、胸の内で荒ぶり続ける怒りをぶつける対象を探した。

 だが、この場にはほかに動くものすらいない。

 あるのはただ、生命の残滓すら残らぬ魔獣の亡骸のみ。

 

 

 誰もいない地下室で、アインズはただ際限なく湧き続ける激情に身を任せていた。

 

 

 あの時、あの学者が言い放った、あの言葉。

 

 『いなくなった友になど……。友が残していったものとやらにこだわるのはくだらないとしか言いようがありません』

 

 それを思い返すたびに、憤怒がマグマのように湧き出ては、精神の強制沈静が起こる。

 もう両の手の指では数え切れぬほど、幾度も幾度も際限無く、それを繰り返していた。

 

 

 しかし、感情の高ぶりもやがては小康状態となり、間欠泉のように吹き上がる怒りも、沈静の対象にならないほどに収まって来た。

 

 

 

 アインズは大きく深呼吸する。

 彼の身体では、実際に呼吸することは出来ないが、かつての人間の時と同じ動作をすることで、だんだんと気分が落ち着いた。

 

 

 そうして、彼は〈伝言(メッセージ)〉を使う。

 

 骨のハゲワシ(ボーン・ヴァルチャー)による転移の後、エルヤーとの戦いを始めたときに連絡はしたものの、その後は連絡を怠ってしまい、今もこちらの事を心配しているであろう人物。

 この見知らぬ異世界へ共に迷い込んだ同じ境遇の人間として、内心を包み隠さず話せる存在。

 あの学者の不快な台詞が嘘であるとはっきり認識させてくれる、最後まで残ってくれた彼の友人――。

 

 ――ベルに対して。

 

 

 魔法が発動される。

 一秒一秒、ベルが〈伝言(メッセージ)〉を受け、その声を聞かせてくれるのを一日千秋と言っても過言ではない思いでじりじりと待つ。

 声が聞きたい。

 今すぐに。

 

 やがて、回線がつながった感覚があった。

 待ちわびていたベルの声が脳内に響く。

 

 

 

《ハァハァ、お兄ちゃん、どんなパンツ履いてんの?》

 

 

 

 アインズは〈伝言(メッセージ)〉を切った。

 すぐに、今度は向こうから〈伝言(メッセージ)〉が届く。

 

《やめて。切らないで!》

 

 アインズはため息をつきつつも、その〈伝言(メッセージ)〉を受けた。

 

《切りたくもなりますよ。なんですか、あれ》

《いや、ウイットとペーソス溢れたパーティージョークですよ》

《どう考えてもパーティージョークじゃないでしょ。そもそもウイットとペーソスってどういう意味ですか?》

《あれ? もしかして、おこ(・・)ですか? そんなに今、パンツの話はされたくありませんでした? いや、別にいいですよ。俺は守秘義務を守る人間です。アインズさんがちょっと冒険してTバックを履いていようが、ルプスレギナの使用済み下着を身に着けて秘かに楽しんでいたとしても、いろんな趣味嗜好があるよねと言ってやる度量の広さも持ち合わせてます》

《Tバックも、ルプスレギナの下着も、あまつさえそれが使用済みのとか無いですから! そもそも、私は身体が骸骨ですから、下着なんかつけていませんよ》

《……》

《あれ? ベルさん?》

《……》

《どうかしましたか? 急に黙り込んで》

《……》

《も、もしや、何かありましたか? ベルさん! ベルさん、返事をしてくださいっ!!》

《あー、もしもし》

《ベルさん! よかった、繋がった! 今なにがあったんですか? 急に返信が無くなりましたけど》

《いえ、大したことじゃありませんよ。アルベドが倒れてしまってですね》

《アルベドが? 何があったんですか!?》

《いやー、アルベドが近くにいたもんで、今話してた、アインズさんがノーパンでそのままズボンらしいと教えてやったら、『ア、アインズ様はノーパン! つまり、あの普段の御召し物の下は……。あんなに胸元が空いたガウンを身に纏ってらっしゃるのは、つまり……くふーっ!』って言って、突然、鼻血を吹き出してぶっ倒れまして》

 

 その答えに、アインズはガクッと肩を落とし、床に手をついた。

 

《いや、何やってんですか》

《本当に漫画みたいだったんでびっくりしましたよ》

《今、守秘義務うんぬん言ったばかりでしょ》

《報連相は組織の基本ですねっ》

 

 

 やれやれとばかりに、身を起こす。

 馬鹿なやり取りであるが、少し気が紛れた。

 

 ――そうだ。ちゃんと自分の友人はここにいる。こうしてくだらない話も言い合える。愚かな奴の口上など、いちいち聞く必要もないではないか。くだらない雑音に耳を傾ける必要もない。

 

 

 アインズは気を取り直し、あらためて、事の顛末(てんまつ)を説明した。

 

《えーっとですね。今回の件ですが、ズーラーノーンが黒幕みたいですね。依頼をした学者たちは、本当はズーラーノーンの人間で、エ・ランテルでの一件を冒険者モモンが解決したので、復讐か後顧の憂いを断つためかは分かりませんが、遺跡探索と偽ってモモンに指名依頼を出して誘い出し、抹殺しようとしたみたいで》

《へえ、そうなんですか。まあ、ワーカーを連れたうえでのいきなりの指名依頼、それもこのダミーダンジョンの事をダークエルフの古代遺跡と言っていたのでおかしいと思っていましたが。……ふむ、ズーラーノーンですか。せっかくですから、もうちょっと詳しい情報が欲しいですね》

《あー、情報と言っても、そいつら殺しちゃいましたよ》

《じゃあ、生き返らせればよいのでは? 蘇生のアイテムありますよね?》

 

 軽く言われたその言葉に、一瞬、うっと言葉に詰まった。

 

 

 ――あいつを生き返らせる? あの不快なことを言った奴を?

 

 再度、胸の内に怒りが湧いてくるも、今度は精神の鎮静が起きる程でもなく、すぐにその波は引いていった。

 

 ――そうだな。うん、その方がナザリックの利益のためになる。ここは生き返らせて情報を引き出すべきだな。ああ、そうだ。あくまであいつは知らずに言っただけなんだし。そう、知らなかったんだからしょうがない。……生き返った後も、またふざけたことを言ったら、ニューロニストの所なり、餓食孤蟲王の所にでも、放り込んでやればいいし。うん、そうしよう。

 

 そうして無理矢理気味だが自分の心を納得させると、アインズは蘇生の短杖(ワンド・オブ・リザレクション)を取り出した。

 それを苦悶と苦悩の表情で息絶えているエッセとかいう学者の上にかかげたのだが……。

 

《……あれ?》

《どうしました?》

《えーっとですね。なんだか、生き返らないんですけど……》

《? 蘇生の魔法がきかないんですか?》

《発動自体はしているみたいなんですが、なんというか……こう……手ごたえみたいなのが……。前、蜥蜴人(リザードマン)達を生き返らせたときは、発動した後、魂を掴んだみたいな感覚があったんですが……》

《〈真なる死(トゥルーデス)〉を使ったとか? あれで殺すと、高レベルの蘇生じゃなきゃ駄目ですよね?》

《いえ、使ってませんよ。使ったのは〈溺死(ドラウンド)〉ですし。……あ! もしかして……》

《なんです?》

《多分なんですが……蘇生を拒んでいる状態なのでは?》

《蘇生を拒む? まあ、確かに、ユグドラシルでは蘇生する側の同意がなければ生き返らなかったはずですね。こちらにおいても同様でも、おかしくはないですけど……。でも、なんで蘇生を拒む理由が?》

《あー、とですね。実は……こいつ殺す前に、私の姿を見せちゃいまして》

死の支配者(オーバーロード)の姿をですか?》

《はい》

《なるほど。ズーラーノーンの人間って事は、死の支配者(オーバーロード)の事を知っていてもおかしくはないですし、下手に生き返ったら、何されるか分かりませんしね。怖がって蘇生したがらなくても、仕方ありませんな》

《ええ、それにこいつの前でちょっと怒ってしまいまして。怖がらせてしまったかなぁ、と》

《ん? なにか、あったんですか?》

《いえ、ちょっと……。それよりどうしましょうか?》

《うーん、そうですねぇ。学者って2人いましたよね。もう1人の方も駄目ですか?》

《あ! そう言えば》

 

 アインズは記憶をたどる。

 怒りに我を忘れていたため定かではないが、たしかもう1人は着ていたローブを脱ぎ捨て、奇妙な鎖を振り回して戦闘に参加していたはずだ。

 ……ええっと、そうだ。

 飛びかかってきたところを〈暗黒孔(ブラックホール)〉で吸い込んだんだ。

 あっちなら、自分のアンデッドとしての姿は一瞬しか見られていないはず。そっちなら大丈夫だろう。

 

 そう考え、蘇生アイテムを手に振り返り――。

 

 

 ――アインズは途方に暮れた。

 

 

《あの……ベルさん》

《どうしました? そっちも駄目ですか?》

《いえ、その……まだ、試していなんですが……》

 

 口ごもる様子に、ベルは何だろうと小首をかしげた。

 

《とりあえず、試してみたらどうです?》

《いえ、そうしたいのは山々なんですがね……》

 

 アインズは地下神殿内を見回す。

 

《死体がないんですよ。〈暗黒孔(ブラックホール)〉使ったんで……》

《別に死体が無くても蘇生の短杖(ワンド・オブ・リザレクション)なら蘇生できるんじゃないですか?》

《ええ、ユグドラシルでは出来てましたから、たぶんできると思うんですが……》

《?》

《その……どこに使えばいいのやら》

《え? そりゃ、……死体がないなら死んだところでは?》

《それが……どこだったのか……。ほら、ユグドラシルでは蘇生を使おうとすると、死亡ポイントとかに表示が出たでしょう? それが出ないんですよ》

 

 そこまで聞いて、ようやくベルは合点がいった。

 ゲームだったユグドラシルの頃は、死亡した場合、死体はその場に残ったままにならずに消えてしまう。だが、一定時間内に蘇生の魔法やアイテムを使おうとすると、その死亡した場所にカーソルが現れ、誰を復活させるか選ぶことが可能であり、そこに近づいて魔法なりアイテムを使えば、蘇生させたり、時にはアンデッドとして操ったりなど出来た。

 だが、ここはゲームの法則は適用はされていても、ゲームの中ではない。ユーザーの為にカーソル表記されるなどという事はないのだ。

 

《あー……でも、たぶん使うことは出来るでしょうから、とりあえず、その死亡ポイントを探してみたらどうですか?》

《でも、どうやって?》

《しらみつぶしに。ローラー作戦で》

 

 

 ベルの提案に従って、短杖(ワンド)を掲げながら、そいつが死亡した場所を探すアインズ。

 

 怪しげな神をまつる薄暗い神殿内を、奇妙な杖を掲げてうろつくアンデッド。

 誰かに目撃されたら、邪教の儀式と間違えられること間違いなしである。

 

 

 そうすることしばし。

 たった一人で広い部屋をローラー作戦するという行為に寂しさを覚え始めた頃、魔法が発動した手ごたえがあった。

 

《お! ベルさん、反応がありましたよ。蘇生に成功しました》

《おお、良かったじゃないですか。じゃあ、そいつは気絶させてナザリックに送ってください。くれぐれも殺さないように》

《分かりました》

 

 そうして話しているうちに、空間に空いた渦から、何かが這い出てくる。

 鱗に覆われた巨大な爬虫類の姿。ギガントバジリスクであった。

 

「いや、お前じゃない」

 

 アインズが〈即死(デス)〉を使うと、生き返ったばかりのギガントバジリスクは即座に再び死んだ。

 

 

《あー、駄目ですね、これは。どこに使えばいいのか、はっきりとした場所が分からないんで。〈暗黒孔(ブラックホール)〉で倒した怪物(モンスター)が邪魔になって、そいつを見つけられません》

 

 うーむと顎を撫でるアインズ。

 外れることもあるとはいえ、何度も続けていけば、いつかは当たりを引くのは間違いない。だが、それをやるには、それこそ何度も蘇生のアイテムを使い続けなくてはならない。

 もちろんアインズ、というかナザリックが保有している蘇生アイテムは彼が今、手にしているものだけではない。蘇生アイテムなどは山のように、低級の物まで加えれば、それこそ掃いて捨てるほどある。

 だが、ある程度補給の目途がたったスクロールならともかくマジックアイテム、それもこの世界で高位とされるものに関しては再入手の可能性が乏しく、無分別に使っていれば、いつかは枯渇するだろう。

 それに貧乏性で、もったいないとばかりにアイテムを使わず貯めこむタイプであったアインズとしては、どうしても必要とも思えないこいつらに、そんなアイテムを使う事はどうしてもそれを躊躇(ためら)わせるものだった。

 

 そして、同様にそういうアイテムをケチる性格のベルもまた、無駄にアイテムを消費するのは忌避感があった。

 

《じゃあ、止めときましょう。アイテムもったいないですし》

《そうですね。まあ、またの機会にでも》

 

 あくまで、ズーラーノーンの人間を復活させて情報を聞き出すというのは、どうせならという程度のものであり、それほどまで情報が欲しかったという訳でもないので、彼らはあっさり諦めることにした。

 

《……あ、そうだ。今回の依頼って、結局どうします? 依頼主、2人とも死んじゃったんですよね? 冒険者モモンに入った指名依頼なのに、失敗って事になっちゃうんじゃないですか?》

《ああ、それなら、私にちょっと考えがありますよ》

 

 アインズは周囲に倒れ伏す魔獣の死体と、倒れるクワイエッセのすぐそばに転がる、彼らが手にしていた革張りの装丁の書物に目をやった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ガチャッ、ガチャッ。

 

 金属がぶつかる音が聞こえてくる。

 音がする事に気がつくと、自分の身体がその音と同時に揺すられている事にも気がついた。

 

 決して耳に心地よい音ではなかったが、一定のリズムで聞こえる音と震動に、ティアの心はいつまでもまどろんだままであった。

 頬にはなにかの金属が当てられている。長時間そのままの姿勢だったらしく、すでに自分の体温で温かい。

 不意に少し大きく揺れた。

 その拍子に頬骨が金属製の肩当てにぶつかり、わずかに痛みを覚えた。

 

 

 ――ん?

 

 

 そこで、ようやく彼女は自分が今どんな状況なんだろうかという事に思い当たった。

 覚醒したティアは目を、忍者としての経験からパッと大きくは開けずに、そうっと薄く開けた。

 

 その視界に入ってくるのは、燃えるような赤い髪。

 本当に目と鼻の先にあるため全容は見渡せないが、編み込みがされていてなお、その髪質に傷みもなく、まるで常に身だしなみを整えている貴族のような美しい髪だ。

 

 ティアは意識を取り戻したことを見抜かれぬよう、体を動かさずに薄目のまま状況を確認しようとする。

 だが、彼女を背負っている人間は、ティアが意識を取り戻したことにその鋭敏な感覚で気がついた。

 

「あ、目が覚めたっすか」

 

 そう言って首を廻し、肩越しに彼女の顔を覗き込む。

 冒険者ルプーことルプスレギナは、自分の背のティアを安心させるように、にぱっと笑った。

 

 その日が照るような笑顔に、よく分からない状況に置かれていることへ警戒の色を強めていたティアも、毒気を抜かれた様に肩から力を抜いた。

 

「うん、目が覚めた。お目覚めのキスを所望する」

「この体勢じゃそこまで首が回らないっすから、それは勘弁してほしいっす」

 

 ルプスレギナは冗談だと思ったようだが、ティアは言質(げんち)を取ったとばかりに首を伸ばして唇を奪おうとする。

 だが、何故だか体に力が入らず、ルプスレギナの背でバランスを大きく崩すにとどまってしまった。

 

「わっとと、あんまり動かないでほしいっす」

 

 ルプスレギナは一度ティアの身体を持ち上げるようにして、背負い直す。

 人一倍、体力があるであろう神官らしく、軽いとはいえ人ひとりを支えても、その体がよろめくことは無かった。

 

 

 そこで、ようやくティアは周囲を見回した。

 周囲は石造りの通路である。

 今、この場にいるのはルプスレギナと、背負われているティアだけ。

 

 ――他の者達はどこへ行ったのだろう?

 

 きょろきょろと周りに目を向けるも、他に動いている者はいない。

 はてな、と記憶をたどる。

 確か、ダークエルフの古代遺跡を調べるという学者の依頼で、冒険者やワーカーらとともに迷宮に入ったはず。そして、迷宮内でマンティコアに遭遇し、戦っている間に……。

 

 

 はっとティアは自分の背に手を廻す。

 ルプスレギナのものらしいマントで覆われているが、その下に傷は無いようだ。痛みもない。

 

 そのティアの動きに気づいたらしい、ルプスレギナが再度声をかけてきた。

 

「ああ、怪我なら私が直したっすよ。結構、深手だったので。でも、傷口は塞いだものの、流れ出た血までは治せなかったんで、ちょっと力が入らないかもしれないから無理は禁物っすよ」

 

 なるほど、そうだったのかとティアは納得した。

 先ほどからの倦怠感もその為だったのだろう。

 何か後頭部に痛みがあるが、倒れたときにどこかにでもぶつけたのだろうか?

 

 

 そしてティアは今の現状、何故、2人だけなのか? 他の者達はどこにいるのか? という事を尋ねてみた。

 それに対してルプスレギナは、骨のハゲワシ(ボーン・ヴァルチャー)の転移によってバラバラに飛ばされたらしく、気がついたら迷宮の一室で怪我をして気を失っているティアと自分の2人きりだったので、とりあえず回復させ、彼女を背負って地上を目指しているところだと語った。

 

 その説明は、彼女をして恐縮させた。

 つまり、この女神官は本来の仲間であるモモンの安否が知れない状態ながら、ティアの身を案じて、一旦、遺跡を出る事を決断したらしい。

 困った時はお互いさまであり、身に危険が迫っている時はパーティーが違っていても、互いに背中を預けて戦うのが冒険者やワーカーである。そうではあるのだが、やはり最も大切なのは自分の仲間である。仲間の命と他のパーティーのメンバーならば、仲間をとるのが普通だ。

 だが、彼女は仲間であるモモンの捜索と救出より、他人であるティアの安全を優先させたという事だ。

 ティアの心は、美女であるルプスレギナの選択に、優越感と罪悪感を共に感じていた。

 

 湧き上がった気持ちを誤魔化す様に、ティアはルプスレギナのうなじ辺りに顔を押し付け、大きく息を吸った。

 匂いがする。甘い匂い。彼女の大好きな女性の匂いだ。

 

 ――おや?

 ティアはなぜだかその匂いの中に犬のような獣臭を感じた。

 

 しかし、疑問に思ったが、口には出さないでおいた。

 冒険者の宿命。

 旅の間はろくに身体も洗えないのである。それだけならまだしも、状況によっては服の洗濯すら出来ずに、何日も着たきり雀で過ごさなくてはならない。当然そんなことが続くと、たとえどんな人間だろうと、臭いの問題が出てくる。

 よって、臭いの話はある意味タブーであった。

 特に女性冒険者には。

 

 

 そして、ルプスレギナの背で揺られるティアが、せっかくだからこの体勢を利用して胸を揉もうか、いや、さすがに鎧越しで揉んでも面白くはなさそうだし、それをしたことによってそれくらい元気があるなら自分であるけと言われて、この素晴らしい状況を壊すことになってしまのではないかと心の中で煩悶(はんもん)していると――。

 

「あれ? いま、何か」

「ええ、何か聞こえたっすね」

 

 足を止め、後ろを振り向く。

 通路内に反響していた、ルプスレギナの鉄脚絆の音が収まる。

 

 耳を澄ませると、今度は確かに聞こえた。

 何かは分からないが、おそらく通路の石畳を叩きつける音。

 それがとどまることなく、連続して続いている。

 やがてその音は段々と大きくなり、耳をそばだてる必要もなく聞こえるようになった。

 そして、やがて迷宮内に反響する音は耳をふさぎたくなるほどに。石造りの地下通路が振動で震えるほどにまで。

 

 今なら分かる。

 何者かが盛大な足音を立てて、走っている。

 

 自分たちの後ろから。

 こちらに向かって。

 

 

 彼女らは一瞬、呆気にとられた。

 だが、事の次第に気づくと同時に駆けだした。

 どちらに行けば迷宮から出られるかは分からないが、とにかく音の主から逃げる様に。

 そいつがなんなのかは分からないが、少なくとも自分たちと仲良く話をしたいと思うような(やから)でないのは確かだろう。

 

 

 そうして足音に追われる様にただひたすら走るルプスレギナの背にいるティアの目は、自らの記憶にあるものを捉えていた。

 

「ここ! 前に通った通路で、たしかこんなところがあった!」

 

 ティアは必死で自分の記憶と、目の前の通路を重ね合わせる。

 分かれ道に差し掛かる度に、「右!」、「左!」と叫ぶ。

 

 やがて通路が登り坂となった。

 この坂こそ迷宮の入り口へとつながる坂のはず。

 案の定、すぐに長い下り坂となり、ティアを背負ったまま、ルプスレギナは転がるように駆け降りる。

 

 はるか先に、光が見えた。

 入り口だ。

 〈永続光(コンティニュアル・ライト)〉の光に慣れた目に、太陽の光が眩しく映る。

 2人は、燦燦と照りつける日差しの中へ飛び出そうとした。

 だが、そこでティアは気がついた。

 

「ストップ! スタァップ!」

 

 言われたルプスレギナは慌てて、足で制動をかける。2人分の体重を乗せた足は洞窟の石の上を滑りつつも、光刺す洞窟入り口で制止した。

 ルプスレギナの足元が、水面でちゃぷんと音をたてる。

 まばゆい光に目を細めつつも辺りを見回すと、そこはたしかに、最初に入って来たところ。湖の水面ギリギリに作られた洞窟の入り口。

 危うく、坂道を駆け降りた勢いのまま、湖に突っ込むところであった。

 

 10メートルほど向こうの対岸に目をやると、物音に気付いたのか、そこで野営をしていた『虹』の冒険者たちと『森の賢王』ハムスケ、そして先に脱出したのであろう『漆黒の剣』の面々、ならびにパルパトラのワーカーチームが驚いてこちらを振り向いているのが見えた。

 

 そうしている間にも、彼女たちの後ろから何者かの音がどんどん近づいてくる。

 もはや、その音はすぐ後ろから聞こえてくる。

 

 ルプスレギナはとっさに横っ飛びに飛んだ。

 間一髪、一瞬前まで彼女らの姿があったその場所を巨大なものが駆け抜けていった。

 

 そいつは激しい水音と共に、湖へと突っ込んだ。

 

 

 対岸にいた冒険者らは目を見張った。

 それは巨大な蜥蜴。

 暗緑色の鱗に覆われ、通常の蜥蜴とは明らかに違う凶暴さを纏わりつかせた、その姿。

 『漆黒の剣』は知らなかったが、他の者達は一目見て分かった。

 

 

 ギガントバジリスクである。

 

 

 彼らは皆一様に顔をひきつらせた。

 圧倒的な生命力、その毒の体液、そして何より石化の視線は何の準備もなしに勝てるような、生半可な相手ではない。

 

 

 だが――。

 

 

 ――ん? なんじゃろうか? こいつは、ちと妙じゃのう。

 

 パルパトラは、突然の大魔獣の出現に慌てふためく他の者達をしり目に、すっかり白くなった眉根をしかめた。

 彼はかつてギガントバジリスクとも戦った事がある。その記憶の中の怪物(モンスター)と今、目の前に現れた蜥蜴では妙な点がいくつかあった。

 

 まず、その動き方。ギガントバジリスクはその長い胴体をまるで蛇のようにくねらせながら滑らかに動くのであるが、今、湖面で(うごめ)くそいつの姿は、どこかぎこちないものを感じさせた。

 とくに気になったのは、その目。ギガントバジリスク最大の特徴にして、恐るべき能力が石化の視線である。対石化もしくは対視線の対策を施していなければそれだけで、いかなる強者であろうと命を奪われてしまう。しかし、今、蜥蜴の目は半開きになったままだ。本来ならば、石化の視線を受け、石と化すはずなのに、何故、自分たちはこうしていまだに生きていられるのか?

 目の前の巨獣に懐疑の目を向け、パルパトラは首をひねった。

 

 だが、そう悠長にもしていられない。

 なぜだか石化の視線は効力を発しないようだが、ギガントバジリスクという怪物(モンスター)は単純な体力、生命力だけでも十分凶悪かつ強力な相手なのだ。

 

 その恐るべき魔物は不格好ながらも湖の水面をその四つ足でたたき、こちらへ向かってくる。

 全員が慌てて、武器を取り、陣形を整えた。

 魔法はまだ温存していたが、弓矢を手にしたものは早くも次々と矢を射かけている。だが、大蜥蜴の固い鱗は鉄の矢じりなどものともせず、幾本かは鱗と鱗の間に刺さるも、それには痛痒の一つも感じていない様子であった。

 

 やがて、そのねじくれた鉤爪のはえた足が、水辺の土を踏みしめる。

 湖畔のぬかるんだ軟泥に短い足と這いまわる胴体の跡をつけ、猛然と突進を始める。

 ハムスケの尾が鞭のようにしなり、ギガントバジリスクの身体を打ち据えるが、それでもそいつは怯んだ様子もない。

 

 

 そして、あとわずかで一足飛びに飛びかかれる距離に踏み込むと思った刹那――。

 

 

 今、ティアとルプスレギナ、そしてギガントバジリスクが飛び出してきた古代遺跡の入り口。そこから、更に飛び出してきたものがある。

 黒い姿のそいつは一息に湖を飛び越えた。

 

 

 その場にいた者達は、思わず顔をあげた。

 はるか高く、陽光を背にした、宙を舞う漆黒の全身鎧(フルプレート)

 

 冒険者モモンだ。

 

 

 彼は足場もない中空で体を回転させ、その大剣を下へと投げつける。

 その鋭い切っ先は狙いたがわず、ギガントバジリスクの首筋に突き刺さり、その体を大地へと縫い付けた。

 

 ズンと音を立てて着地するモモン。

 彼の後ろでは、ギガントバジリスクはしばし身体をのたうち回らせたものの、やがて動かなくなった。

 

 

 突然の巨獣の襲撃、そしてその幕引きに誰もが声もない中、『漆黒の剣』のニニャが慌てて彼の下へ駆け寄って来た。

 

「モモンさん! ご無事でしたか」

「ええ、ご心配かけてしまいましたか」

「あの、転移で皆、散り散りになってしまいましたから……。あ、今、ティアさんとルプスレギナさんも出てきたところみたいですよ」

 

 視線を向けると、ルプスレギナと彼女の背から降りたティアの2人が、湖岸に生える木の根を伝って、湖を回り込んで来ようとしている所だ。こちらの視線に気がついて手を振っている。

 

 そして、やや緊張した面持ちでニニャは問いかけた。

 

「それで、他の人たちについて知りませんか? あのエルヤーというワーカーはティアさんの背を切りつけたんです。放っておくわけにはいきません!」

「ああ、そいつなら、私の事も殺そうと襲いかかって来たので、切り伏せました」

 

 事もなげに言うモモンに、一瞬ぎょっとしたものの、ニニャは安堵の息をついた。

 

「そう……ですか。モモンさんが無事で何よりです。あ、それと依頼主である学者のお2人もまだ、洞窟から出てきてはいないみたいなんですが……」

「その2人も倒しておきましたよ」

「……え!?」

 

 近くで彼らの会話を聞いていた他の者達も驚いて、悠然と立つ漆黒の戦士の事を振り返った。

 

 彼は皆の視線を集めているのを理解したうえで、マントの下に手を突っ込み、そこから取り出したものをニニャに放った。

 ニニャは慌てて両手でそれを受け止める。

 それはあの学者たちが手にし、そして頻繁に目を落としていた、革張りの装丁の書物だった。

 

 モモンにうながされるまま、なんだろうと、ニニャはそのページをめくっていく。

 読み進めていくうちに、ニニャの目が驚愕に大きく見開かれていった。

 

「モ、モモンさん! これは……」

 

 その言葉に深くうなづいた。

 

「つまり、それが今回の一件の真実ですよ。つまり、今回の依頼、そしてそれだけではなく、この近辺で目撃されたというダークエルフの件もすべて、ズーラーノーンの仕業という事です」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 そして、彼らはエ・ランテルに戻り、冒険者組合に事の顛末を報告した。

 

 最初はいくらなんでも予想だにしなかった話に、アインザックとしても半信半疑であったが、参考として提出された、依頼主である学者が持ち歩いていた書物が揺るがぬ証拠となった。

 

 

 そこに書き記されていたのは、おぞましいまでの研究とそれを実現させるための計画であった。

 

 

 エ・ランテルを死の都市に変える作戦に失敗したのち、ズーラーノーンはその計画を阻止した冒険者モモンへの復讐を第一の目的とした。

 その第一歩として、先の計画で投入したもののモモンらによって倒されたアンデッドの補充が最優先とされた。

 そこで、奴隷として購入したダークエルフの姉妹を、彼らのうちに伝わる邪法により生きたままアンデッドに変化させ、生きている人間のように意思はあっても、自分たちの意のままに動く存在へと作り替える。そのダークエルフを囮にし、いなくなっても不審がられない人間、すなわち野盗などの犯罪者をおびき出し、そして捕まえては殺し、アンデッドの尖兵たちを作り上げていった。

 

 そして、あの湖畔の遺跡こそ、彼らが長き時と手間をかけて作り上げた秘密の実験場だったという訳だ。

 その最奥に作り上げられた研究施設では、口にするのもおぞましく、禍々しさに吐き気を覚えるような実験が日夜、繰り広げられていた。

 

 そうして全ての準備が整ったとみた彼らは冒険者モモンに指名依頼を出し、自らの勝手知ったる迷宮へと、遺跡の調査という名目で指名依頼を出しておびき寄せ、あらかじめ雇い入れていたワーカー、並びに自分たちの手塩にかけたアンデッド達を使って抹殺してしまうおうという計画を立てた。

 

 首尾よくモモン暗殺が叶った後は、再度、エ・ランテルを地獄の底に落としてやろうという野望を胸に。

 

 

 その書物にはそう書かれていた。

 

 

 

 もちろん、その内容はクワイエッセらが書いたものではない。

 エ・ランテルの裏社会において、筆跡の偽造で名を馳せている男に大枚はたいて、書かせたものである。ベルが乗っ取ったギラード商会は、すでにエ・ランテルの大方を牛耳る事に成功している。そちらの伝手で、半ば強引に仕事を依頼し、超特急でやらせたのだ。

 

 

 

 とにかく、その書物に書かれていた内容に、エ・ランテル上層部は青くなった。事は冒険者組合だけでは収まらない。

 今回の依頼には、エ・ランテル上層部の意向も多く入っている。

 

 自分たちが出した都市周辺の安全宣言。ダークエルフはこの近辺にはいないと明言した。

 その直後にダークエルフ関連の遺跡の存在が明らかになり、慌てて冒険者組合を介して、街としての依頼という形にしたのだ。

 本来ならば持ち込まれた依頼は、冒険者組合が裏を取るなどの作業をしたのちに依頼としてだすのであるが、今回の件に関してはもし事実であった場合、急いで対処しなければ都市として、冒険者組合としての面子(めんつ)が立たなくなると危惧したため、遺跡の存在を確かめただけで通常の確認手続きを省略してしまっていたのだ。

 

 もし、この書物の内容が事実だとしたら、都市そのものがズーラーノーンの策略にまんまと引っ掛かり、あたら有能な冒険者を無駄死にさせかねないところであったということだ。

 

 

 しかも、今回の件に関してはオリハルコン級の『漆黒』モモンのパーティーや『虹』パーティーメンバーだけではなく、アダマンタイト級冒険者ティアまで絡んでいるのである。

 悪いことに、ティアは共に行ったワーカーチームの襲撃にあい、重傷を負ってしまっていた。

 

 エ・ランテルの冒険者だけならまだしも、『蒼の薔薇』のティアは王都を根城としている。

 下手をしたら今回の一件で、エ・ランテルの冒険者組合は都市行政が絡んだ政治的な案件が一因となる理由によって、持ち込まれた依頼をろくに調査もせずに承認し、冒険者を危険にさらしたという事が、各地に知れ渡る羽目になりかねない。

 

 そんなことになったら、エ・ランテルの冒険者組合の信頼は地に落ちる。

 エ・ランテルにやって来ようとする冒険者はいなくなるだろうし、エ・ランテルの冒険者たちもまた、そんなところに自分の命は懸けられないと街を去ってしまうだろう。

 怪物(モンスター)退治に関して冒険者への依存が大きい王国で、冒険者がいなくなった都市など、想像するだに最悪としかいいようがない。

 

 不幸中の幸いは『漆黒』のメンバー、ルプーが怪我を治してやったために、ティアの命に別状はなかったことだろうか。

 

 

 

 とにかく、エ・ランテルの冒険者組合は急いで、この書物の確認に動いた。

 

 まず、ワーカーを使ってモモン抹殺を計っていたという記述から、生き残ったワーカーであるパルパトラたちが尋問にかけられた。

 その際、パルパトラは何も隠すことなく、全てを話して聞かせた。

 帝国で学者に扮した2人から遺跡調査の依頼を受けた事。旅の途中でモモン暗殺の話を持ち掛けられた事。それを断った他のチームが殺されてしまったようだったため、そのことを告発できずに行動を共にしていた事。そして、自分たちはモモン暗殺に協力はしたくなかったことを語った。

 それらの事が説明されたのであるが、当初はモモン暗殺の任務を失敗したための保身を目的とした言い逃れとしかとられなかった。

 だが、同じワーカーであったエルヤーがティアに切りかかった際、パルパトラらにも裏切りを示唆したものの、彼らがそれに従おうとしなかったところは生き残った冒険者たち全員の知るところであり、またその後に行動を共にした『漆黒の剣』が彼らに助けられ、そのおかげで無事に遺跡を抜け出ることが出来たと証言し、彼らの弁護に回ったため、パルパトラらに関しては一先(ひとま)ず保留とされた。

 

 

 次に遺跡の調査である。

 冒険者組合として、その書物によれば遺跡の最奥にあるというズーラーノーンの研究施設を調べようとしたのであるが、それは叶わなかった。

 

 迷宮の奥にあった生命を冒涜する、口にするのも(はばか)られる様な(おぞ)ましくも邪悪な施設や装置は、発見したモモンが二度とこのような事が無いようにと、徹底的に破壊してしまったという。

 その際、なんらかの毒が漏れ出たらしく、その遺跡にはもう入れなくなってしまっていた。

 

 入り口から入ろうとすると、即座に精神に異常をきたし、それでもなお進もうとすると命を奪われてしまうのだ。動物を侵入させてみる実験でそれが明らかになったのであるが、さすがに人間なら耐えられるかという事は試してみようとは思えなかった。

 

 

 ちなみに、そんなことになる原因は迷宮内に入ってこられないよう、入り口付近に永遠の死(エターナルデス)をこっそり潜ませているからである。

 

 ズーラーノーンの研究施設がこのダミーダンジョンの奥にあるなど、完全な嘘であり、中まで調査などされたら困るためだ。

 だが、さすがに本当か嘘かも分からぬ書物の記載のみで信じてくれというのは、いささか無理のある話だとはアインズもまた思った。

 その為、少しでも信憑性を高めようと、ギガントバジリスクの死体をゾンビにして、外にいる冒険者たちを襲わせ、そこを冒険者モモンとして格好良く退治して見せたり、クワイエッセの召喚した魔獣たちの中で死体が残っているものに関して、証拠となる討伐部位を出来るだけ集めて提出することで、迷宮の奥は恐るべき死地であったと印象付けたのだ。

 

 幸いにも、アインズが思っていたより、ギガントバジリスクを始めとしたそれらの魔獣の脅威は、この地の人間にとってはるかに高く、冒険者組合の人間はその事をよく知っていた。

 それらモモンが提出した幾多の魔獣の討伐部位を見ただけで事の重大さはよく理解できた。これらの魔獣の討伐など、エ・ランテルの全勢力を結集してもほぼ不可能であり、それをたった一人で倒したというモモンの実力は彼らにとって計り知れないものであった。

 

 

 当然、その言葉を疑う事など出来ようはずもない。

 それに下手に疑うと、対外的に拙いのだ。

 先にあげた通り、冒険者組合はしっかりとした調査無しに指名依頼を通してしまったという負い目がある。

 

 

 そこで冒険者組合は、筋書きを変えることにした。

 学者の依頼に冒険者たちをつけたのではなく、最初からズーラーノーンの討伐が目的であったという事にしたのだ。

 つまり、知らずに冒険者たちを送り込んだのではなく、その遺跡がズーラーノーンの拠点であると情報を掴んだうえで、アダマンタイト級冒険者のティアやオリハルコン級の『漆黒』など、錚々(そうそう)たるメンバーで討伐に臨んだ。そして『漆黒』のモモンの活躍によって、エ・ランテルの街を再度襲撃しようとしていたズーラーノーンの計画は潰えた、という形にしたのだ。

 

 

 当然のことながら、事の真相を知っている『虹』や『漆黒の剣』ら冒険者組には、口止め料として報酬を上積みした。

 パルパトラらに関しては、そのことを口外しないことを解放の条件とし、彼らもまたそれを了承した。

 ティアに関しては、真正面から頭を下げ、そういう事にしてくれと頼み込んだ。ティアとしても、今回の探索に関しては、最初は罠の解除などで活躍したものの、エルヤーに不意を突かれ背後から斬りつけられた上、その後はルプーに背負われて迷宮を脱出しただけであり、あまりアダマンタイトらしく活躍したとも言えなかったため、そのやり口にどうこう言える立場でもなく、彼女は首を縦に振った。

 その判断には、アインザックから聞かされた、冒険者チーム『漆黒』に対する今後の処置も関連している。『漆黒』と知己となったアドバンテージを生かせると考えたためだ。

 

 

 そして、冒険者チーム『漆黒』であるが――。

 

 

 エ・ランテルを破壊と混乱の渦に再度叩きこもうとしたズーラーノーンの野望を未然に防ぎ、またギガントバジリスクを始めとした幾多の恐るべき魔獣を討伐した功績を持って、襲い来る魑魅魍魎たる悪意から人間を守る最後の切り札、人類の決戦存在たるアダマンタイトの称号を与えられることとなった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

 

 

《余談―1》

 

 

 パルパトラはエ・ランテルの街を一人歩いていた。

 

 空はまだ染まりはしないものの、日はすでに傾きかけている。

 彼が歩く通りは、まだ人がひしめく時間にはまだ早すぎる。だが、目当ての店の扉を開くと、その中はまだ日も高いというのに、淫猥さと猥雑さが混ざり合った空気に包まれていた。

 

 窓一つない室内は、方々(ほうぼう)に据え付けられた様々な色のシェードをかけられた燭台の光に照らされ、日々の日常とはかけ離れた意識にさせる。

 そしてその中では、その秘所のみを隠すわずかな薄布を身に纏った、時にはその薄布すらも纏わぬ女性たちが淫靡(いんび)な踊りを舞い、それを見る男たちが下卑(げび)た声とともに酒を飲みながら、ステージ上に硬貨を投げつけていた。

 

 パルパトラは踊りに夢中になっている男たちの間を縫うように進み、店の片隅にある小さな丸テーブルへとたどり着いた。

 そこにはすでに先客がいた。浅黒い肌の男だ。おそらく荷運びを生業としているらしく、シャツから覗く筋肉ははちきれんばかりだ。陶器のグラスを度々口に運び、踊る女たちを眺めている。

 パルパトラは彼に声をかけた。

 

「美味そうなものを飲んておるの」

 

 そこで初めて男が、傍らの老人に目を向けた。

 

「美味いもんかよ。不味くて口が曲がりそうだ」

「ほう。そういうのが趣味かと思ったんしゃか。さて、儂も一杯もらおうかの」

「せっかくだ。一杯奢ってやろうか?」

「いや、奢られるのは性に合わん。半分は出させてもらうそ」

 

 そう言うと、卓上に銀貨を3枚積む。

 宝石のついた乳当てと腰に緩やかな帯だけをつけた女が、尻を振りつつ酒の入った杯を運んできた。そして、女が歩き去ったのを確認すると荷運びの男は、歩く女に好色そうな瞳を向けつつ、その目の奥で光る、その表情とは全く違う冷たい瞳で辺りを見回し、周囲の喧騒に紛れる様に低い声で言った。

 

「それで、報告の方は?」

 

 

 エ・ランテルの上層部には今回の一件、学者を名乗る男に雇われて、モモン抹殺を頼まれたなどということは話したのであるが、パルパトラにはもう一つ、その前から頼まれていた依頼があった。

 それは帝国からの依頼。

 エッセと名乗る学者らの依頼を受け、事の顛末を報告する事という依頼であった。

 

 この荷運びに扮した男は、エ・ランテルに潜伏している帝国の諜報員である。

 パルパトラは事の次第を、彼に報告するようにと前もって指示を受けていた。そうしたら任務達成とみなし、約束していた報酬を渡すと。

 

 

 パルパトラは包み隠さず話した。

 下手に情報を隠し持ち交渉しようとするより、全て情報は渡してしまって、もう用はないと思われた方が安全だと判断したためだ。

 

 幾度か杯を口に運ぶ真似をしながら聞いていた男がうなづいた。

 

「なるほど。では、報酬だが……」

「すまんが、それは今度にしてくれんか? 実はご覧の通り、今日来たのは儂一人での。仲間がおらんのしゃよ。一人で報酬をもらって帰ったら、儂がこっそり報酬を抜いたと思われるからの。そういう訳で、報酬をもらうのは3日後でいいかの? そん時には仲間を連れてくるでの」

 

 男はわずかに口元をゆがめたものの、首を縦に振った。

 

 

 

 そして、3日後。

 荷運びの男は指定の場所で待っていたが、パルパトラらはいつまで待っても来なかった。

 

 彼らはすでにエ・ランテルを後にしていた。

 パルパトラが男に会った後、彼は仲間と共に急いで荷物をまとめ、夕刻、エ・ランテルの門が閉ざされる前に、街を脱出したのだ。

 

 なぜ、そんなことをしたのかというと、すでに用済みとなった自分たちを帝国が口封じに暗殺する可能性に備えたためである。

 

 しかし、これはさすがに杞憂であった。

 帝国としては、あまり触れ回られたくはないものではあるが、それでも他国の領内で名の知れたワーカーチームを暗殺するほどの事でもない。あまりにリスクが多いわりに、得るものが少ない。

 パルパトラとしても、それは分かってはいた。おそらく、ここで暗殺されることは無いだろうとは踏んでいた。だが、それでもわずかであろうと可能な限りリスクを減らす事が、彼がワーカーという綺麗事の存在しない世界で生きてきた処世術である。

 

 

 その後、彼らは帝国には戻らず、法国を経て、竜王国へとたどり着いた。

 そこで荒れ狂う大波のように襲い来るビーストマンの侵攻を幾度も防ぐこととなり、パルパトラ〈緑葉(グリーンリーフ)〉オグリオンの名は、かの地で英雄として語り継がれることとなる。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

 

 

《余談―2》

 

 

「がああっっ!」

 

 苦痛の声をあげて、男が坂道を転がり落ちる。

 やがて、その体が一番下の石畳に叩きつけられ止まった。反動で振られた男の腕が、ばしゃりと音を立てて、水の中に沈んだ。手に感じる冷たさに、激痛で遠のきかけた男の意識が覚醒する。

 男は地に這いつくばったまま、藻や泥で濁った水を口に運ぶ。

 口に含んだ瞬間、ぬるりとした感触が口内に広がり一度吐き出すも、再度手を入れ、水をすくいあげる。そうして、生臭さを我慢し、ゴクリゴクリと喉奥に流し込んだ。

 

 やがて、ようやく人心地ついたのか、男は仰向けに転がった。

 迷宮の暗さに慣れた目に、傾きかけたとはいえ、日の光は強烈であった。

 

 まばゆさに目を細めつつも、エルヤーは大きく息を吐いた。

 

 

 

 エルヤーが生きて迷宮を出られたのは偶然だった。

 モモンとの戦いに敗れた後、彼は迷宮内の地下水路へと投げ捨てられた。その利き手は砕かれ、片足の腱は切られ、その背には鉄鉤が突き刺され、その端にはエルフ奴隷の焼死体が括りつけられるという有様。

 その流れに押し流されるままに水路を進むと、やがて貯水池とでもいうべき広大な空間に流れ着いた。

 幸い、そこには水に落ちた獲物を狙う肉食系の水棲動物はいなかったものの、水の冷たさと流れ出る血、そして、湖底へと落ちていこうとする死体の重さにエルヤーは必死で格闘した。

 端にある縁に手をかけることが出来たものの、片手ではそこを掴んだまま背中の鉄鉤を外すことは出来ず、ただ、水の中へ沈んでいかぬよう堪えることで精いっぱいであった。

 

 どれほどの間、そうしていただろうか?

 

 不意に背中から重みが消えた。

 彼の背中に突き刺さっていた鉄鉤が、どういう訳だか消えてしまったのだ。

 エルフの死体は彼女たちだけでゆらゆらと揺らめきながら湖底に沈んでいく。

 

 エルヤーは助かるのは今しかないと力を込めた。

 だが、冷たい水で奪われた体力で、長時間水の中にいた体を持ち上げるのは超人的な努力を必要とした。

 だが、エルヤーの生への渇望が、それを成し遂げた。

 その身を貯水池の端にある通路へと押し上げることに成功したのだ。

 

 そのまま倒れ伏し、身動き一つ出来ずに大きく呼吸をするエルヤー。

 だが、まだ助かったわけではないと、痛む全身に喝を入れて、起き上がる。

 

 しばらく周囲を調べたところ、上へと続く梯子を見つけた。

 

 そして、また難行が続いた。

 彼の片手片足は使い物にならないため、残ったもう片方で昇らなくてはならない。あいにくと回復魔法が使えるエルフは、すっかり黒焦げの炭になってすぐ脇の地底湖の底である。ポーションも水に落ちた際に無くしてしまった。

 

 だが、それでもエルヤーは諦めなかった。

 不屈の精神で一段一段身体を押し上げ、やがて一番上、平らな石畳の一室へと這いあがったのだ。

 

 そこからさらに迷宮の入り口を目指したのだが、どういうわけだか侵入時は大量にいた怪物(モンスター)やらアンデッドやらが、迷宮内にまったくいないのである。

 

 よくは分からなかったが、彼は好機と見た。

 そして、幾度も迷いながら、遺跡内を歩き回り、ついに脱出に成功したのだ。

 

 

 

 そして、今度は人里、もしくは街道まで移動しなくてはならなかった。

 遺跡の入り口で待っていても、救助が来るとは思えない。むしろ、(ろく)でもないやつに見つかる可能性の方が高そうだった。

 

 そして、エルヤーは日の落ちたトブの大森林を一人進む。

 落ちていた木の棒を支えに、木の枝をかき分け、何か物音がしたと思ったら、即座に地に伏した。

 

 本来の彼であれば、どんな相手だろうと何ら恐れることは無い。いかなる怪物(モンスター)だろうが切り伏せて見せる自信はあった。

 だが、今はまともに戦える状態ではない。ゴブリン1、2体程度ならまだしも、二桁に達する数であったり、もっと強力なトロールなどと遭遇したら拙い。

 その為にこっそりと隠れながらの移動であったが、それは彼にとっては屈辱の極みであった。

 

 

 やがて月が夜の真上に来る頃、その体が樹木の海から飛び出した。

 ついに街道へと行き着いたのだ。

 ここからは街道沿いにどちらかに行けばよい。

 だが、ここまで歩いてきたことで、すでに方向感覚は失われている。どちらに行けばよいのか……?

 

 悩むエルヤーの目に光が見えた。

 揺らめく赤い光。

 火の灯りだ。

 

 見ると近くに馬車も見える。おそらくどこかの隊商が野営をしているのだろう。

 

 ――一先ず、彼らに助けを求めよう。旅の商人ならば、ポーションくらいは持ち歩いているだろう。怪我さえ治れば、なんとでもなる。それと食料だ。もう丸一日近く何も食べていない。どんなものでもいい。腹に入れたい

 

 エルヤーは気がせくままに、足を引きずりながらそちらに近づいていった。

 

 

 

 だが、その野営地らしき場所にたどり着いてみると、奇妙な事に気づいた。

 

 人がいないのである。

 

 焚き火は燃えている。

 そこにかけられた鍋もそのままである。

 だが、なぜか誰一人いないのである。

 

 

 エルヤーは首をひねりつつ、燃える火に近寄って行った。

 

 不意に――背筋に寒気が走った。

 

 

 ――何かがいる!

 

 

 その時、風向きが変わった。

 風がエルヤーのところに臭いを運んでくる。

 

 血の臭い。

 それと――獣臭。

 

 慌てて上を向くと、堅牢そうな馬車の上、そこに巨獣がいた。

 凶暴な気配を漂わせる堂々たる体躯の獅子。その背には黒い蝙蝠の羽があり、本来尾があるところからは先が割れた舌を出し入れする毒蛇が生えていた。

 

 

 マンティコアである。

 それも2体。

 

 

 エルヤーは後ずさりした。

 普段の彼であれば、マンティコアなど恐るるに足らない。

 だが、今の彼は片手片足が使えず、その身は疲労困憊し、更にはその手にあるのは愛用の剣ではなく、ただの棒っ切れである。

 

 

 マンティコアは威嚇の吠え声をあげた。

 大きく開けた口からはよだれが垂れている。だが、それは空腹による飢餓感からではなく、抑えきれぬほどの憤怒の発露である。

 怒りに燃える瞳がエルヤーをとらえる。その瞳は片方しかなく、獅子が体をゆすると、潰されたもう片方の目から赤黒い血が滴った。

 

 

 そして凶獣は耳をつんざく咆哮と共に、飛びかかった。

 

 

 襲い来る魔獣に叩きつけられたのは、華麗な剣閃ではなく、エルヤーの口から洩れた恐怖と怯えの悲鳴であった。

 

 

 

 

 

 

「あの、ベルさん」

「なんですか、アインズさん?」

「ちょっと聞きたいんですけどね。あのダミーダンジョンに使ったマンティコア。あれ、どうしました?」

「? あの時のマンティコアですか? いや、特にもう必要もなかったですし、うちで飼ってても無駄に食費がかかるだけですから、てきとうに転移でその辺に捨てておきましたよ。ついでに、あのダンジョン内に自然湧きしていたアンデッドとかも。レベル低いのに数だけいて邪魔だったんで、そいつらも一緒に」

「そうですか……」

「どうかしましたか?」

「いえね。実はエ・ランテル近郊の街道に、トブの大森林奥地にいるはずのマンティコアが突然現れて、隊商とかを襲ってるって、冒険者組合の方で問題になってるんですよ。それも、現れたマンティコアは2体で、1体は片目が潰されている。もう1体は翼が取れかけているって話です」

「…………」

「…………」

「……………………頑張れ。アダマンタイト級冒険者、モモンさん!」

 

 

 


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