オーバーロード ~破滅の少女~   作:タッパ・タッパ

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 群像劇風にしてみたら、どこで一話切ろうか悩む……。
 本当は昨日投稿する予定でしたが、1エピソード書き忘れていたため、遅れてしまいました。

2017/3/29 「愚行」→「愚考」 訂正しました


第51話 帝国の人々

「はあっ、はあっ」

 

 大きく息を荒げながら、アルシェ・イーブ・リイル・フルトは街を駆けていた。

 走りながらも今、その脳裏に浮かぶのは、彼女の大切なものとしてフォーサイトの仲間たちと共に並ぶ、彼女の妹たち。

 

 

 クーデリカとウレイリカ。

 

 彼女は湧き出して来る涙を、必死で振り切り、道を走った。

 

 

 彼女、アルシェが久しぶりに、実家の借金返済の為に命を懸けて稼いできた金を手に家に帰った所、待っていたのは予想だにしていなかった悪夢であった。

 

 この家には、クーデリカもウレイリカもすでにいない。

 

 どういう事なのかと聞こうにも、父や母相手ではもはやまともな話すら通じない。

 

 一体いつからこうなったのだろうか?

 アルシェは反問する。

 鮮血帝に貴族位を奪われた時からだろうか? 他の貴族たちからそっぽを向かれた時からだろうか? それとも、入ってくる金もないのに貴族の頃と同様の生活を続け、借金に首が回らなくなった時だろうか?

 彼らの言葉は、まるでがなりたてられる動物の鳴き声のようにしか聞こえない。

 

 とにかく、親たちとこれ以上話しても無駄だ。

 アルシェは執事であるジャイムスを呼んだが、その声に応えるものはいなかった。

 

 代わりに父が答えた。

 侮蔑の色を交えて。

 

 

 ジャイムスはもうこの家を逃げ出したと。

 

 

 その答えには、さすがにアルシェも驚愕に目を丸くした。

 

 ジャイムスは彼女が生まれた時からずっといてくれたのだ。貴族位を奪われ、すでに落ち目になったこの家にも、前と変わらずずっと仕えてきてくれたのだ。

 そんな彼が出奔するわけがない。

 それこそ、よっぽどのことがない限りは。

 

 そんな、よっぽどのことをしたのだろうかと、自分の父を懐疑の目で見つめるが、父はとにかく怒りに身を震わせるばかりであった。

 そして、その怒りの矛先はアルシェにも向いた。

 

 ――なぜ、エ・ランテルに行ったあと、すぐに帰ってこなかったのか、と。

 

 そして、さらに問いただした。

 

 ――それで、ちゃんと金は稼いできたのか、と。

 

 

 その言葉を耳にした瞬間、アルシェは手にした杖で父親を殴りつけていた。

 

 これまで、アルシェは父に手をあげたことなどなかった。

 学院に通って勉学に励み、様々な魔法を身に着けた。ワーカーとして生死の境をさまよい、ミスリル級冒険者に匹敵する実力を身に着けた。

 

 アルシェが本気になれば、強権的な父親をなど力でねじ伏せることも容易であり――。

 

 

 ――それこそ、殺すことなど造作もなかった。

 

 

 だが、これまで彼女は父には手をあげなかった。

 育ててくれた恩もある。貴族として育てられ、親に手をあげるのに忌避感があったこともあげられる。

 彼女にとって、それは明確な禁忌であった。

 しかし、今、それを冒してしまった。

 

 アルシェは鼻血を撒き散らし、床にはいつくばって悲鳴を上げる父親をただ見下ろしていた。いつも穏やかな瞳を向けてくれていた母は今、彼女に対し、突然現れた怪物(モンスター)でも見るような怯えた視線を向けていた。

 

 アルシェは(きびす)を返す。

 そして、もう戻らないことを告げ、長年暮らした家を後にした。

 

 

 

 その後、彼女は妹たちを捜し歩いた。

 裏社会の人間、闇の組織にも接触し、人身売買に妹たちが商品として出品されていないか尋ねてもみた。

 その結果、しばらく前にクーデリカらしき人物がどこかに売り飛ばされたらしいという話は聞けたものの、それがどこなのか、その後どうなったのかは分からずじまいであった。ウレイリカに関しては、手掛かり一つなかった。

 

 

 ――どうか、無事でいて。

 

 

 アルシェはそれだけを願い、夜の街を駆けた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「それでどうする気だ!?」

 

 何処にあるやもしれぬ一室。飾りの(たぐい)など何一つなく、ただ部屋の中央に置かれた燭台に灯された〈永続光(コンティニュアル・ライト)〉の仄暗い明かりだけが室内を薄暗く照らす。

 今、その明かりの中に数名の人間が浮かび上がっていた。

 

 

 (いら)ついた様子を隠すことなく怒声を上げるのはウィンブルグ公爵。

 ここ、帝国の貴族としてはかなりの上位に位置する男だ。

 

 その勘気に触れた男はオロオロと狼狽(うろた)えた。

 

「そ、その……次までには、か、代わりの娘を用意いたします」

「ほう? では次回には、今回用意するはずだったのと同じような貴族の娘を用立てられるという事か?」

「い、いえ……それはさすがに……」

 

 公爵は再び苛立たし気に声をあげた。

 

「つまり代わりなど用立てられんという事だろうが! とりあえず、言い逃れをして取り繕っておけば何とかなるとでも思ったか! 貴様は自分がどれだけの事をしたのか分かっているのか!?」

 

 再度落とされた怒りに、身を震わせる男。

 その様子を見ていた神官は取りなす様に間に入った。

 

「まあまあ、落ち着いてください、公爵」

 

 横からかけられたその言葉に彼は少し落ち着きを取り戻した。

 

「しかしですな、神官殿。あれは元がつくとはいえ貴族の娘。手に入れるのには、少なくない費用を要したうえに、そうそう手に入るような存在ではありませんぞ」

「ええ、その辺りは重々に承知しております」

「今は、あの皇帝が貴族を潰す口実を目を皿にようにして探っている状況。金に困って娘まで売るフルトの阿呆のような奴でもいない限り、青い血を持つ者を生贄にする機会なぞ、そうありますまい」

 

 公爵の懸念はまっとうである。

 今の帝国は自身に権力を手中させようとする皇帝ジルクニフの施策によって、能力の乏しい貴族たちは貴族位を取り上げられ、例え能力があったとしても彼の意に背いた者達は様々な難癖をつけられ、その力をそぎ落とされて没落していく有様である。

 そんな中、この邪教集団に参加している者達は高位の貴族達であり、さすがにジルクニフとはいえ、そうそうは手が出せはしないのではあるが、それでも情報が洩れれば粛清の対象になりかねず、慎重な行動が求められていた。

 その為、生贄としてささげられる少年少女たちも、彼らが直接取り扱うことなく犯罪組織を仲介させている。そして、あくまでグレーではあってもちゃんとした契約の下に売り飛ばされたなど、可能な限り足がつきにくい者を集め、儀式を行っていた。

 

 

 そんな折、没落貴族であるフルト家の娘が借金のかたに売り飛ばされることとなった。

 

 鮮血帝ジルクニフの施策によって貴族から脱落した元貴族達は、金に困ることがほとんどである。

 なにせ、これまでは領地からの収入や国からの給金によって生計を立てていたのだ。

 金というものは勝手に出てくるものであり、それを使って貴族同士の見栄の張り合いに勝利し、貴族としての(くらい)をあげたり、領地を増やしたりという事をするのが武官ではない貴族たちの戦いであり、生き方であった。

 

 だが、その基盤である貴族位ならびに領地を取り上げられてしまったのだ。

 

 彼らは世間一般で言う労働などしたことがない者がほとんどだ。貴族位や領地が無ければ継続して手に入る収入もなくなる。

 無論、それ以外にも商売に手を出すなど、別の収入源を確保している貴族もいるが、そのような目端の利く者達に関しては有能であるとして貴族位を取り上げられはしなかった。そんな者達も、彼の意に反すれば、資金拠出の協力(・・)などを求められることにはなるのだが。

 

 その為、貴族位を失った貴族たちの行く末は3つ。

 1つ目は、家にあるこれまで集めてきた金目の物――芸術品であったり、宝飾品であったり――を少しずつ売り飛ばして生活する者。

 2つ目は、食いぶちを稼ぐため、これまで自分がした事のない労働に従事する者。

 3つ目は、金が入ってくる当てもないのに借金をして生活をする者。

 

 フルトの家はこの3つ目に該当した。

 フルト家の当主は、あくまで貴族としての権力争いの才能はそれなりにあったのであるが、残念ながらそれ以外のものは持ち合わせていなかった。すでに貴族ではないにもかかわらず、それには目をつぶり、ただ貴族の血筋であるという栄光にすがって生きてきた。金が無くなっている現状にもかかわらず、何ら節制することもなく、これまで通りの生活を続けていた。

 通常ならそんな生活はすぐに行き詰るはずだったのだが、長女であるアルシェには天才と呼ばれるほどの魔法の才能があり、貴族でなくなって(のち)は彼女がその才を生かして金を稼ぎ続けていた。

 その為、彼は自らの生活を(かえり)みることなく、貴族であった頃、そのままに生きてしまっていた。

 

 そして、稼ぎ頭である長女が予定の日にちを過ぎても家に帰ってこなかったとき、フルト家の生活は破綻(はたん)した。

 

 借金の返済期日までは、実際の所まだあったのだが、長女以外の者に金を工面できる能力がないことは金貸しにはよく分かっていた。帰ってくる見込みがないなら、約束の期日を馬鹿正直に待っていてもしょうがない。むしろ、先延ばしせず繰り上げて取りたてた方が利息も減って借りた側の為にもなる、と身勝手な理屈をつけて、家じゅうの物で返済を迫った。

 そして、物だけでは足りなくなり高値を付けたのが、家にいた双子の娘たちであった。

 

 

 そうして双子の片割れ、クーデリカは売られた。どちらでもよかったのだが、ウレイリカの方は家を継ぐ者がいなくてはフルト家が断絶してしまうと、家に残された。

 買い取った人身売買の業者はすぐに邪教組織に渡りをとった。掘り出し物があったら、連絡をするように話がついていたからだ。

 

 このフルト家の娘というのは中々に珍しい代物であった。金に困った没落貴族が娘を……という話はよくあったが、そういう者は直接娼館に流れるのが普通であり、彼女のように貴族の娘、それも明確に処女である年端もいかない少女が人身売買の方に出されるというのは、非情にまれであった。

 

 彼らとしては、買い取った連中は彼女をろくでもない事――異常な性欲のはけ口――にでも使うのだろうと考えていたが、さすがに邪神への生贄として殺してしまうなどという事は想像だにしていない。だが、彼らには売った後の結末を探る気もない。

 

 

 そして、クーデリカは大金で売り飛ばされた。

 

 ――だが、彼女は邪教組織の許へは来なかった。

 途中で、輸送に(たずさ)わっていた者達もろとも消えてしまったからである。

 

 

 その結果、最も困ったのが当の邪教組織である。

 なにせ、今回の儀式の生贄は普通の者ではない、青い血の持ち主であるフルト家の娘、クーデリカであると参加者たちに広言してしまっていたからである。

 それなのに、クーデリカが突然いなくなってしまった。

 あまりに急の事で代役となる人間も見つからず、とりあえずだが代わりを用意したものの、そちらは大不評であった。

 組織の中で彼ら貴族の取りまとめ役となっている、ウィンブルグ公爵もまた顔に泥を塗られる結果となり、それが今の嚇怒(かくど)につながっている。

 

 

 

「あはは。あれって、酷かったもんね。皆、子供が殺せる、子供が嬲られて死ぬところが見れるって期待して集まってたのに。ふたを開けてみたら、出てきたのはただのメーメー鳴く羊だもん。こんだけ雁首(がんくび)そろえて家畜を殺すとかって屠畜業者のパーティーかっての」

 

 半ば糾弾(きゅうだん)の場と化し張り詰めていた空気を読んでか読まずか、その場にいた唯一の女性が茶化すような声をあげた。

 その笑い声に、思わずウィンブルグ公爵も彼女の事を、男に対しての怒りのままに睨みつけてしまう。

 だが、そんな怒りの視線など彼女、クレマンティーヌは気にも留めなかった。

 

「で? どうすんの? 皇帝陛下にばれちゃうのが怖いから、いっそのことうちは人間を生贄にするの止めて、これからずっと家畜を生贄にしようか? この前は羊だったから、次は山羊、その次は豚とかって。それなら、もし皇帝にばれても、いつも食材となってくれる動物たちへの感謝を示す催しですって言っちゃえば、誤魔化せるんじゃないの?」

 

 自分で言って、更に甲高い声で爆笑する。

 圧倒的な権威を持つ上級貴族の年寄り連中が集まり、全員が裸になって、家畜の解体をするという想像がツボに入ったようだ。

 

 

 人を苛立たせる笑い声。

 公爵の身体が抑えきれない怒りに震える。

 それを見て、神官が彼女をたしなめた。

 

「クレマンティーヌよ。その辺にしておきなさい」

 

 クレマンティーヌは糸が切れた様に笑いを止めた。

 そして、一瞬だが氷のように冷たい瞳を神官に向けた後、

 

「はい。言いすぎました。申し訳ありません」

 

 と、頭を下げた。

 

 

 しおらしい彼女の様子に、ウィンブルグ公爵も冷静さを取り戻し、吹き出しそうだった怒りの感情を飲み込んだ。

 そして神官は皆を見回す。

 

「ええ、たしかに。今回の事は痛手でありました。次は絶対にこのような事が無いようにしなければなりません。次も同様の事があれば……これは決して許すわけにはいかないでしょうな」

 

 フードの奥に隠された神官の青い瞳に一瞥されて、先程公爵に咎められていた男は再び怯えた表情を浮かべた。彼は生贄の輸送などに携わっていたのだ。クーデリカがいなくなったのは彼の責任という事になる。そして、今、彼の目の前にいる人物たちは、彼を社会的にも物理的にも抹殺できるような者たちなのだ。

 その事をあらためて思い返し、その身に震えが走った。

 

 

 その場にいながら、先のやり取りに目もくれることもなく、一言も発しない男がいた。

 ローブをまとったその姿は非常に小さく、枯れた朽ち木にも似た印象を思わせる。本当に生きているのかさえ疑問である。

 その男の口元がモゴモゴと動いた。

 

「…………」

 

 聞き取れないほどの微かな声だったが、その場の内でクレマンティーヌだけはその声を聞き取ることができた。

 

「ん? なに? 次は生贄はたった一人だけじゃなくて、数人は準備しておいた方がいい? あー、なるほどね。何人か用意しておけば、不測の事態で1人使えなくなっても、他を使えばいいからねー」

「な! ふ、複数だと」

 

 その提案にウィンブルグ公爵が驚いて身を震わせた。

 

「お、お前たちは、今の状況を理解しているのか!? 今、皇帝ジルクニフは貴族の言動や動向に目をとがらせていて、なにか失脚させる口実を探し回っているところなのだぞ! そんな目立ちやすい行動をしたら、どうなるか……」

「あのさぁ、公爵。あなたこそ、今の状況分かってる?」

 

 クレマンティーヌは聞き分けのない子供に向けるように苦笑を浮かべ――その赤い瞳を向けた。

 獣のような目に捉えられた公爵はウッと言葉が詰まる。

 

「そんな事言ってる場合じゃないよね。この前の失敗みたいなことしたら、この組織、ガタつくよ。下手すりゃ、無くなるね。そんな事になったら、あなた、どうなると思う?」

 

 問われた公爵は、もし再び前回のような失態――貴族の娘を生贄にすると宣言しておきながら、ただの家畜を生贄にする――を繰り返す羽目になった時の事を考えた。

 

 この邪教組織は帝国貴族の中でも上位の者達が参加している。言うなれば、上流階級における闇の社交界のようなものだ。そして、自分はその中の貴族側の取りまとめ役として一目置かれており、それは邪教組織の中だけにとどまらず、表の世界でも何かと存在力を誇示することが出来た。

 だが、それは、この度々(たびたび)(もよお)される儀式に参加できるというメリットがあっての事だ。

 別に彼らは本当に邪神を崇めているわけでもない。邪神に生贄を捧げると称して、普段なら行うことは出来ない『殺人』を楽しむことが出来る。そんな禁忌を破る秘かな楽しみがあるからこそ、彼らは益体(やくたい)もないこの組織に所属しているに過ぎない。

 そんな集会で彼らの所属する目的、すなわち『殺人』を行えなくなったら、いったい誰がそんな組織にいたいと思うだろうか。

 当然、脱会していくだろう。それも何人も。

 そして、辞めた人間がこの組織の秘密を守るとは考えにくい。

 それこそ、何かのきっかけでその者が皇帝から睨まれでもした際には、取引材料としてこの組織の情報を包み隠さず話すだろう。

 

 そうなったら、待っているものは身の破滅だ。

 

 ウィンブルグ公爵が邪教組織に属する貴族達の取りまとめ役だったことは誰もが知っている。

 これまで彼はその立場を利用して、裏表問わず権勢をふるってきたのであるが、それがかえって(あだ)となる可能性がある。

 この邪教組織の行った犯罪行為、そのすべての責任を押し付けられかねないのだ。

 

 貴族たちは、共に神の摂理に反したことを行っているという後ろ暗い優越感と連帯感で繋ぎ止めておかなくてはならない。

 この組織を揺らがせるわけにはいかない。

 すでに後戻りはできないところまで、足を踏み入れてしまっているのだ。

 

 

「危ない橋を渡ることになっても、やらない訳にはいかないのか……」

 ウィンブルグ公爵は青い顔でつぶやいた。

 

 そして、彼はうなづいて了承を示すと、灯りのそばから離れ、暗闇へと消えていった。

 続いて、クーデリカが消えたことの責任を問われていた男も怯えた様子で、その場を離れた。その背にクレマンティーヌからたっぷりと、次にまた失敗したらどうなるか分かっているのかという脅迫の言葉が投げかけられ、震えながらの退出である。

 

 

 

 そして、その場には3人の人物だけが残された。

 神官の男。

 クレマンティーヌ。

 そして、ローブを着たミイラのような人物である。

 

 

 しばしの時が経ち、この場を去った他の2人が十分に離れ、ここでの話し声が届くことがないと知れてから、ようやく神官は口を開いた。

 

「クレマンティーヌ様。先ほどは失礼な口を開いて申し訳ありません」

 

 そう言い、深々と頭を下げる。

 どう見ても、先ほどの上位者然としてクレマンティーヌをたしなめた態度とは雲泥の差だ。

 それに対し、彼女はケラケラと笑う。

 

「まあ、いいって、いいって。そういう配役だしね。まあ――」

 

 一瞬で言葉に冷たいものに変じる。

 

「――少し言葉遣いにイラッと来たから、殺しちゃおうかとは思ったけどね」

 

 瞬間的に叩きつけられたその殺気に、彼は思わず後ずさりし恐れ慄いた。

 

「…………」

 

 ミイラのような男が口を震わせる。

 それを聞き、また一瞬でクレマンティーヌの気配が変わった。

 

「はいはい。冗談だって。ね、そんなに怖がんなくてもいいよ」

 

 にこにこと笑う。

 笑みを向けられた神官は、ごくりとつばを飲み、姿勢を正した。

 

 彼は表向き、邪教組織の中でも儀式を取り仕切る最上位の人間という形になっている。

 だが、実際のところはそうではない。

 彼はそれなりに力はあると言っても、所詮はズーラーノーンの末端構成員の1人でしかない。

 今、彼の目の前にいる人物たち、詳しい事は知らないが凄まじい戦闘能力を誇るクレマンティーヌという女性、ならびにこのミイラと見間違うような人物、秘密結社ズーラーノーンの高弟の1人ズル=バ=ザルこそが、実質的にこの邪教組織の方針を決める上位者と言える。

 

 

 ズーラーノーンとスレイン法国。

 一見すると激しく敵対し、決して手を取り合う事などありえない2者であるが、その内実、目的の為ならば協力し合う事もある。

 他国においてスレイン法国が工作を行うときには、ズーラーノーンというのは実に良い隠れ蓑になるのだ。また、ズーラーノーンは各地に広く手を伸ばし、潜り込んでいる。時には驚くべきところまで根をはっていることもある。そんなルートが使用できるのは法国として実にありがたかった。

 ズーラーノーン側としても、スレイン法国から資金などのバックアップを受ける事もある。また、裏を使わず表の法国のルートで物資を調達したりすることが出来、ときには人員までも貸し出してくれるというのは魅力的だった。

 その為、その時々で簡単に破棄されたり、再度締結されたりという信用のならないものではあったが、2者は手を結ぶこともあった。

 しかし、そんな裏事情は一般の者は知る由もない。

 普通に彼らは互いに憎悪し、敵対し、そして殲滅し合っている。

 彼らの限定的な協力関係はごくごく限られた者達、法国の六色聖典の一部やズーラーノーンの高弟以外知る由もない。

 

 その為、神官である彼もまた、クレマンティーヌと名乗る女性はズル=バ=ザルが見つけてきた凄腕の傭兵としか考えていなかった。

 彼女がまさかスレイン法国の人間であり、さらにそのなかでも、ズーラーノーンに属する彼ですらかろうじて噂として聞いたことがあるに過ぎない、法国最強の戦力と言われる漆黒聖典に属する者であるなどとは夢にも思わなかった。

 

 

 彼は冷や汗をぬぐい、先程から抱いていた疑念を口にした。

 

「しかし、先ほど、次は生贄を複数用意すると言っていましたが、大丈夫でしょうか? ウィンブルグ公爵も心配しておりましたが、あまり事を大きくすると我らの活動が帝国にばれてしまうのでは?」

 

 その言葉に、クレマンティーヌは大仰に肩をすくめて見せた。

 

「あのさぁ」

 

 呆れたような声を出す。

 

「あの切れ者皇帝が、うちらの事を知りもしないと思ってる?」

「は……?」

 

 ぽかりと口を開けた彼を無視して、クレマンティーヌはミイラのような姿のズル=バ=ザルに顔を向けた。

 

「うーん、とりあえず、次の集会は派手目にしないと駄目だね。今回の失敗を取り返さなきゃいけないし。生贄も増やすって事だから、いっそ場所も変えちゃおうか?」

「…………」

「うん。そうだね。あと、やっぱ生贄もちゃんとしないと。貴族ねぇ……私がどこかのやつを攫って来ようか?」

「…………」

「冗談、冗談。やらないって。でも、貴族でちょうどいいの探すのとかってめんどくさいねぇ。別に貴族じゃなくても、普通のやつに貴族の服着せたりするだけじゃダメなの?」

「…………」

「分かるとは思えないけどねぇ。まあ、いいや。貴族見つかればオーケー。見つかんなかったら、その辺のやつにちゃんとした服を着せて誤魔化すって事で」

「…………」

「あー、たしかに。一番いいのはそのいなくなったフルト家だかの娘が見つかれば、あとくされないんだけどね」

 

 そう言うと、クレマンティーヌは背を向ける。ズル=バ=ザルもまた話は終わったと背後の暗闇の中に姿を消した。

 慌てて神官も、二人の後を追うように灯りの下から歩み去る。

 

 

 誰もいなくなった室内を、〈永続光(コンティニュアル・ライト)〉のほのかな明かりだけが照らしていた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

 

 

 

「――と、いう事が事の顛末(てんまつ)のようです」

 

 ロウネはそう説明を締めくくった。

 報告を聞いていた『鮮血帝』ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスは、「ふむ」とだけつぶやき、座りのいいソファーに身を預けたまま、わずかな間、目を閉じた。

 

 今、彼は側近であるロウネ・ヴァミリオンから、帝国の元貴族に接触し、エ・ランテルの冒険者モモン暗殺を目論んだ学者を名乗っていた者達についての報告を受けていた。

 

「ズーラーノーンか……。どう思う?」

 

 ジルクニフの問い。

 それを予期していたロウネは時を空けることなく答えた。

 

「事実ではないでしょうな。学者を名乗る法国の人間が、万が一、任務が失敗した時に備え、そう思わせるためになんらかの物証を用意していた。もしくは、冒険者モモンが証拠を捏造して、ズーラーノーンに罪をなすりつけたと言ったところでしょうか」

「しかし、そのダークエルフの古代遺跡とやらには、大量のアンデッドや怪物(モンスター)がいたというぞ。それにギガントバジリスク――まあこれはアンデッドらしいが――そんなものまでいたそうだ。法国が偽装の為にそこまで用意して、今回の事を行ったと思うか」

「あの国ならやりかねませぬな。ましてや今回は他国で活躍するオリハルコン級冒険者の抹殺という大事(だいじ)でございましたから。それと、そのダークエルフの古代遺跡とやらですが、そもそもそこは元からズーラーノーンの拠点の一つであった可能性もございますな」

「嘘の中に真実を混ぜるという手か?」

「はい。法国は秘かに王国や帝国で活動するズーラーノーンの者達とも手を結ぶ場合もありますから。なんらかの理由で破棄されたズーラーノーンの拠点を利用したのかもしれません。まあ、可能性の話でしかありませんが。とにかく、法国が目論んだモモン抹殺は失敗という事です。まあ、その抹殺というのは表向き、すべてズーラーノーンのせいで済んだようですが」

 

 その言葉に、ジルクニフは微かな笑いを漏らした。

 

「ああ。法国の意図、なぜモモンを殺そうとしたのかは分からずじまいだがな。こちらとしては、元とはいえ帝国貴族が絡んだモモン暗殺のことが明るみになって、ウチと王国との仲が悪くなることもなかったし、失敗に終わったとはいえ法国には少しばかりの貸しが出来た。まあ、得たものはほとんどないが、失ったものもとくにはないか」

「はい。まあ、帝都を拠点としていたワーカーチームが失われたため、多少、治安の問題がありますが、それくらいですね」

「そっちは手配しておけ」

「畏まりました」

 

 そう言って、ロウネは深く頭を下げた。

 ジルクニフは話が一区切りついたと卓上の杯を呷り、のどの渇きをいやした。

 その時、ふと一つの事を思い出した。

 

「そういえば、その件の情報をこちらに流したことで、フルト家の執事からその家の娘を保護する事を嘆願されていたな。あれは、どうした?」

「はい。そちらですが、結局、娘の引き取りはしておりません」

 

 その答えに、ジルクニフはわずかに眉をしかめた。

 別にその娘がどうなろうと知ったことではないが、一度、約束したものを反故にするという事は、こちらの信用にかかわる。下手に、その噂が漏れ、帝国上層部は約束を守らないという話が広まってしまう事になったら、今後の情報工作等に影響が出かねない。

 

 そんな若き皇帝の内心を察したロウネは言葉を続ける。

 

「こちらとしては約定を守ろうとしたのですが、フルト家の執事であり、今回の取引相手であるジャイムスが娘を引き渡すための場所に現れなかったのですよ」

「向こうが約束を破ったという事か? しかし、何の得がある? すでにこちらに情報は渡し済みなんだぞ」

「どうやら、そのジャイムスという執事は約束通り、ウレイリカという娘を帝国に保護してもらうため、その娘を連れてフルト家を出たようなのですが……その後、何者かに殺されたようです」

「なに? 確かか?」

「はい。死体が発見されました。背中に深い刺し傷、そして首や手などに切り傷がありましたので、検死した者の見立てでは、最初にいきなり後ろから刺され、驚いて振り向いたところを執拗に切りつけられたようです。手には防御瘡があり、また前面への傷は浅いものが多いことから、犯人は人を殺す経験を積んだ戦士ではなく、そういった事に不慣れな者が、ちゃんとした武器ではなく携行性の高い短めの刃物で襲いかかったと思われます。娘の引き渡し場所として、目立たぬよう少々治安の悪いところを選んだのですが、そこへ来る途中、運悪く暴漢に襲われたのでしょう」

「なるほど。それで、娘の方は?」

「手がかりはございませんな。行方不明のままでございます」

 

 ジルクニフは鼻を鳴らした。

 

「一応聞いておくが、その娘を抱え込むのが負担になるから、お前が手を廻したという訳ではないんだな」

 

 その問いに、ロウネは大仰に嘆いて見せた。

 

「おお、なんということをおっしゃいます。私は右筆(ゆうひつ)の身として国のために身を粉にして働いているというのに、善良なる国民が非道なる犯罪に巻き込まれた事に心痛めているというのに、我が主はこの私めをお疑いになるなど! しかしながら、私としては、そのような残忍な始末をする者にたった1人だけ心当たりがございますな。これは私見でございますが、噂に聞く鮮血帝なる人物が怪しいのではないかと愚考いたします」

「ははは。さすがにその鮮血帝とやらも、いちいち一国民たった一人の為に暗殺者は雇わんと思うぞ」

「なおの事、臣下たる私めも、さような事はいたしませんとも。さすがに報酬を帝国につけずに、ポケットマネーで暗殺者を雇う気もございませんので」

「やれやれ、主の為ならば自分の身銭を削ってでも、動くのが忠臣と思っていたがな。いささか、お前の忠誠心も疑わねばならんかな?」

「はてさて、なれば、さらなる給金を支払う事で、その者の忠誠心を繋ぎ止めることに努めてはいかがでしょうか?」

 

 ひとしきり冗談を言いあった後、ジルクニフは笑い顔をひっこめた。

 

「それで、何か裏があると思うか?」

「いえ。おそらくは裏はないと思われます。こちらで引き取って、どこかの貴族の養子として送った後ならともかく、現段階では大して価値もありませんし。そもそも、結局のところ、あくまで貴族でもない平民が治安の悪い区画をうろついて強盗に遭い、これまた平民の娘が1人行方不明になったというだけですので」

 

 つまり、大した事件ではないとして、あまり詳しくは調査が行われていないという事だ。

 帝国、それも帝都は治安はいい。スレイン法国ほどではないだろうが、王国とは格段に違う。だが、それでも国内で起きた些細な事件のすべてを把握し、調査、解決する事など出来はしない。

 

「これは完全に推測なのですが……」

 

 ロウネの言葉に、ジルクニフは顎で続けるようにうながす。

 

「もしかしたら、例の邪教集団が絡んでいるかもしれませんな」

 

 その言葉には虚を突かれた。

 まさか、再び、その話が出てくるとは思ってもいなかったためだ。

 どういうことだと、ジルクニフはその推測の根拠を尋ねる。

 

「そのフルト家の娘、ウレイリカの保護をその家の執事がこちらに持ちかけてきたきっかけは、彼女の双子の片割れ、クーデリカを父である現当主が借金のかたに売り払ってしまったからです」

「ああ、それは聞いたな。ワーカーとして金を稼いでいた姉の帰りが遅くなったのを、死んだと勘違いしたために、借金を取りたてられて、そいつまで売り飛ばしたんだったか」

「はい。それでその売られた片割れですが、その邪教集団の集会の際に生贄として(きょう)されるはずだったようです。ところが途中でその行方が分からなくなってしまったようで」

「逃げたのか?」

「不明でございます。なんでも、一緒にいたはずの者達も皆、消えていたということらしく。結局、その時の集会では生贄は羊で代用したらしいですな。たいそう不評だったそうで」

 

 それはそうだろう。あくまで邪神への生贄と称して、狂乱のまま人間を殺すという事に暗い喜びを感じ、共にそれを体験した者達とひそやかな連帯感を抱くはずの儀式が、ただ普通に、法に触れることもなく家畜一頭殺して終わりでは何の意味もない。

 

「それでですな。その双子の片割れを生贄にしそびれたそいつらが、代わりに双子のもう片方を攫ったのではないかと。ある意味意趣返しに、そして次の生贄にするために」

 

 ロウネの言葉に、ふむと考え込む。

 たしかにその可能性はある。

 そいつらの基準は分かりはしないが、邪神への生贄となれば、普通の者より貴い血筋の者の方が価値はありそうな気がする。

 それに、おそらく邪教集団としては、事が大事になり国の調査対象となることは嫌がっているだろう。フルト家は元とは言え貴族という家柄ながらすでに1人、娘を借金のかたに娘を売り飛ばしているような有様だ。そんな家の残りの1人を攫っても、いまさら誘拐だなどと届け出はしにくいだろう。そもそも、家から連れ出したのは、その家の執事だ。責任はすべてそいつに押し付けられる。

 

 

 しばらく顎に手を当て考え込んだのち、ジルクニフは尋ねた。

 

「その邪教集団についての情報はどれだけ集まっている?」

「参加している帝国貴族はすでにあらかた判明しております。彼らは未だこちらには情報は漏れていないと思っているでしょうが。ですが、残念ながら肝心の、集会の運営を取り仕切っている幹部連中については、いまだはっきりとはしておりません。ズーラーノーンや法国あたりが絡んでいるのではないかと推察はされますが、確証はありません」

「ふむ、そうか」

「探りを入れますか? 今より重点的に人員を割けば、もっと早く調べはつくとは思いますが」

「いや、いい。急ぐこともない」

 それには首を振った。

 彼はビロードの布を敷いたソファーから立ち上がる。

 

「貴族連中にだって娯楽の一つも必要だろう? それまで取り上げる程、俺は非情ではないぞ」

 

 自分の言ったことながら、笑い声をあげた。

 

「それに、連中も帝都の治安を大きく乱すなどはせずに、控えめに行動しているのだろう。俺に目をつけられぬようにな。その程度に分をわきまえてやっているなら、いちいち固いことは言わんさ。今回のフルト家の娘の事も、大した問題でもないしな」

 

 そう、正直な話、フルト家という貴族位を剥奪された家の娘2人がいなくなろうが、帝国としてなんら困ったことが起きるわけでもない。

 ただ帝都に住む何万人もの人口のうちからたった2人減るだけだ。

 そんなことに目くじらを立てるよりは、見て見ぬふりをした方がいい。今いる帝国貴族たちはそれなりに有能な者達であり、そいつらの気晴らしに饗された方がはるかに帝国の役に立つというものだ。

 

 その邪教集団は秘かに活動しているつもりが、実のところ、ジルクニフの手の上で遊んでいるだけである。

 そして、それは彼らを裏で操るズーラーノーンや法国としても、織り込み済みであった。

 

 殲滅しようとしたら激しい抵抗が予想され、帝国側としてもそれなりに被害が出る。そして、そうまでしてやっても、上級貴族たちが一度にいなくなり、それによって帝国内が混乱する結果しか生み出せない。そんなことをするくらいならば、泳がせておいた方がいい。密偵を送り込み、彼らの弱みを掴む程度で十分だ。あくまで後々使える切り札の収集だけでとどめており、一線を超えない限りは自由にさせておくというのが帝国としての判断であった。

 

 知らぬは当の集団に参加している貴族たちのみである。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ゴトンと馬車が揺れた拍子に、マリーア――クーデリカ――の身体が大きく揺れた。

 向かいに座っていたセバスが思わず支えようとしたが、隣に座っていたナーベ――ナーベラル――が素早くその体を支えた。その身を背もたれに戻し、振動でずり落ちかけたひざ掛けを戻してやる。

 その行為にも、クーデリカは「う……」と声を漏らすだけで、その目が開くことは無かった。そのままうとうととし始める。

 

 セバスは浮かしかけていた腰を座席に戻した。

 

「随分と疲れてるみたいですねー」

 

 車内に同席していたルベリナがそう声をかける。

 

「無理もありません。ここしばらく、あちこち連れまわしてしまいましたからね」

 

 セバスは眠るクーデリカの姿を優しく眺めて言う。

 彼女はセバスと血縁の人間であるというアピールのために、ここ最近、連日あちらこちらに連れまわされていた。出来るだけ早いうちに、彼女が身内であると周知しなければ、彼女自身が危険にさらされる恐れがある為、それはやむを得ない事ではあったのだが、それでも、幼い身体には負担だったのであろう。

 今はわずかな間でもゆっくり休ませてやろうという心持であった。

 

「しかし、この娘がいることでこちらの任務も上手くいきましたね。もしや、このこともアインズ様のお考えの内なのでしょうか?」

「おそらくはそうでしょうな。我々が知恵を絞った結果、クーデリカをモーリッツ家の親類として偽装するのがいいという結論に至る事もまた、アインズ様の想定の範疇なのでしょう。クーデリカを保護して(のち)もこちらへの指示の際、彼女に関する事は何一つお触れになられませんでした。私たちはこの帝都での調査に関して、形式的ながらアインズ様より全権を任されています。そんな私たちに対し、至高の御方ながら口を挟むことを良しとしなかったのでしょう」

「おお……」

 

 ナーベラルは自分たちにかけられた信頼の厚さを感じ取り、思わずその身を震わせた。

 

「私たちはそんなアインズ様の信頼を裏切ることなく、任務に励まねばなりませんね」

「はい」

 

 セバスの言葉にナーベラルは深く頭を下げる。 

 しかし、その会話を横で聞いていたルベリナには少々気になる事があった。

 

「あーっと、ですね、セバス様」

「どうしました?」

「いやー、その、さっき私らに帝都での全権を任されたって言ってましたけど、それなんですが……っと」

 

 ルベリナが話しかけたところで、馬車が大きく揺れて止まった。

 

「んー、セバス様、着いたの?」

 

 その揺れによって、クーデリカが目を覚ました。

 目をごしごしとこすって立ち上がろうとする。床に落ちたひざ掛けは、ナーベラルが畳んで座席に置いた。

 セバスは微笑んで、彼女に手を差し出す。

 

「ええ、着きましたよ。では、行きましょうか」

 

 そう言って馬車の外へと彼女を導いて降りて行った。

 ナーベラルもそれに続く。

 

 

 馬車の中に残されたのはルベリナ1人。

 彼は誰もいない馬車の中で、先ほど言いかけた事を伝えるべきかと頭をひねった。

 

 

 

 今、この帝都アーウィンタールの裏社会は、ある噂でもちきりである。

 

 『元六腕の1人で、今はエ・ランテルのギラード商会に身を寄せている千殺マルムヴィストがこの帝都に来ている』 

 

 もちろんルベリナはマルムヴィストの事はよく知っている。

 そもそも彼がナザリック旗下となったのは、マルムヴィストの紹介によるものだ。

 そう。当然、マルムヴィストもまたナザリックに所属しているのだ。普段はエ・ランテルのギラード商会というところで幹部として活動しているらしいが、そこはあくまでナザリックの偽装組織にしか過ぎない。

 

 そんなマルムヴィストが帝都まで来るなど、ナザリックに属する者、彼に命令を下せるほど上位の者の意図が無ければあり得ない。

 つまりナザリックは、帝都で活動している自分やセバスらの他に、なんらかの目的でマルムヴィストも帝都に送り込んだということである。それも彼らには内密のままに。

 

 

 その事をセバスに言うべきかと悩んだのであるが――言わない方がいいかもしれないなと結論づけた。

 

 先程の話を聞くにセバス、それにナーベラルは、自分たちがこの帝都での全活動を任されていると思っているようだ。そこへ、彼らの知らぬ間に別の人員も送り込まれているぞと聞かされれば、心穏やかではいられないだろう。とりあえずのところ、彼らには秘密のままにしておいて、マルムヴィストらは何故帝都に来たのか、どのくらいの人間が送り込まれているのかをもう少し調べてみてからにしようと考えた。

 

 

 このルベリナの考えは、彼が普通の人間社会を基準に考えていることに起因する。

 彼を始めとした元八本指の人間は、ナザリックの全体像までは知らされていない。新しく入れた彼らが裏切る、または何者かに捕まり尋問されるなどした場合、ナザリックの情報が外部に漏れることを警戒したためである。

 彼らは、ナザリックとは人間だけではなく凄まじい力を持った魔物や怪物(モンスター)などまで属する秘密組織のようなものと認識していた。

 そして、そこには当然、派閥もまたあるものだと考えていた。

 セバスやナーベラルの話では、ナザリックの上位者として『アインズ』という名前がよく出てくる。だが、マルムヴィストらと話をすると、彼らの口からは上位者として『ベル』の名前が出てくる。

 そこでルベリナは、ナザリック内は八本指のように複数の部門に別れ、それぞれに支配者が存在しているようなものだと考えていた。

 

 つまり、セバスらが所属している組織のボスが『アインズ』という者で、マルムヴィストらが所属しているところのボスが、あの『ベル』という少女なのだろう。

 今、『ベル』の方はエ・ランテルを支配下に置いている。そこで、『アインズ』の方は帝都を支配下に置こうとし、そこへ『ベル』が探りでも入れているという状況なのだろうか?

 

 ルベリナはそう考えた。

 

 

 ――ここは慎重に行動する必要があるなぁ。派閥争いとかに巻き込まれたくないし。

 

 そういう結論に達した彼は、今はまだ全ては彼の胸の内に収めておき、いざというときにはマルムヴィスト経由でベルの方に近づけばいいかと心に留めて、怪しまれないうちにセバスらの後を追って車外に飛び出した。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 そこは活気にあふれていた。

 数人の料理人が厨房内をせわしなく歩き回り、もうすぐ始まるパーティーに出す料理の盛り付けや調理に汗を流していた。

 そんな中、でっぷりと太った料理長は部屋の中央に突っ立ち、神経質そうに爪先を鳴らしていた。いつもは温和な彼の顔が、今は険しいものに変わっている。

 

 料理長は待ち続けていた。

 目の前には肉が鉄板に並べられて、火にかけられるのを今か今かと待ちわびている。

 だが、今はまだ、彼らの願いを叶えてやる訳にはいかない。

 どうしても足りないものがあるのだ。

 

 

 その時、外へとつながる扉が数度叩かれた。

 きしむ音を立てながら開かれた扉の先にいたのは、この時間帯に来るのは珍しいが、特徴的なよく見知った顔だった。

 

「あ、すみませーん! 香辛料を届けに来ました」

 

 料理長は袋を手にした少年の許へと突進する。

 そして袋を受け取ると、その中身を確認する。間違いない。それこそ、彼が待ち望んでいたものだ。

 

「おお、これだよ。いやあ、ありがとう」

 

 料理長はすぐにその香辛料を手に、並べられた肉の元へと戻った。指でつまむだけの目分量ながら、計測したかのように正確かつ均等な量が肉の上にかけられていく。

 

 その様子を見つめる少年の所に、すでに自分の担当である料理の盛り付けまで終えた男が近寄って来た。

 

「いや、すまないね。ちょっと急に料理を変更したせいで、香辛料が急ぎで必要になってしまってね」

「あ、いえいえ、こちらも仕事ですし。いつもご贔屓にしてもらってありがとうございます」

「ははは。料理長がなんだか急にインスピレーションが湧いたとか言って、予定の料理を変更してしまったんで、こっちは大騒ぎさ。でも、間に合ってよかったよ。今日はうちのパーティーにモーリッツ家の方々が初めておいでになるのに、ウチの料理を勘違いされたんじゃたまらないからね」

「モーリッツ家?」

「ああ。最近、帝都に来た、なんでも王国の方の貴族の血を引く人だったかな? なんでも、商売を始めたら成功して……、でも弟だかにそちらはすでに譲ってしまったらしいけど。あ! ほら、ちょうど来たようだ」

 

 男が指をさす。

 厨房の窓の向こうに、一台の馬車が泊まり、そこから降りてくる人影がある。

 

 いささか年を取った男性。やや派手目な服装だが、それを身に纏うその人物は姿勢もよく、遠目に見ただけでもその姿に品性が感じられる。

 続くのは目を見張るような美女。漆黒の髪はポニーテールに結い上げられ、ややきつそうな顔だちも、まるで完成した芸術品のように感じられる。

 

 ――おや?

 

 窓枠に隠れて見えなかったが、先頭の老人は誰かの手を引いているようだ。

 ずいぶんと小さい、歩くたびに身体がぴょこぴょこと窓の桟から時折覗く。

 

 子供かなと思い、彼は窓際に近づいた。

 

 そこにいたのは彼の予想通り、子供であった。

 年齢は5歳程度だろうか、必死で足を動かし手をつないだ老人の歩みに合わせている。老人の方は彼女に合わせて出来るだけゆっくり歩いているのだが。

 

 その幼いが整った顔を見て、彼は包帯に覆われていないもう片方の目をぱちくりとさせた。

 

 

 その少女を見た瞬間、彼の脳裏をよぎったのは、学院を辞めてから久しくその姿を見ていない彼の尊敬する人物。アルシェ・イーブ・リイル・フルトであった。

 しかし、彼らはモーリッツ家の者達であると、顔見知りの料理人から説明を受けたばかりだ。モーリッツ家は王国貴族だというから、帝国貴族のフルト家と関係がある訳がない。

 

 ――なんであの子を見てアルシェお嬢様を思いだしたんだろう?

 

 ジエットは首をひねった。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 アルシェはふらふらと歩いていた。

 その身は疲れ果て、今にも倒れ込みそうだった。

 彼女のおなかが、くぅとかわいく鳴った。もう丸一日ほど、何も食べていない。

 

 彼女は実家を出た後、その足でいかがわしい店が立ち並ぶ治安の悪い区域に足を踏み入れ、ずっと彼女の妹たちを探していた。

 

 元とはいえ、貴族のアルシェはこのような場所に足を踏み入れるのはめったにない。

 初めてでないのは、ワーカーとしての依頼の情報収集に関して、幾度か足を踏み入れたことがあるためだ。

 だが、あくまでこの辺りに住んだり、生活しているという人間から話を聞くために訪れただけであって、その辺の店に足を踏み入れたことがあるという訳でもない。どの店がどのような商売をしており、どの程度の事をしているのかといったことまでは、彼女には分からない。

 

 今回、彼女が探しているのは幼い妹達である。

 彼女の乏しい知識では、金に困った女性が売り飛ばされたりするのは娼館であるという程度しか想像つかなかった。

 その為、大量の紙を用意し、それに魔法で妹たちの姿を映し出した。そして、それを見せて、この絵の少女の行方を知っていたら、高額の報酬を約束するから教えてほしいと、聞いて回る方法をとった。

 

 フォーサイトの仲間たちには頼めない。

 これは彼女、アルシェ・イーブ・リイル・フルト個人の問題であり、フォーサイトのアルシェの問題ではないのだから。

 すでに彼らには、彼女自身の装備の件で迷惑をかけている。

 完全に個人的な事で、実家の揉め事に巻き込みたくはなかった。

 

 

 しかし――。

 

 

 ――アルシェは赤く染まりかけた空の下をとぼとぼと歩く。

 

 彼女は歩き続けた。

 ワーカーとして鍛えた足が棒になるほど、あちこちを駆けずり回った。

 だが、手掛かりとなるものは皆無であった。

 

 女衒や人身売買を主としているところにも行ってみた。エ・ランテルで得たかなり高い報酬も提示したのだが、取りつく島もなく、けんもほろろに追い返されてしまった。

 

 彼女は疲れ切っていた。

 苦労しても、それに見合う成果があれば人は頑張れるが、何の成果も得られない徒労は人の心と肉体に重くのしかかる。

 もはや鉛のようなその足が止まりそうになる。

 だが、どこかにいるはずの妹達の為を思うと、足を止めるわけにはいかない。

 

 

 彼女は夕闇が迫る中、時間とともに人が増えてきた歓楽街を歩く。昼でも人はいるのだが、やはりこの辺りが活気づくのは日も傾いてからだ。通りには道行く者を呼び止める客引きの声が響き、肌もあらわな服装をした、アルシェとは比べ物にならない肢体を持った女性たちが姿を見せている。

 誰もが通り過ぎる互いには興味はなく、彼らの関心はこれから訪れる楽しみの事に向けられていた。

 

 

 そんな時――。

 

 

 ――うなだれて歩いていた彼女の前から、2人連れの人物が歩いて来た。

 顔は下げていたが、その人物が近づいて来たのは気がついた。

 

 向こうも気づいたらしく、歩く彼女にぶつからないよう、進路をそらす。

 先を歩いていたフリル付きのドレスを着た少女が、さっとアルシェの脇をすり抜ける。

 

 アルシェもまた距離を開けようとして――。

 

 

 ――足がもつれて、倒れ込んでしまった。

 

 悪いことに倒れ込んだ先が、その2人連れのもう1人、まるで貴族のように着飾った男の足元であり、その尖った革靴の先が彼女の薄い胸にぶつかることとなった。

 

 突然の衝撃に、こはっと肺から空気が漏れ出る。

 痛みに呼吸が出来なくなる。

 

 周囲の通行人たちは、彼女らの脇を足を止めずに通り過ぎながらも、物見高く視線を向けてくる。

 今の一件は、見方によっては、倒れ込んできたうら若き女性を貴族らしき男が傲慢にも蹴り飛ばしたようにも見える。

 そんな状況を理解し、男は困惑の様子を見せた。

 

 そんな男に、前を歩いていたドレスを着た少女が声をかけた。

 

「マルムヴィスト、何やってんのさ?」

「いや、ボ――ベル様。この娘の方から、ちょっと倒れ込んできましてね」

 

 地に伏したまま、疲れ切った瞳で見上げるアルシェの瞳に映ったのは、困ったように頭を掻く伊達男マルムヴィストと、くりくりとした瞳でこちらを見下ろす美しい少女ベルの姿であった。

 

 

 




――今回の捏造説明――

ゾル=バ=ザル……WEB版の邪神で出てきた、クレマンさんと逃避行することになったミイラのような男です。名前がないと不便だったので、とりあえず名前をつけました。

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